長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第2回 『アイドルグループのあけぼの キャンディーズ』

2011年05月05日 23時20分34秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 こ~んばんはっと。そうだいでございます。はい~、ゴールデンウィークももう終わりでございますね。私はゴールデンウィークもなにウィークもなく普通にお仕事で過ぎ去ってしまいました……来年は連休らしくどっかに行きたいですなぁ!

 昨日、仕事が終わったあとにいつものように牛丼屋さんに行ってね、丼もののついでに冷や奴をたのんだんですよ。ベロがもうおっさん……
 そしたらね、いつもはテーブルにあるはずのしょうゆがない。
 あれ? さすがにそのまま冷や奴を食べるわけにもいかんしなぁ、と思って店員さんにしょうゆをたのんだら、持って来てくれたのはしょうゆさしではなく、お弁当に入っているようなしょうゆ袋。

 なるほど……たまたまきれてたわけじゃなさそうですね。これも震災の影響なんですかねぇ? たしかに、タダのしょうゆをダーダー使うお客さんもいるでしょうから、節約するとしたらしょうゆさしをかたづけるのはいい策ですね。
 それはいいんだけど、定食屋さんでちまちましょうゆ袋をあけている姿はそうとうに情けない! もうしょうゆを必要とするメニューはたのみません。
 冷や奴はねぇ、ちょっとだけしょうゆをさすのがいいんですよ。ほんの少しだけ、うつわにしょうゆが残らないくらいがいい。それだけの塩分があればいいんだから、今度からはテーブルソルトを持ち歩くようにしようかな。


 さあさあ、誰よりもうっている本人が驚愕するほど枯れた始まり方になってしまいましたので、さっさとアイドルグループの話題に入ることにいたしましょう。年とったなぁ、おれも……

 前回は、日本で初めて女性の人気歌手に「アイドル」という呼び方が使われるようになった1971年の前。それ以前に活躍していた「アイドルグループの原型」となる方々を見てきました。
 「容姿の魅力」、「グループとしての活動」、「ヒット曲」などといった要素は出てきましたが、これらの条件をすべてかねそなえた本格的なアイドルグループはまだ登場していません。
 では、1971年という同時期にデビューしたため「新3人娘」と呼ばれた天地真理、小柳ルミ子、南沙織をはじまりとして、麻丘めぐみ、浅田美代子、そして「花の中3トリオ」こと桜田淳子、森昌子、山口百恵と、綺羅星のごとき才能が続いて爆発的にポンポン誕生したソロアイドルの世界にたいして、アイドルグループの世界はどうだったのかというと……?
 アイドルグループという形態ができるまでには、ソロアイドルをしのぐ人気を得るために長い時間を必要とした、言っちゃえば「スターらしくない準備期間」もひっくるめての成長物語があったのです。

 アイドルグループ誕生への道のり、それはそのまま、1970年代に活躍した3人組女性トリオ「キャンディーズ」大ブレイクへの道のりにほかなりまっせん! 出た~キャンディーズ。
 ここで強調しておきたいのは、1971年以降、鳴り物入りでデビューするのが当たり前だったソロアイドルとちがって、キャンディーズがデビューと同時に大人気のアイドルグループになったというわけではなかったということです。
 苦労人だよキャンディーズ!

 まずグループとしてのキャンディーズが結成されたのは1972年。日本のTV文化の草創期から多くの伝説的タレントを輩出してきた(ザ・ピーナッツもそう)芸能事務所・渡辺プロダクションは、すでに1963年の時点で自前のタレント養成学校「東京音楽学院」を創立しており、全国各地に校舎をおいて数多くの俳優・歌手の卵たちを育ててしていました。カラーTVの放送が始まるのが1966年なんですからね。すでにその前からのちのちのTV界の隆盛を見越していたというのか……先見の明だねい。
 そして、そこに在籍していた研究生の中でも特に才能の抜きんでていた男女で構成された特待生グループ「スクールメイツ」の中から選ばれた伊藤蘭、藤村美樹、田中好子の3人(当時16~7歳)が「キャンディーズ」を結成したのです!
 余談ですが、現在ももちろん存続しているスクールメイツ、その活動は誰もが1度はご覧になったことがあるはずです。あれよあれ、フジテレビの『ドリフ大爆笑』のオープニングとエンディングで、けだるく左右に揺れているドリフターズのうしろでめいっぱい踊ってるチアリーディングのみなさん。彼女たちがスクールメイツなんですよ! 元気いっぱいのなんともいえない独特の空間を作りだしていますね。
 さあ、そんな将来性たっぷりのキャンディーズ、最初の活動は?

 NHKの歌謡番組のアシスタント(進行助手やコーラス)。

 うむむ……まぁ、この時点でのキャンディーズを「アイドル」と呼ぶのはむずかしい、かなぁ!?
 実は「キャンディーズ」というグループ名を命名したのもその歌謡番組のプロデューサーでして、どうやら番組のマスコット兼お手伝いに3人が選ばれた、というだけの話だったようなのです。

 しかし、このチャンスを逃したくない3人はがんばった。
 その結果、グループとしてのキャンディーズは継続していき、翌1973年にはあのザ・ドリフターズの超人気お笑い番組『8時だヨ!全員集合』のアシスタントとなり、積極的にコントにも挑戦していきました。「アイドルだから」「歌手だから」という垣根がそれほどなく、かわいいのにおもしろいこともやるという、ソロアイドルにはなかなか出せない特別な存在感を発揮したキャンディーズはじょじょに人気をあげていき、ついに結成からおよそ1年半たっての歌手デビューにこぎつけることができたのです。

 1973年に発売された初のシングル『あなたに夢中』以来、メインヴォーカルを田中好子(スーちゃん)にして活動していたキャンディーズだったのですが、それから2年後、年長でお姉さん的な存在となっていた伊藤蘭(ランちゃん)をメインヴォーカルにしてみた5thシングル『年下の男の子』から本格的にブレイクするようになってきます。有名ですよね、『年下の男の子』。
 そして1976年には9thシングル『春一番』でさらに大ヒット。全体的に距離感の近い歌詞世界と、明るくておぼえやすいメロディ! 4年前にはイス運びをやっていた3人が、ここにきてなみいるソロアイドルと互角かそれ以上の人気を獲得する歌手グループに成長したのです。
 ここにきて、ついに日本に「本格的なアイドルグループ」が誕生しました。見のがしてならないのは、最初から「アイドル」になっている場合がほとんどだったソロの世界と違って、アイドルグループの世界にはキャンディーズの時代から、アイドル志願の女の子の集まりが本物のアイドルグループになっていくという「成長物語」が密接につながっているということです。自分の応援している女の子達が人気を得て一人前のアイドルグループになっていく。このストーリー性が斬新だったわけですね!
 そういったあたりの物語は、キャンディーズが活躍していた時代から30年以上の時がたった今現在でも、TVの中や全国のライブ会場で繰り広げられていますよね~。
 ところで私そうだいがティーンだった時には、女性アイドルグループではなく野郎のロックバンドでよくそういう展開が見られていたような。「ビジュアル系」とかいってたころ。自分が応援しているバンドがどんどん有名になってくのって、うれしいんだけどうれしくないんですよね~! わかりますよね、この感じ~?

 さて、アイドルにはブレイクがあれば終わりもあるもの。それはアイドルにかぎらず『平家物語』の昔からの人間界の常なのですが、キャンディーズの「終わり」もまた、日本の芸能史上に残るストーリー性あふれるものとなりました。

 1977年7月、キャンディーズは日比谷野外音楽堂でのコンサート中に突如「解散」を宣言。その時のランちゃんの発言「普通の女の子に戻りたい!」はつとに有名です。
 ところが、メンバーの解散の意志はどうやら所属事務所のあずかり知らぬところだったらしく、年内解散を望んでいたメンバーとなんとかもちっと働いていただきたい事務所は交渉に交渉をかさね、結論として「解散宣言」の半年以上あととなる翌1978年4月をもって活動終了ということになったのでした。それだけ大スターになってたってことなのね!

 日本の芸能史上において、「解散興行」というものがコンサートのかたちで行われたのは、1975年に引退したザ・ピーナッツがお初だとされています。
 国民的人気の女性デュオとして活躍していたピーナッツもはや30代。1975年に入って2月に引退を宣言したあと、円満に東京など4都市での「さよなら公演」を終了させた2人は4月に芸能界を引退しました。

 それにくらべてもなんとも型破りなキャンディーズの「解散までの長い活動期間」だったわけですが、それがひょうたんから駒、結果としてキャンディーズのさらなる人気爆発につながったことは間違いありません。
 「もうすぐ俺達の前からいなくなっちまうんだぞ!」という切実なファン(主に3人と同世代の男性)の想いは思わぬ高揚感をセールスにも影響させていき、解散直前の1978年2月に発売された17thシングル『微笑(ほほえみ)がえし』はグループ最大のヒットとなりました。

 そして伝説の4月4日。東京・後楽園球場での解散コンサート「ファイナルカーニバル」、球場には5万5千人ものファンが集結してさらに場外にも同じくらいの人数のファンが押し寄せていたんだからとんでもない。警察動員は当たり前の史上空前の一大イベントとなりました。
 芸能人が後楽園球場でコンサートを開催するという例は1968年のザ・タイガーズがはじまりだったのですが、女性アーティストでの最初だったこのキャンディーズも、まさに歴史に名を刻むアイドルグループとなったのです。

 こうして、まだまだ20代前半という若さでありながらいったんは芸能活動を休止した3人ですが、その後1980年にランちゃんとスーちゃんは女優として活動を再開、ミキちゃんは1983年にいったんソロ歌手として活動したあとに結婚引退しています。その後の3人のことはみなさんもよくご存じですよね~。


 今回のことでちょっとパソコンを見ていたら、キャンディーズのファンだったと思われる方のこんなコメントが目に入りました。

「2歳下の私はまさに『年下の男の子』だったのに、2年後には貴女を越えてしまうことになります。それがとても悔しくて哀しい。」

 うおお~。ファンの想いがいっぱいにつまった素晴らしい言葉だと感じました。死別の重みと愛情のあたたかさ。
 「アイドル」という存在は「ファン」という存在なくしては語れませんね。

 キャンディーズの後楽園コンサートを報じたメディアとそれを見聞きした世論は、キャンディーズの人気のすごさもさることながら、3人の解散に号泣した10万人ちかい若者男性の様子に少なからず批判的な感情をもっていたようでした。
 しかし! そこがファンなのであり、アイドルなんだなぁ~。「国民的歌手」でない新たな存在がそこにはあったと言えるでしょう。


 さ~ってさてさて、そんな感じで日本に誕生した「アイドルグループ」だったわけなのですが、最初のキャンディーズの存在が巨大すぎたため、意地悪な言い方をしますと、この時点ではアイドルグループという「ジャンル」はまだ確立していませんでした。
 つまり、アイドルグループがジャンルになるのかどうかは、キャンディーズに伍する人気を獲得した後続グループが現れるかどうかにかかっていたわけなんですね。

 当然ながら、1970年代なかばのキャンディーズのブレイクにあわせて早速いくつかの類似グループは生まれたわけなのですが、比較的目立つのは1974年に香港から来日して活躍した白人の双子デュオ「リンリン・ランラン」(コンセプトはなぜかインディアン)や、1975年のザ・ピーナッツの引退後に彼女たちの後継としてデビューしたやっぱり双子デュオ「ザ・リリーズ」(現在も活動してます!)くらいで、時代を切り開く新要素をもったグループはなかなか現れ……

 いや! 現れた!! 1976年にあの2人が。今年になって再び復活しているあの2人が。まさに彼女たちがモンスター。
 まぁ、デュオがグループなのかってところはむずかしいところなんですが、絶対に無視できないところなので次回はこの2人をとりあげま~す。

 ゆっふぉ! でれででっでっでっ、でれででっでっでっ……
コメント
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