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コーヒー or 紅茶 の陰で泣かされた奴隷

2015年06月10日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは、落雷抑制システムズの松本です。

17世紀の末、エチオピア原産のコーヒー豆をアラビア半島南部のモカから焙煎して輸入し、儲けていたのがイギリス商人、イギリス東インド会社。 これに対抗して、焙煎していない発芽可能な生豆を手に入れたオランダ商人がセイロン島やジャワ島でコーヒー豆の栽培を始め、廉価にしたコーヒー豆でイギリス東インド会社を圧倒したそうです。

コーヒー競争に敗れたイギリスは、清から茶葉を大量に輸入し、紅茶で巻き返しを図り、17世紀末で2万ポンドであったイギリスの茶葉輸入量は1750年には250万ポンドへと伸びたそうです。

紅茶が優勢となるとセイロン島でも紅茶に切り替えたと言うのですから、昔から経済戦争は熾烈なものであったようです。 しかし、この経済戦争が世界の人の嗜好品としての、コーヒーや紅茶を普及させたのだから大したものです。

このコーヒーや紅茶、当時の貴重品の砂糖の消費に大いに役立ったそうで、これで悲惨な目に合ったのは黒人奴隷。砂糖が売れれば売れるほどサトウキビの栽培のために必要な労働力として奴隷としてアフリカ西海岸から連れ去られたのです。

ヨーロッパから一儲けを狙った商人は、アフリカ西海岸に向かい、そこで大量の奴隷を買って、カリブ海へと渡り、奴隷を売って砂糖を買い求め、その砂糖をヨローッパに持ちかえると、元手は2倍から時に7~8倍にもなったそうです。 この時代、倫理観など無いのです。

奴隷とはけしからんと怒っても仕方ないのは、この時代、人身売買は日本でも行われていて、イクサに駆り出された農民の報酬は、負けた側の村を略奪し、男は殺し、女子供は人身売買で売り渡す。そのような戦利品がなければ如何に領主の命令と言えども命がけで戦う事などできません。 領主への忠誠心だけでなく、戦いで稼ぐ事、相手に滅ぼされないこと、生きのびる事への真剣な戦いであったのです。 上杉謙信はこの人達の市まで開いて、売り買いしていたそうですし、島津藩もイエズス会の支援を受けて日本人をマカオ、ルソンなど東南アジア一帯に売り付けていたそうで、厳しい時代です。 それに比べると、現代は何とイージーな時代であることでしょう。 現代に生まれた幸せを感じます。

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