写真は先日来触れている南北朝期に建てられた奥の正法寺の
外部石階段と門の礎石部分をクローズアップしたもの。
今回の修復工事で、この部分も手が加えられたのかどうか、未明です。
しかし、基本的なやりかたとか、
残されてきた技術については基本的にそれを活かしていると思われます。
いつもこうした建物を見るとき、
土台として据えられる横架材を支える石積みの部分に興味を持ちます。
日本では大型の公共的性格を持った遺構建築も木造が多い。
海外の例はつまびらかには知りませんが、
概ね、組石造の建築が多いと思います。
なによりも長い時間の風化に耐える素材として、石が利用された。
それに対して、日本ではむしろ、石の建築ってごくわずか。
しかし、そういう伝統の中でも、縁の下で、
炭素年代を耐え抜く石積みの技術が残ってきたのだと思います。
城郭建築に残っている石垣の石の組み合わせ技術など
読んでみていると、興味深いものがあります。
ただ、わたしの場合はそういう技術のことよりも、
こういう作業を地道に支えていた丹念な仕事ぶりに感嘆してしまいます。
左側の写真では、太い柱の礎石と礎石を結ぶように、
上面が平滑になるように作業された石が連続されています。
長い年月の風雪に耐えるには、こういう部分も凸凹があってはならないのでしょう。
土台から上の重量物の大型門建築を支えるために、
丹念な手仕事があったと思われます。
右手写真の階段も、敷地地盤面の状況を良く把握して、
長期的な使用と、地盤面条件の変化などを見込んだ基礎構造が
検討されていると感じられます。
こういう古の、技術と、それを成し遂げる職人仕事に、
深い感慨を抱くものです。