本稿基本的に敬称略だがモノの弾みで「ちゃん」だの「さん」だのがつく可能性を否定出来ない。
-------------
『モッキンバード』は、
松田聖子6枚目のオリジナルアルバム『Candy』1982年11月10日発売
の、4曲目に収録されている歌。
作詞:松本隆/作曲:南佳孝/編曲:大村雅朗
である。
巷間、録音当日聖子ちゃんが歌詞に驚いたと伝えられている。
んで松本先生に、
せ「先生。これちゅんちるるるって歌うんですか?」
ま「はい」
録音は、まあしたのだな。
が往時のコンサートでもあんま歌わなかったようだ。
2017年のコンサートで久々の歌唱。←音出ますよ
MC
せ「続いては。
こーれはっ。
これはみなさん。
私はけして歌うことのない歌だとおもっておりました。
えふん。
今日は、やります。
よろしいでしょうか。はい。
ちょっとはずかしいので、よかったら一緒に歌って下さい。
はい、それでは聴いて下さい。どうぞ」
1番部分歌唱
せ「いーやいや。
ろっ。
すごいですねモッキンバード私は小鳥ちゅんちゅるる。
もうほんとにありがとうございます」
メンバー紹介→2番以降歌唱
せ「あーりがとうございます。
どーですかこの曲。
もうコンサートでは何十年ぶりってゆう感じですよ。
けっして歌うことはないだろうとおもってましたけども。
でも。
歌ってみると、すごくかわいい曲なんですよねー。
そー。
いやなんだか楽しかったわ、みなさんのおかげでありがとう」
んでですね。
改めて聴き、とある部分から全部解けてびっくり仰天。
以下、論考。
(アタリマエだが裏はとってないよ。わたしが勝手にこうおもっただけだ)
-------------
前提
歌の中の「私」は、家で彼の到着を待っている。
また「私」は自身を「小鳥」に例えている。
(以下「」内は詞の引用である)
--------
「緑の梢は
小鳥たちのコーラス
窓辺のシャム猫
揺り椅子でうとうと」
小鳥たちの群れが居るのに猫が出てくる。
不穏な感じだ。
ただし猫は今は居眠りをしているから、この隙にアクションを起こすべきだ。
--------
「もうじきあなたが
レンガの小道に
花束抱えて
あらわれる時間なの」
前提の状況が描写されている。
これは、今私は“彼のなんらかのアクション”を待って/期待して/切望しているの意であろう。
--------
「モッキンバード
チュン・チュルル・ル
あなたが好きよ
私鳥の
言葉が話せるの」
出た。
「チュン・チュルル・ル」
ここでだまされるようにつくってあるのだ。
恋愛するのは当然にご本名の法子さんである。
松田聖子は仕事上の暖簾である。
したがってこれ、法子さんのことが書いてあるはずなのよ。
即ち法子さん
「あなたが好きよ」は云う。
たしかに云っている。
---
以下当該部分
せ「(小声で)今はあんまり会えなくなっちゃった」
と「なんか会えなくなっちゃったな」
せ「(小声で)そうねー」
と「なんでだろう」
せ「(小声で)ううーん」
と「きらいなのかおまえおれのこと」
せ「すき、好きよー」
と「あはははは」
せ「(ためいき/小声で)好きだけど……」
---
更に、
「私鳥の
言葉が話せるの」
ここね。
鳥の言葉しか話さない/話せないとの意である。
(後でここ解説すんから)
--------
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
「何もいらないわ
何も望まない」
もしほんとに要らない/望まないのであれば、初めからこんなこと云わない。
ただ一つの例外があるつーことだな。
「やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
普通であれば、例えば
やさしい両手で 強く抱きしめて
こうなるはずだ。
文が変である。
なぜかというと、
法子さんの性格に係る。(たぶんね)
「好きよ」は自分の感情だから云える。
しかし、
例えば強く抱きしめて等の要請はできない。
すんと示唆して悟ってもらうしかないので、
「やさしい両手で」とぎりぎりここまで云い、
まあなんだ。
えとあのそーゆー一種の所帯じみた状況になった上で、
「さえずっていたいだけ」
と云っておるのだ。
これが
「鳥の言葉」
である
「チュン・チュルル・ル」
なのだ。
--------
佳境に入った。
ここがこの論考に至る重要な示唆を与えた箇所である。
「モッキンバード
チュン・チュルル・ル
私は小鳥
秘密だけど
背中に羽がある」
「私は小鳥」
だから前記したように
「私鳥の
言葉が話せるの」
つまり要請できず示唆に留まるということ。
この要請の示唆の言葉が
「チュン・チュルル・ル」
で
「鳥の言葉」
ある。
そのあとがすげえ。
「秘密だけど
背中に羽がある」
どひぇ。
早くしないと、
あなた以外の誰かの処へ飛んでっちゃうよと云っておるのだ。
だから
「秘密だけど」
と前置きしてる。
これも
「チュン・チュルル・ル」
つまり
「鳥の言葉」
である。
--------
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い
鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い」
所帯じみた行為を表す。
有り体に云うと、まあなんだ。
その、えと、
あなたと一緒になれる準備万端
といったところか。
元々えと、あのー
およめさんになりたい人 なの だわ。
これ盛んに云ってたのでね。
始め18歳の時は 21歳で
後19歳の時は 25でしたいが27歳には
だったなあ。
「鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
ここも状況つまり事実の説明だから云える。
この段落全体がもろ「チュン・チュルル・ル」だ。
--------
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
「私は小鳥
私は小鳥
私は小鳥」
繰り返し部分。
要求の示唆である。
この後の繰り返しに係る。
んで、
「私は小鳥」
ということを
念を押して3回繰り返している。
「私は小鳥」
だから、
「鳥の言葉」
の
「チュン・チュルル・ル」
しか云えず、
発言は、要請できずに示唆に留まるが、
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い」
で、
「鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
と準備万端であって、
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
と
「チュン・チュルル・ル」
であり、
「秘密だけど
背中に羽がある」
早くしないと行っちゃうよ、なのだ。
更に外部環境因があって、
このアルバムの発売日1982年11月10日付近では、
未だ
「窓辺のシャム猫
揺り椅子でうとうと」
であって、すぐさま喰われる状態でない。
だから今のうちにと云ってるん、だろうなあ。
-------------------------------------
松本隆先生、恐るべしである。
涙なくしては聴けぬ名曲である。
-------------
『モッキンバード』は、
松田聖子6枚目のオリジナルアルバム『Candy』1982年11月10日発売
の、4曲目に収録されている歌。
作詞:松本隆/作曲:南佳孝/編曲:大村雅朗
である。
巷間、録音当日聖子ちゃんが歌詞に驚いたと伝えられている。
んで松本先生に、
せ「先生。これちゅんちるるるって歌うんですか?」
ま「はい」
録音は、まあしたのだな。
が往時のコンサートでもあんま歌わなかったようだ。
2017年のコンサートで久々の歌唱。←音出ますよ
MC
せ「続いては。
こーれはっ。
これはみなさん。
私はけして歌うことのない歌だとおもっておりました。
えふん。
今日は、やります。
よろしいでしょうか。はい。
ちょっとはずかしいので、よかったら一緒に歌って下さい。
はい、それでは聴いて下さい。どうぞ」
1番部分歌唱
せ「いーやいや。
ろっ。
すごいですねモッキンバード私は小鳥ちゅんちゅるる。
もうほんとにありがとうございます」
メンバー紹介→2番以降歌唱
せ「あーりがとうございます。
どーですかこの曲。
もうコンサートでは何十年ぶりってゆう感じですよ。
けっして歌うことはないだろうとおもってましたけども。
でも。
歌ってみると、すごくかわいい曲なんですよねー。
そー。
いやなんだか楽しかったわ、みなさんのおかげでありがとう」
んでですね。
改めて聴き、とある部分から全部解けてびっくり仰天。
以下、論考。
(アタリマエだが裏はとってないよ。わたしが勝手にこうおもっただけだ)
-------------
前提
歌の中の「私」は、家で彼の到着を待っている。
また「私」は自身を「小鳥」に例えている。
(以下「」内は詞の引用である)
--------
「緑の梢は
小鳥たちのコーラス
窓辺のシャム猫
揺り椅子でうとうと」
小鳥たちの群れが居るのに猫が出てくる。
不穏な感じだ。
ただし猫は今は居眠りをしているから、この隙にアクションを起こすべきだ。
--------
「もうじきあなたが
レンガの小道に
花束抱えて
あらわれる時間なの」
前提の状況が描写されている。
これは、今私は“彼のなんらかのアクション”を待って/期待して/切望しているの意であろう。
--------
「モッキンバード
チュン・チュルル・ル
あなたが好きよ
私鳥の
言葉が話せるの」
出た。
「チュン・チュルル・ル」
ここでだまされるようにつくってあるのだ。
恋愛するのは当然にご本名の法子さんである。
松田聖子は仕事上の暖簾である。
したがってこれ、法子さんのことが書いてあるはずなのよ。
即ち法子さん
「あなたが好きよ」は云う。
たしかに云っている。
---
以下当該部分
せ「(小声で)今はあんまり会えなくなっちゃった」
と「なんか会えなくなっちゃったな」
せ「(小声で)そうねー」
と「なんでだろう」
せ「(小声で)ううーん」
と「きらいなのかおまえおれのこと」
せ「すき、好きよー」
と「あはははは」
せ「(ためいき/小声で)好きだけど……」
---
更に、
「私鳥の
言葉が話せるの」
ここね。
鳥の言葉しか話さない/話せないとの意である。
(後でここ解説すんから)
--------
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
「何もいらないわ
何も望まない」
もしほんとに要らない/望まないのであれば、初めからこんなこと云わない。
ただ一つの例外があるつーことだな。
「やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
普通であれば、例えば
やさしい両手で 強く抱きしめて
こうなるはずだ。
文が変である。
なぜかというと、
法子さんの性格に係る。(たぶんね)
「好きよ」は自分の感情だから云える。
しかし、
例えば強く抱きしめて等の要請はできない。
すんと示唆して悟ってもらうしかないので、
「やさしい両手で」とぎりぎりここまで云い、
まあなんだ。
えとあのそーゆー一種の所帯じみた状況になった上で、
「さえずっていたいだけ」
と云っておるのだ。
これが
「鳥の言葉」
である
「チュン・チュルル・ル」
なのだ。
--------
佳境に入った。
ここがこの論考に至る重要な示唆を与えた箇所である。
「モッキンバード
チュン・チュルル・ル
私は小鳥
秘密だけど
背中に羽がある」
「私は小鳥」
だから前記したように
「私鳥の
言葉が話せるの」
つまり要請できず示唆に留まるということ。
この要請の示唆の言葉が
「チュン・チュルル・ル」
で
「鳥の言葉」
ある。
そのあとがすげえ。
「秘密だけど
背中に羽がある」
どひぇ。
早くしないと、
あなた以外の誰かの処へ飛んでっちゃうよと云っておるのだ。
だから
「秘密だけど」
と前置きしてる。
これも
「チュン・チュルル・ル」
つまり
「鳥の言葉」
である。
--------
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い
鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い」
所帯じみた行為を表す。
有り体に云うと、まあなんだ。
その、えと、
あなたと一緒になれる準備万端
といったところか。
元々えと、あのー
およめさんになりたい人 なの だわ。
これ盛んに云ってたのでね。
始め18歳の時は 21歳で
後19歳の時は 25でしたいが27歳には
だったなあ。
「鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
ここも状況つまり事実の説明だから云える。
この段落全体がもろ「チュン・チュルル・ル」だ。
--------
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
「私は小鳥
私は小鳥
私は小鳥」
繰り返し部分。
要求の示唆である。
この後の繰り返しに係る。
んで、
「私は小鳥」
ということを
念を押して3回繰り返している。
「私は小鳥」
だから、
「鳥の言葉」
の
「チュン・チュルル・ル」
しか云えず、
発言は、要請できずに示唆に留まるが、
「テーブルに花びん
パイを焼く匂い」
で、
「鏡をのぞいて
あとあなた待つだけよ」
と準備万端であって、
「何もいらないわ
何も望まない
やさしい両手で
さえずっていたいだけ」
と
「チュン・チュルル・ル」
であり、
「秘密だけど
背中に羽がある」
早くしないと行っちゃうよ、なのだ。
更に外部環境因があって、
このアルバムの発売日1982年11月10日付近では、
未だ
「窓辺のシャム猫
揺り椅子でうとうと」
であって、すぐさま喰われる状態でない。
だから今のうちにと云ってるん、だろうなあ。
-------------------------------------
松本隆先生、恐るべしである。
涙なくしては聴けぬ名曲である。