三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

藤原清衡の願文

2008年07月22日 06時41分04秒 | Weblog



・・・(奥州の地で は)官軍の兵に限らず、エミシの兵によらず、古来より多くの者の命が失われました。・・・罪もなく命を奪われしものたちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願うものであります。

きのうの続きです。
ことし平泉一帯は世界遺産登録申請を行って、延期という結末になったわけですが、
その説明として、清衡の中尊寺落慶供養願文に記された「浄土思想」が
引き合いに出されたのです。
こうした平和思想が今日的にも意義がある、ということでした。

・・・大門は三つ、築垣は三面、反橋(そりばし)は一道(二十一間)、斜橋は一道(十間)、龍頭鷁首(りゅうとうげきす)の画船二隻、左右楽器、太皷、舞 装束三十八人を具します。これを造るに当たっては、築山をして地形を変え、池を掘って水を引き入れました。草木と樹林を宮殿楼閣の中に配置し、この中で世 の人を楽しみとする歌舞を催し、民衆の仏への帰依を讃えようと思います。そのようにすれば、たとえ砦の外の蛮族だとしても、『この世にも極楽はある』」と 言うでありましょう。
千部の法華経に、千人の読経者。これ(法華経)については、私(清衡)は志を忘れずに、多年に渡り僧侶に書写させてきたのでありますが、同時にこれ を一日に転読させ、一人で一部、千人で千部を唱和し尽くそうと思ったのです。集った蚊の羽音は、雷鳴を成すと言います。千僧の読経の声は、きっと天に達 するでありましょう。・・・<中尊寺落慶供養願文より、現代語訳・佐藤弘弥氏:抜粋>

浄土思想というのは、
東アジア世界で一時期、ひとびとの内面世界に
非常に大きな影響を与えたものだと思います。
末法思想とともに、ひたすら浄土での平安を願ったことが
現実の政治にも大きな影響をもたらしていた。
寺を建てるという権力者の動機はやはりこういう部分が大きかったのでしょう。
そもそもこういう国家に対する正規文書に
普遍性をもたらす考えとして公認されていた思想なのですね。
朝廷に対する正規文書としての性格もあって、
建前が書かれているのですが、すさまじき戦乱を経てきた
かれの生涯を思うと、肉声とも思えるような記述とも取れます。
こういうメッセージを残した武人というのも少ないのではないのでしょうか。


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