三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【沈黙が支配する空間を持つ日本社会】

2019年04月21日 12時00分03秒 | Weblog
写真は仙台市泉区の「柳澤寺」の山門見返し。
近隣でたいへん賑やかな空間を訪れた後、
無性に「静かさの支配する場所」への渇望が襲ってきて
神社か、仏閣か、と探すウチに出会ったお寺さんであります。
曹洞宗の寺院とかで、禅寺であります。
最近都市化が著しい泉パークタウンにほど近いけれど、
ごらんのような背景の緑もゆたかな環境の中にあって、
静寂が得られる空間が出現している。

JIAの10代目元会長・出江寛さんの講演を何回か聞く機会がありましたが、
氏から「沈黙が支配する」空間こそが日本文化の核心、
といったようなテーマのお話しが真骨頂のように感じていた。
沈黙は金、といった格言もありますが、
喧噪の巷から自我を取り戻すためのこういう空間を持っていること、
そしてそういう空間が集落なり、都市の中枢に
計画的に配置されているのが、日本社会の特徴である気がします。
東京の中心に皇居という森が広がっている社会をわたしたちは
ごく自然に受け入れてきているけれど、
このことの価値感とは、やはり「沈黙が支配する」空間性というものが
日本人的な心性に大きな共感を呼ぶ、ということを表していると思う。

沈黙にもさまざまな「表情」があり、
そういうことがらをデザインにまとめ上げるのが、
日本建築の重要なキーパーツなのでしょう。
この写真は山門全景から「切り取って」見た次第ですが、
写真画像の中から、沈黙が支配する要素だけにした、というところ。
自然の背景の中で、それと長い時間スパンで応答する装置としては
端正な柱・梁・屋根といった「結界装置」がふさわしい。
自然と対話する建築こそが、日本人の心性には似合っている。
どうも縄文くらいから由来する建築のこころの中核に
こういった精神が息づいているように感じられてならない。
・・・喧噪の「住宅展示場」から、無性にこういう空間に焦がれた次第。
コメント
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