らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

ドアクローザー油漏れ分解修理・無分解予防保守

2025年03月14日 | 模型等機械関係工作倶楽部
本記事は、オイル漏れドアクローザー修理に使用する油,Oリングの番手,無分解修理の際のケミカル用品の名入りである。
さらに、
「ドアクローザーオイル漏れ無分解修理全量漏れ止め剤方式」つーのも考えたよん。



三十数年もののドアクローザーが、
下部出力軸付近から油漏れしている。
事例1では、
これの分解修理やってみよう。

事例2では、
無分解での油漏れ予防保守方法も記述する。
確認はしていないが、油漏れ修理にも応用できるハズ。
さらに、
「ドアクローザーオイル漏れ無分解修理全量漏れ止め剤方式」も書いた。
---------------
事例1
ドアクローザ油漏れ分解修理の部

玄関などの半屋外にも使えるタイプのドアクローザが、
数ヶ月前からぽたりぽたり。
下に新聞紙敷いてナニしてたが、ついに減衰力が発生しなくなったので分解修理に及ぶ。

ドアから外す。
掃除。

・分解
出力軸の根本は□で対辺28mm。
インパクト使おうにも、そんなコマは現有してない。
この世に無いのでは?
とおもったけど、いま見たら、
コーケンの14415M 1/2インパクト用ソケット二重四角28 \3kがあった。
この世にありました、よかった。

などの、調査をしないママ↓
本体を万力にくわえ、始めはKNIPEXのアゴが平行移動するやつで□対辺28mm緩めるがびくともせん。
イギリス+ヒミツのパイプ(トヨタ車のストラットを分解すると出てくるやつ)でやったがダメ。

しよーがないから、
万力で□対辺28mmをくわえ、本体に木っ端を当ててポンドハンマーで叩く。
よーやく緩んだ。
テーパネジに固いノリがついておった。
気密性のロックタイトのたぐいだな、これ。
そりゃなかなか緩まないよ。
ここを緩めるのが本件修理作業でネックになっているようだ。
(後述する事例2無分解保守も参照されたい)
なお、
今回外したテーパネジは右ねじであった。
逆側も同じであろう。
逆ネジする理由が無いからだ。

ここが六角のドアクローザもあり、分解に成功した少数の人はインパクトレンチを使っていた。
この場合、その寸法のコマが手元にあるかつー問題はあります。
手持ち見たらインパクト用ではないけど、3/8で24,1/2で27までは有った。
どちらもセットものを買ったから持っているんだな。
こーゆーのは5年に一回程度使うのよ。
コーケンのインパクト用は、3/8で対辺24 \2k弱,1/2で対辺41 \5k弱まであるゾ。
すげえ。

※本体の左右に一対ある丸いフタは開けてはいけない。
油漏れの本件とは無関係だし、内部には圧縮された強力なバネがあって、不用意にナニするとばちーんと飛び出して怪我するぞ。

今緩めたものは、出力軸の軸受だ。
この軸受はアルミ(鋳物っぽい)に軸受のスチールブッシング、
本体はアルミ鋳物(肉が厚いし突き出しピン痕ないのでダイカストではない)、
出力軸はスチールだ。
どうかすると、本体と軸受が亜鉛鋳物のやつもあるようだ。
亜鉛の場合、軸受部の□とか六角とか工具かけるところの強度がないので、
分解はあきらめよう。
全体が変に重く感じ、
目立たないところを削ってみて、削りカスがぐんにゃりしてたら亜鉛かもしれない。
アルミはけっこう硬く感じる。

この軸受にOリングが嵌まっている。
軸受は1箇所外せば、出力軸が抜けてくる。
また出力軸が抜ければ、Oリング上下2箇所も外せる。
ということは、
この軸受を外すと、内部の残った油がどばっと出てくる。
そこで、
本事例のような万力を使う場合でも、
インパクトを使う場合でも、
緩み始めるところまで万力やらインパクトやらを使い、
廃油受けに移動したのち、
手工具で外れるまで緩めよう。

・廃油排出→内部洗浄
本体のドア側に(+)頭のビスがあり、これが油注入口である。
であるが、この例では軸受部ががばっと開いている。
本体を逆さにして、油を落す。
このとき本体側方にある減衰力ナブリネジNo.1,No.2は緩めておいたほうがよい。(抜き取らないように)
あやしげな廃油が出る。
この事例での内部の油全量は約80mlであった。

・灯油を入れ→落としを数回
軸受外した穴から灯油を入れてやる。
本体長手方向の中央に穴あるから、
左側下にして灯油入れ落す→右側下にして灯油入れ落す、というふうに行う。
オリフィス付近に廃油たまっているらしく、しつこめに行う。
灯油洗浄の場合は、入れてしばらくしてから落すでもいいけどね。
灯油はなかなか揮発しないし、洗浄力も弱いから時間かけて汚れ溶かすつーナニで。

灯油を使う場合には、廃油受けの容量は、
入っていた廃油+灯油=廃油受けの容量
となる。
灯油洗浄3回すると、
入っていた廃油80ml+灯油80ml*3=廃油受けの容量320ml
以上は必要だ。
灯油で本体回りも洗浄するから、暫定で廃油受けの容量500ml~1Lは要るかな。

内部洗浄に灯油が好適なのは、
ゴムに対する攻撃性が少ない上
価格が安いからである。
欠点は
クサイ+廃油受けの容積が大きくなる
かな。

・パーツクリーナーの種類,使い方,廃油受け
洗浄用の灯油の無いヒトは、洗浄にはパーツクリーナーだけを使う。

・パーツクリーナーの種類
パーツクリーナは洗浄力が強いのはいくない。
ゴムを痛める可能性がある。
洗浄力普通、できれば速乾でないタイプ(中乾速とか)で、なるべく安くて量が多いものを使おう。
つまり、ももたろうのミドリ ブレーキ&パーツクリーナー魂 2000 840ml \300-位 とかがよい。
安いやつは洗浄力が弱めなの多し。

・廃油受け
ヱンジンオイル交換時に使う廃油受(オイルパックンとかの名が多い)が市販されています。
しかし、これだけのためにオイルパックン買うのもねえ。

廃油受のないヒトは、ぼろきれを丈夫な袋に入れれば簡単にできます。
パーツクリーナーを使うときには新聞紙を細かくちぎった物も加えるとよい。
一例として
昔のパチンコ屋で景品貰うと入れてくれたような薄茶の紙袋の、
中に丈夫なプラ袋入れ、
プラ袋の中に、ぼろきれや新聞紙細かくちぎったの入れる、
と好適かもしれない。
ヱンジンオイル4~6Lに比べて、量が少ないから、てんぷら油のノリでOKだ。

・廃油受けの容積
入っていた廃油+揮発前のパークリ=廃油受けのとりあえずの容量
となる。
パークリは揮発してしまえば体積が0になる。
廃油受けの口を開いておくと(クサイのでベランダなどに置いておく)
パークリは揮発してしまうから、結局元の廃油の体積あればよいことになる。
廃油受けのとりあえずの容量を500ml位としておき、
ゴミ捨てるときには、元の廃油量80ml位になる。
たいへん捨てやすい。

・パーツクリーナーの使い方
給油口の穴から
パーツクリーナをブシューと吹いて、
本体をふるふるとゆすり残った廃油をパークリに溶かして、
揮発する前に廃油受けに落す。
あまりもたもたしていると、パークリが揮発してしまう。
内部でパーツクリーナ揮発しようとして沸くのでごぼごぼと音するよ。
数回繰り返す。

軸受外した穴からやる場合には、
本体長手方向の中央に穴あるから、
左側下にして灯油入れ落す→右側下にして灯油入れ落す、というふうに行う。

・開口部をパークリで掃除
するとこうなる↓
軸受ネジ側

軸受はテーパネジだ。
管用(くだよう)テーパネジとは規格が違いピッチが細かい。
軸受の位置決めもするし、強度も要るからであろう。
残存している固いノリはとんがりで可能な限りかき落す。

軸受□対辺28mm側

万力のナニで少々ダメージがある。
ヤスリで気はココロで修正。

・Oリングの番手
こーゆーものは始めに規格品があって、あとから個別機械の設計をする。
出力軸はφ16。
その他の寸法をとる。
そして、
こーゆーところにはもっともアタリマエな規格品を使う。
Oリング規格表を見る。
寸法はP規格の線径2.4mm、P-16つーやつである。
材質は最も一般的な耐油性に優れるNBR系の1種Aでよい。
つまり下の写真にあるように、
1AP-16 でよい。
ぽち。

個別に選択する場合は、
出力軸の直径を測り「Oリング規格表」をみたらよい。
材質は1種Aでよく、ぽちとかホームセンターで買えるのの材質も1種Aであろうから、あとは寸法だけである。
おそらくは、
P-12,-14,-16あたりかとおもう。
出力軸直径φ12mm→P-12、φ14mm→P-14、φ16mm→P-16……だ。
Oリング線径が一段細いφ1.9mmOリングP-2~P-10の適用軸はφ2~φ10と、ドアクローザの出力軸としては細すぎるので、たぶんない。
Oリング線径が一段太いφ3.5mmOリングP-22A~の適用軸はφ22~なので、ご家庭のドアクローザの出力軸には太すぎる。
ビルの地下駐車場にあるどでかい鉄扉のドアクローザには使っているかもしれないが。
結局、
線径2.4mm,適用軸φ10~φ22の、P-10~P22を使っているハズだ。
だから、出力軸直径と、たぶんφ2.4であるハズの旧Oリング線径をノギスで測ればOKである。
Oリング線径は、規格が下からφ1.9→φ2.4→φ3.5であるから、柔いものではあるが測り間違えもないであろう。

来た。
  給油口フタネジ、同パッキン
ピニオン付き軸、旧Oリング2個、新Oリング2個

ぴったんこだ。

古いOリングは、摩耗はないが固くなっている。
※油が抜けきると、Oリングが摩耗してしまい、
すると後述の無分解保守ができないゾ。

・組立
こーゆーことはしなくてもいいとおもふけど、
せっかくなので軸を旋盤でナニして中古の3Mマイクロで研磨。
更に軸の上下替え。
ピニオンが多少摩耗していたので、軸の内外入れ替えで組もう。
ピニオンは本体側の半回転程しか使わないから、これで新品同様。

軸受に油を塗布したOリングはめる。
軸受のテーパネジは位置決めもしているので、
テフロンテープはちと問題がある。
手持ちのわこちゃんの高い液状シリコーンガスケットを使おう。

このときテーパネジ部は脱脂されている必要がある。

本体を万力にこわえ、KNIPEXのアゴが平行移動するやつで締める。
テーパネジであるから、むぎゅーと締まったところで止める。
バカ締めしてはいけない。
ずぼっと抜けるからな。

しばしガスケット養生。
要部詳細

テーパネジ部分の液状シリコーンガスケットの固まったやつが漏れ止めをしている。
はみ出た分はどうでもよいけど、はみ出さないくらいだと不足のおそれあるからマズイ。

・使用する油→給油
元の油はたぶん粘度ISO VG22か32だな。

このようなところには、
作動油または油圧作動油と呼ばれるのを使う。
うまい具合に手持ちで耐摩耗性油圧作動油 日石スーパーハイランド32があるので使用した。
おそらくは元油もこの手の耐摩耗性油圧作動油であろう。
また、
工業用多目的油も作動油として使える。
商品名だと
旧日石 現ENEOS(以下ISO VG32)
スーパーマルパスDX32
スーパーマシンルブP32
FBKオイルRO32
ハイドロS32
などがあるがこれらに限定されない。

こんな油はフツウ持ってないだろうから、
そーゆーときには、ホームセンターでジャッキオイルとかエアツールオイルつーのが売っている。
これが油圧作動油である。
\0.5~1k位/300ml/本
1本で3台保守可能。
売っているオイルの粘度はISO VG32か46だとおもう。

以下参考 とりあえず動くだろうもの
150スピンドル→ISO VG22
90タービン→ISO VG32
120マシン→ISO VG46
ヱンジンオイル10W→ISO VG22~46
ヱンジンオイル20W→ISO VG32~68
粘度ISO VGが低いほうが減衰力が弱く、粘いと減衰力が強い。

・作動油の量と入れ方
約80mlであった。(ちゃんとは測ってない)
給油口からポリスポイトで注入。
給油口側を高くして入れるんだぞ。
オーバーフローで止める。

・給油口
給油口にはゴムのパッキン入っている。
硬化してるのよ。
この部分は脱脂できないので、液状シリコーンガスケットは使用不可。
テーパネジでもないから、テフロンテープもダメか。
パッキン紙で作るのもめんどうだし。
パッキンが漏れ止め剤で膨潤する前に漏れるのも困る。
んで、旧パッキン両面に高粘度のシリコーングリースを塗布して組んだ。
シリコーングリースと油圧作動油は混ざらないので、シリコーングリースが境界面にずーと居座り、その高粘度で漏れを防止する、のではないかなあ。

ここはバカ締めしない。
締めすぎると、ゴムパッキンに亀裂が入る。
ここには油圧はかからないんだから、だいたいで締めればよい。

元パッキンでも漏れないかもしれないから、そのままつー手もあるかな。
パッキンに作動油塗って組もう。
パッキン紙などで自作してもよい。
自作パッキンにゴム使うときは、NBR系等の耐油性ゴム使用のこと。
耐油のゴムでないと、すぐぐちゃぐちゃになり、油漏れてくる。

・動作試験
バッタの足部分も清掃給油脂増締調整。
ドアに取付。
オシ。
作動音も「しゅーーぅちゃ」つー感じで正常化した。

--------------
事例2
無分解予防保守の部

更にふるーいドアクローザがあるので、油漏れや減衰力不足もないが、今のうちに無分解で予防保守しよう。
このドアクローザにも本体の給油口があるから、無分解保守が可能だ。
本体の給油口はドアクローザを外すとドア側にネジの頭があるからすぐにわかる。


本体に給油口が無いドアクローザもあるようだ。
その場合には、事例1の分解修理しかないなあ。
給油は外した軸受の穴から行う、やりにくいけどもね。
分解に必要な工具なども事例1に書いてある。

本体に給油口が無いドアクローザで、亜鉛でできていたら、もうムリだなあ。
以下専門的↓
やるなら、M6給油口とM6空気抜き口を作る。
上のほうにφ5穴明けて→空気抜き含め2箇所M6ネジ立てて(先端をころしたスパイラルタップにグリース付けてネジ立て)→洗浄→途中でキリコ排出のためエアを吹く/反対側から灯油とエアと、キリコ出るといいなあ/交互に行う→油の交換して、ネジ締めて塞ぐ。
M6一箇所では油出てこないとおもうし、キリコ排出のエアができない。
または、M8を一箇所か、キリコはどーする?
ネジの漏れ止めには、ネジ山にロックタイト603のようなスキマ用中強度を用いる。
ロックタイトは多少の油分あっても硬化する。
亜鉛なので、立てたメネジがおそらくは拡大してるはずだから、ネジ用のロックタイトでは硬化しないとおもう。
ネジ先端にはロックタイトをつけないように。
または、手作りパッキンかな。
亜鉛はネジ強めに締められないから、紙パッキンでいけるかどうか。
ゴムパッキンとなろう。

ドアから外す。
掃除。

・分解できず
出力軸の根本は□で対辺28mm。
前述と同じようなもののようだ。
Oリングも事例1と同じP-16であろうし、P-16あと8枚あるので、分解出来るならそうしたい。
万力で□対辺28mmをくわえ、本体に木っ端を当ててポンドハンマーで叩くが、まったく動かない。
さすが大古品。
分解あきらめ。

・本体の給油口
(+)頭がかなり固く閉まっていたので、すぐにあきらめてインパクトを使って緩めた。
すぐにあきらめることが肝心。
ごちゃごちゃやっていると、頭をなめてしまう。
こーゆーところには、
ショックドライバ,アタックドライバ,インパクトドライバなどの名で売っている、柄の尻をハンマーで叩くと緩まるやつでもよろしい。
□6.35mmのものが2~3kと安く売っている。
ドアクローザ本体をドアから外すときにも使えるよ。
玄関などに多い取付が木ねじでない場合には、雨にもあたるし、たいてい固着しているからね。
□12.7mmのは高いゼ。

・廃油排出→内部洗浄

給油口開いて廃油を出す。
このとき本体側方にある減衰力ナブリネジNo.1,No.2は緩めておいたほうがよい。(抜き取らないように)

えぐいのが出てくる。
常備しているこの廃油受けは、
市販のオイルパックンなどのふわふわをお菓子の缶に入れものである。
廃油が確認しやすいよう、また本体を上に置いたとき廃油受けにたまった汚れが逆流等せんよう、ふわふわの上に新聞紙入れてある。
(パーツクリーナーや廃油受けについては前掲事例1参照)

灯油で洗浄。
※洗浄中に出力軸を動かさないこと。

最後に黒いのが出てくる。
しつこいので、
給油口からあまりリキのないパークリをぶしゅーと拭き入れ、
振動で廃油をナニするために本体をプラハンマーでコツコトどやし、
しばし放置し、
灯油入れて抜く。
3回くらいやった

ようやくキレイになった。


・無分解修理の際のケミカル用品の名
こっからが無分解保守のナニですよ。
(注入時の写真を取り忘れた)

クルマのエンジンオイル漏れ止め剤つーのが売っている。
ゴムのガスケットだのOリングだのは、古くなると硬化し、漏れ止め能がいけなくなる。
そこで、ゴムにしみこんで膨潤(ぼうじゅん/やわく膨らます)させ、漏れ止め能を回復させるのがオイル漏れ止め剤である。
(PITWORKのNC81オイルシーリング剤は、熱・窒素・UVなどで重合/架橋する仕組みのようだ。ドアクローザは、熱ないし、窒素ないし、UVもないので止めておこう)

ざっとみると、
クレのオイルシステムストップオイルリークが\1k程度で安い。
150ml入り。
ヱンジンオイル3Lに半量の75ml、6Lに全量150ml使う。
つーことはだいたい2.5~5%となる。

(せっかく買ったのでキカイの変速歯車箱にも入れたときの写真)

わこちゃんの高い漏れ止め剤でもいいけど、あれはたしか油をねばーとさせる成分も入っているから、作動油にはどーかなぁ。
わこちゃん入れるならミッション用のほうがいいようにおもふ。
まあ、手持ちのなにかがあるなら、それ流用でいいんじゃない。
この保守には少ししか使わないので、残りをクルマに使えば両方よい。

・給油
今回のドアクローザの全油量75ml。
しかし、ゴムを膨潤さすということは、ゴムに喰われる容積の漏れ止め剤が必要なわけだから、容量%だけではナニではないか?
Oリングなどを使っている部分,使っていると推定される部分は、
出力軸上下2箇所(Oリング P-16*2)+減衰力ナブリネジNo.1,No.2の2箇所(形状不明)+給油口1箇所(穴あき円盤形状)=都合5箇所。
そこで、オイルシステムストップオイルリーク漏れ止め剤 10ml、スーパーハイランド32 65ml使い、合計75ml。
漏れ止め剤濃度13%ということになるな。
給油口からポリスポイトで、始めに漏れ止め剤、後から作動油注入。
オーバーフローで止め。

追記2025_03_14
・漏れ止め剤の効果測定結果
プリンの入れ物に、
作動油 4ml
漏れ止め剤 0.1ml 2.5%
を入れ、
事例1で外した、硬化したOリングを浸漬し、室内に置く。

濃度も2.5%と最低であるし、
漏れ止め剤の絶対量も1本のOリングP-16≒容積0.3mlに対しても少ないとおもわれるから、
これで効けば常温で運転するドアクローザにも効くであろう。

測定は
膨潤の程度を正確に測るのはタイヘンだし、
線径方向に指でつぶしてもよくわからない。
そこで、Oの字の外側から指でつまんで概楕円状につぶしてみて、
反発の程度を新品Oリング,硬化したもう1本のOリングと比較した。

・7d後 よくわからない。
硬化したもう1本のOリングとあまり変らないような気がする。

14d後 おおっ。
固さが、新品<膨潤Oリング<硬化したもう1本のOリング
となった。

17d後 すげえ。
固さは新品≒膨潤Oリング<<硬化したもう1本のOリング
であり、見分けがつかない。

つまりおおよそ半月で効いてくる。
よくキクなあ。
Oリングの硬化の程度にもよるが、
漏れ止め剤の濃度と絶対量を上げた事例2の方法は、相当に有効であろう。

・「ドアクローザーオイル漏れ無分解修理全量漏れ止め剤方式」
やってはみてはいないんだけども。

ヤケクソと、
作動油をいちいち買うのがめんどくさい、
つーかフツウはこうだとおもうけど、
作動油に他の用途がない人は、全量漏れ止め剤つー手もあるなあ。

作動油などに漏れ止め剤を混ぜないで、
漏れ止め剤だけで全量としてしまうのだ。
その場合には、
漏れ止め剤1本\1k+灯油+パークリが修理材料費のすべてとなるわけで、なかなかいいんじゃないか。
しかも、漏れ止め剤はクレのオイルシステムストップオイルリークの場合150ml入りで、当該ドアクローザには75ml使うから、1本の漏れ止め剤で2台修理できる。
クレのオイルシステムストップオイルリークの粘度はISO VGで46位の感じだ。
減衰力が少し上がるが、これくらいなら減衰力ナブリネジNo.1,No.2の調整でどうにでもなろう。

【0051】
本実施形態に係るドアクローザーオイル漏れ無分解修理全量漏れ止め剤方式によれば、漏れ止め剤は作動油よりも粘度が高いことが多いから、漏れ止め剤がゴム製Oリングを油漏れを阻止するに足る程度に膨潤させるまでの間に、ゴム製Oリングをすり抜けて漏れ落ちる油の量が、その粘度によって少なくなるという優れた効果を奏する。
【0052】
また、漏れ止め剤の濃度が十分に高いから、漏れ止め剤がゴム製Oリングを油漏れを阻止するに足る程度に膨潤させるに掛る期間が短くなるであろう優れた効果を奏する。
【0053】
さらに、作動油等を別途用意する必要が無いので、修理作業が簡易化され、加えて修理コストが低減されるという優れた効果をも奏する。

エアツールとか油圧ジャッキ使ってて作動油使う/持っているヒトは、作動油と漏れ止め剤を混ぜて使いましょう。
このようなヒトは余った作動油,漏れ止め剤も有効に活用できることであろう。

・動作試験
これで前述事例1と同様に組立。
バッタの足部分も清掃給油脂増締調整。
ドアに取付。
あたりまえだがオシ。
作動音も「しゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅちゃ」つー感じで正常化した。
従前は「じゅじゅーぅぃきいーこーぐちゃ」と云うておった。
ゴミが詰まってて、故に漏れが止まってたかなとおもったが、そーゆーこともなかったようである。

この作業は
さくさく行って30分位かな。
のんびりやっても1時間であろう。

------------
総括

廃油排出と灯油等による内部洗浄はとても大切です。
しっかりやりましょう。
少なくとも、廃油排出→新油入れ(内部洗浄は省略)はしてください。
ただ、廃油排出→パークリ洗浄→パークリ排出→新油入れとしても、この手間は廃油排出→新油入れ(内部洗浄は省略)とさして変りません。
特にパークリ洗浄の場合、そもそもパークリ使用量が少ない上、汚れを残して他は揮発してしまうから、廃油の量も極少なく、その処理も簡単になります。
汚れきったゴミだらけ旧油入ったまま、例えばOリング交換しても、比較的に短期間でまた油漏れするとおもうんだな。

事例2は漏れる前の予防保守であったけども、
ヱンジンオイル漏れ止め剤による無分解修理も可能なはずだ。
試されては如何。

くれぐれも油が抜けきる前に作業しよう。
事例1から、油がある限りは、Oリングの摩耗はなさそうである。
なお、エンジンと比べてドアクローザは運転温度が低いし、油もたいして攪拌されないから、漏れ止め剤の効果が出るのにそれなりの時間がかかるであろう。

ドアクローザーオイル漏れ無分解修理全量漏れ止め剤方式は、効果が出るのが早くなることが期待できよう。
この方式で、機械としてドアクローザ内部の歯車などがどのくらい保つかは全くわからない。
でも、せっかく分解したのに、廃油抜かず、少量のヱンジンオイル補充して組んでしまうヒトもいるので、
内部洗浄し、全量漏れ止め剤とする本例のほうが、それよりは明らかにいいとおもうよ。

漏れ止め剤の効果がどのくらい保つのかは、やってみないとわからないが、
以前電話して聞いたわこちゃんのヒトによると、ウチの漏れ止め剤の場合、一度膨潤したゴムは膨潤したままになるから、漏れ止め剤を追加で入れる必要は無いといっていました。
修理保守したら20年は使うし、20年後以降20年おきに作動油だけ入れ替えればいいことになるから、
無限に保つかも!

まっ、漏れる前の予防保守がいいけどね。
20年に一回かなあ。

貴君の健闘を祈る。


編集後記
物事をていねいに説明するのはタイヘンだ。
2025_02_28 現在30枚。
作業時間の数倍かかっている。
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人生過去一・もみじ語録

2024年12月11日 | 学術・芸術
ひーほろほーずんどこずんどこ
なんなら
すごく多々
ところでぇ
思っていてぇ
思うんですけどもぉ
ところではあるんですけれどもぉ
ところがぁ
ホンネです
ありすぎぃ↑
NGでオネガイしゃす
というところなんですけどもぉ
思うんですけどもぉ
ポイントとしてha
ところなんじゃないかな
思っていてぇ
線引きや
ポイントやと思っていてぇ
と思っていてぇ
発信
するようにしたりとかぁ
と思っていてぇ
と思っていてぇ
と思っと
みたいなところを
と思うのでぇ
みたいなところを
ところも
もっと前向きに
熱量が行くようにぃ
これをチャンスと捉えてぇ
とこに変えてぇ
前向きに
日々日々、
かへおれぇー へなんせぇー
ff ひーほろほーずんどこずんどこ


激イソガシ更新中
じんせーかこいち
ひーほろほーずんどこずんどこ
激イソガシの日々
実はぁ
思っているのでぇ
いう風に思っています
としてはぁ
ところがあってぇ
おぼえていますけれどもぉ
第三者的な感じで
長い歴史の中で
思うところがあってぇ
思っていてぇ
思っています
ウソつけないから
かへおれぇー へなんせぇー
ff ひーほろほーずんどこずんどこ
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色川武大・阿佐田哲也最後の日々

2024年12月04日 | 色川武大・阿佐田哲也研究
「別冊・話の特集 色川武大・阿佐田哲也の世界」では多くの方が、
「最後に色川・阿佐さんに会ったのは…」としている。
別冊・話の特集の発行が逝去の3ヶ月後なので、記憶は鮮明とおもわれる。

本項は、
以下のエッセイなどから日付,事柄を抽出し、
日付順に並べ替えたものである。

出典
1989年05月31日 竹書房
「近代麻雀オリジナル増刊号 阿佐田哲也 雀聖追悼特集号」定価880円(本体854円)
(3件しかない)

1989年07月10日 話の特集社
「別冊・話の特集 色川武大・阿佐田哲也の世界」定価1,030円(本体1,000円)
(ほとんどはここから)

1989年05月号初出 現代 講談社
「好色つれづれ日記(其の弐)」(絶筆) 色川武大
1989年12月15日第一刷 文藝春秋
「ばれてもともと」色川武大 に収録
(1989年03月08日~10日まで?)

日付不明(○月上旬など)は、推定で配置。
同一日のものは、月日略して直下に配置。
出典は、氏名の後に近代麻雀,話の特集,好色つれづれ日記などとする。
明らかな誤記は修正した。
前後関係から明らかな東京~一関の移動も入れた。
1989年03月17日~04月02日の間に、東京一関間を二往復半している。

2024.10.31_追記
追悼エッセイ著者が、色川武大をなんと呼んでいるかを、色川さん,阿佐田さんなどと出典の後に追加した。
また、黒鉄ヒロシの項に誤記あったので修正した。

2024.12.02_追記
絶筆の再推定をした。


1988年--------

1988年初夏
 永六輔 話の特集 色川さん
 一関の「ベイシー」で、色川邸という設計図を見た。
 僕も、その時は一関に来ることになっていました。
 そこにマルセ太郎を誘っておこう、それを黙っていて、色川さんを客席に案内しようか

1988年09月08日(木)
 立松和平 話の特集 色川さん
 海燕新人賞選考会
 選考委員
 色川武大、大庭みな子、田久保英夫、立松和平、古井由吉
 新宿の酒場で夜明けを迎えた
 色川、立松、編集部寺田、編集部田村

1988年12月29日(木)
 嵐山光三郎 話の特集 阿佐田さん
 ×立川競輪場オールスター戦
 (引用注:KEIRIN グランプリ)
 黒鉄ヒロシと一緒

 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 昭和最後の、立川の年の暮れは寒かった。
 競輪場の周辺でタクシーを見つけることが出来なかった阿佐田さんと僕は

1988年12月
 宮崎三枝子(ホワイト主人) 話の特集 色川さん
 昨年暮れボディ&ソウルの京子さんと三人で中国料理をご一緒した

1989年01月---------------------

2024.12.01追記
01月推定
1989年03月号「小説新潮」
「芝居の男」エッセイ執筆

01月01日(日)?
 二所ノ関正裕 話の特集 先生
 長門裕之宅で”元旦雀”

01月01日~09日?
 横山正治(「小説新潮」編集長) 話の特集 色川さん
 「引越貧乏」脱稿直前
 成城のお宅で深夜”豚しゃぶ”を御馳走になる
 一関では約束の原稿のない、放浪しながら自律的な執筆活動に入りたい。

01月10日(火)
 横山正治(「小説新潮」編集長) 話の特集 色川さん
 「引越貧乏」完成

01月28日(土)
 山口瞳 話の特集 色川さん
 京王プラザホテル
 第1回将棋ペンクラブ大賞授賞式
 一関に引っ越すという話を聞いていたので、そのことを訪ねると
 「資料だけですよ」と言う。
 「あそこにはベイシーって店があるけれど……」
 「そのベイシーの話で行くことになったんですよ」
 六十歳(年男・還暦)になるので心機一転したいという意味のことを言っていた。
 「みんな借家でしょう。『麻雀放浪記』の印税はどうしたの?」
 「みんな使っちゃった」
 「しょうがねえなあ」
 どうも俺ナルコレプシーじゃないらしいんだ。
 「単なる不眠症かもしれない」

1989年02月------------------------

02月
 川村二郎 話の特集 色川武大氏
 讀賣文学賞授賞式

02月
 色川孝子 話の特集 あの男,彼
 酔っ払って帰って来て、私の膝の上にデンと乗っかったかと思うと何時間も降りずにいろいろなことを喋っていました。
 (引用注:成城の色川邸でのことなのか、二十坪の建売住宅でのことか不明)

02月
 黒柳徹子 話の特集 色川さん
 博品館で『ニノチカ』という芝居をやっていて、それを見に来て下さった。
 (引用注:博品館劇場・劇団NLT提携公演ニノチカペレストロイカ万々歳 01月25日(水)~02月06日(月)
 作:メルヒオール・レンゲル 演出:飯沢匡 黒柳徹子、立川三貴、賀原夏子)
 「芝居のほうが映画よりさきで、こんなに面白いとは知らなかった!」
 六本木で中国料理をたべようという事になって、私の運転する車でギッウズメになって行った。
 大山のぶ代、砂川啓介、十朱幸代、飯沢匡
 「二十一世紀になるときは、生きて見ましょうよ」
 色川さんがぽつりと
 「僕は無理だな」

02月10日(金)
 藤野健一(「オール讀物」編集長) 話の特集 色川さん
 (打ち合わせ 対面か電話か不明)
 なくなるちょうど二ヶ月前
 一関に越したら大きな仕事にとりかかりたい
 当分オールに書けそうにない
 ひとつ面白いアイディアがあるんだが……

02中旬
 岸田今日子 話の特集 色川さん
 つかこうへいの芝居に出ていたら観に来てくださった。
 楽屋の入口からちょっと離れた所に一人で立って、もじもじして
 「とても面白かった」とおっしゃった。
 二人だけで四谷のおすし屋さんに行った。
 こんなことは初めてだった。
 イカのハラワタをつまみながら戯曲を書くつもりだとおっしゃった。
 出版社に近い宿屋で仕事をすることになっていたというのに、十二時すぎてしまって、
 一台だけつかまったタクシーにわたしを乗せると、ニコニコしておすし屋さんののれんの前に立っていた。

 岸田今日子 近代麻雀 先生
 この2月に芝居を観に来て頂き二人で食事をしました。
 二人きりでというのは、これまで一度もなかったことなのですが、最初で最後になってしまいました。

02月25日(土)
 大山のぶ代 話の特集 色川さん
 フランクシナトラを聴きに行ったのが最後
 大山や毒蝮三太夫に
 「あっちへ(岩手方面)行くことがあったら連絡してよ。電話番号はまだ覚えてないけど」
 と住所を書く。

1989年03月-----------------------

03月
1989年04月30日初版 徳間書店
「阿佐田哲也の競輪教科書(バイブル)」
「あとがき」執筆
平成元年三月、の日付入り

2024.12.01追記
03月推定
1989年05月号「群像」講談社
「政治家について」エッセイ執筆
※「ばれてもともと」掲載の
1989年05月号初出「現代」講談社「好色つれづれ日記(其の弐)」に絶筆としてあるが、
「政治家について」のほうが後で、絶筆かもしれない。
どちらも月刊誌1989年05月号掲載。
「政治家について」は、「夜風の縺れ」2022年小学館に載っている。
リクルート事件について書いてある。
絶筆については後述する。

03月01日(水)
 山藤章二 話の特集 色川さん
 立川談志主催の「超二流会」
 フランキー堺の「フランキー講談」を楽しむ
 
 大山のぶ代 話の特集 色川さん
 ×03月終わりに
 (引用注:日付誤り)
 立川談志主催の「超二流会」
 フランキー堺の「フランキー講談」

03月07日(火)まで?
 青柳賢治 近代麻雀 先生
 フラリと行ったらちょうど送別会をやっていた。

 青柳賢治(プロ雀士) 話の特集 先生
 ×01月終わり頃
 (引用注:日付誤り)
 成城のお宅へ来訪
 引っ越し準備ほとんど完了
 後藤、川上宗薫夫人、黒川、元秘書アン
 鍋物、お酒、ビール
 引っ越しの送別会のようであった。
 「こんどの家は部屋がたくさんあるから、いつでも泊まりにいらっしゃい」

03月08日(水)? 上野駅前和風旅館泊
 色川武大 好色つれづれ日記
 上野駅前和風旅館 三畳の部屋
 上野の三畳に舞い戻って澄まして原稿など書いている。

 家賃支払先
 一関の借家 トイレと風呂場修繕のため入居できず
 東京の仕事場マンション 内装工事のため今月いっぱい入居できず
 元の東京の借家 荷物がいくらか残存している

 カミサンは大分前に小さな建て売り住宅を買いそこに一人住まい
 (引用注:01月10日(火)脱稿 
 初出1989年02月号 小説新潮 色川武大「引越貧乏」に、二十坪の建売住宅の記載あり。
 1989年07月10日初版 新潮社「引越貧乏」の見返しに、小さい文字の「引越貧乏」原稿写真あり。
 大きな字で書いている余裕がなくなったのであろう。
 また、二十坪の建売住宅とおもわれる建物が、
 2008年03月「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」で放映されたはずだ)

 カミサンが和風旅館三畳間に下着持ってくる
 二人で根岸の洋食”香味屋”に行く
 カミサンはハンバーグを食べる

03月09日(木) 浅草ビューホテル泊
 色川武大 好色つれづれ日記
 浅草おかみさん会主催、常磐座のショー日替わりゲスト出演。
 浅草ビューホテルに投宿
 編集者Hと”藪蕎麦” 菊正冷酒でせいろ。
 ”梅むら”豆かん(一人前三百五十円)楽屋土産
 金竜館横ハトヤで小憩
 常磐座出演
 松屋裏”香とり”カキフライ冷奴

 樋口修吉 話の特集 色川さん
 の聞いた03月のうわさ
 高橋伸の店に訪ねてきた
 「あっ、伸ちゃん、俺、色川。
 今ビューホテルにいて暇だから、これから遊びに行こうと思うんだけど、いいかい?
 たださ、あんたも知っているように、俺は人見知りするから、初対面の人がいるといやなんだけど……」

 高橋伸寿(浅草三ちゃん) 話の特集 先生
 午前3時過ぎまで痛飲
 「ビューホテルだから大丈夫! 近いからね!」
 ビューホテルの部屋から眺めた浅草の街が
 「ビルが変に墓石みたいにみえるよ、死んだ街だね!」

03月10日(金) 浅草ビューホテル泊
 色川武大 好色つれづれ日記(其の弐)
 ビューホテル15階から夜明けの東京東部を見る。
 朝靄の中に立って居るビルが墓石のように冷めたく不吉に見える。
 昼めし”天藤”天丼
 常磐座昼夜二回公演
 ”香とり”
 理性をすべて失い”さと”。

 高橋伸寿(浅草三ちゃん) 話の特集 先生 
 シミキン一座にいた、逗子とんぼと出版社の村尾とでにぎやかな話

03月
 吉行和子 話の特集 色川さん
 ちらっとお会いした。
 「いかがですか」
 「東京は墓場のようですね」

03月中頃
 矢崎泰久 近代麻雀 阿佐田さん
 電話で「メシでも喰おう」と誘われた。

 樋口修吉 話の特集 色さん
 矢崎泰久さんは色さんのことをタケちゃんと本名で呼び 

03月11日(土)~?
 東京→移動→一関

03月17日(金)までの間
 一関→移動→東京
 03月17日(金)の
 小田島雄志「色川さんは上機嫌で一関から出てきたばかりであること」による

03月17日(金) 不明ホテル泊
 小田島雄志 話の特集 色川さん
 誕生日恒例の「すしが食いほうだい」会
 四谷のすし屋に入ると
 せがれとそのフィアンセと女房と、もう一人いた。
 色川さんだった。
 色川さんは上機嫌で一関から出てきたばかりであることを説明した。
 いつもの四倍、五倍はしゃべった。
 二時間ほどして
 「じゃ、これから衣公子のところ(銀座・まり花)へ」

 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 (「色川さん」「阿佐田さん」を、当方も調子を合わせて思い付きで使い分けていた)
 夜に「まり花」
 「仕事は終わったんですけどね。花月園がね」
 (引用注:日本選手権競輪03月19日~24日 花月園競輪場)
 「その間、ずっとホテル住まいですか」
 「そのつもりです」
 「ホテル代なんて不経済ですよ。その分も弾にして花月園に撃ち込んだらどうです」
 拙宅を宿に使ってもらうように勧誘

03月19日(日) 黒鉄ヒロシ宅泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 「お世話になります」と電話をもらった。
 昼は競輪場通い、夜は二部屋に別れて仕事。
 いやがる阿佐田さんをミ無理矢理にお風呂にいれたり
 以後24日まで一週間の合宿生活。

 樋口修吉 話の特集 色川さん
 の聞いた03月のうわさ
 黒鉄ヒロシの家に泊まって競輪に行った。

03月20日(月) 黒鉄ヒロシ宅泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 日本選手権競輪03月19日~24日 花月園競輪場 
 黒鉄ヒロシ邸に泊まる

03月21日(火) 黒鉄ヒロシ宅泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 日本選手権競輪03月19日~24日 花月園競輪場 
 黒鉄ヒロシ邸に泊まる

03月22日(水) 黒鉄ヒロシ宅泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 日本選手権競輪03月19日~24日 花月園競輪場 
 黒鉄ヒロシ邸に泊まる

03月23日(木) 黒鉄ヒロシ宅泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 日本選手権競輪03月19日~24日 花月園競輪場 
 黒鉄ヒロシ邸に泊まる

03月24日(金) 黒鉄ヒロシ宅泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 日本選手権競輪03月19日~24日 花月園競輪場 
 黒鉄ヒロシ邸に泊まる

 三遊亭夢楽 話の特集 阿佐田さん
 花月園競輪場特観席
 黒鉄ヒロシも一緒

03月25日(土)
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 講談社に行く阿佐田さんと六本木で別れた。

03月25日(土)~26日(日)
 東京→移動→一関

03月26日(日) 一関滞在
 中村誠一 話の特集 色川さん
 一関の「ベイシー」
 菅原昭、美人、色川さん
 色川さんの持薬を2錠頂いて飲んでしまった。
 (引用注:リタリン?)
 すし屋 フカヒレずし→ベイシー
 →色川さんの家 アート・ブレイキーとセロニアス・モンクのビデオ

03月27日(月)~30日(木)
 一関→移動→東京

03月30日(木) 帝国ホテル泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 夜
 阿佐田さんは「まり花」のシートに座って居た。
 「帰らなかったんですか」
 「いろいろと……」
 (引用注:03月25日~26日一関に行き、03月27日~30日また東京に戻った)
 「だったら居てくれれば良かったのに。どこに泊まっているんです」
 「帝国ホテル」

03月31日(金)  帝国ホテル泊
 大沢アン(元秘書) 話の特集 師匠
 帝国ホテル
 その日は珍しく誰も来客がなく、ひしさしぶりに二人だけでのんびり雑談
 (引用注:「誰も来客がなく」といっているので、部屋でだろう)

 樋口修吉 話の特集 色さん
 04月01日0230時頃
 帝国ホテルロビー
 「ねえ色さん。この前伸さんのところへ行ったでしょ。とんかつ屋の」
 上目遣いに私を見る。
 一関の住所と電話番号を書いた。
 
1989年04月-----------------------------

04月01日(土)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 「小説現代」新人賞選考会終え 一関へ

 花柳幻舟 話の特集 色川さん
 東京で食事 
 2日後に電話で入院を知る
 悲報はその2日後(引用中:日付誤り)

 朝堀正元 話の特集 色川
 04月02日の夜、色川から架電
 (引用注:04月02日には一関にいるから「明日(04月03日)の新幹線」はない、04月01日であろう)
 明日の新幹線で一関に帰るが…
 一度遊びにきてくれ

04月01日(土)~02日(日)
 東京→移動→一関

04月02日(日)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 岩手放送テレビ水沢競馬中継ゲスト
 夕刻ベイシーへ戻る。
 色川のおごりで六名ほど造り酒屋の和風レストランで夕食会。
 2300頃色川を自宅へ送る。

04月03日(月)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 2000近く
 色川からベイシーに電話。具合が悪い。
 村田はバイクで先行、医師を車に乗せ色川宅へ。
 診察
 心筋梗塞の疑い
 救急車を呼ぶ
 一関病院にも電話、帰宅していた医師を病院で待機。
 2100頃救急車
 一関病院搬送
 2230頃 瀬峰病院に移送決定
    東京の孝子夫人へ二度目の電話
 2300 一関病院出発
 2400 瀬峰病院到着
    集中治療室
    孝子に三度目の電話 明日0600新幹線→0900頃には到着の段取り

 小原徹也(医師) 話の特集 色川さん
 2000少し前ベイシーの菅原昭二から色川の具合が相当に悪いの報を受け菅原とともに往診
 咽頭軽く発赤、不整脈、血圧180~190
 胸部腹部所見に異常を認めず
 心筋梗塞が最も疑われたのでポータブル心電計検査
 典型的な新鮮な心筋梗塞を示す心電図
 「心筋梗塞の疑いが最も強いので、絶対安静が必要であり、入院を要する」と告げる
 救急車で一関市内の総合病院に入院
 一時不整脈が消失したが、二時間後再び出現したので、宮城県瀬峰病院に転院

04月04日(火)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 0900 玄関に孝子迎え
 医師の説明
 今度が二度目の心筋梗塞、心臓の半分がやられた。次にやると非常にあぶない。
 徹底的に治療する。油断しないよう。
 絶対安静、面会謝絶
 菅原、一関に戻る

04月05日(水)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 ベイシー定休日なので、翌06日昼頃まで病室にいた

04月06日(木)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 夜見舞い
 すこし楽になった様子
 「いや、昨日までに比べたら天国みたいなもんですよ」

04月07日(金)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 大雨
 郵便物、FAX、見舞いの花など積んで瀬峰病院

04月08日(土)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 元気そう
 シャーベットが食べたいというので、ジュースを凍らせたもの持参
 食べて「仕合せ」と言う。

04月09日(日)
 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 前日に色川が
 「大丈夫ですから、どうぞお店やってください」
 と言うので、昼からベイシー開店
 夜中に見舞う
 「今日はね、とても気分が良くってね。お店どうでした?」
 いろいろ会話
 「それじゃあ、お休みなさい。また明日……」
 と言い胸のあたりで手を振ると、手のひらをこちらに向けて軽く振った。

04月10日(月)
 逝去

 菅原昭二(一関「ベイシー」主人) 話の特集 色川先生
 朝孝子から電話

04月11日(火)
 山口瞳 話の特集 色川さん
 色川さんの通夜は新宿矢来町の生家で行われることになった。

04月13日(木)
葬儀 新宿「千日堂会館」に800名以上参列
当時のテレビに写った参列者の方々(一部/順不同)
黒柳徹子、山田邦子、篠山紀信、貴花田(貴乃花)、阿木陽子、永六輔、
奥田瑛二、安部譲二、花柳幻舟、杉浦直樹、冨士真奈美、岸田今日子、
高品格、長門裕之
弔辞「別れの言葉」丸谷才一(「次郎長放浪記」阿佐田哲也 中公文庫1986年の解説は丸谷才一)
弔辞 長門裕之
-------------


エッセイ執筆をお願いできない方々とか、
そもそも「話の特集」編集長矢崎泰久が知らない方々もいるだろうから、
前掲が色川・阿佐田の行動のすべてではない。

特に1989年03月に激しく動いているように見えるけど、
逝去と各人エッセイ執筆時期が近いからよく記憶しているのであって、
おそらく平素からこの勢いで人に会っていたとおもわれる。

意外や色川さんと呼んでいる方が多い。
そのような方に追悼エッセイ依頼したのかもしれない。

阿佐田さんと呼んでいるのは、
嵐山光三郎 話の特集
矢崎泰久 近代麻雀
黒鉄ヒロシ 話の特集
の各氏である。
このうち矢崎泰久は、近代麻雀なので阿佐田さんと呼んでいるのであって、
樋口修吉 話の特集によると、
 矢崎泰久さんは色さんのことをタケちゃんと本名で呼び
とのことである。
黒鉄ヒロシは
 「色川さん」「阿佐田さん」を、当方も調子を合わせて思い付きで使い分けていた
なので、阿佐田さんだけではない。
よってこれらの記載から、阿佐田さんとだけ呼ぶのは
嵐山光三郎 話の特集
となる。

最後の麻雀は、
01月01日(日)? 長門裕之宅で”元旦雀” ということになる。

最後の競輪は
日本選手権競輪03月19日~24日 花月園競輪場 黒鉄ヒロシ宅泊 だ。
おそらく最後の博打はこの競輪だろう。

-----------
2024.12.02追記
絶筆について

判明している1989年03月執筆は以下の通り。
・1989年04月30日初版 徳間書店
「阿佐田哲也の競輪教科書(バイブル)」「あとがき」平成元年三月日付入り
・1989年05月号「現代」講談社
「好色つれづれ日記(其の弐)」エッセイ
・1989年05月号「群像」講談社
「政治家について」エッセイ

月刊誌の発売日をみる。
月刊「現代」講談社 毎月01日発売(2008年12月01日発売2009年01月号で休刊)
月刊「群像」講談社 1989年当時は確定でないが、現在は毎月07日に翌月号を発売
月刊誌の〆切は概ね発売日の20日前である。(印刷所に入れるタイミングらしい)
すると、
現代1989年05月号→1989年04月01日発売→1989年03月10日頃〆切
群像1989年05月号→1989年04月07日発売→1989年03月17日頃〆切
となる。

03月10日(金) 浅草ビューホテル泊
なので、
前日09日と当日10日にあったことを浅草ビューホテルで書いたのが、
「好色つれづれ日記(其の弐)」であり、
現代1989年05月号は03月10日頃〆切と考えられるからつじつまは合う。

03月17日(金) 不明ホテル泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 夜に「まり花」
 「仕事は終わったんですけどね。花月園がね」
不明ホテルで執筆したこの仕事というのが
1989年03月17日頃〆切の群像「政治家について」であると考えると、
03月17日という日付までピッタリ一致はする。

1989年04月01日「現代」1989年05月号講談社発売
色川が心筋梗塞で倒れたのが
1989年04月03日
色川入院中の
1989年04月07日に「群像」1989年05月号講談社発売
色川逝去は
1989年04月10日

よって、色川逝去の
1989年04月10日には
1989年05月号講談社「現代」1989年04月01日発売も、
1989年05月号講談社「群像」1989年04月07日発売も、
共に発売中。

両編集部は「ウチが頂戴した色川先生のお原稿が絶筆になった」とおどろいたこととおもう。
その後、他社含めよその編集部員に聞いてまわったとおもわれる。
すると、
少なくとも講談社内と、聞いてまわったよその編集部間では、
1989年03月の原稿は順に
・1989年05月号「現代」講談社
「好色つれづれ日記(其の弐)」
・1989年05月号「群像」講談社
「政治家について」
と判明したことであろう。

03月19日(日)~24日(金) 黒鉄ヒロシ宅泊
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 昼は競輪場通い、夜は二部屋に別れて仕事。
この「仕事」がなんなのかわかればなあ。
少なくとも
「現代」1989年05月号→1989年04月01日発売なので
「好色つれづれ日記(其の弐)」は間に合わない。
よって、「好色つれづれ日記(其の弐)」は絶筆ではあり得ない。
この「仕事」が未完成原稿でなければ
「政治家について」か「あとがき」だ。

「政治家について」だと、
1989年05月号講談社「群像」1989年04月07日発売だから、
非常にタイトではあるが、間に合うか?

「あとがき」だと
1989年04月30日初版 徳間書店
「阿佐田哲也の競輪教科書(バイブル)」
で、実際の発売日は二週間から一ヶ月前であるから、
1989年04月01~15日に発売。
書籍なので〆切がよくわからないけど30日前には原稿できてないといけないとすると、
1989年03月01~15日に執筆でギリギリか。
03月08日(水)? 上野駅前和風旅館泊
 色川武大 好色つれづれ日記
 上野駅前和風旅館 三畳の部屋
 上野の三畳に舞い戻って澄まして原稿など書いている。
この原稿が「あとがき」かな?

すると、執筆時期と場所は
1989年03月09日頃 上野駅前和風旅館
「あとがき」
1989年03月10日頃 浅草ビューホテル
「好色つれづれ日記(其の弐)」
1989年03月17日不明ホテル~
      19日~24日 黒鉄ヒロシ宅
「政治家について」
これでどうだ。
「政治家について」はいかにも苦戦しそうだしね。

03月17日(金) 不明ホテル泊
 小田島雄志 話の特集 色川さん
 色川さんは上機嫌で一関から出てきたばかりであることを説明した。
 いつもの四倍、五倍はしゃべった。
これに違和感があったから、
「いつもの四倍、五倍はしゃべった」を追悼エッセイに書いたとおもわれる。

そして、
色川にある種の予感があり、
絶筆を書きつつあったから、
「いつもの四倍、五倍はしゃべった」のであろう。

03月25日(土)
 黒鉄ヒロシ 話の特集 阿佐田さん
 講談社に行く阿佐田さんと六本木で別れた。
これは、「現代」且つ/又は「群像」編集部とおもわれる。
次号の相談かもしれない。

結局、阿佐田哲也「あとがき」,色川武大「政治家について」が絶筆である。
だから以下は云える。

まさか知らなかったとはおもえないので、
1989年12月15日第一刷 文藝春秋単行本「ばれてもともと」編集部が、
「好色つれづれ日記(其の弐)」を「絶筆」にしたと考えられる。
文藝春秋の編集部は、色川の絶筆に「政治家について」は相応しくないとおもったのであろうか。
または、単に「政治家について」は「ばれてもともと」に載せるほどでないから、
「好色つれづれ日記(其の弐)」を選んだけども、
「絶筆」は欲しかったので「好色つれづれ日記(其の弐)」を絶筆化したのであろうか。
「ばれてもともと」には、「好色つれづれ日記(其の壱)」も「政治家について」も未掲載である。

阿佐田哲也の絶筆は
1989年04月30日初版 徳間書店
「阿佐田哲也の競輪教科書(バイブル)」
「あとがき」平成元年三月 日付入り
阿佐田哲也が最後に書いたのは競輪だった。
阿佐田哲也生前最後の単行本は、この「阿佐田哲也の競輪教科書(バイブル)」である。
1989年07月 双葉社 
1991年10月15日 双葉文庫
「外伝・麻雀放浪記」
これは没後の編集でいわゆる追悼本あろう。
「阿佐田哲也の競輪教科書(バイブル)」「あとがき」のラスト
---
まだまだ至難のパズルが解けるまでにいきません。私も勉強中です。もう少しレースが見えてきたら、もう一冊、この続きを記してみたいと思います。
お互いにがんばりましょう。
平成元年三月   阿佐田哲也
---

色川武大の絶筆は
・1989年05月号「群像」
「政治家について」
である。
絶筆であるが故、
色川が確認できる限り初めて政治について正面から書いたのだとおもうよ。
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阿佐田哲也 麻雀師渡世 阿佐田哲也の麻雀秘伝帳

2024年08月03日 | 色川武大・阿佐田哲也研究
色川武大の研究本的なものには以下がある。
刊行順
1989年05月31日 竹書房
「近代麻雀オリジナル増刊号 阿佐田哲也 雀聖追悼特集号」定価880円(本体854円)
追悼本
グラビア,阿佐田哲也の文字が大きな原稿,追悼エッセイ,対談,この時点での単行本未収録作品,観戦記など。
短期間によくぞまとめた。

1989年07月10日 話の特集社
「別冊・話の特集 色川武大・阿佐田哲也の世界」定価1,030円(本体1,000円)
追悼本
和田誠表紙,篠山紀信写真,追悼エッセイ。
篠山紀信の「生家居間にて母堂と」の写真により、色川武大は生涯「うちの息子」であったとわかる。
この視点は、他のエッセイなどにはないものだ。

2003年10月30日 河出書房新社
「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」
グラビア,対談,エッセイ,この時点での単行本未収録作品,色川武大・阿佐田哲也・井上志摩夫 全著作レヴュー,年譜など。
読むとこいっぱいでうれしい。

以上、玉も多いようで値もこなれている。

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2003年の「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」
「色川武大vs阿佐田哲也」の全著作レヴューは、
9人の筆者がそれぞれの書評を担当している。
内、
阿佐田哲也分は麻雀がわかる人が書いているようだ。

誤認がある箇所をみつけた。
「麻雀師渡世」
1971年09月 日本文芸社
「ギャンブルの職人 麻雀師渡世 ●勝負でメシを食い歩く人々!」
2008年08月11日 小学館文庫
「雀師流転」に収録

これのレヴューにはこうある。
---
麻雀小説の種本といっていい内容なのである。

また「茶木先生、雀荘に死す」とそっくりな話が「南郷元准尉。雀荘に死す」として載っている。

発売されたのは阿佐田哲也がブレイクした後の昭和四六年のことだから、おそらく阿佐田哲也が麻雀小説を書く前にどこかの雑誌に連載していた文章を、『麻雀放浪記』のヒットを見て日本文芸社がかき集めたのではなかろうか。
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この「麻雀師渡世」初出はわからなかった。
「雀師流転」小学館文庫に収録された「麻雀師渡世」の中身で執筆時期を探ろう。

大役満の後には凶運がくるの章 小学館文庫P181
---
先日は吉行淳之介氏が九連宝燈をあがって厄払いのパーティを開いたという。
---
1970年02月のことである。

ドライブ専用ナンバー遊びの章 小学館文庫P263
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いつだったか、長崎国体の軟式野球の部に、小説家の藤原審爾氏がオーナーになっているクラブチームが出場した。
---
長崎国体は1969年09月である。

これらから、
「麻雀師渡世」は
1970年02月(吉行淳之介氏の九連宝燈)から、
1971年09月(日本文芸社初版)までに書かれたものであると確定する。

「麻雀師渡世」内で触れられているモチーフで、先行する小説等があるのは以下の通り。

・黒人兵のテネフォ
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P182
---
昔、進駐軍のキャンプへ行って、兵隊と打っていた頃、大甘の黒人兵が天和をあがったのを見たことがある。
「テネフォ! テネフォ!」
黒チャンは飛びあがって喜悦の声を出していたが、とたんに白人の古兵が短銃を発砲して、黒人兵の肩を射抜いた。
---
1968年
初出「黒人兵キャブ」 週刊大衆 
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」

・テツ坊
・モンペ
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P306
---
ところが、私は意外な歓迎を受けた。
「あれが、有名な哲坊だよ」
「麻雀の神様さ」
というような囁きがきこえ、私が卓につくと三、四人の若者が折り重なってうしろへ来て見ている。

通称モンペといった。

「リーチ――!」
「ブワーン、満貫!」
---
・石田さん
1969年
初出「”切返し”の寒三郞」 週刊大衆 
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
・ダンチ
1968年
初出「捕鯨船の男」 週刊大衆 
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」

これらは、先に短編小説があって、後から「麻雀師渡世」だ。
色川武大・阿佐田哲也は同じモチーフを繰り返すんだな。

「麻雀師渡世」が先で、後から他の小説の例をみよう。
・競輪予想屋河内山
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P274
---
彼が◎○という予想なら、◎×を買う。◎×と書いてあれば、逆の◎○で大勝負だ。河内山の予想は、まずはずれるのであるから、彼と反対のところで勝負すれば、安心してレースを見ていられる。こんなときの予想代千円は惜しくあるまい。
---
・七ちゃん→競輪大魔神
1983年
初出「前科十六犯」色川武大 小説宝石 
1984年09月 角川書店
「黄金の腕」
1988年07月25日 角川文庫
「黄金の腕」
※同じモチーフで予想屋を「カンヌシ」っていっている作品もあったハズだ。

・南郷元准尉・雀荘に死す
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P288
---
南郷元准尉が異様な声をあげて倒れたきり、目を剥いたままの姿になってしまったのはその夜中のチンチロの席上だった。
皆はかかり合いを恐れて逃げ散った。
---
・茶木先生、雀荘に死す
1972年
初出「茶木先生、雀荘に死す」
1975年03月 双葉社
「阿佐田哲也麻雀小説自選集」
1982年05月10日 角川文庫
「東一局五十二本場」
2002年12月 文春文庫
「阿佐田哲也麻雀小説自選集」

ほぼ同時つーのもある。
・通し「発展性」
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P165
---
その末に、こういった。
「発展性のない手ですなあ――」
リーチをかけていた奴が、カンカンになって怒ったね。
「なにをいうんだ。リーチして、発展性もクソもあるものか」
---
・通し「はってんせい」
1971年10月 青春出版社
「阿佐田哲也の麻雀秘伝教室」
1995年09月01日 青春文庫
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」 P144
---
さんざん考えた末に、
「はってんせいのない手ですなあ」
といった。しかし相手は怒ったね。
「リーチしてから発展性もクソもあるか。余計な口を出すな」
---
 2024.10.20追記 まだあった
・通し「ハッテン性」
1974年 双葉新書
「小説・麻雀新撰組」
1976年06月20日新装版 双葉新書
「小説・麻雀新撰組」 P121
---
ところがアンちゃんは奇妙に義理固い男で、何かいってやろうと身をもんで考えた。
とうとうこういった。
「ハッテン性のない手ですねえ」

「ははァ、これも発展性のない手だ」
追っかけリーチが怒ったね。
「俺の手にケチをつけるのか。リーチしたらもう手は変えられないんだ。そのあとで発展すつ手なんかあるものか」
---
・「発展性」の元根太
1977年08月号 近代麻雀臨時増刊号
「モデルが語る麻雀放浪記」(座談)
出演者
中島氏(女衒の達のモデル)
野口氏
(「ノンベ」または「モンペ」もしくは「ノンペ」。
1973年05月号近代麻雀「雀ゴロ人生に哀歌あり」誌上呼びかけの際は
---
禁をやぶってその男の本名を公にする。野口○○君といいます。年令は四十二、三歳、中肉中背、特に目立った特徴は無いが、昔は通称”ノンベ”といっていました。
---
1974年04月号近代麻雀「生きていた”捕鯨船の男”」
---
その”モンペ”君が便りをよこしたのである。
---
この座談では「モンペ」と呼んでいる。
よくわからないので現在研究中ナリ、
小説中のダンチ or モンペのモデル)
秋武氏(ガン牌清水のモデル)
阿佐田哲也
1989年05月31日 竹書房
「近代麻雀オリジナル増刊号 阿佐田哲也 雀聖追悼特集号」
「モデルが語る麻雀放浪記」
---
"通し"をいうのに苦吟

阿佐田 二十五、六年には足を洗っちゃったし、あのあたりにはいいカモもいなかったからね。あなたのことでよく覚えてるのは、どこかの土建屋のお兄ちゃんたちをコロそうってんで、二日くらいぶっつづけでやったとことがある。そのときに、まだ筋がよくないから入れてもらえなくて、あなたがカベをやったんだ。
秋武 うん、そんなことがあった。通しを教わってね。
阿佐田 それで、お客さんの一人が辺7筒か何かでリーチかけて、慣れないから通しがいえないんだよ。ハといわなきゃならないのを、苦悶したあげく"発展性のないテですねえ"っていったら、お客が”リーチかけてるのに発展性があるわけないだろ”って怒ってねえ(笑い)。あれが、あなたがワキ道へ踏み込んだ、記念すべき第一夜だよ。
---
「発展性」は、初期ガン牌清水であったか。
「発展性」→「はってんせい」→「ハッテン性」と表記を変えているのもコクがある。


よって「麻雀師渡世」レヴューの
「種本」とか
「阿佐田哲也が麻雀小説を書く前にどこかの雑誌に連載していた文章を、『麻雀放浪記』のヒットを見て日本文芸社がかき集めた」とか
ではない。
また、色川武大・阿佐田哲也は同じモチーフで何度も書くとわかる。


-----
「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」の
こっちのレヴューもどうかな。
1971年10月 青春出版社
「阿佐田哲也の麻雀秘伝教室」
1995年09月01日 青春文庫
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」
---
出版社主導はそれだけではない。じつは本文をゴーストライターが書いている可能性がある。イカサマ技は小説内で解説されているものばかりだし、文体も阿佐田哲也特有のゆったりしたスタイルではない。ただし序文とあとがきは本人の手によると思われる。
---
そーかなあ。

本書は

Ⅰ基本技
Ⅱ決め技
Ⅲ隠し技
Ⅳ本技
あとがき
であり、ⅠからⅢまではイカサマの解説である。

Ⅰ基本技の冒頭に、「天和 大柴様」が出てくる。
これは、
1968年
初出「天和の職人」 週刊大衆 
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
そのままだ。

ⅠからⅢは文章の勢いも少しわるいか。
なんか、おどおどしてる気がする。

ところが、
Ⅳ本技で文体が俄然生き生きとする。
ここの内容は、
1969年02月 双葉社
「麻雀の推理」
1989年10月15日 双葉文庫
「Aクラス麻雀」
のエッセンスともいうべきもので、
自動卓でない当時、イカサマ知らないとやられるし、小説にはのせてるから書いたものの、
Ⅳ本技が一番云いたかったとわかる。
そして、Ⅳ本技は阿佐田哲也の文章だ。

ⅠからⅢも阿佐田哲也でしょうね。
こんなことろがある。
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅱ決め技 P92
---
図は前述の四喜和十枚爆弾を切り返しの手口に仕込んだところだが、図1を見てほしい。二箇所に仕込まれていますね。これを、右端から五枚目までと、左端から五枚目までをそれぞれ左右の手に持ち、真ん中の七枚をガシャッとくっつけてしまう(図2)。
---
特にハウトウもので、図参照などの重要なところの語尾が「ますね」とか「ください」になるのは阿佐田の特長だ。

「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅳ本技 P173
---
点棒などは途中で預かっているだけで、自分の点棒箱にいつも定着しているわけではない。
上図を見てください。
いま、相手(荘家)に早いリーチがかかった。
---

1989年10月15日 双葉文庫
「Aクラス麻雀」
にもたくさんあるよ。
P25
---
自分の運量以外の運、つまり相手の運を利用してアガるやり方がある。一例をあげよう。
上の図を見てください。今、相手(親)に早リーチがかかった。
---
P106
---
その他の牌でも両面を兼ねないだけで、テンパイであることにはかわりがない。
図2を見てください。これは六九索待ちであるが、ここへ七索(牌活字)か八索(牌活字)をツモらない限り、つまり北(牌活字)とのシャンポンにならない限り、テンパイは変化しない。
---

「Aクラス麻雀」では
……改行
見てください。……

「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」のⅡ決め技のイカサマ解説では、
改行なしで
……ますね。……
なんだな。
あんまり見てほしくないのであろう。

一転して、「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅳ本技では、
……改行
見てください。
改行……
となり、
ここをこそ見て欲しいつーことがヒシヒシと伝わってきますなあ。

よって
ⅠからⅢも、これはまず阿佐田でしょうね。
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【えっやばい!大好きニキせやな神それな主義リアル無理ゲーはよ案件じわるw】真実やらかし論草み系界隈ざまあ不可避したしワンチャンダイナミックメシウマわスゴすぎた理由のリアルされるべきワケがとは末路まで?

2024年07月25日 | 学術・芸術
安心してください言いたくない過去を言うと言わせてください今だから言えることですが意外かもしれないけど意外と重要なんですが意外と知られてないけどあまり大きな声で言えないのですがあまり知られてないのですがありえないあんまり言いたくないけどいい加減にしてほしいいい歳してお恥ずかしいのですが悪用厳禁なのですが一度しか言いません嘘のようで本当の話嘘じゃないですよ炎上覚悟で言います覚えておいてください驚いています驚くかもしれませんが多くの人が勘違いしてるんですが怒ってますここだけの話ですがこの際ハッキリ言いますがごめんなさいこれ、超大事これから大切なことを言いますこれスゴい!これだけは何回も言いますがこれだけは言っておきたいんですけどこれだけは知っておいて欲しいこれだけは聞いて欲しいこれにはマジで驚いたこれはわりと真実だと思うんですがこれはわりと真面目なアドバイスなんですがこれはわりと盲点なんですがこれは永久保存版ですこれは控えめに言って有益ですこれは持論ですがこれ読まないと損しますこれは内緒なんですがこれまでの人生で学んだことこれらは結構ウソなんですがこれ言ったら炎上するかもしれないけどこれ信じられます?これ大事。テストに出るよこれ知ってますか?ご存じかと思いますが隠しておこうと思ったのですが我慢できなかった本当に悔しい確信しました勘違いしてる人が多いですが勘違いしてました完全にわかった完全に舐めてた感謝!今日は言わせてください嫌われる覚悟で言うけど肝に銘じて欲しいのですが危険です気づいてしまった興奮してます結局のところ厳しいことを言うけど誤解です告白します声を大にして言います悲しいことにしつこく言ってるけどズバリ言いますがそれ間違ってます残念なことに残酷かもしれませんが実は…重要なこと言います衝撃的な事実信じられない信じられる?正直に言うと正直ムカついた絶対に忘れないで欲しい絶対に知っておいて宣言します損してませんか?知らないと損知りたくない現実を言います黙ってましたが辛かった大事だから何度も言います大切なことを伝えます単刀直入に言います超重要なことなんですが超有料級ですぶっちゃけます僕をフォローするメリットは本気で聞いて欲しい有益なことを言います朗報です
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谷山浩子さん パラソル天動説・銀河系はやっぱりまわってる

2024年07月15日 | 深夜らじお倶楽部・谷山浩子さん研究
暫定、谷山浩子の特に最高傑作は
2005年02月23日
『パラソル天動説』である。

まず
天体の観測結果を述べる
それら天体及び僕らは足がもつれながら
 天空抜けて落ちていく
続いて、天体と共に
 メガネが回ってる
件になり
きみの忘れ物がいろいろ回り
回るもの例示され
 パラソル…パラソル
それが
 きみの誕生日にあげたプレゼント
であって
あげた途端に駅に忘れたので
(ここのメロディは特に美しい)
 もうあげない 日傘あげない
と、たぶん怒っている
一転
 それはそれとして
パラソルだけが固定され他のすべてが回っている
ときりだすが、しかし
 詳しい説明は省略
するけど、
ぼくのおもいは
 とてつもなく深いっていうこと
というのよね。
しかも
僕はきみを抱きしめた上
 天空抜けて落ちていく

「あなたに伝えたい熱いこの気持ち」的なものが多量にあることだけはわかるが、
ナニが云いたいのかは不明なんですの。

『パラソル天動説』について浩子さんご当人の説明
古い順
2015.12.19 谷山浩子コンサート2015江東区文化センターホールのMC
「宇宙的な歌」
2021.02.20 のツィッター
「天動説のほうが天体の運行をシンプルに説明できる愛のパラレルワールド」
2023.08.05 のツィッター
「天動説か地動説かは生き方の問題なので好きな方を選ぼう」

おっかしいなあ。
例えば『キャンディーヌ』などは、
もういいですと云っても許してもらえないほど説明してたのに。

云いたいけど恥ずかしいから云わない、の
たぐいか…たぐいか…

あっ、わかった!

これは
『銀河系はやっぱりまわってる』と同一のモチーフだな。

『銀河系はやっぱりまわってる』は、
浩子さん中学のときに
「銀河系がまわってる」と級友及び教師に云ったところ、
「いやいや、銀河系は回ってないよ」と云われてしまい、
以来本件を根に持っており
(浩子さんは「……を根に持っているんですけど」と云うことがある)
1972年04月25日にシングルデビューしてしまった程である。

30年後、
まだ多少は根に持っていて、つくった歌が
『パラソル天動説』である。
だから、
「あなたに伝えたい熱いこの気持ち」的なものが多量にあるが、それがなんだかわからない作りなのであろう。

2024.09.17
 天空抜けて落ちていく
の一度目は、
彼ら及び僕ら全員地獄行き
二度目は
僕及びきみも地獄行き
つーことかな。
2005年現在も怒ってるわよ。

2015~2023年のコメントみると、
未だ根に持ってるのかしら。
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県民の家音頭

2024年07月03日 | 学術・芸術
米は採れたし おはようこんにちは
疲れ休めの 孫も連れ
倉を建てようの 共に乾杯
若返るヨ ソレ
県民の家 おれの家
ホン二ソレソレ おれの家
 

バスを連ねて 仔牛は売れた
今朝も幕開く 湯の中で
歳は忘れる ゆるり血圧
大広間ヨ ソレ
県民の家 おれの家
ホン二ソレソレ おれの家
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エッセイ集に死す_大藪春彦エッセイ集等一覧完全版_簡単な内容及び入手容易性と参考古本価格/付録ジャンル別分類,『大藪春彦の世界』について,大藪ハード・カヴァー,必読等書それぞれ一覧

2023年09月26日 | 大藪春彦GUN研究
2023.09.18
来るぞぉーーー

2023.09.20
きた。ついにきた

二年半かかった。


----------大藪春彦エッセイ集等一覧---刊行順-↓------------
拳銃解説書だの対談集だのクルマ(4WD)解説書だの、大藪著作で小説以外のやつ+研究書だの含む。

大藪春彦著作リスト
1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』
1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』
にある、◇マーク(小説以外)はこれで全部。

(他に、大藪監修拳銃本とか、『全開(フル・スロットル)で飛ばせ』のレコード(おねえさんがナゼかあんあん云うやつね)のライナー・ノーツ的エッセイとかもあるんだけど)

左上~右下へ刊行順

2023.09.28追加↓



・『GUN教室』 桃源社 1965年10月30日 定価290円 273p ソフト・カヴァー

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』(大藪口述)をまとめたもの。
 全国射場案内つき。
 文庫無し。
 なぜか、古本ちょろちょろある。2~3kであろう。これにあまり金出しても意味ないわよ。
 めちゃくちゃな大藪口述を、「ヒッチコックマガジン」編集長小林信彦/当時の中原弓彦がどうにもしなかったのがフシギ。

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー


小説以外の
全てを網羅
野獣のごとき大胆さと
強烈な感覚で創りあげ
られてきた大藪春彦の
ハードボイルドな世界
は、エッセイや対談の
なかでその全貌を現わ


『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』目次
 入手困難だからな
 他の本は買えば買えるので、買って読んだらよいであろう。



 初のエッセイ集。
 よく探せばある。2~4k位か。
 文庫無し。

 ここに掲載されたエッセイ,対談はおおむね他の本
 ・1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社
 ・1979年『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』角川文庫
 ・1979年『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』角川文庫
 ・1996年『蘇る野獣 追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店
 にも掲載されている。
 『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』にしかないのは
 ・10・21ハードボイルド報告
 ・マンネリを破る悪徳行動学入門(聞き書き)
 ・対談〈若尾文子〉女性はスリルを求めてる
 ・対談〈深沢七郎〉ラブミー牧場と文学
 ・ショートショート(短編集のどこかにあった気がするのだが)
 ・高校時代の作品(ナニが書いてあるのかよくわからん)
 ・あとがき
である。

あとがき---引用
「出版社とて営利企業であるから、これまであまり売れそうにない僕のエッセイ集を出してくれるところがなかったが、このたび徳間書店が採算を無視して出してくれることになった。
 この本には、僕の高校時代の作品、昔の対談や、エッセイ、それにショート・ショートなどが収められている。」
 大江健三郎との対談の掲載を拒否された。大江がライフルを握っている写真があるのがお気に召さないのではないか、と怒っている。
「次巻は僕の若き日の履歴書とでもいうべき「野獣の青春」を中心に、銃や射撃競技や狩猟、二輪や四輪のモーター・スポーツなど盛り沢山の小品や対談や座談会記録を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。
昭和四十七年(引用註1972年)七月十三日 大藪春彦」

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー


GUN&CAR
○○○の○○をはじめ○や車、レー
サー○など、わが○ハードボイルド
作家の第一人○である○○○全○○
を解き明かすファン必読の書

『野獣の青春 大藪春彦の世界2』目次
 入手著しく困難だからな
 他の本は買えば買えるので、買って読んだらよいであろう。

 注目ポイント
 1969年04月号「Men's Club」 『大藪春彦氏へのインタビュー』
 1966年05月31日号「話のタネ本」 『死神に愛された春』



 注目ポイント 
 1969年11月11日号「東京スポーツ」『私の車』 

 探してない 文庫もない あとがきなんにもない
 ---
 2023.09.30
 とおもったら、
 本文最後、改ページした301頁に
 ■後記■
 ってのがあった。
 他のエッセイの後記は本文→初出→の後に改ページなしで
 ■後記■ または 〈後記〉
 だ。
 あまりにも「大量に詰めこ」んだため、頁がなくなっちゃったのであろう。
 なるほど、あとがきにしては短い。
 --- 
 インタビュー,拳銃ライフルエッセイ特に逮捕翌年1966年がよい,世界の名銃百科,クルマエッセイ,レーサー座談会,日本G・Pルポ,名車へのラブレターなど。
 特にGUN関係エッセイは、他のエッセイ集等に未掲載が多い。
 もし発見したら価格にかかわらずすぐに買うこと(たぶん安い1~3k。読むヤツがゐないのであろう)。
 『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』と『野獣の青春 大藪春彦の世界2』のセットで売られている場合もある(たぶん安い2~5k。読むヤツがゐないのであろう)。

 『野獣の青春 大藪春彦の世界2』はヱントリを改め、
 解説を大量に詰めこむことになっている。ご期待ください。


 こうなるには、二年半かかるであろう。

・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌
 別冊新評 好評作家シリーズ

 研究書
 こーゆーのはグラビア頁とか雑誌のほうが情報量が多い。写真もキレイ。大藪と直接関係ない広告もおもしろい。
 古本よく売ってる。2~4k位か。
 ---
参考1
『別冊新評 筒井康隆の世界』 新評社 1976年07月10日 定価650円 234p 雑誌 と、
『筒井康隆の世界』 新評社 1979年02月20日 定価980円 204p ソフト・カヴァー
両方を持っている。
単行本には筒井のものの掲載がなく、他人のエッセイが5本追加されているだけである。
写真も少ししかないし、インタビューも載っていない。

 参考2
『別冊新評 星新一の世界』 新評社 1976年12月10日 定価650円 234p 雑誌
234pの自社広告

 --

・『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』 カッパブックス(光文社)1976年08月10日 定価不明円 上217p 下不明p 新書

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録
 未所有
 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版
 カラー写真を含む多数の写真も載っている
 5kかあ。
「なお、本書の出版後『ザ・ビッグ・ゲ一ム』の写真集を企画しており、併せて読んでいただけると幸甚です」
 うわー、併せて読みてえなぁー

・『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』 角川文庫 1979年07月20日 定価300円 242p 文庫

 エッセイ集
 古本よく売ってる。安い0.3kとかだぜ。

・『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』 角川文庫 1979年07月20日 定価340円 286p 文庫

 対談集
 ここにしか掲載ない対談が多いんだよね。↓間違ってたらごめん
 三浦雄一郎,西丸震哉,小池一雄,佐藤修,谷恒生,篠田正浩,久保継成,大藪インタビュー→井口民樹,大下英治,平岡正明,あとがき
 高い1~4k位が売ってる。

・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー


大藪ハードボイルド入門決定版
不滅のヒーロー伊達邦彦を世に送り出
して22年、ますます磨きのかかる大藪
作品の魅力の原点を徹底的に分析!

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本
 研究書
 未所有 
 古本あるが、雑誌にしなさいね。
 もしかすると、前述の筒井の例のように大藪のエッセイ等が未掲載かもしれない。

・『大藪春彦のワイルド・ドライビング』 講談社 1980年07月10日 定価800円 225p ソフト・カヴァー

 赤バッジシリーズ。
 闘志でぶつかるサーヴァイヴァル・アドベンチャーの章にはイノシシもOKくくりワナのつくりかたが書いてある。
 古本あるけど7kと高いなあ。
 これの文庫あるにはあるんだけどさあ。詳細後述。

・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録。
 この後は、なんとか条約で野獣捕っても剥製の輸入できなくなった。
 御大も病気になったしね。
 文庫無し。
 古本9k位。高いぜ。

・『4WDワイルド・ドライビング』 光文社文庫 1985年11月20日 定価360円 230p 文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』の文庫版だが内容が大きく異なる。
 これはぜひとも赤バッジシリーズで読んでほしい。リンク記事参照。



・『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』 徳間文庫 1991年10月15日 定価上下巻共520円(本体505円) 上346p 下342p 文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫。



・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌

 研究書
 古本よくある。2~4k位か?

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー


非情の死と破壊と略奪……
甘いセンチメンタリズムを拒否し、
ストイシズムを追い求めた
巨人作家の足跡を、
棋界の実力者が縦横に論じる!

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』の単行本。
 研究書
 2~3kであろう。
 未所有→ぽちしておくか→2023.09.28追加
 フツウなら雑誌のがいいのではないか。

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』雑誌になく
 1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』(単行本)にのみ掲載↓
・巻頭グラビア写真
モノクロ 新婚当初とおぼしき大藪龍子さんとの2カット
カラー 絵画 大藪春彦画 「無題」(1955年頃)油彩・キャンバス 53×43.5cm 1997年春発見
カラー 軽井沢の別荘の机
・対談『本物の条件』花村萬月&馳星周
・『伊達邦彦は一人きり』佐藤大輔
・『ビートルズと太宰治』大藪春彦
・『中年バイク党』大藪春彦
・『大藪春彦作品評』江戸川乱歩
・『乱歩先生の想い出』大藪春彦
・大藪春彦著作リスト 山前謙編 の、1997年分

 奥さんとの写真と乱歩先生関係が読みたくてぽちにおよんだ。
 美品がきた。
 『江戸川乱歩全集月報12』1970年03月『乱歩先生の想い出』大藪春彦は、インフォマーチブだ。
 トタン屋一階の下宿の近くで、トーフと玉子を喰っていたおでん屋“さざえ”が、
 “たにし”だったとはなあ。
 “たにし”でお茶割りショーチューを飲んでいたのだ。

・『孤高の狙撃手(スナイパー)』 光文社文庫 2004年06月20日 定価(本体571円+税) 326p 文庫

 今まで『孤高の狙撃手』だとおもひこんでいた。
 海外ハンティングのまとめ(書下ろし)+『銃は我が分身』1980~1984年+『素晴らしきアメリカ射撃旅行』1982~1983年
 『銃は我が分身』1980~1984年は→『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』ここにも掲載。

-------付録-------------------------------------
----------ジャンル別↓-----------

●エッセイ集(対談なども含む)
・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど

・『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』 角川文庫 1979年07月20日 定価300円 242p 文庫

 エッセイ

・『孤高の狙撃手(スナイパー)』 光文社文庫 2004年06月20日 定価(本体571円+税) 326p 文庫

 海外ハンティングのまとめ+『銃は我が分身』1980~1984年+『素晴らしきアメリカ射撃旅行』1982~1983年

●対談集
・『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』 角川文庫 1979年07月20日 定価340円 286p 文庫


●拳銃本
・『GUN教室』 桃源社 1965年10月30日 定価290円 273p ソフト・カヴァー

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』(大藪口述)をまとめたもの。

●ハンティング
・『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』 カッパブックス(光文社)1976年08月10日 定価不明円 上217p 下不明p 新書

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』カッパブックス(光文社)に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版

・『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』 徳間文庫 1991年10月15日 定価上下巻共520円(本体505円) 上346p 下342p 文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫。

・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録

●クルマ(4WD)
・『大藪春彦のワイルド・ドライビング』 講談社 1980年07月10日 定価800円 225p ソフト・カヴァー


・『4WDワイルド・ドライビング』 光文社文庫 1985年11月20日 定価360円 230p 文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』の文庫版だが内容が大きく異なる。

●研究書
・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌


・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本

・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌


・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本


-------『大藪春彦の世界』↓について----
『大藪春彦の世界』つー本は、都合6冊(実質4冊)ある。

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど

・『別冊新評 大藪春彦の世界』 新評社 1976年04月10日 定価650円 250p 雑誌

 研究書

・『大藪春彦の世界』 新評社 1979年 定価980円 不明p たぶんソフト・カヴァー

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本
 研究書

・『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』 徳間書店 1996年08月20日 定価980円(本体951円) 406p 雑誌

 研究書

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本+いろいろあり〼
 研究書

-----------------------
つかれたのでガッツ・ワンとぴぴんHと抗生物質を規定の倍量と胃薬も規定の倍量飲もう。


--------ハード・カヴァー↓------------------
もしかすると、大藪の本のハード・カヴァーは、

・『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』 徳間書店 1972年08月15日 定価700円 255p ハード・カヴァー


・『野獣の青春 大藪春彦の世界2』 徳間書店 1972年11月15日 定価800円 301p ハード・カヴァー


・『ザ・ビッグ・ゲ一ム』 集英社 1979年11月25日 定価1300円 421p ハード・カヴァー


・『灼熱のサファリ』 徳間書店 1983年11月30日 定価1500円 322p ハード・カヴァー


2023.09.28 ↓これがあった。
・『暴力租界』 徳間書店 1996年05月31日 定価本体2000円(本体1942円) 594p ハード・カヴァー


日本ハードボイルドを開拓した
孤高の巨人、最後の長編。
堂々の1300枚
 未完/絶筆である。
 巻頭に著者近影1994年04月14日撮影カラー1葉1ページ
 巻末に
・『「暴力租界」の行方』鏡明
・『蘇れ、ローンウルフ』森村誠一
・『さらば、孤独な情念の戦士』船戸与一
 収録
 原稿はリンク参照

・『蘇る野獣―大藪春彦の世界』 徳間書店(単行本) 1999年02月01日 定価本体2400円+税 397p ハード・カヴァー


だから大藪のハード・カヴァーは、たぶん都合6冊だ。
小説は絶筆のみハード・カヴァーなのか。

 
-----必読書等一覧↓----------------
●必読の部
タマも沢山だし、故に価格も安いし
・1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社 2~4k位

 研究書

・1979年『荒野からの銃火 大藪春彦マインド』角川文庫 0.3kとか

 エッセイ集

・1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店 2~4k位

 研究書

・2004年『孤高の狙撃手(スナイパー)』光文社文庫←新品あるかな?

 エッセイ集

 は買って読みましょう。
 個人売買よりも、古本屋のほうがモノがキレイとおもいます。
 個人売買のヤツは、カビていることもおおいにあり得る。
 処理がほんとに大変なのです。

●次に読む 
少し高いがまあ売っている
・1979年『男たちよ闘いの荒野に死ね 大藪春彦語る』角川文庫 1~4k位

 対談集

●売っているから、金と気持ちあれば買おう
1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 5k

 1976年『野獣を撃つ(上・下)』に、
 1977年07月 モンゴール
 1977年09~11月? カナダ ブリティッシュ・コロンビア・ロッキー~アメリカ モンタナ・ロッキー
 を収録した増補版

・1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』講談社 7k

 4WD
 第3章 これがオフ口ード・トレイルだ
 第4章 闘志でぶつかるサーヴァイヴァルアドベンチャー

・1983年『灼熱のサファリ』徳間書店 9k

 1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナサファリの記録

・1999年『蘇る野獣―大藪春彦の世界』徳間書店(単行本) 2~3k

 1996年『問題小説 八月号増刊 蘇る野獣―追悼特集大藪春彦の世界』徳間書店の単行本+いろいろあり〼
 研究書

●2~3ヶ月で入手できるであろう
・1972年『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』徳間書店 2~4k位

 高校時代の作品,昔の対談,エッセイ,ショート・ショート

●3年かかるぞ/どうせ安いから、みつけたらすぐに買おう!
・1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 1~3k

 インタビュー,銃とクルマのエッセイなど
 中身は非常におもしろい

・1972年『狼はしなやかに跳ぶ 大藪春彦の世界1』徳間書店 と
・1972年『野獣の青春 大藪春彦の世界2』徳間書店 のセット 2~5k

 こーゆーのは1の方が売れるから、1と2の発行部数には相当な開きがあって、それが古本のタマ数に反映しているとおもわれる。

●どっちでもよい
・1965年『GUN教室』桃源社 2~3k

 1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」連載『GUN相談室』大藪口述を編集したもの。
 めちゃくちゃな大藪口述を「ヒッチコックマガジン」編集長小林信彦/当時の中原弓彦がどうにもしなかったのがフシギ

・1985年『4WDワイルド・ドライビング』光文社文庫

 1980年『大藪春彦のワイルド・ドライビング』講談社の文庫。内容かなり異なる

・1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』徳間文庫

 1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』集英社 の文庫

●他に収録あるから、たぶんいらない(と判断して未所有だけどね)
・1976年『野獣を撃つ――わが血闘の記録 書下ろし(上・下)』カッパブックス(光文社)

 初の海外狩猟である
 1972年09月 アラスカ から
 1973年05~06月 ニュージーランド~オーストラリア
 1975年09~10月 アフリカ(ザンビア)を収録
 1976年『野獣を撃つ(上・下)』新書→増補版_1979年『ザ・ビッグ・ゲ一ム』ハード・カヴァー→1991年『ザ・ビッグ・ゲ一ム(上・下)』文庫

・1979年『大藪春彦の世界』新評社

 1976年『別冊新評 大藪春彦の世界』の単行本

高い方の価格積み上げると送料除く50kくらいかあ。
送料が0.5k/件として、
まあ合計60k凸凹。
既所有分は買わないから、
たぶん、30k程度でいけるよ。
もたもたして年数が経過すると、価格が上がるぞ。
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色川武大・阿佐田哲也の世界―没後十年記念展 1998年9月4日(金)→8日(火)

2023年09月18日 | 色川武大・阿佐田哲也研究
1998年9月3日(木)こーゆーのを見つけた。


おう。
明日9月4日に、有楽町交通会館に行く用事があるから帰りに寄ろう。

日替わりトークショウ間に合えばいいが、それが何時からなのかが書いてないぞ。
見たい順 (後日見たか/場所又は感想)
・井上陽水 (見てない/非常に残念)
・伊集院静 (見てない/残念)
・和田誠  (見た/青戸なんとかホール)
・永六輔  (見た/成城なんとかホール)

それどころか、開場が何時から何時までも書いてないや。
夕方頃着となろうが、夕方ならやってるだろ。

入場無料なのか。
タダだぜ。

9月4日(金)
当時の手帳出てきた。
2023.09.18手帳の記載
 中古市、銀座と同じ様
ははぁ、中古カメラ市であったか

午後5時~6頃に着いた。
タダだぜ。
2023.09.18手帳の記載
 4:20→色川阿佐田の世界見る
 本売れないんだって
 カタログを買う

受付にはきれいなおねえさんが二人ゐた。
が、大勢の客が雪崩のように出てくるところであった。
うわっ、トークショウ終わったな。
受付で止められることなく、
雪崩をかき分けかき分け、高座方面へ。

わっわっこの直前まで
色川孝子氏・矢崎泰久氏
の対談だったのかぁあぁーー。

チラシ

チラシによると毎日午後3時にショウがある。(敬称略)
9月4日(金) 夏堀正元・筑紫哲也
  5日(土) 畑正憲・矢崎泰久
  6日(日) 和田誠・矢崎泰久 
  7日(月) 永六輔・マルセ太郎
  8日(火) 伊集院静・井上陽水
(この他にもゲスト出演者を予定しています)

あと5分早ければ、孝子氏のご尊顔を拝せたのだが。
きっと、たっちゃんが恥ずかしがりチラシに名前載せたくないとかで、
(この他にもゲスト出演者を予定しています)
になったのではないかな。

会場の一角にH30cm程度の高座があって、会場の床に100程度の椅子が並んでいる。

ショウ終わったわさわさした会場内。
矢崎泰久氏が立ち話で関係者とおぼしき人に、
「あの奥さんがまたデ○ラメな人でさあ」と云っていた、はずなんだがなあ。
今の今まで対談してたのにそんなこと云っちゃって奥さんなのにまだその壁の奥にいるぞとおもった。

孝子氏は
 ↓つべにもあったんだよな
1999年頃かな「驚き桃の木20世紀 無頼 阿佐田哲也の虚と実」色川主役
 これ見て、孝子氏はこんな感じの人なんだなとおもった。デタ○メには見えない

2002~03年頃番組名不詳教育テレビ孝子氏主役
 色川孝子著「宿六・色川武大」1990年をベースにし、特に一関でのことについて
 冒頭でお墓参りをし「そっちはどうですか」と話しかける
に出ていた。
テープあるはずなんだが。

翌9月5日(土)はムツゴロウ氏か。
また来よう。
タダだぜ。
明日来ることを決意したので、会社帰り客も増えてきたし、
ざっと見て帰ろう。
2023.09.18手帳の記載
 6:00き○ら売出し 大変混んでいる
また中古カメラ市に舞い戻ったようだ

9月5日(土)
1330頃だったか。
2023.09.18手帳の記載
 1:25自行車で有楽町へ →2:00色川

タダだぜ。

入場し、昨日なにも云われなかったので受付素通りしたら、
おねえさん多少あわてた様子で
「ご記帳を…」
「あの一般の読者なんですけど…」
「記念ですから」
著名な方のご芳名とか、達筆なご芳名とか。
のたくり文字は非常に恥ずかしかった。
なるほど。
入場者全員記帳することになっているのだが、
昨日は雪崩でそうもいかなかっただけなのね。

展示は余裕のある綺麗な配置。
一つずつ丁寧にみせるような。

圧巻は「狂人日記」の冒頭部の原稿。
鉛筆書き。
前掲「驚き桃の木20世紀 無頼 阿佐田哲也の虚と実」では、
色川武大「狂人日記」の原稿と、阿佐田哲也「京王閣記念実戦記」とを対比させている。
番組見て、別人の如く筆跡も違えてたのかとおもいおどろいたので、この記念展では阿佐田哲也の原稿は展示していなかったのであろう。
こんなことしていたらそれだけで、長生きできないとおもう。

(もしかしたら記憶違いで、前後関係が逆であり先に驚き桃の木を見ていて、記念展でこれが実物かとおもったのかもしれない。
しかし、記念展で色川と阿佐田の原稿比較出来なかったのはたしかだ)

よしS取った。
最前列中央席おもひだした。上手側の最前列だ。
ムツゴロウ氏(63)まで2m3m程度。
90分85分の対談。

2023.09.18手帳の記載
けっこう人が座って待っている

記憶している内容
・1978年  色川武大「離婚」で第79回直木賞受賞。
その日、色川氏の懐には、副賞の50万円(源泉引かれて45万円かな)の現金がある。
みんなよってたかって
「阿佐田さん、やりましょう」
三日三晩後
「あの賞金は、全部おれが取った」
・「乗馬はこうやるんだ」と椅子の前で騎馬の形を作る。
腕の筋肉が怒張し目がぎらぎらと光っていた。
・ふたりで「本が売れない」とぼやいていた。
などなど。
迫力がすげかった。

動物と仲の良いムツゴロウ氏自身もまた、ケダモノであった。
よって、ムツゴロウの動物王国は、ケダモノのけだもの王国である。

この「ケダモノ」は、大藪の「野獣」とも違うナニかである。

2023.09.18手帳の記載
 3:00~4:25 畑さん悪い人だなー
 直木賞の賞金は畑さんにいったんだって
 時間オーバーで話しました
 終わって少しいてフォーラムをうろうろ

「本が売れない」そうなので、入場無料だし会場費設営費印刷費きれいなおねえさん費等みな高そうだし、何か買うものないかとみまわしたところ、
でかいパンフレットだけ売ってた。
受付のきれいなおねえさんに云って買うのだ。
1,000円
竹書房のでかい封筒に入れてくれた。
2023.09.18追記
パンフレットは前日に買っていた。
「本売れない」は、前日にも気づいていたし、
ムツゴロウ氏矢崎氏も云っていたな。

そして、前掲チラシ,新聞記事切り抜き,このでかいパンフレットは、
一式で竹書房のでかい封筒に入り保存されていた。

たぶん
9月6日の記事

客が200人居たかどうかは不明だが、
「耳を傾けた」つーかコワカッタから、客はカエルだったぞ。

9月8日(火) 伊集院静・井上陽水
行けばよかったなあ。
いまさらザンネンである。
コメント (2)
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どれーん

2023年09月01日 | 学術・芸術
壁に垂れていったおまえが残していったものといえば
おそらく誰も拭きそうにない
安い壁のクロスがお部屋にひとつと

みんなたぶん一晩で忘れたいとおもうエアコンのどれーん
どこにもおまえからあふれたと
外に出せないおまえが流すスライム

どどどいどどどどーど どどどいどどーどどどどどどどーどどどい
どどーどどい どどどぃどどどどどどどい
どどどいどどどどどどどどどいどどどい

みんなおまえを忘れて忘れようとして一晩流れて
突然なにも知らぬ家人が
壁紙の表になにかをみつける

それはおまえが生まれたどれーんホースにも詰めこんだスライム
その時口をきかぬおまえの邪悪さが
突然あたしにも聞こえる

どーいどーいどーいどーい どーどーどーどーどーどーどー
どどっーいどーいどーいどい どーどーどーどーどーどーどーどー#どーどーどーどーどどーどーどーどーどーどどぅ

どれぃーん 抜いていてもいいですかと誰も問いたい
どれぃーん その答えを誰もが知ってるぅから誰も問わないぃーーーーーーー


流れてくるシズクはどれもみんなホントのことかもしれない
おまえはたちの悪いシズクで
垂れていってよかったヤツかもしれない

けれどどんなシズクより
けれどおまえのどんな黒いシズクより あたしは
垂れずにはいられないスライムだけは真実だったとおもう

今夜お部屋は暑い
行く先もなしにおまえがいつまでも
灯りのこうこうと灯った蒸し暑い壁を
ひとつづつ垂れている

今夜お部屋は暑い

どれぃーん 抜いていーてもぉーーいいですぅかと誰も問いたい
どれぃーん その答えをーぅ誰もが知ってるぅから誰も問ぉーわぁーない


どれぃーん 抜いていぃーてもぉーーーーいいですぅかと誰も問いたい
どれぇー↑ええーーーん そのこぉーたぁーえを∨誰もがぁ知ってるぅ↓から∨誰も問ぉーわぁーないぃーーーーーーーーー

どーいどーいどーいどーい どーどーどーどーどーどーどーどどっ
どどーいどーいどーいどい どーどーどーどーどーどーどーどー#どーどーどーどーどどーどーどーどーどーどどぅ
どーどーどーどどぅ

どどどいどどどどーど どどどいどどーどどどどどどどーどどどい
どどーどどい どどどぃどどどどどどどい
どどどいどどどどどどどどどいどどどい
コメント
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