らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表

2023年08月15日 | 切削工具等大藪関係・大藪春彦GUN研究・倶楽部
本シリーズの総まとめ的なものだな。

ナニが起っていたのか一目瞭然
●堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表
有リ〼
本章のみ読んだだけで、【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】についてよくわかる仕組みにしたから。

2002年03月09日の小林信彦の証言↓ 初めに読むがいい。
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
【ベレッタが三万円】【ベレッタをね、枕の下に入れて】…

大藪春彦年表はこちら↓二番目に読むがいい。
大藪春彦年表 
【趣味で持っていた拳銃】とか【未届けのライフル銃】を中心に、
高松~上京~逮捕,猟銃所持再許可までの要部/本項敬称略
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版

-↓--大藪春彦年表の追補部分
・銃の規制現行法の抜粋
・【ペルナンディけん銃】詳細,
  1958年『血の罠』,1958~1959年『醜聞』,1958年『屍を越えて』,
1959年『その罠を噛み破れ』,1959年06月『次は誰だ』,1959年『夜に潜む』,1960年『みな殺しの歌』
  1987年『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾ
・【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷など
・1960年末頃の猟銃一覧
以下【ベレッタが三万円】について
・1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
・1962年連作短編『名のない男』
・1964年中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950
・エピローグ部分 など
『大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版』

↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓つづき
とエピローグの続きと当初はおもっていたのだが、本章も必要になった。
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
※その4章は文字数には余裕があるが、総まとめの本章は別章にした。

---------
そもそもナニ拳銃が欲しかったのか?

1963年03月発行 短編集「崩壊」
『銃は知っている』
---引用---
この作品は長編”血の罠”のプロトタイプ〈原型〉であって、書いてから五年ものあいだあいだ発表しなかったものです…
---引用終わり---
とある。

『血の罠』初出は、
1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
デビュー作『野獣死すべし』が、
1958年07月号 「宝石」(宝石社)に転載、なので、
『銃は知っている』は、『野獣死すべし』と『血の罠』の間に書かれている。

だから『銃は知っている』は、
1958年07月~08月に書かれたものだ。

『血の罠』には、
推定1958年10月末号から11月頭号掲載
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、鞣し革のホルスターに入った青色の小さな自動拳銃と弾薬の入った革サックを抜き出した。全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチックには初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、半月状型の引金の部分が大きく見える】。
---引用終わり---
と、【ペルナンディけん銃】が初めて出てくる。

『野獣死すべし』と『血の罠』の間に書かれた
『銃は知っている』には、ナニけん銃がでてくるのかな。
---引用---
上島は君彦にサイレンサー付きのルーガーP08自動拳銃をくれた。十四年式軍用拳銃のピストル・シルエットで、満点を記録した事もある君彦の、鋭いカンと感覚が蘇った。
君彦は、そのドイツ製ルーガーを自分の五本指のように、正確で自由自在にあやつるようになった。青黒く冷たい光を反射する手なれた銃器は、もはや一個の物体ではなく、意のままに死を送る君彦の分身であった。
左肩から吊ったホルスターは脇の下にぴったりおさまり、ズボン吊りと変らぬようになった。
---引用終わり---
おおっ。
まずはルーガーP08かあ。

さて、もっと小さいけん銃も出てくるかな?
---引用---
「……そうだ、脚につける小さな拳銃がまだ残っていたら、貸してくれないか?」
上島は蒼白な君彦の顔を見つめていたが、踵をかえすと奥の部屋に入り、鞣し革のホルスターに入った二十二口径のベレッタ・ジャガーと実包を一箱、それに札束を持って戻ってきた。

手錠をかけられた両手が、そろそろと下に垂れ、ズボンの下の右脚につけたベレッタに這っていった。

鋭く小さな銃声と共に、村井の握ったルーガーは後にすっ飛んだ。村井は言葉を呑んで、痺れてだらりと垂れた右手首を、失神した瞳で見つめた。
君彦はすっと立ち上がった。傷に脇腹がひきつった。その目はカサカサに乾いていた。
口の中にたまった血を吐きだすと、手錠のかかった両手の中の小さな黒いベレッタが、五度軽やかに踊り続けた。キラキラ光る小さな空薬莢が薄い煙を吐いて舞い上がった。
---引用終わり---
二十二口径のベレッタ・ジャガーが、ホントは欲しかったんだな。
しかもスネ拳銃。

なるほどねぇ。
実は小さな拳銃が欲しかったのであろう。

おそらくは米軍曹に
1958年10月頃
「作家になって金あるだろうから、これ買わないか?」と持ちかけられ、
よく知らないけども小さいから
【ペルナンディけん銃】.22LRを買い、
やっぱベレッタの小さいヤツが欲しいので、
且つ.22LRは意外にうるさかったので、
1960年09月11日頃
ベレッタ・ジャガー 改メ
ベレッタで一番小さい【ベレッタが三万円】ことベレッタM950Bジェット・ファイアー.25ACPホルスター付き
を猟友(ヤクザ)に予め注文しておいて、ローマオリンピック時に仕入れさせ、帰ってきてすぐ買った
のであろう。
んで、
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』『サディスト』の章
【ベレッタが三万円】初登場
その日の晩にうれしくてすぐ書いたのであろう。

米軍曹は誰でどこ所属なのかまったく不明。
作家になる以前からの、銃がらみ米軍がらみでの知り合いであろうことはおぼろげにわかる。
作家になって間もなく(たった3ヶ月程度)の1958年10月頃に【ペルナンディけん銃】を二万円で買っているからだ。
1958年で【ペルナンディけん銃】二万円(たぶんホルスター無し)はちょっと高かった気がする。

【ペルナンディけん銃】関係は、推定1958年10月末号から11月頭号「週刊アサヒ芸能」掲載『血の罠』第5回「殺気」と、1965年03月新聞記事と、1965年03月18日号「週刊現代」『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』と、『俺は再びガンを持てる!』に拠っている。

猟友(ヤクザ)も、誰なのかナニ組なのかまったく不明だ。
少なくとも猟友(ヤクザ)は、作家になる以前からの知り合いではない、であろうと推定されるのみ。
猟友であるから猟で会ったハズで、猟は作家になって現金がいっぱい出来た後に始めてるから。
1960年で【ベレッタが三万円】ホルスター付きが3万円は、まあそんなもんだろうな。

【ベレッタが三万円】関係は、小林信彦証言と、『みな殺しの歌』「サディスト」と、『俺は再びガンを持てる!』に拠っている。
2023.01.24 追加↓
小林信彦著『お伽草紙』 「新潮」1998年07月号

なお、
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』エッセイ
---引用---
昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友から拳銃を二丁ゆずってもらっていたのだ。
---引用終わり---
猟友から拳銃を二丁買ったと書いてある。
一丁が【ペルナンディけん銃】であることは捜査で判明。
もう一丁は【ベレッタが三万円】で、小林信彦が目撃している。
捜査により【ペルナンディけん銃】は米軍曹から2万円で買ったと確定。
1958年10月頃買ったことは、『血の罠』第5回「殺気」に出てくる【ペルナンディけん銃】から判明している。
つまり【ペルナンディけん銃】は1958年10月頃米軍曹から2万円で買った。
狩猟は1958年08月以降、『野獣死すべし』の映画化権料とか原稿料とか印税とか入り、現金が手元に来てから始めた。
そして、この【ペルナンディけん銃】買った1958年10月当時は、猟を初めて日が経っていない故、
会ったばかりの猟友からあえてけん銃を買おうとはおもわないハズだ。
故に誤記である。

2023.01.24 追記 【小さな拳銃】事件
小林信彦著『お伽草紙』
初出
1998年07月号 「新潮」
2004年04月30日第1刷発行 朝日新聞社
「定年なし、打つ手なし」に収録
※大藪は1996年02月26日死去なので、大藪没後に書かれたもの。
---引用---【】は引用註
後年、新人時代の大藪春彦と知り合ったら、これが大変な太宰ファンで、『晩年』の初版本だったら、
【ベレッタと交換してもいいのに、と小さな拳銃を見せてくれた。】
そのころは二十代の後半にさしかかっていて、もう太宰でもあるまいという気分だったが、大藪とだけは太宰の話をした。大藪は外見に似ず、
【小心、自虐的、恨みがましい人物】で、それが一転すると、何十人も殺しまくる小説になる。
---引用終わり---
【ベレッタが三万円】がベレッタM950Bジェット・ファイアーだ、つーのは状況証拠しかなかった。
これで
【ベレッタが三万円】=【ベレッタ】の【小さな拳銃】=ベレッタで一番小さい ベレッタM950Bジェット・ファイアー
とほぼ確定した。
口径が.25ACPなのは状況証拠から。
ベレッタM950の口径.25ACPモデルの米国での愛称がジェット・ファイアー。
口径.22shortモデルの米国での愛称がミンクスで、
【ベレッタが三万円】買った直後の
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
「サディスト」
に出てくる。
拳銃買った直後、それを小説に出すときには、
口径を違える
つー規則が観られる。
この規則の理由が不明であったところ、小林信彦『お伽草紙』により
【小心、自虐的、恨みがましい人物】
のうち、特に【小心】故とわかった。
なお、わざわざ小説などを書くニンゲンは、皆多かれ少なかれ【小心、自虐的、恨みがましい人物】だとおもふぞ。
自分で好ましくないとおもっている点が自分と同じだと気になるのでもあろう。

【小さな拳銃】=【ベレッタが三万円】と交換してもよいつーのは、
大藪最上級の欲しい、だな。
ここで【ペルナンディけん銃】と交換でないことに注目しよう。

なお、この【小さな拳銃】事件は
1960年09月11日頃~アパート一階四畳半【ベレッタが三万円】購入
1960年11月頃~同アパート二階四畳半と六畳が空いたので引っ越し
1961年02月結婚までの間のできごとである。
大藪春彦二十五歳 1958年春デビューなので丸二年半
小林信彦二十七~二十八歳。
---
新人時代の大藪春彦
そのころは二十代の後半にさしかかっていて
---
いつもの如く小林信彦の記憶力は正確無比なのだ。
小林信彦氏御年九十歳。更に長生きしてください。

また、小林信彦が【ベレッタが三万円】について書いたり語ったりしたのは、これ『お伽草紙』1998年07月号「新潮」が最初ではないかな。
生前には云わない方針なので。
2002年03月09日放送 大瀧詠一のスピーチバルーン 
小林信彦&大瀧詠一対談 「小林旭の世界」
も、このあとね。
じゃあ生前にナニするかというと、
『いちご色の鎮魂歌』
初出
1983年09月号 「小説新潮」
1984年05月05日第1刷発行 新潮社
「発語訓練」に収録
---引用---
愛用の自転車ボレロBL-242のカバーを外した。スタート時にふらつかず、坂道も、長い距離も軽く走れるシーソーマチック3というやつだ。
---引用終わり---
添削その1
ボレロBL-二四二の帆布製カヴァーを外した。スタート時にふらつかず、坂道も長い距離も軽く走れるシーソー・マチック三というやつだ。
添削その2
流れる初夏の霧をナショナルの沃素ヘッド・ランプで切り裂き、木暮直美の運転する右ハンドルのボレロBL-二四二のラリー・ヴァージョンは、靖国通りで最もカーヴの多い淡路町の山中を、平均時速三十七キロほどで楽々と飛ばしていた。

いやはや、いろいろわかって佳かったよかった。

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小説に出てくる高松市と、
高松一高同窓→四国のヤクザであるAAAAについて

高松市が出てくる小説は発見されたかぎり二話

初出誌不明
『兇銃』
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
単純に高松市が舞台というだけな感じだ。
---引用---
筆者註

また一万円札が発行されたのは、この作品が発表された数年後であり、当時としては四百万円が、いかに大金であったか想像がつくと思います。
---引用終わり---
とある。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
ということは、この『兇銃』は
1958年08月~1958年11月の間に書かれたものであろう。

---
もうひとつあるのだ。
1962年07月27日 「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』
1962年07月頭に書かれたとおもう
に、
四国K県T市
坂田組
(実在の坂○組と一字違い)
坂田組長 四十七、八の赤銅色に黒光りする肌の精力的な男
(坂○組二代目組長BBの氏と一字違い)
坂田の片腕と云われている大幹部平木
(坂○組員CCCC/【ペルナンディけん銃】最終所持者の氏と一字違い)
が出てくる。
当時の四国K県T市の状況が事細かに書いてある。
AAAAに話を聞いて書いたこと一目瞭然。

【ペルナンディけん銃】は
1962年08~10月頃/詐取(手交)→AAAA(28)
である。

「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
つい僕が見せた拳銃のうちの一丁を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
---
なるほど。

いきさつはたぶんこうだな↓
AAAA(28)が
1962年大藪家に数回遊びに来る内、
AAAAの所属する坂○組をモデルにして短編を書くことになった。
その小説『腐った罠』発表後
1962年08月~10月頃に
つい僕が見せた拳銃(【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】)のうちの一丁(【ペルナンディけん銃】)を「一晩だけ抱いて寝たい」と粘られ、断り切れなかったために、
結局詐取された
のであろう。

●--------------
では、
●---堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表---●
 デビュー~【ペルナンディけん銃】購入~【ベレッタが三万円】購入~
 【ペルナンディけん銃】AAAAに詐取さる~大藪が捕まったあたり---
 (年齢)は1965年03月当時
□2023.07.09 参考情報として大藪春彦デビュー前後の『宝石』関係にもふれておこう。

おそらく未成年の頃
1955年頃まで推定
【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】
1960年08月号「中央公論」
『テロのムード』エッセイ
---引用---
事件というと大袈裟だが、今度イタリーから来た自動散弾銃の所持許可申請に所轄署に行ったところ、さる週刊誌が特集した「首相を暗殺した小説」という記事のなかに、たまたま僕の作品も入っていて、しかも僕がわれながら威勢のいいことをしゃべっているのに保安課長が目をつけたことからはじまる。
【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】、こんな奴に銃砲所持許可を出すことは出来ない。いままで許可してたのも調べ直せ、ということになった。
---引用終わり---
1960年08月に【拳銃の不法所持で挙げられたこともあって】とあるから、
たぶん未成年時にけん銃不法所持で挙げられていたハズだ。
こーゆーのを隠さないのが大藪らしくてよい。

小林信彦証言
---
小林「で、大藪春彦がまた「中央公論」にあの、警官、の拳銃をですね」
大瀧「なるほど」
小林「いざとなったら警官の拳銃を奪って、撃つ。普通撃てませんからね」
大瀧「うん」
小林「あんなの取ったって」
大瀧「うん」
小林「撃つときの、方法をねっ」
大瀧「ふっふっふっふっ」
小林「そんなもの「中央公論」に書くなっていうんだけど」
---
このエッセイが『テロのムード』だな。

□1957年05月30日
星親一『セキストラ』脱稿

□1957年06月25日
「宇宙塵」第二号 星新一『セキストラ』掲載
矢野徹驚愕し、日本探偵作家クラブのサーカス見物の際、
江戸川乱歩に「先生、ついに天才がひとり出ました」と耳打ち。

□1957年07月27日
星親一 自宅玄関で記者会見
「年内いっぱいで星製薬取締役辞任
1958年01月の株主総会で認められれば会社の経営から一切手を引く」
取材していた日経社会部矢崎泰久驚く。

□1957年07~09月頃か 
「宇宙塵」第三号 星新一『落語・智慧の実』
「宇宙塵」第六号第七号 星新一『火星航路』

□1957年10月01日
星親一→星新一 江戸川乱歩にあいさつ 乱歩邸
 大藪春彦がいびきかいた例の土蔵だな。
 星新一 一〇〇一話をつくった人 最相葉月著 のごとくの本が
 大藪にもあればなあ。

1957年10月
ワセダ・ミステリ・クラブ(←命名江戸川乱歩)発足。
大藪春彦入部。
顧問江戸川乱歩。
入会希望者は女学生五名を含む五十数名。
学生会館での発足式に大藪春彦参加。
星新一も婚約者を伴い参加。

□1957年11月号「宝石」
江戸川乱歩『セキストラ』を「宝石」に転載 ルーブリックで絶讃
 星展でルーブリック原稿みたぞ。
 だから、世田谷文学館で『大藪春彦展』をしたらいいのだ。
 【ベレッタが三万円】も展示しよう。

□1958年02月号「宝石」
星新一『殉教』持込

□1958年05月号「宝石」
星新一『ボッコちゃん』持込

1958年05月
同人誌「青炎」に、『野獣死すべし』掲載

1958年07月号
江戸川乱歩『野獣死すべし』を「宝石」に転載

1958年06月19日号 「毎日新聞」
『痛快無類の探偵小説 早大生の作「野獣死すべし」』つー紹介記事掲載

1958年07月~08月(『血の罠』のプロトタイプ)
『銃は知っている』執筆
大変に欲しかった二十二口径のベレッタ・ジャガーがスネ拳銃で出てくる。
ベレッタ・ジャガーなのは、
たぶんベレッタ・ミンクス/ジェットファイアを知らず、
一番小さいベレッタがベレッタ・ジャガーとおもっていたのであろう。

1958年08月~10月頃推定
東宝で『野獣死すべし』映画化。
映画化権料五〇万円(2022年の価値にして700万円位か)もらいつつ月二千円(2022年の価値にして3万円位か)の奨学金を受けていると「スター千一夜」でしゃべって怒られた。
うわー見たいなー。
さっそく狩猟免許交付。ウィンチェスターM52(口径22)を初め、次々に買う。まずカモ猟から始めた。
更に当然と云えば当然だが【ペルナンディけん銃】なども次々に買うのだ。

1958年08月~1958年11月 初出誌不明
『兇銃』短編
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
高松市が舞台というだけな感じだが。

1958年09月~1959年01月の号(掲載期間確定)「週刊アサヒ芸能」アサヒ芸能出版
『血の罠』連載

□1958年10月号「宝石」
以下順不同
星新一『おーい でてこーい』
松本清張『零の焦点』(後『ゼロの焦点』に改題)
横溝正史『悪魔の手鞠歌』
佐野洋『銅婚式』
山田風太郎『首』
鮎川哲也『二ノ宮心中』
高田高『深い海深い霧』
鹿島考『東洋の神秘』

1958年10月頃
米人軍曹から2万円(2022年の価値にして30万円位か)で【ペルナンディけん銃】たぶんホルスター無しと(+使用弾薬と),見本用の弾薬数種少量づつ,スプリングライフルなどを買う

推定1958年10月末号から11月頭号「週刊アサヒ芸能」掲載
『血の罠』
 第5回「殺気」
---引用---
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、鞣し革のホルスターに入った青色の小さな自動拳銃と弾薬の入った革サックを抜き出した。全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチックには初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、半月状型の引金の部分が大きく見える。
ベークライト製の銃把と引金の間の安全止を押しさげた田島は、銃把の左後ろについた蛇の目模様のボタンを圧して遊底被を引き、薬室にウインチェスターのセンター・ファイア弾を一発装填し、スライドをもとに戻した。撃針がスライドの後に突き出して撃発装置になっているのを示している。安全止を押し上げて、銃把の弾倉室から弾倉を引き抜き、五発装填して弾倉室に戻す。
拳銃をホルスターに収めた田島は、ズボンの右裾をまくって、脚に革帯で括りつけた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】1回目
表記 【V・Bベービー】/【ヴェルナルディリV・Bのオートマチック】
隠し場所 右スネ

1958年10月~1959年推定 初出誌不明
『醜聞』短編●
1961年05月「野獣死すべし」浪速書房
---引用---

スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。丸い蛇の目模様の安全止めがついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】2回目
表記【ヴェルナディリV・B】
隠し場所 右スネ

1958年07月から12月頃までの間 初出誌不明
『屍を越えて』短編●
1961年01月「縄張り」浪速書房
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。

サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
------
註:【ペルナンディけん銃】3回目
表記【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
隠し場所 手に持ったまま

1958年末頃推定
東京でAAAAと再開。
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載
---引用---
一昨年(1958年)東京で再会した。立派なヤクザになっていた。今度親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張っていた。高校時代の面影はどこにも見当たらなかった。
---引用終わり---
大藪が有名になったから、AAAAから接近してきたのであろう。

1959年02月号 「面白倶楽部」光文社 2021.12.15確定
『その罠を噛み破れ』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービーや、
消音装置つきのまで現れた。一九四四年ヒトラーがナチス親衛隊のためにチェッコで作らせた無音拳銃までが日本に密輸され、国内には百種類を超す拳銃がひしめいている。
-------
註:【ペルナンディけん銃】4回目
表記【V・Bベービー】
隠し場所 無し(拳銃名の羅列だけ)

1959年06月号「小説倶楽部」桃園書房
『次は誰だ!』中編●
1959年08月「明日を消せ」光書房
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃を離さぬ俺にスリルを感じるのか。

俺は一瞬にして事態をさとった。サッと膝をついて足につけた自動拳銃に手をのばした。…
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】5回目
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
隠し場所 スネ

1959年推定 初出誌不明
『夜に潜む』●
1961年01月「縄張り」浪速書房
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、青光りした小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃はイタリア製ヴェルナルディリ。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので引金の部分がずいぶん大きく見える。銃把はベークライトだ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
江原は拳銃の遊底被(スライド)を左手で引いた。銃身と遊底の主要部が露出した。江原は銃把の左後ろのボタンを右の親指で圧(お)しつけておいて、スライドを上にポツンと外した。遊底部分や引金の爪にオイルを注ぐ。再びスライドを銃にはめこみ、後にひいた。手をはなすと、バネの力でスライドは前に戻り撃発状態になった。引金をひくと、軽やかに撃針は空をうつ。
江原は再びスライドを引き、スライド・ストップの掛金をかけ、遊底を開いたままにした。銃身の後ろの薬室に実包をつめようとして考えなおした。安全止めはあっても、暴発のおそれがある。掛金を外してスライドをもとに戻し、銃把の弾倉室から弾倉をひきぬく。
挿弾子の上端から〇・二五の被甲弾を一発ずつ五発つめる。弾倉を弾倉室にカチンと戻して、チュッと銃把に接吻した。
卓子の抽出しから幅の広いゴムのバンドを出し、右のズボンの裾をまくって、臑にはめる。皮膚とバンドの間に自動拳銃を差し込む。ピチッと固定した。

江原は素早く行動を開始した。両手首をしばられた手を右膝に走らせ、ズボンの裾をまくりあげて臑につけたヴェルナルディリ小型自動拳銃をひきぬいた。
超小型自動拳銃のスライドを歯でくわえて引いた。歯をはなすと、スライドは弾倉の弾をひっかけて薬室におくりこんだ。ピチッと音がした。
金属音を聞きつけた達は、懐中電灯の光をサーッと江原に投げた。罵声を発して懐中電灯をすてた。甲高い音をたててレンズが砕け、一瞬にして闇が襲ってきた。

江原は達のポケットから自分の財布を奪いかえした。ライターが焦げるように熱くなってきた。江原はライターをポケットに落とし、奪ったS・Wを右手に、左手にヴェルナルディリを構えてガレージからとびだした。

ワイシャツの下の腹には、目だたぬようにヴェルナルディリ小型自動拳銃を差してある。全弾装填してある。

江原の右手は蛇のようにマットの下にのびた。隠してあったヴェルナルディリを抜き出し、素早く安全止めを外しながら引金を絞る。振りむきかけた社長の手からブローニングが快音を発してふッ飛んだ。
社長は痺れた右手をおさえて茫然と突っ立っていた。
江原は左手に持ちかえた拳銃の銃口で社長を威嚇しながら、床に落ちた空薬莢を拾ってポケットに入れた。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】6回目
表記【イタリア製ヴェルナルディリ】
隠し場所 右スネ

1959年10月21日
『小林信彦60年代日記 1959~1970』
(「引用するな」とのことなので、おこった事実のみ書く)
による↓
---
大藪のアパート
狭い
布団の中で革ジャンパー着たまま執筆
ライフルで新聞紙のつまったミカン箱を撃つ。
隣人の文句はないのかと問うと
「慣れている」
名刺の肩書が
<早大大学院英文科、作家>であった。
---

1959年後半頃推定
AAAAフケる。
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載
---引用---
しばらくして(1959年?)また訪ねてきて、ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消えた。
---引用終わり---

1960年01月17日号~1960年12月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
『凶銃ワルサーP38《続みな殺しの歌》』●
1961年06月「みな殺しの歌」アサヒ芸能出版
内の
1960年04月17日号掲載『生への渇望』
---引用---
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。
1960年04月24日号『巣』
「便利なものを持っているじゃないか」
衣川は、左手でグローブ・コンパートメントから引っぱりだした〇・二二口径ヴェルナルディリの超小型自動拳銃を見つめた。
そのイタリア製拳銃は、小さいだけでなく非常に軽かった。銃把はベークライトでできており、銃身も極端に短かった。…
衣川は左手でヴェルナルディリ小型自動拳銃を引っぱり出してみた。遊底の後に撃発を示す示針が突き出していないところを見ると、薬室は空になっている。
銃把の弾倉室から、弾倉を抜いて調べてみると、〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰まっていた。護身用には十分役立つだろう。
弾倉を弾倉室に戻した衣川は、掌より小さいその超小型自動拳銃をどこに隠そうかと迷った。
ズボンの裾をまくりあげて臑にくくりつけるのもいい。しかし、衣川はソフトを脱ぎ、それをひっくりかえして裏地の縫い目を少しはがした。そこからソフトに小さな自動拳銃をさしこんだ。
ソフトをかぶり直してみた。
頭上の小さな自動拳銃の重みは、慣れるとほとんど感じないほどになった。…
衣川は小型拳銃をひそめたソフトを目深にかぶり、茶褐色のサン・グラスをかけていた。…
---
註:【ペルナンディけん銃】7回目
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
隠し場所 ソフト裏地の縫い目内
ここから
 1960年09月上旬号まで【ペルナンディけん銃】が出てくる。
 1960年09月中旬/1960年09月25日号〆切より前に【ベレッタが三万円】買って以降、【ペルナンディけん銃】は出てこなくなるのだ。

1960年03月
「他殺クラブ」に入会

1960年06月頃
AAAA自衛隊にいる。
『野獣の青春』エッセイ
---引用---
いま(1960年06月頃)は名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買えるのだ。
---引用終わり---

1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
『雨の露地で』AAAAがモデルとおもわれる
出生名と、闇戸籍名を使う主人公がでてくる。
登場人物
堪えたようなタッチで、暗い青春の傷口を書く売り出し中の新進作家小牧純一郎24歳(椎名町の寒々としたアパート二十五号室在住)と、
小牧の高校の同級生でヤクザとなり現在は天城一郎と名乗っている主人公菊池義男
「堪えたようなタッチ」つのがたまらないですな。

1960年07月号「婦人公論」
『野獣の青春』エッセイ AAAAについての記載部分まとめ
---引用---
(高松一高のグループに親の家や商品を抵当に入れて金回りのよい男。自殺を5回やったが身体が丈夫すぎて失敗)
この男には、
一昨年(1958年)東京で再会した。立派なヤクザになっていた。今度親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張っていた。高校時代の面影はどこにも見当たらなかった。
しばらくして(1959年?)また訪ねてきて、ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消えた。
いま(1960年06月頃)は名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買えるのだ。
---引用終わり---
AAAAは、大藪とこへ始終来ていたとわかる。

□1960年08月号「宝石」
江戸川乱歩 筒井康隆『お助け』を「NULL」創刊号から転載

1960年09月中旬/1960年09月25日号〆切より前
ローマ・オリンピック帰りの猟友(ヤクザ)から
作家になる前からすんげえ欲しかった、
予約しておいた一番小さいベレッタである【ベレッタが三万円】M950Bジェット・ファイアー.25ACPホルスター付きを3万円(2022年の価値にして40万円位か)で購入所持。
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』より↓
---引用---
昔は銃砲取締りがあまり厳しくなかったので、僕はつい、ローマ・オリンピックから帰った銃砲ブローカーをしている猟友から拳銃を二丁ゆずってもらっていたのだ。
---引用終わり---
ローマ・オリンピックは
1960年8月25日から1960年9月11日まで
【ベレッタが三万円】初登場は
1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』『サディスト』の章
発売日は一週間前として
1960年09月18日
〆切がその一週間前として
1960年09月11日
ピッタリです。
買った夜、一気呵成に一晩で書いたのであろう。

小林信彦証言
---
小林「それでねえ」
大瀧「ああ」
小林「安かったすよね」
大瀧「はあー↓」
小林「だかあのー。例えば給料が、まあ一万五千円、僕の給料が一万五千円ぐらいかな」
大瀧「はぁい」
小林「そうすっと、僕の、僕はその、ぎっ人の家を、の二階借りてたからそこへは来ませんけどね。家構えてると、拳銃ブーム、で好きそうな人のところ来たすよ」
大瀧「売りに来た」
小林「お金がないから向こうが」
大瀧「はあああ」
小林「すとねえ。だいたい僕の記憶じゃ、【ベレッタが三万円】ですよ」
大瀧「おっおー、そんなもんで手に入ったんですか」
小林「僕は、大藪、春彦の家で見たから」
大瀧「あっふ」
---

1960年09月25日号「アサヒ芸能出版」週刊アサヒ芸能
『みな殺しの歌』●
「サディスト」
【ベレッタが三万円】買っちゃったから、ベレッタ・ミンクスなどが出てくる。
---引用---
…と、ポケットから、イタリー製ベレッタ・ミンクスと、ウィンチェスターの子会社であるウエスターン製〇・二二ショートの五十発入り弾箱を出し、卓子の上にドスンと置いた。

田辺は、ベレッタ・ミンクス自動拳銃の銃把の弾倉止めを圧し、弾倉室から弾倉を引き抜いた。
その弾倉のバネをサイド・レヴァーで圧縮しておき、ニッケルの薬莢に包まれた可愛らしいほど小さな実包を、次々に八発落していった。
(「八発」は、.25ACPが弾倉に8発なので同じとおもったため誤記。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
銃把の弾倉室に、装填した弾倉を叩きこんだ。遊底を引き、手を放して遊底を閉じさせ、弾倉上端の実包を一発、薬室におくりこんだ。
---引用終わり---
【ベレッタが三万円】1回目初登場
隠し場所 無し
※これ以前に【ベレッタが三万円】的なものの記載あっても、まあいっぱいあるのだが、
買っちゃった【ベレッタが三万円】に係る記述ではないから、
【ベレッタが三万円】の記載とはならぬ。

1959年10月21日←『小林信彦60年代日記 1959~1970』による 
から
1960年末頃まで
小林信彦証言
小林「すとねえ。だいたい僕の記憶じゃ、【ベレッタが三万円】ですよ」
大瀧「おっおー、そんなもんで手に入ったんですか」
小林「僕は、大藪、春彦の家で見たから」
大瀧「あっふ」
小林「ベレッタをね、枕の下に入れてんですよ」
大瀧「ふっふっふっ」
小林「007じゃないっつんだよ」
大瀧「子供じゃないんでしょ、それ」

小林「それであのー、出るときにねえ。あのー、
ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって」
大瀧「こぉれがねええええ」
小林「「これ、わかんないだろう、これだと」ってゆう。わかんないとおもって、捕まったら」

小林「それでかっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ」
大瀧「あっぶねぇー」
小林「これなんだ? って云ったらね、柱に」
大瀧「それで撃ってんの」
小林「したら、いや、ピストルですよ、抜き撃ちを」
大瀧「(大声)部屋の中で!」
小林「抜き撃ちの練習してんすよ」
大瀧「えっふっふっふっふっふ」
小林「それでねー。それでーそのーねぇ」
大瀧「早撃ち、何秒、何秒かって(うれしそう)」
小林「そうそうそう。で、柱もう一杯になちゃったんでねー」
大瀧「うん」
小林「そいでこのーねえ。(安土として)みかん箱にね新聞紙を縦に入れんすよ」
大瀧「はい」
小林「であれ、突き抜けないんですよ」
大瀧「ほぉー」
小林「そうすっと、それに向かって、こう撃っ、撃ってるうちにね。まっ手元が狂って、隣の部屋に撃ってね、隣のおやじが酒飲んでるとこ、パァーン。物凄いおこっ怒られたという」
大瀧「ギャグじゃないですかそれ」

小林「そいで。んのうち二階が空いてね、二階が六畳と四畳半かな、そこが空いたんですよ」
大瀧「ううん」
小林「それまで
四畳半一間で撃ってんですからねー」
大瀧「うふふっ」
小林「そいで六畳、と四畳半とこ入って。で六畳の方にガンケースがあって」

小林「あんのー窓んとこへ、やっぱざあ本当に1960年んすよ。
窓んとこ行ってね。「ふろ風呂屋の煙突見てろ」っつ云うんですよ」
大瀧「ふふ」
小林「そいで僕に双眼鏡渡してね、見てろって言うんで見てるとねー。
彼が、あのーあれですよ、ええとあのー、撃つ撃つわけですよ」
大瀧「はい」
小林「そうするっとねー、煙突の上の方に黒い煙がパーッと上がるんですよ」
---

大藪本人の弁
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
僕は車でもそうだが、メカニズムが好きで、分解組み立てして一人で楽しんでいたのだ。
---引用終わり---

1961年02月「梅ヶ丘時代」一軒家,駐車場なし
担当編集者だった静竜子と結婚。媒酌人佐賀潜(弁護士松下幸徳)
世田谷区梅ヶ丘に転居。
 つーことは大藪の結婚式披露宴には、星新一も必ずや参列していたハズだ。

1961年03月11日
大藪、日活国際ホテルで行われた
星新一の結婚披露宴に参列。
司会:前田武彦
参列:大下宇陀児,渡辺啓助,今日泊亜蘭,城昌幸,
(他殺クラブ)佐野洋,多岐川恭,新章文子,大藪春彦,水上勉,河野典正
「宇宙塵」関係者
(編集者)大坪直行,小林信彦,福島正美,石川光男
仁賀克雄,永六輔
小松バレー団バレリーナのみなさん
など。
なお、「他殺クラブ」は↓
 日活1959年05月26日公開 映画『街が眠る時』の原作である、
 1958年「講談倶楽部」講談社 掲載『街が眠る時』の盗作疑惑
 1960年『火制地帯』の盗作疑惑により、
 1960年03月入会した「他殺クラブ」を、1960年08月脱会。
脱会していたんだけどね。

1962年07月27日号「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』AAAAに取材、高松市坂○組がモデル

1962年08月~10月頃
大藪がAAAAに【ペルナンディけん銃】を「一晩だけ抱いて寝たい」といわれ、詐取さる
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
昭和三十七年(1962年)頃に僕は梅ヶ丘に住んでいた。Aは家の近くのタクシーの営業所に勤めていた。Aは何回か僕の家に遊びにくるうち、
つい僕が見せた拳銃のうちの一丁を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げてしまったのだ。
---引用終わり---

1962年10月号~1963年09月号まで12回連載「推理ストーリー」
大藪 連作短編『名のない男』第1回『剥かれた街』
主人公「私」の愛銃↓
【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】
---引用---
…脇の下からホルスターをはずし、小型で非常に軽量のベレッタ〇・二五口径自動拳銃モデル九五〇を、ズボンの裾をまくって臑にくくりつけていおいた。
…私のズボンの下に拳銃が隠されていると気づいた者は一人もいないであろう。二五口径のベレッタ・モデル九五〇は掌にスッポリとおさまるほど小さくて軽いのだ。
…いつもは、それを臑にくくりつけたホルスターに隠しているのだ。
…ズボンに隠された臑に、それだけを私が頼りにしている小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径を括りつけてあるのだ。
…いきなり枕を蹴とばされた。私が枕の下に隠してあった小型自動拳銃ベレッタが、鞣し革のホルスターに入ったまま部屋の隅に飛んだ。
---
【ベレッタが三万円】2回目
隠し場所 スネとマクラ
※【ペルナンディけん銃】と違って、【ベレッタが三万円】は小説にはあまり登場しないのだ。

1962年11月~1964年末頃か推定
AAAAが坂○組長BBBB(不明)に、
【ペルナンディけん銃】を7万円で売却←組員TT(25)が目撃

●---AAAAの経歴一覧
1937年生まれ

1953年~1956年 高松一高
大藪と同窓
在籍中
親の家や商品を抵当に入れて金回りがよい。
自殺5回するも身体丈夫すぎて失敗。

1958年 高松市坂○組
大藪と再開。立派なヤクザとなった。おそらくは高松市坂○組員。
親分の命令で背中いっぱいに入墨を彫るのだと威張る。
高校時代の面影はどこにも見当たらぬ。

1959年 フケる
大藪再訪。ヤバイことがおこったから逃亡(フケ)ると言い、遊びにきていた女の子の財布を無断借用して消える。

1960年06月頃 自衛隊
名前をかえて自衛隊にいるらしい。
ヤクザの世界では、闇に消された人間の戸籍を買える。

大藪
 1960年08月発行 短編集「鉛の腕」収録
 AAAAがモデル『雨の露地で』短編
 1960年07月号「婦人公論」
 AAAAについても記載『野獣の青春』エッセイ

1962年06月~07月頃 梅ヶ丘近くのタクシーの営業所勤務
大藪の住所梅ヶ丘近くのタクシーの営業所に勤める。
何回か大藪の家に遊びにくる。

大藪↓ AAAAに取材し
 1962年07月27日号「漫画ストーリー」双葉社
 高松市坂○組がモデル『腐った罠』短編

1962年08月~10月頃 けん銃手交→詐取
大藪がAAAAについうっかり拳銃を二丁(【ペルナンディけん銃】,【ベレッタが三万円】)見せる。(前から見せていたとおもふが)
そのうちの一丁【ペルナンディけん銃】を、一晩だけ抱いて寝たいからと持っていき、そのまま逃げる。
『腐った罠』書いたのがまずかった。
「教えてやったぢやん」と云われるから。

1962年11月~1964年末頃推定 高松市会社員?
AAAAが坂○組長BBBBに、【ペルナンディけん銃】を7万円で売却
このとき、たぶん住所も高松市であろう。

1965年02月末頃 香川県高松市××××会社員
AAAA(28)逮捕 
友人の香川県高松市××××、会社員AAAA(二八)にイタリア製ピス
トル「ペルナンディ」一丁と実弾十二発をプレゼントした疑い。
であり、住所が香川県高松市××××、会社員となっている。

大藪
 1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
 『俺は再びガンを持てる!』エッセイ
 逮捕のいきさつ。AAAAについても記載(この後、AAAAの事は書いていないハズ)

---AAAAの経歴一覧おわり---
なーるほど。
いかにもAAAAのことを小説にしたりエッセイに書きたくなるなあ。

時期不明/原因不明
坂○組長BBBBから坂○組員CCCC(31)へ、【ペルナンディけん銃】譲渡

1964年 初出不明
中編『ベトナム秘密指令』
※1965年01月01日単行本初版なのでこの時期と推定。
全編「ベレッタ・ジェットファイア」が、スネ拳銃として大活躍。
主人公「水野洋治」の愛銃(官給品)
【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】
---引用---
(任務に行く準備中)
…磯部は言い、今度は百ドル札の束と小さな自動拳銃を出してテーブルに置いた。拳銃はベレッタ・ジェットファイアの口径二十五。それも銃身わずか二インチ、全長四・七インチ、重量は三百グラムちょっとしかない。それが鞣し革のケース(ホルスター)にひっそりと入っている。ホルスターは肩掛け式や腰吊り式でなく、環式の短いバンドがついていた。
水野は弾倉を抜いて、そのなかに六発の実包がつまっているのを確かめた。
(「六発の実包」は誤記とおもふよ。.25ACPは弾倉に8発。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
磯部は、
「君も知っているようにむこうに行けば弾薬はいくらでも手に入る。もっと威力のある銃もな。だから、この拳銃は純然たる護身用だ。
【足首にでもつけていたら便利だろう。】…

(任務地その1タイに着いた)
左の足首の内側の膝寄りにつけているベレッタ・ジェットファイアの小型自動拳銃を外してベッドに突っ込んだ。…
枕の下に拳銃を突っ込み、催眠剤を飲んでベッドにもぐりこんだ。

水野は左足につけたベレッタ・ジェットファイアの超小型自動拳銃をズボンの裾の上からそっと触れてみた。ホテルを出る前に、薬室にも装填してある。

足首から外したベレッタ・ジェットファイアを水野が乾草のベッドに突っ込むのをサリーに気づかれずに済んだ。

水野は弓なりに反ったサリーの体を抜けて自分の胸にくいこむ弾の与える衝撃と苦痛に耐えながら、ベレッタの引金を目にもとまらぬ早さで四回絞った。小さな二十五口径の弾薬でも銃身が短いためにかなりの音をたてる。…
素早くズボンをはき、その左右の尻ポケットにホルスターに入ったままのルーガー拳銃とグリース・ガンのもう一本の予備弾倉を突っこんだ。ベレッタ拳銃は脚につける。

(任務地その2ベトナム着)
水野が脇の下に吊ったルーガーと足につけたベレッタの弾倉には、すでに昨夜補弾してある。

水野は血のめぐりをよくするかのように両手を振った。次の瞬間、足首に隠したベレッタを引き、チャンの心臓を射ち抜いた。倒れかかるチャンの手から火炎放射器のノズルを引ったくり、調節バルブを最大に廻してノズルを左右に払った。
---
【ベレッタが三万円】3回目
隠し場所 左スネ,ベッド

1965年02月14日
【ペルナンディけん銃】拳銃押収/CCCC(31)逮捕か,坂○組長BBBB(不明)逮捕か

1965年02月末頃まで 高松北署にピストル不法所持の疑いで逮捕
高松一同窓AAAA(28)逮捕 【ペルナンディけん銃】を大藪からプレゼントされたと主張

1965年03月01日午後01時45分
大藪春彦(30)逮捕
香川県警捜査二課と高松北署,警視庁組織暴力犯罪取締本部
香川県警本部暴力特別取り締まり班ともある
ピストル不法所持の疑いで自宅で逮捕
東京駅発の「ひかり十七号」で高松北署へ腰縄付きで護送
名古屋駅で記者に囲まれ、新幹線3分間遅延
記者団が、東京駅出発には間に合わなかったのであろう。

1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
捜査の後、刑事が春彦に会って任意同行を求めると、
「今は依頼された原稿もあるので、応じられない」
と、拒否した。そこで捜索令状は直ちに逮捕令状に書き換えられた。
------
なので、うぃき記載の自首は誤り。

小林信彦証言
---
小林「んんだから大藪春彦が、捕まったのはね。四国のヤクザが吐いたんですからね」
大瀧「あ、そうですか。へぇーえ」
小林「ええ。でえー」
大瀧「入手ルートはそこだったんですか」
小林「入手ルートは、大藪春彦だったうっふっふ」
大瀧「うっふふふっ」
小林「それで、いやあのねえ、売りに来たんですよ」
大瀧「売ってたんだ」
小林「拳銃を」
大瀧「ほぉー」
---

1965年03月18日 「週刊現代」
『”拳銃作家”大藪春彦と妻の5年間 暴発に泣いた竜子夫人のショックと誤算』
---引用---
「高松で暴力団の拳銃摘発をやったところ、押収したイタリア製のベルナンディ・ブローニングがあなたの手から流れていることがわかりった。あなたが銃をわたしたAAAAはすでに逮捕ずみだが、彼が暴力団に売りわたしたたものだ。家宅捜索させてほしい」
刑事の言葉に、春彦はさすがに身を固くしたようだった。
一行七人の家宅捜索の結果、許可証のないスプリングライフル一丁と、ライフル銃弾千発、48口径、45口径などの実弾六発、そのほか短刀、散弾などが発見され、いずれも押収された。

「大藪春彦の事件でわかっていることといえば、大藪がAAという男に拳銃を手わたし、AAがそれを高松の暴力団坂○組の組長(引用註:坂○組二代目組長BBBB)に七万円で売ったという事実ぐらいだ。大藪はその拳銃を米人軍曹から二万円で買ったといっているが、まだ、その軍曹の正体もわからない。大藪の裁定についてはなんともいえぬ」
(警視庁組織暴力取締本部)
------

1965年03月02日(火)新聞記事
---引用---
作家の大藪春彦を逮捕
香川 友人にピストルをおくる
香川県警捜査二課と高松北署は警
視庁組織暴力犯罪取締本部の協力
で一日午後一時四十五分、東京都
世田谷区松原町×××××、作家
大藪春彦(三〇)をピストル不法所持
の疑いで自宅で逮捕した。自宅を
捜索した結果、無届けのライフル
銃一丁、実弾一千発、カービン銃
用実弾一千発も押収した。大藪の
身柄は同三時、東京駅発の「ひか
り十七号」で高松北署へ護送し
た。
調べによると、大藪は三十七年八
月ごろから十月ごろまでの間に友
人の香川県高松市××××、会社
員AAAA(二八)にイタリア製ピス
トル「ペルナンディ」一丁と実弾
十二発をプレゼントした疑い。A
Aは大藪とは高松市の高校時代の
友人で、すでに高松北署にピスト
ル不法所持の疑いで逮捕されてい
る。
------

1965年03月01日夕刊又は1965年03月02日朝刊
---引用---
大藪春彦を逮捕
ピストル不法所持の疑い
写真キャプション 大藪春彦
【高松発】
香川県警本
部暴力特別
取り締まり
班は一日午
後一時十分○東京都世田谷区松
○○○○×××、ハードボイルド作
家大藪春彦○○○○○○○○○
○○○○○○、○○○○○○○
○○○○の疑いで逮捕した。大藪
は○○○○十○○○○○○○○○
十一月一○○○○○○○○○○
ペルナンディけん銃一丁を不法に
に○っていた疑い。また家宅捜索
の結果、未届けのライフル銃一丁、
実包千発、カービン銃の実包千発
を押収した。
○取り締まり班○○○○○○○
る一四日高松市内暴力団四○○
手入れしたとき、同市××××○
坂×組員CCCC(31)方から○○
のけん銃を押収。追求したとこ○
これが大藪から流れてきたも○○
わかり大藪の○○となった。
------

1965年03月中旬推定
【ベレッタが三万円】警察に提出
---引用--『俺は再びガンを持てる!』---
ともかく、僕は残っていたもう一丁(【ベレッタが三万円】)も警察に提出、裁判で有罪判決を受けた。…
---引用終わり---

1965年03月22日
高松北署に21日間拘留後釈放

1965年秋頃推定
高松地方裁判所の審理で、懲役1年執行猶予3年判決。
この事件のため仕事激減。ハンターのガイドまでやった。
1970年1月号「AUTO SPORT」インタビュー記事『トップドライバーの恋人は? 契約金は?』
---引用---
北野「だから、大藪さんなんかも下がればスパッとですね」
大藪「パクられたときにそうでした。それで、クソッとおもったんです。「それじゃ、そんなところに書かない」と言って不貞腐れったら、それでまた三倍にパッと上がった(笑)」
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1965年03月逮捕~判決~1966年03月行政処分の間は、
猟銃の所持許可はそのままだった。

1966年03月
大藪 東京都公安委員会から、猟銃の所持許可を取り消され、以後3年間(1969年03月まで)猟銃を所持できず。
註:行政処分。
「週刊プレイボーイ」1969年04月15日号掲載『俺は再びガンを持てる!』より↓
---
そして四十一年(1966年)三月。前年の事件のせいで、僕は公安委員会に猟銃の所持許可を取り消された。
(註:1966年03月迄は猟銃を所持できてたんだな)
取り消されると、三年間猟銃を持てない。そのショックで茫然としていた僕は階段から落ちて腰を痛め、さらに悪い事は重なって、チリーまで盗まれてしまった。
僕は発狂しそうになった。身から出たサビとはいえ、なつかしい冬枯れの猟場にも、六十秒十発の速射の号令を待ってライフルを腰だめにして待つ米軍大口径射場へもお別れか……。
僕を発狂から救ったのは仕事であり、モーター・スポーツであった。四十一年(1966年)は網や罠の甲種狩猟免許を受けると共に、所持許可のいらないボウガンで猟場にも出てみたが、自分がみじめでやめてしまった。
…執行猶予期間はとっくに過ぎているし、この(1969年)四月で法的には再び猟銃が持てる筈だ。これからも権力に身を売る積もりはないが、公安委員のかたがか、ぜひとも僕が再び猟銃を持つ許可をおろしてもらいたい。…
---

1969年04月15日号「週刊プレイボーイ」掲載
『俺は再びガンを持てる!』AAAAについても記載
よかったですな。
この後は、AAAAのこと書いていないとおもわれる。

1973年09月 TOKYO BOOKS
『沈黙の刺客』
「捕える」
---引用---
…そして、ジャガーの向こう側に、四つのソフト帽の一部が見えた。

両肘と両膝を射ち砕かれて倒れた男は悲鳴をあげ続けていた。近くに転がった
【ソフトのなかに、小型のヴェルナディリ拳銃がテープで留めて】あった。
信原が近づいたとき、油断を見すまして、その拳銃で射とうと考えていたのであろう。
---引用終わり---
註:【ペルナンディけん銃】8回目でたぶん最後の登場 
表記【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
隠し場所 ソフト内側テープ止め

そして、たぶん大藪最後の【ソフト拳銃】。
1973年といえば、1965年03月01日逮捕から8年。
1969年04月01日猟銃再許可からも4年経過している。
もうソフトかむる人も居なくなっている頃だ。
たぶん「四つのソフト帽の一部が見えた」と書いてしまい、
「ソフト帽」→【ソフト拳銃】→【ヴェルナディリ拳銃】と連想したのであろう。
【ソフト拳銃】であるから、【ペルナンディけん銃】V.B. ○○でキマリだ。
この【ヴェルナディリ拳銃】は拾われも、壊されも、遠くに投げられもせずに、上記の描写だけでおしまいである。

●---堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表---おしまい---●
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いろいろわかって気持ちが良い。

拳銃の隠し場所探求

【ペルナンディけん銃】の作品内での隠し場所
右スネ,右スネ,手に持ったまま,無し(拳銃名の羅列だけ),スネ,右スネ,ソフト,ソフト
【ベレッタが三万円】の作品内での隠し場所
無し,スネとマクラ,左スネとベッド
【ペルナンディけん銃】の大藪本人の隠し場所
不明
【ベレッタが三万円】の大藪本人の隠し場所
小林「ベレッタをね、枕の下に入れてんですよ」
小林「それであのー、出るときにねえ。あのー、
ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって」
大瀧「こぉれがねええええ」
小林「「これ、わかんないだろう、これだと」ってゆう。わかんないとおもって、捕まったら」
 ↓よって
作品内では
スネ拳銃は【ペルナンディけん銃】と【ベレッタが三万円】の両方
ソフト拳銃は【ペルナンディけん銃】だけ
マクラ拳銃/ベッド拳銃は【ベレッタが三万円】のみ
実銃では
【ベレッタが三万円】マクラ下とセビロ下のショルダーホルスター
【ペルナンディけん銃】実銃の隠し場所は不明だが、まっスネとソフトでしょ。あとマクラか。
であった。

2023.01.12 追記
【ペルナンディけん銃】はショルダー・ホルスターがなかったので
「セビロの下に隠すが」したいのにできなかった故、
【ベレッタが三万円】では、予めショルダー・ホルスター付きを注文していり、
ショルダー・ホルスター有りとなり、
うれしくてセビロに下に隠したついでに、
来る編集者来る編集者にみせびらかし、
あまりのうれしさに、
そのうちの一人で非常に確かな記憶力を持った上詳細な日記をつけていた
小林信彦にみせたから、
小林「それであのー、
【出るときに】ねえ。あのー、
【ショルダーホルスターへね、あの背広の下へね、入れてね、こ鏡向かって】」
と、こうなってしまい、
あげく、
この大藪春彦GUN研究に至る、
のであろう。
まっ、【これ、わかんないだろう、これだと】をみせなくても、
小林「それで
【かっ壁にね穴がいっくらもあるんすよ】」
大瀧「あっぶねぇー」
小林「これなんだ? って云ったらね、柱に」
大瀧「それで撃ってんの」
小林「したら、いや、
【ピストルですよ、抜き撃ちを】」
大瀧「(大声)部屋の中で!」
小林「【抜き撃ちの練習】してんすよ」
弾痕だらけの壁じゃあすぐわかるか。

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・初期短編にはちょくちょく
【ラーマ拳銃】つーの
(主に安物としても記載/一人だけうれしくて心臓をどきどきさせたけどね/スペイン製)
【ベアード拳銃】つーのが出てくる。
中期以降(逮捕以降~病気する1982年頃までを便宜的に中期とする)には出てこないんだよね。

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筒井康隆著
2013年01月号~10月号 「群像」
『創作の極意と掟』
2014年02月28日発行 講談社
大藪春彦について二箇所記載がある。
『迫力』
---引用---
この場合、いっそのこと主人公を悪にしてしまう方法があり、これだと文学にもなり得るわけで、「罪と罰」がそうだし「赤と黒」もそうだろう。昔のミステリーでいうなら大藪春彦の諸作、最近のエンターテインメントで言うなら週刊文春や「このミス」で一位、山田風太郎賞受賞の貴志祐介「悪の教典」が「えげつない」ど迫力で大評判である。
---引用終わり---

もう一箇所ある。
『細部』
フローベルの『ボヴァリー夫人』を引用した後、
---引用---
蟻のくだりはつい笑ってしまう。大藪春彦がその作品の中で、処女が野外で強姦される場面に「血だまりの中で蟻が溺れていた」と書き、その描写を気に入ったらしい彼が、他の作品で何度も使っていたことを思い出したからだ。面白い細部は読者が覚えているのだから、他の作品で何度も使ってはいけない。
---引用終わり---
とある。

そんなところあったかなとおもっていたところ。
あったあった。

2023.05.17 追記
たぶん最も早いのみつけたわよ
初出誌不明
『揉め事は俺に任せろ』短編●
1958年10月15日「野獣死すべし」講談社
※大藪初の単行本。
『野獣死すべし』,『揉め事は俺に任せろ』,『街が眠る時』つーすてきなラインナップ。
2023.08.15 追記
---引用 全体の真ん中へん---
キャメルのトップコートを着た先補の男が、ぐしゃぐしゃに叩き潰された後頭部をさらけ出して、血溜まりのコンクリート床に向こうむきになって倒れ、赤蟻が長い行列を作ってせわし気に行き来していた。…
津村は口笛を吹くような形に唇を尖らせたが、音は出なかった。赤蟻を乱暴に踏みにじると「慎重に迅速にか」とせせら笑い、靴先で男の顔を横向けて見た。
--引用終わり---
なーるほど。
死後の時間経過を特に強調しようとしたんだな。
んで、アリが気に入って↓
2023.05.17 追記
---引用 ラスト付近---
近づいて万年筆型の懐中電燈で照らすと、柴田は後頭部と背に弾を受けていた。熱い弾丸は左背から入って心臓に抜けていく時、焼火箸を当てたように小穴をジャンパーの皮にあけていた。頭からひっきりなしに血が流れ、土と朽ち葉の間に滲んでいく血溜まりの中で、逃げ遅れた森蟻が溺れていた。
---引用終わり---
殺害直後とわかる仕組みだ。
柴田で後頭部である。

初出誌不明
『テロリストの歌』短編●←『白い夏』よりこっちが先であろう
1960年08月「鉛の腕」荒地出版社
---引用---
警官は仰向けに地面に叩きつけられたまま即死していた。西瓜を潰したように割れた後頭部の射出口から流れる血が、蟻の行列を溺死させた。
---引用終わり---
警官で後頭部である。

初出誌不明
『白い夏』短編●
1960年10月「殺す者殺される者」浪速書房
---引用---
登志夫は、永い時間をかけて女の体を楽しんだ、女は初めてらしかった。
登志夫あと、健と有二は乱暴なやりかたで終わった。
女は目を開き、仰向けになったまま身じろぎもしなかった。真夏の太陽が白い裸身を照らし続け、女の瞳は不透明なガラス玉のように鈍く光っていた。血の池で、蟻が溺れていた。
---引用終わり---
処女で股である。

あはは。
しかも、後の二作。
短編集「復讐は俺の血で」初期短編集1
1982年11月20日 角川文庫 角川書店
の巻頭と二番目。
処女で股が巻頭、警官で後頭部が二番目。
なので処女で股によって蟻溺れと初めて出合う仕組みだ。
筒井は1982年当時、おそらくこの短編集読んで蟻のくだりが気になったのであろう。

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なお、
往時の大藪春彦は影響力多大であった。
実社会にも多大な影響を与えている。
例:1965年07月29日少年ライフル魔事件(犯人の少年が大藪ファン,もっと殺せばよかったとか云っている)
 :1968年12月10日三億円事件(『血まみれの野獣』初出1968年01月が事件のモデルになったと言われた/大藪も事情聴取さる)
 :1979年01月26日三菱銀行人質事件(犯人が大藪ファン/犯行にガーバー・サカイ・シルバ一ナイト・シリーズ250A-P(2.5インチ,パールの柄)使用)
にも関わらず係る論文が無い。
こーゆーのは学者が論文書いて、タダで読めるようにしてもらいたい。
申請・採択式「科研費」などというイマワシイものなかった時代に書かれてもよかったハズだ。
(金出したのを恩に着せ「科研費」などと書かせるつーのもセコすぎる)
したら時間経っていないからより正確詳細にわかったのに。
ナニをしておるのか。
大藪が純文学でないが故に書かないは、金は盗むは人は殺すはの前記実社会への影響で否定されるゾ。
論文書いてあればそれを読むだけで済んだのよね。

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この章は数千文字でおさまるとおもっていたが、すでに17000文字。
とおもったら、たちまち24500文字かあ。

大藪春彦 うまい具合に 『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 血まみれのシリーズ

大藪春彦 うまい具合に 1『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
その1    7000文字
大藪春彦 うまい具合に 2『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版
その2    29000文字
大藪春彦 うまい具合に 3『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その3/血まみれの凶銃_増補改訂版
その3   29000文字
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
その4    4500文字
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの大藪春彦結論的年表
本項その5  28500文字
  ----------------------
合計    98000文字≒250枚相当かあ。

いやー、ここまでわかるのに二年五ヶ月かかったゾ。
長かった。
もうじき大藪春彦入手できる限りは読了するんだな。
あと一冊がなあ。
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