長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第11回 『ロックなアイドルグループにしてくれ』

2011年05月25日 23時04分49秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもこんばんは~! そうだいです。みなさん、今日はいい日になりましたか?

 今日は私、1日お休みをとって東京に2本のお芝居を観に行きました。演劇を観たのは1ヶ月ぶりくらいでしたかね。
 観たのは、お昼から中野の劇場テアトルBONBONでやっていた劇団・張ち切れパンダ第3回公演『醜い蛙ノ子』(作・演出 梨沢慧以子)と、夜に駒場のアゴラ劇場でやっていた城山羊(しろやぎ)の会プロデュース第10回公演『メガネ夫妻のイスタンブール旅行記』(作・演出 山内ケンジ)でした。

 いや~。どっちも素晴らしかった。特に『メガネ夫妻』には本当に参ってしまいました。
 つい前回のブログで『ブラック・スワン』に「変な映画の本物のおかしさがない」という主旨の不満をぶちまけていた(おもしろかったんだけど)私なのですが、まさかその舌の根も乾かないうちに「本物の不条理」のすごみをこれでもかと魅せつけてくれる作品に出逢うことができるとは……私は本当に運がいい。
 ここまで確信犯的に現実の世界とボタンのかけ違った世界を創造できる方をさして「狂ってる」と言うのはあまりに失礼なのですが……普通じゃないね。
 『メガネ夫妻』の今日25日の夜の回をご覧になったお客さんのみなさんと役者のみなさん、あの回でゲラゲラとやかましく笑っていたの、私です。がまんしようにも、役者さんの一挙手一投足がすべてどこかでずれている異次元ホームドラマを眼前にしてどうにも耐えきれず……ほんとに失礼いたしました。
 あ~ほんとにおもしろかった。昼も夜のどちらも定員7~80名の大きくない会場だったのですが、平日にもかかわらず両方とも満員。大変けっこうなことです。
 『醜い蛙ノ子』もおもしろかったですね。決して大笑いできるテーマの作品ではないのですが、それだけになにかの再生と人間の強さを感じさせてくれるエピローグがとってもきいていました。しんみり感動。「肉親」や「きょうだい」って、矛盾まみれ愛憎まみれであたりまえなのよねぇ。

 『醜い蛙ノ子』は終演間近なのですが、『メガネ夫妻』は今月いっぱいまで上演しているようです。
 こういう時にねぇ、2回目3回目とまた観に行ける余裕と経済状況を手に入れたいんですが……時間とお金は両立はむずかしい! 今の私はどっちもねぇけど。
 城山羊の会! 城山羊の会! 私個人の感覚としましては、『ブラック・スワン』の数百倍おもしろかったよ~い。笑いすぎて観てるだけで体力使いました。


 さ~てさてさて、それでは久しぶりに「ざっくりすぎるアイドルグループ史」を再開することといたしましょうかね。
 もうなぁ……始めてしまった以上は終わりまでやらなきゃいけねぇんだよ。ちょっと休んだだけでもゴールは遠ざかっちまうんだよ。このシリーズだけは未完に終わらせるわけにはいかねぇんだ!!
 現在の時間では、かの1大イベント「AKB48総選挙」もおっぱじまってますしね。一刻も早く2011年にたどり着かなければ!

 そんなガタプス状態のタイムマシンのごとき「アイドルグループ史」、今回は1980年代後半の「おニャン子クラブ以後」の世界の続きです。
 おニャン子クラブの革命によって「守るべき聖域の多い純粋なアイドル歌手」というものが存在しづらくなった時代がはじまり、それと同時に、

「人気があるのであれば誰でもどんな世界ででもアイドルになれる新時代」

 が開幕したわけなのですねぇ。

 で、前回はバラエティ界やセクシー界、はてはプロレス界などさまざまな場所で活躍することになったアイドルグループを紹介したのですが、今回はその当時最大のムーブメントとなっていた「ロックバンド界」で活躍したアイドルグループ、的な存在をあつかってみたいと思います。
 ロックバンドブーム! 「ロックバンド」って、なかなか定義が難しいんですけどねぇ、この「アイドルグループ史」では、音楽性はおいといて範囲をめいっぱい広くした「電気の必要な楽器を演奏しているバンド」ってことにしましょうか。ざっくりにもほどがあるよ!
 まぁ21世紀に入って10年くらいたった今現在、TVの世界でロックバンドやロック出身の有名人が注目されるのは当たり前だし、さらにはその中に女性がいるのもなんの珍しさもないことになっています。いきものがかりとか、チャットモンチーとかねぇ。

 さかのぼれば、日本の歴史で最初に「ロックバンド」のような存在がブームになったのは、1960年代前期の「エレキブーム」だったようです。
 ブームの主体となったのは、やはりザ・ビートルズやベンチャーズといった洋楽バンドで、歌謡曲や演歌が「日本の歌」のほとんどだった当時の国内に、このブームを牽引する決定的なバンドが誕生することはなかったようです。
 続いて2度目に盛り上がったのが、1960年代後半にエレキブームの勢いを受け継ぐようにして発生したグループサウンズ(GS)ブームで、「ロックバンド」でなく「グループサウンズ」と呼ばれていた、ザ・タイガースやザ・スパイダースなどといった国内バンドがはじめて日本のヒットチャートをにぎわす時代が到来しました。バンドは基本的に男性のみで組まれているのが通常で、日本における「男性アイドル」のはじまりは間違いなくここだったでしょう。
 まさに、エレキブームでエレキギターなどの楽器を聴いたり手にするようになった人々が、GSブームでみずから発信していく側にまわっていったという流れでありましょうか。

 そして、1970年代に入って日本の音楽界を席巻したのが、言うまでもなく今までさんっざんやってきた「女性アイドル歌手全盛期」であるわけなのですが。

 甘いものを食べていたら、しょっぱいものも食べたくなるのが人間ってもんですよね!

 女性のスウィートな歌声や歌詞世界が大ヒットしていくその表裏一体の存在として巻き起こったのが、1970年代の後半から80年代の初頭にかけての第1次バンドブームでした。
 だいたい1977年にデビューした世良公則&ツイストの1stシングル『あんたのバラード』のスマッシュヒットにはじまり、サザンオールスターズのデビューやソロ活動を開始した矢沢永吉の大ブレイクをへて、1982年ぐらいにいったんのピークをむかえるご存じ忌野清志郎のRCサクセションの活躍あたりまでをさすこのブームは、日本で「ロックンロール」がヒットチャートをにぎわすジャンルのひとつとなる最初の原動力となりました。
 ちなみに、日本で最初に大ヒットした邦楽のロックナンバーは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(山口百恵ブームの立て役者でもある宇崎竜童がヴォーカル)の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(1975年4月)だったのですが、「歌」というよりも「音楽つきの語り」といったほうがいいこの曲は、当時はあくまでもそのスタイルの目新しさだけが注目される突然変異のようなあつかいになっていたようです。ちょっとだけ時代が早すぎた!

 んでんで。お話はようやっと、おニャン子クラブが大暴れした1980年代の後半に戻ってきます。
 80年代の前半は、多くのソロアイドルが乱立したこと、第1次のブームをつくったバンドがあまりにも個性的すぎたことなどが起因してなかなか後続のバンドが現れない状況が続いていたのですが、後半に台頭したおニャン子クラブの、正統アイドルにも増して甘すぎる「グダグダしろうと感」の氾濫が、逆にビターでプロフェッショナルで洗練されたロックバンドの再来を望む気運を高めていきます。

 その結果生まれたのが第2次バンドブームでして、これはだいたい、1985年に発生したHOUND DOG(10thシングル『フォルテシモ』)やREBECCA(4thシングル『フレンズ』)のブレイクに始まり、BOφWYやTHE BLUE HEARTSの伝説的活躍をへて、90年代初頭のUNICORNやJUN SKY WALKER(S)の全盛までくらいをさします。
 この第2次ブームをささえたと言われるのが、まさに「ロックバンド版スター誕生」といった感じの公開オーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS 1989年2月~90年12月)で、なんといっても、約2年の放送で総勢800組以上ものバンドが出場したというこの伝説的番組は毎週土曜日の深夜0時30分~3時にオンエアされており、ということは、あの「おニャン子クラブブーム」の母体となったフジテレビの『オールナイトフジ』の真裏だったということになります。
 うむむ……フジの「おニャン子」をTBSの「イカ天」が倒した。まさしく凋落した『ザ・ベストテン』のかたきを見事にうったという感じなのですが、『全員集合』VS『ひょうきん族』みたいな火花散るライバル関係はここでも展開されていたんですなぁ。

 余談ですけど、私が聴いてるラジオの話をさせていただきますと、深夜帯でのニッポン放送の『オールナイト・ニッポン』とTBSの『ジャンク』もおんなじ構図ですよね。私は今は完全に月~土で『ジャンク』しか聴いてませんけど。

 ピーク時の1991年にはなんと500組以上ものロックバンドがメジャーデビューしたという第2次バンドブームだったのですが、この潮流がそのままX-JAPANを経由して90年代後半に隆盛したいわゆる「ヴィジュアル系バンドブーム」と地続きになっていることは言うまでもありません。

 それでですね、問題はこれらのバンドブームの中に「アイドルグループ」に相当する存在は誕生したのか、ってことなんですよ。
 「アイドルグループ」というからには、まず女性だけでメンバーが構成されているグループでなくてはならないわけなのですが、そのことにふれる前に「ヴォーカルだけが女性」という編成のロックバンドについて。
 有名なところでは1970年代に活躍したサディスティック・ミカ・バンド(ヴォーカル・加藤ミカ)や後半に登場したシーナ&ザ・ロケッツ(ヴォーカル・シーナ)がいるのですが、女性ヴォーカルバンドで史上初めて本格的にヒットチャートをにぎわせたのは、先ほどにもあげた第2次バンドブームの火つけ役となったレベッカ(ヴォーカル・NOKKO)でした。そういえば昔、友だちといっしょに当時のノッコさんが主演していた映画『スウィートホーム』を観たことあったな。ひでぇ映画だった……なにもかも。

 ともあれ、レベッカの記録的ヒットでロックバンドの中でもひとつの形態としての市民権を確保したかたちの「女性ヴォーカルほかは野郎」形式なのですが、その後は以下のようなバンドが活躍していきました。

 ラ・ムー(1988~89年 『少年は天使を殺す』1988年6月)菊池桃子(20歳)ヴォーカルのファンクポップバンド
 WILD CATS(1988~89年 『あなたと、熱帯』1988年7月)本田美奈子(21歳)ヴォーカルのガールズバンド
 BARBEE BOYS(バービーボーイズ 11th『目を閉じておいでよ』1989年1月でブレイク)ツインヴォーカルの片方・杏子が女性
 PERSONZ(パーソンズ 4th『DEAR FRIENDS』1989年2月でブレイク)ヴォーカルのJILLが女性
 LINDBERG(リンドバーグ 2nd『今すぐ Kiss Me』1989年2月でブレイク)ヴォーカルの元アイドル渡瀬麻紀(結成当時19歳)が女性
 東京少年(5th『Shy Shy Japanese』1990年11月でブレイク)ヴォーカルの笹野みちるが女性
 JUDY AND MARY(7th『Over Drive』1995年6月ごろから本格的にブレイク)ヴォーカルのYUKI(結成当時20歳)が女性

 まぁ、ラ・ムーはご愛敬ということで……ロックバンドじゃないからね、ロックバンドふう菊池桃子だからね。ロックでもなくてファンクだし。「サラダせんべい」の「サラダ」ぐらい原型を見失ってますからね。あれは「サラダ油を使ってつくってるせんべい」って意味ですから。野菜ぜんぜん関係なくなってますから。なんか『銀魂』なみにツッコミが長くなってしまいました。
 ラ・ムーとワイルドキャッツは残念ながらヒットしなかったのですが、それ以外のバンドはかなりヒットチャートをワイワイ言わせていました。
 でも、アイドルと言うよりは、やっぱりある程度ごまかしのきかない歌唱力やパフォーマンス力が必要となってきますので、みなさんアイドルよりはキャリアを積みかさねた20代になってからブレイクしているという共通項があるのが興味深いです。これは女性男性関係ないことでしょうけど。
 私としましては、やっぱり上の中ではバービーボーイズがいちばん好きだなぁ。歌も楽曲もレベルが高いし、なんといっても何かの病気の発作なのかなってくらいにハイテンションな表情と身のこなしで唄って踊り狂う2人のヴォーカルがほんとに素晴らしいです。あれはなかなかコピーは難しいよ。

 ここまでが「ヴォーカルだけ女性のロックバンド」なわけなんですけど、第2次バンドブームの中には、ちゃ~んと「完全女性だけロックバンド」もあったんですよ!
 すなわち、これこそが正真正銘の「ロックバンド界のアイドルグループ」となるわけなのですが、わが「ざっくりすぎるアイドルグループ史」に残るべきガールズバンドは2組あります。


プリンセス・プリンセス(1983~96年)5人組ガールズバンド
 結成時は16~19歳 奥井香(16歳)のメインヴォーカル
 1983年にオーディションによって結成され、翌1984年から音楽活動を開始
 1984~85年にはアイドル色の強いガールズバンド「赤坂小町」として活動していた(アニメのテーマソングなどを唄う)
 1986年からバンド名を「プリンセス・プリンセス」にあらためる
 1987年4月にメジャーデビューし、翌1988年からブレイク 
 1989年1月に女性バンドとしては史上初の東京・日本武道館コンサートを上演する(過去にはザ・タイガース、山口百恵、美空ひばりなどが公演)
 代表曲は7thシングル『Diamonds(ダイアモンド)』(1989年4月)
 1995年10月に解散を宣言し、翌1996年1月から全国ツアー『ラストツアー 解散を遊ぼう』を開始
 1996年5月の東京・日本武道館コンサートをもって解散

SHOW-YA(ショーヤ 1985~98年・2005年~)5人組ガールズバンド
 結成時は22~24歳 寺田恵子(22歳)のメインヴォーカル
 日本のガールズロックバンドの元祖(プリンセス・プリンセスよりも先にメジャーデビューしていた)
 1987年ごろには作詞・秋元康、作曲・筒美京平の楽曲を唄っていたがパッとせず
 代表曲は8thシングル『限界LOVERS』(1989年2月 本格ヘヴィメタル路線を強調)
 1991年6月のベストアルバム発売をもってヴォーカルの寺田が脱退
 1998年に解散するが、2005年に寺田がヴォーカルに復帰して再結成
 プリンセス・プリンセスのメンバーや元バービーボーイズの杏子らとともに、現在も日本のガールズロックバンドを牽引している


 いやぁ、ここはおさえとかないと。
 まぁ、おんなじガールズバンドでも音楽性はまったく違うし、SHOW-YAのことを「アイドルグループ」だと思う人はなかなかいませんよね。ガールズバンドっていうか、レディースバンドだし。
 でも、日本において史上初の本格的ガールズバンドとなったSHOW-YAと、ガールズバンド史上最大のセールスと人気を獲得したプリンセス・プリンセスの存在は、日本での「ガールズバンド」の形態を確立する重要な役割をにないました。

 特にSHOW-YA、いいねぇ~。『限界LOVERS』と『私は嵐』は素晴らしいですよ。とにかく、当の寺田さんでも調子のいい時でないと出せないくらいに高い音域をあえて設定しているところがすごいわ。まさに崖っぷちに挑戦しつづけるロッカーの心意気がありありと見えます。ギターもうまいしねぇ~!
 ぜひとも、寺田さんの役を天海祐希さんで『ドラマ SHOW-YA物語』をやってほしいなぁ。いや、私が似てるって思っただけですけど。

 ま、要するに、「アイドル冬の時代」と呼ばれていた1980年代の末期にも、前回のみなさんもひっくるめていろんな「アイドルグループ」的なみなさんが音楽シーンやTV界をにぎわせていたということなんですね。
 そして、この模索の時代に始まった多くのジャンルの中には、本格的バンドやアニメ関連など、のちにさらなる成長をとげていくものも少なくないわけなのでありました。


 はい。それでは次回は、昭和の終わりと平成の始まりを同時に宣言することとなった1989年、そしてそれ以降に時間を進めていきたいと思います。

「えっ、あの大女優さん、昔はアイドルグループだったの!?」

 っていう方がいっぱい出てくる予定で~っす。ほんじゃまた。
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