『サムライ』の歌詞の意味がわかってしまった。
『サムライ』
沢田研二 22枚目のシングルレコード
1978年01月21日発売
作詞:阿久悠(当時40歳)
作曲:大野克夫(当時38歳)
歌唱:沢田研二(当時29歳)
まずはこの動画を見ること。↓つべ:音出るよ
1978年01月30日放送分
歌謡曲だから、
「ジュリーかっこいい」でいいわけだが、
そうおもっていたのだが。
以下逐次解説する。
こーゆーの駄目は人は読むなよ。
なに? ちょっとページ変える?
ちょっとお待ちなさい、ちょっとお待ちなさい。
----以下『』部分は歌詞の引用である--------------
『片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
アア アア アア アアア』
阿久悠得意の羅列ではじまる。
沢田はピストルの代りに短剣を左腰に吊っている。
------
『ありがとう ジェニー
お前はいい女だった
はんぱなワインより酔わせてくれたよ
だけど ジェニー あばよ ジェニー
俺は行かなくちゃいけないんだよ』
お前を『ジェニー』と呼んでいるが、
「ダーリン」程度の意で呼びかけているのだ。
重要なのは冒頭で『ありがとう』と云っていること。
後述するけど、
平素「ありがとう」と云わない/云わなかった『お前』に、
今あえて云わないといけない状況だからだ。
『だけど ジェニー あばよ ジェニー』
逡巡している。
何にかというと、
『行かなくちゃいけない』
ことに対して。
なら行かなきゃいいのだが、何故そうせねばならんのか。
そして『行かなくちゃいけないんだよ』の呼びかけ。
『んだよ』も、後から効いてくる。
---↓ここでわかってしまった---
『寝顔にキスでもしてあげたいけど
そしたら一日 旅立ちが延びるだろう』
『お前』が寝ている。
変だろ。
阿久悠が特に沢田に書いたものは、俺とお前との状態が具体的だ。
例えば、
俺がお前をしくじってしまい、
心底あきれかえったお前が鞄に荷物を詰める。
俺は寝たふりしてるからその間に出てってくれ…
といったように。
本作品には、それ、無いの。
『お前』が寝ていて、
その『寝顔にキスでもしてあげたいけど』だから、
結局『キスでも』はしないのだな。
なぜ『キス』でなく、『キスでも』なのか。
なぜ「してあげる」でなく『してあげたいけど』なのか。
『そしたら一日 旅立ちが延びるだろう』
一日も待てずに旅立たなければならぬ理由とは。
『お前』は『俺』の妻であり、
その『お前』は死んでいるのだ。
2番でわかるが、死んだ日の晩の歌である。
前段で『俺』は行かないとならないと云っているけれど、
『お前』が行ってしまう故、
相対的に『俺』が『行かなくちゃいけない』のだ。
『寝顔にキスでもしてあげたいけど
そしたら一日 旅立ちが延びるだろう』
『お前』の旅立ちが『一日 伸びるだろう』と云っているんだな。
合わせて『俺』がどうにかならないうちに、と。
『俺』は『サムライ』だからね。
『サムライ』であって「侍」でないのは、
こうでも云わないと保たない程度の「強さ」だから。
あとで出てくる『男は』も強がり。
『キスでも』すごくいい。
まっ、こーゆー、感じよ。
沢田は『キスでもしてあげたいけど』で、
自分の肩を抱きしめている。
まっ、こーゆー、感じよ。
キャメラもまあなんちゅういいですねえ。
逆光で自分の肩を抱きしめる手の、まあ後からのアップですねえ。
えらいことになってくるんですね。
いっせんきゅうひゃくななじゅうはち年の作品ですよ。
ゆっくりご覧下さい。
あとで↑また、お会いしましょうね。
-----
『男は誰でも、不幸なサムライ
花園で眠れぬこともあるんだよ』
後追いができない、と云っている。
理由は
『男は誰でも、不幸なサムライ』。
それを『不幸な』とまで。
本件2番でより具体的に説明される。
『花園』は「蓮のうてな」のことだ。
一緒に『眠れぬ』のだ。
んで、
『眠れぬこともあるんだよ』
----------
『片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
アア アア アア アアア』
『片手にピストル』
後追いの手段
『心に花束』
死者に手向ける花/『心に』は、まだ心でないといやだからだよ。
その晩にそんな気になってたまるか。
『唇に火の酒』
そのまま/たぶん飲まない。だから『唇に』。
『背中に人生を』
背中に「阿久悠」って書いてあるし、「沢田研二」って書いてあるもんな。
『アア アア アア アアア』
嗚呼だろう。
でもそうするとバレルので『アア』とした。
この部分の沢田の歌唱。
最後の『ア』を伸ばさずに
「あーーーっ」と、切っている。
まっ、こーゆー、感じよ。
その直後の表情もいいわね。
まっ、こーゆー、感じよ。
よくぞここまで歌いこなしたとおもう。
沢田研二、当時29歳。
------------
『ありがとう ジェニー
お前はいい女だった
お前とくらすのが、しあわせだろうな
だけど ジェニー あばよ ジェニー
それが男にはできないのだよ』
『ありがとう ジェニー
お前はいい女だった』
1番と同じ。
『ありがとう』が云いたい。
過去形が悲しい『お前はいい女だった』。
『お前とくらすのが しあわせだろうな
だけど ジェニー あばよ ジェニー
それが男にはできないのだよ』
「蓮のうてな」で
『お前とくらすのが しあわせだろうな』
だが、
『だけど ジェニー あばよ ジェニー』
と逡巡しつつも
『それが男にはできないのだよ』
なぜなら背中に「阿久悠」/「沢田研二」って書いてあるから。
だれでも多かれ少なかれ書いてあるのでね。
「箱男」以外は。
それがいやなら「箱男」しかない訳だ。
(註:「箱男」がわからんヤツは、勝手にぐぐるのよ)
---------
『部屋から出たならつめたい木枯らし
お前の体のぬくもりが消えて行く』
『俺』が『部屋から出たならつめたい木枯らし』が吹いている、
ということと、
直接かかっていない
『お前の体のぬくもりが消えて行く』。
2つの文を並べてわかりにくくしているが、
『お前の体のぬくもりが消えて行く』のは、
『俺』の行動とは無関係。
お前が俺に与えたぬくもりが消えて行くのであれば、
「お前のぬくもりが消えて行く」
と書く。
しかし
『お前の』身体が冷たくなってゆくと直裁に云ってる。
進行形で「冷たくなって」いきつつあるから、
亡くなった日の晩の歌だ。
翌日にはすっかり冷たくなってる。
本作品のなかで『お前』の描写は、
『寝顔』と、
『お前の体のぬくもりが消えて行く』
の2箇所だけ。
やっぱ死んでるでしょ。
他は全部『俺』から『お前』への語りかけだ。
ここの部分で、
沢田は自分の身体を抱きしめている。
こうでもせんと『俺』がどうにかなった挙げ句、
『お前』のとこに行ってしまうから。
-----------
『男はいつでも 悲しいサムライ
しあわせに照れてることもあるんだよ』
『男はいつでも 悲しいサムライ』
背中に阿久悠って書いてるからね。
『しあわせに照れてることもあるんだよ』
照れて何をしなかったのかというと、
冒頭の
『ありがとう ジェニー』
を云わなかったということ。
『ジェニー』には個々具体的な名が入るのは無論。
『しあわせに照れてる』
まっ、こーゆー、感じよ。
『こともあるんだよ』
とは、
妻にしか云わない。
恋人等なら別の云い方をする。
本テイクでは、これまで沢田の上半身だけしか見せなかったけど。
ここでキャメラ引く。
↑また、お会いしましたね。
まあ一面に畳が敷いてあるんですねえ。
何とも知れん、こわいこわい美術ですねえ。
その見事なこと。
亡くなった日の晩なので納棺前、えらいことになってくるんですね。
遺体は部屋に安置されているんですねえ、まあなんちゅう。
だから、畳敷き、なんですねえ。
ゆっくりご覧下さい。
あとで↑また、お会いしましょうね。
沢田は靴を履いてる。
『男はいつでも 悲しいサムライ』
だから
『俺は行かなくちゃいけないんだよ』
すぐに行けるよう靴履いてる。
まっ、こーゆー、感じよ。
------------------
『片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
アア アア アア アアア
アア アア アア』
繰り返し部分。
----------
『片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
アア アア アア アアア』
ここで沢田が短剣を抜く。
つくづくすげえ。
「その」一歩手前まで行ってるってことだよな。
キャメラ俯瞰。
沢田の影が手前に映る。
この影、
寝ている『お前』だ。
ラス。
短剣を光らせる。
『お前』がさびしくないように、行き先を照らしてるの。
お灯明だわ、これ。
--------------------
歌詞特に流行歌の歌詞は、
元々多義だし、多義でよいし、
正解なんてないのだが。
往時は特に家族みんなで聞くものだったし。
でもあってるとおもふんだよね。
これ読んだらそーゆー気、してきたでしょ。
男ってめんどくさいわよ。
『ありがとう』くらい、とっとと云ったらいいのよ。
でも、なんかほら、こーゆー、感じよ。
このような本気の作品については、
当人何も語らなかったはずだぞ。
天国で阿久悠先生が
「やるな小僧」
ニヤリとお笑いになった、
気がする。
それでは次回、をお楽しみください。
サヨナラ サヨナラ サヨナラ