ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ボストン探訪~学生街ボストン

2014-07-29 | アメリカ

昨日の閲覧元URL記録を見ていて、ふとUK並びに
ドイツのグーグルからヒットがあったらしいことに気づきました。
台湾のwikiに当ブログのページが貼られていて、ときどき
そこからの閲覧があるのは知っていましたが、ドイツとは・・・。

で、同日の閲覧ページに久々に上がってきていたのが
「秋水くんとコメートくん」
という4コマ漫画のエントリで・・・・。
まさか、これをドイツ人に見られたんじゃないだろうな。

と心配しているところのアメリカ滞在中であるエリス中尉です。 
いやー、世界は狭くなったものですねえ(棒)


さて、毎年わたしたちがアメリカにいる時期、一度は家長である
TOが夏休みを取って遊びにきます。
大抵は西海岸にいるときなのですが、今回はボストンにやってきました。

その理由はわたしが落馬事故で右手首を骨折し、
8月の再手術で骨を固定している金具を取るまでは
決して多い荷物を持たないようにと医師から言い渡されているため、
大量のトランクを持って東から西海岸に移動するのに不安が
(わたしじゃなくてTOが)あったからです。

息子ももう大きいので重いものは任せてもいいのですが、
心配性でかつ愛妻家のTOはやはり自分が行かなくては!
と張り切って自分が出動してきたというわけです。

彼に取っては東海岸は実に久しぶりなので、滞在中、
普段はわたしも行かないような昔住んでいた地域やお気に入りの店、
ボストン美術館などを毎日見て回りました。

そして、この日、わたしたちはTOが留学していたボストンの
大学キャンパスを久しぶりに訪ねることにしたのです。



ボストンには大学がたくさんあります。
この大学はその中でも特に古い歴史を誇ります。



大学最大の図書館。
何本も立ち並ぶ立派な柱と石段が有名です。

この図書館は、ここの学生だった息子を海難事故で失くした
資産家の両親が、息子の思い出のために寄付したお金で作られました。

 

彼女が寄付をするとき、大学関係者にこんな注文をつけたそうです。

図書館内にいつでも花を絶やさないこと。

当大学の学生には水泳を習うことを義務とすること。

図書館内でアイスクリームが食べられるようにすること。

花は当然として、「水泳」は、彼女の息子が海難事故で死んだのは
彼が泳げなかったせいだと彼女はそのことを悔やんでいたためであり、
アイスクリームは息子の好物だったからです。



水泳を習わせることは学生が多くなると不可能になり、
アイスクリームもなかなか難しいものになってしまい、
現在では花を飾ること以外は廃止されました。

廃止に当たっては寄贈者がとうに故人となっていたため、
遺族にその許可を得たそうです。


ところでこの海難事故ですが、彼らの息子が乗っていたのは、
あのタイタニック号でした。
突っ込むわけではありませんが、もし彼が泳ぎができたとしても
助かる可能性はあまりなかったという気がするのですが、
それでも親なら「もし泳げたら助かったかも」と
わずかな可能性を思いこころをいためるものなのでしょう。



寄贈によって大学の建物に自分の名前を遺す、というのは
アメリカの名門大学の出身者にとって名誉なことです。

「ある愛の詩」で、主人公の学生が恋人になる女学生に
父親が寄贈した建物の名前と同じであることを聞かれて

「あれは親父がやったことで僕とは関係ない」

とふてくされるシーンがありましたね。

あるいは、夫の遺産を、夫の出身校に寄付する未亡人もいます。
ある日、大学の事務局に老婦人が訪れてこういいました。

「当大学出身の夫が亡くなりましたので、
ほんの少しですが寄付をさせていただければと思うのですけど」
「それはそれは。お志だけでも大歓迎ですよ」
「本当に少なくて申し訳ないんですけど」

彼女がそう言いながら出した小切手には50億円が書かれていたそうです。

どこの大学でもそうですが、特にこの大学は、寄付金などを蓄積してきた、
米国内はもとより、全世界でも飛び抜けて巨大な大学基金によって支えられています。
年間の寄付金(エンダウメント)は、約800億円。

ちなみに日本の
21世紀COEプログラムは年間全予算が約370億円です。

 

ツタが絡まるれんが造りの校舎はかなり昔からバリアフリーです。



ゲートをくぐっているのは警備員。
アメリカの大きな大学は警察を持っていて、
パトカーで学内を警邏しています。


広大なキャンパスはあちらこちらが区切られ、門が区画を区別します。



学校の敷地の中に教会もありますが、TOに聞くと
これは学校とは一応関係ないとのこと。

警備員の写真の右上に教会の塔が見えていますが、
これは大学の設備?でメモリアルホールといい、
戦没した出身者の名前(南北戦争)が壁に刻まれていた記憶があります。

ここでときどきコンサートが行われたので何度か行きましたが、
ここがイグノーベル賞の授賞式会場でもあることは当時知りませんでした。



「ああ~久しぶりだなあ!」

感極まったTOが嘆声を漏らします。
彼はここで勉強していたのです。



円柱の上にはラテン語で何やら書かれております。
因みにこの学校の卒業式には、卒業生代表がラテン語で卒業の辞を
述べるのが慣例になっています。
TOのときには確か女子学生が総代でした。



その偉容に圧倒されそうになる学舎。
アメリカの大学って本当に威厳に満ちていて、
歴史の重さを肌で感じることが出来ます。

このような環境で勉強する学生は嫌でも誇りと挟持を持って
大学名に相応しい学問の徒であろうとするでしょう。



「あれ~!こんなものができてる!」

彼がしばらく来ないうちに、大学は新しい学生センターを完成させていました。

「そう言えば、これこれを造るから寄付をよろしく、ってきてたなあ」
「寄付したの」
「してますよー。毎年少しずつコンスタントにしているのもあるし」
「それがランプの傘とか花瓶代くらいにはなってるわけね」

新しいホールに入ってみました。



TOの恩師その1。



TOの恩師その2。

「気難しい先生でものすごく怖かった」

そうです。
確かにそんな感じですね。



毎日ここから入っていったそうです。



無駄に多い柱に支えられたアーチ。



この学校で最初に造られた図書館。

昔、この図書館はタバコの火の不始末で全焼したことがあるのだそうです。
しかし不幸中の幸い、最も貴重な初版本の何冊かを、不始末をした学生が
家に借りて持っていたため、焼失を免れました。

本来ならばその学生は退学処分になるはずだったのですが、
ここで学生は学校に取引を申し出ました。

「わたしを退学にしたら、これらの本は返さない」

それは取引ではなくて
脅迫ではないのかと思ったあなた、あなたは正しい。
どう見ても立派な脅迫ですありがとうございます。 


しかしこの辺りがこの大学の面白いところで、
引っ捕らえて脅迫罪とか器物損壊で訴えてしまうことなく、
彼の申し出の通り彼の学籍の確保の保証と引き換えに
貴重な本を取り戻し、双方ハッピーとなったそうです。



大学創始者と皆が思っている人物の銅像の周りには
いつも観光客や、ここで行われているサマーキャンプの生徒で一杯です。
本物の学生は今の時期ここにはおりません。

この銅像の人物は創始者ではなく、遺言で蔵書と所有不動産の半分をカレッジに遺贈した、
最初の寄付者で清教徒派の牧師です。

しかも本物はこの銅像のようにハンサムではなく、モデルは
全く別人だということです。



学内を歩いて反対側の門までたどり着きました。



1794年の卒業生、ジョセフ・マッキーンを記念した
「マッキーン・ゲート」であると書いてあります。
なぜマッキーンを記念しているのかまでわかりません。



「入学するまではこの門が高く見えたもんなんだよ」

・・なんか最近どこかで聞いたな同じセリフを。

「全然高く見えないんですがこれは」
「高くじゃないな。立派すぎるというか権威の象徴と言うか」
「確かに古くて趣はあるけどそんなに立派かなあ」
「これから入ろうとする人にはそう見えるんです」



さて、懐かしの母校を出て、次の目的地に向かいますと・・。



道沿いに東部工学系の雄、マサチューセッツ工科大学が見えてきました。
MIT、通称ミット。
ここを出ている知り合いはわたしの交友範囲では一人だけです。

今は某携帯会社で働いていますが、昔はBOSEにいました。
同居している彼のパートナーいわく、あのウェーブシステムは

「彼が内部のどこかを造ったはずよ」

だそうです。



かっこいいなあ。
言っては何だけど、なんだかTOの大学よりMIT出身、という響きに
心の底から「すげー!」と思ってしまうわたしです。

通りがかりに見えるキャンパスのオブジェ。
割と最近出来たものらしく、見るのは初めてです。
全部数字で出来た人形は、いかにもMITらしい。



さらに進んでいくと、わたしのお買い物エリアである
ニューベリーストリートを横切るのですが、この地域に
あの有名なバークリー音楽大学があります。

そのせいでこの道の反対側は全て楽器店。



この辺りを歩いているのは殆どがここの学生であるため、
殆どが何らかの楽器を携えています。
髪をちょんまげにした東洋人は、まず間違いなく全員日本人です。

わたしの仕事仲間のベーシストもここに留学しましたが、
入学するなり見も知らない他の学生からセッションの電話がかかってきたそうです。

ちなみに彼女は日本でやはりミュージシャンの彼氏と付き合っていて、
お別れの原因というのが彼の「ドメバイ」だったというのですが、
バークリー在学中に付き合い出した男性も「殴る男」だったそうです。
わざわざアメリカに行ってまで殴る男と付き合わなくても・・・。

わたしはこの人生で殴る男性を一度も身近に見たことがないのですが、
その手の人とばかり付き合ってしまう女性っているんだなあ、
と妙に感心したのを思い出しました。




向かいに見えているのはシンフォニーホール。
ボストン交響楽団の本拠地です。
わたしたちがいたころ、まだ小沢征爾がボストン響にいたので、
演奏を何度か聴きにいったものです。

「オザワはボストンの人々にとても愛されているよ」

ボストン在住の知人はこう言っていました。


このようにボストンはカレッジを含む古い大学がたくさんあり、かつ
学校自体が歴史的史跡でもあるので、街全体が美術館のようです。

TOが「入る前は門が高く見えた」と言った日本の出身大学は京都にあるのですが、
このボストンと京都とは偶然姉妹都市です。

いずれにしてもどちらの門もくぐれてよかったね。








 


 



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1 Comments

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ラベルが違う(汗) (雷蔵)
2014-07-30 05:42:16
私も合計すると、毎年、一ヶ月くらい海外に行くのですが、ラベルが違うと実感しました。商談と飲み食いだけですから(汗)
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