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ズムウォルト級、見ました。なんかすごいですね。
すごい未来形で、もしかしたらこれからの軍艦はこうなっていくのかと思うと、
なんだかちょっと残念な気がします。
機能的ならいいだろうってもんでもないと思うんですが・・・。
おっしゃる通り、このシェイプは軍艦らしさを捨て(て)るす(笑)
うろうろする人さん
お久しぶりでございます。
「吾妻」の写真、初めて見ました。おっしゃる通り不思議と「明るい」写真です。
強い横風が吹いていて、艦尾の旭日旗が真横を向いて、煙突の煙も横にたなびいています。
上甲板にたくさん乗っている人々は一般人のようですが、なんの時のかご存知ですか?
昔も体験航海みたいなことを行なっていたんでしょうか。
あと、スターンウォークの周りが独特、というかちょっと近未来?だなと思いました。
煙突の「トン・ト・トン」ときている配置はそのおかげで艦影で「吾妻」だと
認識するための格好の目印になっていたようですね。
お節介船屋さん
模型については見るだけで作る方のことはほとんど何も知らないのですが、
カラーは「セット」になっているのを買ったりするらしいですね。
「出雲」の絵といえば、この模型展を教えてくれた方のお話によると、
実際に上村艦隊の航跡図(戦譜)を確認してもそのような事実は記されていないそうです。
横須賀第二術科学校の資料だそうですが、そこの資料課長という方は
「そういう話を聞きますが、それを確認する資料はない」とおっしゃっていたそうです。
で、その方は、佐藤鉄太郎はなかなか自己顕示欲の強い軍人だったので、
先任参謀として手柄話にしたのではないかということを疑っておられるそうです。
勝った戦なので後から国民が好む「スイカに塩ストーリー」
(三笠の命令に背いて決断したら結果としてそれが勝利につながった、という意味で、
逆説をまぶすことによってその勝利をより讃えるという手法)として、
皆が支持した結果語り継がれてきた「ちょっとした誇張」の類だったのでしょうか。
ファイテング・トップです。一字抜けました。
「八雲」は日露戦争後も昭和に入っても前檣のみ一部残していました。
ただ砲座ではなく見張り台として使用していたようです。
モデラーの方は良く分かっておられると思いますが昭和に入っても、各海軍工廠で灰色も微妙に違い、工廠別の色が模型用に発売されたりしています。
楽しんでおられるとも思いますが、私も昔は買って直ぐに製作した事もありますが、このところ歳でもあり億劫になりました。
なのに人が描かれた絵等にクレームを付けてはいけないのですがお節介に指摘したくて済みません。次回の参考になればとの思いです。
で早速ですが「出雲」の日本海海戦時ですが、マスト中段のファイング・トップと呼ばれる小口径の砲座が省略されていますが撤去されるのは日露戦争後です。(上の見張所ではなく、マストの下部に取り付けられていました)
魚雷防御用網展張用支柱ですが艦首から3番目、4番目も副砲が邪魔で、斜めに格納出来ず水平に格納されています。
誤りではないのですが、ロシア側から撃たれている状態で主砲が艦首尾方向に固定されていますが、通常は戦闘態勢で弾込め後、相手方向に向いているのではないでしょうか?鉄砲屋でないのでこの時代の弾薬装填の位置が自在ではなくある一定方向であろうとは思いますが、よくわからずの指摘です。
「八雲」の模型ですが缶室用のキセル型通風筒が頭の部分が省略されていますが、やはり特徴ですので追加された方が良いのではと思います。
模型については時代によって改造等があり、難しいとは思います。
「八雲」の特別輸送艦時代は初めて見ました。なかなか貴重な復元で、下に置いてある説明の写真も見た事がありませんでした。
「出雲」「常盤」「吾妻」「磐手」の模型の後部左舷に搭載されているのが前回コメントさせて頂いた17メートル艦載水雷艇です。後部キャビンのオープンキャンパスまで表してあります。
なおこの時代の名称ですが7,000トン以上を一等巡洋艦、3,500~7,000トンを二等巡洋艦、3,500トン未満を三等巡洋艦と呼称していましたが「出雲」「磐手」等大型艦は舷側装甲を持つ装甲巡洋艦だけでしたので一等巡洋艦は即「装甲巡洋艦」だそうです。
「浅間」と「常盤」は同型艦、「出雲」と「磐手」が同型艦です。いずれもイギリス、アームストロング社、「八雲」が記載のとおりドイツ、「吾妻」がフランスです。後「春日」「日進」がイタリア。
参照KKベストセラーズ刊中川、阿部編著「幕末・明治の海軍」
Unknownさん
タンブルホーム船型とは帆船の時代、船体下部がデップリしていて上部が索具取り扱いに適するため絞ってあり、帆走中の傾き、重心降下にも適しており、汽船の時代にもありましたが廃れました。
ズムワルト級は波浪貫通艦首とも艦首造波低減船型とも言われています。ホエ-ルバック船型、タンブルホーム船型との名称も使用されています。防衛省の資料を添付します。資料のとおり海自も一時検討されましたが艦の大きさ、飛沫や波浪の大きさで比較されたのか、このところ聞かなくなりましたが、どうなっているのか分かりません。
http://www.mod.go.jp/atla/research/dts2012/R4-3p.pdf#search=%27%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E8%88%B9%E5%9E%8B%27
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%88%E7%B4%9A%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6
元々、タンブルホーム船型の目的は構造物を軽量化し、復元性能を高める(転覆しにくくする)ためだそうですが、ズムワルト級はステルス性能の追及(上に行く程船体が小さくなるため、海上の敵艦から照射されたレーダー波は発信源に戻って行かず、上空に反射される)のためです。
ステルス性は大事ですが、ノッペリしてしまって、軍艦らしさも「捨てるす」な気がします(汗)