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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

アメリカのデブ救済番組「エクストリーム・ウェイトロス」その2

2013-10-04 | アメリカ

前回、かなりお見苦しい画像で説明をしつつ紹介したアメリカの
デブ救済番組「エクストリーム・ウェイトロス」。

片づけられなくてどうしようもなく家が「汚部屋」「汚家」になってしまったところに
周りが手を差し伸べ強制的に全てを掃除してしまう「HORDERS」などとともに
野次馬として観ているものにはなんというか実に「爽快な」?
数十分の間に他人の人生が変わっていくのをビジュアルで観ることの面白さ、
そして「他人のこと」に好奇心を持たずにはいられないアメリカ人には大人気。

まあ、日本人だってたぶんそうですけど。

この夏一度ご紹介した「HORDERS」。
去年紹介したのが「HORADING」だったので、てっきり名前が変わったのだと思い
そのようにエントリでも書いたのですが、なんと、これ別の番組だったんですね。

同じような趣向の、同じようなタイトルの番組が同時進行で二つあるとは・・・・。


わたしがこの手の「ビフォーアフターもの」で好きなのが、

とんでもなくダサい一人の女性の前に、クリントンとステイシーという二人の
「ファッション救済人」がある日突然降臨し、「なんでも5000ドル買えるカード」を与えてくれ、
あれこれアドバイスしたうえ、プロの手によるヘアとメイクを施して、
あっという間に洗練された女性に変えるという番組、

WHAT NOT TO WEAR(こんなの着てはいけないわ)

や、あるいは通りの電話ボックスのようなガラスケースにターゲットを立たせ、
道行く人に「彼女(彼のこともあり)いくつに見える?」と聞いて酷評させ、その後
こちらはファッション、ヘア、歯の漂白、時にはボトックス注射までを駆使して若返らせ、
完成後にもう一度ガラスケースの中に入って10歳若返ったことを実験する、

10 YEARS YOUNGER(10歳若返る)

などなど。

このようなファッション変身ものにおいても、たとえば今までのスタイルを全否定されたり、
ガラスケースの自分に向かって野次馬が聞こえないと思って無茶苦茶言うのを後から聞いたり、
なによりもそんな自分がネイションワイドで知られてしまうことは、恥ずかしくないのか?
と思ってしまったりするわけですが、そこはアメリカ人。
日本人とは「恥ずかしい」のポイントがずいぶん違うようなのです。

もっとも「ジェリー・スプリンガー・ショー」で、恋人の浮気相手(ときにはそれが姉妹や娘だったり) 
となぐり合ったり、「モーリー」で1ダースの男性全員にDNAテストをしてどれが父親か探したり、
こんなのに比べればまだまだ常識的には許容の範囲というものかもしれませんが。 


さて、というわけで前回に引き続き、今回も一人の「救われたデブ」の物語をお送りします。

 

本日のデブ。
名前を忘れてしまったのでキャシーさんとしましょう。
ご覧のとおり、アメリカの主婦にしてはごくごく普通の、「中デブ」くらいのレヴェルの女性です。
一家の良き妻良き母で、家族からも愛され、明るいキャシーさん、
この過酷なダイエット道場にいきなり放り込まれても、取りあえずはうまくいきそうです。



この番組はビジュアルとして「激しいトレーニングをしている」というのが分かりやすいように、
シチュエーションを毎回変えています。

今回はなぜかいきなり国道沿いの砂浜。
クルマがブンブン通り、おそらく車の中からは「何やってんだあれ」
とみられることは必至の状況ですが、そんなことはいいのです。

砂浜を選択したのは、より運動負荷を与えるため、そして「海」です。



ゴムベルトで胴を抑えられ、前に進もうとするキャシーですが、後ろで押さえている
この番組専門の「デブ救済トレーナー」クリスが、がっちり押さえて離しません。

「ぐぬぬぬ・・・前に進まんっ!ぜいぜいぜいぜい」
「ふははは、貴様に脚力がないせいだ。わたしはこれこの通りびくともせぬわ!」



続いて番組お約束、スパーリング。
なぜか人は何かを無心に殴るときに心の中のわだかまりを吐き出すようです。
(この番組によると)
もし、黙ってバンバンミットを殴って「気持ちいい~~!」とすっきりしてしまうような人だったら
ディレクターはどのように指導して「トラウマ吐き出しの場」に持って行っているのか、
むしろこの制作陣に感心してしまうくらい、皆同じ行動をとります。



ミットを殴りながら、ディレクターの誘導により(多分)、キャシーさんは次第に
心の中に何かが溜まっていたことに気づき(笑)それを吐き出し始めます。



幼き日のキャシーさんとハンサムだった父親。
彼女の心に過るのはかつての幸せな日々。
そして、今は亡き父親の死が、彼女の心にトラウマを与え、
彼女はここまで太ってしまった・・・・・・・・・わけないだろっ!(笑)

全く・・・・。

太っている原因をこういう無理やりな原因になんでもしてしまうのは、
いくらドラマが必要と言っても大概にした方がいいと思うの。


ともかくも、ダイエットを成功させるには、特にキャシーさんのように毎日の楽に流され、
「ちょっとぐらいはいいわよね」みたいな気持ちで何も運動せずに食べてしまうような人の場合、
こういった「荒療治」が必要だ、ということのようです。

この人はほかのアメリカ人にありがちな家庭の問題をあまり持っていないので、
むしろ番組製作者はそんな面を引き出すのに苦労したのではないかと思われました。

ただ、先日アメリカの友人と話したところ、アメリカという国は見かけはともかく、
コミュニティに入ると、実に問題が多い国なのだそうです。

たとえば彼女にはうちの息子と同じ年代の娘がいるのですが、彼女のクラスメートは
たいていが親が離婚したり再婚したりしていて、そっちがふつうの状態。
わたしもサンフランシスコの幼稚園に息子を通わせていたとき、
親が離婚して
今は父親と別居している男の子のこんなシーンを見ました。

その幼稚園は共同経営型の、親が週に一回幼稚園で安全監視をしたりスナックを用意したり、
つまり労働を提供する代わりに安価であるというもので、
その日は男の子の「本当のお父さん」が仕事に来ていました。
(まだ法的に離婚が成立していなかったのだと思われます)

男の子は母親と新しいその夫、つまりステップファーザー(継父)と一緒に住んでいますから、
幼稚園が終わったらその家に帰っていくわけですが、なんと息子を迎えに来たのが
継父だったわけです。
当然そんなことも予想されるとわかっていて継父をよこす母親も大概ですが。

すると男の子は「帰りたくない。(本当の)お父さんと一緒にいたい)」泣き出し、
どうしても継父の所に行こうとしません。
おそらく、たいしてこの子供に愛情を持っていないらしく、継父は男の子を困惑した、
しかし冷ややかな目で見ています。

まあ、こんな状況になると、継父も決して面白くないでしょうが。

そして、実の父(この人はお母さんが日本人だった)が継父に向かって

「ジェームスは帰りたくないといっているので、わたしが後で家に連れて行く」

と告げ、継父は黙って帰って行ったのでした。

たかだか3歳の子供をこんな目に合わせるこの大人たちにも呆れましたが、
この子が将来どんなトラウマを抱え、どう成長するのか、
他人事ながらわたしはこの様子を横で観ながら(彼らは人目をはばかるようなこともしない)
心を痛めていたものです。

そのほか、家のガレージで薬をやっていた新しい夫を叩きだし、
男に愛想を尽かした仲良しのお母さんが共同で住んで子育てしていたり、
明らかに子が養子(親が白人で子供が黒人)なのに親が離婚してしまったり、
「アメリカ社会って病んでるなあ」
と嘆息する噂話ばかりを聞いたものです。

日本人にも血縁に関する悩みや苦しみはもちろんありましょうが 、ここでは
たいていの人が何らかの親兄弟に関するトラウマを持っているのではないか、
とこういう番組作りを観ていても思われるのでした。



ですから、番組制作側としてもこのような被験者の「悩み苦しみ」をあげつらうのに
いわば何の工夫も努力も要らないわけです。

幸せそうに見える主婦のキャシーさんも、いろいろ辛いトレーニングをこなし、
体重が嘘のように減っていくにつれ精神も「浄化」を求めるのか、
やたら感傷的になり、トレーナーの一言に泣いたり笑ったり。

さて。以下の過程はすっとばして(写真が撮れなかったので)。
いよいよこの番組お約束、

「デブが急激にしぼんだときに余ってくる皮を手術で切る」

時がやってきました。
これは、ある程度脂肪が減って、切除しても大丈夫、というラインがあって、
まだ脂肪が詰まっている段階の皮膚を切ることは危険なため、
必ずここで医師の診察があります。



「ふむー。確かに痩せていますが・・・・・」

渋い顔の医師を心配そうに見るクリス。



「この程度では切除は無理です」

「がああああ~~~~ん」(キャシーさんがショックを受けた音)
 
実は診察の前、クリスの「手取り足取り」はしばしお休みで、キャシーの自助努力に任されており、
少しの期間、キャシーはトレーナーの目の届かないところで、

・・・・・・・・・少し安心して羽目を外したようです。



「いや、ここ余ってますよ。切れませんか?」
「切れませんな」

って医師はともかく、トレーナーまでキャシーのおなかをまるで肉屋の品定めのように・・・(T_T)




クリス「どおっすんだよお!手術できなくなるくらいリバウンドしてんじゃねーよ!」



「反省してます」

 

陰になり日向になってキャシーを支えてきた家族も暗い顔。
しかし、このスマートな娘さん、母親のこの騒ぎを他山の石としないと、
あなたは20年後に同じようなことになってしまうよ。

というか、キャシーさんも昔はこんなスマートな女性だったんですね(T_T)



「馬鹿!馬鹿!わたしの馬鹿!」

八つ当たりするキャシーさん。
そして心を入れ替え(何回入れ替えてるんだ)再びダイエットに励んだ結果、

 

番組の尺の関係上、いきなり再診察と手術はすっ飛ばして(笑)
場面は「ビフォーアフターお披露目」の会場に。

端折ってんじゃねー。



息子、夫、前からおばあちゃんと娘。
彼女の場合、この家族が大きな支えとなったのが成功の原因でした。



全くひやひやさせらたぜ!
と自分の苦労を交え、観客にキャシーの変身成功を告げるクリス。

内心イライラしていたと思うんですけどね。



必ず会場に到着する元デブは、黒塗りのリムジンから降り立つ足だけが映されます。



そして確認するように何度もフラッシュバックされるかつての姿。

グロ画像注意。ってもう見ちゃいましたね。

いくら変身前でも、これは、全国的に放映されるにはあまりに辛い画像ではある。
おなかの部分に見えるのは、もしかして脂肪の小さな塊?
これだけ太ると、脂肪がまんべんなく全身につくのではなく、一部に固まることもあるのでしょうか。



おおおお。

確かにウェストは太いが、取りあえずやせたキャシー登場。



やりました!
これもお約束、高々と手を挙げるクリス。



どうですか?今の気持ちは。



目を輝かせて妻の晴れ姿を見ていたと思ったら、夫は



涙をあふれさせ、眼を拭うのでした。
なんと美しい愛の姿。

しかし、この際夫ももう少しダイエットしたほうがいいと思うのはわたしだけであろうか。

さて、この番組では同じようにダイエット成功させる「グループ被験者」もおり、
この場で彼女らのビフォーアフターも紹介されました。







皆喝采を受けつつ晴れやかな顔で登場しますが・・・・・



必ずしも成功する人だけとは限りません。
このひとは何があったのか全くと言っていいほどやせられず、
でも出さないわけにはいかないのでこの場に登場し、さらし者になっていました。

出してやるなよ・・・・。



そして画面には何度も映し出されるかつての姿。
いくら変身前でもこれは(略)
そして何度も言うが、脂肪のブツブツが怖い。



彼女が減らした体重は65キロ。
成人男性まるまる一人分です。

 

顔つきまで変わったキャシーさん。
彼女を愛する家族が、今後彼女のリバウンドに対し、どの程度厳しくできるか、
実のところ非常に 不安を感じさせますが、取りあえずは大成功です。


めったにいないだけに、彼女のように家庭環境に問題のない被験者を見ると、
番組製作者が「お約束」で欲しがるトラウマなんぞより、この人の場合むしろ
「その幸せな家庭環境こそが太る原因だったのでは・・・・」とつい考えてしまいました。





 

 


車上から撮るサンフランシスコ~息子の幼稚園

2013-10-03 | アメリカ

最近いろいろと多忙になってきて、さすがのエリス中尉も
毎日長文のエントリをアップするのが大変になってまいりました。

というわけで、週一回の定休日をいただく宣言です。

今日は木曜日ですが、来週から水曜定休とさせていただきます。

しかし、せっかく開いてくださる方のためにも、定休日には
説明なしで写真を貼ることにしました。

今日は、カリフォルニア最後の日、サンフランシスコまで行ったとき、
息子が「懐かしい場所をドライブしてみたい」と言い出したので、
ただ市内を一周して、思いついたときに車の運転をしながら撮った写真を。



ブリッジに行く前、わざわざ昔息子が通っていた幼稚園の前を通ってみました。



アメリカでも、というかアメリカだからだと思いますが、外部から覗き込むような
不埒な人間もいるため、フェンスは目隠しで覆われています。

この写真は、手を思いっきり伸ばして、頭上から撮りました。
奥には砂場とプレイグラウンドがあります。

ここは、「コーポラティブ」といって、父兄が参加して共同経営する形態で、
保護者は週一回、「ワーク」という形で子供と一緒に幼稚園に行き一日過ごします。
ただし、親の仕事は「掃除」と「安全のための見張り」で、
決して子供を「指導」してはいけません。

しかし、何らかの特技を持っていたら、それを子供たちのために提供するのはアリで、
わたしは「ワーク」の日にはポータブルのピアノを持って行って、
お遊戯や歌の伴奏をしたものです。

参加するのはお父さんでもお母さんでも、おばあちゃんでも誰でも可。
日本とは違い、結構お父さんの参加が多いのですが、
一度一緒に仕事をしたお父さんは、朝っぱらから(朝だからかな)酒臭くて、

「お父さん、二日酔いですか」

と思わずお聞きしたくなりました。

アメリカの「幼児界」にも日本のそれのように「幼稚園児の定番」 というような
「幼児ソング」があります。

「インシー・ウィンシー・スパイダー」(小さなクモ)

「オールド・マクドナルド・ハッド・ア・ドッグ」

「 ヘッド・ショルダー・&・ザ・トウ・ニー・ザ・トウ」

など、手振りや言葉遊びを伴うもので、アメリカ滞在中には図書館などで行われる
週一回の「幼児のお歌の会」などに息子を連れて行くうちにすっかり覚えてしまいました。
ですから、この幼稚園で歌の伴奏をすることなど、わたしにはお手のもの。

お母さんの中にはクラシックのピアニストもいて、彼女も同じように
ピアノを持ち込んでいましたが、彼女は「譜面がないと弾けない人」だったので、
かなり弾く内容に制限があったようです。

わたしのときは、ディズニーのテーマやお遊戯歌をまず弾き、

「今からエリス(仮名。アメリカではだれだれのお母さんとは絶対に呼ばない)
の弾く曲の題名を当ててみましょう!」

などというゲームをしたりしました。

しかし、一日幼稚園というところにいて思ったのは、アメリカでは
どちらかというとそういう「子供向け」のものより、「ノリのいい」もののほうが、
まさに子供たちのノリがいいのです。
日本の幼稚園というのがいまどういう音楽を採用しているのかはしりませんが。

(うちの近所にある幼稚園の年に一回の運動会のときに流れる音楽を聴く限り、
「先生の趣味」であると思われるJpopが非常に多いようです(笑) が)

とにかく、この幼稚園でみんなが輪になって踊ったりするとき、妙に今風の
ロックが多く、件の二日酔いお父さんは音楽が流れたとたん驚いた顔で

「Oh, Funky!」

とわたしに向かって言ったくらいでした。
お父さん、それまで一度も幼稚園に来たことなかったのかしら。


息子が、「We will rock you」を覚えてきたのもこの幼稚園で、
そのせいで彼はいまだに クィーンが大好きです。
三つ子の魂百までとはよくいったもんだ。
 

「説明なしで」「写真だけ貼る」って、全然その通りじゃないし。




 


シリコンバレーのレストラン~「猿も木から落ちる」の謎

2013-09-12 | アメリカ

アメリカやイギリスには美味しいものはない、なんて誰が言ってるんでしょうか。

食べ物で評判の悪いイギリスですが、イギリス人の知人二人が結婚し、
築1000年の古城で結婚式を挙げたのに出席をしたとき、
泊まった田舎のホテルのレストランでは、とんでもなく美味しい鳥料理を出しましたし、
逆に何を食べても美味しかったフランスで、とんでもなく不味いものを出す店もありました。

どんな国にも、探せば美味しいものも不味いものもあるということなんですが、
アメリカ、とくにここ西海岸はジャンクフードも溢れている代わり、
カリフォルニア産のおいしい野菜や果物がふんだんにありますし、
センスのいい料理店も、雰囲気のいいレストランも山のようにあります。


わたしたちはアメリカ滞在中ほとんど外食しません。
美味しいレストランは高いのが当たり前ですし、さらにチップを加えると、
日本のちょっとした食事と
全く変わらない値段になってしまうので。
(その点安くておいしいものがあって、しかもチップなどで「評価」しなくていい日本は
あらためていい国だと思ったりします)


というわけで滞米中の外食は日本からTOが来たときと、現地の友人に会う時だけです。
まだこのシリコンバレー地区には土地勘すらないので、通りすがりによさそうなレストランを見つけては
入ってみただけなのですが、そのどれもが「アタリ」でしたのでご紹介します。



クラシックなリッツとは対極のモダンな雰囲気は、
「フォーシーズンズ・シリコンバレー」。
東京丸の内のフォーシーズンズとはわりと雰囲気が似ています。
こちらは東京の5倍くらいの面積はありそうですが。



夕方まだ明るい時間だったので、誰もいません。
机が一列に並んでいますが、団体の予約が入っていました。
いかにもIT企業の社員、という雰囲気の団体でした。





インテリアも実にシリコンバレーっぽい。
息子はリッツの「古臭い」雰囲気よりこちらが好きだそうです。





待ち時間にipadを見なければいけない用事があったのですが、
アメリカのほとんどの飲食施設と同じく、wifiはフリーです。
キャッシャーに行って、フロントのお姉さんにパスワードをもらいます。



前菜の「桃のサラダ」。

これはサラダというよりデザートではないのか、と思ってしまいそうですが、
食べると甘くないのでやっぱりサラダなんですね。

息子はラテックス・アレルギーで、桃を食べると耳がかゆくなるのですが、
にもかかわらず食べてしまいました。
我慢してでも食べたいくらい美味しかったようです。



これは冷たいスープ、ビシソワーズです。
白い塊は甘くないクリーム。
しつこそうですがそれが実にあっさりとしたお味で絶品。

アメリカ、とくに東海岸でレストランに入ると、サラダと言えば日本の5倍の大きさで出てくるので
とても食べきれない、ということが多々あるのですが、ここシリコンバレーでそのような
「野暮」なお料理の出し方は決していたしません。

このお皿のくぼんだ部分に、少ししか盛り付けられていないので、まさに一口サイズ。
ちなみに浮き身のように見えるのは、ジャガイモなどという無粋なものではなく、
なんとブドウでございます。

アメリカ人は果物をほとんど野菜のように扱う傾向があります。



これも前菜。
グレープフルーツの乗ったイベリコハム。
生ハムと果物って合うんですよね。



メインはこれもほんの少しのニョッキ。
たしか中身はカニだったような。



もう一つのメイン、イカ墨のスパゲティ。



そして、家族三人で一皿だけ頼んだデザート。
これも桃がメインのブラマンジェかムースです。
見た目が美しい。

「リッツよりセンス良くない?」
「俺こっちの方が好き」(息子)
「さすがはIT長者なんかが利用するホテル」



食事が終わってロビーに出ると、ジャージの団体がうろうろしていました。
背中に書かれた字を見て

「ユベントスって・・・・・聞いたことあるけどなんだっけ?」(エリス中尉)
「サッカーチーム」
「どこの?」
「イギリス」

お恥ずかしい話ですが、サッカーに全く興味のないわたしは
ユベントスと言われてもすぐにはぴんと来なかったわけですが、
なにしろそのユベントスの選手がここに泊まっていたというわけです。



もしかしたらこのジャージの男が世界的に有名な選手なのか?



この二人も、サッカーファンならサインをねだってしまうのか?

しかし、実際に実物を見て思ったんですが、サッカー選手って意外なくらい
皆背が低いですね。

昔一時の気の迷いで通っていたトータルワークアウトで、
トレッドミルの上をものすごいスピードで延々と走っている背の低い男性が
あの「キング・カズ」であると知った時には

「わたしと背丈が変わらないんじゃ・・・・」

とびっくりした覚えがあります。
ついでにここにはやたら有名人の客がいるジムだったのですが、
一度、あの清原選手もお見かけしました。
この人はなにしろでかかったです。
体面積が無駄にでかい、という感じで、圧迫感ありまくりでした。

それはともかく、ユベントス、親善試合にでも来ていたんでしょうかね。
ちなみにアメリカ人は総じてサッカーには全く興味を持ちません。


さて、ここスタンフォードで、一度朝ごはんを紹介した、
「メイフィールド・カフェ」。

スタンフォードの教授らしい人たちが両側に座っていたあのカフェですが、
去年初めて行って以来、あまりにも美味しくて雰囲気も気に入ったので、
今年は朝、昼、晩と三回別の日に行ってきました。

時間によって全く雰囲気が変わり、出すものも変わります。



夜に行ったとき。
去年夕食を外で食べて寒さに震えあがったので、今年は室内をリクエストしました。



ここの自慢は生産者と契約して送ってもらう美味しい野菜と自家製のパン。
この野菜は日本ではあまり見たことがありませんが、アメリカではポピュラーで、
「アルグラ」という香草です。
癖があって好き嫌いもあるせいか、このようにアルグラだけで出すところはあまりありません。
しかし、ここのアルグラサラダは、桃のコンフィと合わせて出してきて絶品でした。

向こうはカボチャのスープです。



わたしが頼んだ、「今日のおすすめ」、
アトランティックサーモンのグリル。



そして、家族三人で一つ頼んだデザート、パンプディング。

これは美味しかった!

さすがはベーカリーカフェ、もともとのパンが美味しいのですから、
こういうものが美味しいのも当然かもしれませんが、
何しろ、何を食べても甘すぎるアメリカで、奇跡のように「甘さ控えめ」の日本人好みの味。


ところで、このお食事の時、TOはまだ日本から来たばかりでした。
さあ食べよう、というころ、ちょうど日本はビジネスアワー。
しかもちょうど食事が始まったころ、日本から仕事の電話がかかってきてしまいました。

美味しいお料理が、外で国際電話をし続けるTOの席でどんどんと冷めていきます(´Д`;)

「テイクアウトの箱に詰めましょうか?」

お店の人が見かねて気を遣ってくださる始末。
結局、ぎりぎりになって戻ってきて、いったんつめた箱から出して温めてもらい、
それを食べていました。

いくらなんでもこれでは全く味が落ちてしまったと思われるがどうか。



さて、もう一度ここに訪れたのは、アメリカの友人がLAから会いに来てくれた時です。
このときはランチタイムでした。



にぎわう店内。



お昼には外で食べる人もたくさんいます。



ここはなんといっても「ベーカリーレストラン」という名前が付いているだけあって
パンが自慢。



隣にはパン屋さんが併設してあります。
ランチの後デザートにケーキを買って帰って部屋で食べました。
ケーキは少し甘すぎだったかな。



「TISAN」というのをメニューに見つけました。
フランス語では「チザーヌ」と言いますが、これは生のハーブティーです。
農薬が使えないので、オーガニック農家と契約しているところしか
こういうものを出すことはできません。

ところで、友人と話をしながらわたしは店内を忙しく動き回る一人のウェイトレスの脚に
目が釘付けになってしまいました。



彼女の脚線美に、ではありません。
彼女が左足に入れていたタトゥーです。
それを見た途端

「これは写真に撮るしかない!」

彼女に気づかれないように、カメラをさりげなく向けるのですが、
客のアテンドをしているためなかなかじっとしてくれません。



こんな感じで何枚も隠し撮りをしていたら、知人が、

「もう頼んで撮らせてもらったら?『あなたのタトゥー、クールね』とか言って」

 しかし、この日、日曜日のブランチタイムで外に何組も客が待っている状態、
それをさばくのに文字通り脚を止めるのも時間が惜しいという風情の彼女に
声をかけることは、気の弱い日本人にはとてもできませんでした。

そして、幾多もの失敗を経て、ようやく・・・・。



なぜ彼女がこの文句を選んだのか。
彼女にこのタトゥーを奨めた彫り師は、何人で、意味をちゃんと説明したのか。
なぜこの文句なのに図柄が桜の花なのか。


日本人としては聞きたいことが山ほどありましたが、
日本人だからこそどうしても聞けませんでした。 


 

おまけ*ホール・フーズの日本食品コーナーで見つけたなごみ商品。

中身によって招き猫の色が違う・・・・。

 

おまけその2*
ホールフーズで見つけた豆腐コーナーのサイン。
牛や豚肉みたいに、「部位別」の名前がかいてあります。 



 



 

 


Puttin' On The Ritz Half Moon Bay

2013-09-10 | アメリカ

ここのところエントリを一つ制作するのに時間がかかるものばかりで、
さすがに少し息切れしてきたので、この辺でこのブログの「夏休み」を取らせていただきます。

というわけで、カリフォルニア滞在中、
必ず一度は家族で訪れる我が家お気に入りのホテル、
リッツ・ハーフムーン・ベイの写真と、お料理の写真を淡々と貼っていきます。 

ちなみに表題の「Puttin On The Ritz」は、フレッド・アステアの曲です。

この世で最もタキシードの似合う男、アステアの、画像処理なしの
超絶技巧タップとステッキ捌きをご覧ください。

 Puttin' On The Ritz   Fred Autaire

それでは参ります。

 

このホテルには去年も訪れて買ったばかりのソニーRX‐100で写真を撮り初めしたので、
もしかしたらご記憶の方もおられるかとは存じますが、今年の画像は、ニコン1によるものです。

ここには住んでいたころから何度も訪れており、帰国してからは二度ほど宿泊もしています。
最初に来た時にはまだできたばかりで、この中庭にはほぼなにもありませんでした。

「プールでも作ればいいのに」

などと、この辺の気候を熟知しない我々はとんでもないことを言っていたわけですが、
ここは真夏でも昼間に暖炉をたくような、まるでスコットランドのような気候なのです。



この眺めがまたそれっぽい。

リッツは、ここにホテルを作ろうと考えたとき、この地形とこの気候を最大に生かし、
「まるでスコットランドの海岸沿いにあるゴルフコースのような世界」
を再現したのではないかと思われます。



連なっているゴルフコースがホテルの真正面に。
向こうに見えているのはゴルフのクラブハウスと、室内プールのある棟です。

リゾートホテルですからプールは不可欠なのですが、 外気温が年間を通して
20度を超えることがないため、 (そのかわり冬は10度くらいでそう寒くない)
非常に豪勢な室内プールを持っています。



バレー(配車係)の制服が、クラシックなゴルフスタイル。
ハンチングにアーガイルのベスト、ニッカーボッカーという本格的なものです。



わかりにくいので去年の画像を引っ張ってきました。
またそれが似合ってしまうんですね。アメリカ人には。






建物もイギリス風。

中庭では皆が火を囲んで憩っています。
ここは昔はそうではありませんでしたが、要望が多いせいか、今回来たら
注文して軽食が取れるようになっていました。



去年の画像。
椅子だけです。



今年はテーブルが置かれていて、鳥さんたちが大喜びしてます。
客が立ち去るのを待ちかねて、残り物をついばみます。





この鳥はすずめのようなちょんちょん歩きではなく、千鳥のように走るみたいですね。



ホールにはリッツカラーの旗が立っています。

コースの真ん前にこのような中庭があって人がたくさんいるので、
ものすごく下手な人が客のど真ん中にボールを打ち込んでしまうかもしれないという危険性もあります。
何かとそういうことに対してディフェンシブな日本ではまずこういう仕様にはしないと思われますが、
そこはアメリカ。

「そんなに下手なら来なくてよろしい」

って感じで、さらにもし何かあってもうちとこは関係ありませんからね、という態度です。

どちらにしてもこのホールでは、中庭の客の目が自然とプレイに注がれてしまうので、
あまり下手だと恥ずかしくてそもそもこういうところには来られないようにも思います。

さて、わたしたちはゴルフをしませんので、ここでの楽しみはなんといっても食事です。



隣の「ナビオ」は予約でいっぱい。
こちらのカフェでは少し待てば予約なしで入れました。

ここに来ると、その年のアメリカ人の消費傾向みたいなものが読めるようなところがあります。

何年か前までは「こんなので大丈夫か」というくらい人がいなかったのに、
去年あたりからまた人出が増えてきて、さらに今年は近年まれにみる賑わいでした。
これもシェールガスのおかげかしら。


そんな無粋な話はこっちに置いておいて。

リッツに来て、この「ブルーグラス」が並んでいるのを見ると
今から楽しい時間の始まり!という予感でいつも胸がわくわくします。



わたしの頼んだハリブー、つまり「オヒョウ」ですね。
アメリカでシーフードを出す店に行くと、必ずと言っていいほどこの
Halibutがメニューにあります。
白身だけれど適度に脂がのっているので、わたしの好きな魚です。

それがチーズリゾットの上に乗って出てくるのですが、ここでなぜかさらにその上に
ブドウを乗せてくるというあたりが少し日本人にはないセンス。



息子の頼んだクラブハウスサンドイッチ。
正式な?アメリカンクラブハウスサンドイッチとは、
トーストしたパンにチキン又は七面鳥、ベーコン、レタス、
トマト、卵焼きの5つをはさみます。

ここではターキーハムが使用されており、卵焼きはありませんでした。



パニーニサンド。



そしてデザート。
去年これと同じものを頼んでえらくおいしかったので、もう一度頼んでみたのですが、

 

去年の画像。

・・・・・もしかしてこの一年でかなり簡略化されてますか?
フィリングのリンゴの量とか、パイケースのたたみ方とか、
そもそもそのパイケースの層(レイヤー)も薄くなっている気がするし、
仕上げの上に乗せられた金箔とか、ソースとか。


今年もおいしいことはおいしかったのですが、去年ほどの感激はありませんでした。
残念ながら。

 

気を取り直してほかのデザート。
これは確かタルトの上にアイスが乗っていたような・・・。



このチョコレート・フォンダンはフォークを入れると暖かいチョコレートが中から
とろりと溢れてきて、大変結構なお味でした。
息子が頼んだのですが、親子三人一口ずつでおしまいです。

いずれにしてもデザートはおいしいものを少量いただくのがいいですね。

 

食事が終わったので少し外で海を見てから帰ることにしました。



この芝生の部分では奥のガゼボを利用してときどきウェディングが行われます。
なにもないときにはこうやってクリケットの道具が置いてあります。

これもまた「イギリスらしさ」を醸し出すための演出の一つでしょう。



こんな遊具もおいてありました。
両側にボールの付いた紐を投げて、バーに引っ掛けるだけ、
という単純なものですが、これが面白そう。

この男の子はわたしたちが観ている前でこの青い紐を
見事にひっかけて見せてくれました。
思わず拍手して歓声を送ったら、その後はこちらを意識して緊張してしまったのか
一つも成功しなかったので、少し悪いことをしたかなと思っています。



今回も相変わらずのリッツ健在で、わたしたちとしては非常に満足したのですが、
ただ、できた頃から知っているものとしては、あまりにも雰囲気が最近変わってしまったなあと・・・・。

そう、理由は、あふれかえる中国人。
横を見ても、前を見ても、どこにいても目に入る中国人の団体。

そして彼らはどこでもここでもこんな感じで「記念写真」を撮りまくり、
団体で行動して騒ぐので、あまり言いたくはありませんがおかげで「雰囲気ぶち壊し」なんですの。

一流ホテルに宿泊や食事に来ているはずなのに、
全然着ているものとか雰囲気とかだいたいたたずまいがイケてないんですよ。
だいたい、いつも一流ブランドを買い漁っているくせにどうしてこういうところに着てこないのか?
と不思議で仕方がありません。
画像にも見えていますが、こんなところにいい大人がパックパックで来てたりしますからね。

・・・・あ、これ、もしかしたら一流ブランドなの?




まあしかし、それもこれもそのときの「アメリカの顔」。

さて、来年はどんな顔を見せてくれるのでしょうか。


 


アメリカのデブ救済番組「エクストリーム・ウェイトロス」

2013-09-07 | アメリカ

アメリカ人にデブが多い理由はシンプルです。

白人種(ヒスパニックも)は体質的に太りやすい
食生活
車中心の生活

太りやすい体質の人間が、朝からパンケーキにシロップとクリーム(チューブのあれ)かけて、
昼はマクドナルドのハンバーガーにコカコーラ、夜は食後にアイスクリーム1パイント、
そして移動は車がないとどこにも行けないので朝から歩く距離はごくわずか。

むしろこれで太らない人はいったいどういう体質なのかと聞き質したくなるほどです。

ですからどの辺からデブという基準が非常に高く、多少太っているというくらいでは皆気にしません。
しかし、それを上回る巨大なデブが多数生存する、それがアメリカ。
テレビでは毎日のように

「10分だけ毎日運動すればこんなに!」とか、

「飲むだけで代謝を良くしてやせる!」

などと、劇的に変身を遂げた人が「これでわたしは人生変わりました」
とにっこり微笑んでポーズを取るというCMがしょっちゅう流されます。

しかしたかが一日10分の運動とはいえ、効果が出るまでそれを毎日欠かさずできるような人、
そこまで意志の強い人なら最初からそこまで太ってしまうわけがないのです。


「誰かトレーナーがついてくれて、ずっとダイエットを指導してくれれば、
意志の弱い私だって痩せられるのに・・・・・」

こんな大多数の人々の声を形にした番組があります。

「エクストリーム・ウェイトロス」(Extreme Weightloss)

これは、ある日突然、手の施しようもないほどのデブの前に、
あたかも天使が降臨するようにウェイトロス・トレーナーが現れ、手取り足取り叱咤激励し、
あるときは慰めあるときは一緒に喜び、時には一緒に泣いてくれながら、
何か月間かの間に目標とする体重までウェイトロスを手伝ってくれる、という

(デブにとっては)夢のような番組。


去年、そして今年と、この番組をウォッチしてきましたのでご紹介します。
去年の画像はブレが多く見辛いものとなっていますことをご了承ください。

 

彼女の名はアシュリー。
ご覧の通りの「百貫デブ」。





いかにデブの多いアメリカ人でも年頃の女の子(23歳)がこれでは、
悩ましいことと思われます。
しかも、



彼女の姉弟(4人)で太っているのは彼女だけ。
突然変異のように同じものを食べていたのに彼女だけが膨張してしまったのです。



そんな彼女の前に突然番組のトレーナーが降臨します。



「もしあなたがやる気なら、これから私と一緒に頑張って体重を減らしませんか?」



彼女が全くあずかり知らぬうちに、周りが応募したのでした。
そんな事とは知らない彼女、トレーナーが現れる直前にも、このように
パーティに出されたご馳走を大皿に取って食べまくっていたのです。



本人も驚きですが、お母さんもびっくり。
それにしても、ちゃんとそこを聞いていなかったので誰が応募したのかはわかりません。



少なくともこの金髪の妹でないことは確かです。
どういうわけか彼女は姉のためにチャンスが訪れたことを喜ぶどころか、
何か面白くなさそうな表情を隠しません。
内心馬鹿にしていた姉がどんな形でも脚光を浴びたのが面白くないのかもしれませんが、
なにしろこの娘だけは最後までこんな感じでした。



最初に現在の体重を量り、目標値を決めます。
ガウンを着てにこにこしている彼女ですが・・・



ガーン。

410パウンド。(185kg)

何を食べたらこんな体重になってしまうのだろうか。



貴方の年齢の健康な女性なら、もっと体重は少なくあるべきです。
って当たり前のことですね。



これだけの水(1ガロン)をいつも抱えて歩いているようなものですよ。



そして具体的なダイエットプログラムが提示されます。
カーディオ・トレーニングは持久力運動ですね。



思わず天を仰ぐアシュリー。
そんな生活がわたしにできるのかしら?



体重を測ったこともなかった彼女が突き付けられた数字は過酷でした。
絶望のあまりつい泣き出すアシュリー。



四の五の言わんとトレーニング開始じゃい!



いきなり坂道を走らされます。
いつもこの番組を見て思うのですが、こんなデブにいきなり走らせたら、
心臓に負担がかかって急死してしまうのではないかと・・・。
ウォーキングくらいから始めた方がいいのではないかと思うのですが、
必ず最初から走らせたりハードな運動をさせるんですよね。



ボクシングも定番。
これは、被験者が、トレーナーに向かっていきながら自分の心をさらけ出し、
「太るに至った原因」をここで突き止める、といういわばお約束の展開が待っています。
人によってはここで涙を流しながらトラウマになっていることなどを吐き出し始めたりします。



彼女の場合は、両親が離婚しており、ほとんど父親と会うことなく今日まで来た、
そのことが心にのしかかっている、というのですが・・・・


それとデブとは関係ないんじゃないかい?

まあ、太るというのは一種のメンタルの不健康というものですから、
こじつければどんなことも太る原因につながらなくはないわけですが、
これもきっとスタッフが彼女にいろいろ家庭環境などを聞き出すうち、

「小さい時に分かれた父の面影を求めて、彼女の満たされない心は
食べ物を摂取することでその欠損を埋めようとした」

みたいな定型にあてはめたのではないかな、とつい意地悪く考えてしまうのですが。



This abandonmenntというのが、「父に顧みられなかったこと」を意味します。
ボクシングの途中で感極まって泣き、トレーナーはこれを慰めるため
二人は抱き合います。

これもほとんど毎回のお約束です。



76日、つまり二か月半がたちました。
それなりに体重は減ってきています。

51IBS減らしたということは23キロ減量したということ。
23キロというとすごいですが、もともとのレベルがレベルなので、これくらいでは
全く見た目の変化はありません。

それでも、おなかの段が少し減っているようには思われます。



90日目。

243IBS、つまり110kgにまで体重は減りました。
「大台突破」まであと10キロです。

こういう体重の人がその気になったら、面白いくらい体重は減っていきます。



よく頑張ったね、と成果をねぎらうトレーナー。
しかし、これは単なる途中経過にすぎないのです。

本当の地獄はここからだあ!



今回の軽量で30キロ減量したアシュリーさん。
首が出現しましたね。

 

ここで自分から提案して、精神科医のセラピーを受けます。
アメリカ人は薬を飲むように精神科医の診察を受け、メンタルヘルスをケアしますが、
「悩みを聞いてもらう」ことを医療行為だとはっきりカテゴライズしてるんですね。

彼女はダイエットを進める段階で、父親のことを誰かに聞いてほしくなったようです。

 




しばらくトレーナーのもとを離れ、自主トレに励んでいたアシュリー。
久しぶりに会ったトレーナーは、すっかり成果の出た彼女に驚嘆し、抱き合います。





このクリスというトレーナーは、いつもこうやって被験者の「やる気のツボ」を心得た
アメとムチで、ダイエットを成功に導くのですが、毎回毎回、
大幅に体重を減らした被験者を見ては心から驚き、時には涙まで流し、
決してビジネスライクではない(テレビだから当たり前かもしれませんが)その接し方が
もはや「芸風」と言ってもいいくらいです。



アシュリーも、クリスが心から驚き感嘆してくれるので、実に幸せそう。



うん、これくらいの太った人なら、アメリカでは決して「太っている」とは言わない、
というレベルにまでなっていますね。



そしてまた体重を計測。


 
うれしさが隠せないアシュリー。
こうなると皆そうでしょうが、より一層弾みが付きますよね。

しかも、この後は自然の中でマンツーマンの訓練が待っています。

 

とりあえず目標に近づいているということで、今はそれを楽しんでください、と
気分をリラックスさせるように持っていくクリス。



ここで、回によっても違いますが、トレーナーは被験者に今までやったことのない、
少し人生観が変わるようなアスレチック体験をさせることがあります。

今回は、滑車で谷渡り。
これ、気持ちがよさそうだなあ。

でも、最初アシュリーは怖がって脚が離れません。
トレーナーに後押しされて、

 


ぎゃああああああああ。

 

でも、のど元過ぎれば「貴重な体験だったわ」。



さて、198日が経過。
ん?
なんとなく美人っぽい面影になってきたような・・・・。



しかし・・・



まだおなかはこんな感じ。

この辺でテレビ的には彼女のトラウマである父親との再会を計画します。



すっかりきれいになったわが娘に父親は驚愕。
「なんてきれいなんだ」

褒められて微笑むアシュリー。

この再会と、やせた自分を父に見てもらたことは、彼女の心を癒したのでしょうか。



というところで体重は、179lbs。
81キロです。
なんと、当初から100キロの体重を減らしたんですね。



しかし、こうなってくると一つ問題が。

左のダルダルの体の人が、右の体重に減らした場合、
それがたとえ9か月かけてであっても、「皮」が余ってきます。



そう、アシュリーさん、服を脱ぐとこの状態。



少しわかりにくいですが、二の腕もこの通り。

この番組の大きなイベントとして、整形外科でこの急激に余った皮膚を
切除してしまう、というのがあるのです。



マリナ・デル・レイは、カリフォルニアのハーバーで、意味は「王のマリーナ」。
その名の通り、リッチな人々がヨットを係留している港のある町です。
そういえばここのリッツカールトンに泊まったことがあります。

そういう町で、美容整形外科医としてやっているのですからおそらく腕もいいのでしょう。

 

しかし、手術ができるかどうかは、患者の状態によって医師がOKを出してからです。
中にはここで「できません」と断られることもあります。
脂肪の量によっては「もう少し痩せてから来なさい」ということになってしまうのです。

どちらにしても、日本ではあまりやる人もいなさそうな手術ですね。



「スキンサージェリー」と言っていますね。
これは、「脂肪切除」ではないのです。



そこでお母さんが登場して、なぜか懺悔めいたことを・・・。
彼女なりに娘にしてやれなかったことに思い至ったのかもしれません。
アシュリーが肥っていた時には、突き放すような言動をしていた母親、
こういう展開になってそれが後悔となってあふれ出てきたものと思われます。


「わたしはこの一年でうんと成長したのよ」



わたしは人生をあきらめないわ。



わたしは愛を感じたことも、自分が強いと感じたこともなかった。でも・・・。



わたしの最後の計量を見ていて頂戴。 



わたしはその時本当に変身するの。

さて、手術を終えたら、彼女のダイエットは「完成」です。
そのお披露目は、彼女の家族はもちろん友人知人を招き、盛大に行われます。



会場ではかつての彼女の姿を実物大のパネルにしたものが用意され、
そこに大変身した彼女がドレスアップして現れるという趣向。



クリスが皆に彼女の頑張った過程について総評を述べます。
そしてその頑張りに自分がどれだけ感動したか、などということを。



おおおお。きれいになったアシュリーさん、登場。



もうこんなになってますから。



驚く知人その1。



驚くガッツ石松その2。



高々とチャンピオンのように彼女の手を挙げるクリス。



どう?昔の君だよ?



そして、かつて自分が肥っているときのみじめさを回顧することから始めるアシュリー。



これ、どうやらお父さんですね。



そしてわたしは何も変えようとしなかった。





一年前は鏡を見るのも恥ずかしかったの。



二の腕の下に手術の縫い目が・・・・。

われわれなら少したじろいでしまいそうですが、そもそももとの大きさが大きさなので
それを減らすためならこれくらいの小さい傷などなんでもないといったところでしょうか。



すべてが終わっても決してやせているとは言い難いですが、
それでも一年前に比べたらものすごい変化です。



これが・・・



これですから。
164パウンドというのは74キロ。
背も高い人なので、(170センチはあると思われる)アメリカ人としては十分です。

それに、彼女はこれからも体重を減らすのではないかと思われます。



楽しくエアロビクス教室に通う彼女。
すっかり外交的な性格になり、外に出るのが大好きになったようです。
そして、町で男性に声をかけられるまでになりました。



この番組のスポンサーはウォルマート。
エクストリーム・ウェイトロスを達成した出演者には、ウォルマートのカード、
5000ドル入りがプレゼントされます。



ところで、わたしはこの一番左の妹が気になりました。
最初からそうですが、姉が大変身し、皆に賞賛されているこの会場で、
彼女はずっとこんな顔をしていたのです。
ちょっとしたショットですが、明らかに彼女が「面白くなさそう」にしている様子が
捉えられているのです。

嫉妬でしょうか。
こんな場合に姉を嫉妬する、というのも、他の家族が心底うれしそうにしているだけに
違和感を感じます。
なんか、姉妹同士、いろいろとあったのかもしれないですね。



とにかく、この番組によって人生が変わったアシュリーさん。
まだ若いのですから、これからいくらでも彼女の人生には楽しいことが増えていくのでしょう。

わたしたちは「変身」が大好きですが、ただ洋服やメイクを変えたり、ましてや
整形手術で顔を変える、というものではなく、このよう自分の今までの心の重りを
脂肪と一緒に脱ぎ捨てて生まれ変わる、このような変身ものは、実に後味のいい爽快さすら感じます。

この番組がアメリカ人に非常に人気のあるわけがわかるような気がしました。


 


淡々と写真を貼る~あるサンフランシスコの一日

2013-08-18 | アメリカ

今滞在しているところはサンフランシスコから1時間弱南に下った、
ロス・アルトス市というところです。

ここはサンフランシスコとは違って夏らしい陽射しが降り注ぎ、
しかし日蔭は涼しく夜になると品やると冷たい空気が心地よい、とても過ごしやすい気候です。
しかし、かつてサンフランシスコに住んで「I left my Heart、(心を置いてきた)」わたしとしては、
快適なロス・アルトスにあっても何度となくサンフランシスコに足を向けてしまいます。

というわけで今日はわたしの「サンフランシスコの休日」をお送りします。

まず、息子をスタンフォードのキャンプに送りとどけてから、車で北に向かいました。
30分くらい走りフリーウェイ(カリフォルニアはブリッジ以外基本無料、つまりフリー)から降りると、
以前住んでいたところが現れます。




アメリカには「タウンハウス」といって、町の一角全部が同じ住宅会社の経営による賃貸住宅があり、
短期赴任の外国人などもこういうところを利用します。
ここは昔ゴルフ場だった一帯で、戦後すぐできた古いタウンハウスです。

ここは隣にサンフランシスコ州立大学があるので、学校関係者も多いようです。
PARKMARCEDとかかれた建物は、リーシングオフィスにあるジム。
登録すれば住人に限り使うことができます。
住んでいる間、毎朝必ずここで運動するのが日課でした。

そして画面手前がMUNIというサンフランシスコのコミューター。
当時TOはダウンタウンで仕事をしていたのですが、毎日これで通勤しました。



MUNIのステーションを撮ったら、なんだか絵になるホームレスが・・・。
若くて元気そうなのに、なぜ仕事がないんだろう。
クルマの中から走りながらシャッターを切ったのですが、気づいたらしくカメラ目線です。



スタンフォードは晴れていたのに、このあたりに来るとこの通り。
霧の多いサンフランシスコの中でも特に朝は深い霧に閉ざされる地域です。
(住居を決めたときは夕方で晴れていて知らなかったので(-"-)



これもサンフランシスコならでは、「ハーモニカ長屋風住宅」。
ボストンから移り住んだとき、このくっつきあって建っている家が実にみすぼらしく見え、
心底がっかりしたものです。

今いるロスアルトスは、こういう家はまずなく、一軒一軒がボストンほどではないにせよ
独立した庭を持っている「アメリカの家らしい家」なのですが、
今日知り合いに聞いたところによると、このシリコンバレー地域は
住宅が高いといわれるサンフランシスコよりずっと家も土地も高価なのだとか。

ちなみにこのような「ハーモニカ住宅」、中に入れば奥にうなぎの寝床のように長く、
地下室があり裏庭もあって、日本の建売住宅なんかよりずっと広い面積があります。



今日はマリーナ方面で降りて歩こうと思ったのですが、
去年からの工事がまだ終わっておらず、開通していません。
ゴールデンゲートブリッジの方からクリッシーフィールドに行くことにしました。



プレシドというヒストリカル・エリア。

ウォルト・ディズニー記念博物館があったりします。
昔はここで日系人のインテリジェンス部隊が訓練を受けていたそうです。
どこかにその痕跡もあると聞いたのですが、まだ調べがついていません。



いつもここに来たらするように、ゴールデンゲートブリッジの下に車を停めました。
もちろんタダです。
サンフランシスコは駐車料金が高いので有名ですが、こういうところや公園などは
ほかのアメリカの地域と同じく料金を取ることはありません。



ここに咲いていたツツジの種類・・・・・・
だと思いますが、見たことのない植物です。



ちょうど観光バスが停まってここでトイレ休憩をしていました。
この女性はタンクトップですが、アメリカ人は寒いのが平気な人が多いので
コートを着込んでいる人とこんな格好の人が並んでいたりします。
わたしはこの日は長袖のパーカを着用していました。



クルマを置いて歩き出し、振り返ったところ。
今日は特に霧が濃く、ブリッジが見えません。

行きかう船の汽笛がしょっちゅう響いていました。



この辺の主、カモメ。
このカモメの写真を撮っていたら・・



ポーズを取ってくれました。
かわいい///



以前にも一度エントリに挙げたことがありますが、これは日本海軍の本土攻撃があった後
作られた防空壕。
防空壕だけど立ったまま入れる、というのがアメリカっぽい。
こんなの、直撃すればひとたまりもないと思いますが・・。



このクリッシーフィールドは昔、飛行機黎明期に滑走路というか、
飛行機を飛ばすためのフィールドがありました。
ハンガーもこのようなものがあり、当時の看板だけが記念に残されているようです。
この看板には「メンテナンス」と書かれています。



かつて飛行機が走っていたフィールドは今ただの芝生に覆われ、
いつもは何もないところですが、今はこのような作品の展示を行っていました。



テリムクドリモドキの雌ではないかとここ数年疑っているのだけど、
いまだに種類がはっきりしない鳥。



カメラ目線。



そのテリムクドリモドキ。
いつも一緒にいるのですが、雌と雄にしては人相が違いすぎるんですよね。



漁を終えて帰ってきた釣り船か漁船。



頭に寝癖がついていますが、おそらくダイサギだと思います。



これはもしかして・・・・・・すずめ?
灰色の頭のすずめとは別の種類ですね。



この地帯ではよく子供のキャンプが行われるので、
それに子供を連れて行くお母さんかもしれません。
子供は張り切ってはしゃぎまくりでしたが、お母さんの表情が暗い(-"-)




丸いドームの建物は原子爆弾を発明したあのオッペンハイマーの基金で作られた「エクスプロラトリウム」。
世界的に有名なサイエンスミュージアムです。
三年前前までは、ITキャンプ以外にここのサマーキャンプにも息子を行かせていました。



エクスプロラトリウム近景。

映画「ザ・ロック」で、追手から逃げたショーンコネリーが娘(だったかな)と会っていた場所です。




このあたりには大量にいる「犬の散歩業者」。
犬を飼ったら自分で散歩させろよ、と思うわけですが、
こういう業者が多量に成り立っているということは、休日にしか自分で散歩させられない
「エグゼクティブ」がいかに多いか、ということでもあります。
犬は友達と一緒で楽しそうですけどね。

このボクサーは日本ではお目にかかれない巨大サイズでした。





ワイルド・グースは群れを作って飛びますが、
必ず飛びながら「アー、アー」と鳴き交わしています。
これを見ると、

Wild geese that fly with the moon on their wings
These are a few of my favorite things

という「マイ・フェイバリット・シングス」の歌詞をいつも思い出します。



写真を撮りながら歩いていると、向こうから来たポインターがなぜか向きを変えて
ずんずんとこちらにキター!(AA省略)



と思ったらそばにたたずんで一瞬匂いを嗅いだ後行ってしまいました。
なんだったんだ、君・・・・。



カリフォルニアの若者は、なぜか皆上半身裸でジョギングします。
スタンフォードの中もこういうスタイルの男性が多数走り回っています。

わたしなどいろんな意味でシャツぐらい着た方がいいのに、と思うのですが、
どうもこれは「ファッション」であるらしいことが最近分かってきました。

おなかの出た人や歳を取った人でこういう格好をしているランナーは皆無ですから、
要するに「俺のイケてるカラダを見てくれ!」みたいなアピールなのかと。
ついでに気のせいか、顔もイケている男性が多いような気がします。
ナルシストが多いとか? 



さて、ここからは新しくできているバイパスのトンネルの上に、このような墓地が見えます。
これが、国立墓地。
つまりアメリカの戦死した軍人の墓所です。



帰りにその門のところを通ったので写真を撮りました。
サンフランシスコを出て南に向かう高速沿いにももう一つ国立墓地があり、
そこを通るたびに国旗を見てしまうのですが、かなりの割合で半旗になっており、
それは今日戦死した軍人のお葬式が行われるという印なのです。

イラクの時にはいつみても、という感じでしたが、撤退した今でも、
たとえば今日(8月17日)も半旗になっていましたから、いまだにアメリカ軍人が
何らかの形で戦死をしているということなのです。

しかも彼らの戦死はニュースになることもありません。



広大な芝地に、それこそ隙間もないほど立ち並んだ墓石の一つ一つの下に
かつて「ジョン」とか「スティーブ」という名だったアメリカ青年が眠っていると思うと、
いつも何とも言えない気持ちになります。



クリッシーフィールドを1時間ほど歩いて、ブリッジの見納めをしました。
歩いていたら後ろから来たおじいさんが「おはよう」というので返事をしたら、
「旅行中?」と話しかけてきて、しばらくの間この人と一緒に会話しながら歩きました。

なんでも仙台で仕事をしていたことがあり、東京と神戸にも行ったことがあるとかで、
こちらに全く質問させずに自分のことだけをしゃべりまくるおじいさんでした。

いるよね。自分のことをしゃべりたいだけの人。
まあ、わたしも楽しかったからいいんですけど。
別れるときおじさんは「See you!」と言って去っていきましたが、
二度と会えないことが分かっていてもこう言うのが、アメリカ人でもあります。

さて、一時間歩いたらお昼になりました。
朝ごはんも食べなかったのでおなかがペコペコです。
このプレシドにはわたしの好きな郵便局があって、(客層がいいのでおおむね局員も感じがいい)
いつもそこで日本への小包を出すのですが、帰国に備えて荷物を送る時期にはいったため
この日も大きな箱を持ってきてここで送りました。

そして隣のカフェでお昼ご飯を取ることにしました。



前に来たときは、白いテーブルクロスのかかった、ウェイターのいるカフェだったのに、
カウンターで注文する「普通のカフェ」に変わっていました。
サラダもあまりおいしくなかったし、店員の態度もあまり良くなくかなりがっかりです。

インターネットがタダなのは、アメリカでは当たり前とはいえ、うれしかったですが。



このあたりの建築物はどれも非常に古いものが多いのですが、
こうやって保護してリノベーションして、また普通に使用されます。

昼食の後は、ダウンタウンに向かいました。



昔車のキャディラックのために造られたビル。
おそらく1930年ごろの建築だと思われます。

キャディラックの紋章に身をもたせ掛けるローマの戦士のような男性二人、
各々が、タイヤと、クルマのパーツのようなものを支え持っています。

ここは、今はAMCというシネマ・コンプレックスビルになっているのですが、
アメリカでは古いビルを決して壊さないので、昔の名残もこのように残っているのです。

わたしはここで何回も映画を見ているのですが、今日たまたま前を通りかかって写真を撮り、
こうやって引き伸ばしてみて初めて、これがキャディラックのための装飾だったことを知りました。

キャディラックという車そのものが、今やアメリカでもめったに見られることがありませんが・・・・。



ダウンタウンに向かう途中、夜になると非常に「怖い」地域があります。
昔車で夜通りかかったところ、道端で注射器を持っている人を見たことがあるくらいですが、
昼間通過する分には何の心配もありません。

この怪しい看板の店は、何をするところか全くわかりませんが、
「ワイルドガール」がいるそうです。



そして、目的地、ユニオンスクエアに到着。
この公園の下は、地下3階くらいまでの巨大な駐車場になっています。
このあたりは路上に駐車するのはとても難しいので、
このあたりに用事のある人は皆最初からここに車を入れてしまいます。

わたしの用事というのは、このスクエアの隣にある「DSW」、
デザイナーズ・シューズ・ホールセールで、安くて楽な靴を買うこと。

アメリカから帰ったらすぐに秋田で花火大会に行く予定なのですが、
去年いい加減なサンダルを履いて行って足がズタズタになってしまったため、
「何時間歩いてもいいような靴を探すこと」
とTOから厳命されているのです。



でも、なかなかないんですよね。
「何時間歩いても平気なサンダル」なんて。

あきらめて、非常にぞんざいに置かれているグッチのバッグの写真だけ撮って帰ってきました。

しかし、いかにブランド物といえどもこんなディスプレイでは売れるものも売れない気が・・・。
全くありがたみのない売り方ですよね。

今日は金曜日、夕方には週末のお出かけをしようとするアメリカ人が
仕事もそこそこに帰路に就くので、非常に車が渋滞します。
靴はあきらめてさっさと帰ることにしました。

今日は息子のキャンプも最後で「参観」があります。



パーキングに戻るために信号待ちをしていたらケーブルカーが来ました。



サンフランシスコの中心となる通り、マーケットストリート。
この右側のビルで昔TOは仕事をしていました。



二年前くらいにできた日本のスウィーツ専門店。
いつも行ってみたいと思いながら、通り過ぎるだけです。



スタンフォードに到着。
ここに大量のPCを並べてITキャンプは行われます。
一週間の成果をわが子に説明してもらう父兄の群れ。
驚くことに、お母さんより父親が来る家庭の方が多いのですね。
このあたり、日本のお父さんとは(おそらく仕事の形態も)違うなあと思います。



よくわかりませんでしたが、息子がプログラミングしたゲーム。
だそうです。

「いつも家でやってるのとほとんど同じじゃない」
「だから俺、作るのもものすごくうまくいって、皆に褒められたんだよ」

はい。



スタンフォードのオフィス。
ホールにピアノが置いてあります。

写真は昔のスタンフォードの学長、トレシダー教授。

この日はこのあたりには珍しく少し蒸し暑かったので、
このビルの1階にある「ジャンバ・ジュース」を飲んで帰ることにしました。



行ってみると長蛇の列。
なのに、働いているのはこの人一人だけ。
何人かのレジを打って注文を受けて、自分で黙々と作っています。
いつもレジとジュース作り二人の三人体制なのに、何があったのでしょうか。

しかも、キャンプを終えた学生が涼を求めて並ぶ列は伸びる一方。

20分くらい並んでようやく順番がきました。





しかしみな。空港のハーツレンタカーの列に並ぶ人と違って、
文句ひとつ言わずこうやって順番を待っています。
ああいうところの大人と違って皆すれてないからだわね、きっと。

 

木陰で冷たいジュースを口に含むと急に風がさわやかに感じられ、
今まで暑かったのが嘘のようでした。

カリフォルニアにいると、「夏を楽しむ(エンジョイ・サマー)」という言葉を
こういうときに実感します。

日本の夏は「楽しむ」というより「耐える」という言葉の方が相応しいですから・・・。
こんな快適な環境にいると、日本に帰るのが嫌になってくるのが困りものです。


 




 


シリコンバレーの鳥とジャックラビット

2013-08-02 | アメリカ

                                    

お断りしておきますが、このログに使用されている写真はすべて去年のアメリカ滞在で
撮った写真ばかりです。
エントリもずいぶん前に制作してあったのですが、いろいろと優先する話題にまぎれて
一年近く持ち越してしまいました。
いくらなんでもこの夏ここにいるときにアップしなくてはもうする機会が無いので今日挙げます。

それでは温めすぎたネタで申し訳ありませんが、どうぞ。
因みに使用カメラはソニーのRX100です。


冒頭写真は、月に雁、梅に鶯というくらい絶妙の組み合わせ、
「アルカトラズにカモメ」。



ゴールデンゲートブリッジ下にある「クリッシーフィールド」も、
ローカルバードがたくさん生息しています。
これはカモメの幼鳥だと思います。
なぜか眉毛があってきりりとしているような表情をしていますが、



同じ鳥。百面相のように顔が変わる鳥。



いつもこのカフェの電燈のところで模様になっている
Brewer's Blackbird(テリムクドリモドキ)
鳥類学者のBrewerさんの名前を付けたアメリカ名はともかく、
日本ではモドキ呼ばわりされているかわいそうな鳥です。

 

この辺ではスズメ並みによく見られます。
少し羽がブルーが買っているのが特徴。



Snowy Egret(ユキコサギ)

サギはサギでも、小型のサギ。



浅瀬や岸をこうやって歩いて、餌を探します。

先日ペリカンの稿でアップした池にもユキコサギがいました。





ここには、ユキコサギより大型の
Great Egret(ダイサギ)もいました。
しかし、この日本名・・・・「オオサギ」で何が悪かったのか。





非常に内またで歩くことが判明。
ダイサギは婚姻色を持つ鳥で、その時には
くちばしは黒、目は赤くなり、目の周りは青くなるそうです。



横顔を大アップしてみました。
目の周りが青くなりかけで、くちばしが少し黒い。
もしかしたら婚姻色が出かかっていますか?
ボタンのような目の付き方が面白いですね。
目は頭の側面についているのではなく、えぐれたくぼみの部分にあって、
くちばしの先、つまり正面もちゃんと見える仕様です。

このショアラインパークとは別の地域に、
ここもやはり保護区であるのですが、
「パロアルト・ダックポンド」という池があります。



こういう、うすら寂しい雰囲気の場所なのですが、
文字通りアヒルたちにとっては天国のような場所。
ちゃんと餌ももらえるので、たくさんの鳥が住み着いています。



誰が見てもガチョウです。
ここで「サンフランシスコとベイエリアの鳥」というガイドブックを買ったのですが、
それにはただのガチョウは載っていませんでした。
「ローカルバード」ではないということなんでしょうか。



その代わり載っていたのがこのSnow Goose
どうやらこれも幼鳥のようです。
後ろから忍び寄るのは海軍リス戦隊のリス。



地面に見える白い粒々が撒かれている餌。
ワイルド・グース(カナダガン)と仲良く餌を食べるリス。
頭にめり込んでいるのも餌のようです。


鳥のえさを当然のように食べるリスたち。
前にも書きましたが、このあたりのリスの大きさは通常の1,3倍。
どいつもこいつもまるまると太っています。



こちらがスノウ・グースの成鳥。
鳥の羽が散りまくっていますが、実はこの池、中央に噴水を作って
水を停滞させないようにしているにもかかわらず、猛烈に鳥臭かったです。
そのおかげであまり周りに人も来ないし、鳥にとっても絶好の住処となっているようでした。



何しろこんなかんじですから。



対岸にはパロアルト空港があります。
空港と言っても、ここは自家用機専用。
グーグルアースで見ると、ここに駐機しているのはおもちゃのような小型機のみ。
シリコンバレーのIT長者が、ここに飛行機を持っていたりするのでしょう。

スティーブ・ジョブズの飛行機もかつてここから離陸したに違いありません。



マガモ

知らなかったのですが、首が緑色のマガモはオスで、これはメス。びっくり。
しかし、この羽のワンポイント。
神様って、実に粋なことをしますよね。



これがマガモのメスなのですが、このマガモ、



追い掛け回されていました。モテ期?



このおっさん臭い鳥の名前はわかりませんでした。
Dark-eyed junco(黒い目のジュンコ)ではないかと思われます。

おっさんじゃなくて日本女性でしたか。



これも顔が見えずに特定できず。



さて、先日のショアラインパークには、ゴルフ場があります。
散歩していて紛れ込んでしまったのですが、これがコース。
ワイルドグースがいたるところで憩っています。
しかしここはゴルフコースですから、ゴルファーたちは遠慮なく、
ここに向かってガンガン球を打ち込みます。
鳥たちも、自分の横にボールが落ちても全く無関心。

「これ、絶対時々当たってるよね」

2オンで「鳥のように」グリーンに落ちた球をして
「Like a birdie!」
と一緒に回っていた人がお世辞を言ったのがゴルフ用語の
「バーディ」の始まり。
接待しながら一緒に回った人にお世辞を言ったりするのがゴルフの本領っちゃ本領ですから、
実にこれはありがちな話と思われます。
「イーグル」「アルバトロス」もその流れで生まれました。

ここでは鳥にボールが当たってやり直すことを「グース」と言います。(←嘘)

さて、このゴルフ場を人目を忍んで歩いていると(間違って入ってしまったので)
妙な動物のシルエットが。



ウサギはウサギなんだけど、妙に足が長い。
はっ、これが噂のジャックラビット



ゴルフボールの落ちているコースを駆けまわっていました。

ピータ・ーラビットではありません。「ジャック」です。
オグロジャックラビット、というのが日本での正式名。
俊足で、天敵の猛禽類からは走って逃げますが、
基本的には夜行性なのだとか。
どうしてこの時、真昼間にもかかわらず三匹がうろうろしていたのかはわかりません。

どちらかというとウサギというよりカンガルーのような雰囲気です。
後ろ足が長いですね。



もっと近くで撮りたかったのですが、カメラを向けていると警戒して、
どんどん遠くに行ってしまいました。
しかしこうして写真に撮ると実に妙な動きをする動物です。

ちなみに肉は大変美味しいそうです。
したがって、ハンターに狩られてしまうのだとか。

クジラを食べる日本人を外国人が見るように言うと、
なんだってわざわざこんなもの食べるかね、って話ですが、高級フランス料理店では
「ジャックラビットのシチュー煮込みフランボワーズソース添えでございます」
なんて感じでテーブルに乗せられてしまうんでしょうねえ。

ちなみに先ほどのピーターラビットですが、お父さんの肖像が見つかりました。



お父さん。(一番右)



合掌。



ところで、先ほどのダックポンド。
この日の天気もあってほとんどほかに人がおらず、
森閑としていたのですが、実は、こんな光景を見ました。



この二人が、決してアツアツとか新婚ほやほやとかでないのは、
二人の間に空いたきっちりひとり分のスペースが物語ります。
長年連れ添った夫婦のように見えるのに、ほとんど言葉も交わさず、
寒々としたこの風景の中でこの男女は何をしているのでしょう。





HOARDERS~「汚部屋物語」再び

2013-07-31 | アメリカ

またアメリカで妙なテレビショウをウォッチングする季節がやってきました。

この「Horders」は、以前「hording」というタイトルのときに紹介したことがあります。
今回アメリカに来てみたらこの「ため込み」を意味するタイトルが
「貯めこむ人たち」になっていました。
題名は変われども相変わらずゴミ収集業者がスポンサーになっていて、
周りの「見かねた親族」が番組に通報し、精神科医が訪れてカウンセリング後、
ゴミ収集車が三台表れてみんなで部屋をカラにしてしまうというパターンは同じ。



以前と少し雰囲気が変わり、ミステリーまたは幽霊屋敷探検番組みたいな
おどろおどろしいロゴが多用されています。

Hoarderとは、「貯めこみ、それをしまいこんでいる」という意味です。

「300万人以上が『貯めこみ』に囚われている。
これはそのうち二人の物語である」

こんな字幕の後始まる「汚部屋(というか汚家)」ストーリー。
毎回二人の貯めこみ屋さんが取り上げられます。



いきなり波乱を感じさせる黒猫の映像。
これはいわば「伏線」というやつです。

 

今日の貯めこみ屋さんは、「生理的にも落ちるところまで落ちた」タイプ。
全てのものが堆積して腐り、腐臭を発して近所から苦情が出たのです。

 

今回「通報」してきたのはこの娘ではありません。
娘は、母親に愛想を尽かし、10年前に縁を切ってそれ以来です。
自分が引っ越した後母の世話を祖父に任せたといいますが・・・。

 

その祖父、つまり貯めこみ屋さんの父親ですが、娘がこんな生活をしているのを
全くケアしてこなかったようです。

彼は自分の妻、すなわち当事者の母を病気で亡くしました。
彼女が「片付けられない人間」になったのはそれからだと言います。



今日の貯めこみ屋さん第一号、ロビン。
「母が死んだときわたしも死んだの」などと言っています。
この、「大事な人」(大抵母親)の喪失感で、生きる意欲を失くし、
その結果として身の回りを片付けることができなくなったとする人は、
この番組にほとんど毎回と言っていいほど登場します。

「片付けられない」というのが精神の異常であることを端的に語る例です。
そして、その欠損を過食などで補おうとする人もいますが、
この人の場合は・・・



その辺の野良猫にたんまりと餌をやり「猫おばさん」となることで
心の空洞を埋めていたと思われます。

 

別の日の「Horaders」より。
こういう、動物に愛を注ぎすぎるタイプと「貯めこみ」は時として両者を兼ねます。



これは「犬を貯めこみすぎた人」の回。
犬はネコより鳴き声が大きく匂いが強烈なので、周りが通報するのも早いようです。
こういう例は動物愛護協会に通報されることも。

 

続いて今日の二人目。
何回に一回かは男性が登場します。

 

見ようによっては男前と言えなくもないこの男性。
50歳で名前をケンといいます。
彼は近所からの通報で、市から

「二週間以内に自宅を完璧に清掃すること、
もしできなければ6か月牢屋入り」

と通達されてしまいました。
ひえー。
アメリカの行政って、厳しいんですね。

 

ケンには32歳と若い奥さんがいて、ちいさい子供までいますが、
奥さんは彼が何でもかんでもため込むので嫌気がさして出て行きました。
50歳の男にしては結婚が遅いのでは、と思ったら、

 

やっぱり。
別れた妻がいて、彼女との間に娘もいます。
やたら明るいこの娘、今回はお父さんを助けに出てきました。
牢屋に入らなくても済むように、一緒に片づけをするつもりです。(涙)

 

方や猫おばさん、ロビン。
次に出てくるのが「ホーダーズ専門」の(そんなのがいるのね)精神科医。
10年ぶりに母の家に足を踏み入れるという娘を伴って、ロビンのうちに訪れますが・・・・。

 

娘はあまりの惨状にショックを受け、パニックを起こして叫び、
ドアからUターンして外に出て泣き崩れます。

 あd

ドクターも、マスクをせずに家に入ることができないほど。
それでも彼女はこういう患者を山ほど見てきているらしく、
マスクをする前に「わたしの唯一のアクセサリーなのよ」と冗談を・・・。



パニクる娘を何とかなだめ、本日の「お掃除隊」が集まり、
「やるぞ!」おー!」と気勢を上げて片付け開始。

 

「これがダイニングテーブルです」

って、テーブルなんか影も形も無いだろっていう。
百戦錬磨のお掃除隊隊長をして
「いままでこんな匂いを嗅いだことが無い」
なんて言わせるほどの立派な汚家。
そしてこのあと、お掃除隊はさらにショッキングなものを発見した!

 

 

アウチ。

こっ、これは・・・・・・猫の骨?
そして気のせいか、猫の形をしているような物体が・・・・・。
ガクガクブルブル(AA省略)



スタッフは気を遣って猫のご遺体を集め、箱に入れてロビンに
「ほら、あなたの猫たちの骨だから」

そういうことを気にするような人であれば、今まで何匹もの猫が
家の中で死んでいるのを放置しているわけはないのですが・・・。

しかし、彼女はいとおしそうに箱を抱きしめて
「庭の隅に埋めてやるわ」

うーん。なにかが間違っている。


 

・・・・・・・・・・。

ということです。
意味が分からなければ、是非にとは奨めませんが調べてみてください。

 

娘さんは10年間放置していたにもかかわらず、この惨状に怒り心頭。
何度も文句を言ったのに彼女は聴いてくれなかったことと、
もうこのままこの家ごとどこかに捨ててしまいたい、と語ります。

母親ならもう少し何とかするべきでは、というのは第三者の考えで、
いくら言っても言うことのきかない家族に手を焼いて、
あるいは見放してしまうというようなことはどこにでもあることなのです。

といいながらもサクサクと仕事は進み、

 



使用前、使用後。
それでもかなり汚いですけどね。
取りあえずダイニングテーブルが出てきました。

 

でも、このやる気のないロビンの態度。
アフターケア基金というのが出るにもかかわらず、
セラピーを受けることには興味がないと。

これでは元通りは時間の問題では・・・。

家のリペアのために7万5千ドルの予算が無ければ、
市は家を取り壊すしかなく、しかもその予算ほぼ1万ドルがロビンに請求されると。

その1万ドルも出せなかったら、さて、どうなるのでしょうか。


 

かたやこちらはケンの家。
ケンを訪れたのは偶然ですがロビンという同じ名前の精神科医。
この人も、「汚家のひと」専門だそうです。

 

こちらは蜘蛛が捕食中。
ケンは「片付けなければ牢屋入り」ですので、本人もどうしようもないことはわかっています。

しかしこの人、やたらに前向きというのか頑固というのか、
これだけ散らかしていても自分は間違っていない、という態度を崩しません。

ドクターに対しても「これはカビじゃないよ。ぜったいカビじゃない」
などとカビだらけの食べ物を見られてもこんな風に強弁します。

「寝てたね」と言われるとなぜか「寝てない!」と怒る人みたいです。



貯めこむことに取り付かれる人は、自分の行動や自分自身を正当化しようとする
傾向がある、と一般論を語る精神科医。
ケンもまたその傾向ありありです。



ただこちらは娘に慰められ、また、このままでは牢屋入りなので、
ようやくやる気を起こして、片づけ隊を受け入れることを受け入れました。

 

お掃除隊の隊長と隊員たち。
ケンが従順なので今回はやりやすそうです。

 

 

しかし、なんのためにこんなものを?
というようなものを山のように買って、ケンさん使わずに貯めこむようで。
食べ物も同じ調子なので、冷蔵庫の中で野菜が悲惨なことに・・・

 

お掃除隊の隊長も、牢屋に入るかもしれなくなったということが、
いわば「良い選択」へとケンを追い込んだ、という風に語っています。

ただ、その選択は自分の意志ではない、ということが今後どう彼に作用するかは、
神のみぞ知る・・・・・というか、はっきり言ってあまり期待できないという気はしますが。

 

言い訳したり怒ったりしながら、何とか部屋は片付いて、

 

こちらもビフォーアフター。

ケンは週明けには裁判所に行かねばならなりません。
つまりこの片付けが終了したのは市の決めた二週間の猶予期限ぎりぎりだったわけです。

 

一応そんなこんなで牢屋に入ることを逃れたケンですが、
奥さんと子供は戻ってきてくれません。

どう見ても愛想を尽かされています。
というか、もともとこの女性はケンのことを本当に愛して結婚したんでしょうか。

もしかしてこのフィリピン系女性の永住権狙いとか・・・そんなことをつい勘繰ってしまいます。



さて、このシリーズにはよく言えば「夢追い人」、実は「オレ様の世界」に浸ったまま
現実世界に戻って来られない男性の話もありました。

 

ピンボールのような懐かしのレトロなゲーム機ばかり集めた
アミューズメントパークを開きたい、というのがこの男性の望み。

 

そのために、ゲーム機、そしてなぜかこのような人形を大量に集めています。
しかし、一応「アミューズメントセンター」をオープンしているにもかかわらず、
この店には誰も訪れることはありません。
そりゃそうだ、だれもいないだだっ広い空間にレトロなゲーム機と同じ人形が林立する店。

だいたい怖いよこの人形怖いよ。


 

 

この人形は彼自身を象って彼が作ったもので、彼の名前を取って
「ランディ人形」。
ゲーム機と自分のアバターを、体育館のような広い部屋にスペースもないほど
「貯めこんで」いるのです。

若いころは彼もこんな青年だったのでしょうね・・・。
誰も来ないゲームセンターを「ユニークなわたしの特別の場所」と誇らしげに語り、
100人もの「自分の若いころの姿をした人形」に囲まれて暮らす男性。

どう考えてもあなたには精神科医が必要だ。

 

と思ったら、来ました。
ランディの精神科医。
まあ、ただこの人、分析するばかりで結局何もアドバイスしないまま
番組は終わってしまうんですけどね。

つまりテレビ用の「やらせカウンセリング」というやつです。

 

もう、ランディ、自分の世界に浸りきっています。
目を輝かせて精神科医に向かって自分語りをするランディ。
もしかして精神科医、苦笑いしていませんか?

 

そして自分の夢の実現のために機械でほとんど床が見えないくらいの今の
「ユニークな」店から、さらに広いところに引っ越したいのだそうです。

右は今までの場所からゲーム機を運び出す片づけ隊ですが、
この店構えと入りにくそうな雰囲気をご覧ください。
これじゃお客は入ろうという気になりませんよね。

モノ好きな人が好奇心で一歩足を踏み込んだこともあるでしょうが、
きっと店主につかまって延々とこの店の「ユニークさ」を語られたりしたんですよきっと。
同じ人形に周りをぐるりと囲まれてね。


「片づけられない人のゴミを片付ける」ストーリーがほとんどのこの「Hoarders」。
この人がどうしてこの番組に出ているのか、いまいちよくわからないのですが、
番組としてはこれも立派な「貯めこむ病気」、彼本人にすれば
「テレビで店の宣伝してもらえて、引っ越しの運送代をもってもらえる」
という下心があって出演を引き受けたのかと思われます。

しかしこの案件、片づけ隊がもう重労働。
隊長さんはあまりにも重たいゲーム機を何往復も運んで、
手を機械とどこかで挟んで怪我してしまいましたし、



こんなものどうやって運べっていうのよ、な大物。
台車が重みで潰れたりして搬送現場は阿鼻叫喚。

 

その後、ランディはこの場所でアーケード、つまりゲームセンターを始めましたが、
新しい店にもやっぱりお客さんは来なかったようです。



あらあら。

おまけにセラピーを受けたり、アフターケアを受けることを辞退してしまったと。
今日もランディは懐かしのゲーム機をコレクションし続けているということです。

それにしてもこの人、何をやってコレクションを買う収入を得ているのかしら。




それでは最後にトリとして強烈な方を。

 

このヴィッキーさん。
部屋を散らかすのは基本形。

 

それだけではなく、息子を車に乗せているときにも、粗大ごみ置き場を覗いては
めぼしいものを漁って、持って帰ります。

 

「ほんとに恥ずかしくて・・・。
ゴミ置き場にダイビングしているお母さんなんてうれしいわけないだろjk」

思わず助手席で顔を伏せる息子。



息子にストレス与えてどうするよ、お母さん。
しかし、そんなお母さんにもこんな時がありました。

 

このころはまだ人生に絶望していなかったヴィッキーさん。
太ってはいますが、決して醜くはありません。
太った人の多いアメリカでは「こんなタイプが好き」という人は多いと思われます。
それが今や・・・・・。
何が彼女をここまでにしたのか。

批難されると、ベッドカバーをめくらないまま、顔まで隠して
ミノムシのようになってに寝てしまいます。

 

先ほどのロビン博士またしても登場。
彼女に説得され、別居中の夫や娘息子にも懇願されて、
ようやくものを捨てることに同意したのですが・・・・

 

言いたいことを言わせていたら、少しトーンダウンしたので、
娘さんがまた懇々と説得にかかります。

こりゃ大変だ。



でも、ほとんどを拒否の姿勢。



この娘というのが、髪を7色に染めて唇にピアス。
こういう風体の人に大正論で説得される実の母親って・・・・。

ここで事件発生。
片づけの手伝いに来ていた別居中の夫が、一応作業を中止して
ヴィッキーを説得しようとしていた一同を差し置いて、
彼女がその場を外したすきにバンバンとトラックにモノを投げ込み始めたのです。

 

飛び出してきて夫を怒鳴りつけやめさせようとするヴィッキー。
しかし夫も負けていません。
「お前が機嫌を直すのなんぞ待っていられるかあああっ!」

 

慌ててトラックからものを取り戻そうとする妻。

 

夫はお構いなしにその辺のものを放り込み、二人はもみあいに。
もう、修羅場です。
逆上して周りのスタッフに「出て行け!茶番はもうたくさんだ!」と叫ぶヴィッキー。

 

彼女の弟もしっかり母の血を受け継いで、部屋がちらかっているので、
この際一緒に片付けようとしていたようですが・・・。

 

あの。

どうでもいいんですが、どうしてここに軍艦旗が・・・・。
まあ、とにかくこれがヴィッキーの部屋で、右は片づけ後の息子の部屋。


 

外に出されたものをどんどんまた運び込むヴィッキー。
まあ、観葉植物は置いておいてもいいように思いますが・・・。
娘はもうどうしていいかわからない様子で泣きだしました。

しかし、娘息子がどうしてこのお母さんからまともに育ったのか。

昔々、子供たちが小さいころには彼女も「普通」だったということでしょうか。




結局、ヴィッキーはすべてのものを部屋に戻してしまい、
夫とは離婚してしまいました。
夫はなぜか片づけに来たオーガナイザーと一緒に働いていて、
セラピストを探していると言いますが・・・。
もしかして、元妻のごみをバンバン捨てることでこの仕事に「目覚めた」のかな。

こうやって「貯めこみに憑りつかれた人々」を見ると、
「片付けられない」は真に精神的な病気なのだということが良くわかります。
その精神が病む原因が取り除かれ、治癒しないことには
どんなに周りが強制的に彼女なり彼なりの身の回りをきれいにしてやったところで
何の解決にもならないということなんですね。



この一連の物語にそういう「虚しさ」を感じずにはいられなかったのですが、
一番印象的だったのが、この旭日旗。

こんなのアメリカで買えるのね・・・・。

ってツッコみどころはそこじゃないだろ。





California, Here I Come~カリフォルニアにやって来た

2013-07-28 | アメリカ

冒頭ですが、皆様にご報告があります。

このgooブログ、全登録ブログ数が190万飛んで8465です(本日現在)。
その星の数ほどのブログ中、開設1200日にしてランキングページの1ページ目、
「くるねこ大和」や「でぶアメショと愛の無い生活。」と同じページ、つまり50位以内に
ついに当ブログがランキング入りする日がやってまいりました。

当ブログ、ランキングを上げることを目的でやっているわけではないので、ブログランキングの
クリックを皆さまに押させるお手間をかけさせるなど畏れ多いことは夢にも考えもせず、
一度嫌がらせにあってからはコメントも承認制にして、表向きは非常に静かにやっております。

しかし大型掲示板や他ブログにURLが貼られたりすると、そのたびに順位が跳ねあがり、
しばらくすると沈静化するのですが、その前よりは少しずつ上のレベルで落ち着く、
ということを繰り返して、現在に至ります。

勿論、読者数イコール賛同者、あるいは好意的な読者であるとは全く思っていませんが、
多くの人々の目に触れることで、考えを共有して下さる方が一人でも増えるのは嬉しいことですし、
逆にそうだからこそ、内容には責任を持たねばならないと気を引き締める思いです。

というわけで、いつも読んでくださっている方、ご意見ご指示その他コメントをいただいた方、
この場をお借りして心からお礼を申し上げる次第です。


さて、本日タイトルを見てジャズのスタンダードナンバーを思い出す方のために、
ビル・エバンスの「California, Here I Come」を貼っておきます。

ボストンでの予定を終え、東海岸から西海岸へと移動してきました。
文字通り「カリフォルニアにやって来た」です。

例年、かつて住んでいたサンフランシスコで夏の間過ごしていたのですが、
息子が成長すると共に、今までのサマーキャンプの内容が物足りなくなってきたので、
去年から、思い切ってサンフランシスコから南に30分行ったところにある
スタンフォード大学のキャンパスでのITキャンプに参加させることにしました。

このあたりはシリコンバレー地域で、ごく近接してグーグルとアップルがあります。

冒頭写真は、今朝散歩した野生動物保護区域にある池ですが、
ここからはグーグル本社のビルが見えます。
中央の赤いビルディングがグーグル(もちろん一部)。




ボストンからサンフランシスコまでは7時間のフライトです。

昔子供用のチェロを持ち運んでいたころは、クローゼットの中にこれを入れてもらうため、
何が何でもファーストクラスに乗っていましたが、去年から楽器レンタルを利用することになり、
エコノミーを利用することができるようになりました。

しかし、この、アメリカ国内線エコノミーのシートピッチというのが、狭い。

「100キロくらいではデブとは呼ばない」という国で、日本の国内線より下手すると狭く感じるほど。
二席分買わなくてはいけない客はさぞ多かろうと思われます。

しかし、実はこれ、経営的観点で「料金ヒエラルキー」を作り出すための
意図的なものであることが今回はっきりと判明しました。

それがわかったのはフライトの少し前にユナイテッドからメールが来たときです。
メール曰く

「エコノミーからアップグレードしませんか?ファーストの席がまだ空いています」

どれどれ、と見ると、追加料金一人7万円。
なんか全然安くなってない気がするんですけど。
わたしも息子も体が小さいし、別にエコノミーでいいです。
ファーストで出してもらう食事だって、大したことないし。


しかしさらにメールを見ると、さりげなくこんな文句が。

「少しピッチの広い『プラスシート』 にも変えられますよ」

二人で140ドル出せば、とりあえず座ったときに膝頭が前のシートにくっつくことのない、
そしてトイレに並ぶ人が自分の横に立っていることもない、比較的快適な席に変えられると。

まあ、考えたら、7時間は長いしね。
日本から西海岸に行けてしまうくらいの距離だものね。
というわけで、まんまとUAの戦略に乗ってプラスシートにアップグレードしました。


いつもそうするように通路側の席を取ってから、「しまった!窓側にするんだった!」
もしかしたら、アシアナ事故の跡が見られるかもしれなかったのに・・・・・・・残念。


というわけで、サンフランシスコ空港に無事到着。
そこでまたもや問題が。

レンタカーを借りるハーツ・ナンバーワンクラブの掲示板に、案の定名前がありません。

何度も何度も同じことをここで書いてきた気もしますが、ここ何回かの渡米で
まともに名前が見つかったことの方が少なかったような。

しかも数人だけの列で済んでいたボストンと違い、ここは
建物から人が溢れるくらいの列ができているではありませんか。


ハーツナンバーワンクラブというのは、オンラインで車を予約し、
空港に付いたらカウンターに寄らずに、ただ、掲示板に示されている自分の名前を探して
指示されているロットに行けば、予約した車が停まっているのでそのまま乗っていくことができる、
という本来大変便利なシステムです。

時間の節約にもなるし、カウンターでいろいろと交渉するわずらわしさも無く、
だからこそ皆、わざわざメンバーになって利用しているのだと思うのですが・・・。

この日のハーツには、他の普通のレンタカー屋と同じくらい、いやそれ以上の人が
自分の名前を見つけられずに長い列を作って並んでいます。
おまけに一人一人にやたら時間がかるのに対し、係員はたった二人で対応しています。

こういうことには決して黙っていないアメリカ人、まず隣同士でお互いに

「わたし、予約しておいたはずなのに、なんで名前がないんでしょう」
「みな予約してたのに並んでるんだよ。全く時間の無駄だよ」

などとぶつぶつ会話を始め、そのうちなかでもとくに気の短い人がが係員に

「こんなに並んでるのにあんたたちたった二人って、どういうことだ」

なんて怒りだすのです。
まあ、それでも決して列を崩したり係員に暴力を振るわないのが中国人との違いです。

カウンターでこのとき対応していたのは中国系のおばちゃんとヒスパニックのおばちゃん。
中国おばちゃんがその客に向かって

「人がいないんです・・・・」

と悲しそうに告げ、客はそれで黙ってしまいましたが、
すぐにもう一人(黒人おばちゃん)が出てきたのには笑いました。
客に言われて初めて一人増やすなら、最初から三人でやれっつーの。

そんなこんなで気の遠くなるくらい待たされ(40分)、やっと順番がきました。

「どうしてわたしの名前、無かったんでしょう」
「予約の時間よりお客様の到着が遅かったからですね」

・・・・・・って、そんなこともありますよ。飛行機なんだから。

ようやく割り当て車の駐車番号をもらって、山のような荷物を積み込み、エンジンをかけました。
しかしその車は・・・・・・

カーナビが壊れていましたORZ

その辺をうろうろしている中国人のおっちゃんを捕まえて
「ナビ壊れてるんだけど」というと
「車代えてもらって」
「いや、40分カウンターに並んでようやく車をゲットしたばかりなんだけど」
「もう一回並ぶしかないアルよ」

もう・・・あんたたち何のためにここにいるの。

仕方がないのでもう一回、一から並びましたよ。きっちり40分。
同じタイプの車に変えてもらってパーキングを出たのは予定の一時間半後。
これじゃ普通のレンタカー会社の方がずっと早かったわ。



ボストンからの飛行機代を節約したので、今年もメルセデスを借りることにしました。



ホテル到着。
キッチン付きの長期滞在型ホテル、レジデンスイン・マリオットです。
これも去年と同じ。



ここでもまた一難。

部屋に入るなり息子がトイレに行ったのですが、いきなり水が逆流し床がびしょびしょ。

そういえばちょうど目黒の技術研究所の記事で「プランジャー」の説明をし、
「五つ星ホテルでもプランジャーが要ることもある」と書いたばかりでした。
ましてや長期滞在型三ツ星ホテルにおいてをや。
さっそくそのような状態になってしまったわけです。

しかしこれはひどい。
ハーツで気力を使い果たして、自分で何とかしようという気には全くなりません。
そのまま電話を取り上げて、

「トイレから水が溢れたから、部屋変えてください」
「本日、他にはもう部屋ありません。すぐに人をやります」

あわててフロント係は、アメリカには珍しく5分以内に対処をしてくれました。
本当に部屋が無かったのかどうかは激しく疑問です。
単に仕事が増えるのが面倒だったのだとわたしは思っていますが。



取りあえずお腹が空ききっていたので、晩ごはんを食べに、ホテルから車で1分の
オーガニックレストラン、ホールフーズに行きました。



アメリカのスーパーマーケットはどこも体育館くらいの広さがあります。
ここも、右全部がジュースの棚。左は全部シリアル。



このあたりは中国人も多いので、「テリヤキボウル」「スシ」コーナーにいるのは皆中国人。
皆日本の「大漁はっぴ」みたいなのを着ています。

「テリヤキボウル」は、ご飯を玄米、白米から選び、その上に野菜(青梗菜など)が乗っていて、上には
ダークミートかホワイトミートのチキン、サーモンのテリヤキソース掛けを乗せます。
ソースやゴマをかけるかどうかも聞いてくれます。

ホテルでは、朝ごはんは勿論、月曜から木曜までは、夜、ちょっとした一品にサラダ、デザート、
ワインやジュースなどといったものもコンプリメンタリーで提供され、
基本一日二食のわたしは、朝自分でサラダを用意するくらいでほとんど料理もせずにすみます。



週末には野外でバーベキューです。



建物のところにはバーベキューグリルがあり、テーブルにサラダや果物などがならんでいます。
皆好きなだけ取って、屋外のテーブルでディナーを楽しんでいます。

これは6時半くらいなのですが、このあたりは8時過ぎまで太陽が沈まないので、
晩ごはんと言ってもさんさんと太陽の明るいところで食べることになります。

プールでは子供たちがまだ遊んでいて、プールサイドに食べ物をせっせと運んでいました。



月曜からはスタンフォードでのキャンプも始まりました。
初日は保護者も車から降りて、サインアップします。
一度登録が済んだら、あとの日はロータリーに子供だけ降ろすドライブスルー方式です。


ボストンと違って、ここでは雨が決して降らないので、登録のテーブルはいつも屋外にあります。

このあたりは、朝起きるといつも曇っているのですが、8時くらいになると太陽が出てきて
日中はずっと猛烈な日差しが照りつけます。
しかし、湿度がとても低いので不思議と汗はかきません。
息子は室内は「寒いから」と、二日目から長袖シャツで行くようになりました。

陽が沈むと同時に気温がガクッと下がり、外にいると震え上がるほどになります。



キャンパスに行く途中の道沿いにある、

「石にされていたが、魔法が解けたと思って『いえーい』と喜んでいるときにまた石にされた」

と我々が名づけたわけのわからない彫塑も健在。
左端の子が、花かご持ってますね。

「もしかして、なんか事故で亡くなったこの町の子供とかだったりして・・・」

今回、この子供たちの正体をぜひ確かめてみようと思います。



キャンプの終了は5時。
今年は去年の倍くらいはいるのではないかと思われるほど、迎えの車が多いので驚きました。
ピックアップの時間は「5時から6時までの間」です。
こうやって並んで、朝車から降ろしたポイントまで行くと、スタッフがインカムで
子供の名前を呼び出してくれます。
子供は親が来るまでの間、芝生でスタッフや同じクラスの友達と遊んで待っています。



週明けにはチェロを借りることもできました。
ボストンでもここでも、借りることのできる最小単位が3か月なのですが、背に腹は代えられません。
今回、どちらもわりといい楽器をかりることができて、わたしも息子も非常に練習が捗っています。



先日、用事があってサンフランシスコまで行ってきました。
これはサンフランシスコの向かいのオークランドからベイブリッジを渡っているところ。

オークランドには小さな空港があるのですが、ここに航空博物館があるので見学してきたのです。
そのご報告はまた後日。



サンフランシスコのチャイナタウン近く。
人々のいでたちをご覧ください。
ロングコートの人物がいますね。
7月の下旬なのにセーターに背広、これがサンフランシスコです。
体感温度としては日本の11月くらいの感じでしょうか。
陽射しはそれなりに強いのですが、何しろ風が冷たいのです。



これもサンフランシスコ名物、急な坂。
バスが通るような道でもこのありさまです。

こんなところなのに、というかこんなところだからか、この坂の多いゾーンには
ほとんど信号はありません。
交差点では、車は必ず一旦停止することが義務付けられており、対向車がいたら
先に来ていた車が優先で、そのあとは基本的に時計回りの順番で通行します。
たまに「自分の方が先に来ていた!」とばかり順番を抜かす人がいて、
(たいてい男なんですが)非常に危ない思いをすることがあります。



ところで、去年から感じたのですが、アメリカの経済はシェールガスのこともあって、
そんなに悪くないらしく、あちこちに新しい建物が立ち、お店がオープンしていて、
去年空き地だったところが今年いきなりアパートになっていたり、なかなか活気があります。

去年工事が始まって、書き割りのような板がぺらっと一枚だけ立っているとおもったら
今年はなんと「セーフウェイ」という大型(皆大きいですが)スーパーになっていたり。

キッコーマンの醤油などはホールフーズには置いていないので、一度セーフウェイに
買い物に行ったのですが、そのとき、例によってケーキコーナーで足が止まりました。



出た。黄色いケーキ。

たとえばバナナケーキとか、マンゴームースとか、
黄系統の色のケーキも日本に無いわけではありませんが、このようなまっ黄色ではないですよね。
左下のブルーは、なんというのか・・・・・・・ラピスラズリの色?
フェルメールが絵具に混ぜて青に使った、というあの鉱石みたいな色。

いずれにしても体には思いっきり悪そうです。



緑にブルーの色鮮やかなクリームを乗せたカップケーキ。
だから、ブルーのケーキは食欲をそそらないと何度言ったら(略)



おおお、蛍光色で目がちかちかする!
というか、これ、クリームというより絵具にしか見えないんですけど。
・・・というケーキです。

カリフォルニア、特にこのあたりはシリコンバレーでありスタンフォードのお膝元。
スタンフォードというのは単に大学のことではなく、街一つぶんの広大な地域ですから、
ここにかかわる人々、インテリと呼ばれる人種も多いのですが、それとこれとは全く別。
どんなインテリでも、カロリー0のコークを飲みながら寿司を食べたり、
こんな絵具のような色を付けたケーキを喜んで食べたりするんですよね。

だからこそ100キロ超える人が普通にその辺を歩いていて、心臓病で死ぬ人が多いわけですが。

日本の大学や研究所みたいなところでは肥満の人はまずいないものですが、
スタンフォードのキャンパスはアメリカにしては明らかな「百貫デブ」はあまりいないとはいえ、
どう見ても「ゴールドバーグ教授」(仮名)みたいな人が、大きなおなかをゆすって歩いています。

アメリカとかかわりを持つようになって、もっとも不思議に感じたのが
「総じて食べ物に対する意識が低い。というか無茶苦茶な人が多い」ということでもありました。
知的層でもそうなのですから、ましてや普通それ以下の人々においてをや。


テレビのニュースキャスターなんかも、顔はきれいなのにウェストが結構太い人が多い。
皆がこうなのでまったく気にならないのでしょうけど。
確かに日本のテレビなどに出てくるような人は、痩せすぎという気もしますが、
ちょっとアメリカ人は全体的に「太目」の基準が高すぎる気がします。


というわけで、ここカリフォルニアで8月末まで過ごします。








ボストン美術館~わたしの好きなコレクション

2013-07-26 | アメリカ

ボストン美術館のコレクションで、とくにわたしが好きな絵をご紹介します。

これは、「ボストンコモンの黄昏」Boston Common at twilightという、
ハッサムの作品。
雪の積もった冬の景色なのに、なぜか観ていると暖かさを感じるという・・・。

わたしはこの絵が大好きで、ボストンに住みだしたころ美術館のアートショップで
この額を買い求め、以来ずっと寝室に飾っているほどです。

夕暮れの逆光に鳥に餌をやる女の子、それを見守るファッショナブルな若い母親。
これだけでも好きなモチーフですが、なんといってもこの景色は、
いまだに全く同じところで見ることができることも好きな理由。
後ろにトロリーバスの走る通りはトレモント・ストリートといい、このあたりに
免許センターがあったりします。

このあたりの建物はおそらく法律で保存することが決められているので、
1880年に描かれたこの絵と同じ街並みがそのままであるのです。

まあ、なんといってもここは地震が決して起こらないところですからね。
レンガ造りの建物は、マグニチュード3レベルでも跡形もなく崩壊するに違いありません。



題名も作者も知りませんが、いいなあと思ったので。

アツアツです。

恋に耽溺している二人は、世界から切り離されたような二人だけの世界に
彷徨ているように感じるものですが、
そんな恋人たちの情熱が見ているこちらにも伝わります。

男性は画家なのか、画板を膝に置いて一応仕事をしてるふりをしていますが、
女性が不自然なくらい顔をくっつけて、どう見ても邪魔してます。
男性はまったくそんなことはお構いなしで、片方の手で彼女の手を握ったりしています。

しかし、こういう奇跡のような時期は、あっという間に終わります。(断言)

だからこそ恋は美しい。
BUT BEAUTIFUL というジャズのバラードを思い出します。

Love is funny or it's sad.
Or it's quiet or it's mad.
It's a good thing or it's bad.
But beautiful.

命短し恋せよ乙女、ってところですね。



おそらく、ヘロデ王の幼児虐殺を逃れてエジプトに逃亡した
ヨゼフとマリアとイエスキリストの話だと思います。

マリアの抱く幼子イエスが自然発光しているわけですが(笑)
それにしても、ヨゼフはどこに行ったのでしょう。



好きな絵、ということは決してありませんが、懐かしい絵です。
小さいときにうちにあった画集には、このマネの「マキシミリアン皇帝の処刑」
の完成版(ここにあるのは下絵)がありまして、



これですね。
マキシミリアンとやらがどうしてこんなに色黒なのか、とか、
一人を処刑するのにどうしてこんなにたくさんで撃つのかとか、
幼心にいろいろと考えてしまったものですよ。

マキシミリアン皇帝はメキシコの海軍少将だった人で、皇帝になってから
クーデターを起こされ、処刑されてしまいました。



今回調べていたらこんなドラマチックな「処刑執行の朝」のシーンが見つかったので、
まったくボストン美術館とは関係ありませんが、貼っておきます。

処刑告知された本人が冷静に周りを慰めるの図。



ミレーの「種まく人」。

これも小さいときは怖かったですね。
どうして農作業をしているのにこんな真っ暗なのかとか、
どうして顔が見えないのかとか。

この「種まく人」、世界に二枚あるのですが、そのうち一枚がこれ。
もう一枚は何と我が日本の山梨県立美術館が持っているのだそうです。
知らんかった。

これまでなんどか、この二つの「種まく人」、両美術館の計らいで
並べて展示されたことがあったそうです。

どちらが本物、というかサロンに出品されたものであるかは、最近の科学調査で
「山梨のものが本物である」ということがわかったそうですよ。




おお、どなたかは知らぬがお美しい。
美術的価値とかなんとかより、モデルがきれい、もうこれだけで説得力ありまくり。

バラ色の肌、黒髪に知的なまなざし、
白のタフタのドレスには、ブルーのサッシュがとてもお洒落。
黒のレースを斜め掛けしたのは、彼女の黒髪に合わせたのでしょうか。

こんな美女がいたのだなあ、と思わず眺めてしまう魅力に満ちた作品。



そうかと思えば(笑)

ここまで(おそらく)リアルに表現せねばならんかったのか?
もう少し美化してあげてもよかったのではないか?
と、ついリアリストの彫刻家を心配してしまう出来。

フランス革命の大物、ミラボー卿。

あばたで有名だったその月面状のお肌と、大きなイボまで克明に再現。



なぜかいきなりここで現れたストラディバリ。
どうしてボストン美術館に展示されているのだろうか。

と思ったら、これはナポレオンの息子にプレゼントされたものだそうで。

ナポレオンはかなりの音痴だったという話があるので、このヴァイオリンを弾いた
ナポレオンの子息も、大して練習もしなかったのではないかと思われます。
せっかくのストラディバリも、猫に小判だったわけですね。

楽器は弾かないともう鳴らなくなってしまうので、このかつての名器も
おそらく今はただの飾りとなってしまっているのでしょうが・・・・

・・・・もったいない・・・・。



これも好きって絵じゃありませんが、目を惹きました。

肉の解体屋なんですね。
左の下の方に固まった毛皮のようなものは、剥いだ牛の皮。
上のテーブルには牛さんの耳の無い頭がどーんと乗っています。

おかみさんは作業中。
飼い犬は牛の下にある血を受ける皿を舐めております。

牛の胸郭部分に掛けられた紙か布は何のためでしょうか。

この時代、こんな風に個人が解体屋として生業としていたことが、
画家のおかげで詳細に後世に残ることになったのです。



今まではヨーロッパの部分でしたが、ここからはアメリカ芸術。
ボストン美術館は当然ですが、アメリカ芸術の収集も充実しています。



この絵の周りには実は子供がいっぱい床に座り込んでいて、
先生の説明を受けながら一生懸命何か書いていました。
今の季節ですから、サマースクールでアートを専攻した子供たちかもしれません。

ドラマチックな内容ですが、これはボストン生まれの画家コープリーが、
船乗りの少年ブルックワトソンが海に落ちて鮫に襲われた様子を描いた

「ワトソンと鮫」。

どうしてワトソンは何も着ていないのか、
そしてこのあとワトソンの運命はどうなったのか。

前に立って口を押えながら観ているこの女性も、同じようなことを考えているに違いありません。



いかにもアメリカ人らしい男の子。
この壁紙や、一緒に展示されている家具の類いも時代を統一しています。



この女性も、決してヨーロッパではない、アメリカ人ならではの顔ですね。
ニューベリーストリートを歩いていそうな女性です。



この真ん中の絵も、この美術館の有名作品。
アメリカ女性らしい赤毛と、淡いピンクのドレスがふんわりとして、
とても気持ちのいい絵です。

 

どちらもかけてある壁の色とのマッチングが素晴らしい。

左はミュシャの影響を受けているような。
右はアールデコっぽい。



夕焼けを見ていて「この美しさを永遠にとどめたい」
と思われたことはないでしょうか。
きっとこの画家も同じように思ったのでしょう。

どこかで見た夕焼けの景色。



月夜に船を走らせる人々。
明るい満月と、岸に見えるたき火の光の色の違いが幻想的な夜の景色です。



晴れているのか曇っているのか、朝か昼か夕方か、
全くわからない不思議な天気。
まるで夢の中のシーンのようです。

ヨットが見えるから荒天ではないのですが、妙に黒々とした
海の色と、いきなり海岸近くで砕ける波が不穏な雰囲気。



こういう棺を制作させられるだけの力を持った人物の、
おそらく若い妻が病気で亡くなったのでしょう。
どうしてこの棺が使われないままここにあるかまではわかりませんでしたが、
美しさに見入ってしまう女性です。

スリーピング・ビューティを思い出しました。



このボストン美術館ではサージャントの絵を見られるのが一つの大きな目玉となっています。
わたしはこのサージャントの絵も大好きで、




テートギャラリーが東京に来たときに、この
「カーネーション・リリー・リリー・ローズ」という絵のポスターを買い、
これも「ボストンコモン」と共に寝室に掛けています。

ところで、この上の「エドワード・ボイトの娘たち」という絵ですが、
絵の前に飾ってある壺、よく見てください。
絵の中に、全く同じかたちの壺が・・・・。



なぜかあった、ディートリッヒとガルボの写真。



一心に模写していた・・・美術大学の学生、でしょうか。

最後になりましたが、正面入り口を入ってすぐにある彫刻二体。

この横にチケット売り場があるのですが、そこの女性は、
さすがはこういうところのフロントにいるだけあって美人。
「メンバーシップにはいりませんか?」
と勧誘してきたので、「ここに住んでいないので」と断ると、
「ではどちらから?」
「日本です」というと、まるでサージェントの描く女性のような表情で
「Welcome to Boston!」
とにっこりと微笑みました。




ボストン美術館~ミイラ・コレクション

2013-07-23 | アメリカ


ボストン美術館、というのは正式名が

Museum Of Fine Arts, Boston

というので、カーナビに「Boston Museum」と入れてもでてきません。
このことをすっかり忘れていて今回も戸惑ってしまいました。

世に言う世界の四大(なぜ4なのかわかりませんが)美術館とは

「ルーブル美術館」
「大英博物館」
「エルミタージュ美術館」
「メトロポリタン美術館」

ということになっているようです。
勿論、この「●大」は何を以てそういっているのかは曖昧で、
4大の中に故宮博物館プラド、ウフィツィなどが入ってくる場合もあります。

どんな収集品があって、それが人類の遺産として貴重であるかということを
厳密に鑑定し、それによって順位を付けることなど不可能であるとは思いますが、
取りあえず「入場者の数ランキング」などを見ると、アジアのトップになぜか
「韓国国立美術館」(12位)「朝鮮民族博物館」(15位)が、
ウフィツィやオルセー、エルミタージュすら抑えてランキング・インしてきてます。


まあ、いいんですけど・・・・・ところでここにはいったい何がありましたっけ?(笑)






このボストン美術館は、そういう「何大」や、ましてや入場者数ランキングには
ほとんど入ってくることはありませんが、非常に専門的な評価の高い美術館です。

門外不出のゴーギャン作
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
あるいはミレーの「種まく人」、モネの「ラ・ジャポネーズ(日本娘)」のほかは
海外ではもっとも日本美術の収集が優れているとされています。

前回ご紹介した「サムライ!」もその一環です。

そしてそれ以外でとくに充実していると言われるのがご当地アメリカ美術と
このエジプト美術。



何しろここは、見学を始めると最初にこの古代コーナーから始まるので、
時間配分を考えないと、肝心のヨーロッパ、アメリカ美術を見ずに終わってしまいます。

でも、どうしても食い入るように見てしまうんですよね・・・・。

よく見るこの三人単位の彫像ですが、このころの肖像画みたいなものでしょうか。



出土された副葬品。
左が「パンを焼く女」
右が、洗濯をしているのかと思ったら「小麦を挽く女」だそうです。
毎日こんなことをエジプトの主婦はしないといけなかったんですね。
このころは家事労働だけで一日が終わってしまっていたんだろうなあ。
古代エジプトに生まれなくて本当によかった。(真剣)

ついでに「パンのマーチ」という歌を思い出してしまいました。

♪パンパンパンパンパンパンパンパンパン パン パンパカパンパンパン

昔 パンを焼いたのは 6000年も前のこと
小麦を粉にして こねあげて こねあげて
エジプトの母さんたちが おいしいパンを焼きあげた♪


というあれ。
今調べてみたら、歌っているのはペギー葉山だったんですね。



左は陶器製の棺。
その右側奥は実在の人物の「フィギュア」だそうです。

仰臥するミイラの奥に並んでいる動物を模した「内臓入れ」。

内臓は麻布に包まれてここに収納されたそうですが、個人が亡くなると、
まずミイラ製造者は内臓を取りだし、ナトロンという水分吸収剤に包み、
乾燥させてからこの壺に納めたのだそうです。

実際には遺体の中で一番腐敗の原因になるのが内臓だから、という理由です。



因みに、一番右の人間の顔のツボに入っているのが肝臓、
マントヒヒに入れるのが肺。
ジャッカルのツボはドゥアムテフといい、胃を収納、
ケベフセネエフという鷹のツボには、腸を入れることが決まっています。

古代エジプト人がミイラとともにこういう臓器をも保存したのには、
彼らが来世を信じていたからで、そのために体を保存しておく必要があるとしたからですが、
他の臓器と違って心臓は摘出されず、それだけが体に残されました。

来世にも死者に必要な重要な臓器だとみなしていたから、ということですが、
他の臓器を取りだして心臓だけを残す理由はいまいちこの説明ではわかりませんでした。


その他、脳も他の内臓と同じくダメージを受けやすいので、摘出していました。
鼻から鉤を入れて、内容物を掻き出したそうです。



今はエックス線だけでなくMRIのシステムで内容が調査できますが、
こういうのを見ていつも思うのは、発掘当時の学者たちが中身を見るために
これらの外側をよく壊してしまわなかったなあということ。

ツタンカーメンのDNAを調査することによって、他のミイラとの関係、
家系図などもほぼ完ぺきに突き止めることができ、さらには出土された香水壺から
当時の香水を再現するなど、科学の進歩によって新たに分かったことが多くありますが、
発掘した当時の研究者たちが「いつか科学が発達したらわかることもあろう」
とあえて封印したこともたくさんあるのだろうなあ、と・・・・・・・。



ボストン美術館は収集物の保存に適した空調によって各部屋ごとに
体感温度が全く違うのですが、この部屋は特に寒かったです。

ミイラだし、これ以上劣化しようがないような気も素人にはするのですが、
やはり湿度というのは保存の敵なのかもしれませんね。



大英博物館やルーブルのミイラ・コレクションも見たことがあるのですが、
ツタンカーメンのような王家のミイラだけでなくいわゆる庶民のミイラになると
はた目にも実にぞんざいに包帯が巻かれていて、よくこんなので何千年も残っていたなあ
と感心してしまうくらい雑な作りだったりします。

これもおそらく庶民の(といっても裕福な家ではあったのでしょうが)ミイラで、
顔のところにご本人の似顔がはめ込んであるのが珍しいですね。


ところで、ある「見える方」が大英博物館でミイラのコレクションを見たとき、

「ミイラの主がいろいろ自分の生前の『自分語り』をする気配が実に騒がしかった」

とおっしゃっていましたが、そういうのを感じてしまう能力も全く考えものですね。
本当でも嘘でも別に構いませんが、少なくとも自分に備わっていなくてよかった、
とこのひんやりと人気のないコーナーでミイラを見ていてつくづく思いました。




最初に来たときにはこの肖像をまじまじと見てしまいました。
かなり若くして亡くなった人にも見えます。

包帯の巻方が非常にアーティスティックなので、かなりの名士であったのかもしれません。


こんなことを夢想しながら佇んでいると、このコーナーであっという間に時間が過ぎてしまいます。



このタイプのミイラは同じエジプトのものでもすべてA.Dのもので、紀元前のものとは
かなりミイラの在り様も変遷していると言った感があります。

やはり「流行」というのがあったのでしょうね。



ここで心温まるアニマルミイラコーナー。
ちうか、何でもかんでもミイラにするんじゃねーよ、と思わず突っ込んでしまう品揃え。

シルエットクイズです。これらは何のミイラでしょうか。

右のコケシ状のミイラはネコ。
左上、犬。下がキジ(だったかな)で、




三日月型のジョエルロビュションの食事パンみたいなとんがっているのが
トキ(鳥の)の頭部。
左奥、やたら目つきが悪いですがこれはわかる。ワニ。
手前は・・・・なんだっけ。トカゲかな?



右、ネコ耳を付けているのが子ネコ。
わざわざ生きてる子ネコをミイラにするな!動物愛護協会に言うぞ。

左は・・・確かお猿さんだったような。


ところで、この古代エジプトの収集が最も充実しているのは言わずと知れた
カイロのエジプト考古学博物館であるわけですが、ここが、大英博物館始め海外の
博物館に

「もともとエジプトにあったものだから、ミイラとか返せ」

と主張していたんだそうです。
ところが、2011年にエジプト争乱が起こった際、略奪者が侵入し、
収集品が奪われる、という騒ぎが起こりました。
その後盗品は発見されたものの、騒乱の影響で博物館は一時閉館されており、
返還を要求していた国からは

「ほれみろ。政情不安な国にあるよりイギリスやフランスにある方がずっと安心だろ」

と言われてしまうことになったという話です。

民主政権時代に朝鮮王室儀軌(ちょうせんおうしつぎき)を、韓国の返還要求に応じて
とっとと返してしまったという話がありましたが、同じように韓国政府は
フランスにも返還を要求、フランスはこれを拒否しています。

まあ、世界でも有数の入場者数を誇る美術館を持つような文化的な国ですから、
まさか修復と称して上から全く違うものを描いてしまうようなことはしないですよね?

自分たちの主張する歴史と違うことが書いてあっても、抹殺したりしませんよね?
・・・・・あ、漢字が読めないんでしたっけ。
なら安心。ってちょっと違うか。



もともとどこにあったという「所有権」にこだわるより、人類共通の遺産として、
恒久的に保存するだけの技術文化がある国がこれを次世代に伝えたほうが、
ずっと後世のためになるとわたしは考えます。

こうやって守られ保存されている大量のエジプト美術品やミイラコレクションを見ると、
人類の遺産に対して国だの所有だのを主張することがいかに愚かしいことかと思わずにいられません。

それにしても、そういう技術も文化も、安定した経済も持てない国に限って、
こういう主張を声高にするというのはいったいどういうことなのでしょうか。











ボストンのスシ・ゴー・ラウンド(回転寿司)再び 

2013-07-20 | アメリカ

去年「アメリカ・スシ事情」というエントリで、ここアメリカのスシについてお話ししたのですが、
この時に初めてここボストン郊外のあるショッピングモールにできた
回転ずしの「ジャパニーズレストラン」に行った感想を書いています。

この時にこのスシレストランを美味しいと思ったから、では決してなく、
単に一年経ってここのスシがどうなっているかを確かめるため、
というか「ネタ」ゲットのためだけに今年も行って参りました。



このモールには、この一年の間に以前からあったアップルストアの一軒置いて隣に
マイクロソフトショップができるという変化を見せていました。

関係ないのですが、どうしてアップルショップの近くに
アメリカというところは必ずマイクロソフトショップを持ってくるのか。
しかも必ず間に一軒別の店を挟んで。

スタンフォードのモールも全く同じ配置だったので何か不思議に思いました。



この「スマーテスト・スシ」には、下にこう書いてあります。

「・・・・そう、コンベアーベルトに乗ってくるんです。

ワサビ、わたしたちは新鮮"geek"(オタク)です。
わたしたちは「ラジオ・コントロールド・スシ」を思いつきました。本当です。
ベルトの上のリングはすべてラジオ波IDチップが搭載されており、
自動的にわたしたちのスシ・シェフが、皿を管理するタイミングを知らせます」

ほう。

寿司ネタがカピカピに乾いて、すし飯が米に戻るということがないように
コンピュータ管理をしていると。
さすがはボストンのシリコンバレーといわれるこの地域にあるすし屋だけのことはある。
ついでに、店の前にアップルと、一軒置いてマイクロソフトショップががあるだけのことはある。

ところでこのスシ・ゴー・ラウンドという言い方。
回転寿司のことを「ベルト・コンベアード・スシ」とも言いますが、
メリーゴーラウンドみたいなこちらのほうが気が利いていますね。

さて、それでは一応お品書きも見てみましょうか。



ここでいちいち突っ込んでは話が進まないけどとりあえず言わせてもらう。

味噌汁にハラペーニョ(メキシコの青唐辛子)を入れるな。

酢の物にアボカドを入れるな。

去年のエントリで、「だし昆布を一度くぐらせただけで変わる味噌汁の味が、
日本人以外にはどうやらまったく知覚できないらしい」

と書いたわけですが、だし昆布どころかハラペーニョ・・・。
舌がしびれるほど辛いハラペーニョを入れたら、だしの味もなにも全くわからないだろうがっ!

ところでここは「ジャパニーズ・レストラン」ですから、一品もの、
たとえば日本のすし屋ではお目にかかれない「チキン」などもあります。
息子が食べたいというのでチキンを注文してみたのですが、
ウェイトレスのお姉さん

「テリヤキか”あんてぃくちょ”かどちらになさいますか」

わあーーーーっつ?(ディスピカブル・ミーのミニヨンの声で)

アンティクチョってなんですか?
メニューを見ていただけれはお分かりですが、これは「レモン・チリソース」。
すでにジャパニーズとは地球半回転近く離れてるし。

ハラペーニョと言い、あんてぃくちょと言い、メニューのSUNOMONOの前に付けられた
JO(意味は分からないけどたぶん”ホー”と発音する)と言い、断言するが

オーナーはメキシコ系である。

とスルドくプロファイリングしている間にも、一皿撮ってみることにしました。



キュウリ巻。
これは文字通り「撮っただけ」。
見たところ日本のものと変わりありません。

しかし、どちらにしても味は予想の範囲(というかもう知ってる)ので、
エリス中尉がここで最初に取ったお皿は・・・・



ベトナム風春巻きチリソース添え。

どこがジャパニーズレストランなんだ、と日本人なら思うわけですが、
メキシコ人から見ると、ベトナムも日本も同じような場所にあるのかと。
なぜこれを取ったかというと、こちらのスシはやたらご飯部分が多いので、
炭水化物の取りすぎにならないように&前菜代わりです。

中には紫キャベツ、普通のキャベツ、カニカマ(ここが日本風)入り。

そしてその間にベルトに乗って流れてくるスシ(とそうでないもの)を撮りまくります。



和代ロール。加寿代ロールかもしれません。
カズヨって誰?

蓋が曇っていてよく見えませんが、アメリカ寿司特有の
内側にノリを巻き込んだ巻きずしの上にサーモンを乗せています。

なんかこう、素材があんまりなので、いろいろ足してしまうんでしょうか。



だからドラゴンというネーミングは日本のセンスではないと何度言ったら(略)
巻きずしにさらにネタを乗せるというのはどうやら基本形になってしまっていますね。



このあたりで、もう一つ取ってみることにしました。
ご覧のとおり、ウナギ。

日本ではシラスウナギの捕獲量が激減していて、近々日本産ウナギは
養殖であっても食べられなくなるのではないか、というニュースが最近ありましたが、
アメリカの鰻がどこから来ているのかは謎です。
まあ、おそらく中国産の気味の悪いあの「ウナギモドキ」だと思うんですが、
一回くらいは何ともなかろうと、死んだ気になって取ってみました。

掛けられたタレが超濃厚だったせいで、正体がわかりにくい味でしたが、
取りあえず鰻らしく全体的にまとまっていました。



しかし、少し箸をつけただけで御飯がボロボロ崩れるのは・・・。
ノリで巻いてあるのは「崩れ止め」のためでもあるようです。



トーキョー・サラダ。

サーモンとマグロをきゅうりとレタスと海藻の上に乗せ、ドレッシングをかけて出来上がり。



ここで、息子が頼んだ「テリヤキチキン」が来ました。

盛り付けがなっとらん。

なんというんでしょうかね。
大したレストランでなくても、どんなコンビニ弁当でも、
日本人ならこうは盛り付けないんじゃないかな。
息子によるとチキンそのものは美味しかったということですが。



Bajaとは、これもスペイン語で、「バハ」だと思うのですが、
「高い」とか「長波」など、たくさんの意味があるようでよくわかりませんでした。



フィラデルフィア・ロール。

カリフォルニア・ロールなら知っているが、とおっしゃる方、
あなたはクリームチーズの「フィラデルフィア」をご存知でしょうか。
そう、このロールには、クリームチーズがアボカドと共に巻き込まれています。

うえー、なんだそれ。

と決めつける前に、エリス中尉、清水の舞台から飛び降りたつもりで(←嘘)
一皿取ってみました。

うむ・・・・。

なんといいますか・・・・ご飯にバター掛けたみたいな意外なマッチング。
悪くありません。

銀座の次郎さんは後頭部に筋立てて激怒しそうですが。



息子が「洗濯でもするのか」と突っ込んだ、この「センザイ」。
どこかで聞いた日本語を使用してみたのでしょうが、
日本語で「センザイ」というと、「洗剤」「潜在」「線材」「先在」「千載」、

可能性がありそうなのは・・・・・・・・「前栽」?

確かに、上に乗せられた緑の物体は「前栽」(植え込み)に見えないこともない。
それにしてもこの緑の物体の正体はは、何なのでしょう。



ラッキーロール。

おそらく、具が四種類巻いてあるからだと思われます。
しかし、どうしてアメリカのスシというのはノリを内側に巻くかね。



それにしても、ワサビ、大繁盛である。
スシは最近珍しいものでもなくなってきて、このように普通のショッピングモールに
必ずスシレストランが一つは入っているのですが、
昨日観に行った映画「ディスピカブル・ミー2」(怪盗グルーの月泥棒の続編)でも、
モールに怪しげな名前のスシ屋がありましたし、サメがビーチのスシカウンターに
爆発のショックでどーん!と乗って、板前と客が皆で「いえ~~~!」と
叫ぶというシーンがあったように、アメリカ人の生活には普通に溶け込んでいます。

ゴーラウンド型のショップは、フロア従業員の数を減らせるし、子供も喜ぶし、
食べたいものを取ってすぐ食べる(しかも座ったまま)と、アメリカ人が好む要素が満載なので
きっとこれから増えていくのではないでしょうか。



スィートボテト・天ぷら。
どこが天ぷらでどこがスィートポテトなのかは謎です。
向こうの軍艦巻きに乗った真っ赤な物体は、着色したトビコです。



季節のお奨めは・・・プチトマト乗せ。
内容物はわからず。



去年も突っ込んだ「レインボウ・ロール」。
因みに去年のバージョンは「レインボー巻」と称するものです。
比較のために去年の映像をどうぞ。



一応ネタがグラデーションしていますね。
今年は手間がかかるので簡易化されたようです。



ネームバンドがひっくり返っておる。

しかし、突っ込みどころはそこではないでしょう。
キャタピラー、つまり「アオムシ」「イモムシ」です。

確かにここアメリカは、エリックカールの「はらぺこあおむし」を生んだ国で
あおむしくんは子供にはおなじみのキャラクター。
もちろん日本でも「はらぺこあおむし」はほとんどの幼児が読んで育つのですが、

「あー!あおむしくんだー!」
「マミー、あおむしくん食べたい!あおむし取って!」
「あら、ほんとねー、かわいいわねー。はい、エリック」
「わーい。あおむしくん美味しいなあ」

というほのぼのした親子のやり取りがアメリカならありうるというのであろうか。
あおむしくん、たしかに絵本では可愛いですが、
何もここまで形態を食べ物で再現しなくてもとおもうのはわたしだけでしょうか。
しかも外側みんなアボカドだし。



Oishiii Cake。おいしいケーキ。

息子とわたしが一番ウケたのがこれ。

ここは一歩突っ込んで
「Maa-maa no Cake」「Bochi-Bochi no Cake」「Oshii Cake」
など、いろんなバージョンがあるといいと思いました。

因みにメニューには「Fijiyama Cake」もありますが(どんな形か想像はつく)
残念ながらパティシエが作っていないらしく、流れてくることはありませんでした。



というわけでドキドキのお勘定。
お皿の色で値段が決まっているというシステムは日本と同じ。

Thank you!という字と共に、アンダーラインを引いているのは、
15パーセントチップなら4.58ドル、20パーセントくれるなら6.10ドルだからね!
あんたたち、英語がアヤシイからおそらく観光客だと思うけど、ここはアメリカだから
チップはちゃんと払ってね!
わたしはチップで生活してるんだから、ということを訴えているのです。

「ママ、チップいくらにするの」
「40ドルでお釣り無し、でいいんじゃない」
「7ドル36もチップか・・。多くない?」
「チップっていうのはね。『いかに楽しませてもらったか』ということの表れなの。
だからいいのよ。これだけ楽しませてもらったんだから多くない」

わたしの場合、ブログのネタにさせてもらうわけだしね、という言葉を飲み込んで、
毎年一度はここを訪れ、アメリカのスシ事情をチェックすることを心に誓ったエリス中尉でした。


決して美味しくない、というのが問題と言えば少し(かなり?)問題ですが。










ボストン生活いろいろ

2013-07-11 | アメリカ

今いる町は、ボストンを国道90(マサチューセッツ・ターンパイク、略称マス・パイク)
で30分ほど西に向かって行った、フラミンガムというところです。

例年ボストンは6月がベストシーズンと言われ、あまり雨も降らず、
暑くも寒くもない日が続きますが、何年に一回かは日本の梅雨のように雨の日が続きます。

今年は朝の間蒸し暑い曇天で、ときどきシャワーを降らせて夕方には晴れる
気まぐれなお天気が続きました。
しかし、例年独立記念日の日は今まで一度も不思議なくらい雨が降ったことがありません。

TOは東部の大学に留学していたのですが、卒業式の日、開校以来一度も卒業式に
降ったことがなかった雨が朝から降り続き、卒業生が集まると「あれは酷い卒業式だった」
と話のタネになるくらいの大雨の荒天となってしまいました。

卒業生のかぶる四角い学帽は雨を吸って四方が垂れ下がり、ガウンは鉛のように重くなり、
おかげで卒業式の後写真を撮りに行く計画も中止です。
学生の家族は、この日のために全米どころか世界中から集結してきているのに、
雨を避けて学内の校舎に避難し、何が起こっているかわからないまま無為な時間を潰しました。

何百年も降らなかったのになぜその一回が我々の年なのか、
と当事者たちは案外あとから笑い話にしていますが。

さて、今年、日本は記録的な暑い夏に突入しているようですね。
皆さまお元気にお過ごしでしょうか。

ここボストンもヒートウェイブで、7月になるなり日中は陽射しが照り付け、
昼間外を歩くのは自殺行為というくらいの暑さです。

ただ、蒸し暑くなると必ず雨が降り、多少は湿度が下がるので、
特に夜などは涼しく、その点マシと言えばマシです。

ボストンに着いて二週間が経過。
すでに予定の半分が過ぎました。

今日はこのあたりの街とここで見たものをご紹介します。



息子の学校の向かいにある図書館。
なんだかやたらと風格があります。



と思ったら、なんと1852年(息子の学校は1866年創立)設立でした。
もちろん、この建物も、です。
1852年ったらあなた、ペリーの黒船来航の年ですからね。
嘉永5年に作られた建物を展示以外で利用している例が、日本にあります?


この裏手に、去年写真を挙げた独立戦争戦士の碑と、墓所があります。



広い道に広い空。
買い物によく行くウェルズリーという町の商店街です。



町の中心にある立派な教会。
この前には古い墓石だけがあるグレイブヤードがあり、
独立戦争の戦死者の墓石には7月4日になると国旗が立てられます。



全米でも有名な超難関女子大学、ウェルズリー大学の正門。
ラドクリフ、ヴァッサー、スミス、バーナード、ブリン・モア、マウント・ホリヨーク。
これらと並ぶ「セブン・シスターズ」の一員です。

気のせいか、このあたりを歩いているお嬢さん方はタンクトップにショートパンツという
女子大生定番のラフなスタイルにもかかわらず、知的な雰囲気を持っています。

ヒラリークリントン、マデレーン・オルブライト(元国務長官)、ついでにあの宋美齢という、
錚々たる卒業生を輩出しており、学生のほとんどが5位以内の成績で高校を卒業しているとか。



成績と言えば、公文(笑)。
公文式学習が日本発祥であることを知らない人は多いです。
KUMONというロゴの下には、

Math. Reading. Success.

と書かれています。
公文学習をするのはアメリカでも東洋系、特に中国系の子供が多いとか。
しかしこのあたりはボストンのシリコンバレーというべき地域なので、
一度こことは別の公文教室を覗いてみたら、インド人も多数でした。



ここにはこのような企業本社もあります。




エリス中尉のメインお買いものスポット、ニューベリーストリート。



大昔はすべて民家だったのだろうと思うのですが、今では通りに面した一階、
そして正面から上がっていける二階まではすべて店舗が入っています。

ただし、一階といってもすべてのお店が「半地下」にあるのが特徴。
二階は階段を数段上がったところにある「半一階」です。



前面は所有者のセンスでこのように緑をアレンジして往く人の目を楽しませてくれます。
ここは「ヘンプ」(麻の原材料)というオーガニック系のクロスの店なので、
特にこのような自然っぽい演出をしていると思われます。



眼鏡屋さん。

三階から上は正面から入ることはできず、裏にある居住区入口から入ります。
この辺に住むのはボストニアンのちょっとしたステイタスで、たとえビルが
100年前のもので排水管はしょっちゅう詰まり、猫の大きさのネズミが大きな顔をしていても
この街並みを壊すことになる改築は絶対にしようとしません。

ボストン弁護士事務所で働く若い女性が主人公だった「アリー・マクビール」(アリー・マイラブ)
では、最後にアリーがこのニューベリーストリートのアパートメントを購入し、
同僚弁護士が皆で手伝ってペンキを塗るシーンがありました。

というわけで、週末ならずともいつも人でにぎわっているこの周辺、
車で来ると駐車スペースを見つけるのが大変です。



スペースを見つけ空いている!と思って止め、チケットを買ったのに、
そこが「商業車用スペース」「この辺の居住者専用スペース」だったりすると
あっという間に警察が来てチケットを貼っていきます。

このスバルは、どうもパーキングチケットすら貼っていなかったので切符を切られたようでした。

わたしはこのあたりに来るときは最初から民間のパーキングに入れてしまいます。
昔、商業車スペースと知らず停めて、やられたことがあるからです。

歩いていると、すずめがいたので「すずめ食堂ボストン支店」。
餌やってませんが。



こうして見ると、比較的きれいだと言われるこの通りも、吸い殻のポイ捨てが酷い。
銀座などに行くと、世界の人が清潔なのに驚愕すると言いますが、
アメリカでこれなのだからそれも当然かもしれませんね。

で、ボストンのすずめさんなのですが、



びっくり。頭が・・・・・・・・・グレーです。

すずめには違いないんですが、見慣れた日本のすずめとはずいぶん違いますね。
彼らは動きが素早いので、わたしも写真を撮ってみて初めて
こちらのすずめがこんな羽色をしていることを知りました。

調べたところ、もともとアメリカ大陸にスズメはいなかったのですが、
ニューヨークにイギリスから害虫駆除の目的で持ち込まれたスズメの子孫で、
「イエスズメ」(House Sparrow)という種類なのだそうです。
喉に黒い模様があり、色がはっきりしているのでこれはオス。

このスズメさん、いまは全米展開しているのですが、どうやって広がったかというと、
穀物を運ぶ汽車に便乗していったのだそうですよ。
自力で飛ぶより、そちらの方が楽ですよね。

都会では人間の出したごみで生きているため、feathered mouse(羽ねずみ)とか
Hamburger sparrow(ハンバーガースズメ)などと不名誉な名前も持っているそうです。

アメリカでは大抵の鳥を法律で保護していますが、このイエスズメだけが保護されていない
唯一の鳥なのだということです。
なんだか勝手に連れてきてそれはないんじゃないか?という気もしますが、それだけ
繁殖力が強く、ほっといても増えるっていうことなんでしょうね。



鳥が出ついでに、公園の水際でカニを取ろうとしていた鳥。
カラスみたいですが、大きさはせいぜいツグミくらいです。



くちばしも脚もこれだけ真っ黒なのだから、ブラックバードというのではないかと
検索してみたら、出てくるのはSR-71戦闘機の写真ばかり・・・・。

確かに似てますが、この愛嬌のある顔の鳥さん、なんだろう。
大きさはスズメと鳩の間くらいです。



そして、おなじみホプキントン州立公園のガチョウ艦隊。



立ち止まって写真を撮っていると、一羽が振り向き・・・



皆でガン見。
写真に撮るまでこんなに見られているとは気づきませんでした。


 

ついでに、公園の松林で見つけたキノコ。
松林にこうやって生えているんだから、これ、マツタケっていうのかしら。



ニューベリーストリートに戻ります。
古い建物が延々とつ続くこの通りの端が奥に見える建物。
昔バークリー音楽院の何かの部門が入っていたと思うのですが、
今は知りません。



息子の学校の近くの家。
いかにも「アメリカ!」って感じの家。
国旗掲揚台まであって、ポーチにはこれでもかと国旗風の飾りがありますが、
長年の観察によるとここの主人は単に「熱烈なパトリオット」らしい。
夕方になるとポーチのロッキングチェアで新聞を読んでいるおじさんが見えます。


日本の感覚で言うと豪邸ですが、このあたりでは「普通」です。
もっとも、ダウンタウン近くの街に行くともっと家が小さいですし。低所得層のアパートもあり、
ボストン郊外のこの地域は中流層以上が多く住んでいるのかとも思われます。

それにしても、このあたり(しかも広大な地域が)みんなこのレベルの家なので嫌になってしまいます。
アメリカはもうだめだとか経済がとかひとくくりにいうことがいかに馬鹿馬鹿しいか。
庶民の暮らしは豊かで、その中間層は決して貧弱ではないことを、ここにしばらくいるといやでも理解します。

やはり世界一の大国だと、こういう部分で納得せざるを得ません。



完全に入り口を木の枝が塞いでしまうほど放置された廃墟。
ドアは一番左の木のところにあるはずなんですが・・。

ボストンという町は、1852年の建物が現役であることからわかるように保守的で、
とくにここ郊外は変化が少なく、何年来ても廃墟や閉店した店舗が放置されていたりします。
10年間ずっと閉店したっきりのレストランが9号線沿いにあるのですが、今年もやはりそのままでした。

独立記念日と言えば、先日(というか一年前の記事ですが)、独立記念日と
序曲1812年の記事の最後に、「独立記念ケーキ」の写真を出しましたが、
「ここアメリカではこんなケーキが売られています」画像。



素材にこだわっています、

ということで「ケージフリー」すなわち放し飼いの鶏の卵を使っていますよ、と。

ただなあ・・・・いくら放し飼いの鶏の卵でもなんでも、
ケーキそのものにこれだけ色を使うのもどうなのよ、と。

しかもスイカ。
なぜケーキなのにスイカ。
夏だから?



まあ・・・・ほとんどがチョコレートの色だし、
てんとう「虫」がモチーフ、ということを除けば、不思議はないかな。

こちらには「ケーキ・ボス」という、連続ドキュメンタリーものがあって、
主人公はニューヨークかどこかのイタリア系のケーキ職人の家。

ピアノや自動車、ボーリングのピンとボール、草木は勿論銅像ならぬ「ケーキ像」。
「美味しいかどうかより、いかに受けるかだぜ!」
みたいなケーキを作っている職人一家の周辺を描くシリーズなのですが、
この番組、いつ見ても作っている肝心のケーキが全く美味しそうに見えないのが問題です。

こういう普通のお店のケーキを見てもわかるように、こちらの人は基本的に
味というものは「甘いか甘くないか」という判断しか無いようなので、
特にパーティなどでもこういう変わった形のケーキを択ぶ傾向にあります。

「ケーキ・ボス」も、味に全く言及はせず、ひたすらケーキという素材で森羅万象を
再現する、ということにのみ心血を注いでおります。

アメリカ人にとって、ケーキとはなんなのか。
こういったケーキを見ると、そんな疑問が湧いてくるのを抑えることができません。




比較的まともなケーキも少しはありますが、
まっ黄色のピースマークケーキなど、どこをどう見たら「美味しそう」に結びつくのか。

この写真を撮ったのは独立記念日の次の日だったので、まだケーキが残っていて、
赤と青のクリームというのは皆そのためにつくられたものです。

色もさることながら、どれもこれも日本人のセンスからはとても
プロの仕事とは言い難いものばかり。

しかし、ここはホールフーズ。
全米展開している「オーガニックスーパーマーケット」なのです。
そのホールフーズでこれなのですから、普通の、たとえばスターマーケットなんていう
ところのケーキになると、ショッキングピンクやグリーン、スカイブルーに写真の転写、
一層歯止めが利かなくなって、もうカオスといった状態になります。





そんな味音痴のアメリカ人に大人気のスシについて、
今年も突撃レポートをそのうちご報告しますので、お楽しみに。





アメリカの報道によるアシアナ航空墜落事故

2013-07-10 | アメリカ

7月8日、サンフランシスコ空港にアシアナ航空のボーイング777が墜落し、
乗客二人が死亡した事故は、ここアメリカでも連日報道されています。



事故後ほぼ1日、空港は使用禁止になり、空港で夜を明かした利用客もいたのとのこと。
この後われわれは後半西海岸で過ごすのですが、到着予定が
そのサンフランシスコ空港であるだけに、不謹慎かもしれませんが
そのときでなくてよかった、と胸をなでおろしながら繰り返される映像を見ています。

 

テレビでは事故当時の様子と、パイロットの飛行時間が43時間しかなかったことを
繰り返しており、また死亡したのが「チャイニーズ・スクールガール」であると言っています。

 

乗客がカートまで持ち出して避難している様子が、やはり避難する乗客の撮った
携帯メールでこれも流れていたのですが、現場はこれを制止する者もないほど
混乱していたということなのでしょう。


この事故を起こしたアシアナ航空は韓国の航空会社ですが、その韓国で
このニュースを伝えたキャスターがとんでもない非常識発言をしたことが、
ここアメリカでも話題になっています。

”Anger After Newscaster Calls Chinese Crash Deaths a ‘Relief’”

これがタイトル。
「ニュースキャスターが中国人の事故死亡者で『ほっとした』といって怒りを買う」

というところでしょうか。

“We just received an update that
the two dead are assumed to be Chinese….

We can say it is a relief at least for us,”

(たった今入った最新情報によると、二人の死者は中国人とのことです。
少なくとも私たちにとっては安心したといえるでしょう)

と言ってしまったというのです。


まあ、日本で地震が起これば「天罰」と号外をだし、不心得者の仕業とはいえ
「日本の地震をお祝い」し、日本人になりすまして「ボストンのテロをお祝い」する、
こういう前科のある国ですから、ニュースキャスターがこのような発言をしたとしても
実のところわたしはあまり驚きませんでしたけれど。

これを受けて勿論中国のネット利用者は皆激怒。

How dare they use such an expression?
They proved themselves to be extremely deplorable,”

(なんだってかれらはそんな表現をするんだ?
自分たちが悲惨なことを証明してるじゃないか)

 “ignorant and inhuman thinking."

(無知で非人間的な考えだ)

この件について、発言をしたニュースキャスターのした言い訳が、これ。

“The comment was made to emphasize the fact that there is
no Korean dead in the accident, which is a relief for us.
We apologize for not running the live show smoothly.”

(コメントは、事故によって韓国人が死ななかったという事実を強調したもので、
それが我々に安堵を与えたという意味です。
生放送を円滑に放送できなかったことを謝罪します)

いや・・・・これ、まったく説明になってませんわ。

最近まったくおんなじことを日本のアナウンサーに向かって言った気がするけど、
とにかく謝罪は『生放送でうっかり変なこといってしまったからそのことは謝る』
って、全然、何が問題だったのかわかってないじゃないですかー。

だいたい、それじゃ当初の「問題発言」と全く同じこといってるだけじゃないですかー。

案の定この言い訳に中国人はさらに激怒。

“Is he a human?”
(こいつ人間か?)

“brain-damaged,” “unethical”

(脳みそ腐ってる)(非倫理的)

まあ、このような激しい非難はとどまることなく、炎上の状態です。

自国の航空会社が起こした事故で亡くなったのが自国民でなくてよかった、
という考え自体が、わたしもですがおそらく日本人である皆さんには理解できないでしょう。
日本では海外での事故を報じるメディアが真っ先に
「日本人の関係者はいなかった模様です」
という事務的な「報道」をすることにすら、文句を言う人がいるくらいなのです。

しかし、こんなことを考えることすら不謹慎であるのに、ましてやそれを公言してしまう、
これがいかに非常識かということがこのキャスターも、テレビ局もわかっていないらしい。

もしかして、この国は日常的に日本に対して「愛国無罪」をしすぎて、
世界的な倫理的常識というべき線引きが全くできなくなったのでしょうか。




それにしても、円高による輸出業の壊滅的打撃と言い、日韓スワップ一部打ち切りにより
今後予想される経済的パニックと言い、IMFの査察(ストレステスト)と言い、ポスコ敗訴と言い、
ここのところ韓国には日本から盗んだ仏像の仏罰としかいいようのない試練が降りかかっていましたが、
ここに至ってこの事故です。

乗客の大半が他国人であったこと、事故原因はヒューマンエラーであることから
国家規模の賠償金の請求が予想されます。




しかしそういった、まず目を向けるべき部分を、どうもこの国の国民は直視できないらしい。
(あれ?最近日本のアナウンサーに対して全く同じようなことを書いた気が)

中国メディアを翻訳したこちらのニュースによると

On Monday, much of South Korean media and social networks
focused on the heroic efforts involved in evacuating the plane,
with headlines about how the crew and passengers reacted swiftly,
limiting further casualties.

(月曜日には多くの韓国メディアやソーシャルネットワークは、機内から脱出する際の
英雄的な努力にフォーカスし、ヘッドラインは乗務員や乗客が迅速に反応し、
負傷者を最小にとどめたかを伝えた)

“The 10-Minute Miracle,”
was the headline on South Korea’s biggest national daily newspaper,
The Chosun Ilbo.

(”10分間の軌跡”
これが韓国大手の新聞、朝鮮日報のヘッドラインである)

“Asiana cabin crew’s professionalism,
courage and sacrifice gave me warmth and made me cry.”

(《ある韓国人の感想》アシアナのクルーのプロ意識、
勇気と自己犠牲には心が熱くなり、涙せずにはいられなかった)

Only one major South Korean daily prominently raised the question
of potential pilot error in the crash,
with a headline on its front page that read:
“Pilot of Crashed Plane Only Had 43 Hours of Flight Experience on B777.”

(墜落事故原因ががパイロットの能力に起因しているという疑問を呈した新聞社は
たった一つで、そのヘッドラインと第一面で
『事故機のパイロットのB777の操縦経験はたった43時間だった』と報じている)


あまりきちんと訳せてないかもしれませんが、だいたいこんな感じです。




ここアメリカでのニュースは、パイロットの経験が非常に浅かったこと、そして、
自動着陸誘導装置(ILS)が切られて、手動で着陸することになっていたこと、
管制塔の呼びかけに対しパイロットの答えがほとんど聞き取れなかったことを言っています。

事故機を操縦していたのは副機長で、B777の操縦経験を積むための「慣熟飛行」、
さらには指導していた機長の方は先月15日に教官の資格を取ったばかりで
教官として乗務するのは初めてだったそうです。

事故の状況から、教官である機長が機体の速度が落ちていることに気付けず、
リカバーのための操作をできなかったのが最も重要な問題だという話もでているようです。


しかし、韓国国内のメディアと国民が、死亡者を「自国民でなくて良かった」とし、
「犠牲者がたった二人で済んだこと」を、乗務員の「勇気」のおかげ、と称えるのとは
全く別の話もちらほら聞こえてきています。


産経新聞はこの脱出の様子をこう報じています。

CNNテレビ(同)によると、乗客のエリオット・ストーンさんは、不時着直後に、機長から
「皆さん、落ち着いてください」というアナウンスがあったと振り返った。
しかし、多くの乗客は、すぐにベルトを外して、
緊急脱出用のシューターも配備されていないドアから一目散に外へ飛び出したという。


脱出時に荷物を持ち出すのは厳密に禁止されていると思うのですが、
荷物どころかカートまで乗客は引っ張っていましたからね。
そして、乗務員のうち「7人がショックで失神していた」
というニュースもどこかで見ましたし、
「ろっ骨を骨折しながら非常ドアを開けた乗客(アメリカ人)もいたということです。

しかし結果よければ、というのか、こちらのニュースでもどちらかというと
乗客乗務員に批判的な報道は抑えられ、「冷静に振る舞ったのでそれが幸いした」
という論調になってきています。


わたしはふと、911の同時多発テロのとき、みずほ銀行の行員たちが一階まで事故後
非常に迅速に避難したのに、ビルの警備員に「隣のビルだから戻れ」
と言われて「素直に従ってしまい、結局ビルが崩壊して殉難した」という話を思い出しました。

この事故がもし日本の航空会社で、乗客が日本人だったら、おそらく乗務員の指示に
おとなしく従って、ほとんどは座席にじっとしていたのではないでしょうか。
それが吉と出るか凶と出るかは、これまた仮定の話なので何とも言えませんが。



航空機事故は一般に「魔の11分」と言われ、そのほとんどが

離陸時の3分と着陸時の8分

に起きていると言われます。
そして、ひとたび事故が起こったとき、地上では90秒以内に全員を脱出させること
安全のために求められているそうです。

これを「90秒ルール」というのだそうですが、今回、乗客のほとんどが中国人で
「我先に」脱出したことが幸いして被害が少なかったと言えなくもありません。

まあもっとも、日本の航空会社だったら、おそらく乗務員は迅速に、かつ冷静に
乗客全てを90秒以内に脱出させることができたとわたしは信じていますし、
彼女らは少なくとも事故のショックで失神などしなかったであろうとも思っていますが。


これを書いている2時間くらい前に出されたロイター通信によると、同機は着陸時に
目標を25パーセント下回る速度で飛行し、機体後部が滑走路前の防波堤に衝突、
機体の破片は海に散乱している、ということを明らかにしたようです。

そして同ニュースでアシアナ航空の社長が会見をしたことも報じられていますが、なんと

「すべての運行責任は教官を務めた機長にある」

と明言したそうで。

どんな原因の事故でも、とにかく最高責任者が責任を負う発言に終始するのが日本企業です。

もし航空事故が起こったら、日本の企業ならとにかくトップが「申し訳ありませんでした」
と最初に会社として事故そのものに頭を下げたりするのですが、

・・・・・・・この国のトップは、こういうこと言っちゃうんですね。


どうしてなったばかりの教官と、機体に全く慣れていない副機長が組んだのかとか、
そのシフトに何か問題はなかったのかとか、そういう原因追及をすることなく、
まず一切会社は関係ない、と。


状況から見てこの事故の原因は副機長のミスとそれをリカバーできなかった機長であることは
ほぼ間違いないんでしょうが、このあたりも「死んだのが韓国人でなくてよかった」という
発言と同じく、我々からは少し理解しがたい感覚に思われます。

いや、決して嫌味とかではなく。



亡くなった中国人の16歳と17歳の少女たちは、サンフランシスコで
2週間の語学研修のためのサマーキャンプを予定していたのだそうです。

まだ人生これからというときに・・・。

心からご冥福をお祈りしたいと思います。


ところで日本のマスコミはほとんどが当初「事故原因は機体の不具合」という論調だったそうですが、
これはやはり、この間のB787と同じ構図と考えてOK?

この、アシアナ航空社長の
「全責任は機長にある」
という発言をメディア各位はちゃんと同じくらいの時間を割いて報道するんでしょうね?








ボストン到着

2013-06-26 | アメリカ

というわけで比較的トラブルもなく(当社比)ローガン空港に到着。
先日ボストンマラソンでテロが起こったとき真っ先に、
セキュリティチェックがまた厳しくなるなあ、と思ったのですが、
さすがに日本人に対しては全くそのような変化はありませんでした。

そりゃそうです。なんのためのESTAか。
事前にインターネットでパスポートナンバーを申請し14ドル払うだけで、
「成りすましでない日本人」
であることが証明されるのですから、空港職員もESTAホルダーには
雑談しながらでもOK、って感じの手抜き対応です。

バリに行ったとき、ホテルの手配か旅行会社の手配かわかりませんが、
迎えに来た空港職員がわれわれのパスポートを持っていったと思ったら、
「入国審査も金属探知もしなくて結構です」
とそのまま通してもらえたのに心の底から驚いたことがありますが、
このように、菊の御紋のパスポートの威力は絶大。

こういう時に

「この国の国民でよかった」

と、先日我が海上自衛隊に救出されたヒトみたいな感慨を持ちます。
(あのキャスター、もう『自己責任』という言葉が使えなくなりましたね)

さて、わたしと息子がブースの前に立つと、お決まりの「目的は?」
から始まりましたが、息子が「サマーキャンプ」というと、わたしに向かって
「あなたは?」
「えー、ショッピングです」
口から出たのでそのまま言うと、
「ちょww、一か月ずっとショッピングとか」
と笑われ、終わったときには
「買い物楽しんでくださいねー」
とにこやかに送ってもらいました。



空港に到着するとレンタカー会社の送迎バスに乗ります。
ところでわれわれは荷物を大小あわせて6個のトランク+機内販売のプラスティックバッグ、
という移民のような風情で降り立ったもので、来るバス来るバス、
ひとつしか荷物の無い他の利用客が乗って満員になってしまい、
結局二台見送るはめになりました。
というか、三台めに来たバスは無人だったんですけどね。

そして、ハーツ・ゴールデンクラブの掲示板の前に立つと・・・。

ありません。

案の定名前がありません。
そういう事態が全く当たり前、というか、二回に一回は起こること、というのも
アメリカ人がいかにおおざっぱであるかということの証明と言えますが、
こちらも何度もこういう目に遭っていると、もう何とも思わなくなってきます。

「名前が無い場合は横のオフィスに来てください」

オフィスは名前の無かった人たちの列ができています。(といっても三人でしたが)
カウンターで予約番号を見せると

「プリウス希望ですね」
「プリウスがベストだけど、なければニッサンアルティマでもいいですよ」

しばらくコンピュータを叩いていた女性

「この際、メルセデスはいかがですか?レンタル料半額にしますけど」


・・・・・・・・・・・・・・・・デ ジャ ブ ?

なんかこの展開、前にもあったぞ。


もし、あなたが去年の夏から当ブログを読んでくださっていたら、
サンフランシスコのハーツでエリス中尉が車をスイッチしようとしたら
強力にメルセデスをセールスされて借りてしまったことを、
あるいは覚えてくださっているかもしれません。

去年は一応、当初断ってみたりしましたが、
今年は運命(というかハーツゴールドクラブ配車係)には逆らわず、
差額料金を確かめてからあっさりと申し出を受けました。
あまりのレスポンスの早さに、むしろ彼女の方が驚いたくらいです。

しかし、もしかしたらハーツのコンピュータの顧客情報には

「この客はこういうプッシュでアップグレードをしたことがある」

みたいな「カモ・リスト」でもあるのでは、という疑いが芽生えたのも事実です。
そして、もしかして、掲示板にわざと名前を乗せずに事務所に来させて、
ここぞとセールスしましょう、みたいなマニュアルでもあるのかと・・。



まあ、疑い出したらきりがありません。
どちらにしても、わずかな出費の違いで今まで乗ったことのない車を試せるのだから、
こちらとしても大歓迎。
ハーツもこちらもウィンウィンで双方ハッピーです。

荷物を入れていると、カウンターの女性が手が空いたのかわざわざ出てきて

「Do you like it?」

とニコニコしながら聞いてきました。
・・・・・・・・・これ、絶対彼女自身にも何かメリットあったよね(笑)




助手席から息子に撮ってもらったボストン市街。
向こうのビルは「アリー・マイ・ラブ」をご覧になった方なら、
シーンチェンジのときにいつもご覧になっていたスカイスクレーパー。
100年以上経っている建物とこのようなビルが混在するのが、ボストンです。



これも、中は現在も使われています。
中に入ると壁が塗り替えられてピカピカだったりするんですよ。



前回もお見せした、チャールズリバー河畔。
右の方に見えているのがハーヴァード大学の施設です。

 

速度違反を取り締まるパトカーはしょっちゅうパトロールしていて、
通るたびに必ず違反で捕まっている車を見かけます。

アメリカに住みだして、最初に言われたのが、スピード違反で捕まったら

「警官に急いでいたのかと聞かれても、イエスと言ってはいけない」
「免許を持っていても国際免許を出せ」

ということでした。
上は、「急いでいたからスピードを出した」という動機の補強に使われるから、
下は、手続きが面倒なので、放免してくれる警官もいる、という理由だそうです。



映画でもおなじみ、スクールバス。
交通法規のテキストには

「スクールバスが停止していたら、たとえ道の向こうでも停車しなくてはいけない」

という項目があります。(ボストンだけかもしれませんが)




ホテル到着。
去年ここに来たときには改装中で窓が塞がれているなど、
「どうしてそれを予約の段階で掲示しない」
といいたくなったものですが、今年は改装相成って、
ついでにホテルの名前とスタッフまで大量に変わってしまっていました。
ここ何年も同じ従業員に再会し、

「また来たのね!息子さん大きくなったわね」

と歓迎されていたので、少し残念ではあります。



荷物の片づけの途中で一枚。

いつも思うのですが、こういう広いキッチン付きの部屋が、
短期だと日本ではなかなかリーズナブルに借りられませんよね。



このソファですが、ちゃんとしたベッドになります。



片手ですいっと引き上げるだけ。
本物のベッドとこちら、息子とわたしは毎日交代して寝ています。



庭をふと見ると、変わった鳥がいたので、「すずめ食堂」のノリで一枚。



アップにしてみたら、何か咥えていました。
蛾?虫?

取りあえず、今晩からの食糧と生活に必要なものを買いに、
車で15分ほど行ったところにある「ホールフーズ」に行き、
御飯を食べることにしました。



日本食材コーナー。
右下は「たくあん」(ダイコン・ラディッシュ)。
Agar Agarというのは、フレーク状の寒天です。
いつも買っていたイーデン社の「ポン酢」が無くなっていたのが残念。

下の方の「シー・タングル・スナック」は味ノリのことなのですが、
どういうわけか「NORI」と表記しているのに、産地は韓国。
あそこのノリ養殖の実態を知っているので、ここでも手は出せません。
ここはオーガニック・スーパーなので、ある程度信頼のある物しか置かない、
ということになっているのですが、まあ、こんなことまで厳密に調査しないのでしょうね。



ここでの食事はこのサラダバーと、反対のホットバーで、
自分の好きなものを取って、店内のイートインコーナーでいただきます。
手軽で、外食で山のように食べ物が出てきて辟易する小食の日本人には
うってつけのフードバーです。



ライスサラダ(玄米のサラダ)は、お米を野菜のように捉えているアメリカ人ならではの一品。
隣の「ゴールデンセサミトウフ」は、「ミリン」と醤油で味付けしてあり、なかなかです。
向こうに野菜がありますが、ブロッコリーとカリフラワーを生で食べるのだけは、
わたしが郷に入っても従えない習慣の一つです。



泊り客の兄弟が、さっきまでプールで大騒ぎしていたと思ったら、
キャッチボールを窓の前の芝生で始めました。



なぜビーサンを投げる、弟。

この家族も何日間か逗留しているようでした。


ボストンではわたし自身も昔の知り合いに逢ったり、こんな時にしか行けない
ボストン美術館を訪れたり、あるいは今まで知らなかった自然公園を開拓したり、
ショッピングも勿論ですが、自分の仕事以外にも楽しみがたくさんあります。

あと何年来られるかわからないので、今年も精一杯充実の滞在にするつもりです。