【急告】2021.07.17
新たな資料入手解析、本稿_増補改訂版とした。
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの結論的年表
-↓--大藪春彦年表の追補部分
・銃の規制現行法の抜粋
・【ペルナンディけん銃】詳細,
1958年『血の罠』,1958~1959年『醜聞』,1958年『屍を越えて』,
1959年『その罠を噛み破れ』,1959年06月『次は誰だ』,1959年『夜に潜む』,1960年『みな殺しの歌』
1987年『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾ
・【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷など
・1960年末頃の猟銃一覧
以下【ベレッタが三万円】について
・1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
・1962年連作短編『名のない男』
・1964年中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950
・エピローグ部分 など
======↓==大藪春彦年表(追補部分)==↓======
-----------↓-銃の規制 現行法の抜粋-↓-----------
早稲田の射撃部で借り物の銃を撃っていたのはどだったのかつーと。
当時貸し銃が使えたんだな。
不許可の要件
・銃砲刀剣類所持等取締法や火薬類取締法に違反して罰金刑を受けた人は、一定の期間、猟銃や空気銃の所持許可を受けることができない。
・やって良いことと悪いことの区別がつかない人や
【悪いと分かっていることをやってしまう人】などは、猟銃や空気銃の所持許可を受けることができない。
射撃練習
・現に猟銃や空気銃の所持許可を受けていなくても、都道府県公安委員会から練習資格認定証の交付を受けた人は、射撃練習を行うことができる。
※2009年12月03日まで空気銃は、空気銃射撃場に貸し銃つーのがあって、誰でも借りて射撃できた。
わたしの新宿射撃場でのエアライフル射撃もこの例。詳しくはリンク記事参照
朋友の射撃風景↓

※猟銃の貸し銃は制度としては今もあって「練習資格認定証」あれば撃てる。
早稲田の射撃部で標的射撃は、この「練習資格認定証」を取って貸し銃での標的射撃か、または当時「練習資格認定証」不要で貸し銃(射撃部の銃か射場の貸し銃)での標的射撃だ。当時みんなビンボウだったから、カメラ無いヤツが写真部にいたり、ライフル銃が無い射撃部員もいる。
この「射撃練習」と、より規制が強い「所持」とは別。
狩猟の場合はどーしても自前の銃でないといけないので、
『野獣死すべし』で「大金」入った途端に銃を買って、狩猟始めた。
------------銃の規制 現行法終わり------------
-----------↓-【ペルナンディけん銃】,『血の罠』, 『醜聞』,『屍を越えて』,『その罠を噛み破れ』,『次は誰だ』,『夜に潜む』,『みな殺しの歌』,
『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾについて-↓-----------
【ペルナンディけん銃】大藪初出はこれ↓
1958年推定09月~1959年01月の号
「週刊アサヒ芸能」連載 全15回(大藪長編2作目/専業作家のはじまり)
『血の罠』
表記 V・Bベービー
ヴェルナルディリV・Bのオートマチック
---引用---
第5回「殺気」推定1958年10月末号から11月頭号掲載
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、
【鞣し革のホルスター】に入った
【青色の小さな自動拳銃】と弾薬の入った革サックを抜き出した。
【全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチック】には初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、
【半月状型の引金の部分が大きく見える】。
ベークライト製の銃把と引金の間の安全止を押しさげた田島は、銃把の左後ろについた
【蛇の目模様のボタン】

を圧して遊底被を引き、薬室にウインチェスターのセンター・ファイア弾を一発装填し、スライドをもとに戻した。撃針がスライドの後に突き出して撃発装置になっているのを示している。安全止を押し上げて、銃把の弾倉室から弾倉を引き抜き、五発装填して弾倉室に戻す。
拳銃をホルスターに収めた田島は、ズボンの右裾をまくって、脚に革帯で括りつけた。
(【ペルナンディけん銃二万円】は、いきなりスネ拳銃であった)
…
「そうだ、これ……要るだろう?」新田はポケットから七発入りのルーガーの弾倉と、口径九ミリのレミントン百二十四グレイン弾を三十発近くつかみ出してテーブルの上に置いた。
田島の目が異様に輝いた。一発一発ハンカチで丁寧にぬぐって
【REM-UMC9m/mLUGER と彫られた薬莢の尻】を下にして立てていく。
第7回「火を吐く小銃」1958年11月中頃
その右手はさりげなくV・Bベービーの拳銃を隠した右足の裾にさがっていく。
…
銃声の一瞬前に、田島は体を後によじって転がりながら、右脚にくくった小さな自動拳銃を抜き出した。
…
田島は石の蔭に身を伏せて、安全装置を外した全長4・1/8インチの小さな二十五口径自動拳銃の狙いを七十メーターばかり離れた林につけた。
第8回「疑惑の影」1958年11月下頃
広島のヤクザから捲き上げたV・Bベービーの小さな自動拳銃(オートマチック)は彼の脚にぴったり密着し、靴下止めと変らぬようになった。十四年式軍用拳銃で満点を記録したこともある鋭いカンを感覚が甦った。彼はその小さなオートマチックを自分の五本指の一つのように、正確で自由自在にあやつるようになった。青黒く冷たい光を反射する手慣れた銃器は、もはや一個の物体でなく、意のままに死を送る自分の分身として感じた。
(こんなに気に入っていたのか)
第15回「最後の銃声」1958年12月頃
手錠をかけられた両手が、そろそろと下に垂れ、ズボンの下の右脚につけた小さなV・Bの自動拳銃に這っていった。
…
鋭く小さな銃声とともに、村井は言葉を呑んで、グウッと体中の息を吐きだし、ポツンと真白なシャツにあいた穴から赤いしみの拡がる胃を両手で圧えて身を折り、田島の方に放心したような目をやった。
右脚にかくしてたホルスターから引き抜いた、六連発二十五口径のヴェルナルディリV・Bのオートマチックをテーブルの蔭から持ち上げた。
「気を持たせて悪かったな」深い悲しげな声が喉の奥から出た。それとともに血がこみ上げてきた。
田島は口にたまった血を村井の顔に吐きつけた。手錠のかかった両手の中の、小さな青色の自動拳銃が、五度軽やかに踊り続けた。キラキラ光る小さな空薬莢が薄い煙を吐いて舞い上がった。
肘掛け椅子に縫いつけられた村井の片眼鏡が微塵に飛び散った。左右の目は血しぶきをあげて裂けた。悲鳴を発した喉から声帯が露出した。
田島はV・Bのオートマチックを捨て両手を伸ばして、テーブルの上のルーガーを握った。
------
この
V・Bベービー
ヴェルナルディリV・Bのオートマチック
がだな、
Bernardelli Baby Model
つーやつだ。
欲しかったのだ。
1958年10月頃米軍軍曹殿から買ったのだ。
たぶん青色で二万円なのだ。
おそらくは .22LR 弾倉6発+薬室1発=7発 なのだ。
イタリア人の発音をカタカナで書くと、
【ベルナルデッリ】が一番近いな。
イタリア語は基本ローマ字読みでよい。(いくつか使わないアルファベットがあるゾ)
【ヴェルナルディリ】先頭はBなので「ヴ」はおかしい。でも、ふいんきは一番近いかな。
【べルナルディリー】おしまいは「lli」だから伸ばさない
【ペルナンディ】だから難しかったのよねえ。
Bernardelliの社名は、
Vincenzo Bernardelli S.p.A. という。
拳銃の左側には、例えばBaby Model.22LRの場合で
---
V.BERNARDELLI GARDONE V.T.CAL.22 LONG
MADE IN ITALY
---
って打刻してある。
なぜか Baby とは書いてないな。拳銃にベービーが似合わないからか。
またグリップの右側には「VB」のマークがある。
正確な年月不明なるも、
1960年台の米国雑誌広告に仕様と価格が出ている。
表題には
BERNARDELLI AUTOMATIC PISTOLS と出ている。
仕様は
Coliber: .22 Short,.22 Long,or .25 Auto.
Magazine: .22 Cal.-6 shot: .25 Cal.-5 shot.
Barrel:2+1/8 inches, stationary.
Length: 4+1/8 inches;
Weight 9 ounces;
Sights:Non-projecting;
Stocks;Bake?te;
Safety; Pasitive thumb safety;
Finish: Blued.
--別の情報源↓
全長:106.5mm、
全高:69mm(5連装マガジン使用時)、68.5mm(マガジンなし)
厚さ:20.5mm。
質量:260g(弾薬無し)。
銃身長:53mm
口径:6.35 mm Browningまたは25 acp;
弾倉:通常弾倉5発/オプション弾倉8発
グリップを下に延伸する形状のオプション8発弾倉あり。
本体と同時購入で$3、後から別売りで$4。

(いやだっ、營繕マン、なの)
機構の種類:シングルアクション
胴体左側の安全レバー,チャージャーの安全性
すべてスチール製(バットパッドを除く)
製造年はよくわからないが1945年頃~らしい。
1949年製の現物寫眞はみた。
モデル名と価格の項には
V.B. .22 Short $33.40
V.B. .22 Long $33.40
V.B. .25 Auto $33.40
スペッシャル・デラックス・モデルとして
V.B. BABY .22
With bright ,polished Finish $51.50
With bright polished Finish and deluse hand engraving $61.00
With gold-piated, engraved $81.00
V.B. VEST POCKET .25
With bright ,polished Finish $51.50
With bright polished Finish and deluse hand engraving $61.00
With gold-piated, engraved $81.00
だってさ。
V.B. ○○と呼んでいたんだな。
.22ショート,.22LR,.25ACPとあったわけだ。
また、たぶん関税かかってる外国製拳銃なので高いゾ。
ハンドバック内携帯用にキラキラモデルもあった。
別の雑誌広告

なるほど
1959年【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】
1960年【掌に入るほど小さいヴェルナルディリ】
なの。
中央がキラキラモデル。
さて、
・弾倉収容能力が、.22は6発、.25は5発と差があること、
・『みな殺しの歌』に出てくるのは.22LR六連発であること、
から、実際に買ったのはやっぱ Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long だな。.25 の、5連発はいかにもさびしい。かといって、8連発延長型弾倉にすると【掌に入】らないし、【ソフト拳銃】もできないわ。營繕マンだしね。
.22LRだと弾薬も、大藪1958年購入ウィンチェスターM52用 .22LR がそのまま使える。
ところが
Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long を買ってマッチ・ターゲット実包つかって四畳半射撃したら、銃身の極短い拳銃のくせに安アパートの壁をカンタンに撃ち抜いた
銃声も↓
1962年07月『野獣都市』 アサヒ芸能出版 単行本化前連載「アサヒ芸能」
「錯覚」
---引用---
と、吐きだすように言うと、ベレッタ小口径自動装填式拳銃で、市原の頬を殴りつけた。…有間はべレッタの撃鉄を起こすと、銃口を市原の睾丸に押しつけて、無造作に引金を絞った。
なるべく
【銃声を消すために、競技用の〇・二二スーパー・マッチ弾を使用】したのだが、長い銃身の小銃で射てば小さな銃声しか出ないその弾も、短い銃身のポケット拳銃から発射されると、オレンジの火箭(ひや)とともに、鋭く吠えた。
------
なかなかうるさいし
ので ↓
【ベレッタが三万円】の時は .22 Short ぢゃああんまりだし、.25 ACPにしてみたが、やっぱ壁をカンタンに撃ち抜いた
つーのは後の話、なの。
ともあれ。
遅くとも1958年10月には【ペルナンディけん銃】が欲しくて買ったのだ。
単純に【ヤクザが売りに来た】という感じではないとおもいなおした、のよね。
2021.09.08追記 まだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がするのでそこにおくゾ↓
1961年05月 『醜聞(スキャンダル)』短編集「野獣死すべし」浪速書房に初収録
表記 【ヴェルナルディリV・B】
なっ、表記もそうだろ。
2022.02.16追記 そのうえしかもまだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がする上、ヤクザが礼金を五千円札で渡しているから1958年の作品であろう。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
1961年01月 『屍を越えて』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
〇・二五口径だしね。
2021.12.15
初出誌確定
1959年02月号「面白倶楽部」光文社
『その罠を噛み破れ』
表記【V・Bベービー】
2021.09.25追記 やっぱ1958~1960年の短編にあった
1959年06月号 小説倶楽部掲載 『次は誰だ』
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
2021.09.11追記 更にまだあった
1961年01月 『夜に潜む』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。
1960年04月17日号『みな殺しの歌』「アサヒ芸能」
表記 【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
(〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰)
『GUN教室』1966年10月30日初版
連載1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」『GUN相談室』
表記 【べルナルディリー・ベイビー】
この寫眞キャプションの「M60」部分は誤り。
M60は一回り大きなやつだ。
---
P73寫眞(訂正書によりP91寫眞を入れ替え)


上:べルナルディリー・ベイビーM60(口径不明)
左:ベレッタ(M)950Bジェット・ファイアー(.25ACP)
1965年03月01日新聞記事では
表記 【ペルナンディけん銃】
なのです。

なんで、【ペ】になったのかしら?
ひょえー。
まだあったわよ。
1970年 週刊アサヒ芸能連載『奴に手錠を…』
「潜む」
表記 ヴェルナディリ
---引用---
「…イタリーの伯爵号を持っているピエトロ・ヴェルナディリの別荘よ、別荘といっても城だわ」
「ヴェルナディリが、ロワ・ド・フェールのボスなのか?」
…
------
ヴェルナディリつう人名だけで、【ペルナンディけん銃】は出てこないけどね。
んでこの「ヴェルナディリ」なる人物は小説最後まで出てこないんだけどね。
1973年09月 TOKYO BOOKS『沈黙の刺客』
「捕える」
表記 【ヴェルナディリ拳銃】
---引用---
…そして、ジャガーの向こう側に、四つのソフト帽の一部が見えた。
…
両肘と両膝を射ち砕かれて倒れた男は悲鳴をあげ続けていた。近くに転がった
【ソフトのなかに、小型のヴェルナディリ拳銃がテープで留めて】あった。
信原が近づいたとき、油断を見すまして、その拳銃で射とうと考えていたのであろう。
------
たぶん大藪最後の【ソフト拳銃】きました!
1973年といえば、1965年03月01日逮捕から8年。
1969年04月01日猟銃再許可からも4年経過している。
もうソフトかむる人も居なくなっている頃だ。
たぶん「四つのソフト帽の一部が見えた」と書いてしまい、
「ソフト帽」→【ソフト拳銃】→【ヴェルナディリ拳銃】と連想したのであろう。
【ソフト拳銃】であるから、V.B. ○○でキマリだ。
この【ヴェルナディリ拳銃】は拾われも、壊されも、遠くに投げられもせずに、上記の描写だけでおしまいである。
表記一覧
1958年 イタリア製V・Bベービー 『血の罠』
1958年 ヴェルナルディリV・Bのオートマチック 『血の罠』
1958~1959年 ヴェルナルディリV・B 『醜聞(スキャンダル)』
1958年 ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃 『屍を越えて』
1959年02月号 小さなイタリア製V・Bベービー 『その罠を噛み破れ』
1959年06月号 超小型ヴェルナルディリ 『次は誰だ』
1959年 イタリア製ヴェルナルディリ 『夜に潜む』
1960年 ヴェルナルディリ超小型自動拳銃 『みな殺しの歌』
1961年 べルナルディリー・ベイビー 『GUN教室』
1965年 イタリア製のベルナンディ・ブローニング (週刊誌記事)
1965年 イタリア製ピストル「ペルナンディ」 (新聞記事)
1965年 ペルナンディけん銃 (新聞記事)
1965年 ベレッタ (高松の坂○組内での当該イタリアのチャカの通称)
1970年 ヴェルナディリ 『奴に手錠を…』
1973年 小型のヴェルナディリ拳銃 『沈黙の刺客』
こんなにイロイロバラバラぢやあ、わかんねえよな。
2021.09.08追記 まだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がするのよ。
表記も【ヴェルナディリV・B】だし。
1961年05月 『醜聞(スキャンダル)』短編集「野獣死すべし」浪速書房に初収録
※1979年09月30日『殺しは俺の稼業』巻末初出誌一覧でも初出不明である
---引用---
7
スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。【丸い蛇の目模様の安全止め】がついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
(引用註: .25ACPは弾倉5連発。25口径と云っているので、.22LR買って間もなくであろう。ここからも1958~1959年頃の作品だ)
9
トイレに入って足からヴェルナディリV・Bの小さな自動拳銃を外した。スライドを引いて撃発状態にした。細い円筒針の撃針が遊底の後ろに突出た。再び安全ボタンを【回してかけ】、ズボンのポケットに移した。
…
安達は捻った。左に転がりざま銃の安全装置を外した。再び銃火が閃き、安達の膝の近くでパァッと土煙が飛散った。安達は閃光にむけて自動拳銃の【半月形の引金】を絞った。
弾が肉にくいこむ衝撃音と、獣のような悲鳴がもれてきた。左側の男が右手首を射貫かれて拳銃を放りだし、左手で右手首をおさえて地面を転げまわった。
…
安達は腹ばいになり、その拳銃を狙って引金を絞った。
同時に、空き地の左側から続けざまに閃光が死の舌なめずりをした。目の先から打ち飛ばされた拳銃を見て愕然とした男の体がそり返り、地面の上で小きざみに跳ねた。
10
安達はコートのポケットの中で拳銃を握りしめ、落ち着いた足どりで門に近づいた。
…
安達は自分のヴェルナディリを尻ポケットにおさめた。
---引用終わり---
「夜」の描写も、暗くていい感じなのだ。
2022.02.16追記 しかもまだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がする上、ヤクザが礼金を五千円札で渡しているから
1958年の作品であろう。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
1961年01月 『屍を越えて』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。
…
サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
------
やっぱペルナンディけん銃はいい者が使うのであった。
この堪えたようなタッチで、暗い聖俊の傷口を書く感じと、五千円札で、1958年でキマリだ。
この後で、東雲の船の解体場で撃ち合うのよね。
東雲といえば『みな殺しの歌』1960年でおなじみ。
未だクルマの免許なかったのに、よくたどりついたなあ。
2021.12.15初出誌確定
1959年02月号「面白倶楽部」光文社
『その罠を噛み破れ』
表記【V・Bベービー】
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】や、
消音装置つきのまで現れた。一九四四年ヒトラーがナチス親衛隊のためにチェッコで作らせた無音拳銃までが日本に密輸され、国内には百種類を超す拳銃がひしめいている。
-------
2021.09.25追記 やっぱ1958~1960年の短編にあった
1959年06月号 小説倶楽部掲載 『次は誰だ』
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
ラスト近くで唐突に出てくる
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃を離さぬ俺にスリルを感じるのか。
…
俺は一瞬にして事態をさとった。サッと膝をついて足につけた自動拳銃に手をのばした。…
しかしその時には、俺の手にヴェルナルディリ三十二口径のオートマチックが安全装置を外されていた。(引用註:誤記。32口径ではいつも脚につけておく訳にはいかない)
俺は尻餅をつきざま身を前に伏せて引金を絞った。明も再び射った。
銃弾はおれの肩口をかすめて壁をふるわせた。
明は、胸に俺の弾を喰い、ダダッっとよろけた。俺は弾倉の尽きるまで、狂気のように七発射ち続けた。(引用註:.22は弾倉に6発。さては不法所持偽装のため.25ACPにすべきところ、このシーンでは7連発のほうがいいので.22を使うことにしたため、筆がよじれてしまい32口径と書いたな)
---引用終わり---
薬室に装填して脚につけてたのか。
サッとかダダッとかの擬態語が出てくるわね。
2021.09.11追記 更にまだあった
1961年01月 『夜に潜む』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、【青光りした】小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃は【イタリア製ヴェルナルディリ】。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので【引金の部分がずいぶん大きく見える】。【銃把はベークライト】だ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
江原は拳銃の遊底被(スライド)を左手で引いた。銃身と遊底の主要部が露出した。江原は銃把の左後ろのボタンを右の親指で圧(お)しつけておいて、【スライドを上にポツンと外した】。遊底部分や引金の爪にオイルを注ぐ。再びスライドを銃にはめこみ、後にひいた。手をはなすと、バネの力でスライドは前に戻り撃発状態になった。引金をひくと、【軽やかに撃針は空をうつ】。
江原は再びスライドを引き、スライド・ストップの掛金をかけ、遊底を開いたままにした。銃身の後ろの薬室に実包をつめようとして考えなおした。安全止めはあっても、暴発のおそれがある。掛金を外してスライドをもとに戻し、銃把の弾倉室から弾倉をひきぬく。
挿弾子の上端から〇・二五の被甲弾を一発ずつ五発つめる。弾倉を弾倉室に【カチンと戻して】、チュッと銃把に接吻した。
卓子の抽出しから幅の広いゴムのバンドを出し、右のズボンの裾をまくって、【臑】にはめる。皮膚とバンドの間に自動拳銃を差し込む。【ピチッと固定】した。
…
江原は素早く行動を開始した。両手首をしばられた手を右膝に走らせ、ズボンの裾をまくりあげて臑につけたヴェルナルディリ小型自動拳銃をひきぬいた。
超小型自動拳銃のスライドを歯でくわえて引いた。歯をはなすと、スライドは弾倉の弾をひっかけて薬室におくりこんだ。【ピチッと音がした】。
金属音を聞きつけた達は、懐中電灯の光をサーッと江原に投げた。罵声を発して懐中電灯をすてた。甲高い音をたててレンズが砕け、一瞬にして闇が襲ってきた。
江原は横に転がった。水道の近くで青白い閃光がひらめいた。銃声はつきぬけるように鋭かった。江原のいたあたりのコンクリートに跳弾の炎が走った。
達は続けざまに射ってきた。削られたコンクリートの破片が江原の頬をさした。発射の閃光を狙って、江原は両手でおおった拳銃の引金を絞った。
銃身が短いだけに、〇・二五の小さな弾でも耳をつんざくような轟音を発した。肉にくいこむ弾の不気味なひびきがつたわった。
達の拳銃は、痙攣するように一,二度舌なめずりした。江原は再び引金を絞った。
…
江原は達のポケットから自分の財布を奪いかえした。ライターが焦げるように熱くなってきた。江原はライターをポケットに落とし、奪ったS・Wを右手に、左手にヴェルナルディリを構えてガレージからとびだした。
…
ワイシャツの下の腹には、目だたぬようにヴェルナルディリ小型自動拳銃を差してある。全弾装填してある。
…
江原の右手は蛇のようにマットの下にのびた。隠してあったヴェルナルディリを抜き出し、素早く安全止めを外しながら引金を絞る。振りむきかけた社長の手からブローニングが快音を発してふッ飛んだ。
社長は痺れた右手をおさえて茫然と突っ立っていた。
江原は左手に持ちかえた拳銃の銃口で社長を威嚇しながら、床に落ちた空薬莢を拾ってポケットに入れた。
---引用終わり---
出てくるのは、青色のヴェルナルディリV・B .25ACP ですな。
1959年の作品でキマリであろう。
花ビンの底から取り出して武装する描写が特にいい感じだ。
1958年~1960年頃の短編には、まだまだ【ペルナンディけん銃】が出て来そうですなぁ。
『みな殺しの歌』「アサヒ芸能」
1960年04月17日号~1960年09月18日号にかけて
---
1960年04月17日号『生への渇望』のラスト一行
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。

1960年04月24日号『巣』
「便利なものを持っているじゃないか」
衣川は、左手でグローブ・コンパートメントから引っぱりだした〇・二二口径ヴェルナルディリの超小型自動拳銃を見つめた。
そのイタリア製拳銃は、小さいだけでなく非常に軽かった。銃把はベークライトでできており、銃身も極端に短かった。…
衣川は左手でヴェルナルディリ小型自動拳銃を引っぱり出してみた。遊底の後に撃発を示す示針が突き出していないところを見ると、薬室は空になっている。
銃把の弾倉室から、弾倉を抜いて調べてみると、〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰まっていた。護身用には十分役立つだろう。
弾倉を弾倉室に戻した衣川は、掌より小さいその超小型自動拳銃をどこに隠そうかと迷った。
ズボンの裾をまくりあげて臑にくくりつけるのもいい。しかし、衣川はソフトを脱ぎ、それをひっくりかえして裏地の縫い目を少しはがした。そこからソフトに小さな自動拳銃をさしこんだ。
ソフトをかぶり直してみた。
【頭上の小さな自動拳銃の重みは、慣れるとほとんど感じない】ほどになった。…
衣川は小型拳銃をひそめたソフトを目深にかぶり、茶褐色のサン・グラスをかけていた。…
---
【ソフト拳銃】きました!
この【ソフト拳銃】は、埋立地→貸しボート→巡視艇→釣り船→トヤの間にも、頭上から離れることはなかった。
ヴェルナルディリでの【ソフト拳銃】と【スネ拳銃】は実際に街中で試してみたんじゃないか。
1960年05月08日号『虐殺の原』
大森のベアード自動拳銃を闇の中に蹴りこんだ。(にもかかわらず)
1960年06月05日号『待つ』
胸の高さにまでトヤの囲みがとどいた。頬に潮風が吹きつけ、ソフトを飛ばしそうになった。
1960年06月12日号『待ち射ち』
ソフトを脱いだ。ソフトの裏地に小さなベアード拳銃が隠されてあった。それを引っぱり出した衣川は、ハンティング・コートの脇のポケットにしまった。…
(瞬間的に【ソフト拳銃】がベアードになった/ベレッタだったら間違えなかったであろう)
1960年07月03日号『再び街に』
左手に、残り三羽の鴨の足を束ねた麻紐と、銃ケースに分解して入れたフランキを提げていた。ケースの中には超小型ヴェルナルディリ拳銃を隠したソフトも入れてあった。…
(よかったよかった)
1960年07月10日号『小休止』
そばの卓子には、口径〇・二二インチのヴェルナルディリ超小型自動拳銃を仕込んだソフトが置いてあった。…
1960年07月17日号『決死の密会』
衣川は、かむっていたソフトをそっと左手で脱いだ。ソフトの裏地の裂け目をさぐり、超小型ヴェルナルディリ自動拳銃を引っぱりだした。
〇・二二口径だから、うまくやれば、さほど大きな銃声はしないだろう。衣川は掌に入るほど小さなヴェルナルディリを左手に持ち、親指を逆にそらせて、銃の左側の蛇の目形の安全装置を押しさげた。

カチッ……と安全装置の外れる音がした。
「動くな!」
闇の中から刑事が声をかけた。
(薬室に装填し、撃鉄がコックされ撃発準備位置に後退したまま【ソフト拳銃】にして頭にのせてたんだなあ)
その声を狙って、衣川は発砲した。銃身が短いため、二十二口径でも相当に鋭い発射音がした。銃口から青白い閃光が流れ出た。小さな銃弾は、刑事の開いた口から入り、下顎を砕いて頬骨でとまった。
…衣川は左手のヴェルナルディリを、刑事の肩に押しつけるようにして引金を絞った。圧迫された銃声は小さかった。エジェクターで遊底からはじきだされた小さな空薬莢が、ピーンと金属製の音をたてた。
刑事は二,三センチ後にはねとばされ、そのまま動かなくなった。鎖骨の上から入った弾が内蔵を破壊したらしい。…
そのとき初めて、自分がまだ左手にヴェルナルディリ拳銃を持っているのに気がついた。安全装置をかけ、急いでソフトの裏におさめた。…
1960年08月14日号『十字火』
目深にかむったソフトが吹きとびそうになり、裏地の中に隠した超小型ヴェルナルディリ自動拳銃の重量に救われてかすかに頭にまとわりついていた。
「………」
衣川はくいしばった歯の間から罵声を漏らした。跳ねあがる白バイのハンドルから器用に左手をはずし、ソフトを掴んで背広の下に押し込んだ。…
ヴェルナルディリ小型銃をひそめたソフトだけは、制服の腹の下にしまい、拳銃吊りのベルトを締めた。…
1960年08月28日号『水面の花』
腰に吊った警官のS&W拳銃、制服の下に突っ込んだヴェルナルディリ超小型拳銃入りのソフト、ポケットから出したコルト・ディテクチヴ・スペッシャル拳銃などを、ヘルメットの中に落した。
1960年09月18日号『蝋燭と女』
そのヘルメットには――S&W四十五口径、ヴェルナルディリ超小型〇・二二口径、コルト・ディテクチヴ・スペッシャルの三つの拳銃と、弾薬などが入っていた。
【ヴェルナルディリをのぞく拳銃は革ケースにおさめられていた】。…
---
1960年09月18日号のこの部分がヴェルナルディリつー語出てくる最後。以後は「数丁の拳銃と弾薬」とくくられる。
次章『サディスト』1960年09月25日号の執筆時【ベレッタが三万円】買っちゃったから、ベレッタ・ミンクスなどが出てくるわよ。
結局【ペルナンディけん銃二万円】用のホルスターの有無は不明だ。
【ペルナンディけん銃】は1960年まで主人公の護身用としてのみ登場している。
んで、1960年09月10日頃【ベレッタが三万円】を買うので、それ以降は1973年『沈黙の刺客』に相手の武器として出てくるだけだ。
◆ついに判明!!2021.07.21
【ペルナンディけん銃】【ペ】のナゾ
【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】からであった。
↓
1987年07月13日発行
『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』そえじまみちお著 ピラミッド社
「讃岐の侠気/TTTT」(TT氏は1987年当時、高松の坂○組三代目組長)
1987年に1962年~1965年のことを訊ねているから、話されている記憶と、事実が異なっている箇所有り。
せっかくなので引く。
1965年当時、坂○組二代目組長はBB、記事では親爺。
組長BBが、大藪の友人AAから【ペルナンディけん銃】を七万円で買った。
後、組長BBは組員CCに【ペルナンディけん銃】を譲渡。
インタビューされてる人物は、当時それらをそばで見ていた坂○組組員TT当時25歳。
読みやすさのため、適当に改行を入れる。
---引用---
「大藪春彦の拳銃事件がありましたやろ。あれ、うちが咬んでいて、組を解散させられてるんですわ。
この人(引用註:大藪)は高松の出身ですわ。この先生もうちの親爺(引用註:二代目組長)の時代に組織のこといろいろ訊きに来よったですよ。そやから一回、以前に本になっとりますわ。
そーゆーようなことで関わり合いになって、この人がイタリアのチャカ(=拳銃)持って来たわけやね。
初め(引用註:大藪が逮捕直後はの意)、千葉の沖のなに云うんかな、千葉の海岸に放ったと言いよったらしいんですけど、
やっぱりこっちは阿呆ではないわな、警察も。問い詰めたらやっぱしこっちへ廻しとったと。それでなかったらこっちから挙がった品物が合わんわけよね。
普通では入らんようなルートから……日本では三つしかない言いよったからね。ベルナンディ云うて十五連発やった。
で、この香川県警ではベレッタ、ベレッタ言いよったんよ。ワシ等もな。英語(イタリア語?)よう読まんから我々はベルナンディと書いとんのをやな、誰ぞがな、中途半端に知っとんのがベレッタ言いよったん。
して、
【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】。初めて見る拳銃やから…。東京の警視庁持って行って、初めて日本に三つしかないベルナンディやて分ったんよ。
大きかったですけど軽いですわな。だからポケットに入れとっても、どもないわ。
で、そー云うような事件で親爺(引用註:二代目組長)やなんか…大方、十人ぐらいが関連して皆もっていかれてますわ」
「そん時、(警察は)組を解散するなら親爺(引用註:二代目組長)の保釈を認める言うて、それを姐さんが承知したんです。高松を二分した坂○組解散って、新聞に大きく出ましたわ。昭和四十年(1965年)の十月でしたな」
昭和三十九年(1964年)一月、警視庁の第一次組織暴力取締頂上作戦が始まり、組織の中心人物の検挙、資金断絶、凶器摘発強化、対立抗争早期鎮圧を展開していた最中の解散ということになる。
------
事実と異なる箇所
・二代目組長BBと大藪の面識があった点
・二代目組長BBに大藪が取材に来て、作品に書いた点
無しだろ。
---
2022.10.23 追記
二代目組長BBに【ペルナンディけん銃】を七万円で売りに来た大藪の友人AAを大藪と思い込んでいるのであろう。
【そやから一回、以前に本になっとりますわ】↓
AAに取材し、四国K県T市坂田組を舞台にした
1962年07月27日 「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』
のことであろう。
この小説があったため、更にAAを大藪と思い込んでいるのだ。
あるいはAAが「自分が大藪である」と詐称した可能性もあろう。
---
・大藪が二代目組長BBにチャカ持ってきた点
・初め千葉の海に捨てたと供述していたという点
これは1965年03月の新聞記事,週刊誌記事から誤りとわかる。
チャカ持ってきたのは、大藪の友人AAである。
また捜査は、けん銃の流れのルートを逆にたどっているから、
組員CC→組長BB→友人AA→大藪の順にタイホなのだ。
・ベルナンディ云うて十五連発やった。
ええー。
・大きかったですけど軽いですわな。
軽いのはそうだが。何かと記憶が混ざってるな。
事実らしい点とかおもろい点
・うちの親爺(二代目組長)の時代に組織のこといろいろ訊きに来よったですよ。
友人AAと二代目組長は、ある程度の頻度で会っていたんだな。
・そやから一回、以前に本になっとりますわ
前述した。
・普通では入らんようなルートから……
組のみなさんは、米軍軍曹とか少尉とかとは交流してなかったようだ。
・日本では三つしかない言いよったからね
友人AAが二代目組長BBに、【ペルナンディけん銃】を7万円で売りに来たときのセールス・トークであろう。
7万円は高い。
・ベルナンディと書いとんのをやな、誰ぞがな、中途半端に知っとんのがベレッタ言いよったん。
組内部では、通称【ベレッタ】だったようだ
・◆【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】
だから【ペルナンディけん銃】なのか!
・日本では三つしかない言いよったからね。
まーねえ。めずらしいよね。
・だからポケットに入れとっても、どもないわ。
ソフトに入れてもどもないゾ。
・親爺やなんか…大方、十人ぐらいが関連して皆もっていかれてますわ
なるほどねえ。
坂○組二代目組長BBと組員CCが、そのうちの二人である。
1964年01月
警視庁第一次組織暴力取締頂上作戦開始
組織の中心人物の検挙、資金断絶、凶器摘発強化、対立抗争早期鎮圧
これによって、
↓ 凶器摘発強化
1965年02月14日
↓坂○組組員CC方家宅捜索,【ペルナンディけん銃】発見押収
及び組員CC逮捕
↓ 組織の中心人物の検挙
1965年02月14日CC方家宅捜索と同日か
↓坂○組二代目組長BB逮捕(上記記事では親爺と呼ばれている人)
1965年02月末まで ↓
↓大藪の友人AA(?組員?)逮捕 ↓
1965年03月01日 ↓解散したら保釈してやる
大藪春彦逮捕 ↓姐さんが承知した
1965年10月 坂○組解散(二代目)
となったわけね。
------------【ペルナンディけん銃】の項おしまい------------
-----------↓-【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷-↓-----------
【ベレッタが三万円】が高いか安いかをみよう。
『GUN教室』1966年10月30日初版に
「オズワルドが銃を購入する時、利用した銃の通信販売広告」が載っている。

ドイツ製ルーガーP08 $39.95
ドイツ製ワルサーP38 $34.95
寫眞が小さいのは印刷がつぶれてて型式がよくわからないが、
自動式拳銃で$17.95~59.95
輪胴式拳銃で$14.95~39.95
である。
この広告のドイツ製拳銃には、
米国の広告なので関税がかかってるであろう。
内国製自動式拳銃であれば$20~30かな。
各国でも同様とすると、
イタリア国内では
ベレッタが高くても$20~30(小型拳銃だから安いとおもふが)
ペルナンディ拳銃は$15~20(メーカー品でないから相当安いとおもふぞ)
この程度とみる。
『探偵事務所23』1962年に当時のヤミドルの相場がかいてある。
$1=¥380 だったそうな。
(公式には$1=¥360)
当時円ドルは固定相場であったから、
大藪が拳銃を買った=ヤクザがイタリアで仕入れた1960年にも同じだったであろう。
するとイタリアでヤクザが仕入れたときの価格は、
ヤミドル円換算
ベレッタM950 .25(ベレッタ・ジェット・ファイア)
$20~30→¥7,600~11,400-
ペルナンディ拳銃
$15~20→¥5,700~7,600-
であろう。
すんと、
【ベレッタが三万円】は、
推定仕入れ¥7,600~11,400-
販売¥30,000-
なので、ざっくり3倍にはなっている。
ヤクザ屋ならこんなものであろう。
ペルナンディ拳銃は、
推定仕入れ¥5,700-~7,600-
2021.07.16 修正↓
販売 ¥20,000-
推定は正確であった。
結論として
【ベレッタが三万円】という小林証言は正確だなあ。
---
補記
『人狩り』1962年10月初版新潮社ポケットライブラリー
(初出不明だけど、1962年の春頃ぢやないかな)
ヘロイン入手。
仕入れ価格が出てくる。
---引用---
「俺たちも、御多分にもれず麻薬を扱っている。取引きの直接の相手は柴田という日本人のブローカーだが、その上のほうは台湾系の大物だ」
…
(取引き)
弁当箱のような包を受けとった三波は、それを開いてみた。金属製の箱のなかに、百グラム入りの缶が十個おさまっている。
…
(閃光隠却器(フラッシュ・ハイダー)が見えたので逆襲。金を取り返す)
三波は再びバッグを開いた。百万ずつの札束をテーブルに積み、
「一千万ある。山分けで五百万ずつだ」
と、瞳を異様に輝かせた。
------
ヘロイン100g*10=1000gで一千万円だから、
一万円/グラムである。
米軍中尉からヘロインを代金代わりとして、
M1911 .45ACP(GIコルト)を入手する。
拳銃とヘロインの交換レートが出てくる。
取引1回目。
---引用---
「何丁だ?」
金網をへだてて、石橋は英語で中尉に低く尋ねた。
「一ダースと、弾薬が千発。一度にこれ以上は無理だ」
両手に掲げていた荷を降ろした中尉は、黒人特有のしゃがれた低音で答えた。
「仕方ない。次の仕事を、できるだけ早く頼む。電話で連絡するからな。これが報酬だ。五十グラムもある。あんたにとって、こんな有利な取引は無いはずだ」
石橋は無造作に、内ポケットから、ふくらんだゴムの袋を出し、金網の目から中尉に差し出した。
中尉は、飢えたけものが肉片にとびつくような唸りを漏らして、それをひったくった。ゴムの袋の口を開いてヘロインを鼻で嗅ぎ、長い満足の吐息をついた。
------
米軍の軍曹だの少尉だのは、拳銃を売ってくれるのだな。
ヘロインは一万円/グラムであるから、
ヘロイン50g=50万円=GIコルト12丁+弾薬千発
弾薬を12丁で均等割にすると、
GIコルト1丁+弾薬83発≒四万二千円となる。
取引2回目。
---引用---
「奴はどのくらい要求してきてるんですか?」
「二百グラム……拳銃五十丁に対してだ」
張本は吐きだすように言った。
「すると、薬の仲値から計算しても、一丁四万円といったところですな。安くない買物になりそうだ」
「無茶だ。拳銃が欲しくてウズウズしてても手に入れることができない連中には、一丁が十万でも高くないだろうけどな」
------
弾無しGIコルトが四万円で「安くない」のだそうな。
これがあんまり高いので、取引後に中尉を殺すことにした。
あんまり長くてつかれたので、ガッツ・ワンとぴぴんHを飲もう。
もう1箇所ある。
この五十丁の半分を横流しするシーン。
こちらの組は武装に苦労している。
---引用---
「拳銃(ハジキ)をまとめて買いたいとおもわないか? 米軍から直接流れてきた四十五口径だ」
水野は言った。
「何丁?」
小野寺は尋ねた。くわえたタバコに火もつけずに水野の返事を待つ。
「二十五丁。これだけまとまれば、あんたの組の平幹部にも全部行き渡るんじゃないかな?」
「値段は?」
「大きくまけて、一丁五万ではどうだ? ポンコツと違って立派に命中し、殺傷力だって減ってない銃だぜ」
「弾を十発ずつつけるんなら、その値でいい。だけど、弾(こども)なしじゃあ、一丁三万といったところだな」
小野寺は言って、タバコに火をつけた。
「よし、弾なしで一丁四万。それが嫌なら、大和興行に渡す」
水野は吐きだすように言った。
「買った。いつ渡してくれるんだ?」
------
弾なしの新品GIコルトで四万。
数は揃ってるけどね。
なお、弾十発付きなら一丁五万で買うと云っているが、駆け引きもあるからなあ。
おそらく新品GIコルトはこの1962年頃には、
武装に困ってないところで弾無し一丁三万,弾十発程度付き一丁四万、
すぐに欲しいところで弾無し一丁四万,弾十発付き一丁五万、
くらいだったのではないか。
なので
武装に困ってない大和興行では、弾無し一丁四万が高い故、中尉を殺すことにしたのであろう。
しかもクスリは仕入れ価格計算だしね。
取引1回目の「GIコルト1丁+弾薬83発≒四万二千円」が
適価~弾が一丁につき50発程度お得、くらいであろう。
『探偵事務所23』1962年『第三話 死の商人』
当時米国統治下の沖縄から雷管五千発分を密輸してることの説明
---引用---
今の暴力団は、拳銃は持っていても弾が足りなくて困ってる。高く売れるよ。何しろ薬莢は米軍の射撃場にいけばカマスで何杯でも拾ってこれるし、弾丸は鋳型で作れるから原価は一発二十円もあればいいんだが、それでも奴等は一発五百円、千円でも、金に糸目をつけづに買いあさる…
---
とも書いてあるから、
ルートと相手によるが、
弾10~20発で一万円することもありうる訳だ。
まっ、にしても
【ベレッタが三万円】は、やっぱいい感じだなあ。
なお、こちらは小型拳銃なので、
ベレッタM950+ショルダー・ホルスター+弾10発=三万円
つー感じだったのではないかね。
---↓---------統計をみてみよう------------
小林信彦証言によると、
1960年当時の月給 ヒチコックマガジン編集長 \15,000-
以下「国家公務員の初任給の変遷(行政職俸給表(一)) - 人事院」より
1960年04月の国家公務員初任給 大卒程度 上級\10,800-
同 国家公務員初任給 短大卒程度 中級\8,400-
同 国家公務員初任給 高卒程度 初級\7,400-
1961年04月 国家公務員初任給 大卒程度 上級(甲)\12,900-
同 国家公務員初任給 大卒程度 上級(乙)\12,000-
同 国家公務員初任給 短大卒程度 中級\9,300-
同 国家公務員初任給 高卒程度 初級\8,300-
1962年04月 国家公務員初任給 大卒程度 上級(甲)\15,700-
同 国家公務員初任給 大卒程度 上級(乙)\14,700-
同 国家公務員初任給 短大卒程度 中級\12,200-
同 国家公務員初任給 高卒程度 初級\11,000-
である。
金額が毎年急激に上昇していたんだなぁ。
1960年当時の工場主の話では、
材料を加工すると出てくる一ヶ月分のキリコ(スクラップ)を売ると月に20万円になり、
おどろく勿れ職人全員(十数人)の一ヶ月分の給料が丸々出たつー逸話を聞いたこともある。
この時の平均月給は\200,000-/15人(として)=\13,300-/人
こうくれば、当然にこれ↓
『これが男の生きる道』1962年
作詞 青島幸男
作曲 萩原哲晶
歌唱 植木等
2番に有名な歌詞が出てくるゾ
---引用---
貰う月給は 一万なんぼ
---
以上から、
1960年~1962年頃の感覚では、
平均的な20代の月給は小林証言の\15,000-でこぼこだ。
すると、
【ベレッタが三万円】は平均的な若者の月給のざっくり二ヶ月分である。
今にゴーインに換算すると一丁30~40万円ということろではないかな。
なので当時の若者にとっては決して安くはない。
ただし、
当時若者でも一発当てるとがっぽり来る時代だったし、
街の商店主とか工場主/つまりその辺の旦那でも、なかなかに現金持っていたんだよね。
事実、往時旦那衆の間で、猟銃による狩猟が大流行してた。
当時のガンブームでは、主に旦那衆の中間層は実銃を買い、
若者は雑誌とモデルガンを買っていたのであろう。
大藪は、金銭的には旦那化したのであるから、当然に実銃いろいろ買い込むよなあ。
--------
補記の補記
『人狩り』1962年10月初版新潮社ポケットライブラリー
には、こーゆー記載もある。
---引用---
「俺の友達がこの近くでビルの管理人をしている。この頃、猟にこりはじめてな。
【鉄砲を射つのが面白くてしようがない時期なんだ。】
それで、
【真っ昼間から電柱に向けて【二十二口径】をブッ放したり、】
【夜になると屋上に登って近所のビルの非常階段の赤いバルブを狙い射ち】したりするんだが、
【パトカーがやってきたことは一度もない】ようだな。かえって、このあたりは盲点なんだ。あんたはどう思う?」
と、軍用コルトの銃口で柴田の脇腹を小突く。
「わかった。なんでも言われた通りにするよ…
------
------------【ベレッタが三万円】の項おしまい------------
-----------↓-1960年末頃猟銃一覧-↓-----------
小林「(猟銃を)【4丁ぐらい持ってた】んすよね」【六畳の方にガンケースがあって】
ホントかな?
「週刊小説」1977年09月09日号『僕の銃歴』より
銃に取得年と連番を付けた。このエッセイでは種類ごとにまとめて書いている。
---
1)1958年 .22LR
僕がまず買ったのはウィンチェスターM52の小口径――二二口径――ライフルであった。…
2)不明 .22LR?
小口径射撃競技銃としては、ワルサーKKMを買ったが、…
3)1960年08月ころ予約 .30カービン
近射用にM一カービンの猟用であるホーワ・カービンを使った。…
4)不明 .30-06
大口径ライフルは、口径三〇-〇六のスプリングフィールドのスポーター改造銃を入手した。…
5)不明
散弾銃は、はじめは上下二連の両引金のやつを使ったが、
6)不明
カモ用の強装弾を発射すると反動で引金に当たって指が腫れあがってしまうので、ウィンチェスターM一二のポンプ式散弾銃に替えた。…
7)不明
どうせ強装弾専用だと自動装填式(いわゆる自動式)FNブローニング五連に替えた。…
8)1960年08月頃許可申請【今度イタリーから来た自動散弾銃の所持許可申請】
山の鳥猟には、自動散弾銃としては世界最軽量と言われたフランキ五連
---
確定してんのは
1)1958年 .22LR
僕がまず買ったのはウィンチェスターM52
8)1960年08月頃許可申請
フランキ五連散弾銃
の2丁。
それと散弾銃が
5)不明
上下二連の両引金のやつ
6)不明
ウィンチェスターM一二のポンプ式散弾銃に替えた。…
7)不明
強装弾専用だと自動装填式(いわゆる自動式)FNブローニング五連に替えた。
のうちのどれか、1丁。
ちゃんと書いてないけど、『ウィンチェスターM70』の執筆用に
4)不明 .30-06 1960年08月大藪 猪猟に凝る
口径三〇-〇六のスプリングフィールドのスポーター改造銃を入手した。…
んんっ? 1958年10月米軍軍曹から購入【スプリングライフル】も
→スプリングフィールドM1903小銃ではないのかね。
あっ。
軍曹からのはスポーター改造していないやつ、だな。
だから、口径三〇-〇六は許可不許可合わせて二丁持っていたのであろう。
んで、来てれば
3)1960年08月ころ予約 .30カービン
近射用にM一カービンの猟用であるホーワ・カービン/豊和M300
2)不明 .22LR?
小口径射撃競技銃としては、ワルサーKKM
これは更に後か。
(ここまで買った順だな)
追補 2021.07.16
※1960年11月09日号 「週刊平凡」
『野獣派作家 大藪春彦の”突然結婚” 婦人記者と作家のロマンス
---引用---
机も本棚も無くたって、いい小説は書ける、という大藪氏にふさわしい六畳間。実用本位、よけいな装飾は何一つ見あたらない。
大きな冷蔵庫とテレビ、それに彼が命の次に――いや、今では竜子さんの次に大事な銃が六丁と、弾薬の入った箪笥ほどの大きなケース。
------
1960年11月に猟銃は六丁あったのよ。
すると、カンタンになる。
ライフルは全部持ちっぱなしだから。
1960年末頃の時点で
許可:6丁
(ライフル4丁 .22LR二丁, .30カービン,.30-06 +散弾銃2丁)
無許可:拳銃2丁+ライフル銃1丁
【青色のペルナンディけん銃二万円】+【スプリングライフル】+【ベレッタが三万円】
実包各種許可+無許可=合計数千発~一万発
を所持していたであろう。
小林【六畳の方にガンケースがあって】「(猟銃を)【4丁ぐらい持ってた】んすよね」
新しいのがどんどん来て、どんどこ増えたから、【4丁ぐらい持ってた】となった訳だ。

1976年04月10日発行『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社
愛用銃1976年初頭現在
1)ドイツ製 ファインベルグハウ・エア・ライフル
2)ドイツ製 アンシュッツ・コンチネンタル22口径ライフル
3)フィンランド製 サコー・308ウインチェスター口径ライフル
4)ベルギー製 FNブローニング自動五連口径30-06
5)ベルギー製 FNブローニング自動四連散弾銃12番径
6)イタリー製 フランキ自動四連散弾銃12番径
---引用---
作品のヒーロー達を彷彿させる、ピカピカに磨きあげられた六丁のライフルをはじめ、大藪氏のところには、大小とりまぜた世界の一流メーカーのナイフや骨割り用のナタ、銃を構えるための特製フレームのサングラス、防寒用の帽子、バックルの逸品がズラリ揃っている。特に履き慣れたワーク・ブーツなど20足はみごとだ。もちろん、初公開!
------
写真とキャプションで
ナイフ五十丁,斧ナタ四丁,スポーツマン・スチール五丁,砥石10本,レーザー・エッジの研ぎ具のナイフ固定器1個,帽子10個,靴15足,サングラス12個,バックル6個、
を公開している。
1978年04月01日号「月刊小説」
『戦士の美酒・苦い酒』インタビューアー井口民樹
---引用---
――無人島で一つだけ携帯が許されるとしたら、やはりガン……?
大藪 (即座に)いえ、ナイフですね。何をつくるにしてもナイフが一丁あれば……。
――現在、所有しているナイフの数は?
大藪 一〇〇丁ぐらいです。種類によって、それぞれ用途が違いますから。
――銃の数は?
大藪 これはいま、うるさいですからね。五丁です。
------
あらら。
一年で猟銃が一丁減っている。
ナイフはねえ。
わたしもたぶん二十丁位は持ってるもんなあ。
一番使うのは、切れなさそうな外見で、実は切れるスイス・アーミーのいっぱい付いてるやつだ。
サコーの.308ウィンは、
1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナでのハンティングに、
手詰めの特製実包とともに持って行って使い、多くのアンテローブ類等を狙撃している。
詳細は『灼熱のサファリ』'83年11月30日初版 徳間書店参照。
本ブログ記事だとこの辺に。
晩年には、
・サコー・フォレスター(引金→射撃練習時アンシュッツ,実猟時カンジャー)
・FNブローニング
・フランキー
の3挺である。
------------1960年末頃猟銃一覧終わり------------
-----------↓-1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』-↓-----------
『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
1960年09月25日号『サディスト』
週刊誌なので、○日号が一週間前に出るとすると、〆切は二週間前の1960年09月11日。
ローマ・オリンピックが1960年9月11日までであるから、ぴったりです。
---
…と、ポケットから、イタリー製ベレッタ・ミンクスと、ウィンチェスターの子会社であるウエスターン製〇・二二ショートの五十発入り弾箱を出し、卓子の上にドスンと置いた。
普通、二二口径といっているのは〇・二二ロング・ライフル弾だ。拳銃にも共通して使える。田辺が出した〇・二二ショート弾は、ライフルにも使えるが、主に室内競技とか自動拳銃の射撃競技用――それもピストル・シルエット――に使われる。薬莢がロング・ライフルよりもだいぶ短く、火薬量も少ない上に弾頭の重量も軽いので、速射してもほとんど銃口がはねあがらず、次射の狙いをつけやすい。むろん、
【銃声は小さく風の強い屋外で射てば、安物のスプリング式空気銃とあまり変らない】。
田辺は、ベレッタ・ミンクス自動拳銃の銃把の弾倉止めを圧し、弾倉室から弾倉を引き抜いた。
その弾倉のバネをサイド・レヴァーで圧縮しておき、ニッケルの薬莢に包まれた可愛らしいほど小さな実包を、次々に八発落していった。
(「八発」は、.25ACPが弾倉に8発なので同じとおもったため誤記。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
銃把の弾倉室に、装填した弾倉を叩きこんだ。遊底を引き、手を放して遊底を閉じさせ、弾倉上端の実包を一発、薬室におくりこんだ。
---
このベレッタ・ミンクスで真美子が逆襲し、田辺の睾丸一個と耳朶を狙撃した。
この記載などからは買ったのは「ベレッタ・ミンクス」とおもいたくなるが、前掲の『GUN教室』の寫眞と、『名のない男』1962年、『ベトナム秘密指令』1965年とで、やっぱベレッタ・ジェット・ファイアーであろう。
持っていたからこその.25ACPなのであって、持ってなかったらそれこそ.22 Shortでいいもんな。『名のない男』,『ベトナム秘密指令』もミンクスだったら.22ショートと迷うが。
------------1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』おしまい------------
-----------↓-1962年連作短編『名のない男』-↓-----------
1962年10月号~1963年09月号まで12回連載「推理ストーリー」
大藪 連作短編『名のない男』第1回『剥かれた街』
主人公「私」の愛銃↓
【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】

---
…脇の下からホルスターをはずし、小型で非常に軽量のベレッタ〇・二五口径自動拳銃モデル九五〇を、ズボンの裾をまくって臑にくくりつけていおいた。
…私のズボンの下に拳銃が隠されていると気づいた者は一人もいないであろう。二五口径のベレッタ・モデル九五〇は掌にスッポリとおさまるほど小さくて軽いのだ。
…いつもは、それを臑にくくりつけたホルスターに隠しているのだ。
…ズボンに隠された臑に、それだけを私が頼りにしている小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径を括りつけてあるのだ。
---
どこかに隠して「【これ、わかんないだろう、これだと】」つーのがキモなのであろう。
主人公の私はベレッタ撃っても基本は至近弾の衝撃波でおどかすだけだ。2回敵の右腕に当てているが描写が精密で無いから略。
---
…いきなり枕を蹴とばされた。私が枕の下に隠してあった小型自動拳銃ベレッタが、鞣し革のホルスターに入ったまま部屋の隅に飛んだ。
---
【ベレッタが三万円】ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇での
【マクラ拳銃】きました。
クルマは目立たぬ外観の茶色の310ブルーバード1200ccだ。丸目2灯のやつだ。
------------1962年『名のない男』おしまい------------
-----------↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓-----------
1964年 初出不明
中編『ベトナム秘密指令』
※1965年01月01日単行本初版なのでこの時期と推定。
拳銃等不法所持で挙げられる直前といったところか。
なお1986年06月角川文庫「スパイに熱い死を」収録以降タイトルが『ヴェトナム秘密指令』となっている。
全編「ベレッタ・ジェットファイア」が、スネ拳銃として大活躍である。
主人公「水野洋治」の愛銃(官給品)↓
【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】
---
(任務に行く準備中)
…磯部は言い、今度は百ドル札の束と小さな自動拳銃を出してテーブルに置いた。拳銃はベレッタ・ジェットファイアの口径二十五。それも銃身わずか二インチ、全長四・七インチ、重量は三百グラムちょっとしかない。それが鞣し革のケース(ホルスター)にひっそりと入っている。ホルスターは肩掛け式や腰吊り式でなく、環式の短いバンドがついていた。
水野は弾倉を抜いて、そのなかに六発の実包がつまっているのを確かめた。
(「六発の実包」は誤記とおもふよ。.25ACPは弾倉に8発。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
磯部は、
「君も知っているようにむこうに行けば弾薬はいくらでも手に入る。もっと威力のある銃もな。だから、この拳銃は純然たる護身用だ。
【足首にでもつけていたら便利だろう。】…
…
(任務地その1タイに着いた)
左の足首の内側の膝寄りにつけているベレッタ・ジェットファイアの小型自動拳銃を外してベッドに突っ込んだ。…
(スネの内側拳銃ですな/マンボ・ズボンはいてたらダメ)
枕の下に拳銃を突っ込み、催眠剤を飲んでベッドにもぐりこんだ。
(マクラ拳銃きました!)
…
水野は左足につけたベレッタ・ジェットファイアの超小型自動拳銃をズボンの裾の上からそっと触れてみた。ホテルを出る前に、薬室にも装填してある。
…
足首から外したベレッタ・ジェットファイアを水野が乾草のベッドに突っ込むのをサリーに気づかれずに済んだ。
…
水野は弓なりに反ったサリーの体を抜けて自分の胸にくいこむ弾の与える衝撃と苦痛に耐えながら、ベレッタの引金を目にもとまらぬ早さで四回絞った。小さな二十五口径の弾薬でも銃身が短いためにかなりの音をたてる。…
素早くズボンをはき、その左右の尻ポケットにホルスターに入ったままのルーガー拳銃とグリース・ガンのもう一本の予備弾倉を突っこんだ。ベレッタ拳銃は脚につける。
(逆襲1回目成功)
…
(任務地その2ベトナム着)
水野が脇の下に吊ったルーガーと足につけたベレッタの弾倉には、すでに昨夜補弾してある。
…
水野は血のめぐりをよくするかのように両手を振った。次の瞬間、足首に隠したベレッタを引き、チャンの心臓を射ち抜いた。倒れかかるチャンの手から火炎放射器のノズルを引ったくり、調節バルブを最大に廻してノズルを左右に払った。
(逆襲2回目成功)
---
よかったよかった。
↓--続きの大藪春彦年表エピローグ部分はここだっ--↓
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
新たな資料入手解析、本稿_増補改訂版とした。
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その1/小林信彦血まみれの証言の部
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その2/血まみれの大藪春彦年表の部_増補改訂版
大藪春彦 うまい具合に 4『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
大藪春彦 うまい具合に 5『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その5/堪えたようなタッチで血まみれの結論的年表
-↓--大藪春彦年表の追補部分
・銃の規制現行法の抜粋
・【ペルナンディけん銃】詳細,
1958年『血の罠』,1958~1959年『醜聞』,1958年『屍を越えて』,
1959年『その罠を噛み破れ』,1959年06月『次は誰だ』,1959年『夜に潜む』,1960年『みな殺しの歌』
1987年『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾ
・【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷など
・1960年末頃の猟銃一覧
以下【ベレッタが三万円】について
・1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
・1962年連作短編『名のない男』
・1964年中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950
・エピローグ部分 など
======↓==大藪春彦年表(追補部分)==↓======
-----------↓-銃の規制 現行法の抜粋-↓-----------
早稲田の射撃部で借り物の銃を撃っていたのはどだったのかつーと。
当時貸し銃が使えたんだな。
不許可の要件
・銃砲刀剣類所持等取締法や火薬類取締法に違反して罰金刑を受けた人は、一定の期間、猟銃や空気銃の所持許可を受けることができない。
・やって良いことと悪いことの区別がつかない人や
【悪いと分かっていることをやってしまう人】などは、猟銃や空気銃の所持許可を受けることができない。
射撃練習
・現に猟銃や空気銃の所持許可を受けていなくても、都道府県公安委員会から練習資格認定証の交付を受けた人は、射撃練習を行うことができる。
※2009年12月03日まで空気銃は、空気銃射撃場に貸し銃つーのがあって、誰でも借りて射撃できた。
わたしの新宿射撃場でのエアライフル射撃もこの例。詳しくはリンク記事参照
朋友の射撃風景↓

※猟銃の貸し銃は制度としては今もあって「練習資格認定証」あれば撃てる。
早稲田の射撃部で標的射撃は、この「練習資格認定証」を取って貸し銃での標的射撃か、または当時「練習資格認定証」不要で貸し銃(射撃部の銃か射場の貸し銃)での標的射撃だ。当時みんなビンボウだったから、カメラ無いヤツが写真部にいたり、ライフル銃が無い射撃部員もいる。
この「射撃練習」と、より規制が強い「所持」とは別。
狩猟の場合はどーしても自前の銃でないといけないので、
『野獣死すべし』で「大金」入った途端に銃を買って、狩猟始めた。
------------銃の規制 現行法終わり------------
-----------↓-【ペルナンディけん銃】,『血の罠』, 『醜聞』,『屍を越えて』,『その罠を噛み破れ』,『次は誰だ』,『夜に潜む』,『みな殺しの歌』,
『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』【ペ】のナゾについて-↓-----------
【ペルナンディけん銃】大藪初出はこれ↓
1958年推定09月~1959年01月の号
「週刊アサヒ芸能」連載 全15回(大藪長編2作目/専業作家のはじまり)
『血の罠』
表記 V・Bベービー
ヴェルナルディリV・Bのオートマチック
---引用---
第5回「殺気」推定1958年10月末号から11月頭号掲載
スーツケースを開いて、そのポケットのジッパーを開き、
【鞣し革のホルスター】に入った
【青色の小さな自動拳銃】と弾薬の入った革サックを抜き出した。
【全長わずか十センチのイタリア製V・Bベービー二十五口径六連発オートマチック】には初めから照星がついていない。全体が掌より小さいため、
【半月状型の引金の部分が大きく見える】。
ベークライト製の銃把と引金の間の安全止を押しさげた田島は、銃把の左後ろについた
【蛇の目模様のボタン】

を圧して遊底被を引き、薬室にウインチェスターのセンター・ファイア弾を一発装填し、スライドをもとに戻した。撃針がスライドの後に突き出して撃発装置になっているのを示している。安全止を押し上げて、銃把の弾倉室から弾倉を引き抜き、五発装填して弾倉室に戻す。
拳銃をホルスターに収めた田島は、ズボンの右裾をまくって、脚に革帯で括りつけた。
(【ペルナンディけん銃二万円】は、いきなりスネ拳銃であった)
…
「そうだ、これ……要るだろう?」新田はポケットから七発入りのルーガーの弾倉と、口径九ミリのレミントン百二十四グレイン弾を三十発近くつかみ出してテーブルの上に置いた。
田島の目が異様に輝いた。一発一発ハンカチで丁寧にぬぐって
【REM-UMC9m/mLUGER と彫られた薬莢の尻】を下にして立てていく。
第7回「火を吐く小銃」1958年11月中頃
その右手はさりげなくV・Bベービーの拳銃を隠した右足の裾にさがっていく。
…
銃声の一瞬前に、田島は体を後によじって転がりながら、右脚にくくった小さな自動拳銃を抜き出した。
…
田島は石の蔭に身を伏せて、安全装置を外した全長4・1/8インチの小さな二十五口径自動拳銃の狙いを七十メーターばかり離れた林につけた。
第8回「疑惑の影」1958年11月下頃
広島のヤクザから捲き上げたV・Bベービーの小さな自動拳銃(オートマチック)は彼の脚にぴったり密着し、靴下止めと変らぬようになった。十四年式軍用拳銃で満点を記録したこともある鋭いカンを感覚が甦った。彼はその小さなオートマチックを自分の五本指の一つのように、正確で自由自在にあやつるようになった。青黒く冷たい光を反射する手慣れた銃器は、もはや一個の物体でなく、意のままに死を送る自分の分身として感じた。
(こんなに気に入っていたのか)
第15回「最後の銃声」1958年12月頃
手錠をかけられた両手が、そろそろと下に垂れ、ズボンの下の右脚につけた小さなV・Bの自動拳銃に這っていった。
…
鋭く小さな銃声とともに、村井は言葉を呑んで、グウッと体中の息を吐きだし、ポツンと真白なシャツにあいた穴から赤いしみの拡がる胃を両手で圧えて身を折り、田島の方に放心したような目をやった。
右脚にかくしてたホルスターから引き抜いた、六連発二十五口径のヴェルナルディリV・Bのオートマチックをテーブルの蔭から持ち上げた。
「気を持たせて悪かったな」深い悲しげな声が喉の奥から出た。それとともに血がこみ上げてきた。
田島は口にたまった血を村井の顔に吐きつけた。手錠のかかった両手の中の、小さな青色の自動拳銃が、五度軽やかに踊り続けた。キラキラ光る小さな空薬莢が薄い煙を吐いて舞い上がった。
肘掛け椅子に縫いつけられた村井の片眼鏡が微塵に飛び散った。左右の目は血しぶきをあげて裂けた。悲鳴を発した喉から声帯が露出した。
田島はV・Bのオートマチックを捨て両手を伸ばして、テーブルの上のルーガーを握った。
------
この
V・Bベービー
ヴェルナルディリV・Bのオートマチック
がだな、
Bernardelli Baby Model
つーやつだ。
欲しかったのだ。
1958年10月頃米軍軍曹殿から買ったのだ。
たぶん青色で二万円なのだ。
おそらくは .22LR 弾倉6発+薬室1発=7発 なのだ。
イタリア人の発音をカタカナで書くと、
【ベルナルデッリ】が一番近いな。
イタリア語は基本ローマ字読みでよい。(いくつか使わないアルファベットがあるゾ)
【ヴェルナルディリ】先頭はBなので「ヴ」はおかしい。でも、ふいんきは一番近いかな。
【べルナルディリー】おしまいは「lli」だから伸ばさない
【ペルナンディ】だから難しかったのよねえ。
Bernardelliの社名は、
Vincenzo Bernardelli S.p.A. という。
拳銃の左側には、例えばBaby Model.22LRの場合で
---
V.BERNARDELLI GARDONE V.T.CAL.22 LONG
MADE IN ITALY
---
って打刻してある。
なぜか Baby とは書いてないな。拳銃にベービーが似合わないからか。
またグリップの右側には「VB」のマークがある。
正確な年月不明なるも、
1960年台の米国雑誌広告に仕様と価格が出ている。
表題には
BERNARDELLI AUTOMATIC PISTOLS と出ている。
仕様は
Coliber: .22 Short,.22 Long,or .25 Auto.
Magazine: .22 Cal.-6 shot: .25 Cal.-5 shot.
Barrel:2+1/8 inches, stationary.
Length: 4+1/8 inches;
Weight 9 ounces;
Sights:Non-projecting;
Stocks;Bake?te;
Safety; Pasitive thumb safety;
Finish: Blued.
--別の情報源↓
全長:106.5mm、
全高:69mm(5連装マガジン使用時)、68.5mm(マガジンなし)
厚さ:20.5mm。
質量:260g(弾薬無し)。
銃身長:53mm
口径:6.35 mm Browningまたは25 acp;
弾倉:通常弾倉5発/オプション弾倉8発
グリップを下に延伸する形状のオプション8発弾倉あり。
本体と同時購入で$3、後から別売りで$4。

(いやだっ、營繕マン、なの)
機構の種類:シングルアクション
胴体左側の安全レバー,チャージャーの安全性
すべてスチール製(バットパッドを除く)
製造年はよくわからないが1945年頃~らしい。
1949年製の現物寫眞はみた。
モデル名と価格の項には
V.B. .22 Short $33.40
V.B. .22 Long $33.40
V.B. .25 Auto $33.40
スペッシャル・デラックス・モデルとして
V.B. BABY .22
With bright ,polished Finish $51.50
With bright polished Finish and deluse hand engraving $61.00
With gold-piated, engraved $81.00
V.B. VEST POCKET .25
With bright ,polished Finish $51.50
With bright polished Finish and deluse hand engraving $61.00
With gold-piated, engraved $81.00
だってさ。
V.B. ○○と呼んでいたんだな。
.22ショート,.22LR,.25ACPとあったわけだ。
また、たぶん関税かかってる外国製拳銃なので高いゾ。
ハンドバック内携帯用にキラキラモデルもあった。
別の雑誌広告

なるほど
1959年【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】
1960年【掌に入るほど小さいヴェルナルディリ】
なの。
中央がキラキラモデル。
さて、
・弾倉収容能力が、.22は6発、.25は5発と差があること、
・『みな殺しの歌』に出てくるのは.22LR六連発であること、
から、実際に買ったのはやっぱ Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long だな。.25 の、5連発はいかにもさびしい。かといって、8連発延長型弾倉にすると【掌に入】らないし、【ソフト拳銃】もできないわ。營繕マンだしね。
.22LRだと弾薬も、大藪1958年購入ウィンチェスターM52用 .22LR がそのまま使える。
ところが
Bernardelli Baby Model (V.B.) .22 Long を買ってマッチ・ターゲット実包つかって四畳半射撃したら、銃身の極短い拳銃のくせに安アパートの壁をカンタンに撃ち抜いた
銃声も↓
1962年07月『野獣都市』 アサヒ芸能出版 単行本化前連載「アサヒ芸能」
「錯覚」
---引用---
と、吐きだすように言うと、ベレッタ小口径自動装填式拳銃で、市原の頬を殴りつけた。…有間はべレッタの撃鉄を起こすと、銃口を市原の睾丸に押しつけて、無造作に引金を絞った。
なるべく
【銃声を消すために、競技用の〇・二二スーパー・マッチ弾を使用】したのだが、長い銃身の小銃で射てば小さな銃声しか出ないその弾も、短い銃身のポケット拳銃から発射されると、オレンジの火箭(ひや)とともに、鋭く吠えた。
------
なかなかうるさいし
ので ↓
【ベレッタが三万円】の時は .22 Short ぢゃああんまりだし、.25 ACPにしてみたが、やっぱ壁をカンタンに撃ち抜いた
つーのは後の話、なの。
ともあれ。
遅くとも1958年10月には【ペルナンディけん銃】が欲しくて買ったのだ。
単純に【ヤクザが売りに来た】という感じではないとおもいなおした、のよね。
2021.09.08追記 まだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がするのでそこにおくゾ↓
1961年05月 『醜聞(スキャンダル)』短編集「野獣死すべし」浪速書房に初収録
表記 【ヴェルナルディリV・B】
なっ、表記もそうだろ。
2022.02.16追記 そのうえしかもまだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がする上、ヤクザが礼金を五千円札で渡しているから1958年の作品であろう。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
1961年01月 『屍を越えて』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
〇・二五口径だしね。
2021.12.15
初出誌確定
1959年02月号「面白倶楽部」光文社
『その罠を噛み破れ』
表記【V・Bベービー】
2021.09.25追記 やっぱ1958~1960年の短編にあった
1959年06月号 小説倶楽部掲載 『次は誰だ』
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
2021.09.11追記 更にまだあった
1961年01月 『夜に潜む』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。
1960年04月17日号『みな殺しの歌』「アサヒ芸能」
表記 【ヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃】
(〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰)
『GUN教室』1966年10月30日初版
連載1961年01月号~1962年12月号「ヒッチコックマガジン」『GUN相談室』
表記 【べルナルディリー・ベイビー】
この寫眞キャプションの「M60」部分は誤り。
M60は一回り大きなやつだ。
---
P73寫眞(訂正書によりP91寫眞を入れ替え)


上:べルナルディリー・ベイビー
左:ベレッタ(M)950Bジェット・ファイアー(.25ACP)
1965年03月01日新聞記事では
表記 【ペルナンディけん銃】
なのです。

なんで、【ペ】になったのかしら?
ひょえー。
まだあったわよ。
1970年 週刊アサヒ芸能連載『奴に手錠を…』
「潜む」
表記 ヴェルナディリ
---引用---
「…イタリーの伯爵号を持っているピエトロ・ヴェルナディリの別荘よ、別荘といっても城だわ」
「ヴェルナディリが、ロワ・ド・フェールのボスなのか?」
…
------
ヴェルナディリつう人名だけで、【ペルナンディけん銃】は出てこないけどね。
んでこの「ヴェルナディリ」なる人物は小説最後まで出てこないんだけどね。
1973年09月 TOKYO BOOKS『沈黙の刺客』
「捕える」
表記 【ヴェルナディリ拳銃】
---引用---
…そして、ジャガーの向こう側に、四つのソフト帽の一部が見えた。
…
両肘と両膝を射ち砕かれて倒れた男は悲鳴をあげ続けていた。近くに転がった
【ソフトのなかに、小型のヴェルナディリ拳銃がテープで留めて】あった。
信原が近づいたとき、油断を見すまして、その拳銃で射とうと考えていたのであろう。
------
たぶん大藪最後の【ソフト拳銃】きました!
1973年といえば、1965年03月01日逮捕から8年。
1969年04月01日猟銃再許可からも4年経過している。
もうソフトかむる人も居なくなっている頃だ。
たぶん「四つのソフト帽の一部が見えた」と書いてしまい、
「ソフト帽」→【ソフト拳銃】→【ヴェルナディリ拳銃】と連想したのであろう。
【ソフト拳銃】であるから、V.B. ○○でキマリだ。
この【ヴェルナディリ拳銃】は拾われも、壊されも、遠くに投げられもせずに、上記の描写だけでおしまいである。
表記一覧
1958年 イタリア製V・Bベービー 『血の罠』
1958年 ヴェルナルディリV・Bのオートマチック 『血の罠』
1958~1959年 ヴェルナルディリV・B 『醜聞(スキャンダル)』
1958年 ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃 『屍を越えて』
1959年02月号 小さなイタリア製V・Bベービー 『その罠を噛み破れ』
1959年06月号 超小型ヴェルナルディリ 『次は誰だ』
1959年 イタリア製ヴェルナルディリ 『夜に潜む』
1960年 ヴェルナルディリ超小型自動拳銃 『みな殺しの歌』
1961年 べルナルディリー・ベイビー 『GUN教室』
1965年 イタリア製のベルナンディ・ブローニング (週刊誌記事)
1965年 イタリア製ピストル「ペルナンディ」 (新聞記事)
1965年 ペルナンディけん銃 (新聞記事)
1965年 ベレッタ (高松の坂○組内での当該イタリアのチャカの通称)
1970年 ヴェルナディリ 『奴に手錠を…』
1973年 小型のヴェルナディリ拳銃 『沈黙の刺客』
こんなにイロイロバラバラぢやあ、わかんねえよな。
2021.09.08追記 まだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がするのよ。
表記も【ヴェルナディリV・B】だし。
1961年05月 『醜聞(スキャンダル)』短編集「野獣死すべし」浪速書房に初収録
※1979年09月30日『殺しは俺の稼業』巻末初出誌一覧でも初出不明である
---引用---
7
スーツケースのポケットは二重底になっていた。安達はそこからヴェルナディリV・Bの拳銃を引きだした。掌にすっぽり入るほど小さな二十五口径六連発自動拳銃だ。【丸い蛇の目模様の安全止め】がついている。…
安達はズボンをまくり上げ、右足に細ヒモでくくりつけた。
(引用註: .25ACPは弾倉5連発。25口径と云っているので、.22LR買って間もなくであろう。ここからも1958~1959年頃の作品だ)
9
トイレに入って足からヴェルナディリV・Bの小さな自動拳銃を外した。スライドを引いて撃発状態にした。細い円筒針の撃針が遊底の後ろに突出た。再び安全ボタンを【回してかけ】、ズボンのポケットに移した。
…
安達は捻った。左に転がりざま銃の安全装置を外した。再び銃火が閃き、安達の膝の近くでパァッと土煙が飛散った。安達は閃光にむけて自動拳銃の【半月形の引金】を絞った。
弾が肉にくいこむ衝撃音と、獣のような悲鳴がもれてきた。左側の男が右手首を射貫かれて拳銃を放りだし、左手で右手首をおさえて地面を転げまわった。
…
安達は腹ばいになり、その拳銃を狙って引金を絞った。
同時に、空き地の左側から続けざまに閃光が死の舌なめずりをした。目の先から打ち飛ばされた拳銃を見て愕然とした男の体がそり返り、地面の上で小きざみに跳ねた。
10
安達はコートのポケットの中で拳銃を握りしめ、落ち着いた足どりで門に近づいた。
…
安達は自分のヴェルナディリを尻ポケットにおさめた。
---引用終わり---
「夜」の描写も、暗くていい感じなのだ。
2022.02.16追記 しかもまだあった
読んだ調子が1958~1959年の気がする上、ヤクザが礼金を五千円札で渡しているから
1958年の作品であろう。
一万円札は1958年12月に発行開始だ。
1961年01月 『屍を越えて』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【ベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃】
---引用---
服の裏のネームでは、その男は高木といった。明は高木の左右の尻ポケットから、平べったいベルナルデイリ〇・二五の超小型拳銃と、ブラック・ジャックを奪った。
…
サッと隠し戸がひきあけられた。大滝は尻のポケットから拳銃を抜きだしながら身を沈めた。明の小さな拳銃と用心棒の巨砲が同時に火を吹いた。ラムのビンが微塵に飛びちった。用心棒が拳銃を投げだし、右肩をおさえて転げまわった。
明は大滝の方に銃口をむけた。
大滝は素早く由美子の肩を左手でつかみ、その腰部に安全止めを外した七・六五ミリのブローニング自動拳銃をおしつけていた。
明と由美子の悲痛な目が空中でからみあった。明の右手は力なくたれさがった。ガシャンと音をたてて拳銃が落ちた。
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やっぱペルナンディけん銃はいい者が使うのであった。
この堪えたようなタッチで、暗い聖俊の傷口を書く感じと、五千円札で、1958年でキマリだ。
この後で、東雲の船の解体場で撃ち合うのよね。
東雲といえば『みな殺しの歌』1960年でおなじみ。
未だクルマの免許なかったのに、よくたどりついたなあ。
2021.12.15初出誌確定
1959年02月号「面白倶楽部」光文社
『その罠を噛み破れ』
表記【V・Bベービー】
---引用---
戦後しばらくは旧日本軍の拳銃がはばをきかせ、しばらくして岩国のベースから広島へ米軍の制式拳銃の分解品が流れ、神戸を伝わって都内にもぐりこんできた。しかし、このところそれは精巧なコルト・スーパー・38、ブローニングFN-32、モーゼルM-32、ルーガーP08などに変ってきた。
【掌に入るように小さなイタリア製V・Bベービー】や、
消音装置つきのまで現れた。一九四四年ヒトラーがナチス親衛隊のためにチェッコで作らせた無音拳銃までが日本に密輸され、国内には百種類を超す拳銃がひしめいている。
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2021.09.25追記 やっぱ1958~1960年の短編にあった
1959年06月号 小説倶楽部掲載 『次は誰だ』
表記 【超小型ヴェルナルディリ】
ラスト近くで唐突に出てくる
---引用---
そして今……。俺は呼びよせた高級パン助の来るのを待っていた。奴らと寝るごとに俺は荒れた。ひっぱたいて前歯をへし折った時もある。
島津の情婦の美智子の冷ややかなまなざしを想いうかべて、無性に腹がたつのだ。
それでも、女は来た。俺の悪名に憧れるのか、あるいは寝る時も脚につけている、超小型ヴェルナルディリの自動拳銃を離さぬ俺にスリルを感じるのか。
…
俺は一瞬にして事態をさとった。サッと膝をついて足につけた自動拳銃に手をのばした。…
しかしその時には、俺の手にヴェルナルディリ三十二口径のオートマチックが安全装置を外されていた。(引用註:誤記。32口径ではいつも脚につけておく訳にはいかない)
俺は尻餅をつきざま身を前に伏せて引金を絞った。明も再び射った。
銃弾はおれの肩口をかすめて壁をふるわせた。
明は、胸に俺の弾を喰い、ダダッっとよろけた。俺は弾倉の尽きるまで、狂気のように七発射ち続けた。(引用註:.22は弾倉に6発。さては不法所持偽装のため.25ACPにすべきところ、このシーンでは7連発のほうがいいので.22を使うことにしたため、筆がよじれてしまい32口径と書いたな)
---引用終わり---
薬室に装填して脚につけてたのか。
サッとかダダッとかの擬態語が出てくるわね。
2021.09.11追記 更にまだあった
1961年01月 『夜に潜む』短編集「縄張り」浪速書房に初収録
表記 【イタリア製ヴェルナルディリ】
表記から「V・B」が消えてるし、一万円札(1958年12月01日発行開始)が自然に出てくるから、『醜聞(スキャンダル)』より後で、且つ1958年12月01日以降で、たぶん1959年の作品である。
---引用---
…その造花の束を捨てて花ビンをひっくり返すと、【青光りした】小型の拳銃が転がり出た。そのあとから、かさばった重い油布が続いた。
拳銃は【イタリア製ヴェルナルディリ】。口径〇・二五インチ、全長わずか四・1/8インチの六連発自動拳銃だ。全体がひどく小さいので【引金の部分がずいぶん大きく見える】。【銃把はベークライト】だ。
江原は油布をひろげた。その中にはレミントンの実包が五十発ほどとスピンドル・オイルの小さな罐が入っていた。
江原は拳銃の遊底被(スライド)を左手で引いた。銃身と遊底の主要部が露出した。江原は銃把の左後ろのボタンを右の親指で圧(お)しつけておいて、【スライドを上にポツンと外した】。遊底部分や引金の爪にオイルを注ぐ。再びスライドを銃にはめこみ、後にひいた。手をはなすと、バネの力でスライドは前に戻り撃発状態になった。引金をひくと、【軽やかに撃針は空をうつ】。
江原は再びスライドを引き、スライド・ストップの掛金をかけ、遊底を開いたままにした。銃身の後ろの薬室に実包をつめようとして考えなおした。安全止めはあっても、暴発のおそれがある。掛金を外してスライドをもとに戻し、銃把の弾倉室から弾倉をひきぬく。
挿弾子の上端から〇・二五の被甲弾を一発ずつ五発つめる。弾倉を弾倉室に【カチンと戻して】、チュッと銃把に接吻した。
卓子の抽出しから幅の広いゴムのバンドを出し、右のズボンの裾をまくって、【臑】にはめる。皮膚とバンドの間に自動拳銃を差し込む。【ピチッと固定】した。
…
江原は素早く行動を開始した。両手首をしばられた手を右膝に走らせ、ズボンの裾をまくりあげて臑につけたヴェルナルディリ小型自動拳銃をひきぬいた。
超小型自動拳銃のスライドを歯でくわえて引いた。歯をはなすと、スライドは弾倉の弾をひっかけて薬室におくりこんだ。【ピチッと音がした】。
金属音を聞きつけた達は、懐中電灯の光をサーッと江原に投げた。罵声を発して懐中電灯をすてた。甲高い音をたててレンズが砕け、一瞬にして闇が襲ってきた。
江原は横に転がった。水道の近くで青白い閃光がひらめいた。銃声はつきぬけるように鋭かった。江原のいたあたりのコンクリートに跳弾の炎が走った。
達は続けざまに射ってきた。削られたコンクリートの破片が江原の頬をさした。発射の閃光を狙って、江原は両手でおおった拳銃の引金を絞った。
銃身が短いだけに、〇・二五の小さな弾でも耳をつんざくような轟音を発した。肉にくいこむ弾の不気味なひびきがつたわった。
達の拳銃は、痙攣するように一,二度舌なめずりした。江原は再び引金を絞った。
…
江原は達のポケットから自分の財布を奪いかえした。ライターが焦げるように熱くなってきた。江原はライターをポケットに落とし、奪ったS・Wを右手に、左手にヴェルナルディリを構えてガレージからとびだした。
…
ワイシャツの下の腹には、目だたぬようにヴェルナルディリ小型自動拳銃を差してある。全弾装填してある。
…
江原の右手は蛇のようにマットの下にのびた。隠してあったヴェルナルディリを抜き出し、素早く安全止めを外しながら引金を絞る。振りむきかけた社長の手からブローニングが快音を発してふッ飛んだ。
社長は痺れた右手をおさえて茫然と突っ立っていた。
江原は左手に持ちかえた拳銃の銃口で社長を威嚇しながら、床に落ちた空薬莢を拾ってポケットに入れた。
---引用終わり---
出てくるのは、青色のヴェルナルディリV・B .25ACP ですな。
1959年の作品でキマリであろう。
花ビンの底から取り出して武装する描写が特にいい感じだ。
1958年~1960年頃の短編には、まだまだ【ペルナンディけん銃】が出て来そうですなぁ。
『みな殺しの歌』「アサヒ芸能」
1960年04月17日号~1960年09月18日号にかけて
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1960年04月17日号『生への渇望』のラスト一行
衣川は銃身で中尉の耳をひっぱたいておき、グローブ・コンパートメントの中を手探りした。掌に入るほど小さいヴェルナルディリ〇・二二口径六連発自動装填式拳銃が隠されてあった。

1960年04月24日号『巣』
「便利なものを持っているじゃないか」
衣川は、左手でグローブ・コンパートメントから引っぱりだした〇・二二口径ヴェルナルディリの超小型自動拳銃を見つめた。
そのイタリア製拳銃は、小さいだけでなく非常に軽かった。銃把はベークライトでできており、銃身も極端に短かった。…
衣川は左手でヴェルナルディリ小型自動拳銃を引っぱり出してみた。遊底の後に撃発を示す示針が突き出していないところを見ると、薬室は空になっている。
銃把の弾倉室から、弾倉を抜いて調べてみると、〇・二二ロング・ライフル・ハイ・スピードの実猟用ホロー・ポイント弾が六発詰まっていた。護身用には十分役立つだろう。
弾倉を弾倉室に戻した衣川は、掌より小さいその超小型自動拳銃をどこに隠そうかと迷った。
ズボンの裾をまくりあげて臑にくくりつけるのもいい。しかし、衣川はソフトを脱ぎ、それをひっくりかえして裏地の縫い目を少しはがした。そこからソフトに小さな自動拳銃をさしこんだ。
ソフトをかぶり直してみた。
【頭上の小さな自動拳銃の重みは、慣れるとほとんど感じない】ほどになった。…
衣川は小型拳銃をひそめたソフトを目深にかぶり、茶褐色のサン・グラスをかけていた。…
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【ソフト拳銃】きました!
この【ソフト拳銃】は、埋立地→貸しボート→巡視艇→釣り船→トヤの間にも、頭上から離れることはなかった。
ヴェルナルディリでの【ソフト拳銃】と【スネ拳銃】は実際に街中で試してみたんじゃないか。
1960年05月08日号『虐殺の原』
大森のベアード自動拳銃を闇の中に蹴りこんだ。(にもかかわらず)
1960年06月05日号『待つ』
胸の高さにまでトヤの囲みがとどいた。頬に潮風が吹きつけ、ソフトを飛ばしそうになった。
1960年06月12日号『待ち射ち』
ソフトを脱いだ。ソフトの裏地に小さなベアード拳銃が隠されてあった。それを引っぱり出した衣川は、ハンティング・コートの脇のポケットにしまった。…
(瞬間的に【ソフト拳銃】がベアードになった/ベレッタだったら間違えなかったであろう)
1960年07月03日号『再び街に』
左手に、残り三羽の鴨の足を束ねた麻紐と、銃ケースに分解して入れたフランキを提げていた。ケースの中には超小型ヴェルナルディリ拳銃を隠したソフトも入れてあった。…
(よかったよかった)
1960年07月10日号『小休止』
そばの卓子には、口径〇・二二インチのヴェルナルディリ超小型自動拳銃を仕込んだソフトが置いてあった。…
1960年07月17日号『決死の密会』
衣川は、かむっていたソフトをそっと左手で脱いだ。ソフトの裏地の裂け目をさぐり、超小型ヴェルナルディリ自動拳銃を引っぱりだした。
〇・二二口径だから、うまくやれば、さほど大きな銃声はしないだろう。衣川は掌に入るほど小さなヴェルナルディリを左手に持ち、親指を逆にそらせて、銃の左側の蛇の目形の安全装置を押しさげた。

カチッ……と安全装置の外れる音がした。
「動くな!」
闇の中から刑事が声をかけた。
(薬室に装填し、撃鉄がコックされ撃発準備位置に後退したまま【ソフト拳銃】にして頭にのせてたんだなあ)
その声を狙って、衣川は発砲した。銃身が短いため、二十二口径でも相当に鋭い発射音がした。銃口から青白い閃光が流れ出た。小さな銃弾は、刑事の開いた口から入り、下顎を砕いて頬骨でとまった。
…衣川は左手のヴェルナルディリを、刑事の肩に押しつけるようにして引金を絞った。圧迫された銃声は小さかった。エジェクターで遊底からはじきだされた小さな空薬莢が、ピーンと金属製の音をたてた。
刑事は二,三センチ後にはねとばされ、そのまま動かなくなった。鎖骨の上から入った弾が内蔵を破壊したらしい。…
そのとき初めて、自分がまだ左手にヴェルナルディリ拳銃を持っているのに気がついた。安全装置をかけ、急いでソフトの裏におさめた。…
1960年08月14日号『十字火』
目深にかむったソフトが吹きとびそうになり、裏地の中に隠した超小型ヴェルナルディリ自動拳銃の重量に救われてかすかに頭にまとわりついていた。
「………」
衣川はくいしばった歯の間から罵声を漏らした。跳ねあがる白バイのハンドルから器用に左手をはずし、ソフトを掴んで背広の下に押し込んだ。…
ヴェルナルディリ小型銃をひそめたソフトだけは、制服の腹の下にしまい、拳銃吊りのベルトを締めた。…
1960年08月28日号『水面の花』
腰に吊った警官のS&W拳銃、制服の下に突っ込んだヴェルナルディリ超小型拳銃入りのソフト、ポケットから出したコルト・ディテクチヴ・スペッシャル拳銃などを、ヘルメットの中に落した。
1960年09月18日号『蝋燭と女』
そのヘルメットには――S&W四十五口径、ヴェルナルディリ超小型〇・二二口径、コルト・ディテクチヴ・スペッシャルの三つの拳銃と、弾薬などが入っていた。
【ヴェルナルディリをのぞく拳銃は革ケースにおさめられていた】。…
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1960年09月18日号のこの部分がヴェルナルディリつー語出てくる最後。以後は「数丁の拳銃と弾薬」とくくられる。
次章『サディスト』1960年09月25日号の執筆時【ベレッタが三万円】買っちゃったから、ベレッタ・ミンクスなどが出てくるわよ。
結局【ペルナンディけん銃二万円】用のホルスターの有無は不明だ。
【ペルナンディけん銃】は1960年まで主人公の護身用としてのみ登場している。
んで、1960年09月10日頃【ベレッタが三万円】を買うので、それ以降は1973年『沈黙の刺客』に相手の武器として出てくるだけだ。
◆ついに判明!!2021.07.21
【ペルナンディけん銃】【ペ】のナゾ
【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】からであった。
↓
1987年07月13日発行
『続・極道 もうひとつの家族の家長たち』そえじまみちお著 ピラミッド社
「讃岐の侠気/TTTT」(TT氏は1987年当時、高松の坂○組三代目組長)
1987年に1962年~1965年のことを訊ねているから、話されている記憶と、事実が異なっている箇所有り。
せっかくなので引く。
1965年当時、坂○組二代目組長はBB、記事では親爺。
組長BBが、大藪の友人AAから【ペルナンディけん銃】を七万円で買った。
後、組長BBは組員CCに【ペルナンディけん銃】を譲渡。
インタビューされてる人物は、当時それらをそばで見ていた坂○組組員TT当時25歳。
読みやすさのため、適当に改行を入れる。
---引用---
「大藪春彦の拳銃事件がありましたやろ。あれ、うちが咬んでいて、組を解散させられてるんですわ。
この人(引用註:大藪)は高松の出身ですわ。この先生もうちの親爺(引用註:二代目組長)の時代に組織のこといろいろ訊きに来よったですよ。そやから一回、以前に本になっとりますわ。
そーゆーようなことで関わり合いになって、この人がイタリアのチャカ(=拳銃)持って来たわけやね。
初め(引用註:大藪が逮捕直後はの意)、千葉の沖のなに云うんかな、千葉の海岸に放ったと言いよったらしいんですけど、
やっぱりこっちは阿呆ではないわな、警察も。問い詰めたらやっぱしこっちへ廻しとったと。それでなかったらこっちから挙がった品物が合わんわけよね。
普通では入らんようなルートから……日本では三つしかない言いよったからね。ベルナンディ云うて十五連発やった。
で、この香川県警ではベレッタ、ベレッタ言いよったんよ。ワシ等もな。英語(イタリア語?)よう読まんから我々はベルナンディと書いとんのをやな、誰ぞがな、中途半端に知っとんのがベレッタ言いよったん。
して、
【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】。初めて見る拳銃やから…。東京の警視庁持って行って、初めて日本に三つしかないベルナンディやて分ったんよ。
大きかったですけど軽いですわな。だからポケットに入れとっても、どもないわ。
で、そー云うような事件で親爺(引用註:二代目組長)やなんか…大方、十人ぐらいが関連して皆もっていかれてますわ」
「そん時、(警察は)組を解散するなら親爺(引用註:二代目組長)の保釈を認める言うて、それを姐さんが承知したんです。高松を二分した坂○組解散って、新聞に大きく出ましたわ。昭和四十年(1965年)の十月でしたな」
昭和三十九年(1964年)一月、警視庁の第一次組織暴力取締頂上作戦が始まり、組織の中心人物の検挙、資金断絶、凶器摘発強化、対立抗争早期鎮圧を展開していた最中の解散ということになる。
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事実と異なる箇所
・二代目組長BBと大藪の面識があった点
・二代目組長BBに大藪が取材に来て、作品に書いた点
無しだろ。
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2022.10.23 追記
二代目組長BBに【ペルナンディけん銃】を七万円で売りに来た大藪の友人AAを大藪と思い込んでいるのであろう。
【そやから一回、以前に本になっとりますわ】↓
AAに取材し、四国K県T市坂田組を舞台にした
1962年07月27日 「漫画ストーリー」双葉社
『腐った罠』
のことであろう。
この小説があったため、更にAAを大藪と思い込んでいるのだ。
あるいはAAが「自分が大藪である」と詐称した可能性もあろう。
---
・大藪が二代目組長BBにチャカ持ってきた点
・初め千葉の海に捨てたと供述していたという点
これは1965年03月の新聞記事,週刊誌記事から誤りとわかる。
チャカ持ってきたのは、大藪の友人AAである。
また捜査は、けん銃の流れのルートを逆にたどっているから、
組員CC→組長BB→友人AA→大藪の順にタイホなのだ。
・ベルナンディ云うて十五連発やった。
ええー。
・大きかったですけど軽いですわな。
軽いのはそうだが。何かと記憶が混ざってるな。
事実らしい点とかおもろい点
・うちの親爺(二代目組長)の時代に組織のこといろいろ訊きに来よったですよ。
友人AAと二代目組長は、ある程度の頻度で会っていたんだな。
・そやから一回、以前に本になっとりますわ
前述した。
・普通では入らんようなルートから……
組のみなさんは、米軍軍曹とか少尉とかとは交流してなかったようだ。
・日本では三つしかない言いよったからね
友人AAが二代目組長BBに、【ペルナンディけん銃】を7万円で売りに来たときのセールス・トークであろう。
7万円は高い。
・ベルナンディと書いとんのをやな、誰ぞがな、中途半端に知っとんのがベレッタ言いよったん。
組内部では、通称【ベレッタ】だったようだ
・◆【県警もな、ベルナンディ云うんをよう読まんかった】
だから【ペルナンディけん銃】なのか!
・日本では三つしかない言いよったからね。
まーねえ。めずらしいよね。
・だからポケットに入れとっても、どもないわ。
ソフトに入れてもどもないゾ。
・親爺やなんか…大方、十人ぐらいが関連して皆もっていかれてますわ
なるほどねえ。
坂○組二代目組長BBと組員CCが、そのうちの二人である。
1964年01月
警視庁第一次組織暴力取締頂上作戦開始
組織の中心人物の検挙、資金断絶、凶器摘発強化、対立抗争早期鎮圧
これによって、
↓ 凶器摘発強化
1965年02月14日
↓坂○組組員CC方家宅捜索,【ペルナンディけん銃】発見押収
及び組員CC逮捕
↓ 組織の中心人物の検挙
1965年02月14日CC方家宅捜索と同日か
↓坂○組二代目組長BB逮捕(上記記事では親爺と呼ばれている人)
1965年02月末まで ↓
↓大藪の友人AA(?組員?)逮捕 ↓
1965年03月01日 ↓解散したら保釈してやる
大藪春彦逮捕 ↓姐さんが承知した
1965年10月 坂○組解散(二代目)
となったわけね。
------------【ペルナンディけん銃】の項おしまい------------
-----------↓-【ベレッタが三万円】の妥当性,国家公務員の初任給の変遷-↓-----------
【ベレッタが三万円】が高いか安いかをみよう。
『GUN教室』1966年10月30日初版に
「オズワルドが銃を購入する時、利用した銃の通信販売広告」が載っている。

ドイツ製ルーガーP08 $39.95
ドイツ製ワルサーP38 $34.95
寫眞が小さいのは印刷がつぶれてて型式がよくわからないが、
自動式拳銃で$17.95~59.95
輪胴式拳銃で$14.95~39.95
である。
この広告のドイツ製拳銃には、
米国の広告なので関税がかかってるであろう。
内国製自動式拳銃であれば$20~30かな。
各国でも同様とすると、
イタリア国内では
ベレッタが高くても$20~30(小型拳銃だから安いとおもふが)
ペルナンディ拳銃は$15~20(メーカー品でないから相当安いとおもふぞ)
この程度とみる。
『探偵事務所23』1962年に当時のヤミドルの相場がかいてある。
$1=¥380 だったそうな。
(公式には$1=¥360)
当時円ドルは固定相場であったから、
大藪が拳銃を買った=ヤクザがイタリアで仕入れた1960年にも同じだったであろう。
するとイタリアでヤクザが仕入れたときの価格は、
ヤミドル円換算
ベレッタM950 .25(ベレッタ・ジェット・ファイア)
$20~30→¥7,600~11,400-
ペルナンディ拳銃
$15~20→¥5,700~7,600-
であろう。
すんと、
【ベレッタが三万円】は、
推定仕入れ¥7,600~11,400-
販売¥30,000-
なので、ざっくり3倍にはなっている。
ヤクザ屋ならこんなものであろう。
ペルナンディ拳銃は、
推定仕入れ¥5,700-~7,600-
2021.07.16 修正↓
販売 ¥20,000-
推定は正確であった。
結論として
【ベレッタが三万円】という小林証言は正確だなあ。
---
補記
『人狩り』1962年10月初版新潮社ポケットライブラリー
(初出不明だけど、1962年の春頃ぢやないかな)
ヘロイン入手。
仕入れ価格が出てくる。
---引用---
「俺たちも、御多分にもれず麻薬を扱っている。取引きの直接の相手は柴田という日本人のブローカーだが、その上のほうは台湾系の大物だ」
…
(取引き)
弁当箱のような包を受けとった三波は、それを開いてみた。金属製の箱のなかに、百グラム入りの缶が十個おさまっている。
…
(閃光隠却器(フラッシュ・ハイダー)が見えたので逆襲。金を取り返す)
三波は再びバッグを開いた。百万ずつの札束をテーブルに積み、
「一千万ある。山分けで五百万ずつだ」
と、瞳を異様に輝かせた。
------
ヘロイン100g*10=1000gで一千万円だから、
一万円/グラムである。
米軍中尉からヘロインを代金代わりとして、
M1911 .45ACP(GIコルト)を入手する。
拳銃とヘロインの交換レートが出てくる。
取引1回目。
---引用---
「何丁だ?」
金網をへだてて、石橋は英語で中尉に低く尋ねた。
「一ダースと、弾薬が千発。一度にこれ以上は無理だ」
両手に掲げていた荷を降ろした中尉は、黒人特有のしゃがれた低音で答えた。
「仕方ない。次の仕事を、できるだけ早く頼む。電話で連絡するからな。これが報酬だ。五十グラムもある。あんたにとって、こんな有利な取引は無いはずだ」
石橋は無造作に、内ポケットから、ふくらんだゴムの袋を出し、金網の目から中尉に差し出した。
中尉は、飢えたけものが肉片にとびつくような唸りを漏らして、それをひったくった。ゴムの袋の口を開いてヘロインを鼻で嗅ぎ、長い満足の吐息をついた。
------
米軍の軍曹だの少尉だのは、拳銃を売ってくれるのだな。
ヘロインは一万円/グラムであるから、
ヘロイン50g=50万円=GIコルト12丁+弾薬千発
弾薬を12丁で均等割にすると、
GIコルト1丁+弾薬83発≒四万二千円となる。
取引2回目。
---引用---
「奴はどのくらい要求してきてるんですか?」
「二百グラム……拳銃五十丁に対してだ」
張本は吐きだすように言った。
「すると、薬の仲値から計算しても、一丁四万円といったところですな。安くない買物になりそうだ」
「無茶だ。拳銃が欲しくてウズウズしてても手に入れることができない連中には、一丁が十万でも高くないだろうけどな」
------
弾無しGIコルトが四万円で「安くない」のだそうな。
これがあんまり高いので、取引後に中尉を殺すことにした。
あんまり長くてつかれたので、ガッツ・ワンとぴぴんHを飲もう。
もう1箇所ある。
この五十丁の半分を横流しするシーン。
こちらの組は武装に苦労している。
---引用---
「拳銃(ハジキ)をまとめて買いたいとおもわないか? 米軍から直接流れてきた四十五口径だ」
水野は言った。
「何丁?」
小野寺は尋ねた。くわえたタバコに火もつけずに水野の返事を待つ。
「二十五丁。これだけまとまれば、あんたの組の平幹部にも全部行き渡るんじゃないかな?」
「値段は?」
「大きくまけて、一丁五万ではどうだ? ポンコツと違って立派に命中し、殺傷力だって減ってない銃だぜ」
「弾を十発ずつつけるんなら、その値でいい。だけど、弾(こども)なしじゃあ、一丁三万といったところだな」
小野寺は言って、タバコに火をつけた。
「よし、弾なしで一丁四万。それが嫌なら、大和興行に渡す」
水野は吐きだすように言った。
「買った。いつ渡してくれるんだ?」
------
弾なしの新品GIコルトで四万。
数は揃ってるけどね。
なお、弾十発付きなら一丁五万で買うと云っているが、駆け引きもあるからなあ。
おそらく新品GIコルトはこの1962年頃には、
武装に困ってないところで弾無し一丁三万,弾十発程度付き一丁四万、
すぐに欲しいところで弾無し一丁四万,弾十発付き一丁五万、
くらいだったのではないか。
なので
武装に困ってない大和興行では、弾無し一丁四万が高い故、中尉を殺すことにしたのであろう。
しかもクスリは仕入れ価格計算だしね。
取引1回目の「GIコルト1丁+弾薬83発≒四万二千円」が
適価~弾が一丁につき50発程度お得、くらいであろう。
『探偵事務所23』1962年『第三話 死の商人』
当時米国統治下の沖縄から雷管五千発分を密輸してることの説明
---引用---
今の暴力団は、拳銃は持っていても弾が足りなくて困ってる。高く売れるよ。何しろ薬莢は米軍の射撃場にいけばカマスで何杯でも拾ってこれるし、弾丸は鋳型で作れるから原価は一発二十円もあればいいんだが、それでも奴等は一発五百円、千円でも、金に糸目をつけづに買いあさる…
---
とも書いてあるから、
ルートと相手によるが、
弾10~20発で一万円することもありうる訳だ。
まっ、にしても
【ベレッタが三万円】は、やっぱいい感じだなあ。
なお、こちらは小型拳銃なので、
ベレッタM950+ショルダー・ホルスター+弾10発=三万円
つー感じだったのではないかね。
---↓---------統計をみてみよう------------
小林信彦証言によると、
1960年当時の月給 ヒチコックマガジン編集長 \15,000-
以下「国家公務員の初任給の変遷(行政職俸給表(一)) - 人事院」より
1960年04月の国家公務員初任給 大卒程度 上級\10,800-
同 国家公務員初任給 短大卒程度 中級\8,400-
同 国家公務員初任給 高卒程度 初級\7,400-
1961年04月 国家公務員初任給 大卒程度 上級(甲)\12,900-
同 国家公務員初任給 大卒程度 上級(乙)\12,000-
同 国家公務員初任給 短大卒程度 中級\9,300-
同 国家公務員初任給 高卒程度 初級\8,300-
1962年04月 国家公務員初任給 大卒程度 上級(甲)\15,700-
同 国家公務員初任給 大卒程度 上級(乙)\14,700-
同 国家公務員初任給 短大卒程度 中級\12,200-
同 国家公務員初任給 高卒程度 初級\11,000-
である。
金額が毎年急激に上昇していたんだなぁ。
1960年当時の工場主の話では、
材料を加工すると出てくる一ヶ月分のキリコ(スクラップ)を売ると月に20万円になり、
おどろく勿れ職人全員(十数人)の一ヶ月分の給料が丸々出たつー逸話を聞いたこともある。
この時の平均月給は\200,000-/15人(として)=\13,300-/人
こうくれば、当然にこれ↓
『これが男の生きる道』1962年
作詞 青島幸男
作曲 萩原哲晶
歌唱 植木等
2番に有名な歌詞が出てくるゾ
---引用---
貰う月給は 一万なんぼ
---
以上から、
1960年~1962年頃の感覚では、
平均的な20代の月給は小林証言の\15,000-でこぼこだ。
すると、
【ベレッタが三万円】は平均的な若者の月給のざっくり二ヶ月分である。
今にゴーインに換算すると一丁30~40万円ということろではないかな。
なので当時の若者にとっては決して安くはない。
ただし、
当時若者でも一発当てるとがっぽり来る時代だったし、
街の商店主とか工場主/つまりその辺の旦那でも、なかなかに現金持っていたんだよね。
事実、往時旦那衆の間で、猟銃による狩猟が大流行してた。
当時のガンブームでは、主に旦那衆の中間層は実銃を買い、
若者は雑誌とモデルガンを買っていたのであろう。
大藪は、金銭的には旦那化したのであるから、当然に実銃いろいろ買い込むよなあ。
--------
補記の補記
『人狩り』1962年10月初版新潮社ポケットライブラリー
には、こーゆー記載もある。
---引用---
「俺の友達がこの近くでビルの管理人をしている。この頃、猟にこりはじめてな。
【鉄砲を射つのが面白くてしようがない時期なんだ。】
それで、
【真っ昼間から電柱に向けて【二十二口径】をブッ放したり、】
【夜になると屋上に登って近所のビルの非常階段の赤いバルブを狙い射ち】したりするんだが、
【パトカーがやってきたことは一度もない】ようだな。かえって、このあたりは盲点なんだ。あんたはどう思う?」
と、軍用コルトの銃口で柴田の脇腹を小突く。
「わかった。なんでも言われた通りにするよ…
------
------------【ベレッタが三万円】の項おしまい------------
-----------↓-1960年末頃猟銃一覧-↓-----------
小林「(猟銃を)【4丁ぐらい持ってた】んすよね」【六畳の方にガンケースがあって】
ホントかな?
「週刊小説」1977年09月09日号『僕の銃歴』より
銃に取得年と連番を付けた。このエッセイでは種類ごとにまとめて書いている。
---
1)1958年 .22LR
僕がまず買ったのはウィンチェスターM52の小口径――二二口径――ライフルであった。…
2)不明 .22LR?
小口径射撃競技銃としては、ワルサーKKMを買ったが、…
3)1960年08月ころ予約 .30カービン
近射用にM一カービンの猟用であるホーワ・カービンを使った。…
4)不明 .30-06
大口径ライフルは、口径三〇-〇六のスプリングフィールドのスポーター改造銃を入手した。…
5)不明
散弾銃は、はじめは上下二連の両引金のやつを使ったが、
6)不明
カモ用の強装弾を発射すると反動で引金に当たって指が腫れあがってしまうので、ウィンチェスターM一二のポンプ式散弾銃に替えた。…
7)不明
どうせ強装弾専用だと自動装填式(いわゆる自動式)FNブローニング五連に替えた。…
8)1960年08月頃許可申請【今度イタリーから来た自動散弾銃の所持許可申請】
山の鳥猟には、自動散弾銃としては世界最軽量と言われたフランキ五連
---
確定してんのは
1)1958年 .22LR
僕がまず買ったのはウィンチェスターM52
8)1960年08月頃許可申請
フランキ五連散弾銃
の2丁。
それと散弾銃が
5)不明
上下二連の両引金のやつ
6)不明
ウィンチェスターM一二のポンプ式散弾銃に替えた。…
7)不明
強装弾専用だと自動装填式(いわゆる自動式)FNブローニング五連に替えた。
のうちのどれか、1丁。
ちゃんと書いてないけど、『ウィンチェスターM70』の執筆用に
4)不明 .30-06 1960年08月大藪 猪猟に凝る
口径三〇-〇六のスプリングフィールドのスポーター改造銃を入手した。…
んんっ? 1958年10月米軍軍曹から購入【スプリングライフル】も
→スプリングフィールドM1903小銃ではないのかね。
あっ。
軍曹からのはスポーター改造していないやつ、だな。
だから、口径三〇-〇六は許可不許可合わせて二丁持っていたのであろう。
んで、来てれば
3)1960年08月ころ予約 .30カービン
近射用にM一カービンの猟用であるホーワ・カービン/豊和M300
2)不明 .22LR?
小口径射撃競技銃としては、ワルサーKKM
これは更に後か。
(ここまで買った順だな)
追補 2021.07.16
※1960年11月09日号 「週刊平凡」
『野獣派作家 大藪春彦の”突然結婚” 婦人記者と作家のロマンス
---引用---
机も本棚も無くたって、いい小説は書ける、という大藪氏にふさわしい六畳間。実用本位、よけいな装飾は何一つ見あたらない。
大きな冷蔵庫とテレビ、それに彼が命の次に――いや、今では竜子さんの次に大事な銃が六丁と、弾薬の入った箪笥ほどの大きなケース。
------
1960年11月に猟銃は六丁あったのよ。
すると、カンタンになる。
ライフルは全部持ちっぱなしだから。
1960年末頃の時点で
許可:6丁
(ライフル4丁 .22LR二丁, .30カービン,.30-06 +散弾銃2丁)
無許可:拳銃2丁+ライフル銃1丁
【青色のペルナンディけん銃二万円】+【スプリングライフル】+【ベレッタが三万円】
実包各種許可+無許可=合計数千発~一万発
を所持していたであろう。
小林【六畳の方にガンケースがあって】「(猟銃を)【4丁ぐらい持ってた】んすよね」
新しいのがどんどん来て、どんどこ増えたから、【4丁ぐらい持ってた】となった訳だ。

1976年04月10日発行『別冊新評 大藪春彦の世界』新評社
愛用銃1976年初頭現在
1)ドイツ製 ファインベルグハウ・エア・ライフル
2)ドイツ製 アンシュッツ・コンチネンタル22口径ライフル
3)フィンランド製 サコー・308ウインチェスター口径ライフル
4)ベルギー製 FNブローニング自動五連口径30-06
5)ベルギー製 FNブローニング自動四連散弾銃12番径
6)イタリー製 フランキ自動四連散弾銃12番径
---引用---
作品のヒーロー達を彷彿させる、ピカピカに磨きあげられた六丁のライフルをはじめ、大藪氏のところには、大小とりまぜた世界の一流メーカーのナイフや骨割り用のナタ、銃を構えるための特製フレームのサングラス、防寒用の帽子、バックルの逸品がズラリ揃っている。特に履き慣れたワーク・ブーツなど20足はみごとだ。もちろん、初公開!
------
写真とキャプションで
ナイフ五十丁,斧ナタ四丁,スポーツマン・スチール五丁,砥石10本,レーザー・エッジの研ぎ具のナイフ固定器1個,帽子10個,靴15足,サングラス12個,バックル6個、
を公開している。
1978年04月01日号「月刊小説」
『戦士の美酒・苦い酒』インタビューアー井口民樹
---引用---
――無人島で一つだけ携帯が許されるとしたら、やはりガン……?
大藪 (即座に)いえ、ナイフですね。何をつくるにしてもナイフが一丁あれば……。
――現在、所有しているナイフの数は?
大藪 一〇〇丁ぐらいです。種類によって、それぞれ用途が違いますから。
――銃の数は?
大藪 これはいま、うるさいですからね。五丁です。
------
あらら。
一年で猟銃が一丁減っている。
ナイフはねえ。
わたしもたぶん二十丁位は持ってるもんなあ。
一番使うのは、切れなさそうな外見で、実は切れるスイス・アーミーのいっぱい付いてるやつだ。
サコーの.308ウィンは、
1980年08月~10月 アフリカ 南ア~ボツアナでのハンティングに、
手詰めの特製実包とともに持って行って使い、多くのアンテローブ類等を狙撃している。
詳細は『灼熱のサファリ』'83年11月30日初版 徳間書店参照。
本ブログ記事だとこの辺に。
晩年には、
・サコー・フォレスター(引金→射撃練習時アンシュッツ,実猟時カンジャー)
・FNブローニング
・フランキー
の3挺である。
------------1960年末頃猟銃一覧終わり------------
-----------↓-1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』-↓-----------
『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』
1960年09月25日号『サディスト』
週刊誌なので、○日号が一週間前に出るとすると、〆切は二週間前の1960年09月11日。
ローマ・オリンピックが1960年9月11日までであるから、ぴったりです。
---
…と、ポケットから、イタリー製ベレッタ・ミンクスと、ウィンチェスターの子会社であるウエスターン製〇・二二ショートの五十発入り弾箱を出し、卓子の上にドスンと置いた。
普通、二二口径といっているのは〇・二二ロング・ライフル弾だ。拳銃にも共通して使える。田辺が出した〇・二二ショート弾は、ライフルにも使えるが、主に室内競技とか自動拳銃の射撃競技用――それもピストル・シルエット――に使われる。薬莢がロング・ライフルよりもだいぶ短く、火薬量も少ない上に弾頭の重量も軽いので、速射してもほとんど銃口がはねあがらず、次射の狙いをつけやすい。むろん、
【銃声は小さく風の強い屋外で射てば、安物のスプリング式空気銃とあまり変らない】。
田辺は、ベレッタ・ミンクス自動拳銃の銃把の弾倉止めを圧し、弾倉室から弾倉を引き抜いた。
その弾倉のバネをサイド・レヴァーで圧縮しておき、ニッケルの薬莢に包まれた可愛らしいほど小さな実包を、次々に八発落していった。
(「八発」は、.25ACPが弾倉に8発なので同じとおもったため誤記。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
銃把の弾倉室に、装填した弾倉を叩きこんだ。遊底を引き、手を放して遊底を閉じさせ、弾倉上端の実包を一発、薬室におくりこんだ。
---
このベレッタ・ミンクスで真美子が逆襲し、田辺の睾丸一個と耳朶を狙撃した。
この記載などからは買ったのは「ベレッタ・ミンクス」とおもいたくなるが、前掲の『GUN教室』の寫眞と、『名のない男』1962年、『ベトナム秘密指令』1965年とで、やっぱベレッタ・ジェット・ファイアーであろう。
持っていたからこその.25ACPなのであって、持ってなかったらそれこそ.22 Shortでいいもんな。『名のない男』,『ベトナム秘密指令』もミンクスだったら.22ショートと迷うが。
------------1960年『凶銃ワルサーP38〈続みな殺しの歌〉』おしまい------------
-----------↓-1962年連作短編『名のない男』-↓-----------
1962年10月号~1963年09月号まで12回連載「推理ストーリー」
大藪 連作短編『名のない男』第1回『剥かれた街』
主人公「私」の愛銃↓
【小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇】

---
…脇の下からホルスターをはずし、小型で非常に軽量のベレッタ〇・二五口径自動拳銃モデル九五〇を、ズボンの裾をまくって臑にくくりつけていおいた。
…私のズボンの下に拳銃が隠されていると気づいた者は一人もいないであろう。二五口径のベレッタ・モデル九五〇は掌にスッポリとおさまるほど小さくて軽いのだ。
…いつもは、それを臑にくくりつけたホルスターに隠しているのだ。
…ズボンに隠された臑に、それだけを私が頼りにしている小型自動拳銃ベレッタ〇・二五口径を括りつけてあるのだ。
---
どこかに隠して「【これ、わかんないだろう、これだと】」つーのがキモなのであろう。
主人公の私はベレッタ撃っても基本は至近弾の衝撃波でおどかすだけだ。2回敵の右腕に当てているが描写が精密で無いから略。
---
…いきなり枕を蹴とばされた。私が枕の下に隠してあった小型自動拳銃ベレッタが、鞣し革のホルスターに入ったまま部屋の隅に飛んだ。
---
【ベレッタが三万円】ベレッタ〇・二五口径モデル九五〇での
【マクラ拳銃】きました。
クルマは目立たぬ外観の茶色の310ブルーバード1200ccだ。丸目2灯のやつだ。
------------1962年『名のない男』おしまい------------
-----------↓-1964年? 中編『ベトナム秘密指令』とベレッタM950-↓-----------
1964年 初出不明
中編『ベトナム秘密指令』
※1965年01月01日単行本初版なのでこの時期と推定。
拳銃等不法所持で挙げられる直前といったところか。
なお1986年06月角川文庫「スパイに熱い死を」収録以降タイトルが『ヴェトナム秘密指令』となっている。
全編「ベレッタ・ジェットファイア」が、スネ拳銃として大活躍である。
主人公「水野洋治」の愛銃(官給品)↓
【ベレッタ・ジェットファイアの二十五口径】
---
(任務に行く準備中)
…磯部は言い、今度は百ドル札の束と小さな自動拳銃を出してテーブルに置いた。拳銃はベレッタ・ジェットファイアの口径二十五。それも銃身わずか二インチ、全長四・七インチ、重量は三百グラムちょっとしかない。それが鞣し革のケース(ホルスター)にひっそりと入っている。ホルスターは肩掛け式や腰吊り式でなく、環式の短いバンドがついていた。
水野は弾倉を抜いて、そのなかに六発の実包がつまっているのを確かめた。
(「六発の実包」は誤記とおもふよ。.25ACPは弾倉に8発。.22ショートは弾倉6発つー情報と7発つー情報がある)
磯部は、
「君も知っているようにむこうに行けば弾薬はいくらでも手に入る。もっと威力のある銃もな。だから、この拳銃は純然たる護身用だ。
【足首にでもつけていたら便利だろう。】…
…
(任務地その1タイに着いた)
左の足首の内側の膝寄りにつけているベレッタ・ジェットファイアの小型自動拳銃を外してベッドに突っ込んだ。…
(スネの内側拳銃ですな/マンボ・ズボンはいてたらダメ)
枕の下に拳銃を突っ込み、催眠剤を飲んでベッドにもぐりこんだ。
(マクラ拳銃きました!)
…
水野は左足につけたベレッタ・ジェットファイアの超小型自動拳銃をズボンの裾の上からそっと触れてみた。ホテルを出る前に、薬室にも装填してある。
…
足首から外したベレッタ・ジェットファイアを水野が乾草のベッドに突っ込むのをサリーに気づかれずに済んだ。
…
水野は弓なりに反ったサリーの体を抜けて自分の胸にくいこむ弾の与える衝撃と苦痛に耐えながら、ベレッタの引金を目にもとまらぬ早さで四回絞った。小さな二十五口径の弾薬でも銃身が短いためにかなりの音をたてる。…
素早くズボンをはき、その左右の尻ポケットにホルスターに入ったままのルーガー拳銃とグリース・ガンのもう一本の予備弾倉を突っこんだ。ベレッタ拳銃は脚につける。
(逆襲1回目成功)
…
(任務地その2ベトナム着)
水野が脇の下に吊ったルーガーと足につけたベレッタの弾倉には、すでに昨夜補弾してある。
…
水野は血のめぐりをよくするかのように両手を振った。次の瞬間、足首に隠したベレッタを引き、チャンの心臓を射ち抜いた。倒れかかるチャンの手から火炎放射器のノズルを引ったくり、調節バルブを最大に廻してノズルを左右に払った。
(逆襲2回目成功)
---
よかったよかった。
↓--続きの大藪春彦年表エピローグ部分はここだっ--↓
大藪春彦 うまい具合に『枕にベレッタ 四畳半に抜き撃ち』 その4/凶銃の血まみれのエピローグ続き_増設版
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