ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

国威発揚映画「東京上空三十秒」

2010-11-11 | 映画
皆さん、この映画のタイトルなり評判なりをちらっとでも今まで聞いたことありました?
無いでしょう?
日本ではほとんど誰も知らないと言ってもよいこのアメリカ映画、
(そう思ってるのがエリス中尉だけだったらゴメンナサイ)
悪名高きドゥーリトル爆撃隊の東京大空襲を描いたものです。

3枚買うと3千円というコーナーで見つけなければ今後も知らないまま人生を終わっていたかもしれないのですが、買ってしまったのでご報告します。

何も知識のないまま観始めたのですが、なんだか次第に
「嫌な感じ」
に見舞われてしまいましてね。

日本と戦争していて日本を爆撃する映画なら当たり前じゃないのか、と思われた方。
その「嫌な感じ」というのが、日本人としての嫌な感じであるのは当然なのですが、少し不思議だったんですね。

およそ戦後の戦争映画は、かつての敵国といえど今は仲良しゆえ、ちょっとは相手の気持ちも考えて作られていて、相手が悪いとかではなく
「仕方なく戦っただけだから。戦争だったんだよ」
というところに着地しようとしている様子がどこかにあるものですが、
これにはそれが無いというのがその感じの原因です。

爆撃隊のブリーフィングで日本に駐在武官として長らくいたという佐官が写真を見ながら説明する。
「この工場は何とか言う兄弟がやっていた。嫌な奴らで嫌いだった」
・・・ここ笑うところですか?
搭乗員が
「不時着はどうやったらいいですか」
するとその佐官、顔を曇らせて
「日本に不時着だけはするな」

って、なんだよこれ。

爆撃後中国の沿岸に不時着して医者を頼むと中国人が
「このへんに医者はいない。日本人の意者ならいるが」
「日本人でも何でもいい」
「日本人は夜は絶対に来ない」

って、なんなんだよこれ。

で、異常に中国人を持ちあげてるんですね。
なんかみんな純粋で気持ちが優しく、天使のよう。
英語を話す中国人の医者もその父親も、もう当てつけのように?いい人ばかり。
中国を飛行機で発つとき何故か後ろにあの「中国国歌」。

なんなんだあこれは!

と、やおらウィキで調べだしたところ、なんと、この映画が製作されたのは

1944年

うぉっと、国威発揚映画でしたか。
そいつは失礼しましたね。
道理で日本人が観たらむかむかするはずだ。


さて、ご存知のように、日本では鬼悪魔と言われたドゥーリトル爆撃隊、隊員は家庭もあり愛する人もいる一人の人間、ってことで、主人公ローソン中尉の新婚の妻とのロマンスを中心にストーリーが進みます。
不時着で脚を切断するものの、生きて妻に会える、と機上でうるうるするローソン中尉。
意識がもうろうとする中で幸せな日のクリスマスを思い出したり、もうべったべたです。
また、この片足をなくしたローソンに天使のような中国人が
「みんなにプレゼントあるよ」
といって中国靴を渡すのですが、中尉の脚に気付きはっとするとか、
岩石のようなおばはんが何故か皆が去るとき滂沱の涙を流しているとか、

一体中国人をなんだと思いたいんだアメリカ人?

って言いたくなる甘ったるい感じが横溢しておりましてね。
そういえば小林よしのり氏が
「中国という大陸に対する根拠のないロマンシチズムと可哀そうな中国人を労わってる優しい俺たちに陶酔している」
と当時のアメリカ人が中国に対して持っている幻想を切って捨てていましたが、まさにそんな感じ。

あのおばはんはきっとみんなが出ていくのが哀しくて泣いてるんじゃないと思うぞ。
エリス中尉にはわかる。


(ちなみに、この攻撃は中華民国軍の支援を受けて行われました)

もちろん国威高揚の言い訳映画ですから、東京の空襲で罪もない子供まで死んだ、なんてことはこっから先も出てきやしません。

最高に気持ち悪いシーンが、中国人の天使のような子供たちがみんなでアメリカ国歌を歌うんです。
学校の校庭を逃げる日本人の子供に機銃掃射を浴びせたのはだあれ?
民家と知っていながら爆撃したのは誰かなあ?

でも、ご安心ください。
パイロットが
「庭師が日本人で、いい人だった。
日本人のことは別に好きでもないが嫌いでもない。
なのに今こうして世界一の都会を爆撃しようとしている。
不思議なものだ」
と言ってみたり、
ドゥーリトル隊長に訓示で
「一般市民を巻き添えで殺すことはやむを得ない。道徳心に責められるな」
と言わせて、子供を殺したことを映画で正当化していますよ。



作戦成功し、准将に進級して意気揚々のドゥーリトル。

しかし、現実は日本軍に捕虜になったうち三名が「一般人への攻撃」を行ったということで処刑されており、これがまた反日プロパガンダに使われました。
大統領の演説では彼らが一般人の意図的な殺害を理由に処刑されたことは伏せられています。
さらに言えば、この件に対しアメリカは戦後、戦犯裁判で関係者に「報復」しています。

さて、映画的には特殊撮影が当時にしては秀逸、ということです。
爆撃されている街はどう見ても日本には見えませんでしたが(笑)

それから、空母ホ―ネットで出撃時に撮影された発艦シーンが実際に映画の中で使用されており、この年の10月、ホ―ネットは瑞鶴の村田重治少佐率いる雷爆撃隊(少佐含む二機自爆攻撃)をはじめとする日本機動部隊からの攻撃でずたずたになり、最終的には米軍側の処理弾を受けても沈ます、撃沈命令により現場に赴いた秋雲と巻雲の雷撃によって引導を渡されています。


だから、ホ―ネット実物の甲板を見てみたいかたには、この映画お薦め。
つか、ここしかお薦めする箇所が無い。

いや、個人と戦争のあり方などはね、一般的で、よくわかるんですよ。
戦争している相手だから決して遠慮していないって言うのもね。
でも、とにかく

むかつく。




日本の地図にTHE END って被せんじゃねえ!(怒)



最新の画像もっと見る

3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
命令変更 (エリス中尉)
2010-11-23 13:04:07
ご希望によりコメントは公開いたしませんが、この稿のホ―ネット沈没についての記述にある方から「日本海軍には自由討論の気風あり」というタイトルでご指摘をいただきました。
それを受け、一度稿を書きなおしました。

しかし、その際高射砲攻撃で空母を撃沈したような書き方をしてしまい、それをさらにご指摘のうえ文案までご提案いただきましたので、問答無用でそのまま文章を採用させていただき再び内容を訂正しました。

そのコメント最後の文に感銘を受けましたのでここだけ掲載します。
(いいですよね?)

『空母の高角砲で敵空母を撃沈するのは熱血な御性格とはいえ、余りにもリスクが大き過ぎます。命令の中止を進言します!中尉』

進言、重ク受ケ止メタ上命令の変更ヲ決定ス
ヒトサンマルマル、エリス中尉

返信する
昔 見ました。 (白色の豚)
2013-09-14 20:19:59
日本公開が1957年ですね。 1958年か59年に父親に連れられて観に行きました。当時 父は海自の操縦士(戦中派 予備学生出身)でS-2Fの機長でした。支給されている防寒用皮ジャンが同じようなタイプで、ちょっと気取って映っているいる写真があります。 しかし、1944年制作とは驚きdすね。特撮も「ハワイ・マレー沖海戦」より秀逸ですね。ただし、どこをカットして放映したのでしょうね?
返信する
あおたか (エリス中尉)
2013-09-15 22:48:51
白色の豚さん、初めまして。
返事が遅くなって申し訳ありません。

お父様は「あおたか」に乗っていらしたのですね。
別のエントリで「あおたか」を導入する際母艦離発着の訓練をしたところ、
「母艦ももらえるらしい」という噂が海自の中で立った、という話を書いたことがあります。
お父上は予備学生で海自パイロットという道を進まれたということですか。

それにしても、戦時中の国威発揚映画を1957年に日本公開したんですね。
そのころ白色の豚さんはお父上に連れて行かれて、少しは理解できる年齢でいらしたのでしょうか。
そして、この映画を観たお父上がどういった感想を持たれたのか、非常に興味深いものがあります。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。