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潜望鏡とソナー〜潜水艦グラウラー

2016-04-05 | 軍艦

ニューヨークはハドソンリバーの岸壁にあるイントレピッド航空宇宙博物館。
この博物館の展示の一つである潜水艦「グラウラー」についてお話ししています。

魚雷調整室、士官室と潜水艦の前の部分から後ろに向かって進むのが見学コース。



士官コーナーを出るハッチをくぐり抜けると、
そこはちょうど潜水艦の艦橋ともいうべき「セイル」の真下です。



ふと上を見ると、セイルに続くラッタルが。
見たばかりなので、またしても映画「Uボート」の話になりますが、
当時は潜水艦といえども、換気と充電の問題があったので、
普段の航行は潜行せずに、移動には基本的に海上航走で行っていたようです。

ただし、敵の艦船に見つかる危険性を考慮して、いつも3人か4人、
セイルのてっぺんに人が立って、四方を双眼鏡で見張りしながら進むのです。
たとえ大荒れの海で波が高くとも、潜行するよりはその方が潜水艦にとっては
「楽」なことらしく、敵が見つかるまでずっとその状態で航走を続けます。

Uボートのセイルは、上の先端が下に向かって逆U字になっており、
下からの波をある程度遮るようなデザインなのですが、波が強いと
そんなものなんの助けにもならず、セイルの上の4人は波をかぶりっぱなし。

ときには頭から海水を浴びて潮にむせたり、ひどいときには波にさらわれ、
下に落ちて怪我をしたり。
そして、その間もセイルから艦内に海水がふんだんに入りまくります。

「灰色の狼とかなんとか言われても俺たちの扱いは酷いもんだ」

と思わず乗組員が呪詛の言葉を吐く超ブラック任務。

敵を発見、あるいは敵に発見されたときには、「注水・潜行」が叫ばれ、
全員がセイルから海水とともに飛び込んでくる感じです。

以前、「潜水艦下克上」というエントリで、潜水艦勤務になったら、
艦長であろうがほとんど皆と同じようなところで戦うことになるので、
年齢的に動きの鈍くなってきた艦長(20代の水兵に比べればですが)は、
もたもたしていて頭を蹴られたり上に人が落ちてきたりして怪我をした、
というエピソードについて書いたことがあります。

「Uボート」を見ると、文章で想像していたよりも10倍くらい酷い環境で、
しかも深海の圧力に耐えるとき、敵の爆雷に耐え、ただ向こうが諦めるのを待つとき、
総員の緊張と恐怖のマックスになる様子は、見ているだけでこちらがハラハラしました。

ここにある潜水艦は、そんな全時代的なものよりもかなり「人間的」で「乗員に優しい」
仕組みとなっている上、結局は実際の戦闘を行わずして引退していることから、
艦内に乗員の「怨念」のような不穏な空気はまず感じずに済み、観る方も
かなり気楽な気持ちで見学できたような気がします。



セイルのすぐ下は「コントロールルーム」となっています。
つまり操舵室ってことでしょうかね。

金色の扉には「running & anchor」のためのスイッチのパネルと書かれています。
右上の艦位を表すモニターはまだ生きているらしく、「グラウラー」が現在
南南西を向いて係留されていることが表されています。

その下の赤いパネルにはただ「危険」とだけ書かれています。



これがこの潜水艦の潜望鏡スコープ 。
潜水艦の目であり、これを覗いて戦闘指揮を行う艦長の緊迫した姿を
潜水艦を描いた映画で見ないことはありません。


ここが「コントロールルーム・攻撃指揮所」です。



潜望鏡の横にあるボードには、1962年6月30日(火)の日誌が。

CONN LT.(操舵士官?)はマーフィ
コース・154、スピード15ノット、行き先、パールハーバーまで

日の出・0645、日の入り・1921 同行艦なし

状況・1107、潜航中スキップジャック級潜水艦を認む
0550、海面において商業用タンカーとビジュアルコンタクト

SS-2 secured (繋留したの意?意味わからず)

深海潜行 600’ 1600時間

潜行600というのは600フィート、約183mのことかと思われます。
「Uボート」では敵の攻撃によって浮上ができず、どんどん沈んで
ついには240mの目盛りが振り切れ、260mの海底に擱座する、
というシーンがありましたが、沈んでいく間乗組員の顔が引きつってきて


「頼む、止まってくれ、頼む・・・・!」

という神頼みモードになってきたのが、200mくらいからであったと記憶します。
この潜行訓練は、この深海に1600時間、つまり 66,6666日、2ヶ月いたということ?

幾ら何でもそんなことはあり得ないという気がしますので、
もしこの数字の意味をご存知の方は、是非教えていただけないでしょうか。 



これは床にあったさらに下の階に続くハッチ。
当時はもちろんこのような網目のものではなかったと思われます。

下の階にも灯りが見えていますが、展示では下の階までは公開していませんでした。
上の方の艦内マップによると、ここはちょうどセイルの真下にあたり、
おそらくはこの地下を通ってエンジンルーム(ブルーの部分)で
エンジンのメンテナンス作業をするためにある通路ではないかと思われます。

「Uボート」でもエンジンルームの様子が幾度となく出てきましたが、
幾つものカムが
一斉に動くとものすごい騒音を発します。
このタイプではエンジンだけが艦底に鎮座する形で据えられているため、
そこへのアクセスを階下に作る必要があったのかと思われます。

ところで、わたしたちがこのコントロールルームにやってくると、
元乗員と思われるベテランの老人がここに立っていました。(冒頭写真)
通り過ぎる人たちに、「何か質問があったら聞いてください」と声をかけていましたが、
とりあえずわたしは何を聞いていいかわからず、 しかも前にいる誰も質問しないので、
列が比較的順調に進んでしまい、あっという間にこのベテランの前を通り過ぎました。

こういうときにいつも、前もってこんな機会があると知っていたら、少しくらいは
展示艦について下調べして、その歴史ぐらいは頭に入れていき、

「ベトナム戦争のときには乗っていたんですか」

くらいは聞いてあげられたら(むしろこのベテランのために)、と後悔するのでした。


 
コントロールルームにはソナーが据えられています。

「グラウラー」では潜航中、他の艦艇との通信にパッシブ&アクティブソナーを使いました。
ソナーとわたしたちは普通に単語として使うこの言葉、実は

SOund Navigation And Ranging

の省略形であることをご存知でしたか?
自慢ではありませんが、わたしはフルーティストのマルセル・モイーズの
著書などで見る「ソノリテ」=sonorityと関係あるものだと、
今の瞬間まで思っていたので、この事実に大変驚いてしまいました。

これだと、「音響」との言葉の相似性は、ほぼ偶然だったってことですよね。

パッシブ・ソナーは海中における音を探査し、その間、アクティブ・ソナーは
音声のパルスまたは「ping」を発し、その反射音を聴きとります。

一般に潜水艦というのはより多くパッシブソナーを頼りにするそうです。
その理由というのは、静謐性を保ち、艦艇の位置を正確に把握することができるからです。



レィディオ・ルーム(radio room)、無線通信室。
「グラウラー」の乗員に許された、海上の艦艇と通信する唯一の方法が無線でした。


超長波(VLF, very low frequency)は3-30kHzの周波数の電波のことを言い、
海中にいる「グラウラー」が受け取ることのできた唯一の電波です。
深さおよそ10 - 40m(周波数と水の塩分にも依存)の水中を透過することが出来るため、
水面付近の潜水艦と通信を行うためにも用いられました。

もちろん「グラウラー」がそれに対して通信を返すことはできませんでした。

ついでに、この超長波を送するための通信設備は非常に大規模なものとなり、
有事には攻撃を受けやすいという欠点があったことから、アメリカ海軍は

TACAMO(Take Charge And Move Out)計画

のもと航空機による通信中継を行うこととしました。
この「TACAMO」計画によって、VLFの装置が搭載された機体として
開発されたのがE-6 マーキュリーであったということです。




続く。