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らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

Phi phi vor !!

2012年12月30日 | 学術・芸術
米粒状の白色顆粒である。

ゴーグル,マスク,手袋を着用。
いざ。

あれ??
「ごぁーごおーーー」って云わないんですが。
つーか溶けないで粒のまま流れていくよ。

やっぱハンコの要るやつでないと、ごーはしないんだな。
(ごーの元は苛性曹達だとおもふ。こいつは含有量が少ないのだ)

しかし、泡が出てきた。
とにかく一晩置いてみる。

あれは3年前。
うんこして流したら、あふれかえったんだよね。
「大」モードで流してる以上、水量の制御が効かないから、ただ見つめるだけである。
あふれる便器を眺めるなんざ、無力感もいいとこ。
その後本職の手を借りて300Kかかった。
それはカンベンなので。


それがあなた!!
「すぐに溶けない」が重要なポイントだったのだ。
溶けないから粒のままトラップを超えて本管の中まで行くでしょ。
そこでやおら溶けて、
うんこ,油脂,毛髪陰毛,食べかすなどをゆくーり溶解するシクミである。
当然にトラップ部でも同様なことがおこる。
つまり敵の分厚い所を単縦陣で突破する「トコロテン作戦(西住流)」である。

翌日は、まさに「ごぁー」と水が流れる。
これ、薬剤ががむばってる限り管路内で起こるわけで、2日後には更にぴーぴー状態である。
(たぶん升の中とかでもがむばってるとおも)
やた!!
ほぼ発熱しないので、蛇腹ホースなどにも安心だし。

但し、流しの網目部分のヌメリは取り切れない。
別途ジアソをスプレーした。

今後併用して、ピーピー状態を保とう。

ありがとう Phi phi vor.
コメント (2)
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うんこの流れるとき

2012年12月28日 | 学術・芸術
出るときにぴーぴーではまずいのだが。

流れるときには、こーいきたいじやあないか。


ついにやります。
(シリーズに松竹梅とある内の「竹」に相当するもの。ハンコ要らない)

「ごぉあーごごごご」などと云うらしい。
楽しみだなあ。
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うんこのふき方

2012年12月21日 | 身体
小学校の朝礼で保健の先生が
「うんこふくとき、紙を4枚以上重ねなさい。でないとバイキンが指に付きます」
つーくだらないオフレを出した。

くだらないことには、更にくだらない質問がある。
翌日
「昨日、うんこのふきかたを説明したら
『先生、バイキンも移動するのに時間がかかるわけだから、
急いでふけば2枚でも大丈夫ではないですか』という質問がありました」

考えが深くてクダラナイというよい質問だ。
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ロックンロール・クラシックvol,12 『新しい旅』

2012年12月16日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究
今年初の観劇であり、おそらく締めの感激。

よくよくおれに縁のある舞台らしく
あっ、
以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が本当に明かされています。

開演1505

物語は、新設鉄塔の見える位置にある町工場で展開される。
「おれんちかよ」とつっこみを入れたくなるほどだ。

先代の「おやじ」が若くして亡くなったとき、セガレは二十歳そこそこ。
「おやじ」は中卒採用の古参従業員を後継にあてた。

そこから15年ほど経ったところから始まる。
(言い忘れた、一幕である。以後、工場の倉庫のみで展開する。
あとおれの記憶のみで書くからね。文責はらじおが負う)

・セガレが会社首になり母の実家に行くのもためらわれ、おもわず工場にやってくる。

倉庫にしばらく泊めてくれつーわけだな。

町工場によくあるタイプの社長及び従業員がおり、
・ここだけが生き甲斐社長(作業着に下にワイシャツとネクタイ)
・女工にちょっかいを出す工員(男)
・前記にちょっかい出されてる、不器用で行き場の無いような若い女工
・これも不器用なシングルマザーの女工
(他にベテランの職人もゐるのだが、倉庫には来ない)

・前記工員の妻(愛妻弁当をわざと持ってくる)
・昔「おやじ」に世話になった人の息子(入院中の父に言われて挨拶にきた闖入者)

工員は女工に「ランチ行かない」と誘うのだが、女工は拒絶し続ける。
そこに、女工妻がきてもめる。

工員とセガレは幼友達である。
昔話をする。

闖入者が「社長に会いたい」と一升下げて来る。
「事務所にゐます」と案内されすぐに退場。
直後「社長」が「おやじ」ではなく、すでに亡くなっていたと聞かされショックを受ける。
「おやじ」の闖入者父に対する「恩」のエピソードを開陳。
ぼったくりバーの連中にやられていたのを、「社長」がゴミ投げて助けたとのこと。
「何でも投げるんだよ」とトマトが食えぬセガレにそのトマトを投げつけたエピソードが紹介される。

社長はセガレが「実は工場を乗っ取りにきたのではないか」と勘ぐり出す。

「おやじ」は社業に忙しく旅行に連れて行かれないので、「この倉庫に泊まり『さあ船旅だ』といい泊まった」エピソード。

布団が段々と集まってくる。
行き場の無い人々であり、ここに泊まろうかと。

闖入者は、せめて手伝いをと慣れぬ手付きで段ボール箱を持ってくる。

ここらから、遂にお家騒動の展開に。
いったんはセガレに土下座して頼む社長も、
「この工場はおれのものだ」と怒鳴る。
(ここいらでもよく聞く話であり、胸が痛い)

終演間近、遂に大立ち回りに。
工員妻がもってきた買い物袋にぶつかり、野菜が床に散乱する。

闖入者が、よろよろと段ボールを持ってきて、トマトを踏んでしまう。
「パン」という音と共に、さわやかな香りが会場に満ちる。

これで、我に返ったセガレがトマトを喰って見せる。
更に自分の顔にトマトをバシャッとぶつける。

みな、笑ってしまう。
一同「今夜は『船旅』だ」と泊まる支度にかかる。

終演1615


闖入者がキーマンであり、トマトを踏まなければ修羅場になってる。
が、トマトごときを踏んだだけで、解決するんだよねー。
こんなもんだよ、実際も、たぶん。

解決出来ないとおもいこんでいるから、ややこしくなるのだ。

年末によいものを見せてもらったな。
行ってよかった。
生きていくのもわるくないよな、町工場でさ。



合唱で知り合った役者さんが出ていたのね。
差し入れのみ置いて、こそーり帰ろうとしてたら(なんかかっこいいかなとおもってさ、あはは)、
あっさり見つかる。

まあ、会いたかったのだけど(おれの娘でもおかしくない歳の女の子だからね♪)。

ちょっと近況などお話。
今年はごちゃごちゃが多く、せっかくのお芝居も今年これ一本でありさびしいとか。


んで、ひとつ途中で気づいたことを述べる。
上記の「工場」はすべて「コウジョウ」と発話されていたのだけれど、
建物は「コウジョウ」でも、
仕事場としては「コウバ」と云うとおもうよ、と。
彼女「初日に来てくれてれば!!」

すまん、楽日で。

でもまあ、おれ以外コウバやってる人もゐなかろうから、だれにもわからなかったとおもうけれどね。
他は「コウジョウ」でも、
この台詞だけは→「このコウバはおれのものだ」(台詞記憶だから要旨はそうだが、表現が違ってるかも)
のほうが、リアリティが出たかな、とはおもうかな。
まあその程度なので。


観劇は大変贅沢なものであり、これ知らぬ人生はもったいないとおもう。
マジで。
生身の人間が、その場にゐる人だけのためにやってくれるのだから。
しかも、多くはネタ(というのかはよく知らないけど)「掛け捨て」だしね。
一期一会。

たぶん、今日行っていなければ、相当に後悔したとおもう。

来年もよい芝居見せてください。
ありがとう。
じゃあまたね。
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的こころ

2012年12月10日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究
番組開始1973年かあ。

当初から聞いていたのだ。
あれ、夕方にやっててね、5時半頃だっけ。
メロウな声のアナウンサー(お名前失念)が「おまちかね、小沢昭一さんです」つーと、
ちゃんちゃちゃんちゃんちゃんちゃ… 軽快な三味線のお囃子にのって登場する。

あのとき、
即座に民主主義になった教師などに対する憤怒を、
それがまた軽妙に面白く語られていた。
亡父が「本当なんだぞ、これ。ひどいもんだった」と云っていたっけ。
この番組が、思春期のおれと父とをつないでくれていたのかもしれない。

歌もよかったなあ。
「をぢさん達の歌」シリーズと云っていたとおもう。
カセットも探せば出てくるだろう。


2005年に新宿末廣亭で拝見した。
(根性でS取って、最前列中央で見た)
あの芝居は入りがすごかった。
最後の3日間のみ昼夜入れ替えにしたので、行けたんだよな

「あぁ、こんなおじいちゃんになってしまった」とおもったのだが、
そこは役者、
あとからあれは「おじいちゃんの役」をやったんだなとおもいなおした。

「(末廣亭に)よく聞きに来ました。ほらそこでもそこでも」と桟敷とか、客席を指さしていたっけ。


大学に「落語研究会」をつくったのは小沢さんだし、
今「猿回し」を見ることができるのも、小沢さんの尽力による。
「万歳」も復活させているはずだ。
貴重な記録も多数残していて、民俗学的な功績も大きい。


けど、おれがやったなどとは云わない方、だった。

南無
コメント (2)
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