色川武大の研究本的なものには以下がある。
刊行順
1989年05月31日 竹書房
「近代麻雀オリジナル増刊号 阿佐田哲也 雀聖追悼特集号」定価880円(本体854円)
追悼本
グラビア,阿佐田哲也の文字が大きな原稿,追悼エッセイ,対談,この時点での単行本未収録作品,観戦記など。
短期間によくぞまとめた。
1989年07月10日 話の特集社
「別冊・話の特集 色川武大・阿佐田哲也の世界」定価1,030円(本体1,000円)
追悼本
和田誠表紙,篠山紀信写真,追悼エッセイ。
篠山紀信の「生家居間にて母堂と」の写真により、色川武大は生涯「うちの息子」であったとわかる。
この視点は、他のエッセイなどにはないものだ。
2003年10月30日 河出書房新社
「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」
グラビア,対談,エッセイ,この時点での単行本未収録作品,色川武大・阿佐田哲也・井上志摩夫 全著作レヴュー,年譜など。
読むとこいっぱいでうれしい。
以上、玉も多いようで値もこなれている。
-----
2003年の「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」
「色川武大vs阿佐田哲也」の全著作レヴューは、
9人の筆者がそれぞれの書評を担当している。
内、
阿佐田哲也分は麻雀がわかる人が書いているようだ。
誤認がある箇所をみつけた。
「麻雀師渡世」
1971年09月 日本文芸社
「ギャンブルの職人 麻雀師渡世 ●勝負でメシを食い歩く人々!」
2008年08月11日 小学館文庫
「雀師流転」に収録
これのレヴューにはこうある。
---
麻雀小説の種本といっていい内容なのである。
…
また「茶木先生、雀荘に死す」とそっくりな話が「南郷元准尉。雀荘に死す」として載っている。
…
発売されたのは阿佐田哲也がブレイクした後の昭和四六年のことだから、おそらく阿佐田哲也が麻雀小説を書く前にどこかの雑誌に連載していた文章を、『麻雀放浪記』のヒットを見て日本文芸社がかき集めたのではなかろうか。
---
この「麻雀師渡世」初出はわからなかった。
「雀師流転」小学館文庫に収録された「麻雀師渡世」の中身で執筆時期を探ろう。
大役満の後には凶運がくるの章 小学館文庫P181
---
先日は吉行淳之介氏が九連宝燈をあがって厄払いのパーティを開いたという。
---
1970年02月のことである。
ドライブ専用ナンバー遊びの章 小学館文庫P263
---
いつだったか、長崎国体の軟式野球の部に、小説家の藤原審爾氏がオーナーになっているクラブチームが出場した。
---
長崎国体は1969年09月である。
これらから、
「麻雀師渡世」は
1970年02月(吉行淳之介氏の九連宝燈)から、
1971年09月(日本文芸社初版)までに書かれたものであると確定する。
「麻雀師渡世」内で触れられているモチーフで、先行する小説等があるのは以下の通り。
・黒人兵のテネフォ
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P182
---
昔、進駐軍のキャンプへ行って、兵隊と打っていた頃、大甘の黒人兵が天和をあがったのを見たことがある。
「テネフォ! テネフォ!」
黒チャンは飛びあがって喜悦の声を出していたが、とたんに白人の古兵が短銃を発砲して、黒人兵の肩を射抜いた。
---
1968年
初出「黒人兵キャブ」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
・テツ坊
・モンペ
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P306
---
ところが、私は意外な歓迎を受けた。
「あれが、有名な哲坊だよ」
「麻雀の神様さ」
というような囁きがきこえ、私が卓につくと三、四人の若者が折り重なってうしろへ来て見ている。
…
通称モンペといった。
…
「リーチ――!」
「ブワーン、満貫!」
---
・石田さん
1969年
初出「”切返し”の寒三郞」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
・ダンチ
1968年
初出「捕鯨船の男」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
これらは、先に短編小説があって、後から「麻雀師渡世」だ。
色川武大・阿佐田哲也は同じモチーフを繰り返すんだな。
「麻雀師渡世」が先で、後から他の小説の例をみよう。
・競輪予想屋河内山
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P274
---
彼が◎○という予想なら、◎×を買う。◎×と書いてあれば、逆の◎○で大勝負だ。河内山の予想は、まずはずれるのであるから、彼と反対のところで勝負すれば、安心してレースを見ていられる。こんなときの予想代千円は惜しくあるまい。
---
・七ちゃん→競輪大魔神
1983年
初出「前科十六犯」色川武大 小説宝石
1984年09月 角川書店
「黄金の腕」
1988年07月25日 角川文庫
「黄金の腕」
※同じモチーフで予想屋を「カンヌシ」っていっている作品もあったハズだ。
・南郷元准尉・雀荘に死す
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P288
---
南郷元准尉が異様な声をあげて倒れたきり、目を剥いたままの姿になってしまったのはその夜中のチンチロの席上だった。
皆はかかり合いを恐れて逃げ散った。
---
・茶木先生、雀荘に死す
1972年
初出「茶木先生、雀荘に死す」
1975年03月 双葉社
「阿佐田哲也麻雀小説自選集」
1982年05月10日 角川文庫
「東一局五十二本場」
2002年12月 文春文庫
「阿佐田哲也麻雀小説自選集」
ほぼ同時つーのもある。
・通し「発展性」
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P165
---
その末に、こういった。
「発展性のない手ですなあ――」
リーチをかけていた奴が、カンカンになって怒ったね。
「なにをいうんだ。リーチして、発展性もクソもあるものか」
---
・通し「はってんせい」
1971年10月 青春出版社
「阿佐田哲也の麻雀秘伝教室」
1995年09月01日 青春文庫
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」 P144
---
さんざん考えた末に、
「はってんせいのない手ですなあ」
といった。しかし相手は怒ったね。
「リーチしてから発展性もクソもあるか。余計な口を出すな」
---
・「発展性」の元根太
1977年08月号 近代麻雀臨時増刊号
「モデルが語る麻雀放浪記」(座談)
出演者
中島氏(女衒の達のモデル)
野口氏(ノンペ,ダンチ or モンペのモデル)
秋武氏(ガン牌清水のモデル)
阿佐田哲也
1989年05月31日 竹書房
「近代麻雀オリジナル増刊号 阿佐田哲也 雀聖追悼特集号」
「モデルが語る麻雀放浪記」
---
"通し"をいうのに苦吟
…
阿佐田 二十五、六年には足を洗っちゃったし、あのあたりにはいいカモもいなかったからね。あなたのことでよく覚えてるのは、どこかの土建屋のお兄ちゃんたちをコロそうってんで、二日くらいぶっつづけでやったとことがある。そのときに、まだ筋がよくないから入れてもらえなくて、あなたがカベをやったんだ。
秋武 うん、そんなことがあった。通しを教わってね。
阿佐田 それで、お客さんの一人が辺7筒か何かでリーチかけて、慣れないから通しがいえないんだよ。ハといわなきゃならないのを、苦悶したあげく"発展性のないテですねえ"っていったら、お客が”リーチかけてるのに発展性があるわけないだろ”って怒ってねえ(笑い)。あれが、あなたがワキ道へ踏み込んだ、記念すべき第一夜だよ。
---
「発展性」は、初期ガン牌清水であったか。
よって「麻雀師渡世」レヴューの
「種本」とか
「阿佐田哲也が麻雀小説を書く前にどこかの雑誌に連載していた文章を、『麻雀放浪記』のヒットを見て日本文芸社がかき集めた」とか
ではない。
また、色川武大・阿佐田哲也は同じモチーフで何度も書くとわかる。
-----
「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」の
こっちのレヴューもどうかな。
1971年10月 青春出版社
「阿佐田哲也の麻雀秘伝教室」
1995年09月01日 青春文庫
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」
---
出版社主導はそれだけではない。じつは本文をゴーストライターが書いている可能性がある。イカサマ技は小説内で解説されているものばかりだし、文体も阿佐田哲也特有のゆったりしたスタイルではない。ただし序文とあとがきは本人の手によると思われる。
---
そーかなあ。
本書は
序
Ⅰ基本技
Ⅱ決め技
Ⅲ隠し技
Ⅳ本技
あとがき
であり、ⅠからⅢまではイカサマの解説である。
Ⅰ基本技の冒頭に、「天和 大柴様」が出てくる。
これは、
1968年
初出「天和の職人」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
そのままだ。
ⅠからⅢは文章の勢いも少しわるいか。
なんか、おどおどしてる気がする。
ところが、
Ⅳ本技で文体が俄然生き生きとする。
ここの内容は、
1969年02月 双葉社
「麻雀の推理」
1989年10月15日 双葉文庫
「Aクラス麻雀」
のエッセンスともいうべきもので、
自動卓でない当時、イカサマ知らないとやられるし、小説にはのせてるから書いたものの、
Ⅳ本技が一番云いたかったとわかる。
そして、Ⅳ本技は阿佐田哲也の文章だ。
ⅠからⅢも阿佐田哲也でしょうね。
こんなことろがある。
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅱ決め技 P92
---
図は前述の四喜和十枚爆弾を切り返しの手口に仕込んだところだが、図1を見てほしい。二箇所に仕込まれていますね。これを、右端から五枚目までと、左端から五枚目までをそれぞれ左右の手に持ち、真ん中の七枚をガシャッとくっつけてしまう(図2)。
---
特にハウトウもので、図参照などの重要なところの語尾が「ますね」とか「ください」になるのは阿佐田の特長だ。
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅳ本技 P173
---
点棒などは途中で預かっているだけで、自分の点棒箱にいつも定着しているわけではない。
上図を見てください。
いま、相手(荘家)に早いリーチがかかった。
---
1989年10月15日 双葉文庫
「Aクラス麻雀」
にもたくさんあるよ。
P25
---
自分の運量以外の運、つまり相手の運を利用してアガるやり方がある。一例をあげよう。
上の図を見てください。今、相手(親)に早リーチがかかった。
---
P106
---
その他の牌でも両面を兼ねないだけで、テンパイであることにはかわりがない。
図2を見てください。これは六九索待ちであるが、ここへ七索(牌活字)か八索(牌活字)をツモらない限り、つまり北(牌活字)とのシャンポンにならない限り、テンパイは変化しない。
---
「Aクラス麻雀」では
……改行
見てください。……
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」のⅡ決め技のイカサマ解説では、
改行なしで
……ますね。……
なんだな。
あんまり見てほしくないのであろう。
一転して、「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅳ本技では、
……改行
見てください。
改行……
となり、
ここをこそ見て欲しいつーことがヒシヒシと伝わってきますなあ。
よって
ⅠからⅢも、これはまず阿佐田でしょうね。
刊行順
1989年05月31日 竹書房
「近代麻雀オリジナル増刊号 阿佐田哲也 雀聖追悼特集号」定価880円(本体854円)
追悼本
グラビア,阿佐田哲也の文字が大きな原稿,追悼エッセイ,対談,この時点での単行本未収録作品,観戦記など。
短期間によくぞまとめた。
1989年07月10日 話の特集社
「別冊・話の特集 色川武大・阿佐田哲也の世界」定価1,030円(本体1,000円)
追悼本
和田誠表紙,篠山紀信写真,追悼エッセイ。
篠山紀信の「生家居間にて母堂と」の写真により、色川武大は生涯「うちの息子」であったとわかる。
この視点は、他のエッセイなどにはないものだ。
2003年10月30日 河出書房新社
「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」
グラビア,対談,エッセイ,この時点での単行本未収録作品,色川武大・阿佐田哲也・井上志摩夫 全著作レヴュー,年譜など。
読むとこいっぱいでうれしい。
以上、玉も多いようで値もこなれている。
-----
2003年の「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」
「色川武大vs阿佐田哲也」の全著作レヴューは、
9人の筆者がそれぞれの書評を担当している。
内、
阿佐田哲也分は麻雀がわかる人が書いているようだ。
誤認がある箇所をみつけた。
「麻雀師渡世」
1971年09月 日本文芸社
「ギャンブルの職人 麻雀師渡世 ●勝負でメシを食い歩く人々!」
2008年08月11日 小学館文庫
「雀師流転」に収録
これのレヴューにはこうある。
---
麻雀小説の種本といっていい内容なのである。
…
また「茶木先生、雀荘に死す」とそっくりな話が「南郷元准尉。雀荘に死す」として載っている。
…
発売されたのは阿佐田哲也がブレイクした後の昭和四六年のことだから、おそらく阿佐田哲也が麻雀小説を書く前にどこかの雑誌に連載していた文章を、『麻雀放浪記』のヒットを見て日本文芸社がかき集めたのではなかろうか。
---
この「麻雀師渡世」初出はわからなかった。
「雀師流転」小学館文庫に収録された「麻雀師渡世」の中身で執筆時期を探ろう。
大役満の後には凶運がくるの章 小学館文庫P181
---
先日は吉行淳之介氏が九連宝燈をあがって厄払いのパーティを開いたという。
---
1970年02月のことである。
ドライブ専用ナンバー遊びの章 小学館文庫P263
---
いつだったか、長崎国体の軟式野球の部に、小説家の藤原審爾氏がオーナーになっているクラブチームが出場した。
---
長崎国体は1969年09月である。
これらから、
「麻雀師渡世」は
1970年02月(吉行淳之介氏の九連宝燈)から、
1971年09月(日本文芸社初版)までに書かれたものであると確定する。
「麻雀師渡世」内で触れられているモチーフで、先行する小説等があるのは以下の通り。
・黒人兵のテネフォ
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P182
---
昔、進駐軍のキャンプへ行って、兵隊と打っていた頃、大甘の黒人兵が天和をあがったのを見たことがある。
「テネフォ! テネフォ!」
黒チャンは飛びあがって喜悦の声を出していたが、とたんに白人の古兵が短銃を発砲して、黒人兵の肩を射抜いた。
---
1968年
初出「黒人兵キャブ」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
・テツ坊
・モンペ
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P306
---
ところが、私は意外な歓迎を受けた。
「あれが、有名な哲坊だよ」
「麻雀の神様さ」
というような囁きがきこえ、私が卓につくと三、四人の若者が折り重なってうしろへ来て見ている。
…
通称モンペといった。
…
「リーチ――!」
「ブワーン、満貫!」
---
・石田さん
1969年
初出「”切返し”の寒三郞」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
・ダンチ
1968年
初出「捕鯨船の男」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
これらは、先に短編小説があって、後から「麻雀師渡世」だ。
色川武大・阿佐田哲也は同じモチーフを繰り返すんだな。
「麻雀師渡世」が先で、後から他の小説の例をみよう。
・競輪予想屋河内山
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P274
---
彼が◎○という予想なら、◎×を買う。◎×と書いてあれば、逆の◎○で大勝負だ。河内山の予想は、まずはずれるのであるから、彼と反対のところで勝負すれば、安心してレースを見ていられる。こんなときの予想代千円は惜しくあるまい。
---
・七ちゃん→競輪大魔神
1983年
初出「前科十六犯」色川武大 小説宝石
1984年09月 角川書店
「黄金の腕」
1988年07月25日 角川文庫
「黄金の腕」
※同じモチーフで予想屋を「カンヌシ」っていっている作品もあったハズだ。
・南郷元准尉・雀荘に死す
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P288
---
南郷元准尉が異様な声をあげて倒れたきり、目を剥いたままの姿になってしまったのはその夜中のチンチロの席上だった。
皆はかかり合いを恐れて逃げ散った。
---
・茶木先生、雀荘に死す
1972年
初出「茶木先生、雀荘に死す」
1975年03月 双葉社
「阿佐田哲也麻雀小説自選集」
1982年05月10日 角川文庫
「東一局五十二本場」
2002年12月 文春文庫
「阿佐田哲也麻雀小説自選集」
ほぼ同時つーのもある。
・通し「発展性」
1970年02月~1971年09月
「麻雀師渡世」小学館文庫P165
---
その末に、こういった。
「発展性のない手ですなあ――」
リーチをかけていた奴が、カンカンになって怒ったね。
「なにをいうんだ。リーチして、発展性もクソもあるものか」
---
・通し「はってんせい」
1971年10月 青春出版社
「阿佐田哲也の麻雀秘伝教室」
1995年09月01日 青春文庫
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」 P144
---
さんざん考えた末に、
「はってんせいのない手ですなあ」
といった。しかし相手は怒ったね。
「リーチしてから発展性もクソもあるか。余計な口を出すな」
---
・「発展性」の元根太
1977年08月号 近代麻雀臨時増刊号
「モデルが語る麻雀放浪記」(座談)
出演者
中島氏(女衒の達のモデル)
野口氏(ノンペ,ダンチ or モンペのモデル)
秋武氏(ガン牌清水のモデル)
阿佐田哲也
1989年05月31日 竹書房
「近代麻雀オリジナル増刊号 阿佐田哲也 雀聖追悼特集号」
「モデルが語る麻雀放浪記」
---
"通し"をいうのに苦吟
…
阿佐田 二十五、六年には足を洗っちゃったし、あのあたりにはいいカモもいなかったからね。あなたのことでよく覚えてるのは、どこかの土建屋のお兄ちゃんたちをコロそうってんで、二日くらいぶっつづけでやったとことがある。そのときに、まだ筋がよくないから入れてもらえなくて、あなたがカベをやったんだ。
秋武 うん、そんなことがあった。通しを教わってね。
阿佐田 それで、お客さんの一人が辺7筒か何かでリーチかけて、慣れないから通しがいえないんだよ。ハといわなきゃならないのを、苦悶したあげく"発展性のないテですねえ"っていったら、お客が”リーチかけてるのに発展性があるわけないだろ”って怒ってねえ(笑い)。あれが、あなたがワキ道へ踏み込んだ、記念すべき第一夜だよ。
---
「発展性」は、初期ガン牌清水であったか。
よって「麻雀師渡世」レヴューの
「種本」とか
「阿佐田哲也が麻雀小説を書く前にどこかの雑誌に連載していた文章を、『麻雀放浪記』のヒットを見て日本文芸社がかき集めた」とか
ではない。
また、色川武大・阿佐田哲也は同じモチーフで何度も書くとわかる。
-----
「KAWADE夢ムック 文藝別冊 総特集 色川武大vs阿佐田哲也」の
こっちのレヴューもどうかな。
1971年10月 青春出版社
「阿佐田哲也の麻雀秘伝教室」
1995年09月01日 青春文庫
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」
---
出版社主導はそれだけではない。じつは本文をゴーストライターが書いている可能性がある。イカサマ技は小説内で解説されているものばかりだし、文体も阿佐田哲也特有のゆったりしたスタイルではない。ただし序文とあとがきは本人の手によると思われる。
---
そーかなあ。
本書は
序
Ⅰ基本技
Ⅱ決め技
Ⅲ隠し技
Ⅳ本技
あとがき
であり、ⅠからⅢまではイカサマの解説である。
Ⅰ基本技の冒頭に、「天和 大柴様」が出てくる。
これは、
1968年
初出「天和の職人」 週刊大衆
1969年12月 報知新聞社
「牌の魔術師 雀豪列伝」
1980年07月10日 角川文庫
「牌の魔術師」
そのままだ。
ⅠからⅢは文章の勢いも少しわるいか。
なんか、おどおどしてる気がする。
ところが、
Ⅳ本技で文体が俄然生き生きとする。
ここの内容は、
1969年02月 双葉社
「麻雀の推理」
1989年10月15日 双葉文庫
「Aクラス麻雀」
のエッセンスともいうべきもので、
自動卓でない当時、イカサマ知らないとやられるし、小説にはのせてるから書いたものの、
Ⅳ本技が一番云いたかったとわかる。
そして、Ⅳ本技は阿佐田哲也の文章だ。
ⅠからⅢも阿佐田哲也でしょうね。
こんなことろがある。
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅱ決め技 P92
---
図は前述の四喜和十枚爆弾を切り返しの手口に仕込んだところだが、図1を見てほしい。二箇所に仕込まれていますね。これを、右端から五枚目までと、左端から五枚目までをそれぞれ左右の手に持ち、真ん中の七枚をガシャッとくっつけてしまう(図2)。
---
特にハウトウもので、図参照などの重要なところの語尾が「ますね」とか「ください」になるのは阿佐田の特長だ。
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅳ本技 P173
---
点棒などは途中で預かっているだけで、自分の点棒箱にいつも定着しているわけではない。
上図を見てください。
いま、相手(荘家)に早いリーチがかかった。
---
1989年10月15日 双葉文庫
「Aクラス麻雀」
にもたくさんあるよ。
P25
---
自分の運量以外の運、つまり相手の運を利用してアガるやり方がある。一例をあげよう。
上の図を見てください。今、相手(親)に早リーチがかかった。
---
P106
---
その他の牌でも両面を兼ねないだけで、テンパイであることにはかわりがない。
図2を見てください。これは六九索待ちであるが、ここへ七索(牌活字)か八索(牌活字)をツモらない限り、つまり北(牌活字)とのシャンポンにならない限り、テンパイは変化しない。
---
「Aクラス麻雀」では
……改行
見てください。……
「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」のⅡ決め技のイカサマ解説では、
改行なしで
……ますね。……
なんだな。
あんまり見てほしくないのであろう。
一転して、「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」Ⅳ本技では、
……改行
見てください。
改行……
となり、
ここをこそ見て欲しいつーことがヒシヒシと伝わってきますなあ。
よって
ⅠからⅢも、これはまず阿佐田でしょうね。