ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

板倉光馬~とある少尉候補生のブラックアウト 

2012-09-10 | 海軍人物伝








皆さま、その人生でブラックアウトを経験したことがございますか?
エリス中尉は、三度、あります。

うちは両親ともお酒を嗜みません。
嗜まないどころかどうやら体質に合わない、ということがある時期からどうやら分かってきて、
最近では乾杯にしか口をつけないでいるエリス中尉です。
しかし、ここに至るには平坦でない道のりがあったのです。(←大げさ)

まだそこまでとは思っていなかった学生時代、友人と食事に行ったときのことです。
ワインがサービスに付いてきたのですが、それをいい気持ちでグラス一杯飲んで、
レストランを出てエレベーターに乗ってから記憶が無くなりました。

このブラックアウト、必ずその前兆がありまして、視野狭窄がまず訪れるのですが、
その際冗談抜きで「ちーん」って聴こえる(気がする)のです。
なったことある方、そうですよね?

気がついたのは約3分後。
目を覚ましたら、目の前に大きな観葉植物の鉢があったのでびびりました。
それ以上にびびったであろうのは、一緒にいた彼氏でもなんでもない友人でしたが、
いくらただの友人でも、倒れた人間を植木鉢の横に寝かせるのは、少し薄情すぎないか、
と後から思わないでもなかったわ。
これがきっかけでどうにかなるかもしれなかったのに・・・。

というのは単なる冗談ですが、お酒といっても、ワイン以外では赤くなるだけですし、
三回全てがワインによるものなので、アルコールの度数に関係するものかなあと思います。

二度目はビストロから出るとき、三度目は神戸のワイン城の試飲の後。

いずれも一度目の体験から、視野狭窄の段階で手近の椅子に座りこみ、人前で醜態を
曝すことだけは避けられました。
飲めもしないのになぜ度々このようなことになるかというと、まさかそこまでと思わない連れに
「ちょっとなら大丈夫でしょう」
「せっかくワイン城に来て一口も飲まないなんて」
などと言われると断れないのです。

そして何しろ、わたくし、今まで「飲めない」といったときの相手の反応は100%例外なく
「へえー、全然そんな風にみえませんけどねえ」
ですもので・・・すごく飲めそうに見えるらしいです。(鬱)

とにかく、このマンガでブラックアウトを「ちーん」と表現したのは、
わたくしの実体験に基づくものだということを言いたかったわけです。


長々と前置きをしましたが、本日のブラックアウト軍人の名前は板倉光馬。
この人を有名にしたのは何と言っても
「不沈潜水艦長」の称号の表わす運の強さと、その豪快な指揮官ぶりでしょう。

どんがめ乗りの間では「板倉艦長のフネは絶対に沈まない」と言われていました。

同じ海域に輸送で出撃しても、もう一方は撃沈されたり、あるいはキスカの上陸作戦に先立ち、
潜水艦輸送に携わり、一瞬たりとも生きた思いをしないような危険な海を、無事に生還しています。
あるいは、敵機の来襲から奇抜とも言える方法で免れたりするなど、
運の強さと危険を回避するカンと、判断力に優れたこの艦長は、
部下からは圧倒的な信頼を勝ち得ていました。

しかも移動になると、それまで乗っていた潜水艦が次々やられてしまうのですから、
板倉艦長に転勤の噂が立つと、「一緒に転勤させて下さい」と申し出る下士官兵が
何人もいたということです。

兵学校は61期卒。惜しいところで恩賜の短刀ではありませんでしたが(7番)、
軍務で理研(先日お話した加藤セチ博士のいた理化学研究所です)に行ったところ、
「東大卒でもこれほど頭のいい人はいない」とほめられたほどの秀才でもありました。

優秀で軍人としての腕も度胸も抜群。
人望もあり将器でもある、こんな非の打ちどころの無い板倉少佐に一つの泣き所がありました。

そう、お酒です。

「不沈潜水艦長」「鬼の潜水艦長」「名潜水艦長」
板倉少佐に捧げられたあだ名には、これだけにあらず。
なんと「大酒のみの暴れ者」
うわばみのように飲むだけならともかく、前後不覚になってその時に必ずとんでもないことを
やらかしてしまって、後で本人が自己嫌悪にかられる、といったタイプの酒飲みさんだったのです。

本日マンガの事件は、板倉少佐がまだ少尉候補生時代、軍艦の乗り組み時代の出来事です。

艦長は男爵で、平和時ゆえ、いつも艦にたくさんの客を迎えていました。
この艦長は鮫島具重大佐。
明治の元勲岩倉具視の孫(ということは加山雄三の大叔父?)です。

なにぶんセレブリティーなお方ゆえ、時間にも悠長。
それゆえ時間厳守のはずの艦から降りる人たちを乗せるランチが、30分経っても来ない。
若い板倉候補生、艦長たるものが自ら時間も守れなくてどうする、とアツくなって怒りますが、
横にいたケプガン(キャプテン・オブ・ザ・ガンルームの略で、中尉)はあっさりと、
「艦長のお客が今日は多いので定期便が遅れているのだろう」

その平然とした様子に板倉少尉候補生は、怒りが倍増、酔いも手伝って体が震え、
やっとランチが到着したところで、ブラックアウト。

「ちーん」

わたしのブラックアウトは、たった一人で意識を失うだけで誰の迷惑にも(一緒にいる人以外)
なりませんが、この方のは、ブラックアウト時の記憶がない、何をしたか覚えていない、
という厄介なブラックアウトなのです。

世の中には、こういうお酒のタチの人がいるみたいですね。しばしば聞きます。
しかし、このたびは、よりによって少尉候補生が人前で艦長(大佐)を殴打。
軍隊において上官に(しかも6階級上)暴行。どんな始末になるかは、火を見るより明らか。
海軍を追放は当然のこと、もしかしたら懲罰もあり得ます。

ブラックアウトから戻って自分が何をしでかしたかを知り、
真っ青になって、艦長室に赴いた板倉候補生、
深々と頭を下げてから艦長を見ると、その右頬は腫れて赤黒くなっています。
かれは思わず自分のしたことの重大さと申訳なさに息を飲みました。

しかし、艦長は怒りもせず、ただ静かに

「なぜだ・・・?何か理由があるのではないか」

その寧ろ悲痛な様子に、板倉候補生、悄然としながらも「時間を守っていただきたい」
ということを訴えます。

黙って聞いていた艦長は

「酒は止められないか」
「やめられないと思います」
「量を減らすことはできないのか」
「やめるよりそれは難しいと思います」(←おい・・)

そんな会話の後、首を洗って沙汰を待っていた板倉候補生にきた処置は、以外にも

「重巡洋艦『青葉』乗り組みを命ず」

でした。
厳罰も無く不問に付されただけでなく、この事件後全海軍に対し

「高級士官も帰還時刻を厳守すべし」

という次官通達が出されたのです。
鮫島大佐は自分を殴った少尉候補生に情けをかけ、わざわざ上官のところまで出向いて、
板倉少尉候補生の命乞いと穏便なる措置を取り計らうように頼んだのでした。

「青葉の艦長によく鍛えてもらえ」
それが自分を殴った板倉候補生に向けられた艦長の言葉だったそうです。

板倉少尉候補生は、鮫島大佐の公正さと恩情にいたく感動し、
その感激は、かれをして命を海軍に捧げるという決意ならしめたのでした。

が、騒動の元になったお酒をやめようとは、この際一ミクロンも考えない板倉候補生でした(笑)



板倉光馬のブラックアウトシリーズ、後編に続きます。
どうぞお楽しみに。




海軍リス戦隊 改・リスは自分の可愛さを知っているか

2012-09-09 | つれづれなるままに

                               監修:大リス帝国海軍報道部



我がリス国海軍陸戦隊隊長のぴょんきち大尉である。
今日は皆さんに彼らの戦場をご覧頂き、彼らの過酷な日常を是非ご理解いただきたい。

ここが彼らの戦場である。



ぴょんきち大尉が日影、遮蔽物を利用してほふく前進中である。
けっして「日影でぐだ~」ではない。


部下のけん太兵曹長である。
新しい迷彩柄の毛皮テスト中である。
どこに彼がいるのか判別が難しい位に迷彩効果が発揮されている。
因みに決して休憩中ではない。

突然、野戦開始!

けん太兵曹長「逃げろや逃げろ!命あってのリス稼業でんがな!」

ぴょんきち大尉「敵発見!その場に伏せ!」
※これは、後で間違いと判明。


ぴょんきち大尉「コラ!誰が逃げろと言った!」

けん太兵曹長「いかん!ばれたがな」

ぴょんきち大尉「お前のような奴は、こうだ!」
けん太兵曹長「うゎ!」

 

けん太兵曹長「隊長、いきなり可愛い部下に向かって何すんねん!」
ぴょんきち大尉「こいつ、逆らうのか!」


あっけなくやられ目を回すぴょんきち大尉
けん太兵曹長「ふぅー、口ほどにも無い隊長や」

けん太兵曹長「んん!オマケに隊長のしっぽ、くさいがな。
こら、手入れしてへんがな」

ぴょんきち大尉
「こ、こら!勝手に匂い嗅ぐな!」////

ぴょんきち大尉
「どうせ俺は弱虫な馬鹿隊長だよ・・・・」
落ち込むぴょんきち大尉。     けん太兵曹長「隊長、そんなに落ち込まんでもええやないか・・。
今度一緒に飲み往きましょ」

ぴょんきち大尉「兵曹長!おまえ、いい奴だな!」
戦場でひしっと抱き合い、友情を確かめ合う二匹であった。

けん太兵曹長「はっ!」
ぴょんきち大尉「おっと、時間だ。戦闘終わり。解散!」

補足しておくと、リス国同士の戦争は、戦闘時間朝9:00~12:00
お昼休み12:00~午後1:00、再会1:00~3:00終了

但し適宜休憩有り、早出、残業、夜間無し
週二日制、祝祭日は勿論お休み、
有給・忌引き有り その他応相談 
何の理由も無く突如戦闘有り、しかし戦況等にかかわらず常時緊急終了あり
戦闘も殺し合いなど無粋なことはせず、せいぜい「めんたん」作っておしまい。

あ、あと年末年始、春季、夏季、長期、冬季、育児の各休暇制、
又個々の経験功績等を考慮した優遇制、特別昇進有り



戦闘は終わったが、陣地周囲の警戒に余念の無いぴょんきち大尉。
祖国防衛に萌える、その視線は厳しい。
(けん太兵曹長は近所の友達のところへ遊びに行ってしまった)


おまけ:





製作総指揮・コンテ・原作・脚本 影の大番長
編集責任 エリス中尉









アップル本社詣で

2012-09-08 | アメリカ

帰国も近づき、息子のキャンプも終了したので、朝から公園に鳥を観に行った日、
「ここ、グーグルがあるんだよ」
とグーグルの本社の前を通過していたとき、息子が
「どうせならこのままアップルも行ってみない?」
と言いだしました。

「行こう行こう。クパチーノでナビ入れてみて」
「apple、と」
「だめだめ、アップルだとアップルストアに行ってしまうから」
「んー」

しばらく考えていた息子、
「オレ住所知ってる!」
と確信に満ちてアドレスを入力し始めました。

「Infinite Loop・・・・・・1」

「な・・・なんでそんなこと知ってるの?」

息子はマックユーザーですが、本社の住所を知っているほどのリンゴ信者だったとは聞いていません。

「だって、マックの製品に書いてあるもん」

わたしは今使っている(しかししょっちゅうブルーアウトするようになったので買い替えを決意した)
パソコン(パナソニック)の蓋に10個のアップルシールを貼り付けて、
それを見た通りがかりの人に苦笑されているほどアップル製品を買ってきましたが、
住所など目に留めたこともありません。

インターループ、というのはもともとおそらく何もない土地に社屋をいくつも建てるため、
アップルによって新しく考案された住所でしょう。
通りから入っていく道がループ状になっているので付いた名前だと思われます。

 

とか言ってたら、リンゴマークが、ブルー、ピンク、オレンジ、紫と。
「これ絶対に、あのピンクのところね、って内輪で認識するためだよね」
「でも、赤だけないね」
「赤は、アップルケア(アップルのカウンセリングが受けられる資格。販売している)だけよ」
「なんでだろう」
「多分、『ハート』って意味だと思う」

それにしても、グーグルと言いアップルと言い、どうしてこう「語るネタ」が尽きないのでしょう。



ここがうわさのInfinite Loop。
「終わらない輪」です。
洒落てるなあ。ジョブズの命名かしら。
広大な地域にたくさんの社屋があるにもかかわらず、なぜこの住所が製品に書かれているか。
それはここが、ビジターセンターであるからです。
この表示の字の左側、どうして広くスペースが取られていると思います?

 記念写真を撮るとき立つ場所。

そして、この緑色の部分、こちらから見ると分からないのですが、



この写真を撮っているときは気づかなかったのですが、数字の1の形をしています。
他の社屋にこのような配慮はありませんから、あくまでここは「観光客用」に作られている、
ということがわかります。

そしてアップルの計略通り、もうここはすでに「観光名所」となっています。
観光客は記念品を買いたがるもの。お土産屋さんが必要です。
そんなおのぼりさん達のために、アップルは素敵なお店を用意しています。

 

アップルストア。
アップルストアならどこにでもあるじゃないか、わざわざここで買うものなんてあるの?
と思われた方。
あるんですよ。



他のアップルストアには無い、アップルロゴの衣料品やグッズです。
考えの足りない企業なら、世界中にこの製品をバラまいて希少価値を無くしてしまうのでしょうが、
さすがはアップル、これらのTシャツは世界広しといえどもここでしか買うことはできません。

「アップルの本社に行った」ということを記念にしてもらうためのグッズで、
アップルはこれで儲けようなどと微塵も考えていないからでしょう。(たぶん)


我々も喜びいさんで、Tシャツをお土産の分も含めて6枚も買ってしまいました(笑)



息子が「どうしてもこれが欲しい」と言ったのだけで三枚。
夏の間キャンプでTシャツをもらいはしましたが、母親の服は何百枚と買っても、
息子にはそう言えばぼろぼろの靴を買い変えたきりです。
三枚とも買ってやりました。
何が違うのかというと、胸に付けられたロゴ。
背中はアップルマークです。



「我々の最も素晴らしいTシャツ」
これは、iphoneなどの製品を検索すると、必ず
「The most amazing iphone」という文句が出てくるでしょ?
あのパロディです。



「シリ、今日はTシャツ一枚では暑すぎるかな?」
シリとは、アップル製品に搭載されたボイスシステムのことで、
何かを話しかけると機械が答えてくれるという、夢のような商品。

息子がキャンプで似たようなシステムで遊んだことを報告していましたが、
「音楽をならせ」
というと音楽が始まり、
「頭が痛いんだけど」
と聞くと、近くの病院を表示してくれたりするのだとか。

「君って、美人?」ときくと、
「わたしは四角くて、メタルでカヴァーされたボディをしていて、液晶の顔で・・・」
と答えたそうです。
「いいもの買ったんだけど当ててみて」というと
「新しいiphone買ったの?」

アップル流に何かと洒落の効いているオモチャで、さびしい人のお友達にもなるでしょう。
そのシリに、こういうことを聞いているわけですね。



「わたしがアップル・キャンパスに行ったという噂がある」

カンパニー、ではなくなぜかキャンパス、というのですね。
彼らが自分の働くところを既成の会社のようにイメージしていないと言うことでしょうか。
このようなTシャツですから、ここ以外で売っては意味が無いというわけです。

 アップルマークのキャップ。

このほか、社員着用のブルーのダンガリーもありましたし、赤ちゃん用の衣料も豊富でした。
ロゴがサマになるって、こういう製品を作るのに非常に有利ですね。



ビジターセンターですから、ショップの横にあったこの立派な建物に入っていけば、
もしかしたらツアーなどやっていたのかもしれませんが、息子が
「違う!入っていくのはみなIDをつけていたから、社員だけだよ」
と強硬に言い張るので(彼はこういうとき実に小心者)写真だけ撮って帰ってきました。

 

平日の朝10時だと言うのに、駐車場は停めるところが無くて少し待ったほど、
ここは物見高い観光客でいっぱいでした。
わたしの後ろで物色していたのはイタリア人、どこにでもいる中国人、
スペイン語、ロシア語、日本語の飛び交う店内。

先日「グーグルの総本山」がここにある、という記事を書きましたが、ここはまさに
「アップルの聖地」。
あたかもメッカに信者が詣でるように、ここにも何もないのに(笑)人が集まってきています。
なるほど世界で最も有名なだけでなく、膨大な数の「信者」を世界中に持っている企業であると
あらためて感心した次第です。



オーガニックスーパー、「ホールフーズ」
いろんなホールフーズを見てきましたが、全米最大級です。
「こんなに大きなホールフーズ見たこと無いね」
息子もわたしもびっくりです。

このスーパーは「知的層、富裕層」の多く住むところのシンボルのようになっていて、
例えば中華街やヒスパニック村の周辺には決して出店しません。

「さすがアップルの近くのホールフーズだけのことはあるね」
「アップル社員もお昼はここでデリを買って食べたり帰りに買い物に来るんだろうね」

このあたりはまさに「アップルによって作られた町」のようです。








リスは自分の可愛いさを知っているか

2012-09-07 | アメリカ

またリスか、と思われた方、すみません。
ここシリコンバレーでいろんな野性動物に遭遇してきましたが、やはり一番多く見かけ、
そして文句なしに可愛いのがリスたち。
散歩に行っても歩くことより写真を撮る方に時間がかかってしまうこともしばしば。

そんなリスに、すっかり悩殺されてしまったエリス中尉であります。

先日、ラブラブなリスの画像をお目にかけましたが、今日は「戦うリス」を。
(先に言っておきますが、それだけの内容です)



なんどかお話しているこのディッシュトレイル、柵がこのようにめぐらされています。
中をリスが走り回っているのですが、時々柵の網目をくぐっったり、地面に掘った穴の出口を
「大脱走」のように柵の外につなげてしまって、リスが出てしまいます。

一歩外に出ればそこは車が猛スピードで走る車道。
じっとしていればいいものを、その道を渡ろうとして轢かれてしまうのです。
この滞在中、この横の道で三匹の犠牲リスを見ました。

 

このリスたちも、入口の車道に近い所に生息しています。
とくに左のリスはゲートの横の日影にいたのですから、車道はすぐ横。
冒険心を出してあちらに行ってみようなんて考えるんじゃないよ。
と心の中で話しかけながら、いつものようにカメラ片手に鹿の園ならぬリスの園に入っていくと、
目の前に不穏な空気を感じてふと立ち止まりました。



原因はこの二匹。
リスですから表情はなんら普通と変わりませんが、にらみ合って一色即発の様子。
いきなりバトルが始まりました。
「あああ、連写って、どうやったら撮れるんだろう」
カメラの使い方をそこまで把握していなかったのが悔やまれます。
デジカメはご存じのようにモードをそれ用にしないと、シャッターを押すたびに画像処理をするので、
次の写真がすぐに撮れないのです。



こうしてみると、無表情は無表情なりにお互いを威嚇するような顔をしていますね。


 

立ちあがって組みあったと思ったら、巴投げ。
投げられたリスの後ろ脚がかわいい・・・・。





一匹が片方をねじ伏せているように見えます。



投げがきれいに入りました。これは有効ではなく一本でしょう。

 がっぷり組み合ったリス。

目つきが・・・・目つきが・・・・・。

どうもいつものつぶらなお目々を半眼にして臨むのがリス流ケンカ術のようです。



真剣に喧嘩をしているのになんでこんなに可愛いんだろう・・。

 そしてこれ!

撮れてびっくり、空中に浮遊するリス団子。
そしていきなり・・・



 喧嘩終了。

終わったら並んでご飯を食べていました。
リスの喧嘩は後を引かないというか、一度とことんやり合うと自動的に友情が芽生えるようです。




おしまい。

息子が「リスって絶対自分が可愛いことを知っているよね」
となぜか確信に満ちて言っていましたが、この写真を見るとそんな気がしないでもありません。





元海幕長と語る「日米関係と中国進出」

2012-09-05 | 日本のこと



本日付の新聞報道で、尖閣の所有者が国への売却を20億円で合意、というものを見ました。
これは本当なのですか?
つい何日か前にも地権者は東京都にしか売らないと言っていたような気もしますし、
政府が4日に合意したと発表したのに対し、5日午前中に石原都知事が
「地権者は政府と合意していないとたった今連絡があった」と語ったということです。

何が起こっているのでしょうか?

そして、東京都が購入するという話がでたときに「都民の税金がー」「議会の承認が―」
と反対意見をたれ流していたマスゴミは
「国民の税金がー」「国民の合意がー」とは今後言わないのでしょうか。
20億円だって国民の税金、つまり我々のお金なんですが?

マニフェストは何一つ実現できなかった民主党が、次期マニフェストにまた懲りもせず
「児童手当を5割増しにする」
と盛り込むつもりであることを聞いて、思わず怒りで目がクラクラしてきたのですが、
マジで民主党は日本国民の知能レベルと言うものをナメているとしか思えません。

政権交代以前から彼らに政権担当能力などありはしないことは叫ばれていたのですが、
財政金融は勿論のこと、外交に至っては

能力なし、スキルなし、パイプなし、国益を守る気すらなし、

というド素人であることを、日本国民以上におそらく世界は知っていたわけです。
案の定、民主政権になってからロシアのメドベージェフは北方領土に訪問する、
韓国のイミョンバク大統領は竹島上陸を敢行する、そして二度にわたる領海での事件。

これ全て、民主党政権になってから立て続けに起こっている事案で、特にここ最近、関係国が
まるで申し合わせたように足並みをそろえて対日攻勢をかけてきています。
これは民主党がすでに死に体であり、政権交代間近であることから、今のうちに自国有利の状態に
少しでも運んでおくためにラッシュをかけてでもいるのかと考えられます。


少し話を先日の元海幕長を囲む会に戻します。

冒頭画像はそのときの説明に使われたもので、これで見ていただきたいのは
中国の主張する「大陸棚」のライン、そして、
沖ノ鳥島を日本領有の「島」と認めない、という主張です。

ことの真実はともかく、中国の立場になってみれば、尖閣諸島に関しては
領有を主張するのも地勢的にそう不自然なことではありませんが、
この地図を見る限り、どう見ても自国からは遠く、明らかに日本の経済的排他水域に含まれる
にもかかわらず、日本の「島である」と言うことは中国は認めていません。
(これは島ではない、と言うのが中国の主張です)

ここが日本の領有であるということになると、細かい海図を作るのが難しくなるというのが、
アメリカと対峙するつもりの中国が異議を唱えている理由だそうです。

沖ノ鳥島が日本のものであるということに異議を唱えている国はもう一つあります。
韓国です。

韓国?全く韓国が日本と領有を争うような場所じゃないじゃないか?
と思われた方、あなたは正しい。
しかし、これが韓国と言う国なのです。

講演の後、領有権問題について元海幕長とお話しました。
中国が尖閣を欲しいのは、一にも二にも核心的利益を期してのことでであり、海洋進出の目的は
「覇権主義」に包括されるところの「経済」であるが、では韓国における「竹島問題」はどうかと言うと、

わたし「中国とは違って主に民族主義、ナショナリズムからの行為であると思うのですが」
元海幕長「そう思います」

全く地勢的に自分とは関係なさそうな日本の沖ノ鳥島領有に、韓国がなぜ異議を唱えるのか。

こういうことを考えると、おのずと彼らの行動原理が民族的ルサンチマンから発するもので、
「とにかく日本の主張すること何でも反対」
が国策にすらなっているという現状が見えてきます。

中、露、韓三か国は、領土問題で攻勢をかけると同時に歴史問題をリンクさせてきています。
中韓が歴史問題で日本を叩くことにおいて正式な共同合意さえ結んでいるのはご存じでしょうか。
そして、数年前からロシアも歴史問題を吹っかけてきたわけですが、これは領土問題で
踏み出してくるための準備だったのではないかという気がしています。

中国と日本が尖閣問題を浮上させた。
そこで民族的意義から主に竹島の領有権を主張してきた韓国は、
元からの共同合意に則って、中国と歩調を合わせて行動を起こしたと見ることもできます。

イミョンバク大統領の政権末期における起死回生、あるいは韓国の大統領の定番コースである
「任期終了後の訴追→死刑」
を逃れるため、と言う説が有力ですが、わたしはこう言った面も無視できないと思います。

元々韓国は中国の属国であった歴史があるのですが、そのせいか中華思想を持っており、
中国には驚くほど警戒感がありません。
むしろ、将来的にはアメリカではなく中国共産党に飲み込まれることを歓迎しているようです。
中国はかつての属国を言わば先兵として日本侵略のための共同戦線を張るつもりでしょう。
勿論後々、利用するだけしたら後は飼い殺しにする前提で。

日本人はまさかそこまではと思っているでしょうが、戦争は始まっているとも言えるのです。

歴史問題で精神的な侵略を進め、海洋進出によって要所を実効支配する。
この場合の実効支配は、主に「アメリカに日本から手を引かせる」ことが主目的ではないでしょうか。

ここで、元海幕長と話した、日米関係についての象徴的なある出来事です。



南シナ海のクロノロジーをご覧ください。
紫とピンクで挿入された部分が、いずれも「アメリカ軍の撤退」。
その直後に来ているのが「西沙諸島の支配」「ミスチーフ礁占拠」という実効支配です。

中国もアメリカがいるうちは手を出せません。
しかし、アメリカが撤退するや否や軍事的に占拠を敢行している。

今中国は、沖縄からアメリカが出ていく瞬間を待っているのです。

精神的な占領作戦として中国が仕掛けた情報戦は、全国の左派勢力が皆沖縄に集結し、
ここからアメリカを追い出そうとする段階までこぎつけました。
沖縄の政治家もメディアも、まるでそれが沖縄県民の総意であるかのように発言します。

そこに、「日本は日本人だけのものではない」と発言する首長を頂く、
左翼政党である民主党が、やはり左翼マスコミの応援によって誕生してしまい、
おそらく意図的に、日米関係を修復不可能とも言える段階までぶち壊してしまったわけです。



歓談のとき、元海幕長は「オスプレイは絶対に安全です」とおっしゃいました。
わたしが「アメリカは先の衝突船事件のときも、この事件が起きてからも、
『尖閣諸島は日米安保の対象です』と発言していますよね」と言うと、
「そうなのです。わたしはアメリカは日本に対して明確なメッセージを送ったと思います。
しかし、日本がそのサインを見逃したか、あるいは」

無視した?

海幕長は勿論おっしゃいませんでしたが、アメリカの発言に対し、日本がこれを利用して
今回の問題をもう少し有利に持っていくことができたはずなのです。
しかし、日本はそれをしなかった。

斜陽大国アメリカは衰退しつつあります。
経済問題、社会問題、イラクの問題を抱え、自国だけで精いっぱいと言うことになれば、
日本から米軍が出ていくということも十分真実味を持って予想し得ることです。

そのときにはまず間違いなく中国は日本の侵略を開始するでしょう。


日本のような精神的に調和することを尊ぶ「和の文化」を持った国は、
実は世界にまれであるということを我々は知る必要があります。
かつての大国がそうであったように、世界の基準は「奪う」ことなのです。
良いも悪いもない、国と国と言うものは強い方が弱い国を飲みこむものです。

独立した国同士がその規模の違いにかかわらず国際法を順守し互いを尊重し合う、
このような理想郷を「イマジン」するのは福島みずほの勝手ですが、じつはこちらの方が
歴史的には異常であるといえるのではないでしょうか。


そして中国は、民族主義的な怨嗟を常に日本に対して持ち続けている韓国に、
例えば竹島は勿論、対馬や九州などを与えることを条件に、
共同で日本を統治することを持ちかけるでしょう。

勿論、これは最悪の想像です。

しかし、こういった予想が「まさか!」と一笑に付してしまうほど現実味のないものかどうか、
ここ最近の周辺国の動きを見て、考えていただくことも必要かと思います。

解散総選挙が現実味を帯びてきましたが、次の選挙で投票の基準となるのは、
あるいは外交に対する政策かもしれません。

少なくとも、外国人参政権を推し進める議員には投票しない、外国人から、ことに
パチンコ献金を受けていると思われる議員は落とす、という風に、
つまり本当に国益を考えて政治をする議員に投票しなければ、日本の未来は無いような気がします。

「子供手当二倍増」
などと、民主党がトチ狂ったようなことを言いだしているのも、外交問題など一顧だにしない、
目先の小金に釣られるような「愚民票」を恥も外聞もなく集める作戦だと思われます。


この「元海幕長を囲む会」で感じましたが、出席者はみな「怒って」いました。
この日本を貶め、侵略しようとする国に、そしてそれを幇助しようとしている政治家に、
真実を伝えず、むしろ国を売り渡す方向へ世論を誘導するマスコミに、
そして目先の利益からむしろ日本の妥協を歓迎する経済界に。

わたしは、どういうわけか、会のいちばん最後に「挨拶」する羽目になりました。
ご指名に驚き慌てつつ、しかし、何とかこんなことをいいました。

日本が好きであること。
その日本の危機が今来ていること。
ここにいる経済界の方たちは、おそらく政治と経済の間でジレンマを感じているであろうこと。
しかし、国体を危うくするような外交の果てに待っているのは、健全な経済活動ではなく、
「経済植民地」としての不当な搾取であるかもしれないこと。
誇りを売り渡した国に、未来は無いこと。

目の端にずっと捕らえていた元海幕長が、一区切りごとに深く肯いてくださっていることに、
心底勇気を与えられたような気持で、そして、最後にこう言いました。

「日本人が日本を好きでいても良い国にするために、小さなことからやっていきましょう。
たとえば・・・・・国旗を揚げるとか」

このあと大手ホームセンターの社長が「国旗はうちで扱っていますのでどうぞよろしく」
と笑いを誘いました。


ところで、実は今、「元海幕長との第二夜目」がひょんなことから実現しそうな流れです。
もしそうなったら、またご報告しますのでお楽しみに。




元海上幕僚長との一夜

2012-09-04 | 日本のこと


相変わらずJAVAのぼかし機能が使えないので、苦肉の策で、(←本当か?)
先日mizukiさんに作っていただいた、ルテナン・エリスのアバターの顔部分をはめ込んでみました。

mizukiさん、無断借用して申訳ありません

しかしこの写真をどうしても使いたかったのは、後ろの左側で名刺交換をしておられるのが
元海上幕僚長だからです。


・・・・・・・・それにしても、キモいタイトルをつけるんじゃない、と思われた方、すみませぬ。

この日、元海上幕僚長の講演後、隣で食事をいただき、お話をさせていただいたのですが、
海軍海自に興味を持つことわずか二年でこのような僥倖に恵まれたことがあまりに嬉しく、
ついつい自慢かたがた思わせぶりにに言ってみたかっただけでございます。



しかし、言わばこの地元のトップ企業とも言える会社の財界人が参加したこの講演会。
エリス中尉ごときが隣の席に陣取っても、元海幕長を独占できるものでもありません。
ひっきりなしに参加者が名刺交換に訪れ、話が中断されること度々。
この写真もまさに話の途中で挨拶にこられた方があり、放置中のエリス中尉の図。


以前護衛艦「さみだれ」の艦長にお会いしたとき、何の質問も用意していかなかったため、
「バトルシップを観ましたか?」などと聞いて(このブログ読者の)顰蹙を買ったわけですが、
このたびは何と言っても元海幕長です。海軍大将です。
二佐である「さみだれ」の艦長には大変失礼ですが、軍隊というものは階級社会なのです。
中佐には聞けても、大将に「バトルシップ観ましたか」などとは口が裂けても質問できません。
(聞きたかったけど)

そもそも、インタビューしているわけではありませんし、さらに話には流れと言うものがあり、
さらに同じテーブルのエラいおじ様たちがあれこれと質問もなさるので、
なかなか思うような内容の質問などできるものでもありません。

(しかし、せっかく目の前に元海幕長がいるのにろくに話をさせず、
逆に海幕長に向かって自分の経営理念を滔々と語る人って・・・・・・・・・なんなの?)

ことに、この時は講演の直後ですから、やはり中国や韓国との関係、防衛が話題になります。
それでも、士官候補生学校のことなどさりげなく聴きだしました。

海上自衛隊は海軍をそのまま受け継いでできた組織であるので、海軍のやり方、気風や慣習、
そういったソフト面がまだまだ色濃く残っているけれど、例えば士官候補生の訓練の厳しさは、
「士官候補生学校の間だけ」
なのだそうです。

言わば、その間だけ候補生として厳しくやるけれど、兵学校のような厳しさではない、
そして例えば「貴様」という呼び方は決してしないそうです。

ふーむ、そうでしたか・・・・それは残念・・・・って何が残念なんだかわかりませんが。

それから、たまたま話が及んだので、気になっていたアスロックの命中率について
(何を聴くんだエリス中尉・・・)聴いてみたのですが、これについては非常に丁寧に、
その仕組みと、動き方、さらにこの兵器の使い方などを説明して下さいました。

あまりにも細かかったので今ここに書くわけにはいきませんが(おい)一言で言うと、
「100%ではない」ということです。

一言すぎ?

ところで、この会はディナーショー?なので、ちゃんとしたコースのお料理が出ました。

 スープのジュレ。

 メインはステーキ。

 デザート。

これらのお料理を、全く残さず気持ち良いくらい平らげておられました。
お酒もいけるらしく、ボーイさんが注ぎに来る白ワイン赤ワインも、全く断らず口にしておられます。
でも、全然お腹とか出ていらっしゃらないんですよ・・・・。
引退してから太ってしまったりはなさらなかったんですね。


ところで、エリス中尉は女性ですので、海軍について調べ、考え、海軍軍人のことを知るときも、
どうしても女性の視点から考察してしまう傾向にあります。

男性なら、先日もコメント欄でお話したように、小さい時から当然の常識として知っていることが
全く基礎から抜け落ちたまま軍や戦争について語ろうってんですから、我ながら良い根性してます。
しかし、「軍女子部」同僚であるところのミルママ中尉☆☆のブログもそうですが、
「男もすなる軍ブログと言うものを、女もしてみむとすなり」
という観点から語られた軍、戦争に対する考えであるからこそ読んでくださっている方も、
もしかしたら結構おられるのかな、とも、最近思っているのです。

(紀貫之が男であることがもしばれていたら「土佐日記」はベストセラーにならなかったでしょう)

女性、特に母親を十羽一からげにして
「我が子を戦地に送りたくないから、戦争反対!自衛隊なくせ!憲法9条死守!」
と言っているようなイメージを持っている方がいるならば、それに対して
中にはこんな風に考えている女性もいることはいるのですよ、というメッセージになることを、
何となく(何となくですよ)期待している部分もあります。

・・・・というのはわりと後付けの理由です(笑)

というわけで、このような「元アドミラル」を目の当たりにして、どうしてもエリス中尉の興味は

「このスーツは、見るからにお仕立てが良いけれど、退官後、
大会社の顧問として第二の人生を歩む際に銀座のテーラーで誂えたのかしら」

とか、

「こういう方の奥様というのはどういった経歴の方で、どういう方なのかしら。
夫が海幕長、というのは妻としてどんな気分だったのかしら」

などといった、語尾が「かしら」で終わる、男には全くどうでもいい、
質問しようのないところばかりに終始してしまったことを、懺悔と共にここに告白いたします。

それはともかく、エリス中尉が次々と元海幕長を質問攻めにできなかった理由はもう一つあります。
それは、海幕長その人がエリス中尉に

「・・・・・・・・お詳しいですね」

さらに続けて

「おたくですね」

とあっさりおたく認定をしたうえ、さらにこう質問をされたからです。

「なぜそんなにお詳しいんですか?」

わーい、石破ゲル元防衛大臣と同じ扱いを元海幕長にされちゃった!
と喜んでいいのか悲しむべきなのか、ともかく、逆に質問に答える羽目になってしまったのです。
こちらからの質問は想定していましたが、まさかそう来るとは。

海幕長は何となく尋ねられたのでしょうが、答えに窮しました。
理由は山ほどあります。

おかしな政治。おかしな日本の外交。
日本がどんどん歩みを間違えておかしな方向に進んでいるのではないかという不安。
その原因としての戦後敷衍した自虐史観への疑問。
日本に誇りを持たせまいとする「ある力」への強い反感。

全ては「自分の生まれた国が好きである」という当たり前のことが当たり前でない現状への
おおいなる疑問と不満から始まっています。
では、「皆が日本を愛していた頃」、起きたあの戦争は何だったのか。
愛国心がはたして戦争を起こすのか。
そのときのことをこうやって知ること語ることで、少しでも真実に近づきたい、そういった理由です。

「なぜ海軍か」については、大抵の軍人がやはりそうであったように
「紺碧の波を切るくろがねの城、空駆ける海軍搭乗員の凛凛しさと腰の短剣に魅せられて」
といったところですが。

しかしまあ、そんなことを文章ならともかく、口で説明するには相当な準備が必要です。
想定外のこちらへの質問に対し、何の心の準備もしていなかったエリス中尉が、

「そ、それは・・・」

とめまぐるしく頭の中で考えをまとめていると、ちょうどそのとき

「皆さま、ご歓談中のところ大変恐縮ですが、おひらきの時間が近づいてまいりました」

「・・・・・・・」 orz ←エリス中尉

もうこれは無理やり頂いた名刺を悪用してお近づきになり、「元海上幕僚長との第二夜目」を設け、
行ったことはありませんが、銀座のクラブ「宣候」でもお連れしてこの続きをするしかありません。

(・・・・・・が、まだ何もしていません。今後も多分しないでしょう)


ところで、雑談中、護衛艦「さみだれ」に乗艦し、艦長の案内を受けたお話をしました。

「そこでコーヒーなどいただいてしまいました」
「ほう、それでは士官室にも行かれたのですか」
「はい!そこで出されたコーヒーのカップには、金色の錨のマークが」
「それは特別待遇でしたね」
「そうなんですか!
山本五十六司令が、この同じ海軍マークのカップで飲んだのだと思うと、感無量で」
「ははは・・・」(笑)

「何とかしてこのカップを持って帰れないかと一瞬思いました」


 提督に 何を言うやら エリス中尉 (字あまり)



次回、ようやく日米関係と、露中韓包囲網(エリス中尉命名)についてです。





旅しながら淡々と写真を張る~なまはげトラウマ

2012-09-03 | お出かけ

このパノラマ写真の撮り方って、ご存知ですか?
シャッターを押したまま、→の方向に向かって、ぐるっと体を回転させるのです。
意外と原始的な撮り方をするものなんですね。
撮っている間はどんな画像がおさめられているのか全く分からないので、
水平線が水平にならなかったりしてしまいます。
シャッターを押す間カメラは「カシャカシャカシャカシャ」と言い続けるのですが、
回転が遅くても早くても画像にならず、「もっと早く」とか「もっと遅く」とかいちいち指導が入ります。

いやー、なかなか面白いオモチャですこと。

さて、前にも一度言いましたが、秋田の夏は暑い。
東北地方で冬は雪が降って、かまくらなんか作ったりするくせに、夏は無茶苦茶暑い。
しかも、パロアルトの湿度の低いからりとした空気ではなく、ねっとりと肌に絡みつく、
不快指数満点の蒸し暑さです。

車から一歩降りたとたん、サウナの中のような重たい熱気に包まれ、
全身の毛孔と言う毛穴から汗が吹き出します。
この過酷な気候の中、はっきりいって観光というものの存在意義、そして
「観光とは楽しむものなのか」という根源的な疑問が脳裏をかすめっぱなしなのですが、
案内する方もされる方も、諦観と無我の心境にわが身を置き、ただひたすら慣行に則って
観光を敢行するマシーンとなって粛々と行程をこなすのでございます。

案内のA氏にすれば仕事。TOにとっても仕事。
そういうしがらみがなければ、すでに存在意義もない「誰特」行事なのです。

日本のビジネスマンって、偉いなあ・・・・・・・。(しみじみ)

 お次の観光地、入堂崎。

A氏のメールには
「入堂崎(男鹿半島北西突端の岬)芝生の大地から海岸へ絶壁となっており、灯台に昇れます。

狭く急な階段ですが昇りましょう。

狭く急な階段ですが昇りましょう。

狭く急な階段ですが昇りましょう。

と書いてありました。
大事なことなので三回書いたのはエリス中尉で、A氏ではありません。

そして、この日の異常な暑さ、ギラギラと照りつける太陽にむしむしした空気。

「じゃ、灯台に昇りましょうか」

A氏が意を決したようにおっしゃいました。

これは苦行なのか、人は(以下略)
とまたぞろ哲学的な命題がエリス中尉(と、おそらくそこにいた大人全員)の脳裏をかすめたときです。

そこで「裸の王様」の子供並みに空気読まない発言を、宅の豚児がぶちかましてくれたのです。

「NO!」

A氏の発言からわずか0.03秒後のことでございました。
慌てるTO。
しかし、TOが、「せっかくだから昇ろうよ」と息子をなだめるのより一瞬早く、
当のA氏その人が、打てば響くように

「NOですか!じゃやめましょう」

と即答なさいました。
それはまさに阿吽の呼吸。
内心息子の却下を心から歓迎しているらしい安堵の様子が声音に表れているのを、
エリス中尉の鋭い耳は聴き逃すことはなかったのです。



火曜サスペンス劇場で10回以上は舞台になったのではないかとおもわれる崖。

「ここで犯人が、自分の犯罪を得意になってしゃべるんですよね」
「そうそう、そして『あの世への土産に聴かせてやる』とか言っている間にパトカーが来てしまうと」
「いつもあれをやっている間にパトカーが来てしまうので、あれはやめた方がいいですね」

 北緯40度ライン。
 40度ライン上に石碑が点々と。

石碑の隙間から向こうの石碑が見える。

いくつか立っている石碑を辿る線は、伸ばして行けばニューヨークなんだそうです。
逆に行けば、多分ロシアです。(いい加減)
それがどうした、とは言ってはいけません。


このあとここのパーキングにあるお食事どころで海鮮どんぶりやサザエの壺焼きを食べました。
これもA氏が「せっかくだからどうぞ」とわざわざ買って下さったのです。

好きでも無いし、美味しいと思ったこともないし、それでも、こういうところに来たら食べてしまう。
サザエの壺焼きって、まさにその典型のようなものです。
これも「観光」の不思議なところです。
案の定この岩場で採れたサザエは、身が硬く、砂だらけで、お世辞にも美味しくありませんでした。

TOはこういうのが苦手なはずですが、なんといってもこれは「仕事」です。
恐らく死んだ気で食べ、おそらく砂でもあったのか、しばらくしてからさりげなく洗面所に立っていました(笑)

この灯台と岬を望む一角は、バスがたくさん停められるため、二階を座敷にしたお食事処がずらりと
ならんで、この日は大変なにぎわいを見せていました。
この駐車場に、なまはげ発見。

 なまはげの刀を真剣白刃取りする息子。

そう言えばもりあがれずに閉店してしまった八望台の食堂も「なまはげ食堂」でした。
「なまはげキャンプ場」なんてのも見ました。

「オーベルジュ・なまはげ」とか、「ル・ジャルダン・ド・なまはげ」なんてのもあるんでしょうか。

小さいとき、なまはげのなんたるかを本で読み、それだけで
夜一人でお手洗いに行けなくなるほどの怖がりさんだったエリス中尉には、
このなまはげに泣きわめく子供の、少なからぬ人数がトラウマを持つに違いないと固く信じていました。



ところが、A氏によると「青森の人間は絶対にあれはトラウマにはならないらしいですよ」

生まれてから大学卒業までずっと東京の人であったA氏が
一体何人の青森県人から統計を取ったのかは知りません。

しかし、とにかく小さい時に散々怖がっても、いずれ理解し、心的外傷は決して残らないのだそうです。
それはときとして自分の好きな隣のおじさんだったり、ときには自分のお父さんがその正体で、
愛情ゆえに為されたことであると自分の心の中で問題解決するのかもしれません。

また、そのような行為によって子供の心が傷つけられることはないのでしょう。



さて、秋田観光、最後はお待ちかね、水族館!

きっと中も涼しいであろうこの戸賀水族館、楽しみにしていました。
変わった魚やペンギンなど見ていると何時間でも過ごせてしまうくらい、水族館が好きなのです。
なのに・・・・なのに・・・・。

嗚呼、やはりというかなんというか、案内のA氏は、連れてくるだけ連れてきて、
「私は何度も来ているから外で待っています」
といって、わたしたちだけで入館することになってしまったではありませんか。

外で仕事関係の人を待たせておいて、心行くまで魚を眺めるなんてこと、
普通の日本人ならとてもできる仕業ではありません。 そうでしょ?

ですから、この水族館の目玉であるシロクマの豪太くんと、ペンギン以外は、ほとんど立ち止まらず
駆け足で見学しました。

 岩飛びペンギン。

この水族館にはこの岩飛びとジェンツーペンギンの二種類がいます。
この岩飛びくんは、横にいたジェンツーにこの直後なぜか突き落とされていました。
しかし、いったん水に入るとペンギンって実に「鳥」だなあといつも思います。

体を弾丸のように流線型にして縦横無尽に泳ぎまくるのです。
泳ぐとき、あの「とさか」がぴったりと頭に張り付いたようになるのを初めて見ました。

ところで、この時にはもうカメラが使えなかったので、写真は全て携帯です。

 シロクマの豪太くん・・・・なんですが・・・

 ズームできないからわけわかりません。

それにしても、何でこんな灼熱の屋外に、しかも日向にシロクマを放置するのでしょうか。
氷の柱をもらっていて、それをかじったり抱いたりしていましたが、気の毒でした。
動物愛護協会から文句が出ないのかしら。



実は、この水族館は岩場のある海に面していて、A氏のメールには
時間が有れば軽く磯遊び(水には入らず岩渡りで)
などと書いてあったのですが、何度も言うように岩わたりどころか、駐車場までのバスを待つ間も
外にいられないので、皆室内からバスが来るのを待って、バスが到着したとたんどっと出ていく始末。
協議するまでもなく岩場に出る案は無くなりました。
というか、人っ子一人外に人影はありませんでした。

水族館見学を終わって、皆でソフトクリームを食べ、それから空港に向かいます。

「早く空港についてしまいますが、構いませんか」

勿論です。もちろんですとも。
本当に、あの花火の次の日に一日中運転して暑い中いろんなところに連れて行って下さり、
Aさんの御心には本当に感謝するばかりです。
一刻も早くお開きにして、お家に帰って休憩して下さい。


さて。

そんなこんなで暑く長かった秋田観光の一日は終わり、こうして家に帰って写真を眺めていると、
階段が辛かった展望台も、砂だらけのサザエの壺焼きも、ただただ暑かった灯台の岬も、
皆のど元過ぎればで面白くも楽しい経験として良い思い出になっているのを感じます。

なまはげと一緒で、たとえ仕事の付き合いとは言え人さまのご厚意から為される行為は、
見たもの体験したことに、「ありがたいと思う気持ち」が輝きとなって込められるからでしょうか。

 






旅しながら淡々と写真を張る~秋田

2012-09-02 | お出かけ

少し息抜きとして(読んでくださっている方のためというよりわたし自身の)、「旅淡シリーズ挿入」。
実はわたくし、今回大曲に行ったのが「初めての秋田」です。
「雪ん子」「米」「秋田美人」・・・・。
つまり、ほとんどフジヤマゲイシャレベルの知識しか秋田に対して持っていません。
そこでいきなり大曲の花火大会という王道的直球的観光をしてしまったわけです。

花火大会の次の日、ご招待下さった方が秋田観光に連れて行って下さいました。
今日はその写真を淡々と貼っていくことにいたします。
先日、カールツァイスのレンズ搭載カメラを買った件でその選択に皆さまのご支持をいただき、
何も知らない素人なりにいいものを選んだ己の野性の直感に少し自信を持ち、
今回の旅行もこのカメラで風景を撮るのを楽しみにしていたのですが、
相変わらずと言うかなんというか、カメラの充電コードを持ってくるのを忘れ
後半、電池切れして写真が撮れませんでした。

というわけで、冒頭写真はわたしのカメラが息絶えた後、
うちの天才的にシャッターを切るのがヘタなTOが、iphoneで撮ったものなのです。

ちょっと・・・・・これ、どう思います?

誰が取ってもヘンな写真の撮りようがない景色とはいえ、絶望的に写真のヘタなTOが(しつこい)
これだけの絵を残せるって・・・、もしかしたら、iphoneって、カメラとして結構すごいんじゃ?
わたしのカール・ツァイスの立場は?



それにしても、この風景。まるでヨーロッパの田舎。
コローの風景画にありそうじゃないですか?
実は佇んでいるだけで汗が噴き出してくるほど不快な気候であることが全く感じられない、
見事なまでに静謐な、絵になる場所です。

どこまでもまっすぐ流れているのは、これが人工の川であるからなんですね。
ここは八郎潟。ごぞんじ人工の干潟です。
ですから道はどこまでもまっすぐ、川はどこまでもまっすぐ。
二枚目の写真はちょうどここでカーブしているんですね。

道沿いにどこまでも植えられた桜が5月(秋田は桜が遅い)に一斉に咲くとき、
それはそれは美しい桜並木がどこまでもどこまでも続くのだそうです。

わずか数十メートルの区間に桜が植わっているだけのただの道路に四月になると人が押し掛ける、
文京区茗荷谷の「桜並木」、あれが桜並木ならこれを何と呼べばいいのか。って感じです。
(昔住んでいたもので)


ここは「地元の人が知っているちょっといい景色」に過ぎず、勿論のことおっしゃれーなカフェも、
こじゃれたレストランももありませんから、車を停めて写真を撮るだけ。
勿論観光バスも停まらない、「ただの道」です。
でも、一瞬でもこういう場所を見るために行くんですよね、旅というのは。

このように、地元の方の案内ならではの「穴場」に連れて行っていただいたのですが、
勿論これは「オプション」で、メインはこれでもかと王道の観光コースでございました。

大曲花火の夜、深夜12時、秋田駅にぼろ屑のように疲れて帰ってきて、主催の方が
「それでは明日、朝9時にお迎えにあがります」

この方はわたしたちを案内するために9時から5時までの観光スケジュールを組み、
日本の企業人らしく、どんな疲れている花火大会翌日にも、その任務を遂行して下さろうと、
常務取締役であるその年齢にありえないほどの気力を振り絞って下さるつもりだったのですが、
いかんせんわれわれの気力体力は、すでに限界を迎えていました。

「あのう・・・・・その時間なのですが・・・・・・」

こういうときはこちらから開始を遅らせる提案をするのが気遣いというものかもしれません。
集合時間を一時間遅らせ、朝10時から秋田観光開始。
向こう様がほっとなさったかどうかは知るべくもありませんが、
われわれにとって、とにかくこの一時間は、次の朝実にありがたかったです。

わたしはツァーというものに一度しか参加したことが無いのですが、その一度が、
息子がまだ1歳半の時、アメリカから参加したイタリア観光でした。

息子は赤ちゃんのときから飛行機や電車、衆人のなかで泣いたり騒いだりがことが一度も無く、
おかげでこのような旅行にも肩身の狭い思いをせずにすんだどころか、他の参加者に可愛がられ、
あまり子供好きでなさそうな男性が「子供って大概騒がしいものだけどねえ、おとなしいね」
としみじみ言うくらいであったのですが、じつはストレスを受けていたのは息子本人でした。

朝ロビーに8時集合、というようなタイトなスケジュールが何日か続いたころ、
ぐっすり寝ているのを起こしたところかれはしくしくと泣き出し
「お家に帰りたい・・・・・」と呟いて、父母を落涙せしめたのでございます。

小さいお子さんをお持ちのお父さんお母さん、観光なんて大人のためのものなのよ。
このときのイタリア旅行は勿論、アラスカ鉄道、氷河クルーズ、エッフェル塔、フロリダディズニー、
後から聞いたら息子は

何一つ覚えちゃいないんですから。

話がそれましたが、何しろ、こんな思いをしてまで人はなぜ旅をするのか、
ついその理由について深く模索してしまいそうなくらい、タイトなスケジュールの旅行は、
朝が辛いものだということが言いたかったわけです。



さて、常務取締役のA氏の車は、我々を乗せて一路男鹿半島へと向かいます。
東北に全く縁故のないわたくし、男鹿半島?あのトンカチ状の?と、一瞬考えたほどのモノ知らず。
どうも東北というと、秋田青森がごっちゃになってしまうのですね。
これはしかしわたしだけではなく、秋田の震災、とくに原発の被害は皆無であったにもかかわらず、
東北と十羽一からげに被災地扱いされる傾向はいまだにあるということです。
写真は男鹿半島にある寒風山。
ここは全面が芝生のような草に覆われた山で、展望台からは

西=日本海
東=八郎潟
南=秋田市と海岸線


が一望できます。



パノラマ模型のようですね。
惜しむらくは写真が展望台のガラス越しにしか撮れなかったこと。
この展望台、いまどき、と言ってはなんですが、床ごと回っていました。
一昔前、赤坂のホテルのトップラウンジがこれを売り物にし、一時全国で流行ったようですが、
この、床ごと回る展望ラウンジ、最近はとんとお目にかかりませんね。

10年以上前、中国は南京に行ったとき、地元で一番のホテルに泊まりましたが、
夜に行ってみたらスカイラウンジが回っていました。
その回る客席の中央に中国人の楽団がいましてね。
クリスマス間近だったんで「ホワイトクリスマス」なんぞをやったりしていたんですが、
これが何と言うのか、おそらく中国人のバンマスが、よくわからないままコードをつけたらしく、
「よくよく聴き、理解しようと努めればホワイトクリスマスに聞こえる可能性もある」
という「あなたの知らない世界の音楽」だったんですねー。
文化、というものはかくも地理情報の隔絶に置いては模倣にも限界があると感じた瞬間でした。

この展望台まで、駐車場から階段を延々と昇っていくのですが、辿りついたら気息えんえん、
心臓バクバク。そんなあなたのためにあるのが、これ。

 見たところ誰もやってませんでしたが。

この展望台の入り口に、コリアンドラマの「アイリス」のポスターが貼ってありました。
勿論、誰も一顧だにしていませんでした。
なんでも、ドラマ中、主人公のカップルがこの階段をふざけながら昇ったというんですが、
これが観光の目玉になって客寄せができると、本当に考えているのか秋田県?

そう言えば秋田駅にもこのドラマの大看板が掛けてあって、その写真と共に
「ロケ地にようこそ!」なんて書いてあったのですが、このドラマって、そんな人気あったんですか?

そもそも、失礼ながらこの秋田の、しかも三昔前くらいのセンスの展望台が、なぜわざわざロケ地に?
麻生首相にカップラーメンの値段を聞いた民主の牧山ひろえというお花畑議員が、
「もっと日本にコリアンドラマのロケを招へいして文化交流、観光客招致を」
などという、この非常時に開いた口もふさがらない質疑をしていましたが、
そういう「それで儲ける人々」の意向のなれの果てが、このドラマのロケってことなんでしょうかね。

コリアンドラマはお好きな方に言わせると「あの昭和な臭みが懐かしい」というものらしいですが、
こういうところをロケ地に選ぶ制作側のセンス、さらにそれで客寄せができると信じている
秋田観光協会、このあたりの認識のずれというのが、南京の楽団にも感じた

「文化伝達の地域ラグ」あるいは「決して超えられない情報隔絶の壁」

を感じずにはいられません。



納骨堂?(多分違う)の横でパラセイリングを楽しむ人々。
気持ち良さそうでしたが、もし一旦事故ったらヘルメットなどは何の役にも立たないかと。
どの程度安全なものかは知りませんが、高所恐怖症気味のわたしは絶対に無理。
飛行機だと全然平気ですのにねえ・・・。

さて、ここから車は八望台へ。



何万年も前に火山ガス爆発でできたマール湖があります。
まあるいからマール湖、というわけでもないようです。
非常に深いように見えますが、所詮爆発の穴ぼこなので、せいぜい40mの水深なのだとか。
この写真の湖はわずか11メートルです。



おそらく人一人立ち入った事のない湖岸に森が迫っている様子は神秘的です。
このような絶景を見るため観光客が車で立ち寄って比較的新しい展望台に登るわけですが、
ここにはそれだけしかありません。

 なまはげ食堂・・・・・・。

どうやら経営が立ちいかなくなり、閉店の憂き目を見てしまった模様です・・・・。
なんだかこういうのを見ると「ああ~・・・・」と思ってしまいます。
こんな絶景の景観地にたった一つしかないレストランなのに、何が悪かったんでしょうね。
もしかして、店の名前?



ふじた、という普通の食事処もあったようですから、名前ではないでしょう。
「八望台をもりあげる店」
と言う大きな看板が、今はただ哀しい・・・・・・。

実はこの日、秋田県全域は前日の花火客のうち少なくない人数が一泊後秋田観光をしており、
かき入れ時というか、秋田観光協会にとってはフィーバー状態?だったのです。
我々のように個人で観光する客のみならず、この大曲の花火大会は、旅行会社が
花火+翌日の観光付きで大々的にツアーを組んでいたりするものですから、
この後に行った入道崎のパーキングなど、大型バスが全て「花火大会」というカードを
つけて止めていたくらいでした。

しかし、ここは駐車場が狭く、バスが停まらない。
つまり、観光バスのコースに入らなかったことが、八望台がもりあがれなかった原因でしょう。

と言うわけで、怒涛の秋田旅行、焦熱地獄の苦難と忍耐の限界の果てに
エリス中尉は何を見るのか!

・・・・・・というか、観光って、何?

(ほとんどゲシュタルト崩壊を起こしつつ後半へ続く)






元海幕長の語る「あの防衛大臣」

2012-09-01 | 日本のこと

                 


元海幕長の講演会、それに続く懇親会についてここのところお話しています。

中国船衝突事件の真相、いかがでしたか?
わたしはかなり驚きました。
状況から想像し得る真実とかなり違っていたからです。

ミッドウェーの敗戦を、軍令部が秘匿し続けたのにもかかわらず、ほどなく皆が噂するようになり、
田舎の中学生ですらそのことを知っていた、と言う話を渡部昇一氏がしていたことがありますが、
「人の口に戸は立てられない」はずなのに、このネット社会において情報が全く漏れて来ない。
これもかなり不思議なことです。

疑い深いわたしとしては、「その話はどこかで創作され、例えば元海幕長のような人が
一般人とこのたびのような講演会においてさりげなく話すという形で流布されている」
という可能性すら考えてしまうくらい、「無難すぎるくらい無難な話」でした。

勿論、この元海幕長を実際に目の当たりにし、間近でお話をし、ツーショットの写真も撮り、
その人品骨柄に非常な感銘を受けたエリス中尉としては、そんなセコい陰謀に
この方が加担するはずもないと、すぐにその疑いを打ち消しましたが。


この元海幕長の(この方は事件の当時海幕長だった)おっしゃることが真実なら、
日本政府がこの顛末を隠さなければならない理由ははっきりいって全くありません。

ですからこそ、日本側が事実を隠したその理由はただ一つ、
「中国から頼まれたから」
であったということは(予想とは全く反対方向ではありますが)ほぼ確実に思われます。
つまり司法判断であった、というのはやはり全くの嘘で、中国政府から

「あれは海監でも漁政の人間でもなく、ましてや軍でもない。
ただの酔っ払い運転だから事を荒立てたくない。
この際問題にしないでやってくれたまえ」


と言われれば、日本政府としては、

「そういうことなら仕方ないですね」

と「政治判断」において返答せざるを得なかったということなのでしょう。
確かにこれが真実だとしたら、事件そのものは「なーんだ」というような種類のものです。
しかしそれを毅然と

「酔っ払いだろうがかっぱらいだろうが、領海侵犯し、海保の船にぶつかってきたのだから
公務執行妨害で粛々と日本の裁判にかけさせていただく」

と言えなかった日本の外交姿勢にあの事件の根本の問題があると思われます。

このとき、丹羽中国大使―「尖閣を買うなんて日本の国民感情は少しおかしいんですよ」
と習金平に言ったという―は、現地の当局者から夜中の三時に二度三度と呼び出されています。

これについて、怒りの石原都知事(笑)は、

「そもそも伊藤忠の社長ごときを中国大使にする政府が悪い」

とズバリ言いきったうえで、

「真夜中にいびりで何回も呼ばれてそのたびにハイハイとでていくのは馬鹿だよ。
『俺は寝てるから日が変わってからにしろ』って言ってやりゃいいじゃないの。
失敬千万な。奴隷の如く使われて」


と吠えておられましたが、これは当然です。
さらに都知事はこのとき、

「昔可愛がっていた男が、インテリゲンチャでまあましだと思ったら、
中国大使になったとたんガラッと変わったね。驚くほど変わった。
日米安保は障害なので無くさなきゃいかんなんてことを言いだして、
外務省は困惑して迷惑したんだけど。

そういう日本人が北京に行くといきなり誕生するって言うのも
不思議と言うか恐ろしいというか。
相当なとこなんだな、やっぱり。

どんな風な抑圧、どんな風な洗脳が行われるのかわかりませんがね」

と会見で述べています。

日本の政府関係者がハニートラップ、マネートラップにかかっている、と言うのは前述の
渡部昇一氏の中韓の対日本対応について述べる意見で見たことがありますが、
これを唯々諾々と受けて懐柔される輩もいれば、
「国を売るわけにいかない」
と自殺した上海の領事館員のような例もあります。

しかし、自殺した領事館員が特殊な例なのであって、つまり「生きている日本の政府関係者」で、
中国寄りの発言をする人間は、何らかのトラップにかかって中国の思うがままにされている、
と考えていいのではないでしょうか。

つまり、中国の仕掛けてきた情報戦に日本はいいようにやられているということです。


中国国内、日本国内をこのようにまず個人から取りこんでいった結果、
政府の判断すら「中国寄り」「中国に配慮」というような結果が出てきている。
この事件、さらに先日の魚釣島の上陸事件においても、それをひしひしと感じます。
日本の問題は「売国する日本人」の存在なのだと。


さて、この中国船衝突事件のとき、「sengoku38」こと一色正春氏がビデオを公開しました。
一色氏はそれによって海保をやめましたが、そのご本を出し、講演活動などもしているようです。
(この本も読みましたが、明らかに本人の手によるものではなく、おそらく口述を本にした、
という「他人事臭」が限りなく漂っていて、情勢の分析資料としてはともかく、
本としては全く評価できませんでした・・・・・残念ながら)

このとき、政府がとっととビデオを公開し、船長を逮捕起訴せずに帰したのは、
あくまでも政治判断だったと小泉総理がそうやったようにさっさと公表していれば、
一色氏はこのようなことをせずにすんだわけです。

それはともかく、まだsengoku38が誰であるかわかっていないとき、
「sengoku38ってなんですか?」
と国会で質問した時の、石破茂議員の世にも嬉しそうな表情を漫画で描きました。
またぞろそれを引っ張り出してきたのは理由があります。

このときの海幕長とのお話、講演がすんで食事をしながらの懇談のときに、
例の中国船衝突事件の衝撃事実が語られたりしたのですが、言わばオフレコで、
表には出ない話も、少しは聞くことができました。

同じテーブルの方が
「石破さんって、やっぱり軍事に詳しいんですか?」
と質問されたのです。

「よく知っておられるんですよ。わたしにね、『これ知ってる?』って知識を披露されるんですが、
もう、わたしの知らないことも何でも知ってる。詳しいです」

まあ、実は軍オタク、マニアなんて言われているかたですからね。
「大和より武蔵の方が好きだ!」なんて熱く延々と語ってしまうらしいですからね。
ロシア国防大臣が来日した時に、ロシアの空母のプラモデルを二日徹夜して作った人ですからね。

それが趣味ですから、勿論詳しくないわけがない。

ところが次に元海幕長、「しかし・・・・」と言ってから
「ここに石破さんの関係者はまさかおられませんね」と念押し。

秘密の暴露、またキターーーー!(AA自重)

「大変な知識を持っておられる方であることは確かですが、
何でもご自分でやろうとされるから・・。
でも、上に立つなら、もう少し『専門外のことを任せる』と言うことをされてもいいと思うんです」

国会で、全くメモも見ずに法解釈も交え、民主の閣僚をバッサバッサと斬っていくがごとき質疑は、
見ていてもなかなか痛快で、得難い議員の一人であるとは思いますが・・・。

わたし個人としては、どうしても田母神俊雄氏を論文事件のとき解任したのがこの石場氏である、
ということが引っ掛かるのですね。
さらに、大東亜戦争で日本は侵略のための戦争をした、という見解を持っており、
従って靖国には参拝したことはありません。
南京虐殺は数の問題ではない、さらに慰安婦問題についての軍関与はあった、という解釈。

一見タカ派のようですが、実は全くそうではないという立ち位置のようです。
石破議員は、現在総裁選に意欲を示しているという話ですが、
ほぼ確実に政権交代するであろう次期政権のトップに立つには、少し問題あり、というか、
現在日本のおかれている問題は石破総理では解決に向かわないと思えてならないのですが。

このときの話で、元海幕長も石破氏について同じように考えておられるような気がしました。
そう、この人は「最強の補佐」にはなれると思いますが、何となく、何となくですが、
人の上に立つようなタイプではないように思うんですよね・・・。

さらに、元海幕長はこのようにおっしゃいました。

「3.11のとき、世間の意見は民主党の対応に対して、非常に厳しいものがありました」

はい、わたしもそう思っていた一人です。

「しかし、少なくとも海自の対応に関して言えば、素早く事が運び、海自は動くのが早かった。
これは、政府の対応は良かったのです。
もし、石破さんだったら、皆何が何でも自分でやってしまおうとしたかもしれない。
しかし、北沢さんは任せてくれましたから」

そしてその後、

「単に何も知らなかったからだけかもしれませんが・・・・」

北沢防衛大臣というと、民主党の悪口を言われたことに激昂し、
自衛隊の会合に参加し講演などをする人物について人物調査をしろと息まいて、
実際そういう通達を出してしまった、「自衛隊の天敵」だと思っていました。
さぞかし自衛隊の中の人々としては憤懣やるかたなし、という目で見ているのかと思ったら、
さすがトップは目のつけどころが少し違います。

有事のとき必ずしも優秀な人間が適切に機能するとは限らない、ということも、
公正な目で見てこのように判断されたのかもしれません。


海幕長という視点から語られたことのいくつかは「目からうろこ」がいくつかありましたが、
このことなどもその一つでした。

アメリカとの関係のこと、そして肝心の、エリス中尉がどんな話をしたのか、
まだ辿りついていません。

また別の日にお話しようと思います。