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らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

エッセイ集に死す_大藪春彦エッセイ集等一覧完全版_簡単な内容及び入手容易性と参考古本価格/付録ジャンル別分類,『大藪春彦の世界』について,大藪ハード・カヴァー,必読等書それぞれ一覧

2023年09月26日 | 大藪春彦GUN研究
2023.09.18
来るぞぉーーー

2023.09.20
きた。ついにきた

二年半かかった。


----------大藪春彦エッセイ集等一覧---刊行順-↓------------
拳銃解説書だの対談集だのクルマ(4WD)解説書だの、大藪著作で小説以外のやつ+研究書だの含む。

大藪春彦著作リスト
1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』
1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』
にある、◇マーク(小説以外)はこれで全部。

(他に、大藪監修拳銃本とか、『全開(フル・スロットル)で飛ばせ』のレコード(おねえさんがナゼかあんあん云うやつね)のライナー・ノーツ的エッセイとかもあるんだけど)

左上~右下へ刊行順

2023.09.28追加↓



・『GUN教室』 桃源社 1965年10月30日 定価290円 273p ソフト・カヴァー

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』(大藪口述)をまとめたもの。
 全国射場案内つき。
 文庫無し。
 なぜか、古本ちょろちょろある。2~3kであろう。これにあまり金出しても意味ないわよ。
 めちゃくちゃな大藪口述を、「ヒッチコックマガジン」編集長小林信彦/当時の中原弓彦がどうにもしなかったのがフシギ。

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー


小説以外の
全てを網羅
野獣のごとき大胆さと
強烈な感覚で創りあげ
られてきた大藪春彦の
ハードボイルドな世界
は、エッセイや対談の
なかでその全貌を現わ


『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』目次
 入手困難だからな
 他の本は買えば買えるので、買って読んだらよいであろう。



 初のエッセイ集。
 よく探せばある。2~4k位か。
 文庫無し。

 ここに掲載されたエッセイ,対談はおおむね他の本
 ・1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社
 ・1979年『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』角川文庫
 ・1979年『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』角川文庫
 ・1996年『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店
 にも掲載されている。
 『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』にしかないのは
 ・10・21ハードボイルド報告
 ・マンネリを破る悪徳行動学入門(聞き書き)
 ・対談〈若尾文子〉女性はスリルを求めてる
 ・対談〈深沢七郎〉ラブミー牧場と文学
 ・ショートショート(短編集のどこかにあった気がするのだが)
 ・高校時代の作品(ナニが書いてあるのかよくわからん)
 ・あとがき
である。

あとがき---引用
「出版社とて営利企業であるから、これまであまり売れそうにない僕のエッセイ集を出してくれるところがなかったが、このたび徳間書店が採算を無視して出してくれることになった。
 この本には、僕の高校時代の作品、昔の対談や、エッセイ、それにショート・ショートなどが収められている。」
 大江健三郎との対談の掲載を拒否された。大江がライフルを握っている写真があるのがお気に召さないのではないか、と怒っている。
「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。
昭和四十七年(引用註1972年)七月十三日 大藪春彦」

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー


GUN&CAR
○○○の○○をはじめ○や車、レー
サー○など、わが○ハードボイルド
作家の第一人○である○○○全○○
を解き明かすファン必読の書

『野獣の青春 大藪春彦の世界2』目次
 入手著しく困難だからな
 他の本は買えば買えるので、買って読んだらよいであろう。

 注目ポイント
 1969年04月号「Men's Club」 『大藪春彦氏へのインタビュー』
 1966年05月31日号「話のタネ本」 『死神に愛された春』



 注目ポイント 
 1969年11月11日号「東京スポーツ」『私の車』 

 探してない 文庫もない あとがきなんにもない
 ---
 2023.09.30
 とおもったら、
 本文最後、改ページした301頁に
 ■後記■
 ってのがあった。
 他のエッセイの後記は本文→初出→の後に改ページなしで
 ■後記■ または 〈後記〉
 だ。
 あまりにも「大量に詰めこ」んだため、頁がなくなっちゃったのであろう。
 なるほど、あとがきにしては短い。
 --- 
 インタビュー,拳銃ライフルエッセイ特に逮捕翌年1966年がよい,世界の名銃百科,クルマエッセイ,レーサー座談会,日本G・Pルポ,名車へのラブレターなど。
 特にGUN関係エッセイは、他のエッセイ集等に未掲載が多い。
 もし発見したら価格にかかわらずすぐに買うこと(たぶん安い1~3k。読むヤツがゐないのであろう)。
 『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』と『野獣の青春 大藪春彦の世界2』のセットで売られている場合もある(たぶん安い2~5k。読むヤツがゐないのであろう)。

 『野獣の青春 大藪春彦の世界2』はヱントリを改め、
 解説を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。


 こうなるには、二年半かかるであろう。

・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌
 別冊新評 好評作家シリーズ

 研究書
 こーゆーのはグラビア頁とか雑誌のほうが情報量が多い。写真もキレイ。大藪と直接関係ない広告もおもしろい。
 古本よく売ってる。2~4k位か。
 ---
参考1
『別冊新評 筒井康隆の世界』 新評社 1976年07月10日 定価650円 234p 雑誌 と、
『筒井康隆の世界』 新評社 1979年02月20日 定価980円 204p ソフト・カヴァー
両方を持っている。
単行本には筒井のものの掲載がなく、他人のエッセイが5本追加されているだけである。
写真も少ししかないし、インタビューも載っていない。

 参考2
『別冊新評 星新一の世界』 新評社 1976年12月10日 定価650円 234p 雑誌
234pの自社広告

 --

・『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』 カッパブックス(光文社)1976年08月10日 定価不明円 上217p 下不明p 新書

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録
 未所有
 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版
 カラー写真を含む多数の写真も載っている
 5kかあ。
「なお、本書の出版後『ザ・ビッグ・ゲ一ム』の写真集を企画しており、併せて読んでいただけると幸甚です」
 うわー、併せて読みてえなぁー

・『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』 角川文庫 1979年07月20日 定価300円 242p 文庫

 エッセイ集
 古本よく売ってる。安い0.3kとかだぜ。

・『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』 角川文庫 1979年07月20日 定価340円 286p 文庫

 対談集
 ここにしか掲載ない対談が多いんだよね。↓間違ってたらごめん
 三浦雄一郎,西丸震哉,小池一雄,佐藤修,谷恒生,篠田正浩,久保継成,大藪インタビュー→井口民樹,大下英治,平岡正明,あとがき
 高い1~4k位が売ってる。

・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー


大藪ハードボイルド入門決定版
不滅のヒーロー伊達邦彦を世に送り出
して22年、ますます磨きのかかる大藪
作品の魅力の原点を徹底的に分析!

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本
 研究書
 未所有 
 古本あるが、雑誌にしなさいね。
 もしかすると、前述の筒井の例のように大藪のエッセイ等が未掲載かもしれない。

・『大藪春彦のワイルド・ドライビング』 講談社 1980年07月10日 定価800円 225p ソフト・カヴァー

 赤バッジシリーズ。
 闘志でぶつかるサーヴァイヴァル・アドベンチャーの章にはイノシシもOKくくりワナのつくりかたが書いてある。
 古本あるけど7kと高いなあ。
 これの文庫あるにはあるんだけどさあ。詳細後述。

・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録。
 この後は、なんとか条約で野獣捕っても剥製の輸入できなくなった。
 御大も病気になったしね。
 文庫無し。
 古本9k位。高いぜ。

・『4WDワイルド・ドライビング』 光文社文庫 1985年11月20日 定価360円 230p 文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』の文庫版だが内容が大きく異なる。
 これはぜひとも赤バッジシリーズで読んでほしい。リンク記事参照。



・『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』 徳間文庫 1991年10月15日 定価上下巻共520円(本体505円) 上346p 下342p 文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫。



・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌

 研究書
 古本よくある。2~4k位か?

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー


非情の死と破壊と略奪……
甘いセンチメンタリズムを拒否し、
ストイシズムを追い求めた
巨人作家の足跡を、
棋界の実力者が縦横に論じる!

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』の単行本。
 研究書
 2~3kであろう。
 未所有→ぽちしておくか→2023.09.28追加
 フツウなら雑誌のがいいのではないか。

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』雑誌になく
 1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』(単行本)にのみ掲載↓
・巻頭グラビア写真
モノクロ 新婚当初とおぼしき大藪龍子さんとの2カット
カラー 絵画 大藪春彦画 「無題」(1955年頃)油彩・キャンバス 53×43.5cm 1997年春発見
カラー 軽井沢の別荘の机
・対談『本物の条件』花村萬月&馳星周
・『伊達邦彦は一人きり』佐藤大輔
・『ビートルズと太宰治』大藪春彦
・『中年バイク党』大藪春彦
・『大藪春彦作品評』江戸川乱歩
・『乱歩先生の想い出』大藪春彦
・大藪春彦著作リスト 山前謙編 の、1997年分

 奥さんとの写真と乱歩先生関係が読みたくてぽちにおよんだ。
 美品がきた。
 『江戸川乱歩全集月報12』1970年03月『乱歩先生の想い出』大藪春彦は、インフォマーチブだ。
 トタン屋一階の下宿の近くで、トーフと玉子を喰っていたおでん屋“さざえ”が、
 “たにし”だったとはなあ。
 “たにし”でお茶割りショーチューを飲んでいたのだ。

・『孤高の狙撃手(スナイパー)』 光文社文庫 2004年06月20日 定価(本体571円+税) 326p 文庫

 今まで『孤高の狙撃手』だとおもひこんでいた。
 海外ハンティングのまとめ(書下ろし)+『銃は我が分身』1980~1984年+『素晴らしきアメリカ射撃旅行』1982~1983年
 『銃は我が分身』1980~1984年は→『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』ここにも掲載。

-------付録-------------------------------------
----------ジャンル別↓-----------

●エッセイ集(対談なども含む)
・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど

・『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』 角川文庫 1979年07月20日 定価300円 242p 文庫

 エッセイ

・『孤高の狙撃手(スナイパー)』 光文社文庫 2004年06月20日 定価(本体571円+税) 326p 文庫

 海外ハンティングのまとめ+『銃は我が分身』1980~1984年+『素晴らしきアメリカ射撃旅行』1982~1983年

●対談集
・『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』 角川文庫 1979年07月20日 定価340円 286p 文庫


●拳銃本
・『GUN教室』 桃源社 1965年10月30日 定価290円 273p ソフト・カヴァー

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』(大藪口述)をまとめたもの。

●ハンティング
・『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』 カッパブックス(光文社)1976年08月10日 定価不明円 上217p 下不明p 新書

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』カッパブックス(光文社)に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』 徳間文庫 1991年10月15日 定価上下巻共520円(本体505円) 上346p 下342p 文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫。

・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録

●クルマ(4WD)
・『大藪春彦のワイルド・ドライビング』 講談社 1980年07月10日 定価800円 225p ソフト・カヴァー


・『4WDワイルド・ドライビング』 光文社文庫 1985年11月20日 定価360円 230p 文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』の文庫版だが内容が大きく異なる。

●研究書
・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌


・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本

・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌


・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本


-------『大藪春彦の世界』↓について----
『大藪春彦の世界』つー本は、都合6冊(実質4冊)ある。

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど

・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌

 研究書

・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本
 研究書

・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌

 研究書

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本+いろいろあり〼
 研究書

-----------------------
つかれたのでガッツ・ワンとぴぴんHと抗生物質を規定の倍量と胃薬も規定の倍量飲もう。


--------ハード・カヴァー↓------------------
もしかすると、大藪の本のハード・カヴァーは、

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー


・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー


・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー


・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー


2023.09.28 ↓これがあった。
・『暴力租界』 徳間書店 1996年05月31日 定価本体2000円(本体1942円) 594p ハード・カヴァー


日本ハードボイルドを開拓した
孤高の巨人、最後の長編。
堂々の1300枚
 未完/絶筆である。
 巻頭に著者近影1994年04月14日撮影カラー1葉1ページ
 巻末に
・『「暴力租界」の行方』鏡明
・『蘇れ、ローンウルフ』森村誠一
・『さらば、孤独な情念の戦士』船戸与一
 収録
 原稿はリンク参照

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー


だから大藪のハード・カヴァーは、たぶん都合6冊だ。
小説は絶筆のみハード・カヴァーなのか。

 
-----必読書等一覧↓----------------
●必読の部
タマも沢山だし、故に価格も安いし
・1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社 2~4k位

 研究書

・1979年『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』角川文庫 0.3kとか

 エッセイ集

・1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店 2~4k位

 研究書

・2004年『孤高の狙撃手(スナイパー)』光文社文庫←新品あるかな?

 エッセイ集

 は買って読みましょう。
 個人売買よりも、古本屋のほうがモノがキレイとおもいます。
 個人売買のヤツは、カビていることもおおいにあり得る。
 処理がほんとに大変なのです。

●次に読む 
少し高いがまあ売っている
・1979年『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』角川文庫 1~4k位

 対談集

●売っているから、金と気持ちあれば買おう
1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 5k

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版

・1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』講談社 7k

 4WD
 第3章 これがオフ口ード・トレイルだ
 第4章 闘志でぶつかるサーヴァイヴァルアドベンチャー

・1983年『灼熱のサファリ』徳間書店 9k

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録

・1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』徳間書店(単行本) 2~3k

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本+いろいろあり〼
 研究書

●2~3ヶ月で入手できるであろう
・1972年『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』徳間書店 2~4k位

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

●3年かかるぞ/どうせ安いから、みつけたらすぐに買おう!
・1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 1~3k

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど
 中身は非常におもしろい

・1972年『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』徳間書店 と
・1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 のセット 2~5k

 こーゆーのは1の方が売れるから、1と2の発行部数には相当な開きがあって、それが古本のタマ数に反映しているとおもわれる。

●どっちでもよい
・1965年『GUN教室』桃源社 2~3k

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』大藪口述を編集したもの。
 めちゃくちゃな大藪口述を「ヒッチコックマガジン」編集長小林信彦/当時の中原弓彦がどうにもしなかったのがフシギ

・1985年『4WDワイルド・ドライビング』光文社文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』講談社の文庫。内容かなり異なる

・1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』徳間文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫

●他に収録あるから、たぶんいらない(と判断して未所有だけどね)
・1976年『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』カッパブックス(光文社)

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録
 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・1979年『大藪春彦の世界』新評社

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本

高い方の価格積み上げると送料除く50kくらいかあ。
送料が0.5k/件として、
まあ合計60k凸凹。
既所有分は買わないから、
たぶん、30k程度でいけるよ。
もたもたして年数が経過すると、価格が上がるぞ。
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大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表

2023年08月15日 | 大藪春彦GUN研究
本シリーズの総まとめ的なものだな。

ナニが起っていたのか一目瞭然
●堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表
有リ〼
本章のみ読んだだけで、【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】についてよくわかる仕組みにしたから。

2002年03月09日の小林信彦の証言↓ 初めに読むがいい。
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
【ベレッタが三万円】【ベレッタをね、枕の下に入れて】…

大藪春彦年表はこちら↓二番目に読むがいい。
大藪春彦年表 
【趣味で持っていた拳銃】とか【未届けのライフル銃】を中心に、
高松~上京~逮捕,猟銃所持再許可までの要部/本項敬称略
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版

-↓--大藪春彦年表の追補部分
・銃の規制現行法の抜粋
・【ペルナンディけん銃】詳細,
  1958年『血の罠』,1958~1959年『醜聞』,1958年『屍を越えて』,
1959年『その罠を噛み破れ』,1959年06月『次は誰だ』,1959年『夜に潜む』,1960年『みな殺しの歌』
  1987年『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾ
・【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷など
・1960年末頃の猟銃一覧
以下【ベレッタが三万円】について
・1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
・1962年連作短編『名のない男』
・1964年中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950
・エピローグ部分 など
『大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版』

↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓つづき
とエピローグの続きと当初はおもっていたのだが、本章も必要になった。
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
※その4章は文字数には余裕があるが、総まとめの本章は別章にした。

---------
そもそもナニ拳銃が欲しかったのか?

1963年03月発行 短編集「崩壊」
『銃は知っている』
---引用---
この作品は長編”血の罠”のプロトタイプ〈原型〉であって、書いてから五年ものあいだあいだ発表しなかったものです…
---引用終わり---
とある。

『血の罠』初出は、
1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
デビュー作『野獣死すべし』が、
1958年07月号 「宝石」(宝石社)に転載、なので、
『銃は知っている』は、『野獣死すべし』と『血の罠』の間に書かれている。

だから『銃は知っている』は、
1958年07月~08月に書かれたものだ。

『血の罠』には、
推定1958年10月末号から11月頭号掲載
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、鞣し革のホルスターに入った青色の小さな自動拳銃と弾薬の入った革サックを抜き出した。全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチックには初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、半月状型の引金の部分が大きく見える】。
---引用終わり---
と、【ペルナンディけん銃】が初めて出てくる。

『野獣死すべし』と『血の罠』の間に書かれた
『銃は知っている』には、ナニけん銃がでてくるのかな。
---引用---
上島は君彦にサイレンサー付きのルーガーP08自動拳銃をくれた。十四年式軍用拳銃のピストル・シルエットで、満点を記録した事もある君彦の、鋭いカンと感覚が蘇った。
君彦は、そのドイツ製ルーガーを自分の五本指のように、正確で自由自在にあやつるようになった。青黒く冷たい光を反射する手なれた銃器は、もはや一個の物体ではなく、意のままに死を送る君彦の分身であった。
左肩から吊ったホルスターは脇の下にぴったりおさまり、ズボン吊りと変らぬようになった。
---引用終わり---
おおっ。
まずはルーガーP08かあ。

さて、もっと小さいけん銃も出てくるかな?
---引用---
「……そうだ、脚につける小さな拳銃がまだ残っていたら、貸してくれないか?」
上島は蒼白な君彦の顔を見つめていたが、踵をかえすと奥の部屋に入り、鞣し革のホルスターに入った二十二口径のベレッタ・ジャガーと実包を一箱、それに札束を持って戻ってきた。

手錠をかけられた両手が、そろそろと下に垂れ、ズボンの下の右脚につけたベレッタに這っていった。

鋭く小さな銃声と共に、村井の握ったルーガーは後にすっ飛んだ。村井は言葉を呑んで、痺れてだらりと垂れた右手首を、失神した瞳で見つめた。
君彦はすっと立ち上がった。傷に脇腹がひきつった。その目はカサカサに乾いていた。
口の中にたまった血を吐きだすと、手錠のかかった両手の中の小さな黒いベレッタが、五度軽やかに踊り続けた。キラキラ光る小さな空薬莢が薄い煙を吐いて舞い上がった。
---引用終わり---
二十二口径のベレッタ・ジャガーが、ホントは欲しかったんだな。
しかもスネ拳銃。

なるほどねぇ。
実は小さな拳銃が欲しかったのであろう。

おそらくは米軍曹に
1958年10月頃
「作家になって金あるだろうから、これ買わないか?」と持ちかけられ、
よく知らないけども小さいから
【ペルナンディけん銃】.22LRを買い、
やっぱベレッタの小さいヤツが欲しいので、
且つ.22LRは意外にうるさかったので、
1960年09月11日頃
ベレッタ・ジャガー 改メ
ベレッタで一番小さい【ベレッタが三万円】ことベレッタM950Bジェット・ファイアー.25ACPホルスター付き
を猟友(ヤクザ)に予め注文しておいて、ローマオリンピック時に仕入れさせ、帰ってきてすぐ買った
のであろう。
んで、
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』『サディスト』の章
【ベレッタが三万円】初登場
その日の晩にうれしくてすぐ書いたのであろう。

米軍曹は誰でどこ所属なのかまったく不明。
作家になる以前からの、銃がらみ米軍がらみでの知り合いであろうことはおぼろげにわかる。
作家になって間もなく(たった3ヶ月程度)の1958年10月頃に【ペルナンディけん銃】を二万円で買っているからだ。
1958年で【ペルナンディけん銃】二万円(たぶんホルスター無し)はちょっと高かった気がする。

【ペルナンディけん銃】関係は、推定1958年10月末号から11月頭号「週刊アサヒ芸能」掲載『血の罠』第5回「殺気」と、1965年03月新聞記事と、1965年03月18日号「週刊現代」『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』と、『俺は再びガンを持てる!』に拠っている。

猟友(ヤクザ)も、誰なのかナニ組なのかまったく不明だ。
少なくとも猟友(ヤクザ)は、作家になる以前からの知り合いではない、であろうと推定されるのみ。
猟友であるから猟で会ったハズで、猟は作家になって現金がいっぱい出来た後に始めてるから。
1960年で【ベレッタが三万円】ホルスター付きが3万円は、まあそんなもんだろうな。

【ベレッタが三万円】関係は、小林信彦証言と、『みな殺しの歌』「サディスト」と、『俺は再びガンを持てる!』に拠っている。
2023.01.24 追加↓
小林信彦著『お伽草紙』 「新潮」1998年07月号

なお、
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』エッセイ
---引用---
昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友から拳銃を二丁ゆずってもらっていたのだ。
---引用終わり---
猟友から拳銃を二丁買ったと書いてある。
一丁が【ペルナンディけん銃】であることは捜査で判明。
もう一丁は【ベレッタが三万円】で、小林信彦が目撃している。
捜査により【ペルナンディけん銃】は米軍曹から2万円で買ったと確定。
1958年10月頃買ったことは、『血の罠』第5回「殺気」に出てくる【ペルナンディけん銃】から判明している。
つまり【ペルナンディけん銃】は1958年10月頃米軍曹から2万円で買った。
狩猟は1958年08月以降、『野獣死すべし』の映画化権料とか原稿料とか印税とか入り、現金が手元に来てから始めた。
そして、この【ペルナンディけん銃】買った1958年10月当時は、猟を初めて日が経っていない故、
会ったばかりの猟友からあえてけん銃を買おうとはおもわないハズだ。
故に誤記である。

2023.01.24 追記 【小さな拳銃】事件
小林信彦著『お伽草紙』
初出
1998年07月号 「新潮」
2004年04月30日第1刷発行 朝日新聞社
「定年なし、打つ手なし」に収録
※大藪は1996年02月26日死去なので、大藪没後に書かれたもの。
---引用---【】は引用註
後年、新人時代の大藪春彦と知り合ったら、これが大変な太宰ファンで、『晩年』の初版本だったら、
【ベレッタと交換してもいいのに、と小さな拳銃を見せてくれた。】
そのころは二十代の後半にさしかかっていて、もう太宰でもあるまいという気分だったが、大藪とだけは太宰の話をした。大藪は外見に似ず、
【小心、自虐的、恨みがましい人物】で、それが一転すると、何十人も殺しまくる小説になる。
---引用終わり---
【ベレッタが三万円】がベレッタM950Bジェット・ファイアーだ、つーのは状況証拠しかなかった。
これで
【ベレッタが三万円】=【ベレッタ】の【小さな拳銃】=ベレッタで一番小さい ベレッタM950Bジェット・ファイアー
とほぼ確定した。
口径が.25ACPなのは状況証拠から。
ベレッタM950の口径.25ACPモデルの米国での愛称がジェット・ファイアー。
口径.22shortモデルの米国での愛称がミンクスで、
【ベレッタが三万円】買った直後の
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
「サディスト」
に出てくる。
拳銃買った直後、それを小説に出すときには、
口径を違える
つー規則が観られる。
この規則の理由が不明であったところ、小林信彦『お伽草紙』により
【小心、自虐的、恨みがましい人物】
のうち、特に【小心】故とわかった。
なお、わざわざ小説などを書くニンゲンは、皆多かれ少なかれ【小心、自虐的、恨みがましい人物】だとおもふぞ。
自分で好ましくないとおもっている点が自分と同じだと気になるのでもあろう。

【小さな拳銃】=【ベレッタが三万円】と交換してもよいつーのは、
大藪最上級の欲しい、だな。
ここで【ペルナンディけん銃】と交換でないことに注目しよう。

なお、この【小さな拳銃】事件は
1960年09月11日頃~アパート一階四畳半【ベレッタが三万円】購入
1960年11月頃~同アパート二階四畳半と六畳が空いたので引っ越し
1961年02月結婚までの間のできごとである。
大藪春彦二十五歳 1958年春デビューなので丸二年半
小林信彦二十七~二十八歳。
---
新人時代の大藪春彦
そのころは二十代の後半にさしかかっていて
---
いつもの如く小林信彦の記憶力は正確無比なのだ。
小林信彦氏御年九十歳。更に長生きしてください。

また、小林信彦が【ベレッタが三万円】について書いたり語ったりしたのは、これ『お伽草紙』1998年07月号「新潮」が最初ではないかな。
生前には云わない方針なので。
2002年03月09日放送 大瀧詠一のスピーチバルーン 
小林信彦&大瀧詠一対談 「小林旭の世界」
も、このあとね。
じゃあ生前にナニするかというと、
『いちご色の鎮魂歌』
初出
1983年09月号 「小説新潮」
1984年05月05日第1刷発行 新潮社
「発語訓練」に収録
---引用---
愛用の自転車ボレロBL-242のカバーを外した。スタート時にふらつかず、坂道も、長い距離も軽く走れるシーソーマチック3というやつだ。
---引用終わり---
添削その1
ボレロBL-二四二の帆布製カヴァーを外した。スタート時にふらつかず、坂道も長い距離も軽く走れるシーソー・マチック三というやつだ。
添削その2
流れる初夏の霧をナショナルの沃素ヘッド・ランプで切り裂き、木暮直美の運転する右ハンドルのボレロBL-二四二のラリー・ヴァージョンは、靖国通りで最もカーヴの多い淡路町の山中を、平均時速三十七キロほどで楽々と飛ばしていた。

いやはや、いろいろわかって佳かったよかった。

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小説に出てくる高松市と、
高松一高同窓→四国のヤクザであるAAAAについて

高松市が出てくる小説は発見されたかぎり二話

初出誌不明
『兇銃』
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
単純に高松市が舞台というだけな感じだ。
---引用---
筆者註

また一万円札が発行されたのは、この作品が発表された数年後であり、当時としては四百万円が、いかに大金であったか想像がつくと思います。
---引用終わり---
とある。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
ということは、この『兇銃』は
1958年08月~1958年11月の間に書かれたものであろう。

---
もうひとつあるのだ。
1962年07月27日 「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』
1962年07月頭に書かれたとおもう
に、
四国K県T市
坂田組
(実在の坂○組と一字違い)
坂田組長 四十七、八の赤銅色に黒光りする肌の精力的な男
(坂○組二代目組長BBの氏と一字違い)
坂田の片腕と云われている大幹部平木
(坂○組員CCCC/【ペルナンディけん銃】最終所持者の氏と一字違い)
が出てくる。
当時の四国K県T市の状況が事細かに書いてある。
AAAAに話を聞いて書いたこと一目瞭然。

【ペルナンディけん銃】は
1962年08~10月頃/詐取(手交)→AAAA(28)
である。

「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
つい僕が見せた拳銃のうちの一丁を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
---
なるほど。

いきさつはたぶんこうだな↓
AAAA(28)が
1962年大藪家に数回遊びに来る内、
AAAAの所属する坂○組をモデルにして短編を書くことになった。
その小説『腐った罠』発表後
1962年08月~10月頃に
つい僕が見せた拳銃(【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】)のうちの一丁(【ペルナンディけん銃】)を「一晩だけ抱いて寝たい」と粘られ、断り切れなかったために、
結局詐取された
のであろう。

●--------------
では、
●---堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表---●
 デビュー~【ペルナンディけん銃】購入~【ベレッタが三万円】購入~
 【ペルナンディけん銃】AAAAに詐取さる~大藪が捕まったあたり---
 (年齢)は1965年03月当時
□2023.07.09 参考情報として大藪春彦デビュー前後の『宝石』関係にもふれておこう。

おそらく未成年の頃
1955年頃まで推定
【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】
1960年08月号「中央公論」
『テロのムード』エッセイ
---引用---
事件というと大袈裟だが、今度イタリーから来た自動散弾銃の所持許可申請に所轄署に行ったところ、さる週刊誌が特集した「首相を暗殺した小説」という記事のなかに、たまたま僕の作品も入っていて、しかも僕がわれながら威勢のいいことをしゃべっているのに保安課長が目をつけたことからはじまる。
【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】、こんな奴に銃砲所持許可を出すことは出来ない。いままで許可してたのも調べ直せ、ということになった。
---引用終わり---
1960年08月に【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】とあるから、
たぶん未成年時にけん銃不法所持で挙げられていたハズだ。
こーゆーのを隠さないのが大藪らしくてよい。

小林信彦証言
---
小林「で、大藪春彦がまた「中央公論」にあの、警官、の拳銃をですね」
大瀧「なるほど」
小林「いざとなったら警官の拳銃を奪って、撃つ。普通撃てませんからね」
大瀧「うん」
小林「あんなの取ったって」
大瀧「うん」
小林「撃つときの、方法をねっ」
大瀧「ふっふっふっふっ」
小林「そんなもの「中央公論」に書くなっていうんだけど」
---
このエッセイが『テロのムード』だな。

□1957年05月30日
星親一『セキストラ』脱稿

□1957年06月25日
「宇宙塵」第二号 星新一『セキストラ』掲載
矢野徹驚愕し、日本探偵作家クラブのサーカス見物の際、
江戸川乱歩に「先生、ついに天才がひとり出ました」と耳打ち。

□1957年07月27日
星親一 自宅玄関で記者会見
「年内いっぱいで星製薬取締役辞任
1958年01月の株主総会で認められれば会社の経営から一切手を引く」
取材していた日経社会部矢崎泰久驚く。

□1957年07~09月頃か 
「宇宙塵」第三号 星新一『落語・智慧の実』
「宇宙塵」第六号第七号 星新一『火星航路』

□1957年10月01日
星親一→星新一 江戸川乱歩にあいさつ 乱歩邸
 大藪春彦がいびきかいた例の土蔵だな。
 星新一 一〇〇一話をつくった人 最相葉月著 のごとくの本が
 大藪にもあればなあ。

1957年10月
ワセダ・ミステリ・クラブ(←命名江戸川乱歩)発足。
大藪春彦入部。
顧問江戸川乱歩。
入会希望者は女学生五名を含む五十数名。
学生会館での発足式に大藪春彦参加。
星新一も婚約者を伴い参加。

□1957年11月号「宝石」
江戸川乱歩『セキストラ』を「宝石」に転載 ルーブリックで絶讃
 星展でルーブリック原稿みたぞ。
 だから、世田谷文学館で『大藪春彦展』をしたらいいのだ。
 【ベレッタが三万円】も展示しよう。

□1958年02月号「宝石」
星新一『殉教』持込

□1958年05月号「宝石」
星新一『ボッコちゃん』持込

1958年05月
同人誌「青炎」に、『野獣死すべし』掲載

1958年07月号
江戸川乱歩『野獣死すべし』を「宝石」に転載

1958年06月19日号 「毎日新聞」
『痛快無類の探偵小説 早大生の作「野獣死すべし」』つー紹介記事掲載

1958年07月~08月(『血の罠』のプロトタイプ)
『銃は知っている』執筆
大変に欲しかった二十二口径のベレッタ・ジャガーがスネ拳銃で出てくる。
ベレッタ・ジャガーなのは、
たぶんベレッタ・ミンクス/ジェットファイアを知らず、
一番小さいベレッタがベレッタ・ジャガーとおもっていたのであろう。

1958年08月~10月頃推定
東宝で『野獣死すべし』映画化。
映画化権料五〇万円(2022年の価値にして700万円位か)もらいつつ月二千円(2022年の価値にして3万円位か)の奨学金を受けていると「スター千一夜」でしゃべって怒られた。
うわー見たいなー。
さっそく狩猟免許交付。ウィンチェスターM52(口径22)を初め、次々に買う。まずカモ猟から始めた。
更に当然と云えば当然だが【ペルナンディけん銃】なども次々に買うのだ。

1958年08月~1958年11月 初出誌不明
『兇銃』短編
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
高松市が舞台というだけな感じだが。

1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『血の罠』連載

□1958年10月号「宝石」
以下順不同
星新一『おーい でてこーい』
松本清張『零の焦点』(後『ゼロの焦点』に改題)
横溝正史『悪魔の手鞠歌』
佐野洋『銅婚式』
山田風太郎『首』
鮎川哲也『二ノ宮心中』
高田高『深い海深い霧』
鹿島考『東洋の神秘』

1958年10月頃
米人軍曹から2万円(2022年の価値にして30万円位か)で【ペルナンディけん銃】たぶんホルスター無しと(+使用弾薬と),見本用の弾薬数種少量づつ,スプリングライフルなどを買う

推定1958年10月末号から11月頭号「週刊アサヒ芸能」掲載
『血の罠』
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、鞣し革のホルスターに入った青色の小さな自動拳銃と弾薬の入った革サックを抜き出した。全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチックには初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、半月状型の引金の部分が大きく見える。
ベークライト製の銃把と引金の間の安全止を押しさげた田島は、銃把の左後ろについた蛇の目模様のボタンを圧して遊底被を引き、薬室にウインチェスターのセンター・ファイア弾を一発装填し、スライドをもとに戻した。撃針がスライドの後に突き出して撃発装置になっているのを示している。安全止を押し上げて、銃把の弾倉室から弾倉を引き抜き、五発装填して弾倉室に戻す。
拳銃をホルスターに収めた田島は、ズボンの右裾をまくって、脚に革帯で括りつけた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】1回目
表記 【V・Bベービー】/【ヴェルナルディリV・Bのオートマチック】
隠し場所 右スネ

1958年10月~1959年推定 初出誌不明
『醜聞』短編●
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
---引用---

スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。丸い蛇の目模様の安全止めがついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】2回目
表記【ヴェルナディリV・B】
隠し場所 右スネ

1958年07月から12月頃までの間 初出誌不明
『屍を越えて』短編●
1961年01月「縄張り」浪速書房
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。

サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
------
註:【ペルナンディけん銃】3回目
表記【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
隠し場所 手に持ったまま

1958年末頃推定
東京でAAAAと再開。
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載
---引用---
一昨年(1958年)東京で再会した。立派なヤクザになっていた。今度親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張っていた。高校時代の面影はどこにも見当たらなかった。
---引用終わり---
大藪が有名になったから、AAAAから接近してきたのであろう。

1959年02月号 「面白倶楽部」光文社 2021.12.15確定
『その罠を噛み破れ』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービーや、
消音装置つきのまで現れた。一九四四年ヒトラーがナチス親衛隊のためにチェッコで作らせた無音拳銃までが日本に密輸され、国内には百種類を超す拳銃がひしめいている。
-------
註:【ペルナンディけん銃】4回目
表記【V・Bベービー】
隠し場所 無し(拳銃名の羅列だけ)

1959年06月号「小説倶楽部」桃園書房
『次は誰だ!』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃を離さぬ俺にスリルを感じるのか。

俺は一瞬にして事態をさとった。サッと膝をついて足につけた自動拳銃に手をのばした。…
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】5回目
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
隠し場所 スネ

1959年推定 初出誌不明
『夜に潜む』●
1961年01月「縄張り」浪速書房
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、青光りした小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃はイタリア製ヴェルナルディリ。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので引金の部分がずいぶん大きく見える。銃把はベークライトだ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
江原は拳銃の遊底被(スライド)を左手で引いた。銃身と遊底の主要部が露出した。江原は銃把の左後ろのボタンを右の親指で圧(お)しつけておいて、スライドを上にポツンと外した。遊底部分や引金の爪にオイルを注ぐ。再びスライドを銃にはめこみ、後にひいた。手をはなすと、バネの力でスライドは前に戻り撃発状態になった。引金をひくと、軽やかに撃針は空をうつ。
江原は再びスライドを引き、スライド・ストップの掛金をかけ、遊底を開いたままにした。銃身の後ろの薬室に実包をつめようとして考えなおした。安全止めはあっても、暴発のおそれがある。掛金を外してスライドをもとに戻し、銃把の弾倉室から弾倉をひきぬく。
挿弾子の上端から〇・二五の被甲弾を一発ずつ五発つめる。弾倉を弾倉室にカチンと戻して、チュッと銃把に接吻した。
卓子の抽出しから幅の広いゴムのバンドを出し、右のズボンの裾をまくって、臑にはめる。皮膚とバンドの間に自動拳銃を差し込む。ピチッと固定した。

江原は素早く行動を開始した。両手首をしばられた手を右膝に走らせ、ズボンの裾をまくりあげて臑につけたヴェルナルディリ小型自動拳銃をひきぬいた。
超小型自動拳銃のスライドを歯でくわえて引いた。歯をはなすと、スライドは弾倉の弾をひっかけて薬室におくりこんだ。ピチッと音がした。
金属音を聞きつけた達は、懐中電灯の光をサーッと江原に投げた。罵声を発して懐中電灯をすてた。甲高い音をたててレンズが砕け、一瞬にして闇が襲ってきた。

江原は達のポケットから自分の財布を奪いかえした。ライターが焦げるように熱くなってきた。江原はライターをポケットに落とし、奪ったS・Wを右手に、左手にヴェルナルディリを構えてガレージからとびだした。

ワイシャツの下の腹には、目だたぬようにヴェルナルディリ小型自動拳銃を差してある。全弾装填してある。

江原の右手は蛇のようにマットの下にのびた。隠してあったヴェルナルディリを抜き出し、素早く安全止めを外しながら引金を絞る。振りむきかけた社長の手からブローニングが快音を発してふッ飛んだ。
社長は痺れた右手をおさえて茫然と突っ立っていた。
江原は左手に持ちかえた拳銃の銃口で社長を威嚇しながら、床に落ちた空薬莢を拾ってポケットに入れた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】6回目
表記【イタリア製ヴェルナルディリ】
隠し場所 右スネ

1959年10月21日
『小林信彦60年代日記 1959~1970』
(「引用するな」とのことなので、おこった事実のみ書く)
による↓
---
大藪のアパート
狭い
布団の中で革ジャンパー着たまま執筆
ライフルで新聞紙のつまったミカン箱を撃つ。
隣人の文句はないのかと問うと
「慣れている」
名刺の肩書が
<早大大学院英文科、作家>であった。
---

1959年後半頃推定
AAAAフケる。
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載
---引用---
しばらくして(1959年?)また訪ねてきて、ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消えた。
---引用終わり---

1960年01月17日号~1960年12月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
『凶銃ワルサーP38《続みな殺しの歌》』●
1961年06月「みな殺しの歌」アサヒ芸能出版
内の
1960年04月17日号掲載『生への渇望』
---引用---
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。
1960年04月24日号『巣』
「便利なものを持っているじゃないか」
衣川は、左手でグローブ・コンパートメントから引っぱりだした〇・二二口径ヴェルナルディリの超小型自動拳銃を見つめた。
そのイタリア製拳銃は、小さいだけでなく非常に軽かった。銃把はベークライトでできており、銃身も極端に短かった。…
衣川は左手でヴェルナルディリ小型自動拳銃を引っぱり出してみた。遊底の後に撃発を示す示針が突き出していないところを見ると、薬室は空になっている。
銃把の弾倉室から、弾倉を抜いて調べてみると、〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰まっていた。護身用には十分役立つだろう。
弾倉を弾倉室に戻した衣川は、掌より小さいその超小型自動拳銃をどこに隠そうかと迷った。
ズボンの裾をまくりあげて臑にくくりつけるのもいい。しかし、衣川はソフトを脱ぎ、それをひっくりかえして裏地の縫い目を少しはがした。そこからソフトに小さな自動拳銃をさしこんだ。
ソフトをかぶり直してみた。
頭上の小さな自動拳銃の重みは、慣れるとほとんど感じないほどになった。…
衣川は小型拳銃をひそめたソフトを目深にかぶり、茶褐色のサン・グラスをかけていた。…
---
註:【ペルナンディけん銃】7回目
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
隠し場所 ソフト裏地の縫い目内
ここから
 1960年09月上旬号まで【ペルナンディけん銃】が出てくる。
 1960年09月中旬/1960年09月25日号〆切より前に【ベレッタが三万円】買って以降、【ペルナンディけん銃】は出てこなくなるのだ。

1960年03月
「他殺クラブ」に入会

1960年06月頃
AAAA自衛隊にいる。
『野獣の青春』エッセイ
---引用---
いま(1960年06月頃)は名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買えるのだ。
---引用終わり---

1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
『雨の露地で』AAAAがモデルとおもわれる
出生名と、闇戸籍名を使う主人公がでてくる。
登場人物
堪えたようなタッチで、暗い青春の傷口を書く売り出し中の新進作家小牧純一郎24歳(椎名町の寒々としたアパート二十五号室在住)と、
小牧の高校の同級生でヤクザとなり現在は天城一郎と名乗っている主人公菊池義男
「堪えたようなタッチ」つのがたまらないですな。

1960年07月号「婦人公論」
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載部分まとめ
---引用---
(高松一高のグループに親の家や商品を抵当に入れて金回りのよい男。自殺を5回やったが身体が丈夫すぎて失敗)
この男には、
一昨年(1958年)東京で再会した。立派なヤクザになっていた。今度親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張っていた。高校時代の面影はどこにも見当たらなかった。
しばらくして(1959年?)また訪ねてきて、ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消えた。
いま(1960年06月頃)は名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買えるのだ。
---引用終わり---
AAAAは、大藪とこへ始終来ていたとわかる。

□1960年08月号「宝石」
江戸川乱歩 筒井康隆『お助け』を「NULL」創刊号から転載

1960年09月中旬/1960年09月25日号〆切より前
ローマ・オリンピック帰りの猟友(ヤクザ)から
作家になる前からすんげえ欲しかった、
予約しておいた一番小さいベレッタである【ベレッタが三万円】M950Bジェット・ファイアー.25ACPホルスター付きを3万円(2022年の価値にして40万円位か)で購入所持。
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』より↓
---引用---
昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友から拳銃を二丁ゆずってもらっていたのだ。
---引用終わり---
ローマ・オリンピックは
1960年8月25日から1960年9月11日まで
【ベレッタが三万円】初登場は
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』『サディスト』の章
発売日は一週間前として
1960年09月18日
〆切がその一週間前として
1960年09月11日
ピッタリです。
買った夜、一気呵成に一晩で書いたのであろう。

小林信彦証言
---
小林「それでねえ」
大瀧「ああ」
小林「安かったすよね」
大瀧「はあー↓」
小林「だかあのー。例えば給料が、まあ一万五千円、僕の給料が一万五千円ぐらいかな」
大瀧「はぁい」
小林「そうすっと、僕の、僕はその、ぎっ人の家を、の二階借りてたからそこへは来ませんけどね。家構えてると、拳銃ブーム、で好きそうな人のところ来たすよ」
大瀧「売りに来た」
小林「お金がないから向こうが」
大瀧「はあああ」
小林「すとねえ。だいたい僕の記憶じゃ、【ベレッタが三万円】ですよ」
大瀧「おっおー、そんなもんで手に入ったんですか」
小林「僕は、大藪、春彦の家で見たから」
大瀧「あっふ」
---

1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
「サディスト」
【ベレッタが三万円】買っちゃったから、ベレッタ・ミンクスなどが出てくる。
---引用---
…と、ポケットから、イタリー製ベレッタ・ミンクスと、ウィンチェスターの子会社であるウエスターン製〇・二二ショートの五十発入り弾箱を出し、卓子の上にドスンと置いた。

田辺は、ベレッタ・ミンクス自動拳銃の銃把の弾倉止めを圧し、弾倉室から弾倉を引き抜いた。
その弾倉のバネをサイド・レヴァーで圧縮しておき、ニッケルの薬莢に包まれた可愛らしいほど小さな実包を、次々に八発落していった。
(「八発」は、.25ACPが弾倉に8発なので同じとおもったため誤記。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
銃把の弾倉室に、装填した弾倉を叩きこんだ。遊底を引き、手を放して遊底を閉じさせ、弾倉上端の実包を一発、薬室におくりこんだ。
---引用終わり---
【ベレッタが三万円】1回目初登場
隠し場所 無し
※これ以前に【ベレッタが三万円】的なものの記載あっても、まあいっぱいあるのだが、
買っちゃった【ベレッタが三万円】に係る記述ではないから、
【ベレッタが三万円】の記載とはならぬ。

1959年10月21日←『小林信彦60年代日記 1959~1970』による 
から
1960年末頃まで
小林信彦証言
小林「すとねえ。だいたい僕の記憶じゃ、【ベレッタが三万円】ですよ」
大瀧「おっおー、そんなもんで手に入ったんですか」
小林「僕は、大藪、春彦の家で見たから」
大瀧「あっふ」
小林「ベレッタをね、枕の下に入れてんですよ」
大瀧「ふっふっふっ」
小林「007じゃないっつんだよ」
大瀧「子供じゃないんでしょ、それ」

小林「それであのー、出るときにねえ。あのー、
ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって」
大瀧「こぉれがねええええ」
小林「「これ、わかんないだろう、これだと」ってゆう。わかんないとおもって、捕まったら」

小林「それでかっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ」
大瀧「あっぶねぇー」
小林「これなんだ? って云ったらね、柱に」
大瀧「それで撃ってんの」
小林「したら、いや、ピストルですよ、抜き撃ちを」
大瀧「(大声)部屋の中で!」
小林「抜き撃ちの練習してんすよ」
大瀧「えっふっふっふっふっふ」
小林「それでねー。それでーそのーねぇ」
大瀧「早撃ち、何秒、何秒かって(うれしそう)」
小林「そうそうそう。で、柱もう一杯になちゃったんでねー」
大瀧「うん」
小林「そいでこのーねえ。(安土として)みかん箱にね新聞紙を縦に入れんすよ」
大瀧「はい」
小林「であれ、突き抜けないんですよ」
大瀧「ほぉー」
小林「そうすっと、それに向かって、こう撃っ、撃ってるうちにね。まっ手元が狂って、隣の部屋に撃ってね、隣のおやじが酒飲んでるとこ、パァーン。物凄いおこっ怒られたという」
大瀧「ギャグじゃないですかそれ」

小林「そいで。んのうち二階が空いてね、二階が六畳と四畳半かな、そこが空いたんですよ」
大瀧「ううん」
小林「それまで
四畳半一間で撃ってんですからねー」
大瀧「うふふっ」
小林「そいで六畳、と四畳半とこ入って。で六畳の方にガンケースがあって」

小林「あんのー窓んとこへ、やっぱざあ本当に1960年んすよ。
窓んとこ行ってね。「ふろ風呂屋の煙突見てろ」っつ云うんですよ」
大瀧「ふふ」
小林「そいで僕に双眼鏡渡してね、見てろって言うんで見てるとねー。
彼が、あのーあれですよ、ええとあのー、撃つ撃つわけですよ」
大瀧「はい」
小林「そうするっとねー、煙突の上の方に黒い煙がパーッと上がるんですよ」
---

大藪本人の弁
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
僕は車でもそうだが、メカニズムが好きで、分解組み立てして一人で楽しんでいたのだ。
---引用終わり---

1961年02月「梅ヶ丘時代」一軒家,駐車場なし
担当編集者だった静竜子と結婚。媒酌人佐賀潜(弁護士松下幸徳)
世田谷区梅ヶ丘に転居。
 つーことは大藪の結婚式披露宴には、星新一も必ずや参列していたハズだ。

1961年03月11日
大藪、日活国際ホテルで行われた
星新一の結婚披露宴に参列。
司会:前田武彦
参列:大下宇陀児,渡辺啓助,今日泊亜蘭,城昌幸,
(他殺クラブ)佐野洋,多岐川恭,新章文子,大藪春彦,水上勉,河野典正
「宇宙塵」関係者
(編集者)大坪直行,小林信彦,福島正美,石川光男
仁賀克雄,永六輔
小松バレー団バレリーナのみなさん
など。
なお、「他殺クラブ」は↓
 日活1959年05月26日公開 映画『街が眠る時』の原作である、
 1958年「講談倶楽部」講談社 掲載『街が眠る時』の盗作疑惑
 1960年『火制地帯』の盗作疑惑により、
 1960年03月入会した「他殺クラブ」を、1960年08月脱会。
脱会していたんだけどね。

1962年07月27日号「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』AAAAに取材、高松市坂○組がモデル

1962年08月~10月頃
大藪がAAAAに【ペルナンディけん銃】を「一晩だけ抱いて寝たい」といわれ、詐取さる
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
つい僕が見せた拳銃のうちの一丁を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
---引用終わり---

1962年10月号~1963年09月号まで12回連載「推理ストーリー」
大藪 連作短編『名のない男』第1回『剥かれた街』
主人公「私」の愛銃↓
【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】
---引用---
…脇の下からホルスターをはずし、小型で非常に軽量のベレッタ〇・二五口径自動拳銃モデル九五〇を、ズボンの裾をまくって臑にくくりつけていおいた。
…私のズボンの下に拳銃が隠されていると気づいた者は一人もいないであろう。二五口径のベレッタ・モデル九五〇は掌にスッポリとおさまるほど小さくて軽いのだ。
…いつもは、それを臑にくくりつけたホルスターに隠しているのだ。
…ズボンに隠された臑に、それだけを私が頼りにしている小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径を括りつけてあるのだ。
…いきなり枕を蹴とばされた。私が枕の下に隠してあった小型自動拳銃ベレッタが、鞣し革のホルスターに入ったまま部屋の隅に飛んだ。
---
【ベレッタが三万円】2回目
隠し場所 スネとマクラ
※【ペルナンディけん銃】と違って、【ベレッタが三万円】は小説にはあまり登場しないのだ。

1962年11月~1964年末頃か推定
AAAAが坂○組長BBBB(不明)に、
【ペルナンディけん銃】を7万円で売却←組員TT(25)が目撃

●---AAAAの経歴一覧
1937年生まれ

1953年~1956年 高松一高
大藪と同窓
在籍中
親の家や商品を抵当に入れて金回りがよい。
自殺5回するも身体丈夫すぎて失敗。

1958年 高松市坂○組
大藪と再開。立派なヤクザとなった。おそらくは高松市坂○組員。
親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張る。
高校時代の面影はどこにも見当たらぬ。

1959年 フケる
大藪再訪。ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消える。

1960年06月頃 自衛隊
名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買える。

大藪
 1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
 AAAAがモデル『雨の露地で』短編
 1960年07月号「婦人公論」
 AAAAについても記載『野獣の青春』エッセイ

1962年06月~07月頃 梅ヶ丘近くのタクシーの営業所勤務
大藪の住所梅ヶ丘近くのタクシーの営業所に勤める。
何回か大藪の家に遊びにくる。

大藪↓ AAAAに取材し
 1962年07月27日号「漫画ストーリー」双葉社
 高松市坂○組がモデル『腐った罠』短編

1962年08月~10月頃 けん銃手交→詐取
大藪がAAAAについうっかり拳銃を二丁(【ペルナンディけん銃】,【ベレッタが三万円】)見せる。(前から見せていたとおもふが)
そのうちの一丁【ペルナンディけん銃】を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げる。
『腐った罠』書いたのがまずかった。
「教えてやったぢやん」と云われるから。

1962年11月~1964年末頃推定 高松市会社員?
AAAAが坂○組長BBBBに、【ペルナンディけん銃】を7万円で売却
このとき、たぶん住所も高松市であろう。

1965年02月末頃 香川県高松市××××会社員
AAAA(28)逮捕 
友人の香川県高松市××××、会社員AAAA(二八)にイタリア製ピス
トル「ペルナンディ」一丁と実弾十二発をプレゼントした疑い。
であり、住所が香川県高松市××××、会社員となっている。

大藪
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
 『俺は再びガンを持てる!』エッセイ
 逮捕のいきさつ。AAAAについても記載(この後、AAAAの事は書いていないハズ)

---AAAAの経歴一覧おわり---
なーるほど。
いかにもAAAAのことを小説にしたりエッセイに書きたくなるなあ。

時期不明/原因不明
坂○組長BBBBから坂○組員CCCC(31)へ、【ペルナンディけん銃】譲渡

1964年 初出不明
中編『ベトナム秘密指令』
※1965年01月01日単行本初版なのでこの時期と推定。
全編「ベレッタ・ジェットファイア」が、スネ拳銃として大活躍。
主人公「水野洋治」の愛銃(官給品)
【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】
---引用---
(任務に行く準備中)
…磯部は言い、今度は百ドル札の束と小さな自動拳銃を出してテーブルに置いた。拳銃はベレッタ・ジェットファイアの口径二十五。それも銃身わずか二インチ、全長四・七インチ、重量は三百グラムちょっとしかない。それが鞣し革のケース(ホルスター)にひっそりと入っている。ホルスターは肩掛け式や腰吊り式でなく、環式の短いバンドがついていた。
水野は弾倉を抜いて、そのなかに六発の実包がつまっているのを確かめた。
(「六発の実包」は誤記とおもふよ。.25ACPは弾倉に8発。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
磯部は、
「君も知っているようにむこうに行けば弾薬はいくらでも手に入る。もっと威力のある銃もな。だから、この拳銃は純然たる護身用だ。
【足首にでもつけていたら便利だろう。】…

(任務地その1タイに着いた)
左の足首の内側の膝寄りにつけているベレッタ・ジェットファイアの小型自動拳銃を外してベッドに突っ込んだ。…
枕の下に拳銃を突っ込み、催眠剤を飲んでベッドにもぐりこんだ。

水野は左足につけたベレッタ・ジェットファイアの超小型自動拳銃をズボンの裾の上からそっと触れてみた。ホテルを出る前に、薬室にも装填してある。

足首から外したベレッタ・ジェットファイアを水野が乾草のベッドに突っ込むのをサリーに気づかれずに済んだ。

水野は弓なりに反ったサリーの体を抜けて自分の胸にくいこむ弾の与える衝撃と苦痛に耐えながら、ベレッタの引金を目にもとまらぬ早さで四回絞った。小さな二十五口径の弾薬でも銃身が短いためにかなりの音をたてる。…
素早くズボンをはき、その左右の尻ポケットにホルスターに入ったままのルーガー拳銃とグリース・ガンのもう一本の予備弾倉を突っこんだ。ベレッタ拳銃は脚につける。

(任務地その2ベトナム着)
水野が脇の下に吊ったルーガーと足につけたベレッタの弾倉には、すでに昨夜補弾してある。

水野は血のめぐりをよくするかのように両手を振った。次の瞬間、足首に隠したベレッタを引き、チャンの心臓を射ち抜いた。倒れかかるチャンの手から火炎放射器のノズルを引ったくり、調節バルブを最大に廻してノズルを左右に払った。
---
【ベレッタが三万円】3回目
隠し場所 左スネ,ベッド

1965年02月14日
【ペルナンディけん銃】拳銃押収/CCCC(31)逮捕か,坂○組長BBBB(不明)逮捕か

1965年02月末頃まで 高松北署にピストル不法所持の疑いで逮捕
高松一同窓AAAA(28)逮捕 【ペルナンディけん銃】を大藪からプレゼントされたと主張

1965年03月01日午後01時45分
大藪春彦(30)逮捕
香川県警捜査二課と高松北署,警視庁組織暴力犯罪取締本部
香川県警本部暴力特別取り締まり班ともある
ピストル不法所持の疑いで自宅で逮捕
東京駅発の「ひかり十七号」で高松北署へ腰縄付きで護送
名古屋駅で記者に囲まれ、新幹線3分間遅延
記者団が、東京駅出発には間に合わなかったのであろう。

1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
捜査の後、刑事が春彦に会って任意同行を求めると、
「今は依頼された原稿もあるので、応じられない」
と、拒否した。そこで捜索令状は直ちに逮捕令状に書き換えられた。
------
なので、うぃき記載の自首は誤り。

小林信彦証言
---
小林「んんだから大藪春彦が、捕まったのはね。四国のヤクザが吐いたんですからね」
大瀧「あ、そうですか。へぇーえ」
小林「ええ。でえー」
大瀧「入手ルートはそこだったんですか」
小林「入手ルートは、大藪春彦だったうっふっふ」
大瀧「うっふふふっ」
小林「それで、いやあのねえ、売りに来たんですよ」
大瀧「売ってたんだ」
小林「拳銃を」
大瀧「ほぉー」
---

1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
「高松で暴力団の拳銃摘発をやったところ、押収したイタリア製のベルナンディ・ブローニングがあなたの手から流れていることがわかりった。あなたが銃をわたしたAAAAはすでに逮捕ずみだが、彼が暴力団に売りわたしたたものだ。家宅捜索させてほしい」
刑事の言葉に、春彦はさすがに身を固くしたようだった。
一行七人の家宅捜索の結果、許可証のないスプリングライフル一丁と、ライフル銃弾千発、48口径、45口径などの実弾六発、そのほか短刀、散弾などが発見され、いずれも押収された。

「大藪春彦の事件でわかっていることといえば、大藪がAAという男に拳銃を手わたし、AAがそれを高松の暴力団坂○組の組長(引用註:坂○組二代目組長BBBB)に七万円で売ったという事実ぐらいだ。大藪はその拳銃を米人軍曹から二万円で買ったといっているが、まだ、その軍曹の正体もわからない。大藪の裁定についてはなんともいえぬ」
(警視庁組織暴力取締本部)
------

1965年03月02日(火)新聞記事
---引用---
作家の大藪春彦を逮捕
香川 友人にピストルをおくる
香川県警捜査二課と高松北署は警
視庁組織暴力犯罪取締本部の協力
で一日午後一時四十五分、東京都
世田谷区松原町×××××、作家
大藪春彦(三〇)をピストル不法所持
の疑いで自宅で逮捕した。自宅を
捜索した結果、無届けのライフル
銃一丁、実弾一千発、カービン銃
用実弾一千発も押収した。大藪の
身柄は同三時、東京駅発の「ひか
り十七号」で高松北署へ護送し
た。
調べによると、大藪は三十七年八
月ごろから十月ごろまでの間に友
人の香川県高松市××××、会社
員AAAA(二八)にイタリア製ピス
トル「ペルナンディ」一丁と実弾
十二発をプレゼントした疑い。A
Aは大藪とは高松市の高校時代の
友人で、すでに高松北署にピスト
ル不法所持の疑いで逮捕されてい
る。
------

1965年03月01日夕刊又は1965年03月02日朝刊
---引用---
大藪春彦を逮捕
ピストル不法所持の疑い
写真キャプション 大藪春彦
【高松発】
香川県警本
部暴力特別
取り締まり
班は一日午
後一時十分○東京都世田谷区松
○○○○×××、ハードボイルド作
家大藪春彦○○○○○○○○○
○○○○○○、○○○○○○○
○○○○の疑いで逮捕した。大藪
は○○○○十○○○○○○○○○
十一月一○○○○○○○○○○
ペルナンディけん銃一丁を不法に
に○っていた疑い。また家宅捜索
の結果、未届けのライフル銃一丁、
実包千発、カービン銃の実包千発
を押収した。
○取り締まり班○○○○○○○
る一四日高松市内暴力団四○○
手入れしたとき、同市××××○
坂×組員CCCC(31)方から○○
のけん銃を押収。追求したとこ○
これが大藪から流れてきたも○○
わかり大藪の○○となった。
------

1965年03月中旬推定
【ベレッタが三万円】警察に提出
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
ともかく、僕は残っていたもう一丁(【ベレッタが三万円】)も警察に提出、裁判で有罪判決を受けた。…
---引用終わり---

1965年03月22日
高松北署に21日間拘留後釈放

1965年秋頃推定
高松地方裁判所の審理で、懲役1年執行猶予3年判決。
この事件のため仕事激減。ハンターのガイドまでやった。
1970年1月号「AUTO SPORT」インタビュー記事『トップドライバーの恋人は? 契約金は?』
---引用---
北野「だから、大藪さんなんかも下がればスパッとですね」
大藪「パクられたときにそうでした。それで、クソッとおもったんです。「それじゃ、そんなところに書かない」と言って不貞腐れったら、それでまた三倍にパッと上がった(笑)」
------

1965年03月逮捕~判決~1966年03月行政処分の間は、
猟銃の所持許可はそのままだった。

1966年03月
大藪 東京都公安委員会から、猟銃の所持許可を取り消され、以後3年間(1969年03月まで)猟銃を所持できず。
註:行政処分。
「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
そして四十一年(1966年)三月。前年の事件のせいで、僕は公安委員会に猟銃の所持許可を取り消された。
(註:1966年03月迄は猟銃を所持できてたんだな)
取り消されると、三年間猟銃を持てない。そのショックで茫然としていた僕は階段から落ちて腰を痛め、さらに悪い事は重なって、チリーまで盗まれてしまった。
僕は発狂しそうになった。身から出たサビとはいえ、なつかしい冬枯れの猟場にも、六十秒十発の速射の号令を待ってライフルを腰だめにして待つ米軍大口径射場へもお別れか……。
僕を発狂から救ったのは仕事であり、モーター・スポーツであった。四十一年(1966年)は網や罠の甲種狩猟免許を受けると共に、所持許可のいらないボウガンで猟場にも出てみたが、自分がみじめでやめてしまった。
…執行猶予期間はとっくに過ぎているし、この(1969年)四月で法的には再び猟銃が持てる筈だ。これからも権力に身を売る積もりはないが、公安委員のかたがか、ぜひとも僕が再び猟銃を持つ許可をおろしてもらいたい。…
---

1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』AAAAについても記載
よかったですな。
この後は、AAAAのこと書いていないとおもわれる。

1973年09月 TOKYO BOOKS
『沈黙の刺客』
「捕える」
---引用---
…そして、ジャガーの向こう側に、四つのソフト帽の一部が見えた。

両肘と両膝を射ち砕かれて倒れた男は悲鳴をあげ続けていた。近くに転がった
【ソフトのなかに、小型のヴェルナディリ拳銃がテープで留めて】あった。
信原が近づいたとき、油断を見すまして、その拳銃で射とうと考えていたのであろう。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】8回目でたぶん最後の登場 
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
隠し場所 ソフト内側テープ止め

そして、たぶん大藪最後の【ソフト拳銃】。
1973年といえば、1965年03月01日逮捕から8年。
1969年04月01日猟銃再許可からも4年経過している。
もうソフトかむる人も居なくなっている頃だ。
たぶん「四つのソフト帽の一部が見えた」と書いてしまい、
「ソフト帽」→【ソフト拳銃】→【ヴェルナディリ拳銃】と連想したのであろう。
【ソフト拳銃】であるから、【ペルナンディけん銃】V.B. ○○でキマリだ。
この【ヴェルナディリ拳銃】は拾われも、壊されも、遠くに投げられもせずに、上記の描写だけでおしまいである。

●---堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表---おしまい---●
-----------------
いろいろわかって気持ちが良い。

拳銃の隠し場所探求

【ペルナンディけん銃】の作品内での隠し場所
右スネ,右スネ,手に持ったまま,無し(拳銃名の羅列だけ),スネ,右スネ,ソフト,ソフト
【ベレッタが三万円】の作品内での隠し場所
無し,スネとマクラ,左スネとベッド
【ペルナンディけん銃】の大藪本人の隠し場所
不明
【ベレッタが三万円】の大藪本人の隠し場所
小林「ベレッタをね、枕の下に入れてんですよ」
小林「それであのー、出るときにねえ。あのー、
ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって」
大瀧「こぉれがねええええ」
小林「「これ、わかんないだろう、これだと」ってゆう。わかんないとおもって、捕まったら」
 ↓よって
作品内では
スネ拳銃は【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】の両方
ソフト拳銃は【ペルナンディけん銃】だけ
マクラ拳銃/ベッド拳銃は【ベレッタが三万円】のみ
実銃では
【ベレッタが三万円】マクラ下とセビロ下のショルダーホルスター
【ペルナンディけん銃】実銃の隠し場所は不明だが、まっスネとソフトでしょ。あとマクラか。
であった。

2023.01.12 追記
【ペルナンディけん銃】はショルダー・ホルスターがなかったので
「セビロの下に隠すが」したいのにできなかった故、
【ベレッタが三万円】では、予めショルダー・ホルスター付きを注文していり、
ショルダー・ホルスター有りとなり、
うれしくてセビロに下に隠したついでに、
来る編集者来る編集者にみせびらかし、
あまりのうれしさに、
そのうちの一人で非常に確かな記憶力を持った上詳細な日記をつけていた
小林信彦にみせたから、
小林「それであのー、
【出るときに】ねえ。あのー、
【ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって】」
と、こうなってしまい、
あげく、
この大藪春彦GUN研究に至る、
のであろう。
まっ、【これ、わかんないだろう、これだと】をみせなくても、
小林「それで
【かっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ】」
大瀧「あっぶねぇー」
小林「これなんだ? って云ったらね、柱に」
大瀧「それで撃ってんの」
小林「したら、いや、
【ピストルですよ、抜き撃ちを】」
大瀧「(大声)部屋の中で!」
小林「【抜き撃ちの練習】してんすよ」
弾痕だらけの壁じゃあすぐわかるか。

----------
・初期短編にはちょくちょく
【ラーマ拳銃】つーの
(主に安物としても記載/一人だけうれしくて心臓をどきどきさせたけどね/スペイン製)
【ベアード拳銃】つーのが出てくる。
中期以降(逮捕以降~病気する1982年頃までを便宜的に中期とする)には出てこないんだよね。

----------
筒井康隆著
2013年01月号~10月号 「群像」
『創作の極意と掟』
2014年02月28日発行 講談社
大藪春彦について二箇所記載がある。
『迫力』
---引用---
この場合、いっそのこと主人公を悪にしてしまう方法があり、これだと文学にもなり得るわけで、「罪と罰」がそうだし「赤と黒」もそうだろう。昔のミステリーでいうなら大藪春彦の諸作、最近のエンターテインメントで言うなら週刊文春や「このミス」で一位、山田風太郎賞受賞の貴志祐介「悪の教典」が「えげつない」ど迫力で大評判である。
---引用終わり---

もう一箇所ある。
『細部』
フローベルの『ボヴァリー夫人』を引用した後、
---引用---
蟻のくだりはつい笑ってしまう。大藪春彦がその作品の中で、処女が野外で強姦される場面に「血だまりの中で蟻が溺れていた」と書き、その描写を気に入ったらしい彼が、他の作品で何度も使っていたことを思い出したからだ。面白い細部は読者が覚えているのだから、他の作品で何度も使ってはいけない。
---引用終わり---
とある。

そんなところあったかなとおもっていたところ。
あったあった。

2023.05.17 追記
たぶん最も早いのみつけたわよ
初出誌不明
『揉め事は俺に任せろ』短編●
1958年10月15日「野獣死すべし」講談社
※大藪初の単行本。
『野獣死すべし』,『揉め事は俺に任せろ』,『街が眠る時』つーすてきなラインナップ。
2023.08.15 追記
---引用 全体の真ん中へん---
キャメルのトップコートを着た先補の男が、ぐしゃぐしゃに叩き潰された後頭部をさらけ出して、血溜まりのコンクリート床に向こうむきになって倒れ、赤蟻が長い行列を作ってせわし気に行き来していた。…
津村は口笛を吹くような形に唇を尖らせたが、音は出なかった。赤蟻を乱暴に踏みにじると「慎重に迅速にか」とせせら笑い、靴先で男の顔を横向けて見た。
--引用終わり---
なーるほど。
死後の時間経過を特に強調しようとしたんだな。
んで、アリが気に入って↓
2023.05.17 追記
---引用 ラスト付近---
近づいて万年筆型の懐中電燈で照らすと、柴田は後頭部と背に弾を受けていた。熱い弾丸は左背から入って心臓に抜けていく時、焼火箸を当てたように小穴をジャンパーの皮にあけていた。頭からひっきりなしに血が流れ、土と朽ち葉の間に滲んでいく血溜まりの中で、逃げ遅れた森蟻が溺れていた。
---引用終わり---
殺害直後とわかる仕組みだ。
柴田で後頭部である。

初出誌不明
『テロリストの歌』短編●←『白い夏』よりこっちが先であろう
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
---引用---
警官は仰向けに地面に叩きつけられたまま即死していた。西瓜を潰したように割れた後頭部の射出口から流れる血が、蟻の行列を溺死させた。
---引用終わり---
警官で後頭部である。

初出誌不明
『白い夏』短編●
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
---引用---
登志夫は、永い時間をかけて女の体を楽しんだ、女は初めてらしかった。
登志夫あと、健と有二は乱暴なやりかたで終わった。
女は目を開き、仰向けになったまま身じろぎもしなかった。真夏の太陽が白い裸身を照らし続け、女の瞳は不透明なガラス玉のように鈍く光っていた。血の池で、蟻が溺れていた。
---引用終わり---
処女で股である。

あはは。
しかも、後の二作。
短編集「復讐は俺の血で」初期短編集1
1982年11月20日 角川文庫 角川書店
の巻頭と二番目。
処女で股が巻頭、警官で後頭部が二番目。
なので処女で股によって蟻溺れと初めて出合う仕組みだ。
筒井は1982年当時、おそらくこの短編集読んで蟻のくだりが気になったのであろう。

---------------
なお、
往時の大藪春彦は影響力多大であった。
実社会にも多大な影響を与えている。
例:1965年07月29日少年ライフル魔事件(犯人の少年が大藪ファン,もっと殺せばよかったとか云っている)
 :1968年12月10日三億円事件(『血まみれの野獣』初出1968年01月が事件のモデルになったと言われた/大藪も事情聴取さる)
 :1979年01月26日三菱銀行人質事件(犯人が大藪ファン/犯行にガーバー・サカイ・シルバ一ナイト・シリーズ250A-P(2.5インチ,パールの柄)使用)
にも関わらず係る論文が無い。
こーゆーのは学者が論文書いて、タダで読めるようにしてもらいたい。
申請・採択式「科研費」などというイマワシイものなかった時代に書かれてもよかったハズだ。
(金出したのを恩に着せ「科研費」などと書かせるつーのもセコすぎる)
したら時間経っていないからより正確詳細にわかったのに。
ナニをしておるのか。
大藪が純文学でないが故に書かないは、金は盗むは人は殺すはの前記実社会への影響で否定されるゾ。
論文書いてあればそれを読むだけで済んだのよね。

--------
この章は数千文字でおさまるとおもっていたが、すでに17000文字。
とおもったら、たちまち24500文字かあ。

大藪春彦 うまい具合に 『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 血まみれのシリーズ

大藪春彦 うまい具合に 1『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
その1    7000文字
大藪春彦 うまい具合に 2『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版
その2    29000文字
大藪春彦 うまい具合に 3『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版
その3   29000文字
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
その4    4500文字
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表
本項その5  28500文字
  ----------------------
合計    98000文字≒250枚相当かあ。

いやー、ここまでわかるのに二年五ヶ月かかったゾ。
長かった。
もうじき大藪春彦入手できる限りは読了するんだな。
あと一冊がなあ。
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大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版

2022年04月24日 | 大藪春彦GUN研究
どひぇ。
ついに
『大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版』が、
文字数満タンになってしまった。
1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950 のつづきと、
ホントのエピローグ部分以下を、ここに分離独立させよう。

小林信彦の証言はこちら↓ 初めに読むがいい。
 大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
【ベレッタが三万円】【ベレッタをね、枕の下に入れて】…

大藪春彦年表はこちら↓二番目に読むがいい。
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版

さらに総まとめ的に
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの結論的年表
いったいゼンタイ、なにがどーして結局逮捕に至ったのか、わかるわよ。

-----------↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓つづき-----------
ベレッタM950の1968年以前のモデルにはセーフティが無いのに、どーやって使うのかつーと。
1)弾倉を入れる
※)ここでスライドを引くと、弾倉一番上の実包が薬室に移動すると同時に、
撃鉄がコックされ撃発準備位置まで後退してしまう。
撃鉄が前進したら撃発である。
※この状態で引金を固定するのが通常のセーフティ。
そこで、
2)グリップ左のリーヴァーを押しさげ、
銃身を先端付近を支点に後側を持ち上げる。

3)この状態で銃身後端の薬室に、手で実包を一発入れる。
4)銃身を下げる。
5)スネ拳銃とかにして隠し持つ。
なるほどねえ。
こうすれば薬室に装填されているものの、
撃鉄はコックされてないから、引金引いても撃発しないわけね。
撃鉄から地面に落したりしなければ、まあ大丈夫なのであろう。
しかも、.25ACPだと弾倉に8発+薬室1発=9発 と、撃てる弾が増える。
弾倉をとっかえひっかえする拳銃でないので、この1発は大きいな。

だめだ。ツカレトール10錠を胃に流し込む。

発射はどーするのかつーと。
6)ヒミツの隠し場所例えばスネから取出す。
7)撃鉄を親指でコックし撃発準備位置まで後退さす。
(シングルアクション/撃鉄露出式だからね)
8)初弾発射

9)ブローバックで排莢→同時に撃鉄コック→次弾装填
弾倉上端の実包を薬室に送りこむつーやつだ。
10)次弾発射

米印くりかえし、というわけだ。

1968年以降のモデルには
・撃鉄のハーフコックと
・グリップ左側の上後方(スライド直下)に通常のセイフティ・リーヴァー
を有するようになった。
ハーフコックはいいよね。
撃鉄から地面に落した場合にも安全度が増す。
発射の際には親指で
・撃鉄起こす
・セィフティ解除
・親指グリップ握る
(ここまで親指の運動方向が揃っている)
・人差し指引金にかけて、絞る
でよろしい。
------------よーやく『ベトナム秘密指令』の項終わり------------

------------エピローグ------------

莫大な文献資料代を要して
【ペルナンディけん銃】の【ペ】のナゾが解明された、
この後(2021.07.21)に及んで未だ不明な点
▲1958年10月頃【ペルナンディけん銃二万円】を売った米軍軍曹は誰でどこ所属か
△【ペルナンディけん銃】二万円にはホルスターは有ったのか
(たぶん、無しとおもわれる)
▲1960年09月頃【ベレッタが三万円】を売りに来たヤクザXは誰でナニ組だったのか
▲1962年【ペルナンディけん銃】を詐取した、エッセイ,小説ではヤクザである友人AAは、ナニ組だったのか
△【スプリングライフル】とは何か
(たぶん未スポーター改造の、スプリングフィールドM1903小銃とおもうが)
なお、詐取友人AA,二代目親分BB,組員CCのフルネームは判明している。
出さないけども。

大藪先生のこと 徳間書店 岩淵徹さん談 1998年頃
---
さびしがりやの先生だっただろうと、おもう時がありました。
「おまえは大藪春彦、に対してアミーゴとして付き合ってない、ではないか」と。
大藪春彦にとって友という友情というんですか、
あのーー言葉が持つ意味,イメージというのは、
相当深い、大藪春彦のその、心の奥底からスタートしているような言葉、
だと理解しています。
---

大藪先生のこと 光文社 濱井武さん談 1998年頃
---
ともかく大食漢でしたよね。
ものすごく食べる。
それと肉類。
伊達邦彦だったら、こういうものを食べるだろうなってゆうような物を、
が好きなん。
ですからウイスキーの、えー水割りっか。
水割りってもね、ご段々酔ってくると、
水割りんんストレートに近くこがぼがぼって入れるんですよね。
だんだん。
それがいいいいかげんになってきて自分で。
だからー、こぉーれはちょっと身体壊すよなーとおもってましたけどねぇ。
---

大藪先生のこと 角川書店 宍戸健司さん談 1998年頃
---
もちろんご病気のことがあってですねえ、
食べたいものも我慢しなくちゃいけない。
飲みたいお酒も我慢しなくちゃいけない。
ってゆうことはありましたけれども。
それは、えー家族の中、自分の欲望と家族の家族と居るという、
のを比べたときにですねえ。
そりゃ我慢してでも家族と一緒に居よう、ってゆうふうに、
先生おもわれたんじゃないかなというふうに、
まあ僕らは感じてました。
---

=============大藪春彦年表ここまで=============

しれっと書いてあるが、
◆【過去にも拳銃で挙げられてた】のかよ。

1958年推定には、
【未届けのライフル銃一丁】【スプリングライフル一丁】→たぶんスプリングフィールドM1903小銃も持っていたのだ。

主な登場人物
●1958年10月頃 大藪に【ペルナンディけん銃二万円】を売った米軍軍曹と、
●1960年09月【ベレッタが三万円】を売りに来たヤクザX氏と、
●1962年08月~10月頃【ペルナンディけん銃+実弾十二発】を【持ち逃げ】した、【高松一高の同窓のA】【四国のヤクザ】と、
●同窓のA氏から七万円で【ペルナンディけん銃+実弾十二発】を買った四国のヤクザの二代目親分B氏(親爺)と、
●ヤクザの二代目親分Bから【ペルナンディけん銃】を渡された四国のヤクザの子分C氏と、
●1987年にインタビュー受けた四国のヤクザの三代目組長T氏
それぞれ別人だヨ。

拳銃等の所持等の年月一覧と主なできごと
-----
1954年03月? 高松一高時代 未成年(毎年三月は不吉なことばかり起る)
 1回目のけん銃不法所持検挙
1958年10月頃「椎名町時代」アパート一階四畳半
 【青色のペルナンディけん銃一丁二万円】推定 Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long (ホルスター有無不明)
 【スプリングライフル】
 弾薬各種 を米軍人から購入所持

1960年09月中旬
 【ベレッタが三万円】推定.25ACP ベレッタM950ジェット・ファイアー/ショルダー・ホルスター付き
 を、ヤクザXから購入所持

 【実包千発】等は随時補充
1960年09月中旬以降 主に【ベレッタが三万円】で
 マクラ拳銃,抜き撃ち,隣のおやじが酒飲んでるとこパァーン
1958年?~1960年11月頃 「椎名町時代」アパート二階四畳半と六畳
 ウィンチェスターM52などで、.22LRマッチ・ターゲット実包使い、
 風呂屋の煙突/表紙の山本富士子狙撃
 【おまけに発射音は小さいので、車の往来の激しい騒音の街で射ったのでは、二十メーターも離れれば発射音は気づかれないであろう。】
【パトカーがやってきたことは一度もない】
1962年08月頃から10月頃 結婚後「松原時代」
 推定【青色のペルナンディけん銃一丁二万円】を、抵当男【四国のヤクザ】高松一高の同窓のAに【持ち逃げ】される
1965年03月01日(毎年三月は不吉なことばかり起る)
 2回目のけん銃等不法所持検挙
1965年夏から秋頃
 高松地方裁判所判決 懲役1年執行猶予3年
1966年03月(毎年三月は不吉なことばかり起る)
 東京都公安委員会、猟銃の所持許可取消
1969年04月01日
 猟銃所持再許可下りる
-----

イロイロ出て来すぎて、つかれた上、
未成年の時の事とかが判明して、しんみりしてしまった。
くわえて、
書き始めの頃は卜ヨ卜ミの電気ストーブ――遠赤外線ヒー夕ー300W三連装――にあたりつつコブ茶乃至ホージ茶をすすっていたのに、
今は、凍りそうに冷えたトーフ三キロにショーユ半リッターをかけたものを胃に流し込むようになってしまった。

いやあん。
文献資料代もかさんできたわ。

よし。
最後は小林信彦さんの言葉で締めてもらおう。
【彼はだけどこー。ああーなんかこう楽しいんですね】
なんだよね。
佳きかな、佳き哉。
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大藪春彦 (上巻)血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧

2022年02月16日 | 大藪春彦GUN研究
1958年~1965年02月末まで
特に【ペルナンディけん銃】が出てくる可能性のある
1958年~1960年09月を、重点的に洗い出すぞ。

2021.11.20
文字数満タン近い。
記事を上下巻に分離する。
本稿(上巻)は、
1953年12月24日から
1965年02月末日分をのせよう。
大藪春彦 (下巻)血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧
には
1965年03月01日から
1996年02月26日までをのせる。

編集まかせだったらしいが、短編のタイトルが特にいいかげんで、ナニとナニを読んだのかわからなくなったからでもある。
中,短編集のタイトルだけど
『東名高速に死す』単行本1970年光文社 とか
『ヘッド・ハンター』単行本1982年角川書店 とかみたく、びたっとくるタイトルだとよかったなあ。
あっ、
これを忘れちゃいけない↓
『みな殺しの歌』初出1960年01月10日号~1960年12月25日号まで51回連載 週刊アサヒ芸能 アサヒ芸能出版 ほんとにみな殺しなんだよな
『ウィンチェスターM70』初出1960年04月29日号~ 週刊スリラー 森脇文庫
などはいいよねえ。

凡例
初出年月日「掲載誌」出版社
(初出不明等の場合は、単行本の発行日から初出日を類推して並べてある)
『タイトル』
おれ既読作品には『タイトル』の後に●マークを、未読作品には◆マークを付す。
単行本 初版発行年月「単行本タイトル」出版社
発行年月「単行本タイトル」出版社
映画原作には、映画制作会社 公開年月日 『映画タイトル』監督,主演
註:その作品内で、欲しかった拳銃
 1958年10月頃購入【ペルナンディけん銃】,
 1960年09月上旬購入【ベレッタが三万円】,
 結局買わなかったが欲しかった【ベアード拳銃】
についての記載あれば、ここに註記。
【ペルナンディけん銃】の場合は、作品内での表記も書く。

大藪春彦単行本著作リストは、

『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年

『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年
の巻末にある。

2021.10.24
徐々に書き進めるので、いつ完成するか不明

2021.11.14
註:【ベレッタが三万円】初登場!
1959年10月号~1959年12月号 週刊新潮 新潮社
『野獣死すべし(復讐篇) 』
ヤクザから奪い、さっそく【マクラ拳銃】にするだけで、後には出てこないのよね。
実は欲しかった【ベアード拳銃】も登場ス。
【ベアード拳銃】はいろいろな短編にでてくる。
当て馬として【ラーマ拳銃】つーのもあり、これまたいろいろな短編にでてくる。
ついでに、
映画原作のものは、ざっと全期間分書いておこう。
大藪原作映画はまったく見てなかったのだが、
近年『蘇る金狼』1979年見てびっくりし、以後も見ていない。
風吹ジュンにやられちゃーなあ。

2021.11.17
もしかしたら論文 あるかなぁとおもったのだが、引き上げ的なのがあったのみで、めぼしいのはなーんにも無かった。
念のため星新一 で検索するといっぱい出てくる。
谷山浩子 、いくつがそれらしいのがある。
なんだかなあ。

さらに
利便性を高めるため、
短,中,長編の別と、
中短編は収録された、なるべく新しい「作品集のタイトル」等も書き込む。
全部ではないとおもふが、なるべく。

2021.11.18
エッセイとか対談も全期間分入れよう!
文字数アブナイかも。
よし。「荒野からの銃火」と「…荒野に死ね」以外は書いた。
18200文字

2021.11.20
ドライビングとかハンティング本も入れる。
『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年 の著作リストには、
掲載されていないのよね。
また、
一記事28000文字程度で満タンなので、後日上下に分割せねばならん。
現在19000文字。
1965年02月末で分割にすんかね。
川柳川柳師追悼
訃報が新聞にのったのだから、出世したのだなあ。
よし。「荒野からの銃火」と「…荒野に死ね」も書いた。
つかれた。
23000文字

2021.12.15
『その罠を噛み破れ』中編●初出誌確定 1959年02月号 「面白倶楽部」光文社 

------
2022.02.15
02月調達分迄で、
現在判明している未読は以下のとおりとなった。
(本文にはおおむね未反映)
またこれらの多額な費用かかった文献の研究によって判明したわよ↓
【ペルナンディけん銃】を米軍人から買った1958年10月から、
猟友というヤクザから【ベレッタが三万円】を買った1960年09月までの作品に、
【ペルナンディけん銃】をいい者の拳銃として登場させることができれば、
これはもう必ず登場してるのよね。
---小説未読↓---

1958年07月から09月までの間 講談倶楽部 講談社
『街が眠る時』◆
単行本 1958年10月発行 「野獣死すべし」 講談社

1959年07月号 少年クラブ 講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第一話) 深夜の銃声』◆
単行本 2006年02月発行 「挑戦者」 徳間書店

1959年09月号~12月号 おもしろブック 集英社
『冒険科学小説 怪竜ナトン』◆ 第3回の一部●
大藪春彦・文 深尾徹哉・え
単行本未収録 

1959年10月号 少年クラブ 講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第二話) 港の銃声』◆
単行本 2006年02月発行 「挑戦者」 徳間書店

1959年11月号  中学生の友 小学館
読み切り長編小説 『落岩』◆
単行本未収録
※この辺から【ペルナンディけん銃】出てくるハズだ↓

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『ある決闘』◆
単行本 1960年04月発行 「歯には歯を」 荒地出版社

1960年01月号 中学コース 学習研究社
『鋼鉄はこうしてきたえられた』◆
単行本未収録

1960年02月 平凡 平凡出版
『銃弾を奴にぶち込め』◆
単行本未収録

1960年03月~07月号 週刊漫画TIMES 芳文社
『火制地帯』◆
単行本 1960年06月発行 「火制地帯」 浪速書房(以後再刊無し)

初出不明
『死をいそぐ者』◆
『兇銃の最後』◆
単行本 1962年08月発行 「死をいそぐ者」 浪速書房

初出不明
『ある決闘』◆
単行本 1963年02月発行 「歯には歯を」 路書房

初出不明
『破局への道』◆ 
『戻ってきたレーサー』◆ 
『怒れる獣のさけび』◆
単行本 1969年06月発行 「狂った報復者」 TOKYO BOOKS

初出不明
『破滅への道』◆
単行本 1973年07月発行 「黄色い魔手」 サンポウ・ノベルズ

---エッセイ未読↓---

1959年12月号 別冊週刊サンケイ サンケイ新聞出版局
『アベコベ合作 6話 ペーとガンスモーク』◆
単行本未収録

1960年04月春の別冊 アサヒ芸能読物特集号
『ビート族講座 殺しの花形”銃の魅力”』◆(エッセイ?)

1960年05月号 ヒッチコックマガジン 宝石社
『勝手にしやがれ!』◆(エッセイ?)

1960年08月号 宝石 宝石社
『ぼくらの推理小説』◆(エッセイ?)

1960年(10月頃か) 別冊週刊サンケイ サンケイ新聞出版局
『話の市 一寸一言』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年(11月頃か) 別冊週刊サンケイ サンケイ新聞出版局
『くたばれ! トップ屋』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年 ヒッチコックマガジン 宝石社
『特集: GUNのすべて 初猟記』◆
単行本未収録とおもふ、が
単行本? 1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店
 「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。」
なので載っているかも。
うわー読みてえなぁー

1961年01月号 宝石 宝石社
『食べある記晩酌のツマミ 』◆(エッセイ?)

1963年04月臨時増刊号 宝石 宝石社
『下宿の片隅から』◆ (エッセイ?)

1963年12月号 宝石 宝石社
『ハードボイルドであろうがなかろうが』◆(エッセイ?)
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---↓大藪春彦初期作品初出一覧↓-------------

1951年
香川県立木田高校入学
脊椎カリエスで休学

1952年
高松第一高等学校に転校

1953年12月24日号「高松一高新聞」高松第一高等学校
『音楽雑言』●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1954年04月01日号「ひとで」第八号 高松第一高等学校文芸部誌
『〈ノート〉ドストイェフスキー』●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
※なにがなんだかわからない作品

1954年11月03日号「ひとで」第九号 高松第一高等学校文芸部誌
『〈ノート〉イエス・キリスト』●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
※なにがなんだかわからない作品

1955年
東京外語大スベル
四国クリスチャン・カレッジ入学
年末に中退

1956年04月
早稲田大学入学

1956年09月20日「未完成(創刊号)」トルウソウ文学界(高松の同人誌)
『太宰治について―虚構―』一部のみ● エッセイ
単行本未収録
※この同人誌の巻頭を飾っているのだ

1957年
ワセダ・ミステリ・クラブ入部

1958年02月から03月
『野獣死すべし』ノートブックに叩きつけて書いたハズだ。

1958年05月号「青炎」早稲田大学同人誌
『野獣死すべし』中編●
1958年07月号転載「宝石」宝石社
1958年10月講談社「野獣死すべし」
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
1965年02月「野獣死すべし」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1972年08月「野獣死すべし」新潮文庫
1979年06月「野獣死すべし」●角川文庫
東宝1959年06月09日公開 映画『野獣死すべし』監督:須川栄三 主演:仲代達矢 の原作/力メオ出演有り↓

 予告編の「藪」の字が「薮」になってる。
 予告編は助監督がつくるから、助監督がわるい。
東映1980年10月04日公開 映画『野獣死すべし』監督:村川透 主演:松田優作 の原作
大映1997年03月08日公開 映画『野獣死すべし』監督:廣西眞人 主演:木村一八 の原作

1958年07月から09月頃までの間 初出誌不明
『揉め事は俺に任せろ』短編●
1958年10月「野獣死すべし」講談社 
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
1967年03月「男の誇り」TOKYO BOOKS
1971年12月「汚れたパトカー」●オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1985年10月「ザ・復讐者」徳間文庫
1986年10月「血と背徳の街」角川文庫

1958年07月から09月までの間「講談倶楽部」講談社
『街が眠る時』短編◆
1958年10月「野獣死すべし」講談社
日活1959年05月26日公開 映画『街が眠る時』監督:野口博志 主演:長門裕之 の原作
註:後に盗作疑惑でる。
 1960年08月28日号 週刊アサヒ芸能 アサヒ芸能出版
『野獣は死なず――’盗作者’という中傷について――』
で反論している。

1958年08月号「宝石」宝石社
『チャンドラー以降のハードボイルド』◆(エッセイ?)

1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『血の罠』長編●
1959年03月「血の罠」アサヒ芸能出版
1963年08月「血の罠」ポピュラー・ブックス(桃源社)
1965年04月「血の罠」東京文藝社
1966年07月「血の罠」ポピュラー・ブックス
1967年10月「血の罠」ポピュラー・ブックス
1968年04月「血の罠」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1976年11月「血の罠」大藪春彦活劇選集(徳間書店)
1977年11月「血の罠」双葉新書(双葉社)
1981年11月「血の罠」新潮文庫
1987年06月「血の罠」トクマ・ノベルズ(徳間書店)
1991年05月「血の罠」徳間文庫
2009年11月「血の罠」●光文社文庫
東宝 1960年01月03日公開 映画『暗黒街の対決』監督:岡本喜八 主演:三船敏郎 の原作
註:【ペルナンディけん銃】1回目
表記 【V・Bベービー】/【ヴェルナルディリV・Bのオートマチック】
 推定1958年10月末号から11月頭号掲載
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、
【鞣し革のホルスター】に入った
【青色の小さな自動拳銃】と弾薬の入った革サックを抜き出した。
【全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチック】には初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、
【半月状型の引金の部分が大きく見える】。
---引用終わり---
どーでもいいところまで精密に描写するのは買った後だから。
実銃買った直後の小説には、同じモデルの口径違いが出てくる。
しばらくすると、所有している口径で出てくる。
 1958年10月頃に買った【ペルナンディけん銃】は.22LRなので、
ここでは【イタリア製V・Bベービー二十五口径六連発】が出てくる。

1958年10月~1959年推定 初出誌不明
(【ヴェルナディリV・B】を買った1958年10月頃より後であろう)
『醜聞』短編●
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
1967年03月「男の誇り」TOKYO BOOKS
1971年12月「汚れたパトカー」●オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1980年09月「殺しは俺の稼業」●角川文庫
1987年06月「ザ・狙撃者」徳間文庫
註:【ペルナンディけん銃】2回目
表記【ヴェルナディリV・B】
---引用---

スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。【丸い蛇の目模様の安全止め】がついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
---引用終わり---
【ペルナンディけん銃】の .25ACPは弾倉5連発。
どーでもいいところまで精密に描写するのは買った後だから。
実銃買った直後の小説には、同じモデルの口径違いが出てくる。
しばらくすると、所有している口径で出てくる。
 1958年10月頃に買った【ペルナンディけん銃】は.22LRだから、
 1958年10月~1959年推定の本作品では.25ACPが出てくるわけだ。

1958年07月から12月頃までの間 初出誌不明
『屍を越えて』短編●
1961年01月「縄張り」浪速書房
1962年06月「縄張り」浪速書房
1964年12月「縄張り」ナニワ・ブックス
1966年03月「縄張り」浪速書房
1966年08月「最後の銃声」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1966年03月「復讐は俺の血で」ポピュラー・ブックス
1969年01月「復讐は俺の血で」ポピュラー・ブックス
1970年12月「復讐は俺の血で」ポピュラー・ブックス
1975年12月「最後の銃声」大藪春彦活劇選集
1982年11月「復讐は俺の血で 初期短編集1」●角川文庫
1984年04月「最後の銃声」徳間文庫●
1991年04月「最後の銃声」トクマ・ノベルズ
註:【ペルナンディけん銃】3回目
表記【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。

サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
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1959年02月号 「面白倶楽部」光文社 2021.12.15確定
『その罠を噛み破れ』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年01月「縄張り」浪速書房
1966年09月「恥知らずの街」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ(徳間書店)
1969年04月「拳銃天使」サンデー・ノベルズ
1976年06月「死はわが友」●角川文庫
1986年10月「ザ・殺戮者」徳間文庫
註:【ペルナンディけん銃】4回目
表記【V・Bベービー】
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】や、
消音装置つきのまで現れた。
---引用終わり---

1959年02月号「宝石」宝石社
『雨の露地で』短編●
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
1963年02月「黒革の手帳」青樹社
1966年05月「黒革の手帳」青樹社
1966年09月「恥知らずの街」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1967年09月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1969年01月「暁の自爆」ナニワ・ブックス
1971年07月「暁の自爆」TOKYO BOOKS
1971年07月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1972年12月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1975年06月「囮の末路」TOKYO BOOKS
1976年03月「黒革の手帳」ビック・ブックス(青樹社)
1976年07月「恥知らずの街」大藪春彦活劇選集
1977年08月「黒革の手帳」ビック・ブックス
1982年11月「復讐は俺の血で」●角川文庫
1988年07月「ザ・一匹狼」徳間文庫
1992年07月「囮の末路」廣済堂文庫

1959年06月号「小説倶楽部」桃園書房
『次は誰だ!』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月「明日を消せ」同人社
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年11月「けものの真夜中」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1975年12月「けものの真夜中」大藪春彦活劇選集
1980年09月「殺しは俺の稼業」●角川文庫
1988年01月「ザ・戦闘者」徳間文庫
註:【ペルナンディけん銃】5回目
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
ラスト近くで唐突に出てくる
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは
【寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃】を離さぬ俺にスリルを感じるのか。
---引用終わり---
無理と【ペルナンディけん銃】が出てくる感じだ。
買った後だからな。
ああっ!
これは【ペルナンディけん銃】で【就寝時スネ拳銃】をやったな。
小林信彦にも【スネ拳銃】みせたとおもふけどなあ。
 2003年だかに、
小林信彦が大藪春彦の文学以外のおもひでを語る会
的なものをやったとどこかで読んだ。
 2002年03月09日放送の
大瀧詠一との対談で大藪の逸話を急におもいだし、且つうけたので、こんな会をしたのであろう。
GUNとトタン屋経営の下宿と酒の話に決まってる。
うわぁ聞きてえなぁ。

1958年07月から1959年06月頃までの間 初出誌不明
『破局』短編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月「明日を消せ」同人社
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1965年03月「無法街の死」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1975年06月「無法街の死」大藪春彦活劇選集
1969年06月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1971年06月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1972年09月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1980年11月「狂った報復者」TOKYO BOOKS
1982年11月「復讐は俺の血で」角川文庫
1988年01月「ザ・血闘者」●徳間文庫
1993年11月「現金強奪」飛天文庫

1958年07月から1959年06月頃までの間 初出誌不明
『殺意』短編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月同「明日を消せ」人社
※1961年10月号 小説倶楽部 桃園書房にも同名小説『殺意』あるらしい。
 以下『殺意』つータイトルの作品を含む短編集。どっちがどっちだかわからん。
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年10月「静かなる殺し屋」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1970年11月「静かなる殺し屋」大藪春彦活劇選集
1973年07月「黄色い魔手」サンポウ・ノベルズ(産報)
1980年10月「極限の狩人」●角川文庫
1987年06月「ザ・狙撃者」徳間文庫

----------◆2021.11.17 今日はここ↓まで。なんでこんなデタラメ収録なんだか-------------

1959年07月号「宝石」宝石社
『最後の銃声』●
1959年08月「明日を消せ」光書房
※1961年12月臨時増刊号 小説倶楽部 桃園書房 にも同名小説『最後の銃声』有り
タイトルは編集任せだった由
おそらく短編集などに収録されている『最後の銃声』は、
 1959年07月号宝石掲載→単行本1959年08月『明日を消せ』光書房のものとおもわれる


1959年07月号「少年クラブ」講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第一話) 深夜の銃声』◆
単行本未収録


1959年09月号~12月号「おもしろブック」集英社
『冒険科学小説 怪竜ナトン』◆ 第3回の一部●
大藪春彦・文 深尾徹哉・え
---引用 11月号(第3回)---
怪竜ナトンは、ついに日本に上陸し、まっしぐらに東京めざしてすすんでくる。ナトンは、空をとび、海をおよぎ、地下にももぐる凶悪な怪獣である。空母も、戦車も、ジェット機も、ナトンにははがたたない科学者の一部と弟の次郎少年は、なんとかナトンの攻げきをくいとめようと、新型ミサイルをひっしに研究する。(前号まで)
キャプション
一郎の新型誘導弾はまだか!?
ナトンは地中を東京にすすんでくる!
本文
…面にむかっていた。そのスピードはごくおそかった。
【腹一杯につめこんだ肉の消化をたのしんでいる】のだろう。ナトンのふかさは地下五、六十メートルらしい。その動きは、気象観測所のじしん計で、たしかめることができる。
コバンザメのエキス
八戸市で怪竜ナトンの暴威をみた一郎、次郎の兄弟は、愛機「サンダー・ライト」の機首をめぐらせて東京にもどっていた。
「次郎、政府もいよいよかくごをきめたらしい。このままでは日本はぜんめつだ。いくらでも予算をあたえるから、ナトンをやっつける新兵器を、発明してくれっていうんだ」
---引用終わり---


1959年10月号~1959年12月号「週刊新潮」新潮社
『野獣死すべし(復讐篇) 』●
1960年03月「野獣死すべし(復讐編)」新潮社
東宝1974年06月15日公開 映画『野獣死すべし 復讐のメカニック』監督:須川栄三 主演:藤岡弘 の原作
大映1997年05月17日公開 映画『野獣死すべし/復讐篇』監督:廣西眞人 主演:木村一八 の原作
註:【ベレッタが三万円】初登場!
光洋丸襲撃のとき↓
例によって拳銃を拾って歩く邦彦。
---引用---
「お客さん、出歩かれては困り……」
と言いかけ、邦彦の様子に気づいた。ハッと息をのんで尻の拳銃に手を廻す。
邦彦は右手に握った短機関銃の銃口で、その男の頬を一撃した。低い悲鳴をあげて煙突に倒れかかるのを、靴先で力一杯、胃のあたりを蹴り上げた。男は身を折って崩れ落ちた。今度は顎を蹴り砕く。
邦彦はその男のポケットから
【ベレッタ〇・二十五口径七連発の小さな拳銃】を奪って、自分のズボンのポケットに落した。
……
(お家に帰ってから)
尻のポケットにベレッタ自動拳銃を入れたままなのに気づいて取り出す。銃把の弾倉室からマガジンを抜き、銃の安全止めを外し、スライドを引いて薬室の実包を抜く。それを
【ベッドの枕の下につっこむ。】
---引用終わり---
いきなり【ベレッタが三万円のマクラ拳銃】きました!!
この頃の描写は飛ぶことが多く、読んでいて少し混乱するのだ。
ここでも弾倉を戻し忘れたのであろう。
んで、このベレッタは、この後一度も登場しないのよね。
ただただ、欲しかったのであろう。
一年後に実物で【マクラ拳銃】できてよかったですな。
【ベレッタが三万円】は、
ベレッタM950 0.250ACP/ベレッタ・ジェットファイアで、弾倉に8発だそうだ。
ベレッタM950 .22ショート/ベレッタ・ミンクスは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある。
まだ買っていないので、後に購入することになる口径.25ACPのまま小説に出てくる。

実は、
もう一つ欲しかった【ベアード六連発】も出てくる。
↓正田君に屋敷に踏み込まれたところ。
---引用---
果たしてベルが鳴った。邦彦はクッションの下につっこんであった
【ベルギー製ベアード六連発をポケットに移した。〇・三八〇口径自動運拳銃のうちで最も小さい。】

穏やかな邦彦の口調は変らなかったが、右手が閃くと、黒光りする小さなベアードが魔法のように正田の胸を狙っていた。

邦彦は不敵に笑って拳銃をポケットにしまった。
---引用終わり---
直後に着替えたとき、ルーガーにしてしまうから、肝心の警官隊に囲まれた際には、ベアードは持っていなかった。
なお、
【ベアードがほしい】つーのは、
 1960年06月12日号「アサヒ芸能」
『みな殺しの歌』の『待ち射ち』で
直前の章『虐殺の原』でヤクザ大森のベアード自動拳銃を闇の中に蹴りこんだ後に、
---引用---
ソフトを脱いだ。ソフトの裏地に小さな【ベアード拳銃】が隠されてあった。それを引っぱり出した衣川は、ハンティング・コートの脇のポケットにしまった。…
---引用終わり---
と、【ソフト拳銃】にしていた【ペルナンディけん銃】を、瞬間的に【ベアード拳銃】に間違えたことからわかる。

1959年10月号「少年クラブ」講談社
『昌夫少年探偵シリーズ(第二話) 港の銃声』◆
単行本未収録

1959年10月号「面白倶楽部」光文社
『流れ者』●(初出タイトル『流れ者は殺せ』)
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年11月号「小説倶楽部」桃園書房
『けものの棲む夜』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年11月号「中学生の友」小学館
読み切り長編小説 『落岩』◆
単行本未収録

1959年12月号「宝石臨時増刊」宝石社
『歯には歯を』●
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年12月号「別冊週刊サンケイ」サンケイ新聞出版局
『アベコベ合作 6話 ペーとガンスモーク』◆
単行本未収録



1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『暗い春』●
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『影の影』●
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『野獣の街』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『誤算』●
1960年03月「野獣死すべし(復讐編)」新潮社

1958年07月から1959年12月頃までの間 初出誌不明
『ある決闘』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社

1959年推定 初出誌不明
『夜に潜む』●
1961年01月「縄張り」浪速書房
註:【ペルナンディけん銃】6回目
表記【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、【青光りした】小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃は【イタリア製ヴェルナルディリ】。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので【引金の部分がずいぶん大きく見える】。【銃把はベークライト】だ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
---引用終わり---

1960年01月号「中学コース」学習研究社
『鋼鉄はこうしてきたえられた』◆
単行本未収録

1960年01月17日号~1960年12月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
『凶銃ワルサーP38《続みな殺しの歌》』●
1961年06月「みな殺しの歌」アサヒ芸能出版
東宝1960年11月29日公開 映画『みな殺しの歌より 拳銃よさらば』監督:須川栄三 主演:水原弘 の原作
註:【ペルナンディけん銃】7回目
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
 1960年04月17日号『生への渇望』のラスト一行
---
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。
---引用終わり---
実銃買った直後の小説には、同じモデルの口径違いが出てくる。
しばらくすると、所有している口径で出てくる。
【ペルナンディけん銃】.22LRを、
 1958年10月頃 米人軍曹から二万円で買っているから、
 1960年の本作品では.22LRのまま出てくるのだ。

1960年02月「平凡」平凡出版
『銃弾を奴にぶち込め』◆
単行本未収録

1960年03月号「若い女性」実業之日本社
『女性はスリルを求めている』若尾文子との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
※「狼はしなやかに…」のあとがきで、大江健三郎との対談もあったのに、掲載を断ってきたと怒っている。


1960年03月「ヒッチコックマガジン」宝石社
『野獣死すべし 渡米編』◆
1960年04月「歯には歯を」荒地出版社
註:小林信彦の助言でアメリカもののパロディにしたハズ。

1960年03月~07月号「週刊漫画TIMES」芳文社
『火制地帯』◆
1960年06月「火制地帯」浪速書房(以後再刊無し)
東宝1961年04月16日公開 映画『顔役暁に死す』監督:岡本喜八 主演:加山雄三 の原作
 1958年『街が眠る時』に引き続き、本作も盗作疑惑あり。

1960年04月 単行本「歯には歯を」のあとがき 荒地出版社 に収録
『ハードボイルドについて』エッセイ●
1976年04月別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1960年04月春の別冊「アサヒ芸能読物特集号」
『ビート族講座 殺しの花形”銃の魅力”』◆(エッセイ?)

1960年04月29日号~「週刊スリラー」森脇文庫
『ウィンチェスターM70』●
1960年08月「ウィンチェスターM70」新潮社
日活1964年02月01日公開 映画『拳銃残酷物語』監督:古川卓巳 主演:宍戸錠 の原作

1960年05月号「ヒッチコックマガジン」宝石社
『勝手にしやがれ!』◆(エッセイ?)

1960年06月号「宝石」宝石社
『夜明けまで』●
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社

1960年06月~(号か月かは不明)「週刊新潮」新潮社
(1960年11月猥褻文書の疑いで中断。「出会い」の章あたりでか?)
『血の来訪者(伊達邦彦シリーズ長編第1作)』●
(中断後200枚加筆→年が改まった。で始まる「真紅の花」の章からであろう)
1961年02月「血の来訪者(野獣死すべし 第三部)」新潮社

1960年07月号「婦人公論」中央公論社
『野獣の青春』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」●角川文庫

1960年08月号「宝石」宝石社
『ぼくらの推理小説』◆(エッセイ?)

1960年08月号「中央公論」中央公論社
『テロのムード』●超重要エッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店
※小林信彦「そんなもの「中央公論」に書くなっていうんだけど」
※【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】



1960年08月28日号「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『野獣は死なず――’盗作者’という中傷について――』
 日活1959年05月26日公開 映画『街が眠る時』の原作である、
 1958年「講談倶楽部」講談社 掲載
『街が眠る時』の盗作疑惑への反論)
 これと、1960年『火制地帯』の盗作疑惑により、
 1960年03月入会した「他殺クラブ」を、1960年08月脱会。

1960年(10月頃か)「別冊週刊サンケイ」サンケイ新聞出版局
『話の市 一寸一言』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年10月号「講談倶楽部」講談社
『怒りの航跡』 
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1960年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年08月「最後の銃声」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1975年12月「最後の銃声」大藪春彦活劇選集
1982年11月「復讐は俺の血で 初期短編集1」角川文庫
1984年04月「最後の銃声」徳間文庫
1991年04月「最後の銃声」トクマ・ノベルズ

1960年(11月頃か)「別冊週刊サンケイ」サンケイ新聞出版局
『くたばれ! トップ屋』◆(エッセイ?)
単行本未収録

1960年12月号「ヒッチコックマガジン」宝石社
『特集 ガン・ダイジェスト 弾道講義』●かな?
1966年10月「GUN研究」桃源社 に収録とおもふ

1960年「ヒッチコックマガジン」宝石社
『特集: GUNのすべて 初猟記』◆
単行本未収録とおもふ
註:こーゆーのは、
 1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 
 「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。」
 に収録されているのではないか?
 うわー読みてえなあ。

1961年01月01日号~1961年10月08日号「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『凶銃ルーガーP08』●
『戻り道はない(続 凶銃ルーガーP08)』
1961年08月「凶銃ルーガーP08(第一部)」アサヒ芸能出版
エクセレントフィルム1994年01月29日公開 映画『凶銃ルガーP08』監督:渡邉武 主演:阿部寛 の原作

1961年01月号~1962年10月号「ヒッチコックマガジン」宝石社
『新連載 GUN相談室(第1回~第22回)』
1966年10月「GUN研究室」●桃源社
 単行本は読んだぞ。

1961年01月号「宝石社」宝石
『食べある記晩酌のツマミ 』◆(エッセイ?)

1961年10月号「小説倶楽部」桃園書房
『殺意』短編●
※1958年07月から1959年06月頃までの間 初出誌不明に、同名小説『殺意』ある。
1959年08月「明日を消せ」光書房
1961年03月「明日を消せ」同人社
 以下『殺意』つータイトルの作品を含む短編集。どっちがどっちだかわからん。
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
1964年10月「殺す者殺される者」ナニワ・ブックス
1966年10月「静かなる殺し屋」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ
1970年11月「静かなる殺し屋」大藪春彦活劇選集
1973年07月「黄色い魔手」サンポウ・ノベルズ(産報)
1980年10月「極限の狩人」●角川文庫
1987年06月「ザ・狙撃者」徳間文庫


1961年10月15日号~「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版 
『野獣都市』●
1962年07月「野獣都市」アサヒ芸能出版
東宝 1970年05月23日公開 映画『野獣都市』監督:福田純 主演:黒沢年男 の原作
「事業家」の章に小口径のベレッタ・ジャガー自動装填式拳銃、競技用〇・二二スーパー・マッチ弾使用は出てくる。



1961年12月号「推理ストーリー」双葉社
『拳銃稼業』●
1962年05月「挫折」東京文藝社(1967年以降「邪魔者」) 

1961年12月臨時増刊号「小説倶楽部」桃園書房
『最後の銃声』●?◆
※1959年07月号「宝石」宝石社にも同名小説『最後の銃声』●有り

1962年01月号「小説倶楽部」桃園書房
『殺人請負います』●
1962年05月「挫折」東京文藝社(1967年以降「邪魔者」) 

1962年頃か? 初出誌不明
『人狩り』●
1962年10月「人狩り」新潮社ポケットライブラリー
日活1963年04月21日公開 映画『野獣の青春』監督:鈴木清順 主演:宍戸錠 の原作

1962年05月14日号~1962年10月29日号「週刊新潮」新潮社
1962年 - 新潮社(単行本)
『探偵事務所23』連作短編●
1962年12月「探偵事務所23」新潮社
日活1963年01月27日公開 映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』監督:鈴木清順 主演:宍戸錠 の原作/第1話「都会の墓場」
日活1963年07月07日公開 映画『探偵事務所23 銭と女に弱い男』監督:鈴木清順 主演:宍戸錠 の原作/第2話「鼠退治」及び第3話「死の商人」


1962年~1964年「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版 
『蘇える金狼』●
1964年01月/1964年07月「蘇える金狼」 平和新書
東映1979年08月04日公開 映画『蘇える金狼』監督:村川透 主演:松田優作 の原作
オリジナルビデオ1998年 『蘇える金狼2 復活篇』監督:渡辺武  主演:真木蔵人 の原作


1963年04月臨時増刊号「宝石」宝石社
『下宿の片隅から』◆ (エッセイ?)


1963年11月号「宝石」宝石社
『廃銃』●
1964年06月「廃銃」浪速書房

1963年12月号「月刊Gun(創刊号)」国際出版
『独り狼』●
1963年07月「独り狼」東京文藝社

1963年12月号「宝石」宝石社
『ハードボイルドであろうがなかろうが』● エッセイ
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1964年04月18日号,1964年06月06日号他「週刊漫画TIMES 」芳文社
『孤剣』●角川文庫版『赤い手裏剣』
1964年09月「孤剣」 桃源社
大映1965年02月20日公開 映画『赤い手裏剣』監督:田中徳三 主演:市川雷蔵 の原作


1964年05月号「宝石」宝石社
『五輪の陰で』◆
1964年06月「廃銃」 浪速書房



1964年08月08日号~1965年01月24日号「アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『伊達邦彦地球を駆ける―モナコ王国危機一発』(のち『諜報局破壊班員』◆)
1965年01月「諜報局破壊班員」オーヤブ・ホットノベル・シリーズ1

1965年02月~1965年03月の号「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『伊達邦彦地球を駆ける―ハーレムより愛をこめて』◆
1965年03月01日大藪が拳銃不法所持で逮捕されたため中断

1965年より前 初出誌不明 ショートショート(少なくとも16編はある)
(1965年01月オーヤブ・ホットノベル・シリーズに少しずつ収録されている)
ショートショートのタイトのみ書いておく。
『水路』『自滅』『心臓に二発』『道楽』『鹿山』『リンチ』『悪運』『逆襲』『魔のカーブ』『暴発』『揉め事』『罠』『サロン・ハンター』『お客様』『目撃者』『ブルー・クリスマス』全部●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1965年01月~オーヤブ・ホットノベル・シリーズ

--------------1965年03月01日以後はここにあり----------

大藪春彦 血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧(下)


しばらくの間は、
1965年03月01日以降↓ものせたままにしよう。


時期不詳 初出誌不明
『破壊指令No.1』●
1966年10月「破壊指令No.1」光文社 
日活1967年10月02日公開 映画『爆破3秒前』 監督:井田探 主演:小林旭 の原作

1966年10月18日号「話のタネ本」日本文芸社
『美食と大食』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月01日号「話のタネ本」日本文芸社
『タバコのけむり』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月号「二〇世紀」出版社不明(めんどくさくなったぞ)
『市民武装論』●エッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月29日号「話のタネ本」日本文芸社
『名犬と芸術と』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年~1969年「週刊アサヒ芸能」徳間書店 
『汚れた英雄』●
1967年05月「汚れた英雄(野望篇)」徳間書店
1968年01月「汚れた英雄(雌伏篇)」徳間書店
1968年07月「汚れた英雄(黄金篇)」徳間書店
1969年06月「汚れた英雄(完結編)」徳間書店
東映1982年12月18日公開 映画『汚れた英雄』監督:角川春樹 主演:草刈正雄 の原作

1967年02月07日号「話のタネ本」日本文芸社
『僕のハードボイルド』●エッセイ
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年05月30日号「話のタネ本」日本文芸社
『ヨッヘン・リント』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年06月号「AUTO SPORT」三栄書房
『非常のサラブレッド生沢徹』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年07月01日号「新刊ニュース」東京出版販売
『ラブミー農場と文学』深沢七郎との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社

1968年01月09日号「週刊プレイボーイ」集英社
『武器の快楽』三島由紀夫との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1968年08月号「CARトップ」交通タイムス社
『傷だらけのレーサー』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」集英社
『俺は再びガンを持てる!』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1969年04月17日号「週刊アサヒ芸能」徳間書店
『原体験となった”傷だらけの青春”』吉行淳之介との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1969年11月11日号「週刊プレイボーイ」集英社
『10・21ハードボイルド報告』●エッセイ/70年安保デモのルポルタージュ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1969年「勝利」勝利出版
『幻の高速車』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1970年01月号「AUTO SPORT」三栄書房
『トップ・ドライバーの恋人は? 契約金は? テクニックは?』●座談会
司会
 大藪春彦・藤本彰「AUTO SPORT」編集長
出席者
 高橋国光・北野元・黒沢元治(ニッサン・チーム)
 鮒子田寛・川合稔・久木留博之(チーム・トヨタ)
 浅岡重輝(チーム・いすゞ)
 《誌上参加》加藤爽平(三菱・チーム)
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1970年05月号「推理界」浪速書房
『レーシング・ドライバーの死』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1971年01月号「月刊現代」講談社
『マンネリを破る悪徳行動学入門』●聞き書きエッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1971年10月号「AUTO SPORT」三栄書房
『ケンさんは不滅の勝負師として生きる』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1972年01月号「ホリデー・オート」モーターマガジン社
『これが俺たちのスピードの世界だ』●座談会
聞き手
 大藪春彦
出席者
 生沢徹・北野元・黒沢元治・鮒子田寛・米山二郎
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1972年05月号「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『虚像と実像』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1972年09月号~全12回「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『敗戦の頃 “衝撃の戦争体験”』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1972年12月号「潮」潮出版社
『わが野獣の青春期――死にたくなったら俺を見よ――』●談話をまとめたもの
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界」新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●『痛めつけられた青春の果てに』と改題 角川文庫

1974年秋季増刊号「PHP」PHP研究所
『ビッグ・ゲーム・ハンティング』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1975年「野生時代」角川書店
『我が尊敬するマルコポーロ・シープ殿』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1975年04月号「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『絶望の果てに見つけた人の情け 久保継成との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1976年04月10日号 別冊新評「大藪春彦の世界」新評社
『体験の風化と怒りの持続――権力を恐怖する心といかに戦うか――』五木寛之との対談●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1976年04月10日号 別冊新評「大藪春彦の世界」新評社
『四十一歳の伊達邦彦は何をめざすか インタビューアー大下英治』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫『伊達邦彦の生みの親は何をめざすか!』に改題

1976年05月03日号「平凡パンチ」平凡出版
『われら大学・早稲田大学 篠田正浩との対談』
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫『人類滅びて、ワセダが残る』と改題

1976年06月号「酒」出版社不明
『野生の味』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1976年08月10日 書き下ろし カッパブックス ‎ 光文社
『わが血闘の記録 野獣を撃つ(上下巻)』海外ハンティングのエッセイ
1979年11月25日『ザ・ビッグ・ゲーム』●集英社

 『わが血闘の記録 野獣を撃つ』+モンゴール,カナダおよびモンタナロッキー加筆
1991年10月25日『ザ・ビッグ・ゲーム(上下巻)』●徳間文庫


初出日及び初出誌不明 とりあえずここに置いておく
『射撃人にとっては暗黒時代です 小池一雄との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年02月号「平凡パンチOH」平凡出版
『青春・夢・冒険・野生 西丸震哉との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年04月01日号「週刊小説」実業之日本社
『グレート・アドベンチャーに賭ける 三浦雄一郎との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年09月09日号「週刊小説」実業之日本社
『僕の銃歴』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年04月号「シューティング・ライフ」ライフ出版
『ビッグ・ハンティングの魅力 佐藤修との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年04月01日号「月刊小説」出版社不明(めんどくさいぞ)
『戦士の美酒・苦い酒 インタビューアー井口民樹』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年06月08日号「週刊文春」文藝春秋社
『大藪春彦の入れ込み書評『アフリカの雇い兵』』●書評
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年10月号「青春と読書」集英社
『ぼくたちの体験、ぼくたちの小説 谷恒生との対談』●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年12月号「アイ」主婦の友社
『男の中の男だったハンティング・ガイド』●談話をまとめたもの
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年12月号「ギャラントメン」メール・オーダー
『ビートルズを撃て!』●談話をまとめたもの
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1979年05月28日号「平凡パンチ」平凡出版
『書斎にあってハンティングを想い、獲物を追って書斎を思う インタビューアー平岡正明』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫
『あとがき』●1979年06月記す

1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
『あとがき』●

1979年08月23日号「週刊アサヒ芸能」徳間書店
『二輪最大の祭典』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1980年06月号~1984年06月号「コンバット・マガジン」ワールドフォトプレス
『俺とGUN』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社『銃は我が分身』と改題

1980年07月10日発行(書き下ろしとおもふ)「別冊ベストカー」堅省堂/講談社
大藪春彦のワイルド・ドライビング』●赤バッジスリーズ

1985年11月20日全面的に加筆「4WDワイルド・ドライビング」光文社文庫
 削除「第3章 これがオフ口ード・トレイルだ」
   「第4章 闘志でぶつかるサーヴァイヴァルアドベンチャー」
   「第6章 ちょっと手ごわい全国オフロードガイド」
 加筆 アウデイ・クワト口のこととか

1982年04月22日号~1983年10月27日号「スコラ」スコラ社
『素晴らしきアメリカ射撃旅行』●エッセイ
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社

1983年03月03日月刊コンバットマガジン3月号臨時増刊「ナイフ大図鑑」KKワールドフォトプレス
『大藪春彦ナイフを語る 野獣の爪のように機能美を備えたナイフがいい。』●巻頭インタビュー記事10頁


1983年11月号「翼」航空新聞社
『拳銃』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1983年11月30日 書き下ろし 徳間書店
灼熱のサファリ』●1980年08月~10月南ア,ボツワナでのビック・ゲーム・ハンティング・サファリの記録エッセイ

(たしか文庫化されていないハズ)

時期不詳1985年頃か? 初出誌不明
『地獄からの生還 ザ・サヴァイヴァル』◆
1986年12月「地獄からの生還 ザ・サヴァイヴァル」光文社
オリジナルビデオ1995年 『野獣 地獄からの生還』監督:吉田使憲  主演:高嶋政宏 の原作

1993年03月号「酒」出版社不明
『ハンターと酒』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1993年03月号「新潮45」新潮社
『死んでしまった野獣たちへ』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1994年?「Talk talk」いんなあとりっぷ社
『《聞き語り》私の終戦前後』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1995年01月号「wan」緑書房
『名犬か、迷犬か? 愛犬チリー』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1995年04月刊行「復讐のシナリオ」に掲載予定だった
『ハードボイルドの原風景』●海外ハンティングについてのエッセイ
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社

時期不明 最後の短編 自費出版「小説アイヌ犬」
『アイヌ犬の咆哮』●
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1996年02月26日
死去
死因は肺線維症、肝臓線維症による自然死
コメント
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大藪春彦 (下巻)血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧

2022年02月16日 | 大藪春彦GUN研究
1965年02月末日分までは、
大藪春彦 (上巻)血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧

に書いてある。

本稿は(下)である。
1965年03月01日から分をのせる。
記事の日付は連続させているから、上下両方参照してくれ。

凡例
初出年月日「掲載誌」出版社
(初出不明等の場合は、単行本の発行日から初出日を類推して並べてある)
『タイトル』
おれ既読作品には『タイトル』の後に●マークを、未読作品には◆マークを付す。
単行本初版発行年月「単行本タイトル」出版社
発行年月「単行本タイトル」出版社
映画原作には、映画制作会社 公開年月日 『映画タイトル』監督,主演
註:その作品内で、欲しかった拳銃
 1958年10月頃購入【ペルナンディけん銃】,
 1960年09月上旬購入【ベレッタが三万円】,
 結局買わなかったが欲しかった【ベアード拳銃】
についての記載あれば、ここに註記。
【ペルナンディけん銃】の場合は、作品内での表記も書く。

2021.11.20
ドライビングとかハンティング本も入れた。
『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年 の著作リストには、
ハンティング本とかは掲載されていないのよね。
また、
一記事28000文字程度で満タンなので、
1965年02月末までを(上巻)に
1965年03月01日以降を(下巻/本稿)に、分割した。
よし。「荒野からの銃火」と「…荒野に死ね」も書いた。

--------------------------
1953年12月24日号から
1965年02月末日分は
大藪春彦 (上巻)血まみれの初期作品初出一覧(エッセイと対談は全期間書いた上、中短編作品集名も入れたあげく、映画原作全部付き)+欲しかった拳銃についての記載時系列一覧
にあり。

1965年03月01日
拳銃不法所持で逮捕

時期不詳 初出誌不明
『破壊指令No.1』●
1966年10月「破壊指令No.1」光文社 
日活1967年10月02日公開 映画『爆破3秒前』 監督:井田探 主演:小林旭 の原作

1966年10月18日号「話のタネ本」日本文芸社
『美食と大食』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月01日号「話のタネ本」日本文芸社
『タバコのけむり』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月号「二〇世紀」出版社不明(めんどくさくなったぞ)
『市民武装論』●エッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年11月29日号「話のタネ本」日本文芸社
『名犬と芸術と』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1966年~1969年「週刊アサヒ芸能」徳間書店 
『汚れた英雄』●
1967年05月「汚れた英雄(野望篇)」徳間書店
1968年01月「汚れた英雄(雌伏篇)」徳間書店
1968年07月「汚れた英雄(黄金篇)」徳間書店
1969年06月「汚れた英雄(完結編)」徳間書店
東映1982年12月18日公開 映画『汚れた英雄』監督:角川春樹 主演:草刈正雄 の原作

1967年02月07日号「話のタネ本」日本文芸社
『僕のハードボイルド』●エッセイ
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年05月30日号「話のタネ本」日本文芸社
『ヨッヘン・リント』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年06月号「AUTO SPORT」三栄書房
『非常のサラブレッド生沢徹』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1967年07月01日号「新刊ニュース」東京出版販売
『ラブミー農場と文学』深沢七郎との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社

1968年01月09日号「週刊プレイボーイ」集英社
『武器の快楽』三島由紀夫との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1968年08月号「CARトップ」交通タイムス社
『傷だらけのレーサー』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」集英社
『俺は再びガンを持てる!』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1969年04月17日号「週刊アサヒ芸能」徳間書店
『原体験となった”傷だらけの青春”』吉行淳之介との対談●
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1969年11月11日号「週刊プレイボーイ」集英社
『10・21ハードボイルド報告』●エッセイ/70年安保デモのルポルタージュ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1969年「勝利」勝利出版
『幻の高速車』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1970年01月号「AUTO SPORT」三栄書房
『トップ・ドライバーの恋人は? 契約金は? テクニックは?』●座談会
司会
 大藪春彦・藤本彰「AUTO SPORT」編集長
出席者
 高橋国光・北野元・黒沢元治(ニッサン・チーム)
 鮒子田寛・川合稔・久木留博之(チーム・トヨタ)
 浅岡重輝(チーム・いすゞ)
 《誌上参加》加藤爽平(三菱・チーム)
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1970年05月号「推理界」浪速書房
『レーシング・ドライバーの死』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1971年01月号「月刊現代」講談社
『マンネリを破る悪徳行動学入門』●聞き書きエッセイ
1972年08月「狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~」●

1971年10月号「AUTO SPORT」三栄書房
『ケンさんは不滅の勝負師として生きる』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1972年01月号「ホリデー・オート」モーターマガジン社
『これが俺たちのスピードの世界だ』●座談会
聞き手
 大藪春彦
出席者
 生沢徹・北野元・黒沢元治・鮒子田寛・米山二郎
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1972年05月号「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『虚像と実像』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1972年09月号~全12回「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『敗戦の頃 “衝撃の戦争体験”』●エッセイ
1979年07月20日「荒野からの銃火」角川文庫

1972年12月号「潮」潮出版社
『わが野獣の青春期――死にたくなったら俺を見よ――』●談話をまとめたもの
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界」新評社
1979年07月「荒野からの銃火」●『痛めつけられた青春の果てに』と改題 角川文庫

1974年秋季増刊号「PHP」PHP研究所
『ビッグ・ゲーム・ハンティング』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1975年「野生時代」角川書店
『我が尊敬するマルコポーロ・シープ殿』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1975年04月号「いんなあとりっぷ」佛乃世界社
『絶望の果てに見つけた人の情け』久保継成との対談●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1976年04月10日号 別冊新評「大藪春彦の世界」新評社
『体験の風化と怒りの持続――権力を恐怖する心といかに戦うか――』五木寛之との対談●
1976年04月 別冊新評「大藪春彦の世界」●新評社
1979年「大藪春彦の世界』新評社
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1976年04月10日号 別冊新評「大藪春彦の世界」新評社
『四十一歳の伊達邦彦は何をめざすか インタビューアー大下英治』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫『伊達邦彦の生みの親は何をめざすか!』に改題

1976年05月03日号「平凡パンチ」平凡出版
『われら大学・早稲田大学』篠田正浩との対談●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫『人類滅びて、ワセダが残る』と改題

1976年06月号「酒」出版社不明
『野生の味』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1976年08月10日 書き下ろし カッパブックス ‎ 光文社
『わが血闘の記録 野獣を撃つ(上下巻)』海外ハンティングのエッセイ
1979年11月25日『ザ・ビッグ・ゲーム』●集英社

 『わが血闘の記録 野獣を撃つ』+モンゴール,カナダおよびモンタナロッキー加筆
1991年10月25日『ザ・ビッグ・ゲーム(上下巻)』●徳間文庫


初出日及び初出誌不明 とりあえずここに置いておく
『射撃人にとっては暗黒時代です』小池一雄との対談●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年02月号「平凡パンチOH」平凡出版
『青春・夢・冒険・野生』西丸震哉との対談●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年04月01日号「週刊小説」実業之日本社
『グレート・アドベンチャーに賭ける』三浦雄一郎との対談●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1977年09月09日号「週刊小説」実業之日本社
『僕の銃歴』●エッセイ
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年04月号「シューティング・ライフ」ライフ出版
『ビッグ・ハンティングの魅力』佐藤修との対談●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年04月01日号「月刊小説」出版社不明(めんどくさいぞ)
『戦士の美酒・苦い酒 インタビューアー井口民樹』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年06月08日号「週刊文春」文藝春秋社
『大藪春彦の入れ込み書評『アフリカの雇い兵』』●書評
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年10月号「青春と読書」集英社
『ぼくたちの体験、ぼくたちの小説』谷恒生との対談●
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1978年12月号「アイ」主婦の友社
『男の中の男だったハンティング・ガイド』●談話をまとめたもの
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1978年12月号「ギャラントメン」メール・オーダー
『ビートルズを撃て!』●談話をまとめたもの
1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫

1979年05月28日号「平凡パンチ」平凡出版
『書斎にあってハンティングを想い、獲物を追って書斎を思う インタビューアー平岡正明』●インタビュー記事
1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫

1979年07月「荒野からの銃火」●角川文庫
『あとがき』●1979年06月記す

1979年07月20日「男たちよ闘いの荒野に死ね」●角川文庫
『あとがき』●

1979年08月23日号「週刊アサヒ芸能」徳間書店
『二輪最大の祭典』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1980年06月号~1984年06月号「コンバット・マガジン」ワールドフォトプレス
『俺とGUN』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社『銃は我が分身』と改題

1980年07月10日発行(書き下ろしとおもふ)「別冊ベストカー」堅省堂/講談社
大藪春彦のワイルド・ドライビング』●赤バッジスリーズ

1985年11月20日全面的に加筆「4WDワイルド・ドライビング」光文社文庫
 削除「第3章 これがオフ口ード・トレイルだ」
   「第4章 闘志でぶつかるサーヴァイヴァルアドベンチャー」
   「第6章 ちょっと手ごわい全国オフロードガイド」
 加筆 アウデイ・クワト口のこととか

1982年04月22日号~1983年10月27日号「スコラ」スコラ社
『素晴らしきアメリカ射撃旅行』●エッセイ
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社

1983年03月03日月刊コンバットマガジン3月号臨時増刊「ナイフ大図鑑」KKワールドフォトプレス
『大藪春彦ナイフを語る 野獣の爪のように機能美を備えたナイフがいい。』●巻頭インタビュー記事10頁


1983年11月号「翼」航空新聞社
『拳銃』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1983年11月30日 書き下ろし 徳間書店
灼熱のサファリ』●1980年08月~10月南ア,ボツワナでのビック・ゲーム・ハンティング・サファリの記録エッセイ

(たしか文庫化されていないハズ)

時期不詳1985年頃か? 初出誌不明
『地獄からの生還 ザ・サヴァイヴァル』◆
1986年12月「地獄からの生還 ザ・サヴァイヴァル」光文社
オリジナルビデオ1995年 『野獣 地獄からの生還』監督:吉田使憲  主演:高嶋政宏 の原作

1993年03月号「酒」出版社不明
『ハンターと酒』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1993年03月号「新潮45」新潮社
『死んでしまった野獣たちへ』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1994年?「Talk talk」いんなあとりっぷ社
『《聞き語り》私の終戦前後』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1994年単行本 カドカワノベルズ
『餓狼の弾痕』●長編

1995年01月号「wan」緑書房
『名犬か、迷犬か? 愛犬チリー』●エッセイ
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1995年04月刊行「復讐のシナリオ」に掲載予定だった
『ハードボイルドの原風景』●海外ハンティングについてのエッセイ
2004年06月「孤高の狙撃手」●光文社

1995年11月 カドカワノベルズ
『蘇る女豹』●長編

時期不明 最後の短編 自費出版「小説アイヌ犬」
『アイヌ犬の咆哮』●
1996年08月「蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界」●徳間書店 
1999年02月「蘇る野獣―大藪春彦の世界」徳間書店

1996年02月26日
死去
死因は肺線維症、肝臓線維症による自然死

1996年08月 徳間書店
暴力租界』●長編/未完
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大藪春彦 うまい具合に 3『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版

2022年02月16日 | 大藪春彦GUN研究
【急告】2021.07.17
新たな資料入手解析、本稿_増補改訂版とした。

 大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部

大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版

大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版

大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの結論的年表

-↓--大藪春彦年表の追補部分
・銃の規制現行法の抜粋
・【ペルナンディけん銃】詳細,
  1958年『血の罠』,1958~1959年『醜聞』,1958年『屍を越えて』,
1959年『その罠を噛み破れ』,1959年06月『次は誰だ』,1959年『夜に潜む』,1960年『みな殺しの歌』
  1987年『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾ
・【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷など
・1960年末頃の猟銃一覧
以下【ベレッタが三万円】について
・1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
・1962年連作短編『名のない男』
・1964年中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950
・エピローグ部分 など

======↓==大藪春彦年表(追補部分)==↓======

-----------↓-銃の規制 現行法の抜粋-↓-----------

早稲田の射撃部で借り物の銃を撃っていたのはどだったのかつーと。
当時貸し銃が使えたんだな。

不許可の要件
・銃砲刀剣類所持等取締法や火薬類取締法に違反して罰金刑を受けた人は、一定の期間、猟銃や空気銃の所持許可を受けることができない。
・やって良いことと悪いことの区別がつかない人や
【悪いと分かっていることをやってしまう人】などは、猟銃や空気銃の所持許可を受けることができない。

射撃練習
・現に猟銃や空気銃の所持許可を受けていなくても、都道府県公安委員会から練習資格認定証の交付を受けた人は、射撃練習を行うことができる。
 ※2009年12月03日まで空気銃は、空気銃射撃場に貸し銃つーのがあって、誰でも借りて射撃できた。
 わたしの新宿射撃場でのエアライフル射撃もこの例。詳しくはリンク記事参照
 朋友の射撃風景↓
 
 ※猟銃の貸し銃は制度としては今もあって「練習資格認定証」あれば撃てる。
早稲田の射撃部で標的射撃は、この「練習資格認定証」を取って貸し銃での標的射撃か、または当時「練習資格認定証」不要で貸し銃(射撃部の銃か射場の貸し銃)での標的射撃だ。当時みんなビンボウだったから、カメラ無いヤツが写真部にいたり、ライフル銃が無い射撃部員もいる。 
この「射撃練習」と、より規制が強い「所持」とは別。

狩猟の場合はどーしても自前の銃でないといけないので、
『野獣死すべし』で「大金」入った途端に銃を買って、狩猟始めた。

------------銃の規制 現行法終わり------------

-----------↓-【ペルナンディけん銃】,『血の罠』, 『醜聞』,『屍を越えて』,『その罠を噛み破れ』,『次は誰だ』,『夜に潜む』,『みな殺しの歌』,
  『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾについて-↓-----------

【ペルナンディけん銃】大藪初出はこれ↓
1958年推定09月~1959年01月の号
「週刊アサヒ芸能」連載 全15回(大藪長編2作目/専業作家のはじまり)
『血の罠』
表記 V・Bベービー
   ヴェルナルディリV・Bのオートマチック
---引用---
第5回「殺気」推定1958年10月末号から11月頭号掲載
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、
【鞣し革のホルスター】に入った
【青色の小さな自動拳銃】と弾薬の入った革サックを抜き出した。
【全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチック】には初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、
【半月状型の引金の部分が大きく見える】。
ベークライト製の銃把と引金の間の安全止を押しさげた田島は、銃把の左後ろについた
【蛇の目模様のボタン】

を圧して遊底被を引き、薬室にウインチェスターのセンター・ファイア弾を一発装填し、スライドをもとに戻した。撃針がスライドの後に突き出して撃発装置になっているのを示している。安全止を押し上げて、銃把の弾倉室から弾倉を引き抜き、五発装填して弾倉室に戻す。
拳銃をホルスターに収めた田島は、ズボンの右裾をまくって、脚に革帯で括りつけた。
(【ペルナンディけん銃二万円】は、いきなりスネ拳銃であった)

「そうだ、これ……要るだろう?」新田はポケットから七発入りのルーガーの弾倉と、口径九ミリのレミントン百二十四グレイン弾を三十発近くつかみ出してテーブルの上に置いた。
田島の目が異様に輝いた。一発一発ハンカチで丁寧にぬぐって
【REM-UMC9m/mLUGER と彫られた薬莢の尻】を下にして立てていく。

第7回「火を吐く小銃」1958年11月中頃
その右手はさりげなくV・Bベービーの拳銃を隠した右足の裾にさがっていく。

銃声の一瞬前に、田島は体を後によじって転がりながら、右脚にくくった小さな自動拳銃を抜き出した。

田島は石の蔭に身を伏せて、安全装置を外した全長4・1/8インチの小さな二十五口径自動拳銃の狙いを七十メーターばかり離れた林につけた。

第8回「疑惑の影」1958年11月下頃
広島のヤクザから捲き上げたV・Bベービーの小さな自動拳銃(オートマチック)は彼の脚にぴったり密着し、靴下止めと変らぬようになった。十四年式軍用拳銃で満点を記録したこともある鋭いカンを感覚が甦った。彼はその小さなオートマチックを自分の五本指の一つのように、正確で自由自在にあやつるようになった。青黒く冷たい光を反射する手慣れた銃器は、もはや一個の物体でなく、意のままに死を送る自分の分身として感じた。
(こんなに気に入っていたのか)

第15回「最後の銃声」1958年12月頃
手錠をかけられた両手が、そろそろと下に垂れ、ズボンの下の右脚につけた小さなV・Bの自動拳銃に這っていった。

鋭く小さな銃声とともに、村井は言葉を呑んで、グウッと体中の息を吐きだし、ポツンと真白なシャツにあいた穴から赤いしみの拡がる胃を両手で圧えて身を折り、田島の方に放心したような目をやった。
右脚にかくしてたホルスターから引き抜いた、六連発二十五口径のヴェルナルディリV・Bのオートマチックをテーブルの蔭から持ち上げた。
「気を持たせて悪かったな」深い悲しげな声が喉の奥から出た。それとともに血がこみ上げてきた。
田島は口にたまった血を村井の顔に吐きつけた。手錠のかかった両手の中の、小さな青色の自動拳銃が、五度軽やかに踊り続けた。キラキラ光る小さな空薬莢が薄い煙を吐いて舞い上がった。
肘掛け椅子に縫いつけられた村井の片眼鏡が微塵に飛び散った。左右の目は血しぶきをあげて裂けた。悲鳴を発した喉から声帯が露出した。
田島はV・Bのオートマチックを捨て両手を伸ばして、テーブルの上のルーガーを握った。
------
この
V・Bベービー
ヴェルナルディリV・Bのオートマチック
がだな、
Bernardelli Baby Model
つーやつだ。
欲しかったのだ。
1958年10月頃米軍軍曹殿から買ったのだ。
たぶん青色で二万円なのだ。
おそらくは .22LR 弾倉6発+薬室1発=7発 なのだ。

イタリア人の発音をカタカナで書くと、
【ベルナルデッリ】が一番近いな。
イタリア語は基本ローマ字読みでよい。(いくつか使わないアルファベットがあるゾ)
【ヴェルナルディリ】先頭はBなので「ヴ」はおかしい。でも、ふいんきは一番近いかな。
【べルナルディリー】おしまいは「lli」だから伸ばさない
【ペルナンディ】だから難しかったのよねえ。

Bernardelliの社名は、
Vincenzo Bernardelli S.p.A. という。
拳銃の左側には、例えばBaby Model.22LRの場合で
---
V.BERNARDELLI GARDONE V.T.CAL.22 LONG
MADE IN ITALY
---
って打刻してある。
なぜか Baby とは書いてないな。拳銃にベービーが似合わないからか。
またグリップの右側には「VB」のマークがある。

正確な年月不明なるも、
1960年台の米国雑誌広告に仕様と価格が出ている。
表題には
BERNARDELLI AUTOMATIC PISTOLS と出ている。
仕様は
Coliber: .22 Short,.22 Long,or .25 Auto.
Magazine: .22 Cal.-6 shot: .25 Cal.-5 shot.
Barrel:2+1/8 inches, stationary.
Length: 4+1/8 inches;
Weight 9 ounces;
Sights:Non-projecting;
Stocks;Bake?te;
Safety; Pasitive thumb safety;
Finish: Blued.
--別の情報源↓
全長:106.5mm、
全高:69mm(5連装マガジン使用時)、68.5mm(マガジンなし)
厚さ:20.5mm。
質量:260g(弾薬無し)。
銃身長:53mm
口径:6.35 mm Browningまたは25 acp;
弾倉:通常弾倉5発/オプション弾倉8発
 グリップを下に延伸する形状のオプション8発弾倉あり。
 本体と同時購入で$3、後から別売りで$4。

(いやだっ、營繕マン、なの)
機構の種類:シングルアクション
胴体左側の安全レバー,チャージャーの安全性
すべてスチール製(バットパッドを除く)

製造年はよくわからないが1945年頃~らしい。
1949年製の現物寫眞はみた。

モデル名と価格の項には
V.B. .22 Short $33.40
V.B. .22 Long $33.40
V.B. .25 Auto $33.40
スペッシャル・デラックス・モデルとして
V.B. BABY .22
With bright ,polished Finish $51.50
With bright polished Finish and deluse hand engraving $61.00
With gold-piated, engraved $81.00
V.B. VEST POCKET .25
With bright ,polished Finish $51.50
With bright polished Finish and deluse hand engraving $61.00
With gold-piated, engraved $81.00
だってさ。

V.B. ○○と呼んでいたんだな。
.22ショート,.22LR,.25ACPとあったわけだ。
また、たぶん関税かかってる外国製拳銃なので高いゾ。
ハンドバック内携帯用にキラキラモデルもあった。

別の雑誌広告

なるほど
1959年【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】
1960年【掌に入るほど小さいヴェルナルディリ】
なの。
中央がキラキラモデル。

さて、
・弾倉収容能力が、.22は6発、.25は5発と差があること、
・『みな殺しの歌』に出てくるのは.22LR六連発であること、
から、実際に買ったのはやっぱ Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long だな。.25 の、5連発はいかにもさびしい。かといって、8連発延長型弾倉にすると【掌に入】らないし、【ソフト拳銃】もできないわ。營繕マンだしね。
.22LRだと弾薬も、大藪1958年購入ウィンチェスターM52用 .22LR がそのまま使える。
ところが
Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long を買ってマッチ・ターゲット実包つかって四畳半射撃したら、銃身の極短い拳銃のくせに安アパートの壁をカンタンに撃ち抜いた
 銃声も↓
1962年07月『野獣都市』 アサヒ芸能出版 単行本化前連載「アサヒ芸能」
「錯覚」
---引用---
と、吐きだすように言うと、ベレッタ小口径自動装填式拳銃で、市原の頬を殴りつけた。…有間はべレッタの撃鉄を起こすと、銃口を市原の睾丸に押しつけて、無造作に引金を絞った。
なるべく
【銃声を消すために、競技用の〇・二二スーパー・マッチ弾を使用】したのだが、長い銃身の小銃で射てば小さな銃声しか出ないその弾も、短い銃身のポケット拳銃から発射されると、オレンジの火箭(ひや)とともに、鋭く吠えた。
------
 なかなかうるさいし
 ので  ↓
【ベレッタが三万円】の時は .22 Short ぢゃああんまりだし、.25 ACPにしてみたが、やっぱ壁をカンタンに撃ち抜いた
つーのは後の話、なの。

ともあれ。
遅くとも1958年10月には【ペルナンディけん銃】が欲しくて買ったのだ。
単純に【ヤクザが売りに来た】という感じではないとおもいなおした、のよね。

2021.09.08追記 まだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がするのでそこにおくゾ↓
1961年05月 『醜聞(スキャンダル)』短編集「野獣死すべし」浪速書房に初収録
表記 【ヴェルナルディリV・B】
なっ、表記もそうだろ。

2022.02.16追記 そのうえしかもまだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がする上、ヤクザが礼金を五千円札で渡しているから1958年の作品であろう。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
1961年01月 『屍を越えて』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
〇・二五口径だしね。

2021.12.15
初出誌確定
1959年02月号「面白倶楽部」光文社
『その罠を噛み破れ』
表記【V・Bベービー】

2021.09.25追記 やっぱ1958~1960年の短編にあった
1959年06月号 小説倶楽部掲載 『次は誰だ』
表記 【超小型ヴェルナルディリ】

2021.09.11追記 更にまだあった
1961年01月 『夜に潜む』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。

1960年04月17日号『みな殺しの歌』「アサヒ芸能」
表記 【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
(〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰)

『GUN教室』1966年10月30日初版
連載1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」『GUN相談室』
表記 【べルナルディリー・ベイビー】
この寫眞キャプションの「M60」部分は誤り。
M60は一回り大きなやつだ。
---
P73寫眞(訂正書によりP91寫眞を入れ替え)


上:べルナルディリー・ベイビーM60(口径不明)
左:ベレッタ(M)950Bジェット・ファイアー(.25ACP)

1965年03月01日新聞記事では
表記 【ペルナンディけん銃】
なのです。

なんで、【ペ】になったのかしら?

ひょえー。
まだあったわよ。
1970年 週刊アサヒ芸能連載『奴に手錠を…』
「潜む」
表記 ヴェルナディリ
---引用---
「…イタリーの伯爵号を持っているピエトロ・ヴェルナディリの別荘よ、別荘といっても城だわ」
「ヴェルナディリが、ロワ・ド・フェールのボスなのか?」

------
ヴェルナディリつう人名だけで、【ペルナンディけん銃】は出てこないけどね。
んでこの「ヴェルナディリ」なる人物は小説最後まで出てこないんだけどね。

1973年09月 TOKYO BOOKS『沈黙の刺客』
「捕える」
表記 【ヴェルナディリ拳銃】
---引用---
…そして、ジャガーの向こう側に、四つのソフト帽の一部が見えた。

両肘と両膝を射ち砕かれて倒れた男は悲鳴をあげ続けていた。近くに転がった
【ソフトのなかに、小型のヴェルナディリ拳銃がテープで留めて】あった。
信原が近づいたとき、油断を見すまして、その拳銃で射とうと考えていたのであろう。
------
たぶん大藪最後の【ソフト拳銃】きました!
1973年といえば、1965年03月01日逮捕から8年。
1969年04月01日猟銃再許可からも4年経過している。
もうソフトかむる人も居なくなっている頃だ。
たぶん「四つのソフト帽の一部が見えた」と書いてしまい、
「ソフト帽」→【ソフト拳銃】→【ヴェルナディリ拳銃】と連想したのであろう。
【ソフト拳銃】であるから、V.B. ○○でキマリだ。
この【ヴェルナディリ拳銃】は拾われも、壊されも、遠くに投げられもせずに、上記の描写だけでおしまいである。

表記一覧
1958年 イタリア製V・Bベービー 『血の罠』
1958年 ヴェルナルディリV・Bのオートマチック 『血の罠』
1958~1959年 ヴェルナルディリV・B 『醜聞(スキャンダル)』
1958年 ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃 『屍を越えて』
1959年02月号 小さなイタリア製V・Bベービー 『その罠を噛み破れ』
1959年06月号 超小型ヴェルナルディリ 『次は誰だ』
1959年 イタリア製ヴェルナルディリ 『夜に潜む』
1960年 ヴェルナルディリ超小型自動拳銃 『みな殺しの歌』
1961年 べルナルディリー・ベイビー 『GUN教室』
1965年 イタリア製のベルナンディ・ブローニング (週刊誌記事)
1965年 イタリア製ピストル「ペルナンディ」 (新聞記事)
1965年 ペルナンディけん銃 (新聞記事)
1965年 ベレッタ (高松の坂○組内での当該イタリアのチャカの通称)
1970年 ヴェルナディリ 『奴に手錠を…』
1973年 小型のヴェルナディリ拳銃 『沈黙の刺客』
こんなにイロイロバラバラぢやあ、わかんねえよな。

2021.09.08追記 まだあった
 読んだ調子が1958~1959年の気がするのよ。
 表記も【ヴェルナディリV・B】だし。
1961年05月 『醜聞(スキャンダル)』短編集「野獣死すべし」浪速書房に初収録
※1979年09月30日『殺しは俺の稼業』巻末初出誌一覧でも初出不明である
---引用---

スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。【丸い蛇の目模様の安全止め】がついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
(引用註: .25ACPは弾倉5連発。25口径と云っているので、.22LR買って間もなくであろう。ここからも1958~1959年頃の作品だ)

トイレに入って足からヴェルナディリV・Bの小さな自動拳銃を外した。スライドを引いて撃発状態にした。細い円筒針の撃針が遊底の後ろに突出た。再び安全ボタンを【回してかけ】、ズボンのポケットに移した。

安達は捻った。左に転がりざま銃の安全装置を外した。再び銃火が閃き、安達の膝の近くでパァッと土煙が飛散った。安達は閃光にむけて自動拳銃の【半月形の引金】を絞った。
弾が肉にくいこむ衝撃音と、獣のような悲鳴がもれてきた。左側の男が右手首を射貫かれて拳銃を放りだし、左手で右手首をおさえて地面を転げまわった。

安達は腹ばいになり、その拳銃を狙って引金を絞った。
同時に、空き地の左側から続けざまに閃光が死の舌なめずりをした。目の先から打ち飛ばされた拳銃を見て愕然とした男の体がそり返り、地面の上で小きざみに跳ねた。
10
安達はコートのポケットの中で拳銃を握りしめ、落ち着いた足どりで門に近づいた。

安達は自分のヴェルナディリを尻ポケットにおさめた。
---引用終わり---
「夜」の描写も、暗くていい感じなのだ。

2022.02.16追記 しかもまだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がする上、ヤクザが礼金を五千円札で渡しているから
1958年の作品であろう。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
1961年01月 『屍を越えて』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。

サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
------
やっぱペルナンディけん銃はいい者が使うのであった。
この堪えたようなタッチで、暗い聖俊の傷口を書く感じと、五千円札で、1958年でキマリだ。
この後で、東雲の船の解体場で撃ち合うのよね。
東雲といえば『みな殺しの歌』1960年でおなじみ。
未だクルマの免許なかったのに、よくたどりついたなあ。

2021.12.15初出誌確定
1959年02月号「面白倶楽部」光文社
『その罠を噛み破れ』
表記【V・Bベービー】
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】や、
消音装置つきのまで現れた。一九四四年ヒトラーがナチス親衛隊のためにチェッコで作らせた無音拳銃までが日本に密輸され、国内には百種類を超す拳銃がひしめいている。
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2021.09.25追記 やっぱ1958~1960年の短編にあった
1959年06月号 小説倶楽部掲載 『次は誰だ』
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
ラスト近くで唐突に出てくる
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃を離さぬ俺にスリルを感じるのか。

俺は一瞬にして事態をさとった。サッと膝をついて足につけた自動拳銃に手をのばした。…
しかしその時には、俺の手にヴェルナルディリ三十二口径のオートマチックが安全装置を外されていた。(引用註:誤記。32口径ではいつも脚につけておく訳にはいかない)
俺は尻餅をつきざま身を前に伏せて引金を絞った。明も再び射った。
銃弾はおれの肩口をかすめて壁をふるわせた。
明は、胸に俺の弾を喰い、ダダッっとよろけた。俺は弾倉の尽きるまで、狂気のように七発射ち続けた。(引用註:.22は弾倉に6発。さては不法所持偽装のため.25ACPにすべきところ、このシーンでは7連発のほうがいいので.22を使うことにしたため、筆がよじれてしまい32口径と書いたな)
---引用終わり---
薬室に装填して脚につけてたのか。
サッとかダダッとかの擬態語が出てくるわね。

2021.09.11追記 更にまだあった
1961年01月 『夜に潜む』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、【青光りした】小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃は【イタリア製ヴェルナルディリ】。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので【引金の部分がずいぶん大きく見える】。【銃把はベークライト】だ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
江原は拳銃の遊底被(スライド)を左手で引いた。銃身と遊底の主要部が露出した。江原は銃把の左後ろのボタンを右の親指で圧(お)しつけておいて、【スライドを上にポツンと外した】。遊底部分や引金の爪にオイルを注ぐ。再びスライドを銃にはめこみ、後にひいた。手をはなすと、バネの力でスライドは前に戻り撃発状態になった。引金をひくと、【軽やかに撃針は空をうつ】。
江原は再びスライドを引き、スライド・ストップの掛金をかけ、遊底を開いたままにした。銃身の後ろの薬室に実包をつめようとして考えなおした。安全止めはあっても、暴発のおそれがある。掛金を外してスライドをもとに戻し、銃把の弾倉室から弾倉をひきぬく。
挿弾子の上端から〇・二五の被甲弾を一発ずつ五発つめる。弾倉を弾倉室に【カチンと戻して】、チュッと銃把に接吻した。
卓子の抽出しから幅の広いゴムのバンドを出し、右のズボンの裾をまくって、【臑】にはめる。皮膚とバンドの間に自動拳銃を差し込む。【ピチッと固定】した。

江原は素早く行動を開始した。両手首をしばられた手を右膝に走らせ、ズボンの裾をまくりあげて臑につけたヴェルナルディリ小型自動拳銃をひきぬいた。
超小型自動拳銃のスライドを歯でくわえて引いた。歯をはなすと、スライドは弾倉の弾をひっかけて薬室におくりこんだ。【ピチッと音がした】。
金属音を聞きつけた達は、懐中電灯の光をサーッと江原に投げた。罵声を発して懐中電灯をすてた。甲高い音をたててレンズが砕け、一瞬にして闇が襲ってきた。
江原は横に転がった。水道の近くで青白い閃光がひらめいた。銃声はつきぬけるように鋭かった。江原のいたあたりのコンクリートに跳弾の炎が走った。
達は続けざまに射ってきた。削られたコンクリートの破片が江原の頬をさした。発射の閃光を狙って、江原は両手でおおった拳銃の引金を絞った。
銃身が短いだけに、〇・二五の小さな弾でも耳をつんざくような轟音を発した。肉にくいこむ弾の不気味なひびきがつたわった。
達の拳銃は、痙攣するように一,二度舌なめずりした。江原は再び引金を絞った。

江原は達のポケットから自分の財布を奪いかえした。ライターが焦げるように熱くなってきた。江原はライターをポケットに落とし、奪ったS・Wを右手に、左手にヴェルナルディリを構えてガレージからとびだした。

ワイシャツの下の腹には、目だたぬようにヴェルナルディリ小型自動拳銃を差してある。全弾装填してある。

江原の右手は蛇のようにマットの下にのびた。隠してあったヴェルナルディリを抜き出し、素早く安全止めを外しながら引金を絞る。振りむきかけた社長の手からブローニングが快音を発してふッ飛んだ。
社長は痺れた右手をおさえて茫然と突っ立っていた。
江原は左手に持ちかえた拳銃の銃口で社長を威嚇しながら、床に落ちた空薬莢を拾ってポケットに入れた。
---引用終わり---
出てくるのは、青色のヴェルナルディリV・B .25ACP ですな。
1959年の作品でキマリであろう。
花ビンの底から取り出して武装する描写が特にいい感じだ。
1958年~1960年頃の短編には、まだまだ【ペルナンディけん銃】が出て来そうですなぁ。

『みな殺しの歌』「アサヒ芸能」
1960年04月17日号~1960年09月18日号にかけて
---
1960年04月17日号『生への渇望』のラスト一行
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。


1960年04月24日号『巣』
「便利なものを持っているじゃないか」
衣川は、左手でグローブ・コンパートメントから引っぱりだした〇・二二口径ヴェルナルディリの超小型自動拳銃を見つめた。
そのイタリア製拳銃は、小さいだけでなく非常に軽かった。銃把はベークライトでできており、銃身も極端に短かった。…
衣川は左手でヴェルナルディリ小型自動拳銃を引っぱり出してみた。遊底の後に撃発を示す示針が突き出していないところを見ると、薬室は空になっている。
銃把の弾倉室から、弾倉を抜いて調べてみると、〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰まっていた。護身用には十分役立つだろう。
弾倉を弾倉室に戻した衣川は、掌より小さいその超小型自動拳銃をどこに隠そうかと迷った。
ズボンの裾をまくりあげて臑にくくりつけるのもいい。しかし、衣川はソフトを脱ぎ、それをひっくりかえして裏地の縫い目を少しはがした。そこからソフトに小さな自動拳銃をさしこんだ。
ソフトをかぶり直してみた。
【頭上の小さな自動拳銃の重みは、慣れるとほとんど感じない】ほどになった。…
衣川は小型拳銃をひそめたソフトを目深にかぶり、茶褐色のサン・グラスをかけていた。…
---
【ソフト拳銃】きました!
この【ソフト拳銃】は、埋立地→貸しボート→巡視艇→釣り船→トヤの間にも、頭上から離れることはなかった。
ヴェルナルディリでの【ソフト拳銃】と【スネ拳銃】は実際に街中で試してみたんじゃないか。

1960年05月08日号『虐殺の原』
大森のベアード自動拳銃を闇の中に蹴りこんだ。(にもかかわらず)
1960年06月05日号『待つ』
胸の高さにまでトヤの囲みがとどいた。頬に潮風が吹きつけ、ソフトを飛ばしそうになった。

1960年06月12日号『待ち射ち』
ソフトを脱いだ。ソフトの裏地に小さなベアード拳銃が隠されてあった。それを引っぱり出した衣川は、ハンティング・コートの脇のポケットにしまった。…
(瞬間的に【ソフト拳銃】がベアードになった/ベレッタだったら間違えなかったであろう)

1960年07月03日号『再び街に』
左手に、残り三羽の鴨の足を束ねた麻紐と、銃ケースに分解して入れたフランキを提げていた。ケースの中には超小型ヴェルナルディリ拳銃を隠したソフトも入れてあった。…
(よかったよかった)

1960年07月10日号『小休止』
そばの卓子には、口径〇・二二インチのヴェルナルディリ超小型自動拳銃を仕込んだソフトが置いてあった。…

1960年07月17日号『決死の密会』
衣川は、かむっていたソフトをそっと左手で脱いだ。ソフトの裏地の裂け目をさぐり、超小型ヴェルナルディリ自動拳銃を引っぱりだした。
〇・二二口径だから、うまくやれば、さほど大きな銃声はしないだろう。衣川は掌に入るほど小さなヴェルナルディリを左手に持ち、親指を逆にそらせて、銃の左側の蛇の目形の安全装置を押しさげた。

カチッ……と安全装置の外れる音がした。
「動くな!」
闇の中から刑事が声をかけた。
(薬室に装填し、撃鉄がコックされ撃発準備位置に後退したまま【ソフト拳銃】にして頭にのせてたんだなあ)
その声を狙って、衣川は発砲した。銃身が短いため、二十二口径でも相当に鋭い発射音がした。銃口から青白い閃光が流れ出た。小さな銃弾は、刑事の開いた口から入り、下顎を砕いて頬骨でとまった。
…衣川は左手のヴェルナルディリを、刑事の肩に押しつけるようにして引金を絞った。圧迫された銃声は小さかった。エジェクターで遊底からはじきだされた小さな空薬莢が、ピーンと金属製の音をたてた。
刑事は二,三センチ後にはねとばされ、そのまま動かなくなった。鎖骨の上から入った弾が内蔵を破壊したらしい。…
そのとき初めて、自分がまだ左手にヴェルナルディリ拳銃を持っているのに気がついた。安全装置をかけ、急いでソフトの裏におさめた。…

1960年08月14日号『十字火』
目深にかむったソフトが吹きとびそうになり、裏地の中に隠した超小型ヴェルナルディリ自動拳銃の重量に救われてかすかに頭にまとわりついていた。
「………」
衣川はくいしばった歯の間から罵声を漏らした。跳ねあがる白バイのハンドルから器用に左手をはずし、ソフトを掴んで背広の下に押し込んだ。…
ヴェルナルディリ小型銃をひそめたソフトだけは、制服の腹の下にしまい、拳銃吊りのベルトを締めた。…

1960年08月28日号『水面の花』
腰に吊った警官のS&W拳銃、制服の下に突っ込んだヴェルナルディリ超小型拳銃入りのソフト、ポケットから出したコルト・ディテクチヴ・スペッシャル拳銃などを、ヘルメットの中に落した。

1960年09月18日号『蝋燭と女』
そのヘルメットには――S&W四十五口径、ヴェルナルディリ超小型〇・二二口径、コルト・ディテクチヴ・スペッシャルの三つの拳銃と、弾薬などが入っていた。
【ヴェルナルディリをのぞく拳銃は革ケースにおさめられていた】。…
---
1960年09月18日号のこの部分がヴェルナルディリつー語出てくる最後。以後は「数丁の拳銃と弾薬」とくくられる。
次章『サディスト』1960年09月25日号の執筆時【ベレッタが三万円】買っちゃったから、ベレッタ・ミンクスなどが出てくるわよ。

結局【ペルナンディけん銃二万円】用のホルスターの有無は不明だ。

【ペルナンディけん銃】は1960年まで主人公の護身用としてのみ登場している。
んで、1960年09月10日頃【ベレッタが三万円】を買うので、それ以降は1973年『沈黙の刺客』に相手の武器として出てくるだけだ。

◆ついに判明!!2021.07.21
【ペルナンディけん銃】【ペ】のナゾ
【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】からであった。
  ↓
1987年07月13日発行
『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』そえじまみちお著 ピラミッド社
「讃岐の侠気/TTTT」(TT氏は1987年当時、高松の坂○組三代目組長)
1987年に1962年~1965年のことを訊ねているから、話されている記憶と、事実が異なっている箇所有り。
せっかくなので引く。
1965年当時、坂○組二代目組長はBB、記事では親爺。
組長BBが、大藪の友人AAから【ペルナンディけん銃】を七万円で買った。
後、組長BBは組員CCに【ペルナンディけん銃】を譲渡。
インタビューされてる人物は、当時それらをそばで見ていた坂○組組員TT当時25歳。
読みやすさのため、適当に改行を入れる。
---引用---
「大藪春彦の拳銃事件がありましたやろ。あれ、うちが咬んでいて、組を解散させられてるんですわ。
この人(引用註:大藪)は高松の出身ですわ。この先生もうちの親爺(引用註:二代目組長)の時代に組織のこといろいろ訊きに来よったですよ。そやから一回、以前に本になっとりますわ。
そーゆーようなことで関わり合いになって、この人がイタリアのチャカ(=拳銃)持って来たわけやね。
初め(引用註:大藪が逮捕直後はの意)、千葉の沖のなに云うんかな、千葉の海岸に放ったと言いよったらしいんですけど、
やっぱりこっちは阿呆ではないわな、警察も。問い詰めたらやっぱしこっちへ廻しとったと。それでなかったらこっちから挙がった品物が合わんわけよね。
普通では入らんようなルートから……日本では三つしかない言いよったからね。ベルナンディ云うて十五連発やった。
で、この香川県警ではベレッタ、ベレッタ言いよったんよ。ワシ等もな。英語(イタリア語?)よう読まんから我々はベルナンディと書いとんのをやな、誰ぞがな、中途半端に知っとんのがベレッタ言いよったん。
して、
【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】。初めて見る拳銃やから…。東京の警視庁持って行って、初めて日本に三つしかないベルナンディやて分ったんよ。
大きかったですけど軽いですわな。だからポケットに入れとっても、どもないわ。
で、そー云うような事件で親爺(引用註:二代目組長)やなんか…大方、十人ぐらいが関連して皆もっていかれてますわ」
「そん時、(警察は)組を解散するなら親爺(引用註:二代目組長)の保釈を認める言うて、それを姐さんが承知したんです。高松を二分した坂○組解散って、新聞に大きく出ましたわ。昭和四十年(1965年)の十月でしたな」
昭和三十九年(1964年)一月、警視庁の第一次組織暴力取締頂上作戦が始まり、組織の中心人物の検挙、資金断絶、凶器摘発強化、対立抗争早期鎮圧を展開していた最中の解散ということになる。
------
事実と異なる箇所
・二代目組長BBと大藪の面識があった点
・二代目組長BBに大藪が取材に来て、作品に書いた点
無しだろ。
---
2022.10.23 追記
二代目組長BBに【ペルナンディけん銃】を七万円で売りに来た大藪の友人AAを大藪と思い込んでいるのであろう。
【そやから一回、以前に本になっとりますわ】↓
AAに取材し、四国K県T市坂田組を舞台にした
1962年07月27日 「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』
のことであろう。
この小説があったため、更にAAを大藪と思い込んでいるのだ。
あるいはAAが「自分が大藪である」と詐称した可能性もあろう。
---
・大藪が二代目組長BBにチャカ持ってきた点
・初め千葉の海に捨てたと供述していたという点
これは1965年03月の新聞記事,週刊誌記事から誤りとわかる。
チャカ持ってきたのは、大藪の友人AAである。
また捜査は、けん銃の流れのルートを逆にたどっているから、
組員CC→組長BB→友人AA→大藪の順にタイホなのだ。
・ベルナンディ云うて十五連発やった。
ええー。
・大きかったですけど軽いですわな。
軽いのはそうだが。何かと記憶が混ざってるな。

事実らしい点とかおもろい点
・うちの親爺(二代目組長)の時代に組織のこといろいろ訊きに来よったですよ。
友人AAと二代目組長は、ある程度の頻度で会っていたんだな。
・そやから一回、以前に本になっとりますわ
前述した。
・普通では入らんようなルートから……
組のみなさんは、米軍軍曹とか少尉とかとは交流してなかったようだ。
・日本では三つしかない言いよったからね
友人AAが二代目組長BBに、【ペルナンディけん銃】を7万円で売りに来たときのセールス・トークであろう。
7万円は高い。
・ベルナンディと書いとんのをやな、誰ぞがな、中途半端に知っとんのがベレッタ言いよったん。
組内部では、通称【ベレッタ】だったようだ
・◆【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】
だから【ペルナンディけん銃】なのか!
・日本では三つしかない言いよったからね。
まーねえ。めずらしいよね。
・だからポケットに入れとっても、どもないわ。
ソフトに入れてもどもないゾ。
・親爺やなんか…大方、十人ぐらいが関連して皆もっていかれてますわ
なるほどねえ。
坂○組二代目組長BBと組員CCが、そのうちの二人である。

1964年01月
警視庁第一次組織暴力取締頂上作戦開始
組織の中心人物の検挙、資金断絶、凶器摘発強化、対立抗争早期鎮圧
これによって、
↓ 凶器摘発強化
1965年02月14日
↓坂○組組員CC方家宅捜索,【ペルナンディけん銃】発見押収
 及び組員CC逮捕
↓ 組織の中心人物の検挙
1965年02月14日CC方家宅捜索と同日か
↓坂○組二代目組長BB逮捕(上記記事では親爺と呼ばれている人)
1965年02月末まで          ↓
↓大藪の友人AA(?組員?)逮捕     ↓
1965年03月01日     ↓解散したら保釈してやる 
 大藪春彦逮捕      ↓姐さんが承知した
             1965年10月 坂○組解散(二代目)
となったわけね。
------------【ペルナンディけん銃】の項おしまい------------

-----------↓-【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷-↓-----------

【ベレッタが三万円】が高いか安いかをみよう。

『GUN教室』1966年10月30日初版に
「オズワルドが銃を購入する時、利用した銃の通信販売広告」が載っている。

ドイツ製ルーガーP08 $39.95
ドイツ製ワルサーP38 $34.95

寫眞が小さいのは印刷がつぶれてて型式がよくわからないが、
自動式拳銃で$17.95~59.95
輪胴式拳銃で$14.95~39.95
である。

この広告のドイツ製拳銃には、
米国の広告なので関税がかかってるであろう。
内国製自動式拳銃であれば$20~30かな。

各国でも同様とすると、
イタリア国内では
ベレッタが高くても$20~30(小型拳銃だから安いとおもふが)
ペルナンディ拳銃は$15~20(メーカー品でないから相当安いとおもふぞ)
この程度とみる。

『探偵事務所23』1962年に当時のヤミドルの相場がかいてある。
$1=¥380 だったそうな。
(公式には$1=¥360)
当時円ドルは固定相場であったから、
大藪が拳銃を買った=ヤクザがイタリアで仕入れた1960年にも同じだったであろう。

するとイタリアでヤクザが仕入れたときの価格は、
ヤミドル円換算
ベレッタM950 .25(ベレッタ・ジェット・ファイア)
$20~30→¥7,600~11,400-
ペルナンディ拳銃
$15~20→¥5,700~7,600-
であろう。

すんと、
【ベレッタが三万円】は、
推定仕入れ¥7,600~11,400-
販売¥30,000-
なので、ざっくり3倍にはなっている。
ヤクザ屋ならこんなものであろう。

ペルナンディ拳銃は、
推定仕入れ¥5,700-~7,600-
2021.07.16 修正↓
販売 ¥20,000-
推定は正確であった。

結論として
【ベレッタが三万円】という小林証言は正確だなあ。

---
補記
『人狩り』1962年10月初版新潮社ポケットライブラリー
(初出不明だけど、1962年の春頃ぢやないかな)

ヘロイン入手。
仕入れ価格が出てくる。
---引用---
「俺たちも、御多分にもれず麻薬を扱っている。取引きの直接の相手は柴田という日本人のブローカーだが、その上のほうは台湾系の大物だ」

(取引き)
弁当箱のような包を受けとった三波は、それを開いてみた。金属製の箱のなかに、百グラム入りの缶が十個おさまっている。

(閃光隠却器(フラッシュ・ハイダー)が見えたので逆襲。金を取り返す)
三波は再びバッグを開いた。百万ずつの札束をテーブルに積み、
「一千万ある。山分けで五百万ずつだ」
と、瞳を異様に輝かせた。
------
ヘロイン100g*10=1000gで一千万円だから、
一万円/グラムである。

米軍中尉からヘロインを代金代わりとして、
M1911 .45ACP(GIコルト)を入手する。
拳銃とヘロインの交換レートが出てくる。

取引1回目。
---引用---
「何丁だ?」
金網をへだてて、石橋は英語で中尉に低く尋ねた。
「一ダースと、弾薬が千発。一度にこれ以上は無理だ」
両手に掲げていた荷を降ろした中尉は、黒人特有のしゃがれた低音で答えた。
「仕方ない。次の仕事を、できるだけ早く頼む。電話で連絡するからな。これが報酬だ。五十グラムもある。あんたにとって、こんな有利な取引は無いはずだ」
石橋は無造作に、内ポケットから、ふくらんだゴムの袋を出し、金網の目から中尉に差し出した。
中尉は、飢えたけものが肉片にとびつくような唸りを漏らして、それをひったくった。ゴムの袋の口を開いてヘロインを鼻で嗅ぎ、長い満足の吐息をついた。
------
米軍の軍曹だの少尉だのは、拳銃を売ってくれるのだな。
ヘロインは一万円/グラムであるから、
ヘロイン50g=50万円=GIコルト12丁+弾薬千発
弾薬を12丁で均等割にすると、
GIコルト1丁+弾薬83発≒四万二千円となる。

取引2回目。
---引用---
「奴はどのくらい要求してきてるんですか?」
「二百グラム……拳銃五十丁に対してだ」
張本は吐きだすように言った。
「すると、薬の仲値から計算しても、一丁四万円といったところですな。安くない買物になりそうだ」
「無茶だ。拳銃が欲しくてウズウズしてても手に入れることができない連中には、一丁が十万でも高くないだろうけどな」
------
弾無しGIコルトが四万円で「安くない」のだそうな。
これがあんまり高いので、取引後に中尉を殺すことにした。

あんまり長くてつかれたので、ガッツ・ワンとぴぴんHを飲もう。

もう1箇所ある。
この五十丁の半分を横流しするシーン。
こちらの組は武装に苦労している。
---引用---
「拳銃(ハジキ)をまとめて買いたいとおもわないか? 米軍から直接流れてきた四十五口径だ」
水野は言った。
「何丁?」
小野寺は尋ねた。くわえたタバコに火もつけずに水野の返事を待つ。
「二十五丁。これだけまとまれば、あんたの組の平幹部にも全部行き渡るんじゃないかな?」
「値段は?」
「大きくまけて、一丁五万ではどうだ? ポンコツと違って立派に命中し、殺傷力だって減ってない銃だぜ」
「弾を十発ずつつけるんなら、その値でいい。だけど、弾(こども)なしじゃあ、一丁三万といったところだな」
小野寺は言って、タバコに火をつけた。
「よし、弾なしで一丁四万。それが嫌なら、大和興行に渡す」
水野は吐きだすように言った。
「買った。いつ渡してくれるんだ?」
------
弾なしの新品GIコルトで四万。
数は揃ってるけどね。
なお、弾十発付きなら一丁五万で買うと云っているが、駆け引きもあるからなあ。

おそらく新品GIコルトはこの1962年頃には、
武装に困ってないところで弾無し一丁三万,弾十発程度付き一丁四万、
すぐに欲しいところで弾無し一丁四万,弾十発付き一丁五万、
くらいだったのではないか。

なので
武装に困ってない大和興行では、弾無し一丁四万が高い故、中尉を殺すことにしたのであろう。
しかもクスリは仕入れ価格計算だしね。
取引1回目の「GIコルト1丁+弾薬83発≒四万二千円」が
適価~弾が一丁につき50発程度お得、くらいであろう。

『探偵事務所23』1962年『第三話 死の商人』
当時米国統治下の沖縄から雷管五千発分を密輸してることの説明
---引用---
今の暴力団は、拳銃は持っていても弾が足りなくて困ってる。高く売れるよ。何しろ薬莢は米軍の射撃場にいけばカマスで何杯でも拾ってこれるし、弾丸は鋳型で作れるから原価は一発二十円もあればいいんだが、それでも奴等は一発五百円、千円でも、金に糸目をつけづに買いあさる…
---
とも書いてあるから、
ルートと相手によるが、
弾10~20発で一万円することもありうる訳だ。

まっ、にしても
【ベレッタが三万円】は、やっぱいい感じだなあ。

なお、こちらは小型拳銃なので、
ベレッタM950+ショルダー・ホルスター+弾10発=三万円
つー感じだったのではないかね。

 ---↓---------統計をみてみよう------------

小林信彦証言によると、
1960年当時の月給 ヒチコックマガジン編集長 \15,000-

以下「国家公務員の初任給の変遷(行政職俸給表(一)) - 人事院」より
1960年04月の国家公務員初任給 大卒程度 上級\10,800-
   同  国家公務員初任給 短大卒程度 中級\8,400-
   同   国家公務員初任給 高卒程度 初級\7,400-
1961年04月 国家公務員初任給 大卒程度 上級(甲)\12,900-
   同   国家公務員初任給 大卒程度 上級(乙)\12,000-
   同  国家公務員初任給 短大卒程度 中級\9,300-
   同   国家公務員初任給 高卒程度 初級\8,300-
1962年04月 国家公務員初任給 大卒程度 上級(甲)\15,700-
   同   国家公務員初任給 大卒程度 上級(乙)\14,700-
   同  国家公務員初任給 短大卒程度 中級\12,200-
   同   国家公務員初任給 高卒程度 初級\11,000-
である。
金額が毎年急激に上昇していたんだなぁ。

1960年当時の工場主の話では、
材料を加工すると出てくる一ヶ月分のキリコ(スクラップ)を売ると月に20万円になり、
おどろく勿れ職人全員(十数人)の一ヶ月分の給料が丸々出たつー逸話を聞いたこともある。
この時の平均月給は\200,000-/15人(として)=\13,300-/人

こうくれば、当然にこれ↓
『これが男の生きる道』1962年
作詞 青島幸男
作曲 萩原哲晶
歌唱 植木等
2番に有名な歌詞が出てくるゾ
---引用---
貰う月給は 一万なんぼ
---

以上から、
1960年~1962年頃の感覚では、
平均的な20代の月給は小林証言の\15,000-でこぼこだ。
すると、
【ベレッタが三万円】は平均的な若者の月給のざっくり二ヶ月分である。
今にゴーインに換算すると一丁30~40万円ということろではないかな。
なので当時の若者にとっては決して安くはない。

ただし、
当時若者でも一発当てるとがっぽり来る時代だったし、
街の商店主とか工場主/つまりその辺の旦那でも、なかなかに現金持っていたんだよね。
事実、往時旦那衆の間で、猟銃による狩猟が大流行してた。
当時のガンブームでは、主に旦那衆の中間層は実銃を買い、
若者は雑誌とモデルガンを買っていたのであろう。
大藪は、金銭的には旦那化したのであるから、当然に実銃いろいろ買い込むよなあ。
--------

補記の補記
『人狩り』1962年10月初版新潮社ポケットライブラリー
には、こーゆー記載もある。

---引用---
「俺の友達がこの近くでビルの管理人をしている。この頃、猟にこりはじめてな。
【鉄砲を射つのが面白くてしようがない時期なんだ。】
それで、
【真っ昼間から電柱に向けて【二十二口径】をブッ放したり、】
【夜になると屋上に登って近所のビルの非常階段の赤いバルブを狙い射ち】したりするんだが、
【パトカーがやってきたことは一度もない】ようだな。かえって、このあたりは盲点なんだ。あんたはどう思う?」
と、軍用コルトの銃口で柴田の脇腹を小突く。
「わかった。なんでも言われた通りにするよ…
------

------------【ベレッタが三万円】の項おしまい------------

-----------↓-1960年末頃猟銃一覧-↓-----------

小林「(猟銃を)【4丁ぐらい持ってた】んすよね」【六畳の方にガンケースがあって】
ホントかな? 
「週刊小説」1977年09月09日号『僕の銃歴』より
銃に取得年と連番を付けた。このエッセイでは種類ごとにまとめて書いている。
---
1)1958年 .22LR
僕がまず買ったのはウィンチェスターM52の小口径――二二口径――ライフルであった。…
2)不明 .22LR?
小口径射撃競技銃としては、ワルサーKKMを買ったが、…
3)1960年08月ころ予約 .30カービン
近射用にM一カービンの猟用であるホーワ・カービンを使った。…
4)不明 .30-06
大口径ライフルは、口径三〇-〇六のスプリングフィールドのスポーター改造銃を入手した。…
5)不明
散弾銃は、はじめは上下二連の両引金のやつを使ったが、
6)不明
カモ用の強装弾を発射すると反動で引金に当たって指が腫れあがってしまうので、ウィンチェスターM一二のポンプ式散弾銃に替えた。…
7)不明
どうせ強装弾専用だと自動装填式(いわゆる自動式)FNブローニング五連に替えた。…
8)1960年08月頃許可申請【今度イタリーから来た自動散弾銃の所持許可申請】
山の鳥猟には、自動散弾銃としては世界最軽量と言われたフランキ五連
---
確定してんのは
1)1958年 .22LR
僕がまず買ったのはウィンチェスターM52
8)1960年08月頃許可申請
フランキ五連散弾銃
の2丁。

それと散弾銃が
5)不明
上下二連の両引金のやつ
6)不明
ウィンチェスターM一二のポンプ式散弾銃に替えた。…
7)不明
強装弾専用だと自動装填式(いわゆる自動式)FNブローニング五連に替えた。
のうちのどれか、1丁。

ちゃんと書いてないけど、『ウィンチェスターM70』の執筆用に
4)不明 .30-06 1960年08月大藪 猪猟に凝る
口径三〇-〇六のスプリングフィールドのスポーター改造銃を入手した。…
んんっ? 1958年10月米軍軍曹から購入【スプリングライフル】も
→スプリングフィールドM1903小銃ではないのかね。
あっ。
軍曹からのはスポーター改造していないやつ、だな。
だから、口径三〇-〇六は許可不許可合わせて二丁持っていたのであろう。

んで、来てれば
3)1960年08月ころ予約 .30カービン
近射用にM一カービンの猟用であるホーワ・カービン/豊和M300

2)不明 .22LR?
小口径射撃競技銃としては、ワルサーKKM
これは更に後か。
(ここまで買った順だな)

追補 2021.07.16
※1960年11月09日号 「週刊平凡」
『野獣派作家 大藪春彦の”突然結婚” 婦人記者と作家のロマンス
---引用---
机も本棚も無くたって、いい小説は書ける、という大藪氏にふさわしい六畳間。実用本位、よけいな装飾は何一つ見あたらない。
大きな冷蔵庫とテレビ、それに彼が命の次に――いや、今では竜子さんの次に大事な銃が六丁と、弾薬の入った箪笥ほどの大きなケース。
------
1960年11月に猟銃は六丁あったのよ。
すると、カンタンになる。
ライフルは全部持ちっぱなしだから。

1960年末頃の時点で
許可:6丁
(ライフル4丁 .22LR二丁, .30カービン,.30-06 +散弾銃2丁)
無許可:拳銃2丁+ライフル銃1丁
【青色のペルナンディけん銃二万円】+【スプリングライフル】+【ベレッタが三万円】
実包各種許可+無許可=合計数千発~一万発
を所持していたであろう。
小林【六畳の方にガンケースがあって】「(猟銃を)【4丁ぐらい持ってた】んすよね」
新しいのがどんどん来て、どんどこ増えたから、【4丁ぐらい持ってた】となった訳だ。


1976年04月10日発行『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社
愛用銃1976年初頭現在
1)ドイツ製 ファインベルグハウ・エア・ライフル
2)ドイツ製 アンシュッツ・コンチネンタル22口径ライフル
3)フィンランド製 サコー・308ウインチェスター口径ライフル
4)ベルギー製 FNブローニング自動五連口径30-06
5)ベルギー製 FNブローニング自動四連散弾銃12番径
6)イタリー製 フランキ自動四連散弾銃12番径
---引用---
作品のヒーロー達を彷彿させる、ピカピカに磨きあげられた六丁のライフルをはじめ、大藪氏のところには、大小とりまぜた世界の一流メーカーのナイフや骨割り用のナタ、銃を構えるための特製フレームのサングラス、防寒用の帽子、バックルの逸品がズラリ揃っている。特に履き慣れたワーク・ブーツなど20足はみごとだ。もちろん、初公開!
------
写真とキャプションで
ナイフ五十丁,斧ナタ四丁,スポーツマン・スチール五丁,砥石10本,レーザー・エッジの研ぎ具のナイフ固定器1個,帽子10個,靴15足,サングラス12個,バックル6個、
を公開している。

1978年04月01日号「月刊小説」
『戦士の美酒・苦い酒』インタビューアー井口民樹
---引用---
――無人島で一つだけ携帯が許されるとしたら、やはりガン……?
大藪 (即座に)いえ、ナイフですね。何をつくるにしてもナイフが一丁あれば……。
――現在、所有しているナイフの数は?
大藪 一〇〇丁ぐらいです。種類によって、それぞれ用途が違いますから。
――銃の数は?
大藪 これはいま、うるさいですからね。五丁です。
------
あらら。
一年で猟銃が一丁減っている。
ナイフはねえ。
わたしもたぶん二十丁位は持ってるもんなあ。
一番使うのは、切れなさそうな外見で、実は切れるスイス・アーミーのいっぱい付いてるやつだ。

サコーの.308ウィンは、
 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナでのハンティングに、
手詰めの特製実包とともに持って行って使い、多くのアンテローブ類等を狙撃している。
詳細は『灼熱のサファリ』'83年11月30日初版 徳間書店参照。
本ブログ記事だとこの辺に。

晩年には、
・サコー・フォレスター(引金→射撃練習時アンシュッツ,実猟時カンジャー)
・FNブローニング
・フランキー
の3挺である。
------------1960年末頃猟銃一覧終わり------------

-----------↓-1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』-↓-----------

『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
1960年09月25日号『サディスト』
週刊誌なので、○日号が一週間前に出るとすると、〆切は二週間前の1960年09月11日。
ローマ・オリンピックが1960年9月11日までであるから、ぴったりです。
---
…と、ポケットから、イタリー製ベレッタ・ミンクスと、ウィンチェスターの子会社であるウエスターン製〇・二二ショートの五十発入り弾箱を出し、卓子の上にドスンと置いた。
普通、二二口径といっているのは〇・二二ロング・ライフル弾だ。拳銃にも共通して使える。田辺が出した〇・二二ショート弾は、ライフルにも使えるが、主に室内競技とか自動拳銃の射撃競技用――それもピストル・シルエット――に使われる。薬莢がロング・ライフルよりもだいぶ短く、火薬量も少ない上に弾頭の重量も軽いので、速射してもほとんど銃口がはねあがらず、次射の狙いをつけやすい。むろん、
【銃声は小さく風の強い屋外で射てば、安物のスプリング式空気銃とあまり変らない】。
田辺は、ベレッタ・ミンクス自動拳銃の銃把の弾倉止めを圧し、弾倉室から弾倉を引き抜いた。
その弾倉のバネをサイド・レヴァーで圧縮しておき、ニッケルの薬莢に包まれた可愛らしいほど小さな実包を、次々に八発落していった。
(「八発」は、.25ACPが弾倉に8発なので同じとおもったため誤記。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
銃把の弾倉室に、装填した弾倉を叩きこんだ。遊底を引き、手を放して遊底を閉じさせ、弾倉上端の実包を一発、薬室におくりこんだ。
---
このベレッタ・ミンクスで真美子が逆襲し、田辺の睾丸一個と耳朶を狙撃した。
この記載などからは買ったのは「ベレッタ・ミンクス」とおもいたくなるが、前掲の『GUN教室』の寫眞と、『名のない男』1962年、『ベトナム秘密指令』1965年とで、やっぱベレッタ・ジェット・ファイアーであろう。
持っていたからこその.25ACPなのであって、持ってなかったらそれこそ.22 Shortでいいもんな。『名のない男』,『ベトナム秘密指令』もミンクスだったら.22ショートと迷うが。
------------1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』おしまい------------

-----------↓-1962年連作短編『名のない男』-↓-----------

1962年10月号~1963年09月号まで12回連載「推理ストーリー」
大藪 連作短編『名のない男』第1回『剥かれた街』
主人公「私」の愛銃↓
【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】

---
…脇の下からホルスターをはずし、小型で非常に軽量のベレッタ〇・二五口径自動拳銃モデル九五〇を、ズボンの裾をまくって臑にくくりつけていおいた。
…私のズボンの下に拳銃が隠されていると気づいた者は一人もいないであろう。二五口径のベレッタ・モデル九五〇は掌にスッポリとおさまるほど小さくて軽いのだ。
…いつもは、それを臑にくくりつけたホルスターに隠しているのだ。
…ズボンに隠された臑に、それだけを私が頼りにしている小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径を括りつけてあるのだ。
---
どこかに隠して「【これ、わかんないだろう、これだと】」つーのがキモなのであろう。
主人公の私はベレッタ撃っても基本は至近弾の衝撃波でおどかすだけだ。2回敵の右腕に当てているが描写が精密で無いから略。
---
…いきなり枕を蹴とばされた。私が枕の下に隠してあった小型自動拳銃ベレッタが、鞣し革のホルスターに入ったまま部屋の隅に飛んだ。
---
【ベレッタが三万円】ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇での
【マクラ拳銃】きました。

クルマは目立たぬ外観の茶色の310ブルーバード1200ccだ。丸目2灯のやつだ。
------------1962年『名のない男』おしまい------------

-----------↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓-----------

1964年 初出不明
中編『ベトナム秘密指令』
※1965年01月01日単行本初版なのでこの時期と推定。
拳銃等不法所持で挙げられる直前といったところか。

なお1986年06月角川文庫「スパイに熱い死を」収録以降タイトルが『ヴェトナム秘密指令』となっている。
全編「ベレッタ・ジェットファイア」が、スネ拳銃として大活躍である。
主人公「水野洋治」の愛銃(官給品)↓
【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】
---
(任務に行く準備中)
…磯部は言い、今度は百ドル札の束と小さな自動拳銃を出してテーブルに置いた。拳銃はベレッタ・ジェットファイアの口径二十五。それも銃身わずか二インチ、全長四・七インチ、重量は三百グラムちょっとしかない。それが鞣し革のケース(ホルスター)にひっそりと入っている。ホルスターは肩掛け式や腰吊り式でなく、環式の短いバンドがついていた。
水野は弾倉を抜いて、そのなかに六発の実包がつまっているのを確かめた。
(「六発の実包」は誤記とおもふよ。.25ACPは弾倉に8発。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
磯部は、
「君も知っているようにむこうに行けば弾薬はいくらでも手に入る。もっと威力のある銃もな。だから、この拳銃は純然たる護身用だ。
【足首にでもつけていたら便利だろう。】…

(任務地その1タイに着いた)
左の足首の内側の膝寄りにつけているベレッタ・ジェットファイアの小型自動拳銃を外してベッドに突っ込んだ。…
(スネの内側拳銃ですな/マンボ・ズボンはいてたらダメ)
枕の下に拳銃を突っ込み、催眠剤を飲んでベッドにもぐりこんだ。
(マクラ拳銃きました!)

水野は左足につけたベレッタ・ジェットファイアの超小型自動拳銃をズボンの裾の上からそっと触れてみた。ホテルを出る前に、薬室にも装填してある。

足首から外したベレッタ・ジェットファイアを水野が乾草のベッドに突っ込むのをサリーに気づかれずに済んだ。

水野は弓なりに反ったサリーの体を抜けて自分の胸にくいこむ弾の与える衝撃と苦痛に耐えながら、ベレッタの引金を目にもとまらぬ早さで四回絞った。小さな二十五口径の弾薬でも銃身が短いためにかなりの音をたてる。…
素早くズボンをはき、その左右の尻ポケットにホルスターに入ったままのルーガー拳銃とグリース・ガンのもう一本の予備弾倉を突っこんだ。ベレッタ拳銃は脚につける。
(逆襲1回目成功)

(任務地その2ベトナム着)
水野が脇の下に吊ったルーガーと足につけたベレッタの弾倉には、すでに昨夜補弾してある。

水野は血のめぐりをよくするかのように両手を振った。次の瞬間、足首に隠したベレッタを引き、チャンの心臓を射ち抜いた。倒れかかるチャンの手から火炎放射器のノズルを引ったくり、調節バルブを最大に廻してノズルを左右に払った。
(逆襲2回目成功)
---
よかったよかった。

↓--続きの大藪春彦年表エピローグ部分はここだっ--↓
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
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『野獣は死なず――’盗作者’という中傷について――』+血まみれの大藪春彦エッセイ集一覧

2021年09月19日 | 大藪春彦GUN研究
エッセイ集に載っていないものがあったので、掲載しよう。

週刊アサヒ芸能 昭和35年(1960年)08月28日号

つぶれてて読めない箇所は○とする。

---以下引用---
『野獣は死なず――’盗作者’という中傷について――』
大藪春彦(直筆署名)
写真キャプション 大藪春彦氏
週刊文春の当該記事とおもわれる写真のキャプション 問題の記事

ある朝突然に、ボクは”盗作者“になっていた。
「週刊文春」(八月二十二日号)が、『野獣恥ずべし』という恥知らずな見出しでボクに”盗作者“というレッテルをハ○つけていたのだ。おまけに”盗人タケダケしい“という形容詞までかぶせてもらっているのだから、ほんとにお礼でもいいたいくらいだ。
あの記事を読んでみて、○トの本質をはずれた、個人的な中傷の多いのに、まず驚いた。とくに後半は、もうヒステリー調の絶叫だ。はじめはカッときたが、読みかえしてみて笑っちゃった。こんなのに、いちいち○○するのは、バカバカしい。だが愛読者の誤解をとくために大人げないが一言のべておきたい。
ボクが五八年十一月号の「講○倶楽部」に書いた「街が眠るとき」は、アメリカの作家フランク・ケーンの「特ダネは俺に任せろ」から「そっくりそのまま頂戴している」というのだ。
「特ダネ――」は五四年三月に本国版「マンハント」に発表されている。お○が書いたのは五八年だから、ケーンの小説を読んで”盗作“したというのだ。そして「街が眠るとき」と「特ダネは俺に任せろ」の冒頭と結末の一部を並べて”○○“を提出、「これ見たか」といわんばかりだ。
さらにダメをおしている。
「当の御本人も潔ぎよく”盗作“の事実を認めた……」
だが、ボクはケーンから”盗作“した覚えはない。
「街が眠るとき」を書く前に、ケーンの「特ダネ」を読んだことはない。読んだのは去年の春だ。そのとき、確かに似ているとは思った。しかしボクは、ケーンを読んで、書いたのではないから、別に気にもしなかった。
ボクが「街が眠るとき」を書いたのは、数人の友人と下宿で雑談していて、ある友人からアイディアをもらったものだ。
このように、アイディア○○し借りは、「みんなやっている」といったのを、”盗作“ととりちがえているのだから、話にならない。
似ているという文章の対比にしても、サワリの部分だけしかとりだしていない。
そのほか、いちいちあげても仕方ないが、この記事には、事実無根のことが多い。「一説によると」「こんなことをいう人もある」「……そうである」等々も逃げ腰だ。文句があるなら、はっきりといえばいい。しかもあのなかで、○を○○する意見を述べた人々は、そんなこといったことない、といっている。マンハントや○トルでさえも、否定しているのだから笑止だ。
「この才能の乏しい青年」といわれるのは仕方ないが、そういう、この匿名記者クンは、ボクを○うきめつける資格があるの○○○いまの文春に○
「文○○でなければ人でない」という風潮がある。どうも今回の記事は○りで○に出た○クを、ボイコットしようとする○成マスコミ権力の○○のようにも思われる。
だが、ボクは死なない。
幸いにボクに声援を送って下さる人も多い。今度の事件でいろいろの方が示してくださった○○とはげましには、深く感謝する。出ようとする若い芽をつみ○ろうとする○○ナラシイ権力には○○的に○いたい。
現在のところ、テキさんのベースに乗らず、いい作品を書きたい。作家は作品で勝負をするべきだと思っている。そうすれば、読者諸君は、○に関する中傷がデマにすぎないことを納得してくださるであろうと信じている。
---引用終わり---

友人がナニしたネタだったのね。

にしても、
文章で誰かを追及するなんて、できない人だったんだよね。
ホントに血まみれで書いていたんだ。

-----
大藪のエッセイ集とかについて書いておく。

・『GUN教室』 桃源社 1965年


 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』(大藪口述)をまとめたもの。
 エッセイではないとおもふよ。非常に読みにくいです。どうにかならなかったのか?

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年

 初のエッセイ集。対談、ショートショート(切れがよく意外なほどおもしろいよ)、高校時代の作品を収録
・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年
 「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。」
 うわー読みてえなあ。

・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年

 必読の書であろう。
 こーゆーのは雑誌のほうが情報量が多い。グラビア頁とかね。写真もキレイだし。大藪と直接関係ない広告もおもしろい。
・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 上記の単行本とおもう 
 帯
 大藪ハードボイルド入門決定版
 不滅のヒーロー伊達邦彦を世に送り出して22年、ますます磨きのかかる大藪作品の魅力の原点を徹底的に分析!

・『野獣を撃つ(上・下)』 カッパブックス(光文社)1976年 
 初の海外狩猟であるアラスカから、ニュージーランド、オーストラリア、アフリカ(ザンビア)を収録
『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年


『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』 徳間文庫 1991年

 上記『野獣を撃つ(上・下)』+モンゴール、カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー、アメリカ モンタナ・ロッキーを収録した増補版

・『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』 角川文庫 1979年
 エッセイ集 必読、つか持ってるだろ。

・『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』 角川文庫 1979年
 対談集 無論必読だ。

『大藪春彦のワイルド・ドライビング』 講談社 1980年

 赤バッジシリーズ。
 闘志でぶつかるサーヴァイヴァルアドベンチャーの章にはイノシシもOKくくりワナのつくりかたが書いてある。
『4WDワイルド・ドライビング』 光文社文庫 1985年
 これはぜひとも赤バッジシリーズで読んでほしい。理由はリンク記事を読むこと。

『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年
写真前掲
 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録。
 この後はなんとか条約で野獣捕っても剥製の輸入できなくなった。
 御大も病気になったしね。
 この本は文庫になってないのかな?

・『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年
 
・『孤高の狙撃手』 光文社文庫 2004年
写真前掲
 海外ハンティングのまとめ+『銃は我が分身』1980~1984年+『素晴らしきアメリカ射撃旅行』1982~1983年

『大藪春彦の世界』つー本は、都合6冊(実質4冊)あるのだ。

んで、
たぶんこれでエッセイ集等は全部なのだ。
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大藪春彦 うまい具合に 2『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版

2021年08月23日 | 大藪春彦GUN研究
【急告】2021.07.16
新たな資料入手解析、本稿_増補改訂版とした。

 大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部

大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版

大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版

大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの結論的年表

大藪春彦年表 
【趣味で持っていた拳銃】とか【未届けのライフル銃】を中心に、
高松~上京~逮捕,猟銃所持再許可までの要部/本項敬称略

======↓==大藪春彦年表(主要なできごと)==↓======

1946年06月15日
ポツダム緊急勅令、銃砲等所持禁止令施行
施行前は基本は許可するから、護身用の拳銃所持・携帯は普通に認められた。
【昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、】
戦前の雑誌広告に護身用拳銃がたーくさん出てる。

1950年11月30日
ポツダム政令、銃砲刀剣類等所持取締令施行

1953年10月
保全経済会休業宣言

1954年01月
大藪 18歳 高松一高2年
保全経済会破産

この事件がきっかけで、1954年06月23日出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律(出資法)が成立。

「いんなあとりっぷ」1972年09月号~全12回連載 エッセイ『敗戦の頃”衝撃の戦争体験”』より
---
保全経済会事件が起こったのはちょうどその頃だったと思う。保全経済会は伊藤某というペテン師が、全国から会員を集め、高利の配当を行ったが、実態はタコ配そのものだった。
保全経済会は、教員や警官の妻などを地方の集金や勧誘配当金くばり係として採用し、高いリベートを払った。
僕の母もその係になっていた。だから、保全経済会が高松支部の取りつけ騒ぎをキッカケにして、たちまちのうちに倒産し、会員の出資金がパーになってしまった時には、うちの家も散々に恨まれたり威されたりした。
---
追悼エッセイ「大藪さんと私」大下栄治1996年08月20日「大藪春彦の世界」
---
保全経済会事件の時、巻き込まれ、一家が無一文になりましたしね。
---

1954年03月(毎年三月は不吉なことばかり起る)
大藪 19歳 高松一高2年
「いんなあとりっぷ」1972年09月号~全12回連載 エッセイ『敗戦の頃”衝撃の戦争体験”』より
---
その高校時代、僕が大発奮したことがある。
保全経済会事件のあと、母は高松一の呉服屋の着物の仕立てのアルバイトをやっていたが、着物の生地をうちに家まで運んだり、母が縫いあげた着物を呉服屋に届けるのが僕の仕事だった。空気銃を買ってやるという約束に釣られてだ。
だが父は約束を破った。家を買ったばかりで、我が家はとてもそんな経済状態ではなかったのだ。その時、僕は、今に銃でも銃弾でも好きなだけ買えるだけの金を自分で稼いでやる、と心に誓ったのだ。
---
1955年銃砲刀剣類等所持取締令改正まで、空気銃は所持規制がなかった。弾は火薬使ってないからこれもフツウに売っていた。みな空気銃でトリを捕って,蛋白質のあるおカズとして食べていた。
この空気銃事件が直接のきっかけで、
 ↓
1954年の03月?(毎年三月は不吉なことばかり起る)
大藪 1回目の拳銃不法所持での検挙があったのだろう。
詳細は1960年08月の項を参照。

※1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
「大藪君の大学入学以前数年間の過去が、こんどの事件の背景になっていたことは確かのようですね。…」
------
一回目の拳銃不法所持を知ってるのであろう。

1954年11月03日発行掲載 高松第一高等学校文芸部誌「ひとで」第九号
『<ノート> イエス・キリスト』
1972年08月15日発行『狼はしなやかに跳ぶ~大藪春彦の世界1~』に転載
---引用---
ライ病、テンカン、不具はおろか、死人までよみがえらしたり、海の上を裸足で歩いたり、パンや
【ブドー酒】が数千倍に個体分裂したり、それから……
------
【ブドー酒】きました!
文中に出てこないけど、出てくれば
【トーフ】【ショーユ】であろう。

1956年04月
大藪 上京。早稲田入学。
   射撃部で借り物の銃を撃っていた。
住所不明なるも(雑司ヶ谷か?)蛋白質が無いおカズが出る下宿屋の二階六畳間位を、友人と布で二つに仕切って住んでいた。
そこでは同人誌「青炎」編集人室岡博と実家から送られてきたニボシでトリス三百三十円を飲んでいた。
一緒におでん屋にも行き、トーフと玉子を食っていた。

『凶銃ルーガーP08』「週刊アサヒ芸能」1961年01月01日~10月08日号まで連載
『はぐれ狼』より
---
石原の下宿は、雑司ヶ谷の高田小学校のそばにある。目白駅から歩いてそう遠くない。…
下宿に戻ったところで、冷えきった粗末な夕食がアルミの盆にいれられて、底冷えする部屋で待っているだけだ。千歳橋の陸橋を渡った石原の足は、なじみのおでん屋”さざえ”の縄ノレンに吸いよせられていった。…
いつも、食うのは、卵と豆腐にきめてある。下宿の食事では、蛋白質が欠乏するのだ。
---

1957年10月
ワセダ・ミステリ・クラブ発足
大藪 ワセダ・ミステリ・クラブ入部

1958年
銃砲刀剣類等所持取締法制定

1958年
大藪 椎名町のアパートに転居「椎名町時代」
【彼が住んでたとこっていうのはー、あのー目白の近く】
トタン屋経営目白通り沿いのアパート一階四畳半一間。
「話のタネ本」1966年10月18日号 『美食と大食』より
---
思い出してみると、僕が大食家になったのは、今のような仕事をやり始めた椎名町時代かららしい。大学三年からだ。…
もっともそれまでは、下宿のおカズでは蛋白質が不足し恐怖感に襲われて、…
さて椎名町のアパートに移ったところその裏は有名なマーケット街。…
---
マーケットつーのは新宿区中落合3「第一マーケット」のことだ。
アパート住所は後述するように目白署管轄なので、豊島区南長崎1~4のあたり。当時その辺に「トキワ荘」つのがあった。風呂屋は「鶴の湯」「あけぼの湯」とがあった。
「椎名町時代」のアパートは、どちらか湯屋から.22LR弾で煙突に当たる位の距離50~100m程度、「第一マーケット」を「ウラ」と云える位置にあったのであろう。

1958年02月~03月 
大藪 『野獣死すべし』執筆

1958年05月
大藪 同人誌「青炎」に、編集人室岡博さんの要請で私小説的な部分削除し、当初二〇〇枚超を一六〇枚の決定稿『野獣死すべし』として掲載
   ワセダ・ミステリ・クラブ顧問千代有三が江戸川乱歩に電話で『野獣死すべし』をすすめる。

1958年07月号
大藪 江戸川乱歩『野獣死すべし』を「宝石」に転載

1958年06月19日号 「毎日新聞」
『痛快無類の探偵小説 早大生の作「野獣死すべし」』つー紹介記事掲載

1958年
大藪 東宝で『野獣死すべし』映画化。
   【映画化権料五〇万円】もらいつつ月二千円の奨学金を受けていた。「スター千一夜」でしゃべって怒られた。
   狩猟免許交付。ウィンチェスターM52(口径22)を初め、次々に買う。まずカモ猟から始めた。
増補部分 なんと「ペルナンディけん銃」+弾薬数種+スプリングライフルも次々に買うのだ。

「婦人公論」1960年07月号連載 エッセイ『野獣の青春』より
---
(高松一高のグループに親の家や商品を抵当に入れて金回りのよい男。自殺を5回やったが身体が丈夫すぎて失敗)
この男には、
一昨年(1958年)東京で再会した。立派なヤクザになっていた。今度親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張っていた。高校時代の面影はどこにも見当たらなかった。
しばらくして(1959年?)また訪ねてきて、ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消えた。
いま(1960年06月頃)は名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買えるのだ。
---
当りだっ!
『五木寛之大藪春彦対談 体験の風化と怒りの持続』1976年04月10日新潮社「大藪春彦の世界」
---
大藪 なにしろ、四国まで護送されるときに、名古屋で新幹線を新聞記者が止めちゃったんだから。
五木 なぜ四国まで護送されたわけ? 東京でやらずに……。
大藪 向こうで、ぼくから詐取したやつが捕まったもんだから。高校時代の友人で、自衛隊にいたやつだったんだけど。それで、高松の警察がパクリにきたわけ。
五木「すると、あなたは、警官に付き添われて移動したわけですか?」
大藪「ええ、二人の刑事に」
五木「そのときは、どんな思いでした?」
大藪「いやあ、やっぱり……」
五木「手錠をかけるの?」
大藪「いや、そのときはかけられないけれど、新聞記者は極悪人扱いですからね」
---
この抵当男→【ヤクザ】が【高松一高の同窓のA】で、
【趣味で持っていた】【ペルナンディけん銃】と弾薬12発を【持ち逃げ】した、
【四国のヤクザが吐いたんですからね】である。
『野獣死すべし』の1958年以降、どうも年に一回は訪ねて来たようだ。
なお、腰縄であろう。

※1959年の作品
 1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
『雨の露地で』
堪えたようなタッチで、暗い青春の傷口を書く売り出し中の新進作家小牧純一郎24歳(椎名町の寒々としたアパート二十五号室在住)と、
小牧の高校の同級生でヤクザとなり現在は天城一郎と名乗っている主人公菊池義男――もう二、三日したら背中一杯から胸にかけて入れ墨(モンスケ)を電気ミシンで七万円かけて入れる予定――
が出てくる。
いやな予感はしていたのであろう。

1958年秋
小林 宝石社の顧問として採用。月俸格安五千円。

1958年推定09月下頃~1959年01月頃「週刊アサヒ芸能」連載 全15回(大藪長編2作目/専業作家のはじまり)
『血の罠』
第5回「殺気」推定1958年11月頭号頃掲載
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、
【鞣し革のホルスター】に入った
【青色の小さな自動拳銃】と弾薬の入った革サックを抜き出した。
【全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチック】には初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、
【半月状型の引金の部分が大きく見える】。
ベークライト製の銃把と引金の間の安全止を押しさげた田島は、銃把の左後ろについた
【蛇の目模様のボタン】

を圧して遊底被を引き、薬室にウインチェスターのセンター・ファイア弾を一発装填し、スライドをもとに戻した。撃針がスライドの後に突き出して撃発装置になっているのを示している。安全止を押し上げて、銃把の弾倉室から弾倉を引き抜き、五発装填して弾倉室に戻す。
(V.B. .25ACPは、弾倉5発+薬室1発=6発)
拳銃をホルスターに収めた田島は、ズボンの右裾をまくって、脚に革帯で括りつけた。

「そうだ、これ……要るだろう?」新田はポケットから七発入りのルーガーの弾倉と、口径九ミリのレミントン百二十四グレイン弾を三十発近くつかみ出してテーブルの上に置いた。
田島の目が異様に輝いた。一発一発ハンカチで丁寧にぬぐって
【REM-UMC9m/mLUGER】と彫られた薬莢の尻を下にして立てていく。
------
【半月状型の引金の部分が大きく見える】とか、【蛇の目模様のボタン】とか、【REM-UMC9m/mLUGER】とか、小説中にどーでもいいとこまでやけにくわしく書いてある。つーことは買ったつーことだ。
大藪春彦であるから、
【映画化権料五〇万円】もらうが早いか、
【ペルナンディ拳銃】+使用弾薬+銃はないけど弾薬のみ
 +未届けのスプリングライフル一丁(スプリングフィールドM1903小銃か?)
も次々に購入してて、むしろ当然であった。

ホルスターも有りだったのかなあ。

誰からいくらで買ったかつーと。
※1979年05月28日号「平凡パンチ」
『書斎にあってハンティングを想い、獲物を追って書斎を思う』
インタビューアー平岡正明
---引用---
●大藪春彦と読書
「そのころ、ぼくの友人の実家が、福生で米軍相手のハッピー・ホテルという慰安所のおかみさんをやっていたものですから、その関係で基地に出入りし銃も撃てたんです。…
------
※1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
「高松で暴力団の拳銃摘発をやったところ、押収したイタリア製のベルナンディ・ブローニングがあなたの手から流れていることがわかりった。あなたが銃をわたしたAAAAはすでに逮捕ずみだが、彼が暴力団に売りわたしたたものだ。家宅捜索させてほしい」
刑事の言葉に、春彦はさすがに身を固くしたようだった。
一行七人の家宅捜索の結果、許可証のないスプリングライフル一丁と、ライフル銃弾千発、48口径、45口径などの実弾六発、そのほか短刀、散弾などが発見され、いずれも押収された。

「大藪春彦の事件でわかっていることといえば、大藪がAAという男に拳銃を手わたし、AAがそれを高松の暴力団坂○組の組長(引用註:坂○組二代目組長BBBB)に七万円で売ったという事実ぐらいだ。大藪はその拳銃を米人軍曹から二万円で買ったといっているが、まだ、その軍曹の正体もわからない。大藪の裁定についてはなんともいえぬ」
(警視庁組織暴力取締本部)
------
つーわけで、
1958年10月頃 米人軍曹から二万円で【ペルナンディけん銃】と(+使用弾薬と),見本用の弾薬数種少量づつ,スプリングライフル,
を買ったつーわけだ。
【ペルナンディけん銃】は青色である。
口径についてはあとで考察しよう。←2021.07.16 やっぱ .22LRとおもふ。
ブローニングってのは、自動拳銃の意であろう。
なお本週刊誌記事は【ベルナンディ】と【ベ】である。

 1965年の記事等はここにまとめるわよ。
※1965年03月02日(火)新聞記事
---引用---
作家の大藪春彦を逮捕
香川 友人にピストルをおくる
香川県警捜査二課と高松北署は警
視庁組織暴力犯罪取締本部の協力
で一日午後一時四十五分、東京都
世田谷区松原町×××××、作家
大藪春彦(三〇)をピストル不法所持
の疑いで自宅で逮捕した。自宅を
捜索した結果、無届けのライフル
銃一丁、実弾一千発、カービン銃
用実弾一千発も押収した。大藪の
身柄は同三時、東京駅発の「ひか
り十七号」で高松北署へ護送し
た。
調べによると、大藪は三十七年八
月ごろから十月ごろまでの間に友
人の香川県高松市××××、会社
員AAAA(二八)にイタリア製ピス
トル「ペルナンディ」一丁と実弾
十二発をプレゼントした疑い。A
Aは大藪とは高松市の高校時代の
友人で、すでに高松北署にピスト
ル不法所持の疑いで逮捕されてい
る。
------
なるほど!
詐取されたのは【ペルナンディけん銃】。
で、この家宅捜索のときには【ベレッタが三万円】も、ベレッタの使用弾薬も、共に押収されてなかったのか!!
AAAA(二八)(高松一高同窓→四国のヤクザ)は「大藪からもらった」って云ったのであろう。

※1965年03月01日夕刊又は1965年03月02日朝刊
---引用---
大藪春彦を逮捕
ピストル不法所持の疑い

写真キャプション 大藪春彦
【高松発】
香川県警本
部暴力特別
取り締まり
班は一日午
後一時十分○東京都世田谷区松
○○○○×××、ハードボイルド作
家大藪春彦○○○○○○○○○
○○○○○○、○○○○○○○
○○○○の疑いで逮捕した。大藪
は○○○○十○○○○○○○○○
十一月一○○○○○○○○○○
ペルナンディけん銃一丁を不法に
に○っていた疑い。また家宅捜索
の結果、未届けのライフル銃一丁、
実包千発、カービン銃の実包千発
を押収した。
○取り締まり班○○○○○○○
る一四日高松市内暴力団四○○
手入れしたとき、同市××××○
坂×組員CCCC(31)方から○○
のけん銃を押収。追求したとこ○
これが大藪から流れてきたも○○
わかり大藪の○○となった。
------
ついに判明
【ペルナンディけん銃】のいきさつ (年齢)は1965年現在

   1958年10月頃/売買2万円  1962年08~10月頃/詐取(手交)  
●米人軍曹→→→→→→大藪春彦(30)→→→→→→→→AAAA(28)→→→→
         1965年03月01日逮捕 高松一同窓1965年02月末までに逮捕

  時期不明/売買7万円←組員TT(25)が目撃 時期不明/原因不明 
  →→→→坂○組二代目組長BBBB(??)→→→→→坂○組員CCCC(31)
    1965年02月14日逮捕か       1965年02月14日拳銃押収/逮捕か
という訳で、関係者が全部で五人+目撃一人=六人出てくるのだ。

友人AAもヤクザのハズだが、ナニ組だったんだ?

決定
1958年10月頃
大藪 米人軍曹から【ペルナンディけん銃】(たぶん青色/口径は別途考察)を二万円で買う。
および、弾薬見本も買う。
ついでに【スプリングライフル】も買うよ。
すぐに小説に、ヘビの目とか、薬莢の尻の刻印までくわしく書く。
この時点で未許可銃等は
 1958年10月購入 青色の【ペルナンディけん銃二万円】
 1958年10月購入【スプリングライフル】
 1958年10月購入 弾薬各種
である。

1958年秋
大藪 ライフル二丁所持。
※1976年04月10日発行 新評社 『別冊新評「大藪春彦の世界」』
『義理人情の男』大坪直行
---引用---
その年(引用註:1985年)の秋、私は椎名町の大藪春彦氏の下宿を訪ねた。…
ただひとつ、この部屋の乱雑さと対照的なのが黒光りしたみがかれたライフル二丁であった。
------
おおっ。
一丁は、許可あるウィンチェスターM52(口径22)、
もう一丁は、【スプリングライフル】、おそらくスポーター改造していないスプリングフィールドM1903小銃 口径.30-06だな。

1959年01月
小林 6月創刊予定のミステリ雑誌「ヒッチコックマガジン」の編集長に、江戸川乱歩の後押しで抜擢。

1959年08月01日発行「ヒッチコックマガジン」1959年08月号 第1巻1号 通巻第1号 定価100円 136頁
小林 「ヒッチコックマガジン」創刊

1959年
大藪 大江健三郎,石原慎太郎,寺山修司らとともに、安保反対アピール。1960年06月11日の集会に出てるから、その後にお祭り騒ぎにいやけがさしやめる。

1959年10月21日『小林信彦60年代日記 1959~1970』による。
小林信彦の目の前で、
【ライフル四畳半ミカン箱射撃】
隣人の文句はないのかと問うと
「慣れている」
<作家>肩書の名刺をもらってるから小林大藪初対面であろう。

1960年01月01日発行「ヒッチコックマガジン」1960年01月号 本号から大藪春彦掲載
大藪 読物・他『ライフルとぼく』
小林 関連記事『今月のすいせん●大藪春彦/中原弓彦』

1960年01月10日号~1960年12月25日号まで51回連載「アサヒ芸能」連載/単行本初版1961年
大藪 『みな殺しの歌/続みな殺しの歌 凶銃ワルサーP38』
丸七日間のできごとだ。
前半の山場/四日目の夜から五日目の夕方にかけて
埋立地→貸しボート→巡視艇→釣り船→トヤ→カモ猟舟→カモ猟→トラック
後半の山場/六日目の夜から七日目の朝にかけて
由紀子の家/ヴェルナルディリ拳銃発射→農家等→荒川渡る→貨車→上野でヤキソバ

1960年03月01日発行「ヒッチコックマガジン」1960年03月号
大藪 小説『野獣死すべし(渡米篇)』
小林 関連記事『特別解説もお忘れなく/中原弓彦』「野獣死すべし(渡米篇)」解説

1960年03月(毎年三月は不吉なことばかり起る)
大藪 「他殺クラブ」入会

1960年04月17日号『みな殺しの歌』「アサヒ芸能」
表記 【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】

1960年04月29日「週刊スリラー」18号通巻53号定価30円 担当編集者静竜子(1961年02月結婚)
大藪 『ウィンチェスターM70』第1回
編集長とともに挨拶にいくと、畳も座布団もべたべたで、丹前の袖口がテカテカしていた。
「あっこれからキミが来てくれるんですか。静龍子さんね、どうぞよろしくね、ひゃっひゃっひゃっ」

出合った当時のこと 大藪龍子さん談 1998年頃
---
いやっこれが例の、その、
怖い小説の大藪さんかということで。
ほっとしたようなー、んんーなにかホントかしらーというような感じで。
「ささどうぞ。お湯も沸かしております。お茶どーぞー」
なんて入れて下さいましてね。
そーれぇがーも、非常にやさしくって。
若いのに、なにかこうー身を削るようにして、
何かに向かって書いている姿などが、
非常にこう。
ううーん魅力的というかぁ、
男としてのこぉー、んーやはり魅力ですねえ。
---
このお茶がとてもおいしかった。
その後朝メシを食わないで書いているので、翌朝おにぎりを差し入れた。
うれしくてキタナイ畳にこぼした米も喰っていた。

1960年05月01日発行「ヒッチコックマガジン」1960年05月号
大藪 読物・他『勝手にしやがれ!』

1960年07月号「婦人公論」
大藪 エッセイ『野獣の青春』

1960年08月01日発行「ヒッチコックマガジン」1960年08月号
大藪 読物・他『チャンドラーの死んだ夜』

1960年08月号「中央公論」
大藪 エッセイ『テロのムード』
小林「そんなもの「中央公論」に書くなっていうんだけど」
---
事件というと大袈裟だが、
【今度イタリーから来た自動散弾銃の所持許可申請】に所轄署に行ったところ、さる週刊誌が特集した「首相を暗殺した小説」という記事のなかに、たまたま僕の作品も入っていて、しかも僕がわれながら威勢のいいことをしゃべっているのに保安課長が目をつけたことからはじまる。
◆【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】、
【こんな奴に銃砲所持許可を出すことは出来ない】。いままで許可してたのも調べ直せ、ということになった。

【いままでに持っているだけで十分だ】と、言われても、僕にとってはハッタリでなく好きな銃を持てないということは耐えがたい苦痛である。
僕は誤解をとくべく本庁に参上し、ついに許可をおろしてもらったが、
【あんまり調子のいいことを書かないようにと警告】をうけた。
もう少ししたら
【予約してあるカービンが手元にとどく】というのに、ここでテロリズムのことなんか書いたら、所持許可がおりないのではないかと、内心ビクビクしている。…
警察と揉めているあいだ、
【本富士署と目白署】の刑事たちが入れかわりたちかわり訪れ…

学生と機動隊の乱闘のときに気づいたことだが、デモ隊のなかで警官の拳銃に手をかけた者はいないようだった。
周知のように、制服警官が腰のホルスター・サックに差しているのは、たいていが、〇・三八、あるいは〇・四五インチ口径の…
発射するには、親指で撃鉄(ハンマー)を起こしてやると輪胴が回転し、撃針面に次の薬室の弾がまわってくる。…
---
どひぇ。
しれっと書いてあるが、
◆【過去にも拳銃で挙げられてた】のか。
拳銃であげられると確定判決の次にくる年度から以後3年間は猟銃を所持できない。
1958年の半ばにはウィンチェスターM52を所持しているので、前歴の確定判決は1955年03月31日より前だ。
大藪は1935年02月22日生まれだから、1955年02月22日に満20歳である。
前歴は1954年以前高松一高時代/未成年で(1954年03月? 19歳、毎年三月は不吉なことばかり起る)、刑事罰無しだったのではないか。
これが後に
【昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、】
こうなったのではないか。
すると、これが生きてくる↓
小林【当時割に四国っていうのはピストルが自在だったんですね】
この件を、小林は大藪から聞かされて知っていたであろう。
金無いから、どこかからかっぱらってきたのを挙げられたのであろう。

【本富士署と目白署】の目白署は居住地豊島区南長崎1~4の所轄署。
本富士署はなんだろな。銃砲店の所在地かな?
【こんな奴に銃砲所持許可を出すことは出来ない】
目白署保安課長はいい勘している。
このとき、1960年08月号「中央公論」『テロのムード』
すでに、1958年10月頃 大藪 米人軍曹から青色の【ペルナンディけん銃】を二万円で買う
を所持してたからだ。

1960年08月
大藪 盗作疑惑により「他殺クラブ」を脱会。
   猪猟に凝る。

1960年09月頭
大藪が調査の結果判明した住所の龍子の実家に現れ
「お龍ちゃんを僕にください」
「お嫁に来てくれなければあれもこれもぶっ壊す」と窓からライフル突き出した。
※1960年11月09日号 「週刊平凡」
『野獣派作家 大藪春彦の”突然結婚” 婦人記者と作家のロマンス
---引用---
「妹が結婚して、代わりに僕の身のまわりを世話する女手が必要だし……」
先日上京した彼の母親は、息子に負けねほど竜子さんにぞっこん惚れこんでしまった。手切れ金を出して、一、二噂もあった彼の女性関係をキレイに精算してくれたのも、母親である。
------
おかあさんに尻ぬぐいさせたのか。
まいったなあ。

※1976年04月10日発行 新評社 『別冊新評「大藪春彦の世界」』
『安保前夜、文学仲間たち』石井清司
---引用---
…美しい妹と共同生活してるそうだ…
------
いわゆる「世話を焼きにきてた」のであろう。同居してたら拳銃撃ちにくいゾ。

1960年8月25日から
1960年9月11日まで ローマ・オリンピック開催

1960年09月中旬/1960年09月25日号〆切より前
大藪 【ベレッタが三万円】を購入所持。
推定ベレッタM950Bジェット・ファイアー.25ACP

「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
【昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかった】ので、僕はつい、
【ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友】から
【拳銃を二丁ゆずってもらっていた】のだ。
---
この記載の拳銃は【ベレッタが三万円】1960年09月頃のこと。
【ペルナンディけん銃二万円】は前述したように1958年10月頃購入していた。
米人軍曹から買ったと逮捕直後は供述している。
もしかすると、二丁とも【銃砲ブローカーをしている猟友】から買っていた可能性もあるかな。

【猟友】っつのは【ヤクザが売りに来るし、好きな人は買う訳です】ヤクザのことである。
【ベレッタが三万円】は、売りに来る【ヤクザ】に「これショルダー・ホルスター付きで買ってきてくれ」と注文しておき、ローマ・オリンピックから帰ると、すかさず購入所持したのであろう。

『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』1960年09月25日号『サディスト』
週刊誌なので、○日号が一週間前に出るとすると、〆切は二週間前の1960年09月11日。
ローマ・オリンピックが1960年9月11日までであるから、ぴったりです。
---引用(抜粋版)---
…と、ポケットから、イタリー製ベレッタ・ミンクスと、ウィンチェスターの子会社であるウエスターン製〇・二二ショートの五十発入り弾箱を出し、卓子の上にドスンと置いた。

田辺が出した〇・二二ショート弾は、ライフルにも使えるが、主に室内競技とか自動拳銃の射撃競技用――それもピストル・シルエット――に使われる。

むろん、
【銃声は小さく風の強い屋外で射てば、安物のスプリング式空気銃とあまり変らない】。
---

1960年09月11日の時点で未許可銃等は
 1958年10月購入 青色の【ペルナンディけん銃二万円】
 1958年10月購入 【スプリングライフル】
 1958年10月購入 弾薬各種
 1960年09月購入 【ベレッタが三万円】
である。

拳銃を買った直後の小説に書くときに、口径を違えるという作法があるようだ。
後年の小説では買ったママの口径で書く。
---
1958年10月頃購入【ペルナンディけん銃】Bernardelli Baby Model (V.B.) .22LR
 ホルスター有無不明
1958年10月頃執筆『血の罠』【イタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチック】(弾倉5+薬室1=6の意での六連発)
 【鞣し革のホルスターに入った】←ホルスター有り
1960年04月17日号~1960年09月18日号『みな殺しの歌』ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃(弾倉6の意での六連発)
 【ヴェルナルディリをのぞく拳銃は革ケースにおさめられていた】←ホルスター無し
---
1960年09月10日頃購入 【ベレッタM950ジェットファイアー】.25ACP
 小林証言によるとショルダー・ホルスター付きだ
1960年09月10日頃執筆 『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』イタリー製ベレッタ・ミンクス 〇・二二ショート
 ホルスター無し
1962年10月号~1963年09月号 『名のない男』【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】
 脇の下からホルスターをはずし…ズボンの裾をまくって臑にくくりつけて←ホルスター有り
1964年 『ベトナム秘密指令』【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】
 それが鞣し革のケース(ホルスター)にひっそりと入っている←ホルスター有り

後から書いた作品に出てくる口径が買った物と同じなので、ホルスター有無も後の作品が正しい。
よって【ペルナンディけん銃】は、 .22LR ホルスター無し。
んで【ベレッタが三万円】は、.25ACP ホルスター有りであろう。
---

●動機から口径を、もう一度推考してみよう
---
2021.07.16 追記
資料増えてから考え直しても、やっぱ以下は合ってるようにおもふのよ。
---
小林も新聞記事も消音器について触れていない。着かないとおもふが、含めて未所持。
安アパートの四畳半で撃つには発射音静かで更に威力の小さい拳銃が必要。
銃身長とかの条件にもよるが威力は .22LR(82~370J),.25ACP(85~89J),.22ショート(60~118J)
わかった!
【ペルナンディけん銃】はBernardelli Baby Model (V.B.) .22LRを買った。
弾倉に6発+薬室1発=7発だし、実包をライフルと共用できるし。
んで
四畳半射撃したら、マッチ・ターゲット実包使っても安アパートの壁をカンタンに撃ち抜くと判明。

そこで、
【ベレッタが三万円】は、 .22 Shortはあんまりなので、
.25ACPの推定ベレッタM950ジェットファイアーにした。
ジェットファイアー .25ACPは弾倉に8発で、ミンクスより多い。
ミンクス .22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある
ショルダー・ホルスター付きを買ったので、四畳半抜き撃ち練習ができる。
連発数も多いから、銃声が一度に聞こえる程の早業での練習も可能だ。
でも安アパートの壁は強敵で、 .25ACPにしてもやっぱり撃ち抜いたのであった。


ベレッタM950は
製造年:1952–2003
製造場所:ベレッタイタリア(1968年以前)
1968年以前のモデルにはセーフティが無い。

『GUN教室』1966年10月30日初版
連載1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」『GUN相談室』
---
まえがき
この本は、かつて”ヒチコック・マガジン”に連載していた”ガン相談室”を骨子として、それを補筆訂正したほか、さらに倍以上を加筆したものである。
---
P73寫眞(訂正書によりP91寫眞を入れ替え)


上:べルナルディリー・ベイビーM60←誤記修正
左:ベレッタ(M)950Bジェット・ファイアー
がわざわざ並んでいるつーことは、大藪購入はこの二丁で間違えないであろう。
右下のマカロフは攪乱つーやつだ。

ベレッタM950の.25ACP のものがベレッタ・ジェット・ファイアー(米国での商品名)だ。
ベレッタM950の.22ショートのをベレッタ・ミンクス(米国での商品名)と称する。
ベレッタ・ジャガーつのは、M950より一回りでかいやつだ。

1960年秋頃←推定この辺
「椎名町時代」
【彼の原稿取ってましたからね】
【彼が住んでたとこっていうのはー、あのー目白の近く】
アパート一階の【四畳半一間で撃ってん】
【ベレッタが三万円】
【大藪、春彦の家で見た】
【ベレッタをね、枕の下に入れて】
【出るときに】【ショルダーホルスターへね、背広の下へね、入れてね、こ鏡見て】
「【これ、わかんないだろう、これだと】」
【夜酔っぱらって帰って撃っちゃって、隣の部屋に突き抜けて、大騒ぎ】
【かっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ】
【ピストルですよ、抜き撃ちを】
【抜き撃ちの練習】
【それに向かって、こう撃っ、撃ってるうちに】
【手元が狂って、隣の部屋に撃ってね、隣のおやじが酒飲んでるとこ、パァーン】

これはアパート一階四畳半でのできごとであるから、
【ベレッタが三万円】ショルダー・ホルスター付きを買うが速いか、瞬く間に柱や壁を弾痕だらけにしたのであろう。
2021.07.16 追記
 1958年10月頃購入している【青色のペルナンディけん銃二万円】でもバンバン撃っていたとおもふわ。
おそらく小林には【ベレッタが三万円】の印象が強烈だったのであろう。

※1976年04月10日発行 新評社 『別冊新評「大藪春彦の世界」』
『安保前夜、文学仲間たち』石井清司
---引用---
彼の下宿の柱と壁は、鉄砲の弾のあとだらけだそうだ、…
------
壁の穴についての証言二つ目。
こっちは伝聞だけどね。

おとなしくビール飲んでたらいきなり拳銃弾撃ち込まれたのに、
【怒るだけだった隣のおじさん】にはぐっとくるよな。
流石は1960年である。
そもそも四畳半でどーして安心して撃ってたのかつーと、
以前から執筆時等に実銃をパンパン撃っていたから、
銃声のみだと隣のおじさんも
「またおーやぶのやろうピストル撃ちやがって」でおしまいだったからだ。
撃ち込まれて初めて怒るわけだが、そこはそれ
【あれはねー、地続きだったんすよ。だら、地続きだからうけたんですよ】
なのでいちいち、けーさつにいいつけたりしないのだ。

.25ACP弾拳銃の威力,反動,発射音について(同じような銃のリポート)
「スコラ」1983年06月06日号掲載『素晴らしきアメリカ射撃旅行』より↓
---
バウアー.25ACP――女性専科の護身銃

発射音は、ひらけた屋外では「パン」と乾いた音がする。もし、
【日本の河原でこの銃を撃って】いても、ほとんどの人は、
【カンシャク玉を詰めたモデルガンだと思って、通りすぎてしまう】だろう。
---
わざわざ【河原で】って書いちゃうからバレるのだゾ。

1960年10月01日発行「ヒッチコックマガジン」1960年10月号
大藪 読物・他『続・拳銃特集??座談会/拳銃族まかり通る!』

1960年12月号「ヒッチコックマガジン」
大藪 読物・他『弾道講義』

1960年11月頃
大藪 アパート二階の六畳+四畳半の部屋が空いたから、アパート一階の四畳半一間から転居。

註:すでに後の奥さんと同居してた。
後年は奥さんを「ママ」と呼んでいた。
婚約したころは「チビ」と呼んでいた。
 ↓
1960年11月09日号 「週刊平凡」
『野獣派作家 大藪春彦の”突然結婚” 婦人記者と作家のロマンス
来年の二月の挙式を前に静竜子さん(24)とアパートの甘い生活に入った二人の場合』
---引用---
「正式に婚約なさったのは?」
という質問に、
「さあ、それはチビの方がおぼえているだろ」
と、大藪氏が竜子さんの顔をさしのぞく。
「あなたがうちへ話にきたの九月初めじゃなかったかしら」
------
大藪先生ぞっこんですな。

わかった!
小林「だってあの人はだって、アパートの二階の部屋へ行ってからいい。下の部屋にいたとき、夜酔っぱらって帰って撃っちゃって、隣の部屋に突き抜けて、大騒ぎになったんすから」
アパート二階の六畳と四畳半への引っ越しは、龍子さんとの結婚の前段階の半同居のため。
一階の四畳半の部屋は【かっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ】【柱もう一杯になちゃったんでねー】この状態。
龍子さんは担当編集者だから、この「カベの穴」を見てる。
当然に「あなた、二階のお部屋でピストル撃ったらダメよ」と云われたであろう。
よって、アパート二階では室内ピストル射撃しなかった/できなかった
のであろう。
これを小林からみると、「アパートの二階の部屋へ行ってからいい」となるわけだ。
故に、
室内ピストル射撃は、
※1958年10月【青色のペルナンディけん銃二万円購入】から
※1960年09月11日【ベレッタが三万円】をはさんで
※1960年11月頃アパート一階の四畳半一間から転居
ここまでの間のできごとである。
お部屋で撃つと、カベの穴残り→「あなたナニやってんですか!!」とばれるもんな。
なお、奥さん(チビ→ママ)の留守に窓からライフルを撃っても、煙突は離れてるからばれないよね。
  ↓そこで
1960年11月頃 
「椎名町時代」
【彼が住んでたとこっていうのはー、あのー目白の近く】
アパート二階の、六畳と四畳半
【窓んとこ行って】「【ふろ風呂屋の煙突見ろ】」
【彼が、あのーあれですよ、ええとあのー、撃つ撃つわけですよ】」
【煙突の上の方に黒い煙がパーッと上がる】

【アパートの窓からライフルをぶっぱなした】つー別情報も多数ある。複数の編集者が煙突射撃を目撃してるのであろう。
【アパートの窓】つーのが生々しい。

※1976年04月10日発行 新評社 『別冊新評「大藪春彦の世界」』
『義理人情の男』大坪直行
---引用---
「大坪さん、試射してみますか」…
「面白いですね、やりましょう」…
大藪春彦氏は二階にあった下宿のガラス戸を開けるや、二百メートルほど離れたところに立っている風呂屋の煙突に狙いをつけ、ライフルの引金を引いた。
”バチッ”
白い煙が、命中したと思われる煙突の一部から出た。その時の大藪春彦氏の満足そうな笑みを私は今も忘れられない。
「当たりましたよ」
ニコッと笑いながら、私にその銃をつきつけ、こんどはやってみろというのである。
------
大坪はこれを昭和33年=1958年としてるけど、アパート二階だから1960年11月以降である。
「二百メートルほど」も、はたしてそうかな?
にしても、小林証言の正確さがきわだつよなあ。
小林【二階が六畳と四畳半かな】
 【やっぱざあ本当に1960年んすよ】
 【窓んとこ行って】
 【ふろ風呂屋の煙突見ろ】
 【煙突の上の方に【黒い煙】がパーッと上がる】
なお、アパートの何階かを記載してるものはすべて【二階】である。

1960年11月頃
大藪 竜子さんの目の前で風呂屋の煙突射撃
 1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
文脈からは結婚承諾前ととれるけど、風呂屋の煙突射撃は二階からなのでこの頃である。
---引用---
「原稿を……」
彼の背に向けて竜子がいいかけた時、彼は一発猟銃をうった。はるか向こうの風呂屋の煙突に当たって、はね返った。
「非常識だわ、いくら深夜だからって、こんなところから猟銃をうつなんて」
なじる竜子に、彼は手早く窓を閉め、銃を押入れにかくしてから、
「ぼくにはこれしかないんだよ。十日に一度、この銃を一発うつときだけが生き甲斐なんだ……」

そういえば、そのあたり一面白っぽく弾の痕が残っているようにみえる風呂屋の煙突をガラス窓越しに眺めながら、…
------
十日に一発で遠目に白くならないよ。

この煙突射撃を止めたのは「これ以上射つと、煙突が折れる可能性があるから」であるが、「お龍ちゃん」に煙突射撃を含む居室内実弾射撃が全面禁止されたからであろう。
結婚後は梅ヶ丘の一軒家なので、手近な煙突もなかっただろうし。

『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
1960年10月16日号『骨折り損』
---
五郎は銃床を掴んで、ライフルを引き出した。銃はウィンチェスターM五二のボルト・アクション。〇・二二の小口径リム・ファイアだった。スポーティング・タイプだ。

道夫が無言でそれを受け取り、ポケットから出したレミントンの緑と赤の弾箱に詰まったマッチ・ターゲット、つまり試合競技用弾を、弾倉に詰めはじめた。
競技用の〇・二二ロング・ライフル弾は、弾速が遅い。ハイ・スピード弾とくらべると、はるかに威力は劣る。
しかし、〇・二二口径のライフル旋条は、一六インチに一回転となっている。これは火薬が粗悪だった数十年前の〇・二二口径を基準としているので、高速のハイ・スピード弾は、回転が早すぎて十六インチ一回転ではおっつかない。したがって着弾点は乱れ、針束でつついたような着弾の集中は望めない。
それに反し、競技用弾は、優秀な火薬と厳密に計られた弾頭を使用しながら、わざと火薬量を落して弾速を殺し、十六インチ回転にに合致してあるので、五十メーターも先の標的でも重量のある競技用銃を使えば十点センターへの着弾集中はざらに見られる。
【おまけに発射音は小さいので、車の往来の激しい騒音の街で射ったのでは、二十メーターも離れれば発射音は気づかれないであろう。】
---
【.22LRマッチ・ターゲット実包煙突射撃】きました。
うまい具合に【トタン屋経営目白通り沿いのアパート】だ。車の往来は激しいのだ。

【ライフル四畳半ミカン箱射撃】は、
 1959年10月21日『小林信彦60年代日記 1959~1970』に小林信彦の目の前でやってる。

「週刊プレイボーイ」1968年01月09日号掲載 対談:三島由紀夫『武器の快楽』より
---
三島 あなたが、
【昔週刊誌を30冊ぐらい積んでおいて】、いちばん前の表紙の山本富士子さんの顔を
【ライフルでぶち抜いている】という話は聞いているんです(笑)。ほんとでしょう。
大藪 大昔のことです。若気のいたりで……(笑)。
---
なんでもありだな。
同人誌「青炎」編集人室岡博さんが見ていた。

1961年01月01日新潮社(単行本)
大藪 『ウィンチェスターM70』

1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」
大藪 読物・他『GUN相談室』大藪口述→速記→文字おこし

1961年02月「梅ヶ丘時代」一軒家,駐車場なし
大藪 担当編集者だった静竜子と結婚。媒酌人佐賀潜(弁護士松下幸徳)
   世田谷区梅ヶ丘に転居。

1961年「梅ヶ丘時代」
大藪 自動車免許取得
註:だから1960年以前の初期作品では主人公がクルマ運転してもアクセレレーターを強く踏んで走るだけで、トランクに積んだ札束の重みでオーヴァー・ステアになったりしないのであろう。

クルマ変遷
310ブル(1961年?)→SP311(1965年?)→S54B-3(1966年?)→PGC10(1969年/車台番号03)→グロリア→530i→533i→535i
1980年代のエッセイだかで、
「ぼくのようにワイルドに走る人はBMWの5シリーズがよい」と書いてあった。
他には運動靴でなんだったかな? ゲタ代りにホンダのシビックかなんかに乗っていた。

1962年04月「↓松原時代」一軒家,駐車場有り。以後終生松原在住
二階の廊下で編集者(徳間書店鈴木晴一さん)と空気銃標的射撃をしていた。
大藪 世田谷区松原に転居。長男生まれる

子供ができてから 大藪龍子さん談 1998年頃
---
子供がちょっとでも熱があるといいますともう、
大変な騒ぎでもう明日をも死ぬような感じで、
大騒ぎでしたり。
子供がぁ、盲腸になったりといいますともう、
仕事はもうこちらに置いて、
徹夜しりゃあいいという感じで、
一緒に病院に行って、
(合掌した手を上げ下げ)
「はあーーどーぞ、すぅーどーぞ」
って言ってあのー
「無事でありますように」って言って。
おとうさん盲腸では今は死なない時代だ、と言っても
「いや、わからん。ちゃんとお願いしなさい」
とかね(笑う)。
言いまして。
---

1962年08月~10月頃
大藪 高松一高の同窓のAに【趣味で持っていた拳銃】2丁の内、
青色の【ペルナンディけん銃二万円】と【実弾十二発】を【持ち逃げ】された。
したがって以後、未許可銃等は
 1958年10月購入【スプリングライフル】
 1958年10月購入 弾薬各種の残り
 1960年09月購入【ベレッタが三万円】
である。

1962年10月号~1963年09月号まで12回連載「推理ストーリー」
大藪 連作短編『名のない男』
主人公「私」の愛銃↓
【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】

1962年12月01日発行「ヒッチコックマガジン」1962年12月号 第4巻13号 通巻第41号 定価180円 208頁
大藪 読物・他『GUN相談室』第24回
本号以降、「ヒッチコックマガジン」に大藪作品掲載無し

1963年01月
小林 宝石社を解雇

1963年07月01日発行「ヒッチコックマガジン」1963年7月号 第5巻7号 通巻第48号 定価180円 172頁
本号で「ヒッチコックマガジン」休刊

1963年11月14日放送 日本テレビ「人」
大藪「そーですね。
やっぱりぃ、普段のこのうーぅー生活の鬱屈したものが、
あいん合法的にこうー、発散、できるってゆうことですね」
アナ「ええ」
大藪「あぁなんてゆうか。
銃を撃つときの精神と肉体の、極度の緊張感ってゆうのと」
アナ「はあはあ」
大藪「それとまあ。なんてゆうんか。
鬱屈の中にくすぶっているこの破壊本能のね」
アナ「ええ」
大藪「がー、まあある程度満足(笑う)

できるということね」
アナ「なるほど」
大藪「ううん」
デビューから逮捕前まで、かなり頻繁にテレヴィに出ていたようだ。

1963年
大藪 大口径ライフルに夢中。
   仲間と「トーキョー・シビリアンチームNo.1」という射撃チーム結成。
   毎月のように立川,座間,厚木の米軍基地の練習場に通う。


1964年01月
警視庁の第一次組織暴力取締頂上作戦開始。
組織の中心人物の検挙,資金断絶,凶器摘発強化,対立抗争早期鎮圧など。
これが原因してるのね。

1964年
大藪 年末に東南亜細亜旅行~ヨーロッパ旅行。
   セッター犬チリーを得て、アブランド・ゲーム(山トリ,キジ,コジュケイ等の猟)にのめりこむ。

   夏に次男が死産。

1964年 初出不明
大藪 中編『ベトナム秘密指令』
主人公「水野洋治」の愛銃(官給品)↓
【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】

1965年01月
大藪 米軍座間キャンプにおけるN・R・Aの極東選抜射撃大会でファースト・マークスマンとなる。

1965年02月14日
高松 坂○組捜索
坂×組員CCCC(31)方からけん銃を押収。
組員CCと組長BBも同日逮捕か。
同年02月末までに、大藪友人AA逮捕。

1965年03月01日家宅捜索開始午前07時20分 大藪逮捕午後01時10分または午後01時45分
(毎年三月は不吉なことばかり起る)
大藪 拳銃不法所持容疑で高松署から派遣された係官によって逮捕。
   さぞや発狂しそうになったことであろう。
   東京駅発の「ひかり十七号」で高松北署へ護送
   護送中の名古屋駅で記者団に取り巻かれ、新幹線3分遅れ。
   記者団が、東京駅出発には間に合わなかったのであろう。
   高松北署に21日間拘留後、釈放。
   後に高松地方裁判所の審理で、懲役1年執行猶予3年判決。
   この事件のため仕事激減。ハンターのガイドまでやった。
   うぃき記載の【自首】は誤り。
 1965年03月01日夕刊又は1965年03月02日朝刊
 1965年03月02日(朝夕刊不明)
 1965年03月18日「週刊現代」『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
以上は1958年10月~12月の項に前掲してあるぞ。


※1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
捜査の後、刑事が春彦に会って任意同行を求めると、
「今は依頼された原稿もあるので、応じられない」
と、拒否した。そこで捜索令状は直ちに逮捕令状に書き換えられた。
------
家宅捜索時、押収の後、いきなりは逮捕状執行せず、任意同行をすすめたのになあ。
その結果、タイホなのだ。
んで捕縛され新幹線かあ。
ひたすらコクのあるじんせーだ。

【四国のヤクザ】の、けん銃の【入手ルートは、大藪春彦だった】。
【四国のヤクザが吐いたんですからね】小林の記憶は正確無比。
※「大藪からもらった」と吐いたのは、【ペルナンディけん銃】を詐取した友人AAAA(28)=【四国のヤクザ】所属組不明 である。

このとき自宅から押収されたのは、新聞記事二件と週刊誌記事一件をまとめると
・未届けのライフル銃(スプリングライフル)1丁
・ライフル銃用実弾千発
・カービン銃の実包千発
・48口径、45口径などの実弾六発
・短刀、散弾など
である。
つまりこの家宅捜索時には、詐取されてた、青色の【ペルナンディけん銃二万円】は無論だが、
【ベレッタが三万円】と、使用実包は発見に至らなかったのね。

1965年03月01日午後時点の 未許可銃等は
 1960年09月購入【ベレッタが三万円】+弾薬もあったかもね
である。

【未届けのライフル銃一丁】【スプリングライフル】つーのは、
スプリングフィールドM1903小銃 口径.30-06とおもわれる。
米軍放出品が多量にあったようだ。
くだんの米軍軍曹殿から買ったのであろう。
「口径三〇-〇六のスプリングフィールドのスポーター改造銃」は許可得てるんだが。
無改造のやつか?

【未届けのライフル銃一丁】は、必ずや、とある山中で試射しているハズ、であろう。
1960年短編『暗い春』より
---
寺田はその金で四倍のスコープつきの口径〇・三〇-〇六ウィンチェスター・モデル七〇を買った。…
正月、寺田は汽車に乗りこみ、宮城の寒村で降りた。山に入り、三〇〇メーターにスコープを合わせた。
---

「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
昭和40年3月1日――僕は逮捕された
三月は暗い月だ。毎年、不吉なことばかり起る。
昭和四十年(1965年)三月一日、僕は高松警察署から派遣されてきた係官により、拳銃不法所持の疑いで逮捕された。
二月十五日でその年も猟期は終わっていた。
二月末日、僕は猟で知あって共猟したこともある都下M市の友人の勧めで、M署の刑事さんたちが鎌倉で開いた酒宴に加わった。
泥酔した僕が気がつくと、その友人の家で寝かされていた。もう陽が高かった。そこで朝メシを喰っていると、留守宅から、今高松から大勢来て家宅捜索が行われているからすぐに帰るように、と電話があった。
帰りの車の中で、僕は白昼夢でも見ているような気分だった。高松という言葉から、僕が
【趣味で持っていた拳銃】を【持ち逃げ】した、高松一高の同窓のAという男のことを想いだした。
【昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、】
【ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友】から
【拳銃を二丁ゆずってもらっていた】のだ。犯罪に使おうなどという気は毛頭なかった。僕は車でもそうだが、メカニズムが好きで、
【分解組み立てして一人で楽しんでいた】のだ。
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
【つい僕が見せた拳銃のうちの一丁】を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
ともかく、僕は
【残っていたもう一丁も警察に提出】し、裁判で有罪判決を受けた。…
---
やっぱり!
【つい僕が見せた拳銃のうちの一丁】
来る客来る客、見せびらかしてたんだ。
しまいにバレるって。

【残っていたもう一丁も警察に提出】つーのは、【ベレッタが三万円】のことである。
断腸のおもひといへやふ。
この時点の 未許可銃等は
 ナシ
である。

【趣味で持っていた拳銃】で【分解組み立てして一人で楽しんでいた】以外のやったこと一覧。
---
推定 青色の Bernardelli Baby Model (V.B.) .22LR の部

・推定 【ソフト拳銃】したり、
・推定 このとき【頭上の小さな自動拳銃の重みは、慣れるとほとんど感じない】
・推定 【スネ拳銃】したりして、
・推定 徘徊した。
・推定 【日本の河原で】撃ったりもした。
・推定 試しに四畳半で撃ったら壁を突き抜けた。
   (次の拳銃は威力の小さい実包を使おう)
---
推定ベレッタM950Bジェット・ファイアーの部

・担当編集とか来る客に【つい僕が見せた拳銃】みせびらかしたり、
・マクラの下に入れて寝たり、
・外に出るときにセビロの下のショルダー・ホルスターに入れて徘徊したり、
・居室四畳半で抜き撃ち練習をして柱を弾痕だらけにしたり、
・.25 ACPでもやっぱり壁を抜き隣室に撃ち込んだり、もしていた。
また、
・推定 『みな殺しの歌』衣川の逃亡経路の荒川河川敷へタクシーで往復
・推定 【日本の河原でこの銃】【三万円】の推定ベレッタM950Bジェット・ファイアーを【ショルダーホルスターへね、背広の下へね、入れてね】
・推定 推定ベレッタM950Bジェット・ファイアーを【四畳半一間】練習の成果で素早く抜き撃ちし、
・推定 【ショルダーホルスターへね、背広の下へね】素早く戻すと
・推定 【これ、わかんないだろう、これだと】となり
・推定 道行く人は【カンシャク玉を詰めたモデルガンだと思って、通りすぎてしまう】、などもしていた、であろう。
---
未届けのスプリングライフル銃の部

・推定 目立たぬ外観の茶色の310ブルー・バード1200cc――
六十二年型のその車は、機会あるごとにスピード・ショップに持ち込んで機関部を改造してあるから、加速のよさは抜群だ。百二十馬力にチューン・アップしたヱンジンとクロース・レイシオの五段ギヤの組み合わせで、発進から一〇〇キロに達するまで十秒を切る――に
溶接で着けた電動扉付き隠し物入れ(ヒミツのSWで扉開閉)内へ、
・推定 【未届けのスプリングライフル銃】と、
・推定 【ライフル銃用実弾千発】の一部と、を入れ、
・推定往復運搬して
・推定 とある山中で試射していた、のであろう。
・推定 1962年08月~10月頃にかけて詐取された【ペルナンディけん銃二万円】と、
・推定 家宅捜索でみつからなかった【ベレッタが三万円】と、
・推定 家宅捜索でみつからなかった拳銃用実包の一部も、同時に持ってって
ついでに試射してたかもしれない。
---
【所持許可の部】
・アパート二階の窓からウィンチェスターM52口径.22ロングライフル等で、
・【.22LRマッチ・ターゲット実包】を使い、
・風呂屋の煙突を狙撃し
・その弾着を、担当編集や、後の奥さんにみせびらかしたり、もしていた。
その場合【トタン屋経営目白通り沿いのアパート】なので
・【おまけに発射音は小さいので、車の往来の激しい騒音の街で射ったのでは、二十メーターも離れれば発射音は気づかれないであろう。】
・かつ【パトカーがやってきたことは一度もない】であろう。
また、
・小林信彦の目の前で
・【ライフル四畳半ミカン箱射撃】したり、
・【週刊誌を30冊ぐらい積んでおいて】
・【いちばん前の表紙の山本富士子さんの顔を】
・【ライフルでぶち抜い】たりもしていた。

当時、発射そのものは違法でなかった。
射撃場以外で射撃練習は禁止だから、規則違反で所持許可取り消し(行政処分)はありそうだが。

※1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
「大藪君を推理作家協会から除名するかどうかは、まだいえない」(佐野洋・日本推理作家協会理事)

「ウチに連載中の大藪君の小説は切ることになったが、これはわたしが高松に行き、北署に留置されている彼と会って合意の上で決めたことだ。そのほかのことについては、今はなにもいえない。ただ、わたし個人の感情をいえば、彼に同情している」(『週刊アサヒ芸能』編集長・山下辰巳氏)
------
※1976年04月10日 「別冊新評・大藪春彦の世界」
『四一歳の伊達邦彦はなにをめざすのか』
---引用---
大藪 それから光文社の書き下ろしにかかっています。「ハーレムより愛をこめて(仮題)」という伊達邦彦物で、昔「アサヒ芸能」に連載していた作品ですが、ピストル不法所持事件でパクられ、長いあいだ中絶していたんです。それを書き下ろしで七、八〇〇枚くらいの作品にしているところなんです
------

1965年07月29日 渋谷少年ライフル魔事件発生
事件概要
---
当時18歳の少年が、警官一人に発砲射殺。通りかかった車数台を、だます威すなどして乗り継ぎ、渋谷のいきつけの銃砲店に店員3名を人質に立て籠もる。
「豊和M1カービンもってこい。これは30連発だから30発詰めろ。お次はウィンチェスターM100だ次はレミントンだ」
などと云いつつ、都合130発発砲し、警官隊,報道,やじうまなど16人に重軽傷を負わせる。催涙弾であぶりだされて逮捕。
逮捕後の取り調べで
「大藪春彦の『野獣死すべし』のような事を実際にしてみたかった」
「『ウィンチェスターM70』の主人公のようにのようにパトカーの警官二人も情け無用で先に射殺しておけばよかった」
などと供述。
後、死刑判決。1972年執行
---
往時の大藪春彦ブーム,ガン・ブームの規模と影響の大きさを表している。
ブームを煽っていい商売したマスコミは、大藪逮捕,渋谷少年ライフル魔事件をまとめて、おおいに叩きまくったことであろう。

1965年夏から秋頃(推定)
大藪 高松地方裁判所 判決
懲役1年執行猶予3年の有罪判決
(執行猶予3年は1968年の、裁判の判決出た月には完了する)

1965年 高松地裁判決の後の猟期(秋頃か?)
大藪 猟の職業案内人になる
「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
【判決が下りた後の猟期】、僕は週のうちの五日以上を猟場で過ごした。当然ながら仕事の依頼も少なくなったし、僕は猟の職業案内人になってお客さんに満足できる猟果をあげてもらいたかった。
---
1965年03月逮捕~判決~1966年03月行政処分の間は、【猟銃の所持許可はそのまま】だった。

※1970年1月号「AUTO SPORT」インタビュー記事『トップドライバーの恋人は? 契約金は?』
---引用---
北野「だから、大藪さんなんかも下がればスパッとですね」
大藪「パクられたときにそうでした。それで、クソッとおもったんです。「それじゃ、そんなところに書かない」と言って不貞腐れったら、それでまた三倍にパッと上がった(笑)」
------

1966年03月(毎年三月は不吉なことばかり起る)
大藪 東京都公安委員会から、猟銃の所持許可を取り消され、以後3年間(1969年03月まで)猟銃を所持できず。
註:行政処分。
たしか許可が無くなると没収され溶鉱炉。売ったかもしれん。
ザンネン。
「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
そして四十一年(1966年)三月。前年の事件のせいで、僕は公安委員会に猟銃の所持許可を取り消された。取り消されると、三年間猟銃を持てない。そのショックで茫然としていた僕は階段から落ちて腰を痛め、さらに悪い事は重なって、チリーまで盗まれてしまった。
僕は発狂しそうになった。身から出たサビとはいえ、なつかしい冬枯れの猟場にも、六十秒十発の速射の号令を待ってライフルを腰だめにして待つ米軍大口径射場へもお別れか……。
僕を発狂から救ったのは仕事であり、モーター・スポーツであった。四十一年(1966年)は網や罠の甲種狩猟免許を受けると共に、所持許可のいらないボウガンで猟場にも出てみたが、自分がみじめでやめてしまった。
---
ふんだりけったり、であろう。
---
…執行猶予期間はとっくに過ぎているし、この(1969年)四月で法的には再び猟銃が持てる筈だ。これからも権力に身を売る積もりはないが、公安委員のかたがか、ぜひとも僕が再び猟銃を持つ許可をおろしてもらいたい。…
---
所持許可下りてよかったですな。

1966年冬
大藪 三八度線取材

1968年
大藪 次男生まれる
   銃が持てない3年間はモーターレースに熱中。「チーム・マグナム」結成。


1968年12月10日
大藪 三億円事件発生。『血まみれの野獣』そっくりだったため意見聴取受ける。

1969年04月01日
大藪 猟銃所持許可下りる。

1973年09月 TOKYO BOOKS『沈黙の刺客』
大藪 『沈黙の刺客』「捕える」
表記 【ヴェルナディリ拳銃】

  ↓======以下つづき======↓

大藪春彦年表の追補部分
・銃の規制現行法の抜粋
・【ペルナンディけん銃】詳細,1958年『血の罠』,1958~1959年『醜聞』,1959年02月号『その罠を噛み破れ』,1959年06月号『次は誰だ』,1959年『夜に潜む』,1960年『みな殺しの歌』
  『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾ
・【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷など
・1960年末頃の猟銃一覧
以下【ベレッタが三万円】について
・1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
・1962年連作短編『名のない男』
・1964年中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950
・エピローグ部分 など
  ---↓ここにあり↓---
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版
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大藪春彦 うまい具合に 1『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部

2021年03月30日 | 大藪春彦GUN研究
『大藪春彦マインド 荒野からの銃火』を読みつつ、
大瀧詠一と小林信彦との対談を聞いたら、
大藪春彦御大のスルドイ話が出て来た。

【ベレッタが三万円】

【ヤクザが売りに来るし、好きな人は買う訳です】
【大藪春彦の家で見た】
【ベレッタをね、枕の下に入れて】
アパート一階の【四畳半一間で撃って】
【出るときに】【ショルダーホルスターへね、背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって】
「【これ、わかんないだろう、これだと】」
【夜酔っぱらって帰って撃っちゃって、隣の部屋に突き抜けて、大騒ぎ】
【かっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ】
【ピストルですよ、抜き撃ちを】
【抜き撃ちの練習】
【柱もう一杯になちゃったん】
【それに向かって、こう撃っ、撃ってるうちに】
【手元が狂って、隣の部屋に撃ってね、隣のおやじが酒飲んでるとこ、パァーン】

アパート二階が空いて引っ越し、六畳と四畳半
【窓んとこ行って】「【ふろ風呂屋の煙突見ろ】」
【彼が、あのーあれですよ、ええとあのー、撃つ撃つわけですよ】」
【煙突の上の方に黒い煙がパーッと上がる】

【当時割に四国っていうのはピストルが自在だったんですね】
このあたりで「大藪くるゾ」とおもったんだよね。

本項敬称略

大藪春彦年表はこちら↓
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2大藪春彦年表の部_増補改訂版

/年表のおしまい部分とエピローグ↓
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3凶銃のエピローグ_増補改訂版
銃の規制現行法の抜粋,
・【ペルナンディけん銃】詳細,【ペ】のナゾ,【ベレッタが三万円】の妥当性,1960年末頃の猟銃一覧,【ベレッタが三万円】,エピローグ部分 など

大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版

さらに総まとめ的に
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの結論的年表
いったいゼンタイ、なにがどーして結局逮捕に至ったのか、わかるわよ

本項巻末に『小林信彦60年代日記 1959~1970』がでてくるわよ。

つべにあるので聞いて。←リンク要部
-------------
以下文字おこし
2002年03月09日
大瀧詠一のスピーチバルーン ゲスト小林信彦 その1日活映画の話

------開始46分~------
大瀧「『南海の狼火』はワクワクしましたよ」
小林「うふふふなんかね」
大瀧「中1ですけどね。うふふ」
小林「あれは、確かあれでしょう。あのーキャバレーの入り口にすーっと旭が入ってきちゃうやつでしょ。やっぱり、いくら四国でもねえ、キャバレーの番人ぐらいいるだろうっての」
大瀧「橋の上で対決するぅ」
小林「そうそう」
大瀧「宍戸錠とあのー、さいこ何か投げて、止まったら撃つとかいうああいう」
小林「これはねー、差し障りがあったら、あれですけど。
【当時割に四国っていうのはピストルが自在だったんですね】」
大瀧「ふふふっ、四国うっふっふ」
小林「いや、ほんとですよ、あのー」
大瀧「宇和島だもんなぁ」
小林「あの60、60年っていうのは、60年安保の時でね」
大瀧「はあー」
小林「(私は拳銃の本出してたから)非常に拳銃にうるさかったんです」
大瀧「はあー、拳銃の本作ってましたよね、小林さんね」
小林「いっ今の。僕は。だから、あの、知ってんですけれどね。あのー四国の人っていうのは割合に」
大瀧「ふうん。ふふふっ」
小林「んんだから【大藪春彦が、捕まった】のはね。
(1965年03月01日拳銃不法所持容疑で、高松署から派遣された係官によって逮捕)
【四国のヤクザが吐いたんですからね】」
大瀧「あ、そうですか。へぇーえ」
小林「ええ。でえー」
大瀧「入手ルートはそこだったんですか」
小林「【入手ルートは、大藪春彦だった】うっふっふ」
大瀧「うっふふふっ」
小林「それで、いやあのねえ、【売りに来たんですよ】」
大瀧「売ってたんだ」
小林「拳銃を」
大瀧「ほぉー」
小林「で、あのー1960年は」
大瀧「ほおー」
小林「なぜかっていうとねえ。60年安保のなんか荒んだ空気っていうのもあるんでしょうけどね」
大瀧「はあい」
小林「で、大藪春彦がまた「中央公論」にあの、警官、の拳銃をですね」
大瀧「なるほど」
小林「いざとなったら警官の拳銃を奪って、撃つ。普通撃てませんからね」
大瀧「うん」
小林「あんなの取ったって」
大瀧「うん」
小林「撃つときの、方法をねっ」
大瀧「ふっふっふっふっ」
小林「そんなもの「中央公論」に書くなっていうんだけど」
(1960年08月号「中央公論」大藪 エッセイ『テロのムード』)
大瀧「うっそーらー」
小林「いやっ割合にねぇ」
大瀧「まあそういう時代でしたーよね」
小林「それでねえ」
大瀧「ああ」
小林「安かったすよね」
大瀧「はあー↓」
小林「だかあのー。例えば給料が、まあ一万五千円、僕の給料が一万五千円ぐらいかな」
大瀧「はぁい」
小林「そうすっと、僕の、僕はその、ぎっ人の家を、の二階借りてたからそこへは来ませんけどね。
【家構えてると、拳銃ブーム、で好きそうな人のところ来たすよ】」
大瀧「売りに来た」
小林「【お金がないから向こうが】」
大瀧「はあああ」
小林「すとねえ。だいたい僕の記憶じゃ、
【ベレッタが三万円】ですよ」

大瀧「おっおー、そんなもんで手に入ったんですか」
小林「僕は、【大藪、春彦の家で見た】から。
大瀧「あっふ」
小林「【ベレッタをね、枕の下に入れて】んですよ」


大瀧「ふっふっふっ」
小林「007じゃないっつんだよ」
大瀧「子供じゃないんでしょ、それ」
小林「007じゃないしねぇ。あのー。えー
【彼が住んでたとこっていうのはー、あのーめ目白の近く】でね。なにもそんなとこで、ピストルをね」
大瀧「持ってなくても」
小林「いや、【彼はだけどこー。ああーなんかこう楽しいんですね】」
大瀧「ああーん」
小林「それであのー、
【出るときに】ねえ。あのー、
【ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって】」
大瀧「こぉれがねええええ」
小林「「【これ、わかんないだろう、これだと】」ってゆう。わかんないとおもって、捕まったら。
【そのくせねえ結構、拳銃のルールにはうるさいんすよ】」
大瀧「ああんなるほど」
小林「で、無駄話になるけど。彼はねぇあのー、猟銃何、何丁も持ってたんすよ」
大瀧「はあ」
小林「【4丁ぐらい持ってた】んすよね」

大瀧「ええ」
小林「それで、こう、ガンケースってゆうんですかねえ入れてあるんですよ」
大瀧「アパートに立てかけてあるんですか」
小林「ほんアパートに」
大瀧「はえー」
小林「だってあの人はだって、アパートの二階の部屋へ行ってからいい。下の部屋にいたとき、
【夜酔っぱらって帰って撃っちゃって、隣の部屋に突き抜けて、大騒ぎ】になったんすから」
大瀧「うっふっふっふっふっふ」
小林「それで
【かっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ】」
大瀧「あっぶねぇー」
小林「これなんだ? って云ったらね、柱に」
大瀧「それで撃ってんの」
小林「したら、いや、
【ピストルですよ、抜き撃ちを】」
大瀧「(大声)部屋の中で!」
小林「【抜き撃ちの練習】してんすよ」
大瀧「えっふっふっふっふっふ」
小林「それでねー。それでーそのーねぇ」
大瀧「早撃ち、何秒、何秒かって(うれしそう)」
小林「そうそうそう。で、
【柱もう一杯になちゃったん】でねー」
大瀧「うん」
小林「そいでこのーねえ。(安土として)みかん箱にね新聞紙を縦に入れんすよ」
大瀧「はい」
小林「であれ、突き抜けないんですよ」
大瀧「ほぉー」
小林「そうすっと、
【それに向かって、こう撃っ、撃ってるうちに】ね。
【まっ手元が狂って、隣の部屋に撃ってね、隣のおやじが酒飲んでるとこ、パァーン】。
物凄いおこっ怒られたという」
大瀧「ギャグじゃないですかそれ」
小林「いや、ほんとに。僕はそこ、あのー」
大瀧「ねぇー」
小林「うう(ヒッチコックマガジンの編集長だった小林は)
【彼の原稿取ってましたからね】」
大瀧「うーん」
小林「そいで。んのうち二階が空いてね、二階が六畳と四畳半かな、そこが空いたんですよ」
大瀧「ううん」
小林「それまで
【四畳半一間で撃ってん】ですからねー」
大瀧「うふふっ」
小林「そいで六畳、

と四畳半とこ入って。


で【六畳の方にガンケースがあって】」

大瀧「ほおー」
小林「んでー」
大瀧「本当にー狩り、とかハンティングやったんですか」
小林「いーやります、やります」
大瀧「はあーん」
小林「それで、あのー。すーすーそその前にこうねえ」
大瀧「ううん」
小林「あんのー窓んとこへ、
【やっぱざあ本当に1960年んすよ】。
【窓んとこ行って】ね。「【ふろ風呂屋の煙突見ろ】」っつ云うんですよ」
大瀧「ふふ」
小林「そいで僕に双眼鏡渡してね、見てろって言うんで見てるとねー。
【彼が、あのーあれですよ、ええとあのー、撃つ撃つわけですよ】」
大瀧「はい」
小林「そうするっとねー、
【煙突の上の方に黒い煙がパーッと上がる】んですよ」
大瀧「そい日活映画そのものじゃないすか」
小林「ええ、いやだあ、
【あれはねー、地続きだったんすよ。だら、地続きだからうけたんですよ】」
大瀧「ああいうことはね。ううーん」
小林「そい、今フィクションってこいフィクションだけども。割にそうだったんです」
大瀧「んうですね」
小林「それで、【ヤクザが売りに来るし、で好きな人は買う訳です】よね」
大瀧「うーん」
小林「うで、だからその、その特集(ヒッチコックマガジンで拳銃特集)をやると、(その雑誌が)売れたっていうのは、そういうことなんですよ。なんも単に、割にポピュラーだったんですね。だから僕は、だから新聞で叩かれましたもん」
大瀧「ううーん。でしょうね」
小林「あのーガン、ガンブームって、ガンっていうのが胃ガンとかそういうのならまあ、そういうものをね」
大瀧「そんなそんなつまんないことも云ってたんですか」
小林「いや、そいで新聞で」
大瀧「新聞に」
小林「書かれたんすよ。それでね、そのー聞いてみたらねぇ、ピストルのねえガンていうのはね。あのー僕はその江戸川乱歩っていうのはまあ、推理小説の」
大瀧「はい」
小林「うんとなんていうんですかねえ。産みの親の大御所なん。会社の金主ですからねえ」
大瀧「はい」
小林「江戸川乱歩さんに「きみ、なんかピストあれはなんだね」ってか「いやなんだねってああやるとぉ」おうも僕は好きじゃないんですよね。ああいうものは。ほとんど興味ないんですけどもね」
大瀧「うん」
小林「好きじゃないけれども、まああのーちょっとやると売れるからまあそ売らなきゃなんないから。それないと、宍戸錠特集だって出来ませんよ」
大瀧「うっふっふっふ」
小林「あんなもの売れませんからね」
大瀧「二度もやってましたよね」
小林「全然、宍戸錠なんてだって知らないですからねー、一般は。我々はもう内輪でくーとこれもんでいったけれども、んなのは分かんないから、それやるためにはほら丁度組み合わせて」
大瀧「ああん」
小林「ああんピストルとこう組み合わせて、ちょっとそういう話入れて、もらってとかいうね」
大瀧「う〜ん、詳しい図解が載ってましたよね、拳銃の」
小林「そうなんですよ。そうすっとね、あのーそういうのって売れるんですよ」
大瀧「ううーん」
小林「で、四国は非常に自在自由だったんすよ」
大瀧「ううーん」
小林「だから」
大瀧「んよねえ」
小林「日活があっちに持っていったっての」
大瀧「背景としてはね。完璧に」
小林「ううん、持っていったってのはいいと思うんすよね」
大瀧「なるほど」

--------52分頃まで。以下略---------

2021.08.23
『小林信彦60年代日記 1959~1970』
(「引用するな」とのことなので、おこった事実のみ書く)
によると↓
---
1959年10月21日
大藪のアパート
狭い
布団の中で革ジャンパー着たまま執筆
ライフルで新聞紙のつまったミカン箱を撃つ。
隣人の文句はないのかと問うと
「慣れている」
名刺の肩書が
<早大大学院英文科、作家>であった。
肩書「作家」つー人を初めてみておどろいている。
【ミカン箱射撃】日付確定きました。
---
1960年02月23日
大藪宅へ原稿催促
持参のウイスキーで二人とも泥酔
---
1960年06月11日
※本項のみ『テレビの黄金時代』2002年10月15日文藝春秋
引用
(安保集会の)次の集会は六月十一日。…場所は都市センター・ホール
だった。

客席には大藪春彦と水上勉(ともに新進推理作家)がならび、吉村真理、笈田敏夫、ヨネヤマママコらの姿があった。

いざ発言しようとすると、さすがに身体がふるえたが、羽仁進らがハナ肇とクレイジー・キャッツを舞台に上げた。
---
1960年06月15日
大藪春彦と水上勉対談に同席
---
1960年06月16日
大藪が小林信彦の弟を週刊新潮に紹介
---
1960年12月16日
大藪宅で速記に同席
※連載1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」『GUN相談室』分であろう。
どーりで文章がめちゃくちゃ。大藪の小説の文体とも、高校生の時の文体とも異なるのでおかしいとおもっていたのだ。
例示『GUN教室』1966年 P113
---
しかしながらこれは〇・三五七弾を〇・三八スペシャル拳銃弾に使用することは不可能で、それをなぜかというと、弾丸口径は同じでも〇・三五七の強装弾に〇・三八スペシャルの銃自身が耐えられないからです。
---
口述だったのね。

続きの大藪春彦年表はこちら↓
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版
【趣味で持っていた拳銃】とか【未届けのライフル銃】を中心に、
 高松~上京~逮捕,猟銃所持再許可までの要部
いろいろと持ってて、
四畳半を始め、いろいろなとこで撃ってたのよねえ。
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夕イ卜ルが入カされてゐません

2017年05月15日 | 大藪春彦GUN研究
「八サミ有るか?」
「ナニをどーするのか」
「このテヱプをよお」
「ナンで旅先でテフ口ンテヱプを切らねばいかんのだ」
「こいつのメガネがだな」
「どれどれ。
なんだこりゃ。ぐちゃぐちゃだなこのメガネ。
こりゃテヱプぢやダメだな。
おれさまがヒミツのエ具でだな」


「プライヤが下田2局の便利便利。
なんと蟲眼鏡だの小さな螺旋回しだの、鋸もついてる。
使わないとおもふだらふが、鋸も使ったことあるんだよね」
「ふむふむ」
「なお、おれもマスキングテヱプだのビ二イルテヱプだのは持ってきたゾ」
「テヱプは基本だよな」
「ああ基本だ」

「ほらよ。おれさまが直してやった、元は高いメガネだ」
「………」←ナニ云ってるのかわからない
「有り難いだろ」
「………」←ナニ云ってるのかわからない
「ナンのこれしき。そうだよ」
「………」←ナニ云ってるのかわからない
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