らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

松田聖子 愛にくちづけ その4 自分自身について 1985年

2017年11月15日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
前回の続き
フェージングで、RS21~57受信。(混信無いのでなんとか)

 ※『ハートのイアリング』がかかっている。F.O.

はい、えーいろいろお話しして参りましたけれども。
えー今度はわたし自身のね、話をちょっとしてみたいんですけども。

まああたしもデビューして今年で6年目なんですけどね。
最初はほら、ぶりっことか云われたりなんかして。
女のぉー…子からね。
あのー……。
それこそ……。
剃刀が送って来ちゃったりとかぁ。
そゆこと…、あったけれどもぉ。
今はもう、コンサート7割、女性なんですね。
やっぱり。
ああゆう時もあったけども、今があるわけで。
それはそれでよかったんじゃないかなっておもふわけ。
そん時は、確かに「何でそうやって、云われんのかな?」って、
悲しかったりしたこともあった、けれども。
今はこうやって笑って話せるからね。
結局は、まあよかったんじゃないかなっておもうわけ。

あんまりさあ。
「あん時はああで頭きた」とかさあ、
「悔しかった」とかって、
そういうことを、おもいたくないしね。
それがみんな笑って話せるようんなれば、大人んなったんだろうしね。
よくそういうふうにおもうんだけど。

で、今は、やっぱりじょ同性の人から、応援してもらえたり、
「頑張ってね」って云われたりすんのがわたしはすごくうれしいのね。
で同じ年代の、人とか、コンサート見ててOLの方とか、すごく多いんですよね。
であとぉ、コンサートは最近、恋人同士とか。
もちろん男の子も居ますけどね、来てくれるけど。
おおーうんと、女性の人,OLの人,恋人同士、あとーお勤めに行ってらっしゃる方、
すごくこう、大人の方が増えてきたからね。
そういう意味では、ほんとにうれしいね。
なんか、いろんな話がこう、できて、わかってもらえるような気もするしね。
一方通行じゃないって気がする。
なんか、お互いこう、ちゃんと意志のこうなんて云うんだろうな、
交流ってゆうかなあ。
できるぅ、うーようなったんじゃないかな、とおもいますね。

まあデビューした当時ってゆうのは無我夢中で、
与えられるものを、やってきたっていう感じでしょ。
も今はもう、自分でやっと、
うー自分の足で歩いて仕事をしてるんだなあって、おもえるようになってきたし。
まあ今は一番、去年が一番、んーよかっただろうし。
今年も去年、以上にね。
えーまあ負けないってゆうか、あのいい年にしたいなと、おもってるしね。

で、やっぱり…。
長い、間こうやってきて……。
いいときばっかりじゃないから。
いやなことっ、もいっぱいあったし。
……。

(小さな舌打ち)
「止めようかな」とかおもったことも何度もあったしね。
だけどさ、今こう振り返ってみると、全部笑い話になっちゃうわけよ。
(鼻をすする)
「あん時止めようとおもったけど、ははははは、止めないでよかったな」とかさあ。
みんな結局笑って話せるようんなったから。
それはすごくいいかたちじゃない。
いーいつまでもさあ。
「んとにもう。あったまきた」っておもうよりはさあ。
「あん時はああゆうことあったね」って、笑えるから。
いいだろうとおもうし。
………。

もうーー、なんってゆうんだろうなあ。
…。
「止めてどっか行きたい」とかね。
(鼻をすする)
「アルプスでも行ってやろう」とかね。
「でもハイジは寒かっただろうなあ」とかね。
よく考えたりなんかしたけれども。
(鼻をすする)
でも、うーん。

やっぱりねっ。
ここまで頑張ってこれたってゆうのは、ファンのみなさんがぁ、
あたしのこと見守ってくれてぇ、
辛いときも「頑張ってね」って声を掛けて、うんくれた、でしょ。
それがやっぱり自分の大きな支えでしたね。

(大きく息をする)
もちろん恋愛ってこともありましたね。
でぇ……。
恋愛でも、かなり苦しんだしね。
「苦しんだ」って、言葉悪いけれども。
悩んだし。
仕事と、板挟みんなった部分ってっゆうのも、
女だから、あったけども。
……。
でもっ、みんなさあ。
笑って話せるのよね。
だから。
いいんじゃないかなとおもうし。
今、選んだ道って全然後悔しないし。
だから。
素敵にこれからも生きて、いたいなっておもうの。

でぇ。
あたし一番苦しかったのはやっぱり今年の一月だろうな、っておもうんですよ。
…………。
まあ。
………。
恋愛のことと、それから、仕事のことと。
いろいろこうミックス、してねっ。
これほど辛いことって無いんじゃないかな、っておもったの。
あと。
マスコミってゆうかね。
その中に自分が、生きてるんだな、って痛切に感じた、時期でね。
「いやだなーーー」っておもいましたね。

でもぉ。
今はまたほらっ、こうやって明るい自分、になれたでしょ。
それはやっぱり、ファンのみなさん、と歌があったから。
よねっ。
(鼻をすする)
だから。
結局は幸せだったとおもう。

でぇー。
まあニューヨークへ行ったりね。
そういうことできたのも幸せだったしぃ。
それもみんなのおかけだしぃ。

これからも与えられたものってゆうか、自分で開拓していきたいしね。
いいチャンスは、自分のものにしていきたいとおもっているしぃ。
(大きく息をする)
やっぱりこう振り返ってみて、いやなこともあったけど。
最終的な言葉で、なんかみなさんにわかってもらいたいのは、
「いろんなことがあるけど。
もしあたしが生まれ変わって、またこの世に、出てきたとき。
やっぱり自分はこの道を選ぶだろうなー」ってゆうねっ。
それがすべてを象徴しているんじゃないかなっておもうよ。
やっぱりね。

でっ。
(鼻をすする)
これからはもう23だしね。
(鼻をすする)
自由に恋愛もしていきたいし。
素敵な歌も歌っていきたいし。
素敵な女性になりたいし。
でみなさんに、素敵なレコード,コンサートを、お届けしたいっ、ておもうし。
なんかこれからのあたしの、生き方みたいなものを、
なんか見守ってもらいたいなっておもいますよ。
はいっ。

それではっ。
あたしの曲、一番新しい曲ね。
お贈りしましょう。
『天使のウインク』


 ※エンディング

松田聖子 愛にくちづけ、いかがでしたでしょうか。
今日は、えー5年間をね、まあぱーっと振り返って、いろんなお話しをしてみたわけなんですけども。
これからまだ何年もわたしにはあるわけですよね。
でこれから、えー5年間をこうなんていうのかな、踏み台にして、
よりビッグに、まあ、なんか人間的にね、成長していきたいとおもいます。
どうぞみなさん見守ってください。
(鼻をすする)

(口調がらっと変り明るく)
さてここでプレゼントのお知らせです。
 ※告知部中略


それでは今日もやってきます、一言質問箱。
これはいつまでも続きますよね。
ほんとに大変です。
 ※中略
 ※Q.部の概略↓
Q.フロントホックブラがどうしたこうした。故に下着をどーする。5択の中から答えよ。
A.そうですねえ。
やっぱりわたくしは、どこまでいっても、フロントホックブラにビキニパンツ。
これで決めてみたいとおもいます。
どうもありがとうございました。

愛にくちづけ
 今夜は 想い出の詰まった宝石箱にそっとくちづけ
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松田聖子 愛にくちづけ その3 ステージについて 1985年

2017年11月14日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
前回の続き
フェージング,混信などで、RS11~45受信。
聴取不能箇所あり。
(聴取不能箇所「○○」表記/※以下○○秒程度聴取不能)

※『瞳はダイアモンド』がかかっている。F.O.

えー○○○レコードの話が出て、アルバムの話が出て。
今度出てくるのが、まっステージの話ってことで。

さっき云ったけれどもね。
ステージと、あのーレコーディング、重視していきたいってゆう話で。

まあもう、あたしもほんとに何千って数やったかな? ステージ。
千までいかないかしら。
千回ぐらいやったんじゃないかな、とおもふけれども。

あのーやっぱり、おもひでに残るステージって。
あのー…。
最初にやったね。
青年館でやったファーストコンサート(苦笑い)。
※1980年09月30日 日本青年館ファーストコンサート『First Kiss』
あのーーー(苦笑い)。
ステージのね、セットの一部始終を憶えてますよ、あたしは。
木が1本だったとかね。
テープがバアーッと○○○こんだとかね。

でもー。
そん時はまだ、今みたいにリズムってゆうかね。
ただ、台本があってそれを憶えて、喋ってみたいな。
そーゆー感じだったでしょう。
でもあんときは○○○○○○○○○○んですよね。
んでー。
今もうそういう、昔のす○○○○ないでね。
○○○○○なんかしちゃってさあ。
あのー○○○○○○花がいっぱい付いた帽子なんかかぶっちゃってさあ。
すごいなあなんておもふんだけど。
でもあれはあれなりにぃー、あの頃のあたしなんでしょうねー。
すごくよかったですよねぇ。

それからま次々と、コンサートの、かたちってゆうのが変わってきて。
いろんな方に演出○○○とかして頂いたりなんかして。

それでまあ。
あたしも5年間やってきましたよね。
全国一杯廻ったわけですけども。

で段々ほらっ、自分がこう音楽に対する考え方みたいなものが○○○でしょう。
んで自分のコンサート○○○○○○○○○。
○○○○○○段々○○○○○○○○○とおもふんだ。

怖いって○○○○みたいな○○○○チームを組む自分のコンサートが、
はたして○○○○○○そうじゃないってゆう発想と○○○○○○○○。

 ※以下20秒程度聴取不能。受信周波数を変更した可能性がある。

った時にね。
あたしはね。
自分でひとつ
 ※以下6秒程度聴取不能。
たところに、何にも云わないで、光がばーって
 ※以下1秒程度聴取不能。
そういうコンサートにしたいんです。
 ※以下4秒程度聴取不能
ぱーって光が出るような、光が
 ※以下8秒程度聴取不能。
んで
 ※以下10秒程度聴取不能。
ますね。
で、はたして、○○○○○○○○○どういうコンサートがこれから展開されるのかわかんないけれどもぉ、
やっぱり、コンサートで生きていけるってゆーかぁ。
コンサートを中心とした、活動をできる歌手になりたいっておもってたからぁ。
んじゃあ、とにかく、これからどういうのが展開されるか分かんないけど、
いい、いっしょけんめやってみようっと、おもって今のステージをつくりだして来たわけですね。

んでやっぱり沢山のみなさんにコンサート観て戴けるようになって。
あたしはやっぱり、みなさんと直接ふれあえる場コンサートってゆうのは大事にしたいしね。

うーーーん、やっぱりなんてゆうんだろ。
見て楽しんでもらいたいし、夢の世界に、入ってもらいたいし。
…。
だからぁー。
あたしはぁー。
今の目標は
「日本一の、ステージだって云われるようなステージをつくりあげること」が夢なわけ。
それは…。
ま少しずつでもいい。
実現していけばいいなっ、ておもふし。
まっみんながゆ夢みてるようだっておもってもらえるようなステージを、
つくっていきたいっておもふわけ。

でまあ、最近はなんかそれに近づけたんじゃないかなっておもってんだけどぉ。
まよく最近円形ステージっゆうのやるでしょう。
でだいたいリハーサルってゆーのはさあ。
あの円形ステージ○○○○○○縮小版でリハーサルするじゃない。
だからぁ。
ま難しい部分って一杯あるんですよね。
そいでー。
うーん一番、うーんと。
こないだの『SEIKO LAND』ってゆうのやってね武道館で。
その次にやった『FANTASTIC FLY』ってゆうのに、
あのー。
円形ステージの中に穴ぼこが一杯空いてるのね。
前も云ったけども、穴ぼこに落っこっちゃったりとかね。
よくやりましたけども。

あと、今日ごめんね真面目な話ばっかりで。

ステージやってるとね。
死んでもいいっておもふのよね。
それはやっぱりすごく幸せだなあとおもふしさあ。
うーん。
疲れるけどね。
でも、ほんとこのままここで死んじゃってもいいなって、おもえるから。
やっぱり、自分がいっしょけんめやってることと、
それからあと、みなさんの、応援の声ってゆうのよく聞こえんの。
一人一人の声が聞こえるわけよ。
だからもう、うわーここで死んでもいいなーってゆう位わたし。
あのーステージって好きなんですね。

でぇー。
まあいろんな外国のアーティストの方の、コンサートも見たけれども。
でも、うーん。
あたしの、おーステージねっ。
やっぱり、日本、一のステージだって云われるようなステージづくりをいていきたいし。
やっぱりデヴィッド・ボウイとか見たけどすばらしいかったしねん。
やっぱりなんか、
見せる、聴かせるっ、てゆう、うーところで、ナンバーワンなりたいなって、
率直なところおもいますね今ね。
(小さく鼻すする音)
だから、アルバムーがあって、ステーコンサートがあってね。
それが合体したときに、
うーナンバーワンのステージってゆうのがつくれるんじゃないかとおもいますけどね。

んで、ごめんねなんか真面目な話んなっちゃってさあ。

んじゃ曲いってみましょうか。
ねーまたぁー、えー曲お送りします。
聴いて下さい。

※レコード『Rock'n Rouge』


その4に続く
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松田聖子 愛にくちづけ その2 アルバムについて 1985年

2017年11月13日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
前回の続き
フェージング,混信などで、RS21~59+で受信。
聴取不能箇所あり。
(聴取不能箇所「○○」表記→がむばったら無くなった)

※『赤いスイートピー』がかかっている。F.O.

はい。えー懐かしい歌をお送りいたしましたけれどもね。
えーシングルレコードの話も。
もうシングルレコードの話だけやったって一時間ぐらい過ぎちゃいますよね。

えー今度はアルバムについてちょっとお話ししたいとおもふんですけども。

んーまあ。
去年ぐらいから、あのーあたしがね、いっつも云ってるんだけども。
まあ、あーレコード制作と、コンサート活動に力を入れていきたい。

んでやっぱりレコード制作ってゆうと、アルバムってゆうふうに出てきますね。
でー、あたしーは、アルバムってゆうのは、いつもベストな状況でね。
ベストなコンディションで。
それからベストなこう、あのーなんちゅんだろうな。
曲選びってゆうの?
でっ、なんかいつも心がけなきゃいけないし、それをなんかみんなの力で、スタッフの力で、
なんかできてんじゃないかなって気がするのね。
んでー。
あやっぱり……。
アルバムの中では、いろんな世界をこう自分なりに描いてみたいし、また歌ってみたいし、
そこうゆう、アルバムに対して、夢みたいなものがあるでしょう。

例えば…。
「こーゆう恋愛をしてみたいな」って云えば、そーゆーアルバムでねっ。
そーゆー恋愛をしたりとかね。
あと「こーゆー活発な女性でいたいな」んとか云うと、そーゆー活発な女性ーを、
アルバムーの中で、演じたりとかね。
なかそーゆーものがあるでしょう。
そーゆー、自分の考えの中で松本隆さんとの(机叩く音)、合体があってってゆう。
ですごくこう…。

なんて云うのかなあ…。
例えばね、曲目で挙げてみると『銀色のオートバイ』とかねっ。
あと『ジャングルガール(密林少女)』とかねっ。
まさしくなんかあたしの性格を掴んでる曲だとおもふわけ、例えば勝気とかねっ。
「かっちきーな」とかね。
なんかだからそーゆー、
自分のイメージ描いてるイメージこういう女性でありたいとか、こーゆーシーンはすてきだろうな。
そーゆーものに松本隆さんの詞が、合体して、あいろんな方の曲が合体してつくりだされるってゆうね。
そーゆー、うーん、考え方でいつもやってるわけなんだけれどもぉ。
えーとー…。

なんてゆうんだろうな。
いつも考えるってゆーか、事はね。
…。
シングルではできない、ことをアルバムでいっぱいやってみたい。
曲調とかね。
ま例えばロックンロールを歌ってみたりとか、バラード歌ってみたりとか。
まいろんなーのを、やってみようってゆう。

それから後気を付けんのは、ジャケットもね。
いろんな、あのー絵柄があっていいんじゃないかな。
たまには顔のが出ないジャケットあっていいんじゃないかなとか。
いろいろ考えるんですね。
んでー。

前の前ぐらいから、曲をつくったりとかあ、ま詞をつくったりしてるんだけどもぉ。
まっそーゆうのもひとつのまあなんてゆうかな。
自分がアルバムってゆうものに対する考え方ってゆうかね。
いろんなことをやってみたいとか、いろんな世界つくりだしてみたいってゆう、
そーゆーね自分のこう、考え方の現れじゃないかなって自分でおもふわけ。
でぇ。
詞を書くってゆうのはすごくあたし下手くそで恥ずかしくていやなのね。
誌は書けないとおもってるん自分では。
だからぁ。
…。
詞の中でさあ。
こいろんな恋愛をつくれるって一体…って気はするんだけど、
でも自分にはきっと向いてないだろうなっ、てゆうのが先たっちゃうんですね。
んで曲はもういろんな曲をつくってみたいとおもふしぃ。
でぇー…。

なん、こう、自分がねっ、曲選びまでしちゃうとぉ、
わたしよくないんじゃないかなって気がするんですよ。
やっぱりぃ…。
いろんな曲があってぇ、その曲をプロデューサーが選んでぇ、
でそのー与えられた曲ってゆーものを自分なりの表現してゆくってゆうかね。

よく聞かれるんだ。
「なんでも自分でね、やられるってことなんで。曲はもう全部自分の好みですか」って。
そこまでやっちゃうといけないんじゃないかなっておもふわけ。
曲は、いろある程度の、出来てきたものを、プロデューサーがいろいろまっ選んで、
それを、まっあたしが聞いて、自分なりに表現するってゆう。
やっそれは大事だとおもふしね。
自分の曲を選ぶようになっちゃったら、あたしの場合はよ。
よくないんじゃないかなとおもってるからぁ。
ただあたしは、如何にその曲をどーゆーふうに、よく表現するか。
ん自分の世界でつくりあげるかって、そのことばっかり考えますねぇ。
でぇーいつもベストなものを。
やっぱりみんな応援して、くれてるからぁ、みなさんとこ届けたいっていつもおもふんですよ。
だから、今年も、アルバムづくりっつーのはも重視したいし、
時間を掛けて、いいものをつくっていきたいってゆう気持ちで一杯ですねー。
でーみんなに楽しんでもらえる、アルバムにしたいっておもっています。

はーい、というわけで。
またちょっと懐かしい曲を聞いて戴きたいっておもひます。


※レコード『渚のバルコニー』

その3に続く
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松田聖子 愛にくちづけ その1 シングルレコードについて 1985年

2017年11月12日 | 松田聖子ちゃん研究
1985年03月03日(日)2400時~放送分
※洋行帰りでの収録が事実であれば、放送日直前の録音のハズである。

オープニング

いろんなことがあったこの5年間を、ここで一区切りとして振り返ってみたいとおもひます。
そこでウチのスタッフがつけた今日のタイトルが
『18曲連続ナンバーワンスペシャル
 せゐこが今初めて明かす衝撃の5年間 あなたはこれを聞かずにはいられない』
というものなんですよね。毎度お馴染みの大げさなタイトルですけども。
まっ23歳を間近に控えて、たまには仕事のこと、自分のことをじっくり振り返ってみるのもいいんではないかとおもひます。
ファンのみなさんおおかげで、18曲連続第一位も、獲得することもできたし。
ま今日は、そういった曲を織り交ぜながら、いろいろお話しをしていきたいとおもひます。

※『せゐことれいん』レコードプレゼン告知とか

えー長い間ニューヨークへ行って参りましてね。やっと帰って来た訳なんですけども。
※註:ニューヨーク録音85年02月01日離日(←このとき宣言有り)~85年02月27日帰国
まっニューヨークの話は山ほどあるんですが。
えーニューヨークの話ははまた、来週にでもゆっくりしてみたいとおもっております。
まっ今日は大げさなタイトルがついておりますが、いろいろね話してみたいとおもいますが。

まずはですねえ。えわたしとはまあ切っても切れない、レコードね。
えシングルレコードの話をちょっとしてみたいなあとおもふんですけども。

えー。
まあ全部で今のところ20枚レコードが出ましたけども。
ほおんとにでも早いですよねえ。
『裸足の季節』から始まって、今、一番新しいのが『天使のウインク』ってゆう訳なんですけれども。

えーあたしー。まあねっ。
レコードを聴いてえ。
変わったって、えよく云われたりするんですね。
例えば声が変わったとかあ。
で自分でぇ、あんのレコード聞くでしょ。
んでデビュー曲ってゆーのは、やたらなんかなんてゆうの、大人っぽいんですよね。
なんかあたしの場合だんだん逆になってるような感じがするわけ。
普通は、デビューの曲の方が、かわいくてね。
だんだん大人になっていくと大人っぽくなっていくんだけどお。
今『裸足の季節』を聞くとすごく声が何か、硬くてなんか、大人っぽいんですよね。
だからそのー。
そーゆうところすごく自分でも、びっくりするし。
で、今『青い珊瑚礁』歌っても、あたし自分でおもふんだけど、たいして違和感ないんじゃないかなとおもふわけ。
あのーデビュー曲歌うと子供っぽいとかそーゆーのあのー、あるんじゃないかなとおもふんだけど。
あんまりなんか、違和感、感じないから不思議だなあとおもひますけどね。

んでよくほら、どの曲が一番好きですかとか聞かれるんだけどぉ。
そのときあんま好きじゃなかった曲も、今聞くと「なんていい曲なんだろう」とかおもへちゃったりするからあ、すごいなとおもふんですよ。

んで、自分で初めて、えと一位になった曲ってゆうのは『風は秋色』って曲なんですね。
んでー、これはもう自分でも「あっいい曲だな」って、すごくおもった曲なんですよね。

んでその後、
が実は『チェリー・ブラッサム』って曲なんだけどぉ。
失礼なんだけど、だいっきらいだったのよ、この曲ね。
「こんな曲を歌ってたんじゃあたしなんかぜったいダメだわ」って、
おもったぐらいだいっきらいだったの。
んでみんな、どーしてきらいなんだと。
でもきらいなのよ。いやだっ。
んで結局レコード出したら、えらいナンバーワンになっちゃってねえ。
そーゆーのいっぱいあるのね。

んで『夏の扉』はすごく好きだったんですよ。
あっこの曲絶対いいぞとおもったらあんまり売れなかったりとかね。
わたしの感じたのも、案外いいかげんなんですけどもね。
あと『白いパラソル』ん時がちょっと、うーんって考えたんですけどね。

んでまあ、いろんな作家の方に書いて戴いたわけですけれどもお。
やっぱり松本隆さんとわたしの出会いってゆうのは、すごい出会いだったなっておもふわけなんですよ。
んでー、前にも話ししたかもしれないけども。
松本さんって人はすごい方なんですね。
んであたしもうお付き合いして、こーいろいろ曲を書いて戴くようんなって4年位経つんですけれども。
とにかく、そのあたしの時々の、その今考えていることとかね、おもってること。
それがもうそのとおり詞になって現れて出てくるわけ。
だからいつも、どきっとするんですよ。
なんか魔法の鏡かなんか持ってらしてね。
あたしのこころ全部こう、見通してらっしゃるんじゃないかなってゆうぐらい、すごかったしぃ。
あと松任谷さんと出会いもすばらしかったしね。

んでやっぱりー、ナンバーワンナンバーワン連続連続って騒がれはじめて、
すごくプレッシャーでつらかったってゆうのが『赤いスイートピー』位からね。
えー意識したしね。
ん正直言って、2位んなってしまえば、後が楽なの楽なんじゃないかなっとも、おもったし。
んでもやっぱりここまで来たんだから、ってゆうふうにね、おもったりしたし。
まあ、どの曲も。
まっ苦労してねレコーディングしてっ。
自分の子供みたいなもんだから、大事にしていきたいとおもうしね。

あと途中で、せゐこレーベルなんてゆうのもつくって戴いたりなんかして。
これはも、すごく自分にとってはうれしいことだしね。
っぱり、アルバムも大切だけど、シングルんがすごくもう大切だしね。
これからもいろんな歌を歌っていきたいなとおもふしね。
あと、ジャケット寫眞なんかもこれからいろいろ、いろんな方法で。
まあいろんなえーものを撮っていきたいなあとおもってますけどね。
はい。話は尽きませんけどもちょっとこのへんで曲を。
おもひでの曲をお送りしてみたいとおもひます。

※その2へ続く
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