ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「あゝ陸軍隼戦闘隊」

2013-10-13 | 映画

ある週末の夜、珍しくTOが映画でも観ようといいだしました。

「なんかお奨めある?」
「最近見たので面白かったのは『ライト・スタッフ』かな。
観るならまたitunesで買わないといけないけど」 
「なんか今すぐに観られるものある?」
「あるよ。わたしが観なくちゃいけないのもたくさん溜まってて・・・・。
『ハワイ・マレー沖海戦』はどう?
「いいです」
「じゃ、グレゴリー・ペックの『コレヒドール戦記』は?」
「あのさ、もう少しなんか明るいのないの」
「加藤隼戦闘隊の映画。少しだけだけど明るいと思う。カラーだし」
(あっさり)「あ、それにしよう」
「な、なんだってー?」
「カラオケで一緒に行くオジサンたちからしょっちゅう歌は聴かされるけど、
何だか全くわかってなかったから、一度観ておきたかったの」

そういう理由か。勤め人も大変ね。

というわけで、二人で突っ込み入れまくりながら(これが正しい戦争映画の見方)
鑑賞終了。

「・・・・・・・・・どうでした」
「って言うか・・・面白いのこれ」
「んー、いろんな軍歌が聴けてよかった」
「そうだねー(棒)」

もちろんわたしもTOも観るのは初めてだったんですが、
この映画、少し先の展開が不思議なくらい全てわかってしまう、という、

「伏線の読みやすいお約束満載映画」

で、普通の人なら見終わってしばらくしたらもう筋を忘れてしまいかねないくらい、
「あるある」だらけの映画でした。

戦時中(昭和19年)公開された藤田進主演の「加藤隼戦闘隊」が、
どちらかというと名作扱いされているのに対し、こちらが全く無名なわけが
なんとなく観終わった瞬間わかったような・・・・。

どれくらい無名かというと、ウィキペディアすらないんですからね。


しかし、どんな映画でも、むしろ突っ込みどころの多ければ多いほど、
このブログ的には「いいネタ」。
エリス中尉、さっそく絵まで描いて(しかもノリノリで)エントリを制作してしまうのであった。


じゃあ、今日明日はですね。

我が家の大多数が一致した意見を見たところでもある、

非常に多かった「伏線」そして「軍歌」を中心にこの映画を語っていこうと思います。

文中青字は、わたしとTOの「ツッコミ」です。




この映画が制作されたのは1969年。
翌年には大阪で万国博覧会が開かれ、日本がこれから
経済発展への道をひた走って行こうとするまさにそのときといえましょう。

このころの映画は、最初にバーンとタイトルが出て、そのあとに
主題歌に重ねて登場人物を一通りクレジットするというやり方が定番でした。

主演の名前が出た後に、重要な脇役の名前が出たところですが、
このシーンは、この16条旭日旗(軍艦旗ではない)を、
なんと片手で支えた陸軍軍人のアップから始まります。

よく見たら旗を支える右手が震えているのですが、陸軍ではこのように
捧げ筒の儀式の時に片手で旭日旗を捧げ持つのが慣例だったのでしょうか。
ここで流れるのが

♪・1 歩兵の本領

いや、これ航空隊の話でしょ?
と思わずタイトルを見直してしまうのですが、まるで主題歌のように扱われています。
いわゆる「零戦ブーム」で、航空隊というと海軍、ということになっていたので、
ここはいっちょう陸軍であることを思いっきり強調しようと、歩兵連隊のシーンから入ったのでしょうか。
そういえばタイトルにはわざわざ

「あゝ陸軍」

とついています。

そして、映画は、その歩兵連隊から

「どうしても航空に行きたい」

と熱望し、加藤隊長の後を追ってやってくる木原少尉を
上官が説得するシーンから始まるのです。

連隊旗手である君には歩兵将校としての輝かしい未来が約束されている。
それをむざむざ捨てることはない」

おお、冒頭シーンで旗を持っていたのは木原少尉でしたか。

そして、旗手というのは「出世頭」が務めるものだったんですね。
てっきり、あんな大変そうな重労働は下っ端の仕事だと思ってました。
失礼いたしました。

この木原少尉は、父(藤田進)も軍人であったというエリート。
そのエリートが、歩兵から航空に行くことを志望します。
その理由というのも、加藤健夫(佐藤充)教官を慕って後を追ってきたというもの。

「俺の後を追ってきたのか。貴様も馬鹿だな」
「わたしが馬鹿だというのなら教官殿も馬鹿であります!」

ちょ・・・・。

ここは陸軍で海軍ではないんですから。
公の場で上官を馬鹿呼ばわりする陸軍軍人がありますか。
いやいくらリベラルな海軍でもそれはまずいよ。
だいたい、木原中尉が加藤教官のどういうところが「馬鹿」だと言っているのか、
観ているものには全くわからないという・・・・・・・。

この「わけのわからなさ」は、その名を見れば膝を叩いて納得してしまう、
脚本家須崎勝彌氏独特の世界でもあります。

そういえば、須崎氏は海軍航空隊の元少尉。(学徒出陣)
陸軍のことを描くには少しこのあたりの考証が甘かったか。


ところでわたしは今のところ、加藤健夫という人のことについては、
フライングタイガース関係と、それから藤田主演の加藤隼映画を観ただけなので、
実際にどんな人生を歩んだのか知らず、さらにこの映画が
どの程度加藤中佐のことを本当に描いているのかまったくわかりません。

ただでさえ、全体的に「映画的な」ストーリーだけを抽出している感があるのですが、
取りあえず、上官がいきなり料亭に呼び出したと思ったらそれが見合いの席で、

「自分いつ死ぬかわからない飛行機乗りの身ですので」

と相手に言って断ろうとすると、相手のお嬢さんはそれにもめげず

「それだけに毎日毎日を真剣に生きていらっしゃるのですわ」

などとガンガン自分を売り込んでくるので負けて結婚してしまった、というのは創作でしょう。

 

藤村志保演じる加藤健夫の妻。
加藤、本人を目の前に、見合いを仕組んだ上官に向かって

「いやあ、空中戦をやっているようです。
こちらがいくら撒いても敵さん、ぴたりと付けてきますので」

などと失礼なことを言います。
昔のお見合いで相手が断っているのに「喰らいつく」女性なんていたんですかね。 

と思ったら、脚本は案の定「連合艦隊」の須崎勝彌氏でした。

かねがね言っているように、この人の脚本は、女性の描き方、
女性とのかかわり方に何とも言えない独特の「ヘンさ」があります。
ちなみに一番ヘンだと思ったのが「大空のサムライ」
「太平洋奇跡の作戦 キスカ」は非常に評価できるんだが・・・・と思ったら、
よく考えたらこの映画には女の人が一人も出てこないんだった(笑)
まあつまり、そういうことです。


さて、見合いのあと、場面はいきなり、芸者のいる料亭。
加藤の「一番弟子」である中華民国からの留学生、
趙英俊中尉(藤巻潤)との酒席に、狼藉を働くやくざ者。

藤巻潤は、中国人を演じるために、わざとところどころなまっています。
ただし中国語は一切しゃべりません(笑)
驚いたときに一言「アイヤー」というくらいのサービスがあってもいいと思うのですが。

それはともかく、芸者を探して部屋に乱入してきたやくざ者が発した

「チャンコロ」

という言葉に顔色を変える趙中尉。
それに怒り狂った加藤は相手を叩きのめし、謹慎処分になってしまいます。
謹慎中の加藤の家にやってきた趙は、中華民国軍から呼び戻されたため、
日本を去ることを加藤に告げます。

急遽催された加藤家での「お別れすき焼きディナー」席上、趙中尉は
加藤に教えてもらった

「赤とんぼ」

を朗々と歌うのでした・・・・・。(フラグその1)


わたし「ああ・・・こんなのを歌ったらね・・・」
TO「この後死ぬな」

そしてその言葉通り、それからすぐ北支事変が始まり、
中華民国軍の飛行隊を率いる
趙少佐は、日本軍と戦う身に。
ある日ついに趙は加藤の部下を撃墜してしまう。

「隊長、仕返しをしてください!」と涙を流す部下。

加藤は、趙の飛行機と空中戦を行い、これを撃墜する。 (冒頭図)



♪・2 勝利を称える歌(ヘンデル)



この映画の不思議なところは、オリジナル音楽がほとんどないのにもかかわらず、
「音楽 大森盛太郎」と名前がクレジットされていることです。
まあ、「作曲した」とはどこにも書いていないので、おもな音楽を「選曲した」
という意味の「音楽」ではないかと思われますが、このBGMが、
加藤部隊が敵戦闘機を多数殲滅したことに対する感状授与式のシーンに流れたとき、
思わず「ここくらいオリジナルを作曲せんか!」と突っ込んでしまいました。

海軍兵学校の卒業式じゃないんだからさ。


この映画は、加藤隼戦闘隊がどう戦ったかというよりも、
隊員がどう死んだかだけが問題で、肝心の加藤隊長も何かにつけて

「敵を百機撃墜するより、一人の部下を失う方が辛い」

とつぶやいてみたり、
休暇の際に実家に帰らず部下の家を回って戦死報告したり、
「慰霊祭」を催して、隊員の手紙を朗読して公然と曝したり(笑)、

そういった部下の生死に心を痛める人情味のある隊長、
あるいは、自らの生き死にに対しては恬淡とした覚悟の持ち主として描かれ、
つまりどうしてこの加藤健夫という人物が死後「軍神」とまで呼ばれたのか、
どうしてこの戦闘隊がこれほど有名になったのかについてはまったく描かれません。


ストーリーはすべて一人ずつ戦死していく登場人物とその伏線からなっており、
もちろん加藤部隊が実際に戦ったフライングタイガースについては全く触れません。
これは、なにも主人公が加藤健夫の映画である必要はなかったのではないか?
と思われるくらい、加藤部隊の「戦闘」についてはおざなりに触れるだけ。

1969年というと、「大日本帝国」(1982)のようなあからさまな天皇糾弾映画も
まだ登場していず、どちらかというと当事者たちがまだ多数が健在で、
戦った者たちの「意気」とか「覚悟」を前面に押し出す調子の戦争映画がまだ存在していました。

同じ須崎勝彌の脚本によるものでも、「イー57降伏せず」などとは、この映画は
戦争に対する姿勢も描写も違っていて、ずいぶん「腰の引けた」感があります。
しかしいずれにしても、こういった調子が「主流」になっていき、こういう積み重ねの結果がのちの

「男たちの大和」

みたいな戦争映画に集約されるというわけです。



戦争映画と言えば「永遠の0」が映画化されますね。
わたくしこの小説は「小説」というより

「戦争を知らない初心者への戦史・戦事ガイドブック(物語付き)」

として高く評価しているのですが(笑)、 これが映画化ということになると、
物語部分がより一層重点的に描かれることになるわけで、つまり、
より一層「男たちの大和」臭は避けられないのではないかと思っています。

もっとも、だからこそ「泣ける」ということを以て「いい映画」だと評価する人たちには
きっと評判がいい映画となることが想像されますが。

文章の映像化というのは一方では人の感情により一層強く訴えるところもあり、
逆に外すととてつもなく「寒い」ものとなるわけですが、どちらかというと映画は
後者の例を多く見てきたので、実のところ「泣ける」かどうかについても
あまり期待はできないとわたくし思っております。

ただ、最近実感したのですが、漫画化って、こういう点ものすごいパワーを持ちますよね。
もちろんうまい漫画家の手によるものに限りますが。
一つ白状しておくと、わたくしつい最近「永遠の0」の漫画版を読み、
最終巻のヤクザの元搭乗員の話で、ダダ泣きしてしまいました。

原作の小説よりずっと破壊力がありましたです。はい。



この映画には、犬好きならたまらないシーンがあります。

軍人の家に育った将来を嘱望されるエリートである木原少尉は、
なんと当時においてシェパードを飼っていて、しかもこの餌代のかかりそうな大型犬を
中国の前線に連れてきております。
またこの「天坊」というシェパードが可愛いんだ。

御主人の木原少尉が帰投してくると飛行機のところまで駆けて行き、
翼にひょいと前足を掛けてお出迎え。

降りてきた木原少尉役の俳優さんは、どうも本当の犬好きらしく、
この天坊が顔をぺろぺろなめるのを心から歓迎するばかりか、
自分が積極的に犬の顔をぺろぺろなめて、逆に犬がドン引きしてます。(冒頭絵)

もしかしたら、このシェパード、木原少尉役の平泉征が「持ち込んだ」、
本当の飼い犬なんじゃないかというくらい、二人?の息はぴったり。

(フラグ・その2)

わたし「犬を飼っている登場人物は・・・・」
TO「必ず死ぬんだよ」

そして案の定、ある日の戦闘から木原少尉は帰らなかった。


誰も乗っていない飛行機の翼に脚をかけ、上を覗き込み、
翼の下をくぐって隣の飛行機の翼にまた前足を・・・・・
尻尾を振りながらそれを繰り返す天坊であった。

このシェパードの演技は、見ていて涙が出るほどです。
もしかしたら、主演の佐藤さんや、木原少尉役の俳優より、
ずっとこの犬の演技の方が達者ではないかと思われました。

そして、そののち、彼は何も食べなくなり、痩せ衰えて、
主人の後を追うように死んだのであった・・・・・。


合掌・・・・・・・というところで、案の定長くなってしまったので、後半に続きます。