ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

空母「ホーネット」艦橋ツァー〜アングルド・デッキ

2015-05-13 | 軍艦

アメリカの西海岸、サンフランシスコの対岸にあるアラメダに係留されて
博物館となっているエセックス級航空母艦「ホーネット」。

ここアラメダにはかつてアメリカ海軍の航空基地がありましたが、
今は閉鎖されてこの場所は当時の建物が放置されたゴーストタウンになっています。
アメリカというところは国土が広大なせいか、こういう使いでのない場所は
跡地利用しようという気配もないままほったらかしになっているのですが、
ここも全く人の気配がなく、夜はきっと麻薬の売人などが建物の影でブツの受け渡しを、
とつい想像してしまうような地域となっています。

ホーネットが係留されている岸壁は稼働しているらしく、ホーネットの周りにはずらりと
貨物船らしき船舶が取り囲んでいましたが、もちろん民間船ばかりです。


さて、このホーネット博物館、前にもお話ししたように、たとえばパーティのために貸し出されたり、

船室のキャンバスベッドに宿泊し、乗員の食堂で朝ごはんを食べる企画や、
あるいは深夜に「何かが出るのを期待して」艦内探検をするミステリーツァーが催されたり、
つまり他の普通のアメリカの博物館と全く同じノリでアメリカ市民に利用されています。

運営については企業からの出資もあるでしょうし、「パールハーバーの生き残りの元軍人に話を聴く会」とか、
「ドゥーリトル空襲記念日のダンスパーティ」(笑)とか、しょっちゅう面白そうなイベントを
催しては資金を集めてやりくりするほか、政府や軍からの応援で行われているようです。
(日本人でなければ、これ、どちらも参加してみたいんですけど)


結局ここには一夏で3回行ったのですが、いつ行っても広い艦内に一定の人数がいて、
本日お話しする「艦橋ツァー」が始まると結構な数の人が集まってきていました。

「艦橋ツァー」はそのまま「アイランドツァー」と称し、入り口でチケットを買うとき、

「アイランドツァーに参加したければそこで待っていれば時間に始まるから」

と言われて場所を指定されます。



参加したい人はここで待っていると、ツァーガイドが現れ、ちょっとした説明をしてから
アイランドへと皆で歩いていって、説明を聞きながら中を見て歩くことができます。

このときわたしたちは息子のキャンプのお迎えがあったため最後まで参加できなかったのですが、

全行程、たっぷり時間を取られますので行きたい方はくれぐれも余裕を持って。
わたしも今年の夏には早めに行って全部見てきてまたここでご報告します。




ツァーの時間は「だいたい」決まっているのですが、さすがはアメリカ。
わたしたちは説明後甲板のレベルまで連れてこられ、ここでガイドを待つようにといわれてから
たっぷり20分以上放置されておりました。
何かの都合でツァーガイドが来るのが遅れているのだろう、と思いながら待っていると、
甲板を悠々と横切る専属ボランティアらしき人影あり。

あまりにも悠々としているので、まさかこの人物が我々の回のガイドだとは思いませんでした。
彼は急ぐ様子もなく手持ち無沙汰に待っている見学客を全く意に介する様子もなく、
このままどこかに行ってしまい、さらにしばらくしてから

「私が来たからにはもう大丈夫!」

というような堂々たる様子でツァーの開始を告げました。
あんたは丹波哲郎か(−_−;)



アイランドの甲板レベルにある、一般客が入り込めないようにドアが閉められた

小さな部屋からツァーは始まります。

博物館というだけあって、いたるところに懇切丁寧なパネルや写真の展示があります。



パネル部分拡大。

航空母艦とは何か?どういう機能が備わっているか?を図にしたものです。
逐一説明するのにやぶさかではないのですが、先を急ぎますので省略。

ホーネットは終戦後、1947年に予備役となって引退していましたが、51年、
再就役してから攻撃航空母艦と艦種変更されました。
これはあきらかにソ連との冷戦での軍備だったと言えましょう。

55年にはこの図面に見られるアングルドデッキの追加工事が施されました。

アングルドデッキとは、このアイランドツァーの解説員も入っていましたが、
航空母艦の甲板の船首方向に対して斜めに配置された着艦用飛行甲板のことで、
「アングルド・フライト・デッキ」とも表記されます。

艦の進行方向から斜めに着艦専用の甲板を設けることによって、
着艦の時に前方で行われている発艦中、あるいは駐機している機体にぶつかる、
という第二次世界大戦中多々起こった事故を避けることができます。

万が一アレスティングワイヤーを機が引っ掛け損なって着艦を失敗したとき、
従来は何もない甲板をそのまま速度を落とさず通過して発艦し、
もう一度やり直すという方法でしたが、どうしても戦闘中などは甲板を空けておくことができず、
したがってこういう事故も相次いだのです。

そのうちジェットエンジン機が運用されるようになると、アレスティングフックを
引っ掛け損なう率が大変高くなったため、イギリスでアングルドデッキが考案され、
艦中心線に対して振り角度6°のものが運用さたのを受けて、アメリカ海軍でも
ミッドウェイ級の1番艦「ミッドウェイ」で試験を行い、その後「アンティータム」が
改造第一号となってアングルドデッキ装備の空母が生まれたというわけです。



ちなみにちょうど「ホーネット」の「エセックス」クラスと「ニミッツ」クラスの
大きさを比較したわかりやすい図が飾ってありました。
「ホーネット」も甲板に立つとその広さに圧倒されるほどでしたが、「ニミッツ」は
これだけ大きいということです。

アングルドデッキの角度は「ニミッツ」級で9°となっています。
「ニミッツ」の大きさがあってこそこの角度が可能だということだと思うのですが、
わが日本自衛隊の「いずも」は全長248mで、「ホーネット」(266m)よりも短いのです。
先般から空母になる空母にすると外野ばかりがやいのやいのとうるさい「いずも」=空母問題ですが、
こういう面から見てもかなり現実性の「遠い」(ないとはいいませんよ)話だなと思います。



艦橋の入り口にあったマーク。
もちろん空母のほうでなく、「博物館ホーネット」の印です。



昔の軍艦らしく、スイッチが棘のようにいっぱい突き出した機械が
もう今は使われることもなく往時の姿をとどめております。
足元に通るパイプ?は、ここでつまづかないようにそこだけが
昔は赤に、今はその上から黄色くペイントされています。



解説員は皆同じキャップを被り同じジャンパーを着ているのですぐわかります。
この解説員は、おそらくボランティアなのだと思うのですが、なんとなく
ただのボランティアのおじさんとは俺は違うぜ!みたいなスカした雰囲気が
当初からビンビンと伝わって来るおじさんで、その理由はすぐにわかったのですが、
彼はかつて海軍軍人でこのホーネットに乗り組んでいたのです。

話の端々に「わたしが乗っていた頃は・・・」「わたしはこのフネで」という言葉が挟まれ、
彼が「ホーネット」の乗員だったことを誇りに思っているのがよくわかりました。
この中で他の解説員に「あなたはヴェテランですか」と聞いてみたところ違ったので、
ボランティアが皆元軍人とは限らず、実際にこのフネに乗組員として乗っていた人に
解説してもらえたというのは結構ラッキーだったのかもしれません。


アメリカ人独特の、ポケットに手を入れるポーズがお気に入りのようで、
しゃべり方も心なしか尊大な感じがしました。(とわたしが思っただけかもしれませんけど)



これは戦後備え付けられたものだとおもうのですが、
右下がヤード、その上の窓はマイルで表記されている計器が謎です。
ぐるぐる円板を回して操作するものがあったり、ブザーが鳴らせるようにもなっている模様。



 アイランドツァーの最初の頃ですから、艦橋の下の方の階だったと思います。
写真の置かれた部屋がありました。

 

写真を間違って小さくしてしまったので字が読めなくなり誰かはわかりませんが、
おそらく最後の艦長ではないかと思われます。

 

いかにも年季の入っているらしいダイヤル式の電話。

わたしがこのようにいちいち「昔からのもの」に固執するのは、
この「ホーネット」の大東亜戦争中の艦歴を知っているからです。

「ホーネット」は1942年、日本軍に南太平洋海戦で沈められた先代のCV~8の跡を継ぎ、
進水して以来、終戦までまさに日本軍と戦い続けてきたフネでした。

1944年にはニューギニア侵攻戦への航空支援を行った後、カロリン諸島の日本軍への
大規模な攻撃を行い、そのあとテニアン、サイパン、グアム、ロタへの爆撃、
そして硫黄島、父島への爆撃を次々と行っていますが、なんといってもあの
マリアナ沖海戦において「マリアナの七面鳥撃ち」と称される戦闘の中核を担いました。

続いてマーシャル諸島、パラオ、フィリピン海域、レイテ沖、シブヤン海での戦闘に加わり、
1945年に入ってからはウルシーから東京までいって本土の爆撃を行い、
4月6日は戦艦大和に対する攻撃を他の艦載機と共同で行い、これを撃沈しているのです。



どれだけ「ホーネット」が日本にとって恐ろしい敵だったか、これを見ていただければわかるでしょう。
さすが戦時中に描かれただけあって堂々と「JAP」の文字も見えますね。

別の解説員のおじさん(ベテランではない)がわたしにどこから来たの、というので日本ですというと、
なにやらものすごく微妙な表情を浮かべたのであれ?と思ったのですが、
館内にこんなものがでかでかと誇らしげに掲げられているわけだから、まあ仕方ないかもですね。



その中でもとくに「大和」を沈めたことは(このシルエットはあまり大和に見えないけど)
彼らにとって大金星というのか、よほど誇らしいことだったと見えて、特別に
このようなイラストが描かれています。
魚雷4本、爆弾3発命中させたぜい!とついつい自慢してしまうのであった。


さあ、そんな歴史的な空母、あらゆる鬼畜な()命令の出されたその艦橋に、

今から入っていこうというのです。
これが興奮せずに居られるでしょうか。

続く。

 


Nikon1の専用望遠レンズ70-300mmを使ってみた

2015-05-12 | つれづれなるままに

わたしのようにもともと写真が趣味でもなんでもなく、単純に
ブログに載せるためのちょっとばかり見栄えのいい写真を撮りたい、
という程度のものが写真の話をするなどおこがましいのですが、
牛歩のようなレベルではあってもとりあえず昨日より一歩前進しているはず、
と信じて、またそう思うためにも試行錯誤しているわけで、
その過程をここでご報告するのも、意味のあることかなと思うしだいです。



というわけで、先日コメント欄でmizukiさんに教えていただいたニコンの新製品、

COOLPIX900を見にニコンショップまで行ってきました。



レンズでかっ(笑)

こちらの売りは超望遠高画質。
離れたところにあるものを撮ることが多いので、もしかしたらこれはいいかも、
と思ってわざわざ見に来たわけですが、ニコンの人に話を聞いてみると、まず、

「動きのある被写体にはあまり向いていないかもしれませんね」

まあどんなレンズを搭載していても、所詮はコンデジですからねえ。
わたしの腕ではもしかしたらあまり関係ない話かもしれないけど。
お店の人は、サンプル写真を指して、

「どの写真もじっとしているものばかりでしょう」

ふむ。お月さま。そうですね。フクロウ。むちゃくちゃじっとしてますね。

「今Nikon1のV2ですが、飛行機や船を撮ろうと思ったら、どっちがいいんでしょうか。
望遠は一眼の300mmをマウントして使ってるんですが」

「一眼レフという選択肢がおありでないならそれがベストだとわたしは思いますが」

「あ、そうなんですか(拍子抜け)」

「ニコン1は最近専用の望遠レンズが新発売になりましたし」

場所を移動して70-300mmのレンズを触らせてもらいました。
いいかもしれない。
なんといっても小さくて軽く、今のレンズと取り回しやすさは変わらないくらいです。

お値段は今持っているのの約2倍ですが。
インターネットで購入者の評価を当たってみたところ、そちらも上々です。

超望遠でありながら手ブレ補正機能も優れていて、圧縮効果(被写体群において
離れている被写体間の距離感が少なくなるという効果)も実現、さらに
ナノクリスタルレンズ採用でゴーストやフレアも少なくなりましたとのこと。

もう少し早く出していてくれれば、マウントして使うレンズ買わずに済んだんだけどな。


クールピクスを見に行ってレンズを買う気になるという、いつも通り
直感的すぎる判断によって、今年の誕生日プレゼントはレンズに決定いたしました。


ところで、ニコンショップの人と話をしている時、報道用に使われる大きなレンズを見ながら
ふとあることを思い出したので、話題にしてみました。

「去年のアジア大会で水泳選手がカメラを盗んだという話がありましたね」

「ああ、あんなのはですね」

打てば響くように彼はきっぱりと

「もしカメラのことをよく知っているのなら、レンズを外して本体だけなんか盗みません。
高いのはレンズで、本体なんてたいした価値はありませんから。
しかし、もしカメラのことを知らなかったとすれば、カメラ本体からレンズを外すことすらできませんよ。
水泳選手がこんなレンズ(とレンズを指して)を外せるわけないと思いますね」

「・・・ということはつまり?」

「やらせがばればれですよ」

はあ、カメラに詳しい人からあの事件を見るとそういうことになるわけですか。
そもそも、今のカメラはシリアルナンバーで出元がわかってしまうので、
盗難品を市場に出すこともできないのだそうですね。



そんな話はともかく(笑)、お店の人の言葉に意を強くして、レンズを購入するという
方向に話がまとまったわけです。
一眼レフは・・・まあ、もう少しNikon1で修行してからってことで(笑)

Amazonで購入すれば確かに少し安いのですが、ここはぐっと我慢して
ニコンダイレクトで直接買うことにしました。
保証とか売る時とかにちょっとその方が得かなと思っただけですが、
届いてみれば3年保証つきでこんなレジャーシートがオマケに付いていました。



下取りに出そうと思ったら箱の類は捨ててはダメだそうです。
ただ、たとえば今持っている一眼レフ用の望遠レンズですが、もし箱が全部揃っていたとしても
(そして案の定わたしは箱を次の日には捨ててしまいました)下取り価格500円だということで、
査定してもらったり梱包したり、なんてことをやる手間を考えたらバカバカしいという気も。



いよいよレンズとご対面~。
ちゃんとフードもついてます。



早速部屋の中で試し撮り。
おお、なかなかいいボケではないかい?



かなり離れたところに置いてある譜面台の上の楽譜を撮ってみました。
すげー!



早速外に出て試し撮りです。
動き回っている鳩をまず撮ってみました。



ドラマを感じる(笑)



超望遠レンズですが、こういう「近寄せる」写真もいい感じに撮れるみたいです。



かなり遠くにいる鳥さんと、その向こうの人のシルエットを撮ってみました。



これもかなり遠くの対象です。
後ろのツツジが綺麗に写り込んでいますが、こういうのを圧縮効果っていうんですか。



どのくらい遠くを取れるか限界を試してみた写真。
こちらを向いている女性が、撮られていることに全く気付かない距離からです。
ちなみにぼかしてありますが、彼女の顔のディティールまではっきりと写っていました。




ここでもう少し植物の大アップにこだわってみました。





これは、一面蔦に覆われた建物。



蔦が覆っていない部分はこんなのです。



動き回る鳩はシャッタースピードを上げて撮りました。
構図にドラマを感じます(笑)



さらに歩いていると、捕食中のすずめ発見。
青虫をとらえて、地面にびったんびったん叩きつけていました。
新鮮な食材をタタキにして食す、グルメなすずめさんです。



階段を登っているときに気づいたのですが、すずめが逃げないように
一歩づつ近づいて行きました。
かなりの距離から捉えることができて、望遠ならではの写真が撮れました。



青虫も必死で体をよじりますが、なすすべもありません。(-人-)ナムー
しかしこうしてみるとすずめも結構獰猛な顔をしています。



すずめもう一枚。



バスケットコートでは外人さんの一団がゲームに興じていました。



緑の人の表情は何枚か撮った写真のどれもが大変ビビッドでした。




再び植物。思い切り引きよせてみました。



ツツジの花ですが、これだけ拡大してみるとツツジに見えません。



かなり遠くの景色を撮ってみました。



再び植物。こういうものの撮影のためにあるようなレンズだと思いました。



このころはフォーカスリングを使って手動でピントを合わせる使い方で撮っています。



飼い主はベンチに座っているのに道の反対側に立って道を塞ぐ犬。
すごく変わった毛並みなんですが、なんて種類の犬でしょうか。



池のカモを撮ってみました。
水鳥は動きがゆっくりなので撮りやすいです。





カモのくちばしだけに注目してください。
ここに黒い犬の顔が見えますね?



カモが鳴くと、犬も一緒に鳴きます(笑)



鳩給水中。





ここには鯉も大きな亀もたくさんおります。



公園の真ん中で白い花をつけている木を撮ってみました。



思いっきり近づいて、花をアップ。
日が暮れてきて、少し画面が暗くなってしまっています。



タイトル「お家に帰ろう」。

女の子はシャボン玉を飛ばしながら歩いているのですが、さすがにそれまでは写りません。



というわけで、家に帰ってきてからも近所の植物を接写。





カメラを向けたらたまたまハチが蜜を吸っていました。
遠くからはわからなかったのですが、ファインダーを覗いた時初めて気づきました。



家に帰ってきたら、自宅敷地にいつもベランダに遊びに来る猫がいました。
遠くから狙ったので彼はこちらに気づいていません。



入って行っちゃった。



ツツジの生垣で何をしているのかな。



尻尾の先大アップ(笑)



ふと気づくと、彼の相棒である黒猫さんがこちらを見ていました。
サバ猫の尻尾の先とわたしを見比べているのでもっと撮ろうと思ったら、
電池切れとなってこれでおしまい。

そうそう、ニコンショップの方に、夏いつも写真を撮りに行くカリフォルニアの
ペリカンの生息地でペリカンの飛来写真を一発で上手に撮りたいんですけど、というと、
彼の答えは明快でした。

「連写して後からいいのを選ぶんですよ。プロでもそうやってます」

なるほど、そうだったのか~。
これは動くものを撮るのが楽しみになってきました。





映画「機動部隊」~カミカゼ と終戦

2015-05-10 | 映画



映画「タスク・フォース」、機動部隊最終回です。
冒頭に貼ったYouTubeは、本映画の主人公スコット少将が乗り組んでいたという設定の
空母「フランクリン」が、一機の日本軍機の投弾によって炎上大破するも、
乗組員たちの決死の活動によってなんとかニューヨークまで航行し工廠に入るまでの姿を
ドキュメントフィルムだけで構成された映像で紹介しています。

本映画に使用されている米海軍アーカイブからの映像というのはこれのことで、
当エントリ本文の写真と大量に重なっていますが、ご了解ください。


さて、ここで、航空指揮所から双眼鏡を覗いていたスコット大佐が、

「右舷真横に敵機」

と叫びます。

 

砲弾が雨あられと打ち込まれる中を、優雅と言っていいほどゆっくりと、
一機の零戦が真っ直ぐ向かってくる、あの映像です。

わたしはこの映像を見ると、まずこの零戦を操縦していた特攻隊員の、
自分の確実な死がそこにあるのにもかかわらず、確実に体当たりを遂げることだけが目標の、
スポーツの試合で全神経を一投、あるいは一跳躍、一打に注ぎ込むのに似た
ひたむきな、悲しい集中を思わずにいられません。

そしてうまくいく、これで本懐を遂げられると確信した瞬間、
充実感と達成感が体を満たして、えもしれぬ心地よさを感じるというのは、
同じような瞬間を経験した、何人かの搭乗員が戦後語っていることでもあり、
おそらくこの零戦の搭乗員は、突入の成功を信じて、この瞬間、
法悦すら感じていたのではないかと思うと、それだけで落涙を止めることができません。

そして、この激突までの瞬間、最初から最後までファインダーを覗き続けた
従軍カメラマンの勇気にもわたしは感嘆します。



特攻を犬死に呼ばわりするのは論外として、戦術としても効果はあまりなかったと、
戦後これを過小評価する者が日本人の中にいました。(もちろん今も)
しかし、実質アメリカ海軍が沖縄で被った被害は、この戦争で最大のものとなりました。
死傷者は1万名余、撃沈された艦船は3隻、369隻がなんらかの損傷を受けています。

なにより特攻がアメリカ軍に与えた極度の緊張と恐怖は、実際の被害以上に問題でした。
これによって多くの兵士が精神的に崩壊するほどのダメージを受けたのです。

それを重く見た太平洋艦隊司令官ニミッツは、

「もうこれ以上は持ちこたえられない」

とワシントンに打電しています。
これが物質的なものではなく精神的な敗北であったことは明らかでしょう。

特攻を賛美するとかいう以前に、発案者言うところの「統率の外道」が、
結果としてこれだけアメリカを苦しめたことは、紛れもない事実だったのです。


 


僚艦から撮られたこの時の映像。
「フランクリン」がモデルになっているとはいえ、実際には「フランクリン」は、
特攻の激突と爆弾の投下をどちらも受けており、後者が致命傷だったという史実を、
ここでは特攻によるものであったということにして描いています。

このことからも、実名ではなく「クリッパー」という架空の空母名をつけたのでしょう。

 

激突された瞬間、衝撃に耐えて皆が手近なものにつかまります。

 

ふと気づけば同期で、スコットの親友でもあったディクシーが死亡していました。



フェンスを掴みかけて熱くなっているので慌てて手を離す中佐。



「この状態では仕方がないから、サンタ・フェとミラーに移乗しよう」

リーブス提督は提案しますが、スコットは

「沈まない限りわたしは船を棄てません!」

と頑強に言い張り、消火活動を継続します。
「フランクリン」艦長が、船を捨てて避難した乗員たちを強く非難し(洒落)
訴えるという騒ぎにまでなったことは以前お話ししたかと思います。

特攻とまではいかなかったものの、アメリカ海軍にもそれと似た
軍人精神至上主義のドグマがこのような形となって現れることがあったということですね。

 

「クリッパー」艦載機が帰還してきましたが、艦は火災の黒煙に包まれ、
無線も応答しません。
みんなそれどころじゃなかったんですねわかります。



そして、なんとか火を消し止め、満身創痍で帰国の途中、艦上では海軍葬が行なわれました。

 

冒頭に貼ったYouTubeでも見られる、「フランクリン」NY帰還の図。
「フランクリン」は神戸沖からウルシーまで「ピッツバーグ」に牽引され
そこで応急手当を受けて時速26キロの速度でなんとか帰国を果たしました。
映画にはありませんが、ユーチューブではこの時の盛大な出迎えを見ることができます。

このあとブルックリンの海軍造船所で修理を受け、「フランクリン」は回復しましたが、
そのときには戦争は終わっており、記念艦の意味もあってモスボール処理されていました。
それからは朝鮮戦争にもベトナムにも行くことはないまま、1966年に廃艦となっています。

 

伝令の持って来た終戦の知らせを見て息を飲むスコット艦長。
艦長が「終戦のお知らせ」をアナウンスする間、映像は破壊の後も凄まじい
「フランクリン」艦内の各場所を映し出します。
鉄の塊と化したハンガーデッキの柱、内部が全て真っ黒に焼け焦げた船室・・。

実際に「フランクリン」の乗員がボロボロのままの艦に乗ったまま終戦を迎える、
というようなことはなかったわけですが、そこは映画ですので。



そして終戦から4年が経ちました。
「フランクリン」を永遠に降り、バージで陸に上がるスコット大佐、いや少将。




船を降りてくるスコット少将を待つのは夫人とリーブス提督だけ。
もう少し華やかに、というか友達はおらんのか少将。

「ハイ、白頭鷲」
「ハイ、クリッパー」
「オーバーアンドアウト」
「ラジャー、オール」

とそれらしい会話を交わして最後を惜しみます。

 

4機のF9Fパンサー(なんとこの撮影の1年前に就役したばかり!)が
少将の退役を記念してフォーメーションを行います。
しかも、最初は4機なのに、何航過もするうちだんだん数が増え、
最終的には12機による大編隊に・・・・・・。

いくらなんでも地上で二人しか迎えがない少将の退役のために12機の戦闘機を
出してくるものだろうか。

えーと、これはやっぱり海軍が新型機を宣伝したかった、でおK? 




ワーナーブラザーズの多大なる海軍の協力への感謝の辞で映画は終わります。

この協力に関しては、たとえば少将が乗ってきたバージや、撮影に使用した「アンティタム」、
施設の使用に対しWBは、
米海軍に1日につき2万4千ドル(当時の250万円)払ったということです。




しかしこの映画撮影では主に海軍側の手落ちと思われる事故が連続して起こりました。


まず、ストックのフィルムとラッシュ(素材フイルム)を運搬していたトラックが火災を起こします。

これもなにやら「フランクリン」の災難を思わせる事故です。
もしかして
映画関係者は、よく日本の怪談ものを撮るスタッフが事前にお参りに行くように、
お祓い祈願でもするべきだったのでは?と嫌な予感がするのですが、それだけではありません。

続いて、クーパーが退役するシーンで乗っていた海軍のバージが霧で座礁しました。
船に浸水がしてきたため、無事に救出されたものの、その後彼は高熱で倒れたそうです。
撮影したのが12月だったというのがまた不運でしたね。


砲撃シーンの練習の時、撮影が行われていた「USSアンティータム」に無人機が突っ込み、
俳優とスタッフの頭をギリギリかすめて海に落ちるという「あわや大惨事」もありました。



日本での公開時、そのような制作時の事故については全く伝えられなかったようですが、

当時の日本人が知ったら、因果めいたものを感じて、納得したのではないでしょうか。



まあ偶然でしょうけどね。


終わり。



 


映画「機動部隊」〜”So Long, Emily!" 撃墜される二式大艇

2015-05-09 | 映画




沖縄侵攻を決めたアメリカ軍。
主人公のスコット少佐は「フランクリン」がモデルの「クリッパー」に
参謀として乗り込んでいます。



「わからんな。ジャップは何を待っているんだ」
「防衛に必死なんです」

いやだからもうこのころはほとんど船も残ってなかったんですってば。

しかし、疑心暗鬼というのか、アメリカ側は見えない敵に怯えたまま、4日を過ごします。



敵のいかなる動きも見逃すまいと緊張してレーダーを見張る監視係。

「退屈と恐怖、どちらも体には悪い」
「早く始まってくれ」
「カミカゼがくるぞ。敵機は7000機を上回るそうだ」

いやまあ、日本全国の羽根のついた飛行機の総数はそれくらいにはなったかもしれませんが。
これは買いかぶりというか、とんでもない過大評価で、本土決戦のために
用意されていた航空機は、練習機2200機を合わせてもせいぜい5千機くらいにすぎませんでした。

さて、いずれにせよそのとき緊張が破られます。
レーダーに九州地方から飛来する飛行機の一群が捕らえられたのです。

「九州上空を敵の飛行機が通過中」

どうでもいいけど九州を「カイユウシュウ」はやめてくれるかな。

 

「クリッパー1号」飛行隊に、レーダーからの情報を送られます。
そしてわたしは思わずここで息を飲んでしまったのですが、この日、発見されたのは
あの二式大艇でした。

索敵機が「1機発見」の一報後降下して攻撃を行う様子は、カメラマンによって撮影されていました。

 

実写フィルムで不鮮明ながら、そうと知ってみるとあきらかに機影は二式大艇、エミリーの形です。
このフィルムは3月11日に第二次丹作戦で特攻出撃した二式大艇のうち一機が
ウルシー泊地への航行途中で撃墜されたときのものである可能性があります。

だとすれば、この機には杉田正治中尉以下12名が乗っていたことになります。

 

撃墜され、着水と同時に爆発を起こす二式大艇の最後の姿。
ああ、この瞬間12人の日本人の命が一挙に失われたのだと思うと
胸がきゅっと痛くなる光景です。

この映像が冒頭のユーチューブですが、ナレーションも当時のものらしく、
二式が撃墜されて海に落ち大爆発を起こしたとき、

”So long, Emily!"

などと言っています。 

 


で、映画で「一機撃墜」の報を受けたリーブス提督、フンと鼻で笑うんですよ。
いかに戦争だったとはいえ、そして映画とはいえ、なんだかやりきれない気がします。

日本側の制作であれば、こういう表現は決してしないだろうなとつい思ってしまいました。

 

総員配置に就けの合図が出、ヘルメットを締めながら航空指揮所に出るスコット。

「飛行機は嫌いだ。人類の失敗作だな」

などと意味不明の冗談を言ってみせます。
乾いた洗濯物を仕分けするとき、同じような大量の靴下をペアにするのに嫌気がさして、

 「男物の黒い靴下なんて、この世から撲滅するべきである」

 とわたしなどもよく思うのですが、きっと同じ言い回しに違いありません。


違うかな。

 




さて、沖縄上陸を支援している(という設定の)「フランクリン」、いや「クリッパー」。
我が海軍の二式大艇を撃墜した後、また別の日本機の機影が接近するのを認めます。



作戦司令室からは

「Archduke(大公)、Rebel(反逆者)、Angel(天使)、
こちらはBaldeagle(白頭鷲)。
直ちに出動させよ」


と指令が飛びます。
タックネームですが、どうもここのところの字幕が変です。

「大公は本艦の北25マイル地点に待機」

ここまではいいのですが、そのあと

「Angel's five, Rebel over base, Angel's ten, cupid over base」

を、

「”反逆者”は5機、”天使”は10機、残り25機を出せ」

と訳しているんですねー。
これはいくらなんでも飛行機の数なんかじゃなくて各自の待機地点の指示だろっていう。

DVDで鑑賞していて、こりゃ違うだろう、という間違いをよく見つけるのですが、
映画の翻訳者って、特に昔は結構いい加減な仕事をしているもんだなあと
最近やっと気づくようになりましたよ。

映画館で上映されれば、あとはテレビで放映されるときにも吹き替えだし
検証されないので安心して?いたんだろうと思いますが、
最近はDVDで、しかもバージョンによっては英語字幕も出ますからね。
(こういう古い映画には英語字幕は出ませんが)

 

轟音を立てて発艦していく艦載機。

 

そして空戦シーンも実際のフィルムから。
はっきりと翼に日の丸が認められるおそらく零戦が、
低空を飛行しながら翼から炎を噴き出させて海に墜落します。

フレッチャー提督がモデルのリーブス提督に二式大艇撃墜の時に鼻で笑わせたように、
このときもパイロットにフフンと笑わせたりするのですが、
実際に人一人の命が失われている映像を取り上げてそりゃないだろう、
それとも何かい?日本人の命っていうのはこういうネタにしても別に構わんって考え?
とおもわず詰め寄ってしまいそうなくらい、こういうのを見るとどうしてもムカつきます。

特にこのころは戦後まだ4年で、日本に配慮するよりも戦争で身内を失った遺族の
感情を優先して映画は作られていたとすればこれも無理からぬことと思いますが。



片足のまま着艦してくる・・・ヘルキャット?。
着艦と同時に残った片足を引っ込めるのですが一瞬遅く、
しかし傾いた翼がアレスターフックの役目をしてとりあえずスピードは落ちます。



艦橋から飛び出して逃げようとする人が、自分の方向に機体が向かってきて
慌てて向きを変えて避難している様子がばっちり映っています。
操縦者は無事だった模様。

 

こちらは上半身裸で必死にうちわみたいなものを振る誘導員。

 

着地の瞬間バウンドして砲座の側壁に激突。
激突の瞬間全員が「伏せ」をしています。
ノーズを引っ掛けて飛行機は真っ二つになってしまいました。



しかし幸運にもパイロットは全く無事です。
私事ですが、昔東名でやらかした事故と同じ状況なのを思い出しました(笑)
回転したので外側は大破しても、乗員には何の損傷も与えなかったんですね。



「こちら”白頭鷲”、敵機来襲」



猛烈な対空砲の中、まっすぐ突っ込んでくる特攻機。
これで僚艦の何隻かが爆発炎上を起こします。

リーブス提督は左回頭を命じました。

ここからしばらくは、特攻機が次々と軍艦に激突するシーンが続きます。
リーブス提督が恐れていた「カミカゼ」攻撃が始まったのです。
そしてついに・・・・・、

 

「フランクリン」がやられました。
炎上するハンガーデッキ。
スコット大佐は即座に消火活動を命じます。
パイロットたちも今や一体となって消火活動に加わりました。

 

迎撃されて海に墜落する零戦。

 

左は実写フィルム、右は現代に撮られた映像。
この映画の撮影はアメリカ海軍が全面的に協力して、軍艦を貸し出して行われました。
アーカイブの使用許可も含め、破格のことであったとされます。



最終回に続く。

 


映画「機動部隊」~沖縄攻撃

2015-05-08 | 映画

映画「機動部隊」、4日目です。
ミッドウェー海戦で戦没した「ヨークタウン」に乗り組んでいた主人公スコット大佐のことを、
日本公開時のパンフレットでは「アメリカ空母発達史において最大の恩人とまで言われる」
と実在していたかのようにもっともらしく書いてあるわけですが、大嘘です。

たかが映画のパンフと思って甘く見たんだろうが、後世はこれを許してくれないのである。
「重爆の隅をつつく」が信条である当ブログも、当然この嘘を見逃さないのであった。

しかし、これを真に受ける人もいて、「米空母の最大の恩人」で検索をかけたところ、
このパンフの文句が、
ある戦争映画専門サイトで一字一句違えず継承されていました。orz



さて、ミッドウェー海戦後生きて帰ってきて、大佐に昇進したスコット。
ワシントン勤務を命ぜられ、またしても妻とのお別れです。

「大佐の妻という立場に慣れるまで一緒に居てよ」

やっぱり旦那の昇進というのは、妻にとって自分のことのように嬉しいものなのです。
というかそれは実質”自分のこと”なんですね。ええ。
飛行機事故で亡くなっていた前夫では、こうはいかなかったかも・・・おっと。

 

こちら「エンタープライズ」でしばらく生存不明となっていたマック。
嫁とよく分からない諍い(翻訳も下手だけど英語でもよくわからなかった)を起こしております。
まあ、それもこれも生きて帰ってきたからこそ。よかったですね。(適当)



大佐になったスコットがワシントンに行くのは、今回の海戦を踏まえて
さらに空母の数を増やしてくれるように上にお願いするためでした。
若い頃はその「イケ面」が評価されて折衝役に選ばれたスコットですが、
ミッドウェーを経験した今は現場を知る軍人として、貴重な存在です。



またまた出たよこのおっさんが。
戦争など起こらない!だから空母など買えない、と力説していた新聞王兼上院議員。

「レキシントン、沈没。ワスプ、沈没。ヨークタウン、沈没、ホーネット、沈没。
サラトガも大打撃を受け、エンタープライズは浮いているのもやっとの状態」

と我が日本海軍の戦果を褒めてくださっています。
空母は脆く非効率的でお金がかかるから作るだけ無駄だ、といいたいわけですが、



それを逆手にとってリーブ提督が反撃。

「我が軍の空母を壊滅させたのは日本軍の空母なんですが」

しかしおっさん負けずにリーブ提督と論戦を始めます。

「それは空母の扱い方も日本軍がスマートだったってことですな」

「我々は敵空母を4隻沈め、打撃を与えています。我々の損害は1隻」

「日本軍も同じ教訓を得たでしょうよ。空母は無用の長物だと」

いやいやいやいや(笑)
日本はお金さえあれば空母をもっと作りたかったと思いますよ?
民間船を空母に転用したり、涙ぐましいリサイクルをしていたし。

尤もその日本軍も、空母よりは「大和」「武蔵」など戦艦のほうに国力を傾けすぎ、
しかも「割に合わない」使い方(とくに大和)で失った・・というのは結果論ですが。




ここは字幕が「日本人の方が頭が柔らかいですね」なのですが翻訳の大間違いで(笑)
英語をちゃんと聞けば、

「もしあなたの言う通りにしていたら、今頃西海岸の新聞は日本語になっていたでしょうよ」

と言っています。
聞き取れなかったのかよ~翻訳の人(´・ω・`)



「空母では勝てない」というおっさんの持論を二人が覆そうと奮闘しているのを
黙って聞いている海軍作戦部長。
アメリカのウィキでは「エイムズ提督」となっていて架空の人物ですが、

エイムズというと、確かスプルーアンス提督のミドルネームじゃなかったっけ。

いずれにせよ容貌が立派すぎて、スプルーアンスにもニミッツにも見えません。
この人はエドワード・ウォルター・エバリー提督がモデルであるということですが、
それが、この映画の英語版wikiも間違っていて、誰と勘違いしたのか

「映画のエバリー提督には髭がないが実際のエバリーには髭がある」

なんて書いてあるんですよ(呆)
映画のエバリーも、名は体を表して偉そうな髭生やしてるっつの。

とにかくこのおひげのCNOが、 

「日本との戦いを有利に進めるには空母が必要だ」

と海軍軍人側から鶴の一声、駄目押しの意見を出して会議終了。



大統領の認可により海軍の要求は通り、スコット大佐は

「戦艦と空母の機能を併せ持つ美しい空母」

の艦長となりました。

米海軍でも空母を中心とした艦隊が主流となっていたということで、
「ラングレー」以来頑張ってきた甲斐があった!俺もとうとうここまで来たか?
としみじみモードのスコット。
ということで、これは見ればその通り

あの「フランクリン」 (USS Franklin, CV/CVA/CVS-13, AVT-8)です。

ですが、モノローグでは「クリッパー」だと言っています。
実在の艦名を使わなかった理由は、実在の「フランクリン」艦長への配慮でしょうか。

 


ところで皆さん、ここで大変重要なことに気づきませんか。
そう、いきなり映像がカラーになったのです。
白黒で始まった映画が急にカラーになるのは、ワーナーブラザーズが海軍から借り受けた
戦闘シーンのアーカイブがここからはカラーになるからなのです。



というわけでいきなり人物のシーンもカラー。
初期のテクニカラーなので、白黒映像より画質が悪い気がします。
さて、場面は「フランクリン」艦上で行われている作戦会議。

「沖縄を手中に収めよう」

そしてイギリス軍の協力のもと空母16隻を現地に集結させ、
600機の飛行機でそこから本土を攻撃する、というのですが、

「敵は7000機を所有している。劣勢を挽回するには奇跡を祈るしかない」

まあ敵本土に侵攻しようというのですから、これくらいの覚悟だったとは思いますが、
なんか必要以上にアメリカが不利だったと強調しすぎているような・・・。

これも「しかしそれにもかかわらず勝った」という物語のための
スイカに塩的な?加味というものだったのか、それとも本当にアメリカ軍は
これくらいの悲壮さをもって戦っていたのか・・・。

いずれにしてもこのときリーブス提督は、

「最も恐ろしいのは敵の捨て身の攻撃、”カマカゼ”だ」

とつぶやくのでした。なにがカマカゼだ。

この時点で、米側が特攻を「カミカゼ」という名称で認識していたという史実はありません。
この名称がアメリカ側に認知されたのは戦後ではないかという気もします。



という会議の途中にも轟音が響き、デッキに出てみると
警戒網をくぐってやってきた日本機の爆弾で炎上する僚艦の姿が!

「グレイト。東京はこのニュースで喜ぶだろうな」

 

沖縄上陸作戦は4月1日、エイプリルフールの日に決まりました。

 

沖縄攻撃のフィルム。
二本柱を描いて対地砲が打ち上げられる瞬間が映っています。

 

星条旗の揚がったマストの後ろに飛び交う砲弾の雨。(見えませんが)

 

戦艦と護衛の駆逐艦で埋め尽くされた海面には、隙間もないほどです。
沖縄の海岸がそのときどんな状態になっていたかが、右の映像でも伺えます。
海兵隊を乗せたボートが、頻繁に岸に漕ぎ付いている様子が残されています。

これ以降沖縄は「死の島」と化したのでした。




続く。



 


映画「機動部隊」~ミッドウェー海戦

2015-05-07 | 映画

映画「機動部隊」三日目です。
パンフレットの内表紙の写真で、おそらくアメリカ公開時のものでしょう。
アメリカ映画お約束の「 抱き合う男女」が挿入されていますから(笑)

 さて、ジョナサン・スコット少佐はエンタープライズの航空隊を率いて戦争に参加。
そして、半年の間にウェーキ、マーシャル諸島、ニューギニアで戦闘が繰り広げられます。
戦闘機と共に優秀な飛行士を何人も失い、米軍はより優秀な航空隊の指揮官を必要としていました。

そこで旗艦の作戦責任者に任命され、昇進して中佐になったスコット。



旗艦への着任はシップトゥシップ、直接飛行機で移動です。
そしてそのままミッドウェイ海戦に参加。
ところで実名があまり出てこないこの映画ですが、このときスコットは
「ヨークタウン」に赴任したと映画では言っています。(相変わらず字幕なし)

「ヨークタウン」の作戦参謀という曖昧な設定にしたのは、スコットがこの後
「フランクリン」に勤務してあの壮絶な事故に遭遇するという話の都合上、
たとえば実在の人物、ジョン・サッチ少佐などをモデルにはできなかったためだと思われます。

スコットの同期に「マクラスキー」という士官がいいて、「エンタープライズ」に残りますが、
このマクラスキーだけが(クラレンス・マクラスキー少佐)実在の人物です。
勝利の立役者となったわりに出世しなかったらしいこの軍人をトリビュートしたのかもしれません。



本編での「ヨークタウン」に座乗している司令官はリーブス提督。
フレッチャー提督がモデルだと思われます。(似てませんが)


リーブス監督は悩んでいました。


「我々にもう3隻の空母があれば敵がミッドウェーに着く前に攻撃できる。
ミッドウェーを守るより前に、日本の空母を沈めるのが先決だ」

しかし未だに日本の空母は見つかりません。
この段階では南雲機動部隊の位置を特定できていなかったという設定です。


このシーケンスを見て思うのは、戦後明らかになったミッドウェーの米軍勝利に

大きく寄与していた情報戦と、それに基づいて米艦隊が準備していたというのが
当時まだ全くなかったことになっていたらしいということです。

ミッドウェー海戦についてまさかとは思いますがご存知ない方がいるかもしれないので

産業で説明しておくと、

まずダッチハーバーを攻撃し、ハワイ艦隊を北上させたところでミッドウェーを攻撃し、
米艦隊がミッドウェーに向かったところを挟み撃ちにして叩き、米国に精神的打撃を与える作戦だったが、
米側は暗号解読して作戦を知っていたので、
ミッドウェーで待ち伏せしていて日本がやられた


というものでした。(よね?)


史実通りとすれば、アメリカ側は待ち伏せしている側だったわけですから
そう悩まなくたって、と映画の提督には言ってあげたいくらいですが、
ここは映画なのでやはり苦悩して見せているというわけですね。

そこにミッドウェー基地から零戦の攻撃を受けたという知らせが入り、

「ミッドウェー付近に日本の機動部隊はいるらしい」

とリーブス提督は推察します。(またまた~良くご存知だったくせに~)


これもご存知のように、山本長官の案はミッドウェーを叩くことではなく

ミッドウェーに誘い出したハワイ機動部隊を叩く、というのが主目的だったはずですが、
現存する命令書とか協定書はことごとく

「ミッドウェイ島を攻略し」

となっており、結局山本長官の意図は南雲長官に伝わっていなかったのではないか、
というのが通説になっているようですね。


ともかくこの映画では、日本の作戦をアメリカ側が把握した上で

それに呼応する動きをしていたという史実はなかったことになっており、
ミッドウェー付近でアメリカ艦隊が待ち伏せしていたことなど全く描かれません。

戦後4年なので、まだ諜報戦については明らかにされていなかったのでしょうか。
海軍の全面協力で映像もアーカイブからふんだんに貸し出され、実機も提供されながら、
こういう肝心なところで海軍はまだ対戦中のいろんなことを秘匿していたようです。



ミッドウェーに敵艦隊がいることがわかったので、航空隊の出撃です。




エンタープライズからは航空隊が発進。
すでに日本軍とどこかで交戦したらしい搭乗機には撃墜マークが2機あります。

ところで日本の零戦はこのころまだ米軍機に対して無敵状態でした。
アクタン・ゼロといわれる零戦を米軍が鹵獲したのは、このダッチハーバーでのことです。

つまりこのときの航空戦において、米軍機は多数零戦に撃墜されているのです。
中にはほぼ全機撃墜された飛行部隊もあったくらいですが、彼らは勇敢にも
次々と飛来して
日本の機動部隊に襲いかかりました。


 

右側の映像は本物です。
ミッドウェーを記録した映像をYouTubeで見るとこれが出てきます。
またこの旗振ってる人が男前なんだ(笑)

 

戦闘機に続き爆撃機も次々と発進していきます。



ジリジリと待つだけの時間。
落ち着かない風のスコット中佐、泰然自若とタバコを吸うリーブス提督。
このシーケンスはこの速展開の映画で、異常なくらい時間をとって描かれます。



日本艦隊を求めて索敵行を行う米航空隊。

ちなみに実際このころ、南雲艦隊は米機動部隊がいったんダッチハーバーに向かった後、
ミッドウェー攻撃を知って慌てて南下している途中だと信じきっていたため、
(つまり自分たちの立てた作戦通りに事が進んでいると疑わなかった)
敵空母に対する攻撃予定をミッドウェー島への攻撃に切り替え、地上爆撃のために
航空機の爆装を取り替えさせているところでした。


史実とはかなり違うとはいえ、日本艦隊に遭遇するまでの米艦隊上層部の不安は

やはりこの映画で描かれたような緊迫したものであったと思われます。

ここでナレーションが


「日本軍は予想外に速かった。
進路左寄りの位置ではなく、北寄りへと場所を変えてきていた」

と入ります。
実際にも南雲艦隊は、ハワイ艦隊がダッチハーバーに向かった後、
ミッドウェー攻撃の報を受けて南下してきていると信じていたため、
それを迎え撃つための態勢を取りかけていたことを言うのでしょう。



そしてついに日本の巡洋艦を発見・・・・・・
なのですが、このときのセリフがひどい。

" A Jap cruiser. After all the serch, one stinking cruiser."

stinkingというのは「悪臭を放つ」以外に「嫌な」「ひどい」という意味があり、
いずれにしてもろくな言い方ではありません。
もちろん字幕ではDVDとなってからも当時も翻訳されていませんが、
当時英語がわかる人はこういう細部を聞き取ってムカついていたのだろうなと。

日本人が英語を理解しない国民であるからこそ、戦後こういうものを見せられても
反発しないどころかアメリカ文化に憧れたりしていたんでしょうね・・・。


とにかく、このときマクラスキー少佐のドーントレス隊が実際に見つけたのは
巡洋艦でなく駆逐艦「嵐」であったということです。

「やっつけますか」

との部下の質問にマクラスキーは

「奴らの艦隊を遅いお昼(レイト・ランチ)に頂こう」

「彼らの目指す方向には空母が待機しているはずだ」

「嵐」の航行する先に行けば日本艦隊を発見できるはずだと判断します。

 


そして彼らの報告が提督とスコット中佐の元にとどきました。


「円形配置中の敵空母4隻を発見。
巡洋艦6隻とたくさんの駆逐艦」(many, many destroyers) 

 それにしてもなんでこんなに寄り添っているんだこの二人は(笑)



急降下する戦闘機隊。


 

ここから以下はすべて実写フィルムの連続です。

傲慢なアメリカの態度はともかく、戦後の日本人はこのときの様子に
息を飲んで画面を見つめたであろうことは予想に難くありません。

何しろ日本ではミッドウェー海戦の後、敗戦の結果を知らされず、
こちらの損害は軽微であるという「大本営発表」を信じていたのですから、
戦後になってミッドウェーがこんな惨憺たる有様だったことを
目の当たりにして、ショックは大きかったでしょう。

1952年当時まだ生存していた多くの軍関係者は、この映画を見たでしょうか。

そして何を思ったでしょうか。



アベンジャーの後部座席からの射撃の映像と、零戦が実際に火を吹く瞬間を

繋げて、まったく違和感のない戦闘シーンを作り上げていることも
この映画の大きな特色の一つです。

この魚雷投下シーンも、実際に命中し爆破を起こしたシーンとつないでいます。




こちら本物。

日本軍の空母が爆発炎上した瞬間です。

「加賀」に先陣を切って襲いかかったのはマクラスキー隊でした。

このとき「加賀」のみならず各空母は直掩機の発着艦を行っており、
攻撃隊は飛行甲板に並んですらいない状態だったと言われています。

「加賀」乗組員の証言によるとちょうど「第二次攻撃隊員整列」のアナウンスがあり、
搭乗員達が出撃前にお茶
を飲もうと一息ついた時だったということです。

(wikiでこの「お茶」がリンクに飛ぶのが面白かったので残しました(´・ω・`)





サイドパイプが鳴り響き、総員戦闘配置の合図。




戦闘中銃撃され瀕死の雷撃機パイロットはなんとか着艦を果たすも重傷。
しかしこの着艦事故で甲板が損傷します。




そのとき日本機の一群が「ヨークタウン」に襲いかかりました。
これは飛龍から発信した22機の第一波攻撃隊で、零戦と艦爆から成っていました。




これは本物。九九艦爆ですね。
3機で急降下爆撃をしています。
このときF4F直掩隊12機の迎撃により零戦3機、九九艦爆10機が撃墜され、
九九艦爆8機のみが「ヨークタウン」を攻撃することになりました。

 


これも本物。
それにしても戦闘中ずっとカメラを回していた人がいるわけで、
それもすごい話だなあと思います。
アメリカ側の記録は全てこういう命知らずのカメラマン達によって撮影され、
後世に残されることになりました。

右側の機銃手は、アメリカ人らしくガムを噛みながら撃っております。



誰もいない上甲板。
この一階下の銃座からは猛烈に迎撃が続いています。



アメリカ軍の飛行機だよね?と思ったのですが、このあと指揮所のスコットが
喜んでいたところを見ると、どうやら日本機である模様。
艦上攻撃機であろうと思われます。



指揮をするスコット。
飛行甲板が損傷して「ヨークタウン」には降りられなくなったので
他の空母に着艦するようにと飛行隊に伝えています。



炎上する「ヨークタウン」飛行甲板。
日本側は艦爆3機が撃墜され、5機が投下に成功し、爆弾3発が命中しました。

 

これも実写映像で、よくこんな低空を、と思われるくらいギリギリの高度で
「ヨークタウン」にまっすぐに向かってくる日本機をカメラは捉えています。

雨あられのように降り注ぐ銃弾をかいくぐって近づいてきた零戦は、
悠々ととでも見える熟練さで投弾してのけました。



航空指揮所でそれを見るや、フェンスを掴んで衝動に備えるスコット中佐。
この一発がボイラー室に火災を発生させたため、
「ヨークタウン」は動力を失って一時航行不能となります。



機関室浸水、発電機が故障して出力が停止、という報告を受け、

「Prepare to abandon ship.」(総員退艦用意)

の決断を下すリーブス司令官。
実際にはフレッチャー司令官はこのあと「アストリア」に移乗しました。



飛行甲板を損傷して帰ってきたパイロットを手当てするメディック。

「時間はある 止血剤を取ってくれ」

とこちらは悠々としています。



飛龍攻撃隊は「エンタープライズ」型空母を大破或いは大火災、撃沈と報告しました。
しかし「ヨークタウン」はその後爆撃による火災を鎮火し、航行可能となっています。



さてこちら、ハワイのスコット中佐宅。
スコットの同僚であるバーバラが(ちなみに歌手のジュリー・ロンドン)
心配で眠れない、ここにいさせてくれと訪ねてきます。

「エンタープライズとヨークタウンが沈んだって・・・」

 

二人で慰め合っていると、物音がして誰か来た様子。
明かりを消して(灯火管制?)ドアを開けると、見慣れたシルエットが・・・。

「男が一人寝る場所はあるかい?」
「あらいでか。・・・っていうかスコッティ?」



「ハイ、ハニー。二日間寝てないんだ」



でもこちらの奥さんはかえって不安を募らせている様子。
スコット夫妻の感激の再会に水を差す形で、

「マックのこと何か知らない?生還した雷撃機は?」

スコットも気を遣って、

「生還したのは3機で8機撃墜された・・・
でもマッキニーならきっと無事だ」

せっかく生きて帰ってきて奥さんとそれを喜び合うシーンだったのに、
この奥さんが矢継ぎ早に質問をするので、まいったなみたいな様子のスコット。
さらになにか言いかけるのを、妻のメアリは

「彼なら大丈夫よ(あっさりと)。あなた、こちらに」



とバーバラを無視して()寝室に連れて行きます。
そりゃまああんたの気持ちもわかるけど戦争だし仕方ないわねえってことで。

取り残されたバーバラは暗い顔で部屋を出ていくのでした。

ベッドに横たわったスコットは、自分が爆撃隊長としてこれまで飛行機に乗ってきたのに
今回の戦いで自分は船に乗ったままで、かつ多くの部下を死なせたことを心に病んでいました。

「僕は、一体、何をやっていたんだ・・・・・」



続く。







映画「機動部隊」~エンタープライズ乗艦と真珠湾攻撃

2015-05-06 | 映画

というわけでネットで見つけたこの映画日本公開時のパンフレットですが、
う~~~~ん・・・・・・。

これ、どう見ても写真に上から色付けしてあるだけの絵なんですよ。
手抜きもいいとこ。
当時の刊行物らしく、パンフなのに発行人の名前とか住所電話番号まで記載され、
どうやら映画会社ではなく外注の出版社(外国映画社)が製作したものらしいですが、
外注なのにこんないい加減でいいものなのか。

解説もしょっぱなから間違ってるし・・。

でも、当時の広告なども掲載されていたりして非常に面白いので、
このパンフからの画像もご紹介していこうと思います。

 

さて、空母「サラトガ」の艦載機の隊長になった途端負傷し、転勤になったスコット大尉。
いくらなんでもこれは・・。
と思ったのですが、どうも名誉の負傷扱いで、少佐就任と共にハワイに転勤になりました。
(ハネムーンを兼ねての転勤だったそうです。そんなのあり?)

さらに2年後、アナポリスの海軍兵学校の教官に着任。


 

ここでアナポリスの実写映像を出してきたのは、海軍の要望でしょう。
「ファイナル・カウントダウン」と同じく、映像提供のスポンサーである
海軍を宣伝しイメージアップしてくれんと困るよキミ、というところです。

そういえば真珠湾攻撃の1年後、名匠ジョン・フォード監督が海軍の要請で
制作した「真珠湾攻撃」は、海軍があたかもやられるがままの無能に描かれている、
ということで、半分ぐらいがカットされてしまったという件をお話ししたことがありますが、
フォード監督ですら、海軍という大スポンサーの逆鱗に触れたらこうなるのですから、
この映画や「ファイナル・カウントダウン」はじめ、軍の全面協力で作られた映画が、
海軍全面ヨイショに終始したとしても致し方ないことだと思われます。

そういえば昔、高倉健主演の「野性の証明」という映画がありましたが、
(自衛隊が悪の組織で元自衛官の高倉健と薬師丸ひろ子を殺すために全兵力投入して
追いかけてきて高倉健が一人でそれに立ち向かうという内容で薬師丸ひろ子が
お父さん怖いよ何か来るよ大勢でお父さんを殺しに来るよとかいう映画)
この映画は防衛庁の協力は全く得られなかったそうです。


というか、こんなものに協力が得られると思っていたのか角川春樹事務所は。



画像は本物のアナポリスでの課業行進(っていうのかなアメリカでも)。
別のシーンで、生徒たちが隊伍を組んで授業に向かう様子が映されています。



兵学校官舎が暗いと文句を言うメアリ。

「私の腕の見せ所ね。未来の提督の住まいだもの」
「その前に中佐にならないと・・」



アナポリスではしょっちゅう行われている(らしい)合コン、
じゃなくてダンスパーティ。
みなさんこういうところでガールフレンドを見つけられるんでしょうね~。
この映像も本物のアナポリスでのパーティの様子に違いありません。

真ん中の白いドレスはメアリで、生徒とダンスしております。

「ご主人の講義は大人気だそうですね」
「私も聞いてみたいけど、妻で十分ラッキーだわ」

アメリカの社交のおもしろいところですね。
日本でダンスパーティがあっても、学生が教授の妻と踊ることはないでしょう。



「あのパーティの夜を覚えてるかい。日本の大使館員は司令官になり・・」

これは勿論山本五十六のことで、大使館員というか駐在武官ですね。
ちなみに五十六が大使館付き武官に着任したのは1926年。
この映画だとパーティは1923年という設定ですから、ちょっと惜しかったかな。

「ベントリーは今や上院議員だよ」

もしかしたらこれはJ・ウイリアム・フルブライトがモデル?
さっそくベントリーはスコットを見つけて絡みます。

「戦争は起きそうかね、コマンダー」(ゲス顏)

そこに早速メアリが駆けつけ、会話を遮りまくって夫が口喧嘩するのを阻止。
メアリさんなかなか賢妻ではないですか。
正義感はあるが直情でカッとなりやすい夫の性格を熟知してカバーです。



アナポリスの教官として教壇に立つスコット少佐。
大鑑巨砲に時代は終わりを告げ、航空戦の時代がやってくるので、
これから空母が重要になってくる、と授業で熱く語ります。
生徒の一人が授業の最後に

「なぜ戦艦ばかりが重要視されるのですか」

と質問するのですが、

「その質問なら私がしたいくらいだ」

先生それ答えになってません。



しかし海軍上層部的にはこういう考えはアウトなようです。

ていうかそれ本当だったの?

わざわざ校長である提督が授業の後やってきて

「空軍力の限界を生徒に教えるのが君の仕事だ。
我々にはたった三隻の空母しか所持がない。
しかし機雷施設船や掃海艇、水上艦なんかのほうが大事なんだ。
当校の目的はミシップマンをパイロットではなくセイラーにすることだ」

まあ、海軍ですからそれもわからないではありません。
日本でも同じような論争が行われており、つまりこれは過渡期のジレンマというものだったのかと。




悩めるスコット少佐の元に、ある日、組織への不満を口にしてクビになった
元海軍の同僚が、外国に爆撃機を販売している彼の今の会社に
ヘッドハンティングの話を持ちかけてきます。

「給料は天井知らず”cieling unlimited ”だよ」



折しもスコット少佐は昇級試験に落第してしまっていました。
自衛隊だと2佐への一選抜から漏れたというところです。
これで提督の夢は潰えたと心が折れそうなスコットが、
ヘッドハンティングに心を動かされたとしても誰に責められましょうか。

しかし、海軍をやめることに反対したのはメアリでした。

「今まであなたを誇りに思っていたわ」

妻の説得でスコットは海軍を辞めてムッソリーニに飛行機を売る仕事を
思いとどまる決心をしたのです。



アナポリスのクリスマス聖歌隊がキャロルを歌います。(本物)

それからメアリは内助の功を発揮しまくりで、クリスマスパーティには
姪まで総動員して、若い士官たちに航空隊の魅力を宣伝するのでした。

「潜水艦と迷ってるですって?狭くて魚しかみえないわ」

「船は狭いけど夫はラッキーだわ。航空士官室はとっても広いのよ。
朝食にはステーキ、アイスクリームは毎日・・・」


そんな妻に夫は

「マタ・ハリ」

と一言。
伝説の女スパイで、色香を武器に諜報活動をし銃殺になったダンサーですが、
どうやらこれは褒めるつもりで言ったらしく、字幕にはただ

「見事だ」

とだけ翻訳されています。 

写真は、アナポリス学生による聖歌隊がキャロルを歌う様子。
これもどうやら本物。



年が明け、スコット中佐は「エンタープライズ」に配置されました。
もちろん航空隊の隊長です。
そして、再びハワイへの赴任を命じられました。

ハワイ・・・・嫌な予感しかしません。

 

そして1941年12月7日、日曜日の朝がやってきました。
ヒッカム基地では水兵たちがキャッチボールに興じ、礼拝が行われています。



メアリは夫の同僚の妻たちとテニスに興じていました。
右が八千草薫の若い時にそっくりな女優さんで、真ん中の美人はなんと

ジュリー・ロンドン!

ご存知ですかね。ジャズファンなら馴染み深い名前だと思うのですが。


Julie London Cry Me A River Colour TV Show



そこにやってきた帝国海軍機動部隊の艦載機。

これは合成ですが、ここからのフィルムはふんだんに本物が使われます。
ここで零戦を演じているのはカーチスホークP-36。



航空機の爆音に不審がっているうちに猛攻が始まり、
八千草薫に弾が当たって死んでしまいます。



こちら「エンタープライズ」艦上。
このときご存知のように空母は真珠湾におらず、真珠湾を母港にしていた
「エンタープライズ」もウェーキ島に輸送任務で赴いていました。

 

直ちにスコット中佐は航空隊に爆装させて発進させるのですが、
戻ってきたパイロットの答えは

「ゼロ・ゼロ!」(収穫なし)

右の飛行機はヘルキャットですかしら。



わ、ワイルドキャット?



ボタンを押すと三角のパネルがグイーンと立ち上がって、アレスティング・ワイヤが立ちます。
フックが引っ掛けるワイヤの高さって、こうしてみると高いんですね。


それよりスコット中佐は、日本軍が空母艦載機で攻撃してきたことにショックを受けます。

自分が若い時から海軍に母艦の必要性を折あらば提唱してきたのに顧みられず、
今その方法を敵に先に実践されてしまったからです。


ところでここまで書いてあることに気がついたのですが、
奥さんのメアリはスコットのことを「スコッティ」とよんでいるのです。
スコットってファミリーネームじゃなかったんだ、と思っていたら、
真珠湾攻撃の後病院でボランティアをするメアリを看護婦が「スコット夫人」と呼び、
どうやら夫の愛称がこの夫婦は、たとえば「山田」なら「やまちゃん」、
「望月」なら「もっさん」というノリであるらしいのです。

そんなことってアメリカでもあるんですね。ってそこかい。


続く。
 

 


映画「機動部隊」~空母「ラングレー」から「サラトガ」へ

2015-05-05 | 映画

先日ホーネット博物館の展示から空母「フランクリン」について調べたとき、
日本機の爆撃によって火災大炎上したこの空母をモデルにした映画があると知り、
早速観てみました。

機動部隊  "TASK FORCE"

というシンプルなタイトルで、ゲイリー・クーパー主演、1949年作品です。
一口で映画の内容を言うと、「アメリカ海軍空母発展史」。

このためにわざわざわたしは日本公開当時のパンフレットを購入したのですが、
その解説のしょっぱなで

「この映画はアメリカの海軍空母発達史においてその最大の恩人とまでいわれる
ジョナサン・スコットの伝記で、彼の苦悩の半生を淡々と描いている」

などともっともらしいことが書かれているので、そうなのかー、と思い、
まずそのスコットとやらの軍歴を当たってみようと調べたところ、
おいおい、どこにもそんな人物が実在していたなんて話はないじゃないの。

今はインターネット検索で、多少でも有名な人なら即座にバイオグラフィがでてきます。

たとえば本当にジョナサン・スコットがいたのか、みたいなことひとつ取っても、
映画公開当時は、調べるのに大変な時間と手間がかかったということなんでしょうが、
問題はたかが映画の解説とはいえ、刊行物で堂々としょっぱなに筆者の思い込みが
さも本当のことのように書かれてしまっていることなんですねー。


読んだ方も、映画のパンフレットの内容を検証しようなどとは決して思いませんから、
はあそうなのか、と一瞬思ってそれでおしまい、といういい加減さ。
もちろん読んだ人はそんな知識片っ端から忘れてしまうものだとはいえ、
こういう小さな「ごまかし」「創作」がいつの間にか既成事実として喧伝されていった例って、
実は世の中に無数にあるんだろうな、といきなりしみじみ()してしまいました。

だいたいWikiにしても、特に人文系はある意図を持って恣意的に編集されていることも多いわけでね。


ちなみにこの映画が日本公開されたのは、アメリカ公開のなんと4年後である1953年。

さすがに劇中全編にわたって全ての登場人物が「ジャップが」「ジャップが」と
叫びまくりのこの映画を、終戦4年後に日本人に見せるのは憚られた・・・・・というより、
この当時は現地公開と日本上映までの間に何年かタイムラグがあるのが普通だったようです。

日本ではあまり話題にならなかったようで、wikiもないくらいですが、
アメリカでは「ハワイ・マレー沖作戦」と同じような位置付けで評価されている模様。

というのは、この映画は米海軍の全面協力を得て制作され、公式アーカイブから
ミッドウェイ海戦、攻撃されたヨークタウン甲板、そして同じくフランクリンの甲板、
なんと我が二式大艇「エミリー」が攻撃される瞬間のシーンなど、
実際の映像がふんだんに流用されているという貴重な記録映画でもあるからです。

ゲイリー・クーパーの出演(日本だと三船敏郎みたいな感じですかね)もあって、
アメリカ国民は熱狂し映画は大ヒットとなったようですが、ラジオ・モスクワなどは

「プロパガンダメッセージを興行作品に乗せるとは、まさに戦争賛美であり、
全体主義的な軍国主義を推進するものである」

と、ちょうど冷戦が本格的になった当時のソ連らしくこのように批難しました。


さて、それではいつものように画像を追いながらお話ししていくことにしましょう。




本編は白黒ですが、後半にミッドウェー作戦のシーケンスにテクニカラーが挿入されます。



どこの解説でも触れられていなかった部分に注目。
軍事指導に、S.G.Mitcell大尉、James Dyer大尉とありますが、
お二方ともウィキペディアに名前の乗るような軍人さんではありませんでした。
ミッチェル大尉の方は1953年、つまりこの映画に協力したずっと後に
空母「アンティータム」の艤装艦長並びに初代司令となったらしいという記事が検索できました。



さて、映画は戦後、主人公のジョナサン・スコット(ゲイリー・クーパー)
トランクに自分の軍帽を仕舞う手元のアップから始まります。
その袖には2インチと0.5インチの金線が一本ずつ。
つまりスコットは少将で退役したという設定です。

元帥でも大将でも中将でもなく少将が最終位であったというあたりで、
この主人公が ”アメリカ海軍の一軍人” であると言いたいようです。



あれ、次のシーンで軍帽かぶってるし(´・ω・`)
トランクに入れていた軍帽はなんだったのか。


ゲイリー・クーパーこのとき48歳。
実年齢は退役にはちと早いかなというところですが、メイクと演技のせいで全く違和感がありません。
違和感といえば、冒頭に絵でつい描いてしまったように、48歳のクーパーが
独身の海軍中尉から退役する少将までを全部一人で演じてしまうので、
このころはともかく、最初の頃は、いくらなんでもこんな老けた中尉はいるまい、
というような違和感バリバリありまくりの絵面になってしまっています。

まあ、ゲイリー・クーパーで客を呼んでるような映画ですし、クーパーの
20代を演じられる男優は、さすがにアメリカにもいなかったのかもしれません。

「Navy will miss you, Sir,」(海軍は寂しくなります)

という言葉に送られて艦橋に立ち別れの挨拶をするスコット少将。

「空母のない時代から共に暮らした者もいる。
諸君の成長をわたしは一歩先に陸から(on the beach)見守ろう」




退役と同時に下される少将旗を持って私服で退艦する少将。
最後に吹鳴されるサイドパイプに見送られる時、その脳裏には
走馬灯のように空母に捧げた海軍人生が甦るのでした。



スコット少将が退艦したこの空母がなにかはわかりませんでした。
このときにはすでに「フランクリン」も「エンタープライズ」も退役しています。

このときバージ(はしけ)に乗り移ったスコット少将が最後に
二度と乗ることのない艦を振り返ってみるのですが、
艦上の誰一人として帽触れはしてくれておりません(T_T)
帽触れはもしかしたら日本海軍だけの慣習だったのでしょうか。

さて、少将、いや元少将が回想するのは27年前。
サンディエゴの航空基地で行われた母艦着陸訓練の日のことです。



石炭船を改造して造った空母「ラングレー」は、軍縮会議での廃棄を免れました。
そこで航空隊は、この空母で離発艦の訓練を実地することになったのです。



「動く船に着艦しろと言うんですか?」

今なら当たり前のことを、まさかと言う感じで確認する航空士官たち。
以前当ブログでもお話しした、ユージーン・バートン・イーリーが
「ペンシルバニア」に航空機を着艦させたのは1911年のことですから、
それからすでに10年は経っているはずなのですが、やはり
まだまだ必要性もないため、実用化の点でかなり遅れていたのでしょう。



地上訓練の様子は先が長いせいか全く描かず、次の瞬間いきなりスコットらは
「ラングレー」に乗艦しております。

 

細い金線二本の中尉たち。(そして全く似合っていないゲイリー・クーパー)
士官室で映画鑑賞です。
何を観ているかというと、着艦の失敗例特集。
「翼が傾いた」くらいでは皆ヘラヘラ笑っていますが、「海に落ちて死んだ」例では
皆思わず乗り出して息を飲んでおります。



そこに現れて皆を激励する艦長。

「飛行機は増やすつもりだ。これからは空母の時代になる」



着艦の手順を説明されている中でなぜか長アップになる士官。
映画的には、こういう人が真っ先に犠牲になってしまうはずです。



「着艦延期」「続行」「高杉」「低すぎ」「遅すぎ」「速すぎ」
などの手旗を一挙に説明しております。
こんなもん一回で覚えられないっつの。

  

そしていきなり実地訓練。
飛行甲板脇にずらりと並んで低みの見物をする同僚と、
引きつった笑いを浮かべて発進するスコット中尉。
なんとこのころの飛行機はプロペラを手回しして始動する複葉機です。

 

「甲板の幅など無きに等しく、空から見た甲板は墓標の形をしていた」
(スコット中尉独白)



なんどもアプローチを繰り返し、危うく海に落ちそうになりながらも
(この飛行機のシーンは訓練の実写)なんとか着艦。
皆が駆け寄ります。

このころの海軍で着艦方法を知っていたのはわずか34名ですから無理もありません。
そして次に訓練を行ったジェリー・モーガン中尉は発艦をミスし、殉職してしまいました。



同僚の殉職を、なぜか一中尉であるスコットが妻に伝えに行きます。
呆然とするモーガンの若妻、メアリー。
ジェーン・ワイアット演じる本編の女主人公です。

洗濯中に知らせを受けたせいか、

「彼のシャツを洗うのが好きだったのに・・・」

と意味不明の発言。



月日は流れて2年後の1923年。

給料2ヶ月分を叩いて購入した礼装に身を包み、上官のリチャード大佐から

「将官の奥方や上院議員と親しくなって母艦の飛行機調達に結びつける」


との使命を帯び、要路の集まるパーティに繰り出すスコット大尉。
(冒頭絵では中尉と書いてしまいましたがさすがにそれは無理ぽ)
お前は男前だからこういう役目を果たすためにワシントン勤務になったんだと言われ、
憮然としますが、他ならぬ航空機のためなので我慢です。

というかアメリカで、しかも男の軍人であっても「容色」は武器になるというか、
本当にこういうことがあったかどうかはともかく、
偉い人の奥さんにイケメンが取り入るという図式はありなんですね。



ところが肝心の提督、大鑑巨砲主義なので(笑)、飛行機など全く無駄で、
出世したければ戦艦に乗るべきなどと言い放ちます。

"Time you can down the sea level." (地に足をつけたまえ)

と誰がうまいこと言えと状態で一人で大ウケ。
スコット大尉がむっつりしていると、リチャード大佐に提督が笑えば笑え、と叱られます。



さらに偉い人のところを引き回されていると、殉職した同僚の未亡人に遭遇します。
彼女、メアリーは肩胸を露わにしたドレスもやる気満々で、海軍士官といい感じの真っ最中。

スコットは思わず道義的な怒りを感じて二人に割って入りますが、この未亡人、
全く悪びれる様子もありません。

海軍士官だった旦那を亡くしたので、代わりを探しに来たって風でもあります。



(夫の話なんか)「もうやめましょう」というメアリ(おいおい)に誘われ
庭の温室植物園に入ってみると、

「アメリカには軍隊など必要ありませんよ!どこと戦争するっていうんですか」

などとまるで日本共産党や憲法9条信者のようなことを大声で喋っているおじさんが。
その新聞社社長、ベントリー氏に向かって、スコットはつい論戦を挑みます。

「海軍の発展に空母は欠かせません。もし戦争が起こったら・・」

「戦争だと?相手は誰かね」

「日本の不穏な動きがあるとお聞きになったことはありませんか」


おいおいおいおいおい(笑)1923年にかい。

第一次世界大戦が終わって、まだナチス党も政権を取っていない時代、
軍備を増強するのが「不穏」というなら世界中が不穏な国ばかりなんだが。
どうもいかんね後出しの結果をこんな風に言わせるとは。



そのときなぜか温室を散歩していた日本大使と海軍次官。
この設定もすごくて、左が野村大使で右の軍人、これ誰だと思います?

山 本 五 十 六  (海軍次官時代)

なんですってよ。こりゃびっくりだ。
で、このスコット大尉の言葉を耳にして、二人とも温室を立ち去るわけですが、
いかにも「こいつ、見抜いているのか」みたいな怪しげな態度なわけ。

野村大使も五十六もギリギリまで戦争を避けるという動きをしていたわけだし、
ましてや海軍次官時代からアメリカと戦争することを企んでいたなど、
とんでもない創作なんですが、要するにスコットが慧眼であったと言いたいわけだ。

まあ、「戦争が起こった際に備えて配備が必要」って考えはごもっともなんですが。



しかしスコット大尉、余計なことを言ったために提督に呼び出され、

「日本の大使館員に恥をかかせたばかりか我が国で最も影響力のある
人物まで敵にまわしおって・・・・(怒)」

ということで、その場でパナマ運河の事務職に左遷決定。話が早すぎ。



こちらも話が早すぎ。なんでそうなる。



というわけで、2年間ハンコを押す毎日。



ところが人生糾える縄のごとし。
人生楽ありゃ苦もあるさってことで、或る日突然スコット大尉は
新しく海軍が建造した空母「サラトガ」からお呼びがかかりました。



パーティの日スコットを連れ回していたリチャード大佐が
どうも口利きをして「サラトガ」航空隊に引っ張ってくれたようです。
あんなに怒っていたのにいいやつだ。



誰も知っている人がいないので心細く思っていたところ、
ようやく「ラングレー」時代の同僚、ディクシー大尉を発見。



隊長なのに後発参加のスコットは皆に追いつくために早速訓練に入ります。
空母の昇降機など、古い飛行機乗りである彼には見るのも初めてです。

 

字幕は出ていませんでしたが、このシーケンスでは「ヘルダイバー」と言っていました。
カーチスのSBCのことであろうかと思われます。

 

これがいわゆる「エナーシャ回せ!」ってヤツですか。

 

ブランクもなんのその、軽々と発艦成功したスコット大尉。
飛行機の機能はラングレー時代からは大違い、空母「サラトガ」も巨大で
おもちゃのような「ラングレー」 とはえらい違いです。

 

こういった映像は海軍が貸し出してくれた本物を使用していることもありますが、
現存していた飛行機はスタントが操縦して撮ったそうです。
そのスタントの名前が、ポール・マンツ

・・・聞いたことありません?(このブログで)



ここでスコットの乗機に問題発生。
進化していたはずの「ヘルダイバー」、なぜか上空で操縦不能になり、海に墜落。
「ラングレー」の頃なら、飛行機はそのまま海底に沈みスコットの命もなかったはずですが、
飛行機の性能に加えて救出体制も格段に違っていたという設定で、怪我だけで済みました。



なぜかローラースケート靴と「戦争と平和」の本を持ってお見舞いに来る悪友たち。
そして、案の定同僚の未亡人メアリが怪我を聞きつけて突撃してきます。

 

突如BGMにロマンチックなエレベーターミュージックが流れ、
二人は俄然怪しい雰囲気に。
そして唐突に結婚を申し込むスコット大尉。

それにしても、この人たちはお互いの何を知っていると言うのだろうか。
しかも2年前のパーティーの夜以来、初めて会うというのに。
もう少しお付き合いしてから結婚を決めたほうがいいのでは・・・。

 

とまあそれは映画だから仕方がないとして、負傷したスコットは結婚と同時に
「サラトガ」から転勤を命じられます。
何かと転勤が多いというのは、日本国自衛隊だけではなかったんですね。

さて、海軍軍人ジョナサン・スコットの次の職場はどこでしょうか。


続く。

 


みどりの日のディナー

2015-05-04 | お出かけ

東京の丸の内にあるフォーシーズンズホテルのメインレストランは
今年に入ってずっと改装工事をしていたのですが、それが完成したので、
さっそくディナーを楽しんでまいりました。

少し息抜きにおつきあいください。



規模としては大きなホテルではないのですが、5つ星で、
在京ホテルの中ではマンダリンオリエンタルとともに我が家の評価の高いホテル。
どんな風に変わっているのか楽しみです。

エレベーターを降りたところのインテリアも変更あり。



開業当時はフロントがこのフロアにあり、この部分から右側が
全てフロントスペースのソファなどになっていましたが、
一階にフロントを移し、ソファスペースをティールームのようにしていました。

今回の改装で、このフロア全部を飲食のスペースにしてしまい、
左をダイニング、右をバー&ティーコーナーにしつらえたようです。



ダイニングスペースも大幅にリモデル。
花瓶に生けられた満天星 (どうだん)が広がりを感じさせます。



バーテンダーも変わったそうです。
どんなカクテルでもイメージだけ頂ければ作ってみせるということだったので、
まずはグレナデンを使ったノンアルコールカクテルを注文してみました。
通されたテーブルはもっとも上席であるコーナーで、東京タワーが見えます。

グレープフルーツを使って甘さ一辺倒にしていないのが大人、なお味でした。




しばらくお料理は大皿の上に敷かれたリネンの上にサーブされます。
プリフィックスコース、まずはタマネギのキッシュ。
熱々で火傷しそうなキッシュは、タマネギの甘みが生きていました。



実はこの少し(3日)前に、お昼にお茶を飲みにきたのですが、
そのときにもこの木の枝にクッキー?を引っ掛けて持ってきました。

見かけからは何か想像もつきませんが、要は練り物系天ぷらです。
これも熱々で、噛むとフキノトウのほろ苦い味がしました。



見ればわかる。ウニですね。
息子はウニカニの類が大嫌いなのですが、これは食べていました。
普通の味付けでは食べられないものでも、創作したものであれば口にできるようです。
オクラのとろりとしたジュレの中に浮かぶウニをすくって食べるのですが、
お味はともかく大変食べにくかったです。
ウニの殻に入っていなければぐいっと一飲みしたい感じでした。

安物のウニは型崩れを防ぐためにミョウバンを大量に使うので、
苦くて妙な味がするものですが、ここのはもちろん塩水ウニといって、
ミョウバンを使わず塩水で保持しているものですから美味しかったです。

北海道出身のアドバイザー(シェフのことかどうかはわからず)が、
今調理を担当しているので、素材も新鮮なものばかりということでした。



このカップが出てきたときに息子が、

「このカップ、ホテルの客室に置いてあったコーヒーカップだ」

といいました。
確かにそうです。
ホテルの部屋でコーヒー紅茶を淹れて飲むために備え付けのものなのですが、
なにしろデミタスサイズなので不便で堪らず、わたしたちは
お茶を飲むときわざわざ大きなカップを持ってきてもらっていました。

「もしかして部屋で不評だからこっちで廃品利用することにしたんじゃ」
「・・・それはないと思う」

真偽はともかく、これはオマール海老のビスク。
フォームの上にかかっているのはカレーパウダーで、このカレー味が
オマール海老独特のちょっとした「臭み」を見事に消す役目をしていました。



お酒の飲めないわたしたちは、「白」といってもこのようなものを注文。
ぶどうジュースじゃありませんよ。
ノンアルコールワインといって、ワインからアルコールだけを抜いたものです。
ジュースのような渋みが全くなく、全くワインのような風味があります。



実は一番美味しかったのがこのお皿。
ただのサラダのようですが、アスパラガスを細かくナイフで刻み、
お皿に乗せられた3種類のゴマやソースで味の変化をつけていただきます。



ウェイターが銀色のドームをばーん!と開けてこれが出てきたので驚きました。
ホッキ貝です。
そういえば北海道の漁港で、ホッキ貝専門食堂のホッキ貝のカレーを食べたことがあるなあ。
今にして思えば、ホッキ貝をカレーに入れるってなんてもったいないんだろうというか、
味がわからなくなってホッキ貝の意味ないんじゃね?というものでしたが。

「イメージキャラクターがホッキー君・・・・だったっけ」
「そういえば、ホッキ貝がホッケー選手の格好してましたね」
「英語でホッケーは”ホッキー”だから・・・」

などと思い出話をしながら貝の蓋を取ります。



これも泡か。
この中にホッキ貝の身が入っているわけですが、さらにその実態はリゾット、
つまり底の方にはご飯があるのだった。
貝も嫌いな息子がなぜかこれにも果敢にトライしておりました。
これだけ手間ひまかけてれば、家でも好き嫌いなくなんでも食べるってことなんだろうか(笑)

うーん、悪いが、母ちゃんそんな料理にかけている時間はないんだよ。



続いての銀色ドームを一応写真に撮るわたし。
ちなみにバケットとバターは死ぬほど美味しかったです。
しかしウェイター氏は

「パンをあまり召し上がられると、お料理の方が・・」

とおかわりを勧めませんでした。
ごもっともです。

さて、例によって恭しく三人のウェイターさんが一斉にドームを持ち上げると、



続いてのお料理は北海道でしか獲れない、カスベでございます。

「ああ、そんな歌ありましたね。カスベの女って」
「それはカスバ」

さすがは関西人、こまめに突っ込んでくれてありがとうTO。 

「へー、初めて見るけどカスベって変わった調理法で食べるのね」

と思う間もなく、



こちらがカスベでございます。
奥の立柱はジャガイモでした。 
ジャガイモだけをわざわざシルバーのドームかぶせて持ってくるんじゃねー(笑)

で、カスベって何者なのかね。

「エイのヒレのことです。北海道や東北などでは煮付けにして食べます」

お味は柔らかくて、なんというか、ハモをこってりと脂っこくした感じ。
ケッパーのと後からかけられたバターソース(冒頭写真)が合う味でした。



ここでまた再びTOがバーテンダーに無理難題を吹きかけます。
(このひとはこういうことになると情熱を燃やす傾向に)

「ウーロン茶を使ったさっぱりめのカクテルを・・」

職人肌のバーテンダー(たぶん)が、一旦できた完成品を気に入らぬ!と捨てて(!)
もういちど作り直した自信作がこれ。

確かに食事と一緒にいただくのに最適のあっさり味でした。



松の香りを肉に移すため?
今からこれを焼きます、と持ってきたカモ肉。
メインはコースによって牛肉、豚肉、そしてこの鴨肉の三種類があります。



実はこのころには十分予想されたことですが、お腹がいっぱいになってきていました。
決して大きな肉ではないのですが、食べられるかどうか不安。



付け合わせもあとから乗せてくるし(笑)
ポテトも肉も、わたしは残してしまいましたm(_ _;)m



しかし非情にもまだまだデザートが終わっていないのだった。
別腹などと言えないレベルにお腹いっぱいですが、頑張ります。



いちごのシャーベットにいちごを煮たソースがけ。
ここで終わりと思ったら、



駄目押しで出てきたケーキは日本酒のババ。
babaというのは決してお皿に書いてある「ハッピーバースデイ」とは関係なく(´・ω・`)
お酒(たいていラム酒)を染み込ませた焼き菓子のことなのですが、
これは日本酒を染み込ませてありました。



そこで運ばれてきた花束代わりのニコライバーグマン・フラワーボックス。
ケーキに火のついたローソクがさしてあって、従業員が皆でハッピーバースデーを歌うというような
恥ずかしいサービスは、ここではやらない主義のようです。よかった。

この日は祝日だった(みどりの日)にもかかわらず、レストランには我々を含め
ディナーを取っているのは3組だけで、わたしたち以外はどちらも
白人系外国人のゲイカップル(多分)の旅行者でした。



最後のお茶と共に出してくるお茶菓子。
だからもう寸分たりとも入らないんだよ!
と思いながらも、ウェイターがこのマシュマロを好きな長さに切ってくれるというので、
本来の大きさくらい、と頼んで切ってもらい、口に押し込む羽目になりました。

というわけで本年度の誕生日は滞りなく終了したわけですが、
今年プレゼントにもらったの
は、・・・・・・ニコンのレンズでした。

これについてもいろいろあったので、またそのうちご報告します。



 


護衛空母「ガンビア・ベイ」~ "THE LITTLE GIANTS"

2015-05-02 | 軍艦

昔、当ブログを開設した年にアップしたこんなエントリがあります。

駆逐艦「藤波」のこと

サマール沖海戦で重巡「利根」に撃沈された米海軍の護衛空母、

ガンビア・ベイ(USS Gambier Bay, AVG/ACV/CVE-73)

の海に漂う乗員に対し、無用の攻撃をせず甲板から彼らに敬礼を送り、
そのあと撃沈されて全員が戦死した駆逐艦「藤波」のことを、
「ガンビア・ベイ」の生存者が

私は世界の人々、とりわけ日本の人たちに駆逐艦「藤波」の乗組員のことを知ってもらいたいのです。
これら乗組員たちの、見事な行為を知ってほしいのです。

という手紙を日本に送ってきたということを取り上げたものでした。
このとき、偶然記事を目にした遺族の方が二人コメント欄に連絡を下さったことで
(一人は『藤波』が収容していた『鳥海』の乗員の関係者)わたし自身大変感激したものです。

今日はこの「ガンビア・ベイ」と護衛空母(Escort carrier )について、
例によって、空母「ホーネット」艦内の資料展示の写真を挙げつつお話ししたいと思います。 

まず冒頭写真の、地獄絵のような「ガンビア・ベイ」の総員退艦の様子をご覧ください。
艦腹に無数に降ろされた救助ロープを伝って、前の者と間も分かたず海面に逃れる乗員たち。


所々に高く上がる水しぶきは、ロープが間に合わず甲板から飛び込んだ身体があげたものか、
あるいはこの間も続いている日本軍の攻撃によるものでしょうか。

すでに左舷に向かって傾いている艦体の後部からは劫火のような炎が黒煙と共に噴き上がり、

この瞬間にも、爆発が構造物の何かの破片を空中に四散させています。
艦内は一つのハッチを通じて、すでにその中は火炎が燃え盛り、内部にはもう既に
手のつけようもない状態になっていることが窺い知れます。

海面に逃れたものは次々と救命ボートに泳ぎ着くのですが、
すでにあふれんばかりになってしまったボートの上に上がるすべもなく、
ただ呆然と、その縁に手をかけてしがみついている様子です。


当ブログのエントリで取り上げた「鳥海」の黛治夫艦長の戦後の証言によると、
「ガンビア・ベイ」乗員は「鳥海」の攻撃によって総員退艦となったとき、
「冷静に縄梯子を下りる順番を待っていた」そうですが、確かにこの様子からは少なくとも混乱は見られません。

ただ、

無用の殺傷を避けるために船体の中央を狙った」

という証言と、この絵の様子とは少し違うようにも思われます。

黛艦長の言い方だと、ひとところから脱出していたように取れますが、
実際には中央からも続々と将兵たちが海面に降りていますね。

実際に「ガンビアベイ」の致命傷になったのは右舷後部への着弾で、
艦隊の最後尾にいて栗田艦隊の集中攻撃を浴びた「ガンビア・ベイ」には、
雨あられのように砲弾が向かってきたそうですから。



こちら絵の全体像。
右手向こうの水平線に見えるのは栗田艦隊の艦でしょうか。
海面に逃れる乗組員たちの傍でも容赦なく砲弾が炸裂しています。
絵の題名は

”REEDOM'S COST ”(自由への代償) 

 

アメリカ人らしいといえばこんなアメリカ人らしい言葉もありますまい。
彼らにとって戦争とはアメリカの自由を守るものであり、そのためには
血を流すことが義務であるというわかりやすい信念を、アメリカという国は
その建国の成り立ちからDNAに刻み込んできたのです。

アメリカ人のいう「フリーダム」には、「自由」というそのものの意味とともに
「独立」という理想がイコールと言っていいほど色濃く含まれます。
いかなる他国にも侵害されない権利、自主独立の権利。
自身が独立戦争によって血を流し建国したが故にこの信念を高く掲げ続けてきたのがアメリカです。

そのアメリカが、日本に勝ったあと、日本から「自主独立の権利」を奪ったということに、
わたしは多くの日本人がそう思う以上に、米国の日本に対する「精神支配」をみるものです。

何が言いたいかちうと(笑)、 つまりアメリカは日本から

「血を流して得られる独立」

 

を選ぶ権利を奪ったということなのです。
それが尊いと自ら信じている行為を、日本から"は"剥奪したということなのです。 

こちらは血を流さずともアメリカが守ってくれるって言ってるんだからラッキー!
とか言っている人は、血を流す権利すら剥奪されていることの本当の意味から
目をそらされているに過ぎない、とわたしは思っています。

アメリカがそれを日本に与えたのは、決して日本人の命を重んじたからではなく、
国ごと日本を「別の何か」に作り変えたかったからだと思っています。
それは少なくとも自分たちの目指しているような独立国家とは別の違う国に。

さて、というような話はここまでにして(笑) 



この日、ガンビア・ベイのマストにあった星条旗。
沈みゆく巨艦から 脱出した乗組員によって持ち出されました。



この展示室にあった巨大な「ガンビア・ベイ」の模型。
ガンビア・ベイは当初 AVG-73 (航空機搭載護衛艦)として計画されましたが、
1942年、 ACV-73 (補助空母)に、翌年再び CVE-73 (護衛空母)へと、
1943年の就役までに運用状況に応じて何度も分類が変更されました。


例年このカイザー造船所は16隻の船を海軍に納入していましたが、1943年の目標を
海軍が2隻引き上げて18隻にしたため、造船所側は起工からわずか171日という
記録的な日数で「ガンビア・ベイ」を就役させてしまいました。

このため、「ガンビア・ベイ」は目標の18隻を上回る19隻目の艦となり、
彼女は造船所の「ボーナス・ベイビー」と呼ばれたそうです。



このときのカイザー造船所にはこんな目標が与えられたそうです。

「目標、18隻かそれ以上、44隻まで」

目標より少しでも多く、だ。
なぜ44隻なのかなんて野暮なことはいいっこなしだぜ。(って感じ?)

就役後「ガンビア・ベイ」はマーシャル諸島で「エンタープライズ」に航空機を
輸送する任務に就き、1944年6月にはサイパン島、テニアン島攻略に参加し、
その間に呂-36を撃沈するなどしています。




アルバート・ロスは沈没した「ガンビア・ベイ」の航空整備員でした。
総員退艦の後、ロスは44時間漂流して命を救われ、その後は「ホーネット」
(今この展示がされているまさにその)に勤務した後、戦後はコロラド大学で
メカニカルエンジニアリングの学位を取得しています。

ここにある模型はロス氏が製作し、ここに寄贈したものです。

しかしロスさん、若い時は超イケメンですなあ。



1944年10月25日、サマールに展開していた第77任務部隊第4群第3集団の一艦として、
最後尾を航行していた「ガンビア・ベイ」が、「大和」を旗艦とする栗田艦隊と遭遇、

集中的に攻撃を受けたのは朝8時10分のことでした。

この写真は護衛空母「キトカン・ベイ」から撮られたもので、やはり護衛空母群の

「ホワイト・プレインズ」(CVE/CVU-66)とともに航行している時で、
「ファンショウ・ベイ」(USS Fanshaw Bay, CVE-70)がバックに写っています。




この写真は今しも「ガンビア・ベイ」を攻撃した4発が巨大な水柱が上げた瞬間を

やはり「キトカン・ベイ」艦橋から撮ったもので、
甲板の上の「キトカン・ベイ」乗員が呆然といった感じで、攻撃される僚艦を見つめています。

レイテ湾の戦いは、第二次世界大戦最後の大規模な海戦となり、
このときに戦った日米豪海軍艦艇は282隻、投入された人員は200万人に及びました。

しかし、アメリカの軍艦で砲戦によって沈没したのは、「ガンビア・ベイ」ただ一隻だけです。



なんだなんだ、いきなり「サッチウィーブ」かい?

とわかってしまったあなた、今更ですがすみません。
なんかここにいきなり現れたんですよ。サッチウィーブが。

Thach Weave」は米海軍のジョン・サッチ中佐が編み出した対零戦対策の戦法で、
ペアで一組となり零戦に相対する場合、サッチウィーブは、機織り(ウィーブ)のように
互いにクロスするようにS字の旋回を繰り返すことで、
たとえ駆動性に優れた零戦に後方を取られても、僚機がその敵機のさらに後ろに付き、
効率的に戦闘ができるというやり方でした。



ジョン・サッチ中佐(たぶん)。
この絵のクォリティといい、ここにわざわざ解説があることといい、激しく謎です。
どなたか「ガンビア・ベイ」とサッチ中佐の関係をご存知ないですか。



立派な金属の銘板には、金文字で

「アメリカ合衆国海軍護衛空母で救助に当たった男たちに捧ぐ」

という表題の後、なかなか詩的な?碑文が続きます。

彼らはアメリカの隅々からやってきた
草原から、産地から、大都市から、海辺の町から、北から南から西から東から
彼らは季節雇いの船員などではなく、最初から遠くに航海する護衛空母の男になった

戦火に憤り怒れる大波に翻弄されて、彼らはすぐさま、戦時のセイラーになったことを知る

敵艦と対峙してそして勝ち、世界中の海で敵の潜水艦と戦iい、神風特攻の猛攻に苦しみ、
アフリカの北や沖縄の揚陸を支援し、航空機を運び航空機を供給して、
彼らの誰もが聞いたこともない太平洋の嵐や大西洋の強風と戦った

彼らは決して尻込みしなかった
彼らの国を救うためにやってきて、そして二度と海から故郷へ戻ることのない者もいた
これらの艦上の男たちの何人もが、誇り高き救助を行いそして帰って来なかかった
 
リスカム・ベイ(11/24/43) ガンビア・ベイ(10/25/44)  ブロック・アイランド(5/29/44)

オマンシー・ベイ(1/4/45) セント・ロー (10/25/44) ビスマルク・シー(2/21/45)

これらの男たち、これらの艦が、名誉、勇気、忠誠、そして無私の奉公によって
アメリカ合衆国を救ったことをもって、彼らを尊敬すべき愛国者として列する

彼らの偉業は後世にわたって記憶されん


こんな感じでしょうか。
ここに挙がっている6隻の艦はいずれも戦没した護衛空母ばかりです。
 
護衛空母とは、帝国海軍でいうと「大鷹」「雲鷹」「海鷹」「神鷹」「冲鷹」
(冲鷹は移管前に戦没)の「鷹」シリーズ、「あきつ丸」「熊野丸」などで、
いずれも商船を改造して造ったものでした。

アメリカでも目的は船団護衛、航空機輸送を目的としたもので、小型・低速の空母を
「護衛空母」(escort carrier)として艦種を分類していました。
 アメリカ海軍における護衛空母の艦種コードは「CVE」です。
これは空母を表すCVに護衛(Escort)の頭文字を付加したものなのですが、

燃え易い(Combustible)
壊れ易い(Vulnerable)
消耗品(Expendable)

と案の定中の人たちからは自嘲されていたようです。
また「ジープ空母」、「赤ちゃん空母」などとも呼ばれていましたが、いずれにしても
簡単な改造で多数送り出された商船改造空母を揶揄した響きには違いありませんでした。



護衛空母かく戦えり、といったところです。
この文章にもありますが、アメリカの艦艇があの戦争をいかに戦ったかを語るとき、
必ずそこには「カミカゼ」と「潜水艦」という文字があるのに気づきます。
いずれも戦後、過小評価しようとする一派によって不当にその戦果を貶められる存在ですが、
当のアメリカがいかにこのどちらもを恐れていたかはこのような文章にも表れています。

過小評価といえば、「ガンビア・ベイ」を沈めた時の栗田艦隊の砲撃についてもそうでした。
 
相手が正規の空母ではなく、さらには正規の機動部隊でなかったことから、

戦後、戦史研究家を自任する一部「有識者」が、日本海軍の砲術技量そのものにまで、
底意地の悪い疑いの目を向け”
(都竹卓郎)

たり、あるいは敵艦隊の目撃者から「われわれより劣る」「不正確であった」
などといういわば悔し紛れの評価がそのものにたいする印象となったりしたことです。

しかし、Wikipediaにも、例えば「利根」が408発の主砲弾のうち7発命中させた、
つまり全力で避弾運動をしている艦に対する1.7%の命中率は高いものである、とあるように、
この時の海軍艦の砲術技量は決して劣ったものではなかったことが証明されています。




ところで今回のエントリのために一連の関係資料を見ていて、思わず「そうだったのか」
と気づいたことがありました。
栗田艦隊謎の反転の始まりとなった事象は、敵機動部隊が栗田艦隊から北100kmの地点、
「ヤキ1カ」に存在するという電文が届いたことでした。

この「ヤキ1カ」という言葉。


ああああ・・・いや、昔、「ヤキ1カの偽作電」さんというIDネームの方がおられましてね。
そのときには何のことだか全く見当がつかず、お尋ねしてみたのですが、
栗田艦隊のくの字もおっしゃらなかったので、以前謎のままだったのです。

今日になって初めてその意味がわかりました。
「ヤキ1カの偽作電」さん、その節は無知ゆえ失礼をいたしました。
謹んでお詫びを申し上げます。

って「ガンビア・ベイ」と何も関係ないし(笑)





人民海軍はブルーウォーター・ネイビーの夢を見るか 

2015-05-01 | 日本のこと

相変わらず本題以外のことに寄り道している当ブログですが、
今日は腰を据えて?海軍兵学校同期会で行われた、元海幕長の講演の内容をまとめてみました。
しかし、後から読み直してみたところ、実際に元海幕長が述べた内容の、ごく一部を

例によって当方の興味にまかせて膨らませてしまったりしているため、実際の講演では
おっしゃらなかったことがかなり含まれていることをご了承ください。



さて、演者の元会場幕僚長は、ここ水交会の専務理事でもあります。
講演に先立ち、


「もし海軍兵学校が継続していたら、私は100期ということになります」

と前置きして、講演を始めました。
本日のお題は、「中国の海洋進出」。
わたしはまったく同じ題で、3年ほど前に同氏の講演を聞いているわけですが、
あれから国際情勢は少し変化しています。
ベクトルはまったく変わっていないだけでなく、むしろ深化しているだけとはいえ、
講演の内容にも当然なんらかの変化が見られるはずです。


●中国の海洋進出の目的

簡単に言ってこの目的とは、海洋資源と海上交通の確保です。
資源については周知の通り、尖閣付近に海洋資源があることがわかった1970年から
急に領有を主張しているので、あまりにもわかりやすい意図で見え見えなのですが、
何しろあの国は「言ったもん勝ち」とでもいうのか、たとえば南京大とやらも
10万人単位で数だけ増やしてそれと比例して声も大きくなっているわりに、
新たな証拠や検証結果などはまったく出してこないのが、「お隣の国」韓国の、

「我が国がそう言っているんだから竹島はわが国のものだ」
「慰安婦がそう言っているんだから強制連行はあった」

という独自のロジックに基づく主張と極似していて、さすがは宗主国であると思わされます。
この辺りのお話でもっとも印象的だったのは、

「中国の国土面積は日本の25倍であるが、海岸線はわずか5分の1」

という事実で、あらためて驚きました。
さすがに島国日本、そのおかげでEEZ、国土の海岸面積から200海里以内を
経済水域とする基準でいうと、その広さはなんと世界第6位となるんですね。

目的としてはもちろん、「本土防衛のための防御縦深拡大」があります。
「縦深」という言葉には馴染みがないですが、軍隊で、最前線から後方に至るまでの縦の線の意です。

 


日本列島から出てくるように引かれた二本の線ですが、
左側を第一列島線、右を第二列島線と称しています。
称しているのは中国で、日本ではありませんので念のため(笑)

この勝手に引いた列島線を中国はつまり


「対米防衛線」

だとしているわけですね。
この第一列島線の内側には日本列島の一部、つまり尖閣諸島が含まれていたので、
当時日本国民は騒然となりました。(一部の人々のぞく)

例えばこの図でいうと、

第1列島線 AA(A2とも)アンタイ・アクセス アメリカを接近させない

第2列島線 AD エリア・ディナイアル アメリカを地域から追い払う

という戦略のために作り上げたラインです。
追い払うとか近づかせないとか、何を勝手なことを言っているんだ、
この線の内側には完璧に日本の領海もあるじゃないかと思った方、その通り(笑)


中国は目標の一つに「海洋強国」をあげていて、そのためには、24時間衛星やドローンで
中国の動きを逐一見張り、不法行為を行おうとした瞬間事前攻撃を仕掛けてくる、
「憲法9条」を持たないアメリカが大変邪魔なわけです。

そのため、強大な人民海軍を建設することを目標に、中国は倍々で軍事費を増加しており、
現在の日本の国防費5兆円に対し、17兆円、実質はその2倍になると言われているのです。

そして航空母艦を建造し、潜水艦を増やしているのですが、元海幕長に言わせると
「遼寧」というこの空母は艦載機も未習熟であり、むしろ警戒するべきは潜水艦だとのことです。
そして潜水艦の建造も着々と進んでいるのですが、問題は性能。

この点日本の潜水艦はバッテリー推進の性能、静謐性において現在世界一の性能だそうで。
保有隻数も従前16隻であったのを、22隻まで増やす予定だそうです。




ところでなんで日本の領土なのに、中国が列島線戦略でアメリカアメリカと言っているのかというと、

つまり中国が本当に恐れているのが、日本ではなくその後ろのアメリカだということなんですね。
これは元海幕長がおっしゃったのではなく、わたしが今そう思っただけなんですが、
もしアメリカが前述のように監視していなければ、中国はもっとやりたい放題するはずです。

日本のサヨクを抱き込んで、沖縄で米軍基地の反対運動をしょっちゅう起こしたり、
(日当が出ているらしいですね。どこからお金が出ているのかな?) 
住民票の操作、選挙管理に不正をしてでも沖縄の知事に親中派の人物を押し上げたのみならず、
先日はわざわざ中国に「朝貢」というか忠誠を誓わせるために呼びつけていますね。
ついでに色々とあてがって、しっかり弱みも握ったんでしょうね、きっと・・。


こんなことからも、中国はまず日本からアメリカをなんとかして
「引きはがしたい」のが、手に取るようにわかりますね。


●ブルーウォーター・ネイビー

という言葉をご存知でしょうか。
反対語というか対義語は「グリーンウォーター・ネイビー」といいます。

ブルーの方は、日本語では「外洋海軍」といい、自国の沿岸に留まらず、
世界の各海域で広域的かつ長期的に艦隊を運用し、作戦を展開できる能力を有する海軍で、
これに対し、自国沿岸でのみ作戦展開する海軍が「グリーン」の方です。

現在、世界ブルーウォーター・ネイビーを保有するのはたった3カ国。
アメリカ合衆国、イギリス、そしてフランスです。

フランスが意外なのですが、フランス海軍というのは完成度が高く(歴史もあるし)、
イギリスの王立海軍に引けを取らないのだそうです。
もちろんいうまでもなく、我が大日本帝國海軍も、ブルーウォーター・ネイビーでした。

つまり、かつてのブルーウォーターネイビーは、世界三大海軍と言われた、
アメリカ、イギリス、日本3カ国の海軍であることになります。

現在の海上自衛隊は、憲法の関係でグリーンにカテゴライズされますが、
シーレーン防衛を戦略目標とし、策源地への攻撃能力を有しないものの、
広域的に艦隊を洋上展開し、艦隊並びに護衛する商船団を防衛するに十分な防御力を有していて、
「実質ブルーウォーター・ネイビー」というべきでしょう。

そして現在の中国が目標にしているのがブルーウォーター・ネイビーなのです。

「沿岸から1,500海里以上の遠方海域を制圧可能な能力」

を保有することをめどにしていて、ジブチの海賊対策にも積極的に出動していますが、
これは、国際貢献というより「実戦に習熟して海軍力をあげるため」であるという見方が専らです。

せっかくいいことをしているのにこんなことを言われてしまうのも、
日頃の行いがあまりよろしくないせいで、これは仕方のないことかもしれません。
そういえば佐世保の海自基地に向かって叫んでいた左翼団体のHPには

「海自の派遣は血に飢えた自衛隊の野望がどうしたこうした」

と書いてあったのを思い出しますね。
いったい海賊対策派遣のどこが「血に飢えた野望を満たすため」なのかと、
あの文章を読んで首をひねったものですが、中国海軍の下心を反映したものである、
と考えるとわかりやすいかもしれません。

韓国が試合に負けたり何か自分たちに都合の悪いことが起こると「日本が金をばらまいた」と
大騒ぎするのが、おそらく自分たちの行為の投影であるように。
 
ちなみにその韓国ですが、装備自体は外洋海軍になりつつあるものの、
その海軍の本質的な戦略目標や海軍の運用能力から、

(所詮)地域海軍の域を出ない。

とされています。


蛇足ですが、「ブラウンウォーター・ネイビー」というのもアメリカにはあり、

これはイメージ通り、河川や沿岸部を担当範囲とする部隊を指します。


海上自衛隊は三大海軍だった頃の「海軍力」を文化として引き継いでいますので、
実質そうではなくとも実力的にはブルーウォーターネイビーであるわけですが、
中国の場合はいかにもその辺りが未成熟で、元海幕長に言わせると大きな図体をした赤ん坊、
といったところだそうです。

2013年1月、海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち」に対して、中国海軍のフリゲート艦「連雲港」が、
火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射した事件がありました。
それだけでなく、翌月の2月に、こんどはフリゲート艦「温州」が、海自の「おおなみ」の
艦載機であるSHー60哨戒ヘリに、同じ火器管制レーダーを照射しました。

射撃管制用のレーダー照射、というのは、まさに引き金を引けばズドン、の状態なわけです。

中国側からは「軍の暴走ではないか」という意見も出たそうですが、指揮系統からいっても
それはありえない話で、実際にも共産党の意を受けた中央軍事委員会の決定であると判明しました。

これははっきりいって、自衛隊が(というか日本が)なめられていたといってよく、
海上自衛隊は安易に火力で反撃してこないと"信頼"して実施されたと言われています。

元海幕長が実際にアメリカ海軍の軍人とその話をしていたところ、

「自分が当事者であればレーダーの照射があった時点で先に攻撃している」

と述べたそうです。
このほかにも、防空識別圏の設定や、航空機の異常接近など、とてもネイビーとして
「イケてない」、つまり図体ばかり大きくても洗練やましてや「三大海軍」などには
到底ありえない田舎海軍の振る舞いをしている間は、ブルーウォーター海軍への道は遠いと言えます。



●円満時代から敵対時代へ

昔は中国海軍と自衛隊の間はそう悪くはありませんでした。
韓国海軍と自衛隊の交流が今でも行われているように、防衛交流として
例えば士官候補生を乗せた人民海軍の練習艦が江田島を訪問し、そこで交流を行いました。 

【特集】 中国海軍 広島訪問の5日間


晴海埠頭にも「深セン」が入港したこともありますし、2008年には「さざなみ」が
日本の護衛艦としては初めて中国の湛江に寄港し交流するという出来事もありました。

しかし、上に述べたような常識の欠如した振る舞いを海軍が共産党の意を受けて
自衛隊に挑発するように仕掛けてくるようになり、事態は悪化し、
現在ではそういった交流の一切が遮断されているのが現状です。


●ベトナムという国

確か、前の講演会でも元海幕長はベトナムに学ぶべきであると言いました。

1979年、大量虐殺を行っていたカンボジアのポルポト政権に対し、
軍事侵攻によってこれを壊滅させたのに怒った中国が、

カンボジア侵攻に対する懲罰行為

と称してベトナムに侵攻してきて起こったのが

中越戦争

です。
しかし、ベトナムはこのとき中国軍を返り討ちにしました。
その5年前のことになりますが、1974年にはベトナムは

西沙諸島の戦い

で、ベトナム戦争の末期で大変苦しい状態にありながら、
中国の軍事侵攻に対し一歩も引かず、戦っています。
結果としてベトナムはこの戦いにも、南沙での海戦にも負け、
どちらもを中国に奪われる結果となってしまったのですが、
強大な相手に立ち向かっていく、国土を守るために決して泣き寝入りしない
この国の誇り高い気概からは学ぶものが多い、と元海幕長は言いました。

わたしも全く同感です。


●集団的自衛権



つまり、一言で言うと、「事態は全く好転していない」ということで、
中国が進出の野望を捨てる可能性がなくならない限り、我々は
海上防衛力の強化とたゆまぬ警戒監視、そして日米同盟の強化により
軍事バランスを取って抑止力とするしかなすすべがないということでもあるのです。

そこで集団的自衛権なんですが(笑) 

ところで、株式会社カタログハウスの「通販生活」という通販雑誌がありますね。
そこでしか買えない商品もあり、機能的で優れた品質のものを扱っているというイメージで、
なんだかんだと買っているうちにわたしはお得意様番号まで持つようになったのですが、
いつの頃からかこのカタログの読み物が気持ち悪くなってきました(笑)

チェルノブイリの子供たちに対する支援などを呼びかけているうちはよかったのですが、
特に民主党政権時代あたりから露骨に「オルグ雑誌」の様相を呈してきて、
最新号の対談はなんと、

「安倍総理が目指しているのはいつでもどこへでも自衛隊をおくり出すことです」
(これがタイトル)
柳沢脇二・落合恵子対談

ですからorz

柳沢という元官僚がどういう人物かは調べていただければわかると思いますが、
例のISIS人質事件の時に「安倍総理はやめるべき」といっていた人間、といえば
だいたいどんな傾向の人かわかっていただけますでしょうか。
フェミの代表で典型的な9条信者である人とこの人物を選んだ時点で、この読み物には
公平な視点というものが全くないということになってしまうのですが、
とりあえず我慢してざっと読んでみました。

まあ色々と尤もですが、(説明が足りないとか実際に行かされる自衛隊員のことを思えとか)
ないんですよ。一言も。「中国」という言葉が一度も出てこない。

日本以外の武力の脆弱な国、先ほどのベトナムもそうですし、チベットやウィグルや、
そういったところには侵攻や弾圧を加えている国が、我が国の領土に食指を伸ばしている。
なぜ日本に対してそれ以上のことが起こらないのか、というとそれは日米同盟なんですよ。

これは元海幕長も同じことを言っていましたが、決して憲法9条のおかげじゃないんです。

日本の後ろにやったら勝てない敵がいる、だから今まで手が出せなかっただけなのに、
この人たちはごく一部の情報をもとに

「集団的自衛権の行使は日本が前のめりになっているだけで米国の要救ではないんです」(柳沢)
「日本も血を流すべきという人がいますが、その意味を真剣に考えたことがあるのでしょうか」(落合)

などととんちんかんなことを言っているわけです。
おまけに要求を『要救』とか間違えているし(笑)

で、落合さんはアメリカ軍人が日本のために血を流すのは構わないって意見でおk?

本来の集団的自衛権というものは、同盟国などの関係にある国が相互に
侵害を排除するという双務的(どちらもが義務を負う)もののはずですが、
今の日米同盟はこれでいうと片務的なものです。
何かあった時に日本のために血を流しているアメリカ軍を幇助することすらできないわけです。

左翼の人たちは一足飛びに血を流す流さないの話をしたがるわけですが、
国家間の話し合いに戦争の手段を日本が取ることは「ありえない」のですから、
これはどう考えても「最悪の場合、どこかが攻めてきたら」の仮定でしょう。

その仮定において、自分が血を流すことを想像できても、アメリカ人が血を流すことは
全く想像できないと。そういうことですかね?

そして柳沢君、「米国の要救」でなかったら、なぜそれは必要がないことだと言い切れるのかね。
まず主権国家として当然負うべき義務であるなら、米国から言い出されなくても
当然それを果たすために日本が動いて当然だ、とわたしは思うのであるが。

そして、お二方の対談にすっぽりと抜けている「中国」という国にとって
この権利が抑止力として機能し、結果、平和が均衡として保たれると考えたことは?

・・・・ないだろうなあ(笑)

●いずも

さて、だいたい上のようなことを講演した元海幕長は、
後半からの懇親会にも出席し、その冒頭でちょっとした補足を行いました。

「先日ヘリ搭載艦『いずも」』が就役しました。
軽空母くらいの大きさで、物理的には戦闘機も載せることができます。
しかし、これは絶対に空母ではありませんし、空母にはなりません」

笑いを含んで言葉を収めた元海幕長の表情に、

「どこかの国が攻めてくるようなことがない限り」

という言わなかった言葉を聞き取った元海軍軍人たちの間から、かすかに笑いが漏れました。



続く。