らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

おねつ

2009年11月30日 | 身体
ライノビールスに上気道をオカサレ、
おねつがあるので、
気のきいたことも、
気のきかないことも書けません。

除外診はしてあって、
インフルヱンザ(AorB)ではありません。

だから、おれのかだらは
おへやの寝床にある。
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宇宙の進化:回答(2)

2009年11月29日 | 学術・芸術
じゃあ、捨てたヱントロピーはどこにいくのか。

はい、
ゴミ捨て場がどんどん広くならればいいわけだ。
答えは
宇宙が膨張しているから
である。

しばらく前に、一点にわかにバクハツを始めた宇宙は、
以後一貫して膨張をしている。
先端では光速で膨張している由。
(なんでわかったのかね)

したがって、ヱントロピーの捨て場が常に十分にあることになり、
宇宙が、つまり星などが進化できるのだ。


もし縮みはじめたらヤバイのだが、
なに、おれは死んでいるから関係ないのだ。
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宇宙の進化:回答(1)

2009年11月28日 | 学術・芸術
恒星、例えば太陽が、
ナゼいつまでたっても内部が同じ温度にならず、中心部にいくほど熱いのか。

万有引力があるからだな。

中心点をOとし、今Oからhだけ離れたところにある物質Wの温度をTとする。
Wは万有引力により中心に向かって「落ちる」。
Δh落ちたとしよう。
中心に近いほど圧力が高くなるから(まわりから落ちてくるので)、
Wは、圧縮される。
これは断熱圧縮なので、TもΔTだけ高くなる。
以下※印くりかえしだ。

結果、中心の温度(と圧力)が高く、外側は低い状態が保たれる。


さて、
こーゆーことをすると、いちいちヱントロピーが増大するのであるが、
それではそのヱントロピーはどこにいっちまうのか。


次号そのナゾが明らかに。
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ちび号そのご

2009年11月27日 | 動物


おはなばあちゃん(17歳♀)は きむずかしいけど ごあいさつはするし
ごはんはおいしいし ひあたりはいいし

ここんちの子になって よかったとおもいます
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遍路(現在)

2009年11月26日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究
2年ほど前から、主機に音楽再生ソフト(例のヤツね)を導入。

持っていたCDをインポートしたりしていたが、
浩子さんが聞きたくなり、少しずつコレクションを再開。
つーか、集めだしたら火がついた。

今年の1月時点で70%程度を集めた。

で、コンサートに行ったのだ。
2009-1982=27年ぶり。
いやーよかったなあ。
大真打の貫禄であって、感動の余韻が1ヶ月。


過日、音源コレクションが完了。
(571曲、1.5日、3.65GB)
やっぱ、浩子さんすごいねえ。
いわゆるスランプは、1980年前後のみだって。
それだって、発表したものはよいからなあ。


来月コンサートだ。
たのしみたのしみ世界を包む、よ。

おっ、「粉雪の日」がかかった。
スキなんだよな、これ。

連れか?
愚妻を教育してある。
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遍路(下)

2009年11月25日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究
(前号から続き)

会報内では、いわゆる「ANN(オールナイトニッポン)論争」というののがおこっていた。
以前からの会員が、ANNについて文句を云い出したのだな。
急に人気が出たから。
メディアへの露出は増えるし、学園祭にもたくさん、コンサート会場は大きくなる。

気分はわかるけどね。
それ以前は、浩子さんも会員とよく遊んでくれたようだし。
遠くに行ってしまう感じだったのだろうか。

しかし、これには浩子さんも反論していたみたい。
(No.30以前がないから、31以降の論調で判断)
「歌もANNも『空中ブランコの上の幻』」とエッセイに書いたようだ。
また、No.31のエッセイには「タレント谷山浩子」と署名している。

要するに、本職と素人の認識の違いなのだがね。

また、会員も増えていたのだろうな。
それを所属のプロダクションがどう見るかというと。


・1983年3月末日 会報Pompie No.33で終了 以降年4回ヤマハの会報に綴じ込みで発行となる

もともと、ファンが掛け合ってつくったファン倶楽部だったのだ。
ヤマハは当然公認していた。
1981年時点で会員数700人程度だったそうだ。
ANNの開始によって、急増したのだろうね。
それまでの会員有志による手弁当の運営から、ヤマハへ移管となったわけだな。

むしろ正常化したといえるのだが、さびしいこともたしかだ。
おれはぎりぎりで間に合ったとも云える。


さてそうなってみると、
やっぱファン倶楽部の魅力が減少したことは明らかでねえ。
結局おれは'84年の4月で会をやめている。


'83年にはコンサートに行っていないので、実にフシギだった。
が、わかりました。
ユーミンのコンサートのきっぷをとったやつがいて、
みんなでそっちに行ったのだ。
(リイン力ーネイションだったかな)

なんつーか、連れがいないファンは悲しいですねえ。
一人では行けないのもナサケナイが、金もなかったし。

'83年は、レコードLP,シングル共に追いかけている。
玄関少年もした。

'84年以降は、買っていなかったんだよな。



あれ、まだ終わらないぞ。
あと1回付き合ってちょうだいね。
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遍路(中)

2009年11月24日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究
(中)ってことは、あと2回はやるよ。

・1982年11月11日「谷山浩子コンサート」at 郵便貯金ホール

近くで浩子さんが見たくて、
有楽町のニッポン放送のきっぷ売り場(なんて名だっけ?)に買いに行った。
ら、当時まだオンラインではなく、現物を渡されてがっかり。

これも、動物愛護のときの朋友に頼んで、一緒に行ってもらった。
24列なので、遠くに浩子さんがいた。
(あまり記憶にないのだ。相当遠かったのだろうなあ)
パンフレット買って、今もあるよ。

この日の深夜のオールナイトは浩子さんの日。
コンサートに言及していた。
なんと、同じ客席にみゆき嬢がゐたと!
後からだが、どきどきしたもんだ。


・1982年11月 谷山浩子ファン倶楽部に入会

毎月ヤマハの会報を送ってきて、かつ浩子さんの会報は年に8回。
例のPompieね。
本当ならばNo.30と別冊No.3が11月に発行されているから入手できたはずなのだが、
何の手違いか届かなかった。
No.31から持っている。

当時の会員特典で、浩子さんから印刷だけど年賀状ももらっている。

('82年の賀状には、全部に直筆のサインが入っていた由)

この賀状には、抽選番号が打ってあった。
おれは、C賞 谷山サイン入りPompie(何号かはお楽しみ)60名に当たったのだー!
あのPompieは、それでもらった会報のバックナンバーだったのだね。


さて会報の中身だが、じつは大変なことになっていたのだヨ。

以下次号
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遍路(上)

2009年11月23日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究
・1977年:浩子さん三回目のデビュー(正式なデビューですね)
 LP 猫の森には帰れない リリース

朋友に、つまりはコッキー系のファンがいて、
そいつのウチで、猫森を聞いている。
たぶん'77の末だと思う。
気に入ったから、貸してもらいカセットに録音した。

時期の推定は、'78の8月ごろに発売された石野真子のファーストアルバム「微笑」に、
浩子さんが3曲提供していて
「おっ、いかにも猫森の浩子さんらしいなあ」と認識していたことによる。
他の曲は、阿久悠 吉田拓郎両氏の作品とかであって、
今考えれば、浩子さんの起用は大抜擢といえよう。


そこから時間が飛ぶ。


・1982年4月8日:谷山浩子のオールナイトニッポン開始(木曜2部、1部たけし)

たけしのオールナイトは初期の頃から聞いていたが、
まさか、2部に浩子さんが出ているとは。
最初はわからなかったなあ。
3時でラジオを切っていた。
たぶん、みゆき嬢の放送で知ったのではないかな。
(すでにみゆき嬢のファンであった。LP全部持っていた)
5回目の放送、5月6日から聞いた。
一発でぶっ飛んだ。
ファンになった。

当時の最新アルバムは 時の少女 だったから、ここから買い始めた。
以下都合6枚のLPすべてと、シングルもたぶんみんな買ったっけ。


・1982年9月19日:「動物愛護のつどい」浩子さんのコンサート初体験


抽選で只だし。
たしか4枚はがきを出したら、1枚当たった。
朋友と共に行った。
けっこう大きなホールで、遠くに浩子さんを見たっけ。
初の生浩子さんである。
公募した「動物愛護の歌詞」に浩子さんが曲をつけ、歌ったりもした。
猫森も歌ったよ。
うれしかったけど、できればもっと近くで見たかったな。




つづく
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会報

2009年11月22日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究


浩子さんのフアン倶楽部の会報
「Pompie」
No.20
1981.8.15. POMPIE編集室発行

バックナンバーで買った号だ。
直筆サイン入りである。
(おれは、2回サインをもらっていたのだな。玄関少年のときのジャケットと)

全二十頁、すべて手書きだ。
内容は、
浩子さんの手書きエッセイ(1981年7月27日30:07)とか、
「谷山浩子全作品リスト 連載第2回」(作品No.50-127まで・むろん手書き)とか、
ファンのおたよりとか、マネージャー氏の「ないしょのお話」などが載っている。

お早うございますの帽子屋さんは、高1の3月16歳の作品(No.92)である。
天才少女なのだ。
サインには「Bonjour Chapeau 谷山浩子」(仏 おはよう 帽子)とかいてあるのだよん。

浩子さんのフアン倶楽部は、1979年に発足。
ファン有志が運営し、会報などを制作していたのだ。
ファンの集いに浩子さんも来ていたらしい。
うらやましいなあ。


これらの入った封筒を、
書庫をひっくり返して探し、やっと発見。
宝ぢゃたからぢゃ。
今夜は徹夜で楽しもう。
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百萬弗のほゝゑみ

2009年11月21日 | 身辺


L O V E  ラブリー マコちゃん
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