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笹井中尉がMMだった話

2010-11-02 | 海軍

笹井醇一中尉がモテモテだった・・・・。
また、何を妄想していることやら、と思われたでしょうか。




先日、「坂井三郎空戦記録」の復刻版を古書で手に入れました。

これは、1953年、(昭和28年)出版協同社より刊行され、1966年に絶版となった
「前大空のサムライ」です。
先日、ニコン研究会のAKIYANさんにいただいた「フィルム現像」の記事にもありましたが、
坂井さんが出版協同社の福林正之氏と三年がかりで作り上げた、最初の本です。


坂井さんがこの本を書きだしたころ、GHQはまだ執拗に戦犯の追跡調査を行っている最中でした。
終戦を知ってすぐ、第二士官次室公室で資料の整理をしていた坂井中尉に同僚がこう声をかけます。

「坂井中尉はもう駄目だよ、あれだけ敵機をやっつけたんだから。戦犯間違いなし!」

反発を覚えた坂井中尉は「毒を食らわば皿まで」と、勤務録、手記、写真を焼却せず、
それが最初の「空戦記録」を刊行する上での貴重な資料となったそうです。


さて、エリス中尉がこの「空戦記録」を読んでみたくなったのは、英語版であるマーティン・ケイデン著
「SAMURAI!」を翻訳したことがきっかけです。
史実どころか、この抱腹絶倒の(ごめんねマーティン)戦記小説と「大空のサムライ」との乖離を知り、
それでは原型であるはずの「空戦記録」ではどのように表現されているかという興味を抱きました。



この「空戦記録」と「大空のサムライ」には、内容そのものにも取り上げているエピソードにも、
そして表現法にも大きな違いがあります。

大空のサムライが、より表現を「文学的に」し、心情に踏み込むような部分が多いのに対し、
この空戦記録は、坂井氏の感想や心情描写などはごくあっさりとしています。
そのかわり、空戦における細かい描写は「大空」におけるそれはもう、微に入り細に入りで、
まるで零戦に乗っていた人にしか書けないような真に迫り方です。

ラバウルに行く船の中で笹井中尉に看病を受けたことなどは

「新分隊長笹井中尉の親切な介抱によって」

と、一言触れられているだけです。
笹井中尉が分隊長になった日に桟橋で誓いをし手を握り合った、などとはここから先も出てきません。


そのかわり、「どうしてこんな話を削ってしまったんだろう」
というような逸話がここにはあるのです。


その一つが今日タイトルの
「笹井中尉がモテモテだった話」

台南航空隊がバリに進出したある日、基地に飛行機がだんだん不足してきたので、
笹井中尉、坂井氏、本田兵曹の三人で台南基地に戻り、新しい飛行機を取りに行きました。
そして、台南基地に残っていた若い搭乗員も加え、九機編隊でバリに戻ったときです。

途中、ダバオ、メナド、ケンダリで給油を行ったのですが、当時ケンダリでは、
「夜白い服の金髪の女の幽霊が寝ている者の足を引っ張る」という話題で騒ぎになっていました。

この幽霊話は「ケンダリの幽霊」という本にもなったそうで、
「引っ張られないように石油缶に足を突っ込んで寝た者まで引っ張られた。これは確実にいる!」
などと騒いでいたところにこの台南空搭乗員御一行様が立ち寄って盛り上がったのですが、
この騒ぎに我らが笹井中尉は参加していませんでした。


というのは、その前の給油地であるメナドで笹井機が故障を起こして不時着し、
中尉だけが一日遅れでケンダリに合流することになったためです。

笹井中尉、次の日ケンダリに着陸して幽霊騒ぎで不安な一夜を過ごした一同を前に開口一番、

「いや、もてたの何のって、大したもて方だった」

と大変なご機嫌。

笹井中尉がイケメンだったから?
それは違います(きっぱり)。

笹井中尉が不時着したメナドの住民は、オランダ人の圧政に長らく苦しめられていました。
しかし大戦開始後、海軍の落下傘部隊が降下し、その後日本軍が占領以来、善政を施して
住民から感謝されていたのです。
 そもそも、メナドにはこういう言い伝えがあったといいます。

「今はオランダ人に苦しめられているが、必ずそのうちに
天から白いものを被った天使が降りてきてわれわれを救ってくれる」


白いもの=落下傘。


ほんとうか?
後から作った話ではないのか?
というくらい良くできた話です。

私事ですが、エリス中尉の知り合いには少し先の未来を映像で見ることのできる霊能者がいて、
何度もどうでもいいことを(←)予言されて当たっています。
またこの人については日を改めて書きますが、本当にいるんですよそういう人。
ですからこの地にもそういう予言をする能力のある人がいたとしても全く不思議に思いません。


そして「白いものを被った天使」の仲間、かつ空から降りてくる飛行機乗りであるところの笹井中尉。
ここの住民に神様扱いのモテモテだった、と。

「もてた」といっても、レスでエスにММ、というたぐいの「もてた」ではなかったようですが。
 そうですよね中尉?

おそらく長老が出てきて丁重な挨拶、山海の珍味に美女のお酌、タイやヒラメの舞い踊りな一夜
だったのではと想像されます。

笹井中尉が得意になってもてた話をするので、みんなは
「俺らも飛行機を不時着させればよかった」と笑ったそうです。
同じ白いものでもみんなが白い幽霊に怯えていた夜、笹井中尉、白い天使待遇でモテまくり、
「台南空で一人勝ちな俺」状態だったわけですね。




ところで、このエピソードが幽霊話ともども「大空」では削除されてしまったわけは、
なぜだったのかと思われませんか?


エリス中尉お得意の独断ですが、最初の「空戦記録」に載せる段階で、これが問題となるとは
坂井さんには予想できなかった「部分」があったのだと思うのです。

「日本軍がオランダを追い出した後、住民に善政を施していた」

この部分です。

現在インドネシアを訪れると、彼らが実に日本人に対して好意的に接してくれるのに驚きます。
 彼らの中で日本はオランダを追いだして独立へ導いてくれた恩人として捕えられているからで、
東南アジアの国々はフィリピン、インドもそうですが、一般的に日本に対しそういう観点から
非常に好意的です。

しかし、日本人でありながら「旧日本軍がしたのは支配と暴虐だけ」ということにしたい一派
(今の政府にもいますね)に対して最初から配慮したのか、
あるいは実際にこの部分に猛烈な抗議をしてきた連中もいたのではないかと私は思っています。
 事実「戦記というだけで目の色を変えて『戦争を懐古するものだ』と抗議してくるある層があった」
と復刻版の前書きで坂井さんも書いています。


この予想が正しければ、大空のサムライは戦後の自虐史観に妥協した結果、
この微笑ましいエピソードを葬ってしまったということになるのでしょうか。


いろんな意味で残念です。











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