本稿敬称略
本作が名曲であるのは論を待たぬ。
夕ケダ先生も論じておられることからも証明できる。
職業作詞,作曲家つーのはすげえものである。
浩子さんの言を引くと「みんなの心臓をわしづかみ」するんだから。
しかも注文に応じてだ。
阿久悠の『舟唄』を引こう。
・ぬるめの燗
・あぶった烏賊
・無口な女(ひと)
・ぼんやりした明かり
以上の羅列のみで「女と別れた男」の姿を万人に浮かび上がらせる。
まさに凄腕だ。
しかし本作において、
作詞:松本隆ともあろうものがミスをしている。
尚、本作は「詞先」(歌詞が先にできていて、後から曲を付ける)である。
作曲:筒美京平は、なんにも云わなかったのかな??
本作は1-4番まである。
それぞれAメロ部分が、「ぼく」から「恋人」への往信。
サビ部分が「私」から「ぼく」への返信を表す。
1番
「恋人よ」←この呼びかけで始まる
「ぼく」は、東にある都会に汽車で旅立つ、離別の信だ。
「はなやいだ街」で「君への贈り物」を「探すつもり」だと宣言している。
「つもり」に込められたいやな予感がいいですな。
標準語で描かれていることから、都会は東京であり、
汽車で行くのだから「ぼく」の故郷は静岡県あたりではないか。
地理的には山梨県の可能性もあるが、3番の歌詞と矛盾する。
サビ
「いいえ」←この呼びかけで始まる(4番除く)
「わたし」は、特に「欲しいものはない」ので、
「都会の絵の具」に「染まら」ず速やかに帰還セヨと応じている。
2番
「恋人よ」
半年経過したが泣くな、となかなか強気だ。
「ぼく」は東京で流行している指輪を同封した。
サビ
「いいえ」
ここで第一のミスがある。
当該指輪を
「欲しいの」だと応じた直後、気が変わったらしく
「ダイヤ」や「海に眠る真珠」より、「あなたの」接吻のほうが「きらめく」のだと云う。
おかしいやんけ。
3番
「恋人よ」
現在も「素顔」で「口紅」すら用いないままでいるか、と問うた後。
ここで本作最大のミスが出てくる。
田舎にゐる頃とは
「見間違う」かのやふな
「(東京で)煤けたぼくの写真、写真」を同封したから見よと云う。
おかしいやんけ。
ここで自身がすでに煤けていると自覚しちゃったら4番が生きないだろ。
そのような己が姿を相当に見て欲しいらしく
「写真、写真」と繰り返している。
「わたし」の応答もおもろい。
そんな写真を見ているくせに、
サビ
「いいえ」
(わたしは)「二人(で)寝転ぶ」やふな「あなたが好き」であったと云う。
わけわかめ。
助詞が抜けてるゾ。
続けて、
「ビル街」には特有の「木枯らし」が吹くので気を付けろ、と云う。
まあ静岡は温暖だから。
にしてもこの時点で煤けたことに違和感をいだいていない「わたし」は、相当に鈍いよな。
4番
「恋人よ」←この呼びかけはキツイ
「君」を忘れてだな、「変わってくぼくを許して」と云う。
忘れたのにもかかわらず信はよこすのは歌謡曲等のお約束である。
東京の街角がおもろくなった故、帰還し得ない、すなわち離別の宣言を遠回しにする。
ここで「帰還しない」ではなく「帰還し得ない」とあっさり言い放つ姿は、
あくまでも傍観者的な無責任さである。
さすがに鋭い指摘だ。
サビ
「あなた」←ここのみ「あなた」である。
(わたしは)「最後のわがまま」に「涙拭く」為に用いる「木綿の八ン力チーフ」を要求する。
安い手切れ金だ。
とまあ、こーゆー歌詞であって、おかしいだろが。
不ニ家歌謡ベストテソでおそらく数十回聴いたのち、
超特大かちょーさんのバンバンルーチェ内で強制聴取させられておるから、
聴取回数100回を下回ることはあり得ない。
ずーとフシギだった。
今般、
諸般の事情で太田裕美の予習をせねばならなくなり、動画サイト等で調査した。
歌詞のテロップが出ている。
結果 、驚くべき事実が判明した。
作詞:松本隆は偉大であった。
作曲:筒美京平もすげえ。
編曲:萩田光雄,筒美京平もいいよね。
(ただし経済システムが違い編曲に印税は発生しない)
事実は以下の通り。
2番
「恋人よ」
半年経過したが泣くな、となかなか強気だ。
「ぼく」は東京で流行している指輪を同封した。
サビ
「いいえ」
当該指輪を「欲しいの」だと応じたのではなく、
「星のダイヤ」且つ/又は「海に眠る真珠」より、
「あなたの」接吻のほうが「きらめく」のだと云っておったのだ。
「星」「海に眠る」は、その後の宝石類を形容しておったのだ。
みんなの心をわしづかみだ。
3番
「恋人よ」
現在も「素顔」で「口紅」すら用いないままでいるか、と問うた後。
田舎にゐる頃とは「見間違う」かのやふな
「スーツ着たぼくの写真」を同封したから見よと云っておった。
単にたかだか
「背広」を
「写真、写真」と自慢しておるのだ。
サビ
「いいえ」
「草に寝転ぶ」やふな「あなたが好き」であったと云う。
ここで翻意を促しているのだった。
「草」と「背広」との対比がいい。
「背広」に対する、作詞家の鋭い感性が光る本作品圧巻の箇所であったのだ。
概ね40年来のナゾが解けた。
以上すべて太田裕美の舌足らずが原因である。
前記おれの誤解を見つつ聞くとおもろいよ。
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以下私信
貴殿も予習をセヨ。
こっちはブランク期間ないので曲数多いし、これといったヒット曲無いから大変だよ。
本作が名曲であるのは論を待たぬ。
夕ケダ先生も論じておられることからも証明できる。
職業作詞,作曲家つーのはすげえものである。
浩子さんの言を引くと「みんなの心臓をわしづかみ」するんだから。
しかも注文に応じてだ。
阿久悠の『舟唄』を引こう。
・ぬるめの燗
・あぶった烏賊
・無口な女(ひと)
・ぼんやりした明かり
以上の羅列のみで「女と別れた男」の姿を万人に浮かび上がらせる。
まさに凄腕だ。
しかし本作において、
作詞:松本隆ともあろうものがミスをしている。
尚、本作は「詞先」(歌詞が先にできていて、後から曲を付ける)である。
作曲:筒美京平は、なんにも云わなかったのかな??
本作は1-4番まである。
それぞれAメロ部分が、「ぼく」から「恋人」への往信。
サビ部分が「私」から「ぼく」への返信を表す。
1番
「恋人よ」←この呼びかけで始まる
「ぼく」は、東にある都会に汽車で旅立つ、離別の信だ。
「はなやいだ街」で「君への贈り物」を「探すつもり」だと宣言している。
「つもり」に込められたいやな予感がいいですな。
標準語で描かれていることから、都会は東京であり、
汽車で行くのだから「ぼく」の故郷は静岡県あたりではないか。
地理的には山梨県の可能性もあるが、3番の歌詞と矛盾する。
サビ
「いいえ」←この呼びかけで始まる(4番除く)
「わたし」は、特に「欲しいものはない」ので、
「都会の絵の具」に「染まら」ず速やかに帰還セヨと応じている。
2番
「恋人よ」
半年経過したが泣くな、となかなか強気だ。
「ぼく」は東京で流行している指輪を同封した。
サビ
「いいえ」
ここで第一のミスがある。
当該指輪を
「欲しいの」だと応じた直後、気が変わったらしく
「ダイヤ」や「海に眠る真珠」より、「あなたの」接吻のほうが「きらめく」のだと云う。
おかしいやんけ。
3番
「恋人よ」
現在も「素顔」で「口紅」すら用いないままでいるか、と問うた後。
ここで本作最大のミスが出てくる。
田舎にゐる頃とは
「見間違う」かのやふな
「(東京で)煤けたぼくの写真、写真」を同封したから見よと云う。
おかしいやんけ。
ここで自身がすでに煤けていると自覚しちゃったら4番が生きないだろ。
そのような己が姿を相当に見て欲しいらしく
「写真、写真」と繰り返している。
「わたし」の応答もおもろい。
そんな写真を見ているくせに、
サビ
「いいえ」
(わたしは)「二人(で)寝転ぶ」やふな「あなたが好き」であったと云う。
わけわかめ。
助詞が抜けてるゾ。
続けて、
「ビル街」には特有の「木枯らし」が吹くので気を付けろ、と云う。
まあ静岡は温暖だから。
にしてもこの時点で煤けたことに違和感をいだいていない「わたし」は、相当に鈍いよな。
4番
「恋人よ」←この呼びかけはキツイ
「君」を忘れてだな、「変わってくぼくを許して」と云う。
忘れたのにもかかわらず信はよこすのは歌謡曲等のお約束である。
東京の街角がおもろくなった故、帰還し得ない、すなわち離別の宣言を遠回しにする。
ここで「帰還しない」ではなく「帰還し得ない」とあっさり言い放つ姿は、
あくまでも傍観者的な無責任さである。
さすがに鋭い指摘だ。
サビ
「あなた」←ここのみ「あなた」である。
(わたしは)「最後のわがまま」に「涙拭く」為に用いる「木綿の八ン力チーフ」を要求する。
安い手切れ金だ。
とまあ、こーゆー歌詞であって、おかしいだろが。
不ニ家歌謡ベストテソでおそらく数十回聴いたのち、
超特大かちょーさんのバンバンルーチェ内で強制聴取させられておるから、
聴取回数100回を下回ることはあり得ない。
ずーとフシギだった。
今般、
諸般の事情で太田裕美の予習をせねばならなくなり、動画サイト等で調査した。
歌詞のテロップが出ている。
結果 、驚くべき事実が判明した。
作詞:松本隆は偉大であった。
作曲:筒美京平もすげえ。
編曲:萩田光雄,筒美京平もいいよね。
(ただし経済システムが違い編曲に印税は発生しない)
事実は以下の通り。
2番
「恋人よ」
半年経過したが泣くな、となかなか強気だ。
「ぼく」は東京で流行している指輪を同封した。
サビ
「いいえ」
当該指輪を「欲しいの」だと応じたのではなく、
「星のダイヤ」且つ/又は「海に眠る真珠」より、
「あなたの」接吻のほうが「きらめく」のだと云っておったのだ。
「星」「海に眠る」は、その後の宝石類を形容しておったのだ。
みんなの心をわしづかみだ。
3番
「恋人よ」
現在も「素顔」で「口紅」すら用いないままでいるか、と問うた後。
田舎にゐる頃とは「見間違う」かのやふな
「スーツ着たぼくの写真」を同封したから見よと云っておった。
単にたかだか
「背広」を
「写真、写真」と自慢しておるのだ。
サビ
「いいえ」
「草に寝転ぶ」やふな「あなたが好き」であったと云う。
ここで翻意を促しているのだった。
「草」と「背広」との対比がいい。
「背広」に対する、作詞家の鋭い感性が光る本作品圧巻の箇所であったのだ。
概ね40年来のナゾが解けた。
以上すべて太田裕美の舌足らずが原因である。
前記おれの誤解を見つつ聞くとおもろいよ。
--------------------------
以下私信
貴殿も予習をセヨ。
こっちはブランク期間ないので曲数多いし、これといったヒット曲無いから大変だよ。