長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第10回 『アイドルグループの異世界との遭遇』

2011年05月21日 23時01分01秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもどうもこんばんは~い、そうだいです。いやはや、余震って、いつになったらなくなるんですかねぇ。最近は関東でもまた増えてきちゃったような。

 私はなんと前回に続いて、けっこう前に注文していたミリタリーブーツがやっと家に届きましてね。たて続けになっちゃった! でもうれしいですねぇ。
 ずいぶんと古い型のアメリカもののブーツです。デザインはシンプルですけどかなり存在感がありますね。最近は当たり前になってきているサイドジップもついてないから履いたり脱いだりに時間がかかるかかる! でもこの手間がいいんだなぁ。いや~、これでそろそろ私の中のブーツ旋風もおひらきですね。いいかげん暑くなってきたし。

 そんなブツを梱包から開けてニヤニヤ見入っていたら、つけていたラジオ番組でこんなやりとりがありました。

 今日も今日とてTBSラジオをつけっぱなしにしていたのですが、その中でもよくあるのがショッピングコーナー。まぁ「ジャパネットたかた」みたいなもんなんですが、その時に紹介されていたのは「ものすごくクッション性のいいウォーキングシューズ」。
 私もよく思い立っては15キロくらい歩いて翌日立てなくなるアホな人間ですもので、なんとな~く聴いていたのですが、よくショッピングコーナーで「クッション性」を伝えるために引きあいに出されるのが、「なまたまご1メートル上空から落とし実験」。
 シューズを紹介する明朗な声のお嬢さんは、どうやら番組の収録スタジオにシューズの底部分に使っている新素材のクッションパッドを持ってきていたらしく、


お嬢さん「はい! このようになまたまごを1メートル上から落としても~……(落とす間)ほら! ぜんぜんたまごが割れません!」

司会者 「うおお! すごいけど、ラジオに驚くほど向いてないね、この実験。」


 などといった定番のやりとりがあったわけなのですが、つつがなく商品の値段や電話番号などの読み上げが終わってコーナーもしめに入った時、ちょっと気になる発言がありました。


司会者 「××さん(お嬢さんの名前)、その実験に使ったたまご、ちゃんと自分でおいしく食べてくださいね、もったいないから!」

お嬢さん「アハハ、はい、今日は食べながら帰ります!」


 ブーツをながめてニヤニヤしていた私の顔が一瞬かたまってしまいました。

 なに、「食べながら帰る」……ということは、それって「なま」じゃなくて、「ゆで」なんじゃね?

 いや……ただ、その「食べる」っていう表現がひっかかっただけですからね。お嬢さんにとっては「なまたまごを食べる」って言い方もごく当たり前なのかもしれないしね。なまたまごを食べるってことがおかしいわけでもないし。

 でも、仕事先から食べながら帰るんだぜ。それが「なま」だったとしたら、お嬢さんがチュルチュルっとたまごをすすりながら歩いてるんだぜ。およそ21世紀の日本にあってはならないフードスタイルでしょう。
 せめてしょうゆでもないとキツいだろ……まぁ、もしかしたらラジオ局のお嬢さん用の楽屋にナベとコンロがあってお嬢さんはゆでるつもりだったのかもしれないけど。

 どうでもいいことにひっかかってしまった。でも、新商品のクッション性を疑うわけじゃないけど、「なま」よりも「ゆで」のほうが持ち運びも便利だし、なんてったって映像のないラジオ番組だしねぇ。
 ん? ということは、ぶっちゃけクッションパッドもたまごさえもそこに無くてよかったのでは?

 もしかして、そこには「お嬢さん」も「司会者」さえもおらず、そもそも「TBSのラジオ番組」も「それを聴いている私」もはじめからこの世界には存在していなかったという『マトリックス』的な『十牛図』的な衝撃的結末が巨大な暗い口を開けて待って……いたらおもしろいなぁ~、みたいな。


 さてさて、こんなふうにいい感じで頭がクラクラしてきたところで、めげずに今回も「ざっくりすぎるアイドルグループ史」を雄々しく始めてまいることにいたしましょう。

 おニャン子クラブの台頭によってさんざんひっちゃかめっちゃかにされてしまった日本のアイドル界ならびに音楽業界だったのですが、これによって、純粋に「容姿と歌声だけで人気を獲得するアイドル」というスタイルは維持することが難しい時代が始まってしまいました。
 つまり、TVを視聴する人たちの友だちやクラスメイトであったとしてもおかしくないような、非常に親しみやすく完璧じゃないところもあってそこがかわいいという「しろうと感を武器にしたアイドル」が芸能界を席巻するようになったのです。
 こうなってしまうと、TVの世界で重宝されるのはプライベートの話や番組での扱い方にやたら制限がある「本物のアイドル」ではなく、あっけらかんとした私生活の話もできてトークもおもしろくコントのようなお遊びもできる「アイドル的な魅力のあるタレント」でした。

 そのころの芸能界の風潮を指摘して、『オールスターものまね歌合戦』の審査員としても有名だった日本歌謡界の重鎮・淡谷のり子先生はこう言っておられたそうです。

「(あの独特の高音とイントネーションで)いまの歌手はねぇ、『かしゅ』じゃなくて『かす』。」

 先生、うまいことおっしゃいましたねぇ! もともと東北弁の美しい方でしたから。

 確かに、歌手としては諸先輩方から観ると「カス」ととられるレベルの人もいのたかもしれませんが、これはまさに「歌が唄えなくても別の魅力があればいい」時代が来たということになります。

 こういった流れにより、1970年代に始まり80年代初頭に大爆発することになったソロ・グループ含めての「アイドル歌手隆盛の時代」は、おニャン子クラブの活動によって事実上いったんの終焉をむかえることとなります。おそらく、グループとしてはおニャン子クラブ、ソロとしては1987~88年ごろに最盛期となった菊池桃子さんや酒井法子さんといった『Momoco』陣営ぐらいがラストだったのではないでしょうか。

 さて、この区切りをさして「アイドル冬の時代」なり「アイドル氷河期」と呼ばれる時代が始まった、という表現もよく使われるわけなのですが、それはあくまで「歌手に重点をおくスタイルが退潮した」というだけなのであって、「グラビアモデル界のアイドル」、「女優界のアイドル」といったように、歌手以外のさまざまな世界に「アイドル」が生まれるという時代の始まりだと言い換えれば、別に「アイドルと呼ばれる人々がTV界で絶滅した。」ということじゃないんですよね。極端な話、生きた人間がTV番組を観ているかぎり、男女をとわず「アイドル」という存在はいなくなりませんよ! ほんとに極端な話になっちゃった……

 そんなわけで、今まではアイドルが参入してこなかったような色々な世界にも、「それぞれのアイドル」が生まれるバラエティ豊かな時代がやってきました。
 1980年代、ソロ活動をする女性有名人の中でグラドルやAVアイドルのさきがけとなっていく人々が次々と現れたように、アイドルグループもさまざまな業界に出現するようになりました。

 ちょっとだけ、1980年代に特に活躍したそういった異世界アイドルグループの例をあげてみましょう。


クラッシュギャルズ(1984年8月~89年)女子プロレス人気ベビーフェイスレスラーのタッグ
 長与千種(20歳)とライオネス飛鳥(21歳)
 1976~79年に活躍した「ビューティ・ペア」(ジャッキー佐藤とマキ上田)以来の人気タッグコンビ(ビューティ・ペアも6枚のシングルをリリース)
 シングル8枚をリリースして当時のバラエティ番組にも積極的に出演し人気を集める
 1989年の長与の一時引退により解散するが、復帰後の2000~05年に「クラッシュ2000」として再結成
 
オナッターズ(1984年9月~86年9月)3人組 テレビ朝日の深夜番組『グッドモーニング』(毎週月曜日深夜0時半からの30分番組)のマスコットアイドル
 17~23歳 小川菜摘(22歳 言わずと知れたダウンタウン浜田雅功夫人)ら女優・モデル・タレントの集まったグループ
 フジテレビの深夜番組「オールナイターズ」を意識したネーミング
 1990年代前半に流行したセクシーアイドルグループの元祖
 番組内のコントで「地球をタタナイ病から救うセクシーヒロイン戦隊」として出演
 コントでお笑いもこなすふところの広さ
 シングル2枚をリリースするが番組の終了にともない活動終了

風間3姉妹(1987年)TVドラマ『スケバン刑事(デカ)3 少女忍法帖伝奇』(1986~87年)の期間限定歌手グループ
 主演の3姉妹を演じた浅香唯(18歳)、大西結花(19歳)、中村由真(17歳)が主題歌『remember』を唄いオリコン首位を獲得
 ※『スケバン刑事』シリーズは1985~88年に大ヒットしたフジテレビのアクションドラマで、3シーズンと2本の映画が制作された
 浅香唯はこのドラマ主演で大ブレイクし「アイドル四天王」の1人となる
 大西と中村はその後おもに女優として活動し、2人ともヌード写真集を発表している

BaBe(ベイブ 1987年2月~90年)女性デュオ
 近藤智子(19歳)と二階堂ゆかり(20歳)
 アイドルデュオというよりは、「バラドルデュオ」
 キレのあるダンスを得意とする
 色白の近藤と色黒の二階堂でバラエティ番組に強かった
 1990年の二階堂の結婚引退により解散
 のちにいとうあさこが二階堂のものまねをする
 代表曲『I Don't Know!』(1987年)

チャイルズ(1987年9月~92年)3人組アイドルグループ
 ラサール石井プロデュース 
 20~23歳 磯野貴理子(現・貴理 23歳)ら劇団七曜日(ななようび ピンクの電話やデンジャラスなどが所属していた)の劇団員
 5代目いいとも青年隊として活躍する
 3枚のシングルをリリースする
 ファミコンRPGゲームソフト『ラサール石井のチャイルズクエスト』も発売

レモンエンジェル(1987年10月~90年4月)3人組 深夜エッチアニメ『レモンエンジェル』のタイアップグループ
 16~18歳 桜井智(16歳)らの新人アイドルグループ
 ※アニメ関連ではあるが声優のアイドルグループではない
 伝説のアダルトアニメビデオシリーズ『くりいむレモン』のTV向け派生作品のテーマソングや声優を担当
 ※『レモンエンジェル』自体は、深夜とはいえTVで放送できるレベルのごくごく軽~いエッチアニメ
 パンチラ衣装などを使った軽~いセクシーアイドル路線
 深夜番組タイアップのためTV露出は少なかったが、5枚のシングルと5枚のアルバムを発表
 末期の1990年はメンバーの急病引退によりデュオとして活動
 代表曲『第一級恋愛罪』(イギリスの女性ポップグループ・バナナラマのカヴァー曲 すげぇタイトル!)
 桜井は解散後の1993年から本格的に声優として活躍

RaCCo組(1988年9月~89年)当時の人気AV女優の3人組グループ 「裸っ子組」の意味
 19~20歳 斉藤唯(20歳)ら
 AV女優界初の本格アイドルグループ
 2枚のシングルを発表するがさほど話題にならず
 メンバーの急病や交通事故による交替があいつぎ、斉藤の引退により解散


 まぁ~セクシー、バラエティ、アニメにアダルトと。実にいろんな場所でアイドルグループが活躍しましたね。ドラマ『スケバン刑事』のシリーズを通しての重要なキーマン「暗闇警視」役を演じられた名優・長門裕之さんのご冥福を心から祈らせていただきます。
 はっきり言ってしまうと、この中でいちブームを築くほど大ブレイクしたグループはさほどない(TVタレントとしての知名度はクラッシュギャルズは高かった)のですが、それぞれの世界ののちのちの展開を考えると、「アイドル」という存在がいろんな世界に散っていったこの昭和末期、80年代後半という時代は無視することはできませんね。成功はしませんでしたが、すでにこの時期からアダルトビデオ業界が女優のアイドル化を見越した展開を開始していたという事実はちょっとおどろきです。
 『チャイルズクエスト』、やったねぇ~ファミコンで! でも、あんなにハマッたところでチャイルズのファンにはついにならなかったなぁ。RPGがおもしろかっただけだから、アイドルの売り込み戦略としては失敗だったのでは……まぁ、ガキンチョだったから!

 さてさて次回は、そういった異世界との遭遇の中でも最大規模のブームとなった「ロックバンド」業界との出会い、そして激動の昭和から平成への移り変わりを追ってみることにいたしましょう。

 ……といきたかったところなんですが、実は私、22日の日曜日に恒例の「桜木町ハイキング」をやらかして、ついでに今話題の映画『ブラック・スワン』を観ようと思ってるの!
 なんで、それが予定どおりに敢行されたとしたら、次回は「ざっくりすぎるアイドルグループ史」はちょっとお休み、たぶん「桜木町と『ブラック・スワン』感想」あたりの日記になりま~す。

 いったん日本のアイドルグループはお休みということで、しばらくはナタリー=ポートマンと、うわさでは『ブラック・スワン』に出演しているらしいという懐かしのウィノナ=ライダー姐さんに夢中になりたいと思う所存です。
 楽しみだなぁ~オイ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする