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空母「ホーネット」艦橋ツァー〜アングルド・デッキ

2015-05-13 | 軍艦

アメリカの西海岸、サンフランシスコの対岸にあるアラメダに係留されて
博物館となっているエセックス級航空母艦「ホーネット」。

ここアラメダにはかつてアメリカ海軍の航空基地がありましたが、
今は閉鎖されてこの場所は当時の建物が放置されたゴーストタウンになっています。
アメリカというところは国土が広大なせいか、こういう使いでのない場所は
跡地利用しようという気配もないままほったらかしになっているのですが、
ここも全く人の気配がなく、夜はきっと麻薬の売人などが建物の影でブツの受け渡しを、
とつい想像してしまうような地域となっています。

ホーネットが係留されている岸壁は稼働しているらしく、ホーネットの周りにはずらりと
貨物船らしき船舶が取り囲んでいましたが、もちろん民間船ばかりです。


さて、このホーネット博物館、前にもお話ししたように、たとえばパーティのために貸し出されたり、

船室のキャンバスベッドに宿泊し、乗員の食堂で朝ごはんを食べる企画や、
あるいは深夜に「何かが出るのを期待して」艦内探検をするミステリーツァーが催されたり、
つまり他の普通のアメリカの博物館と全く同じノリでアメリカ市民に利用されています。

運営については企業からの出資もあるでしょうし、「パールハーバーの生き残りの元軍人に話を聴く会」とか、
「ドゥーリトル空襲記念日のダンスパーティ」(笑)とか、しょっちゅう面白そうなイベントを
催しては資金を集めてやりくりするほか、政府や軍からの応援で行われているようです。
(日本人でなければ、これ、どちらも参加してみたいんですけど)


結局ここには一夏で3回行ったのですが、いつ行っても広い艦内に一定の人数がいて、
本日お話しする「艦橋ツァー」が始まると結構な数の人が集まってきていました。

「艦橋ツァー」はそのまま「アイランドツァー」と称し、入り口でチケットを買うとき、

「アイランドツァーに参加したければそこで待っていれば時間に始まるから」

と言われて場所を指定されます。



参加したい人はここで待っていると、ツァーガイドが現れ、ちょっとした説明をしてから
アイランドへと皆で歩いていって、説明を聞きながら中を見て歩くことができます。

このときわたしたちは息子のキャンプのお迎えがあったため最後まで参加できなかったのですが、

全行程、たっぷり時間を取られますので行きたい方はくれぐれも余裕を持って。
わたしも今年の夏には早めに行って全部見てきてまたここでご報告します。




ツァーの時間は「だいたい」決まっているのですが、さすがはアメリカ。
わたしたちは説明後甲板のレベルまで連れてこられ、ここでガイドを待つようにといわれてから
たっぷり20分以上放置されておりました。
何かの都合でツァーガイドが来るのが遅れているのだろう、と思いながら待っていると、
甲板を悠々と横切る専属ボランティアらしき人影あり。

あまりにも悠々としているので、まさかこの人物が我々の回のガイドだとは思いませんでした。
彼は急ぐ様子もなく手持ち無沙汰に待っている見学客を全く意に介する様子もなく、
このままどこかに行ってしまい、さらにしばらくしてから

「私が来たからにはもう大丈夫!」

というような堂々たる様子でツァーの開始を告げました。
あんたは丹波哲郎か(−_−;)



アイランドの甲板レベルにある、一般客が入り込めないようにドアが閉められた

小さな部屋からツァーは始まります。

博物館というだけあって、いたるところに懇切丁寧なパネルや写真の展示があります。



パネル部分拡大。

航空母艦とは何か?どういう機能が備わっているか?を図にしたものです。
逐一説明するのにやぶさかではないのですが、先を急ぎますので省略。

ホーネットは終戦後、1947年に予備役となって引退していましたが、51年、
再就役してから攻撃航空母艦と艦種変更されました。
これはあきらかにソ連との冷戦での軍備だったと言えましょう。

55年にはこの図面に見られるアングルドデッキの追加工事が施されました。

アングルドデッキとは、このアイランドツァーの解説員も入っていましたが、
航空母艦の甲板の船首方向に対して斜めに配置された着艦用飛行甲板のことで、
「アングルド・フライト・デッキ」とも表記されます。

艦の進行方向から斜めに着艦専用の甲板を設けることによって、
着艦の時に前方で行われている発艦中、あるいは駐機している機体にぶつかる、
という第二次世界大戦中多々起こった事故を避けることができます。

万が一アレスティングワイヤーを機が引っ掛け損なって着艦を失敗したとき、
従来は何もない甲板をそのまま速度を落とさず通過して発艦し、
もう一度やり直すという方法でしたが、どうしても戦闘中などは甲板を空けておくことができず、
したがってこういう事故も相次いだのです。

そのうちジェットエンジン機が運用されるようになると、アレスティングフックを
引っ掛け損なう率が大変高くなったため、イギリスでアングルドデッキが考案され、
艦中心線に対して振り角度6°のものが運用さたのを受けて、アメリカ海軍でも
ミッドウェイ級の1番艦「ミッドウェイ」で試験を行い、その後「アンティータム」が
改造第一号となってアングルドデッキ装備の空母が生まれたというわけです。



ちなみにちょうど「ホーネット」の「エセックス」クラスと「ニミッツ」クラスの
大きさを比較したわかりやすい図が飾ってありました。
「ホーネット」も甲板に立つとその広さに圧倒されるほどでしたが、「ニミッツ」は
これだけ大きいということです。

アングルドデッキの角度は「ニミッツ」級で9°となっています。
「ニミッツ」の大きさがあってこそこの角度が可能だということだと思うのですが、
わが日本自衛隊の「いずも」は全長248mで、「ホーネット」(266m)よりも短いのです。
先般から空母になる空母にすると外野ばかりがやいのやいのとうるさい「いずも」=空母問題ですが、
こういう面から見てもかなり現実性の「遠い」(ないとはいいませんよ)話だなと思います。



艦橋の入り口にあったマーク。
もちろん空母のほうでなく、「博物館ホーネット」の印です。



昔の軍艦らしく、スイッチが棘のようにいっぱい突き出した機械が
もう今は使われることもなく往時の姿をとどめております。
足元に通るパイプ?は、ここでつまづかないようにそこだけが
昔は赤に、今はその上から黄色くペイントされています。



解説員は皆同じキャップを被り同じジャンパーを着ているのですぐわかります。
この解説員は、おそらくボランティアなのだと思うのですが、なんとなく
ただのボランティアのおじさんとは俺は違うぜ!みたいなスカした雰囲気が
当初からビンビンと伝わって来るおじさんで、その理由はすぐにわかったのですが、
彼はかつて海軍軍人でこのホーネットに乗り組んでいたのです。

話の端々に「わたしが乗っていた頃は・・・」「わたしはこのフネで」という言葉が挟まれ、
彼が「ホーネット」の乗員だったことを誇りに思っているのがよくわかりました。
この中で他の解説員に「あなたはヴェテランですか」と聞いてみたところ違ったので、
ボランティアが皆元軍人とは限らず、実際にこのフネに乗組員として乗っていた人に
解説してもらえたというのは結構ラッキーだったのかもしれません。


アメリカ人独特の、ポケットに手を入れるポーズがお気に入りのようで、
しゃべり方も心なしか尊大な感じがしました。(とわたしが思っただけかもしれませんけど)



これは戦後備え付けられたものだとおもうのですが、
右下がヤード、その上の窓はマイルで表記されている計器が謎です。
ぐるぐる円板を回して操作するものがあったり、ブザーが鳴らせるようにもなっている模様。



 アイランドツァーの最初の頃ですから、艦橋の下の方の階だったと思います。
写真の置かれた部屋がありました。

 

写真を間違って小さくしてしまったので字が読めなくなり誰かはわかりませんが、
おそらく最後の艦長ではないかと思われます。

 

いかにも年季の入っているらしいダイヤル式の電話。

わたしがこのようにいちいち「昔からのもの」に固執するのは、
この「ホーネット」の大東亜戦争中の艦歴を知っているからです。

「ホーネット」は1942年、日本軍に南太平洋海戦で沈められた先代のCV~8の跡を継ぎ、
進水して以来、終戦までまさに日本軍と戦い続けてきたフネでした。

1944年にはニューギニア侵攻戦への航空支援を行った後、カロリン諸島の日本軍への
大規模な攻撃を行い、そのあとテニアン、サイパン、グアム、ロタへの爆撃、
そして硫黄島、父島への爆撃を次々と行っていますが、なんといってもあの
マリアナ沖海戦において「マリアナの七面鳥撃ち」と称される戦闘の中核を担いました。

続いてマーシャル諸島、パラオ、フィリピン海域、レイテ沖、シブヤン海での戦闘に加わり、
1945年に入ってからはウルシーから東京までいって本土の爆撃を行い、
4月6日は戦艦大和に対する攻撃を他の艦載機と共同で行い、これを撃沈しているのです。



どれだけ「ホーネット」が日本にとって恐ろしい敵だったか、これを見ていただければわかるでしょう。
さすが戦時中に描かれただけあって堂々と「JAP」の文字も見えますね。

別の解説員のおじさん(ベテランではない)がわたしにどこから来たの、というので日本ですというと、
なにやらものすごく微妙な表情を浮かべたのであれ?と思ったのですが、
館内にこんなものがでかでかと誇らしげに掲げられているわけだから、まあ仕方ないかもですね。



その中でもとくに「大和」を沈めたことは(このシルエットはあまり大和に見えないけど)
彼らにとって大金星というのか、よほど誇らしいことだったと見えて、特別に
このようなイラストが描かれています。
魚雷4本、爆弾3発命中させたぜい!とついつい自慢してしまうのであった。


さあ、そんな歴史的な空母、あらゆる鬼畜な()命令の出されたその艦橋に、

今から入っていこうというのです。
これが興奮せずに居られるでしょうか。

続く。

 



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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
レーダー表示器 (雷蔵)
2015-05-13 05:37:47
丸い画面の装置はレーダー表示器です。↓の画面上で丸い円盤を操作し、船からの距離を測りたい場所にカーソルを当てれば、その場所までの方位と距離が表示されます。
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00139/contents/0045.htm

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ポケット(笑) (鉄火お嬢)
2015-05-13 10:20:59
文化の違いでしょうが、ほんとアメリカさん、上はマッカーサーから下に至るまで
軍人さんポケットに手を突っ込んでますよね。以前海上自衛隊の方に、防大時代寒いときについポケットに手を入れたら「ポケットはゴミを拾った時のゴミ箱に投入するまでの一時保管か、手帳とペンを入れるだけ、帝国海軍以来、ポケットに手を入れる習慣は無いッ!」と先輩に怒鳴られたそうです。実際、ひいばあ様の出身の町の元海軍のじーちゃん達が「進駐軍がなんかっちゅーとポケットに手を突っ込んでしゃべるのが行儀悪くて腹が立った」とか、戦前の小中学校で教練や軍隊式のしつけを受けた世代のさらに孫の我々すら、ポケットに手を突っ込むな、立ち座りの姿勢、などなど年寄りにうるさく言われた記憶があります。
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多いです (エリス中尉)
2015-05-13 21:27:48
雷蔵さんありがとうございます。
なんなんだか見当もつかなかったので調べようがありませんでした。

アメリカ人がポケットハンドするのは、手のやり場に困るからみたいですね。
彼らは一般人でもスピーチをよくする場面がありますが、男性はもちろん、時々
女性でもそういう服装の人は
ポケットに手を入れてスピーチします。
学校の先生が全校生の前でスピーチするときもそれですから、彼らにとっては
別に行儀や礼儀に抵触する行為ではないみたいですね。

海軍のじーちゃんたちがアメリカ人のポケットハンドを見て態度が悪い!と怒るのは
特に戦中派の日本人には当然のことだったと思いますが、彼らとしては悪気はないんですよ。
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