三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

サスティナブルを考える

2008年07月11日 07時26分46秒 | Weblog



いつも住宅のことを考えているような生活をしていますが
そうやって考えてくればくるほど、
日本的なシンプルな住まい、ということを考えるようになります。
歴史年代的に見れば、わたしたちの民族的な住宅体験は
圧倒的に写真のような竪穴式住居が長かったと言えます。

現代の自然素材への強い希求とかのベースに
こういう住宅体験がDNA的に色濃く根付いているのはないかと考えるのです。
縄文の時代では採集を基本としながらも
定住も見られて、食料植物の栽培も行われていたようです。
縄文時代の食素材は、驚くほどに豊かだとされています。
いろいろな素材をまんべんなくバランス良く食していたようです。
縄文時代には圧倒的に人口は東日本に集中していたという説が有力。
適度に寒冷で、秋には自然から様々な食素材の恩恵が得られた。
そういう素材を、長期保存してくれる寒冷な冬が冷蔵庫代わりにもなった。
そういう条件を持たない西日本は、生きにくかったのですね。
海産物なども秋に回遊してくるサケなど、
非常に豊かな恵みをもたらしてくれていた。
縄文の貝塚に見る食素材の豊かさに比較すると、
たとえば古代律令国家の東北侵略拠点・胆沢城での下級官の食事などは
米と一汁一菜というバランスの悪いモノであり、
食生活の様式で見て、蝦夷の伝統的食生活~たぶん、縄文的な要素も残っていたと思う~
と比較すれば、ヤマト的暮らしに「まつろわなかった」のも
理解できるような気がしてくる。

こういう生活空間の構成のシンプルさ、
架構造の力強さ、屋根の萱などの湿度調節作用など
非常にサスティナブルな住居と言えるのではないかと考えられます。
現代のわれわれが、新建材固めにして
現代的快適性基準を追求してくるのだけれど、
色々考えれば考えるほど、
こういう住空間に教えられることが大きくなってくるのですね。
少なくともこういう自然素材に囲まれた空間は、
自然への単純な共生感覚をもたらしていただろうと考えられます。
こういう空間に戻ることはできないけれど、
その心地よさへの想像力は失ってはいけないでしょうね。


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