三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【豊穣なくらし「海の京町家」〜伊根の舟屋】

2018年10月06日 09時35分56秒 | Weblog



1階が舟のガレージで2階が居室になっている「伊根の舟屋」は、
京都府の宮津市・天橋立のさらに奥の伊根湾沿いのウオーターフロントギリギリに
約230軒の住宅が軒を連ねている「海の町家」。
近くには「浦島太郎」伝説に連なる「浦嶋神社」もあるという伊根。
新住協総会後の1日、かねて気になっていた「海の京都」を訪ねてみた。

いつも手に届くところに海があり、さばいたサカナのアラを魚取りの網に入れておくと
またそこに魚が掛かっている。ときにはアワビやサザエが這い上がってきて
そのまま夕餉の食卓に上がっていたりする、という。
この伊根地域は日本海に面しているけれど、複雑に湾入りしていて、この前の海は
この「舟屋」群集落に対して南側に広がっている。
急な傾斜で陸塊が海に傾斜しているので、その海への接点に沿って
このように「町家」形式の建築が集積することで
海民たちの生業のためのウォーターフロントシティが歴史的に積層してきた。
この「街並み」を特徴付けているのは「妻入り」の規則的な連続性。
これらが群として連なることで大きな環境景観美を作り出している。
しかもそれが海という反射鏡と背景の崖の緑のラインを構成しているので、
圧倒的な集合美を見せてくれている。
この伊根の舟屋の歴史はよくわからないとされているけれど、
この「生業」感を現地で実際に体験してみると、縄文以来のこの列島社会での
基盤的なライフスタイルをそこに見る思いがしてくる。
目の前の穏やかな海と、行動の自由を保障してくれる舟は、
基本的な人間生存環境をまざまざと実感させてくる。
現代のわれわれは、資本主義経済という不確実な「利益追求」の巧拙程度のことで
常に不安と変動にさらされる日常を送っている。
そしてきわめて不安定なエネルギーに依存した日常を余儀なくされているけれど、
この伊根の舟屋群の集住環境は、そういう感覚と大きく異なる。
ちょうど、地震とその後のブラックアウトを経験してそこからどう生き延びるかを
日々考え続けているのだけれど、
このような光景を目の当たりにして、はたしてわれわれ現代は
人間環境として「進化」したのだと本当に言えるのか、
深い、内面側からの懺悔の思いにも似た感覚にとらわれ続けていました。
それほどに、たぶん縄文から先人たちが続けてきた生存方法の工夫の
環境合理性に徹底的に打ちのめされるような気がします。

海上タクシーのように舟に乗せていただいたのですが、(ひとり1,000円)
ちょうどひとりで乗ることになったので、その船頭をしている
若い方に説明もしていただきました。
かれは北海道との間を行き来するフェリーの会社に勤めていたのを辞めて
この生まれ故郷でこういう仕事で生きてきているそうです。
「北海道のホッケが無性に食べたくなった(笑)」と屈託なく笑っていましたが
この伊根の舟屋が生み出すライフスタイル・リズムが
この若者に、現代都市生活以上のものと思えた部分があったのだろうと思います。
先人たちの豊かに生きる知恵そのものと触れた気がしました。
コメント
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