ネイビーブルーに恋をして

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島根の旅〜足立美術館と「たたらと刀剣館」

2016-04-30 | 博物館・資料館・テーマパーク




原発を見学したあと一行はバスで移動。

夕食はこのようないかにもな宴席料理でした。
カニが出されたので久しぶりに面倒なのを克服して食べました。
驚いたのは甲殻類が大嫌いでエビフライですら食べない息子が

どうした風の吹き回しか、わたしよりも熱心に身をせせって
酢をお代わりしてまで食べていたことです。

一行が見学団の知らない大人ばかりで退屈していたせいかもしれません。



明日の見学にも大いに関係する名前ですが、この「玉鋼」というお酒は
この地方の有名な大吟醸だそうです。
玉鋼とは砂鉄を掬ってきて次の日勉強した「たたら製鉄」で作る鉄鋼で、
その中の純度の高い、日本刀を作る部分をいいます。

飲めないなりに少しだけ味見してみたところ、すっきりとした味わいでした。



そしてこのホテルに宿泊・・・あれ?この景色みたことあるぞ。
本当に偶然だったのですが、今回のご招待側が選んでくださったこの温泉、
皆生(かいけ)温泉といいまして、前に一度来ているんですね。

向こうに見えているのは後鳥羽上皇が流された隠岐ではなく、宍道湖のある半島です。



前回もご招待による宿泊だったのですが、そのホテルにはWiFiが気配もなく、

インターネットが全くできないという世界で、
隠岐に流された後鳥羽上皇の気持ちを味わうことができました。
今回のホテルはご覧の通り新しく、フリーWiFi完備です。

ただ、韓国人の団体旅行客と一緒でした。

夕方、食事に出るためにロビーに降りると、蛍光がかった原色を基調とした
ペラペラの化繊のパーカを制服のようにお揃いで着込んだ団体が
まさに到着してフロントから鍵を受け取っている最中であり、
その五月蝿さ、
おそらくにんにくからきている全体の臭いにまず驚愕しました。


フロントの人がわたしたちに鍵を渡す時、

「明日の朝食は7時半まで団体がいますので、それ以降にされた方が」

と心持ち声を潜めて意味深な忠告をしてきたので、同行の方が

「それは・・・・外国の方ですか」

すると、フロントマンはぴく、と表情を硬くして

「外国の方”も”おられます」

そこでわれわれは全てを察したのですが、それがチェックインする現場だったのです。


わたしはその日の夜、温泉には入りませんでした。
あの団体と同じ更衣室を使い、同じ湯船に入る。

いやでも見たくもないものを見てしまうでしょうし、それによって
ゆったり温泉気分を味わってリラックスなど到底望めないと思ったからです。

しかし、せっかく温泉地に来たので、次の朝、彼らが決してこないときを
(つまり朝の7時半までの時間)見計らって大浴場に行ったところ、
地元の常連客同士が「昨日の夜は団体さんがいて大変だった」とぼやいていました。

我々のグループの中からも、自動販売機がある階に行ったら、
部屋のドアを開け放して車座になって大騒ぎしていた、
別の階まで聞こえてきてうるさかった、そして何より匂いが凄かった、
(どうもキムチを持参しているらしい)という報告が上がっていました。

温泉の地元常連客も同行者も、このようにぼやきつつも決して

「韓国人」という言葉を使わず「外国の人」と言葉を濁していたのが印象的でした。


わたしは温泉でのバッティングを回避したせいで大して被害は被っていません。

ただ、朝エレベーターから降りると、前に塞がったままどいてくれないので、
そのまま真っ直ぐ進んだら、彼女らは横をすり抜けてエレベーターに入ろうとし、
そのときわたしの引いていたキャリーに脚を轢かれたらしく、
後ろから韓国語の罵詈雑言を浴びせられただけです。

あとはどこにいっても「残り香」がしていたくらいですかね。



朝の浜辺を出発までの一瞬だけ散歩しました。




本日最初の予定は足立美術館見学。



創設者である地元の実業家足立さんが「あっちに進め」とおっしゃっています。(たぶん)

横山大観のコレクションを集めるのが目的で美術館を作ったとか。



コレクションもさながら、ここの自慢はこの庭園です。

これは白砂を水に見立てた「枯山水庭」。

米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング
が行っている日本庭園ランキング(Shiosai Ranking)では、
初回から13年連続で庭園日本一に選出されているのだそうです。
なぜ日本庭園専門雑誌がアメリカにあるのかはわかりませんが。

ちなみに2015年のランキング上位5位は、

1位・足立美術館(島根県)
2位・桂離宮(京都府)
3位・山本亭(東京都)
4位・養浩館庭園(福井県)
5位・御所西京都平安ホテル(京都府)

だったそうで、桂離宮より上だったとは驚きです。 




館内にはいくつかの休憩場所があったので、抹茶オーレをいただきました。

こんなところには珍しく、砂糖を使わずに飲むことができます。
向こうでTOが食しているのはアフォガートといって、アイスクリームに
コーヒーをかけて食する新感覚?のデザート。



庭園の一部としてある邸宅には、「生の額絵」があります。
それはいいんだけどプラスティックのプレートで「生の額絵」はやめてほしい。



玄関先には「衝立」があるものですが、

ここには「生の衝立」(またしてもプラスディックの札)があります。
今日の衝立の図柄は人物の後ろ姿がメインです。




見学が終わって物産店の横を通りかかったら目に付いた

「ちょい悪親父」のTシャツ。

ちょいワルは2014年12月現在で終わったんだよ!




菱田春草の「梅猫」をもとにデザインされたチャームを記念に買いました。

やっぱり本物の方が顔が可愛いですね。



次の予定地の近くの蕎麦屋で早めのお昼ごはんとなりました。




1日15食限定の特製そば。
ずずーっとすするなんてとんでもない。
歯ごたえがありすぎて、よく噛まないと食べられないそばでした。


さて、この後我々は3箇所の予定地を回りましたが、
いずれもそれは「たたら」に関する資料を見学する施設でした。

今回の旅行は、はっきりと見学する目的が決まっていたのです。
すなわち「原発とたたら」です。

「タタラ場」という言葉をもしかしたら宮崎駿のアニメ「もののけ姫」で知った、
という方もおられるでしょうか。
わたしはこの映画、公開時に劇場で見たきりなので記憶も定かではないのですが、
あのとき村の女たちが火を起こすためのふいごを踏みながら歌っていた、

ひとつふたつは赤児も踏むが 三つ四つは鬼も泣く泣く
(中略)溶けて流れりゃ刃に変わる

という「たたら歌」は、家の有線放送で時折耳にしていました。
たたらは「踏鞴」と書き、「鞴」つまりふいごを意味します。
一般に勢い余って数歩ほど歩み進んでしまうこと、足踏みすることを

「たたらを踏む」


といいますが、それがたたらを踏んでいるような足取りであるからです。

今回の見学では、このときの「タタラ場」のモデルとなったと言われる
たたら製鉄についてのいろいろを見学してまいりました。



まずここ。
奥出雲にある、「たたらと刀剣館」です。
到着したら、解説の方(多分館長さん)が待っておられました。



建物の横にあるモニュメントは「ヤマタノオロチ」を象ったもの。



ちゃんと大蛇の顔は風でふわふわ揺れるようになっていました。
つくば科学博で展示されたものだそうです。

なぜヤマタノオロチなのか、といいますと、須佐之男命伝説において、
スサノオが櫛名田比売(くしなだひめ)を救うために八岐大蛇を退治したあと、
尻尾から三種の神器の一、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)が出たからです。



天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を手にする須佐之男命。



天叢雲剣をたたらによる製鉄から再現したのがこの刀です。
両刃の剣は大変製作に手間がかかるそうです。 



昔、鉄を作る材料は砂鉄でした。
採取の方法にもいくつかあって、これは山を崩して砂を採取しています。

砂鉄を取るためには砂をふるって水に流し、純度の高い砂鉄を残すので、
下流の農民たちとたたら民の間には激しい争いがあったと言います。

「もののけ姫」でも、たたら製鉄による自然破壊がテーマとなっていましたが、
この争いは、為政者が農業の行われない冬に製鉄を行わせ、農民を作業に充てたりして
複合的な互恵関係を生み出すことで自然と解決していったといいます。



このような船で砂鉄を川底から掬う方法もありました。



鉄を作るには独特な形の炉が必要です。
まず、炉を作る場所を完璧に乾燥させなくてはいけません。



この炉を作るだけでも大変な労力と時間がかかるものなのです。
しかも、この方法によって「玉鋼」と呼ぶ刀にするための鉄が溶けたら
鉄を取り出すためにこの炉は周りから突き崩して壊してしまいます。



鉄は刀に始まり、火縄銃にも必要とされました。
たたら製鉄の歴史は1000年前には始まっており、鉄砲伝来は1543年。
15世紀後半には日本は鉄砲を輸出していたとあります。
写真は銘入りの火縄。鉄砲にも「職人」そして「名人」が生まれたということですね。




さて、このあとわれわれは館内で行われていた「刀打ち」の作業を
見せてもらうことができました。


続く。