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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

宮崎駿監督の"The Rock And The Hard Place"(四面楚歌)

2013-08-17 | 日本のこと

皆さん、スタジオジブリ制作、「風立ちぬ」ご覧になりました?
収益的にはもののけ姫に続くヒットであるとのことで、ネットではすでに
感想やら批判やら影響を報じるニュースが飛び交っています。

宮崎監督が零戦設計者の堀越二郎をモデルにした映画を制作中、
というニュースを知ったとき、わたしは「少しだけ」期待しました。

これまでのジブリ作品、特に「紅の豚」に見られる「戦い」・・・・・、
空中戦をしながら誰も死なない、海賊なのに人を決して殺さない、悪役が悪人ではなく皆善良、
最後の決着は「女を取り合って殴り合い」・・、
おとぎ話としては設定が穏やかでなく、飛行機で戦うという題材の割にはおめでたすぎる。

しかもこういう配慮がありながら、子供に向けたものというわけでもなく、
大人向けのアニメであると制作者自らがいう立ち位置。
底意地の悪い目で見れば、あざとい甘さがにつくのが宮崎作品の特徴です。

わたしは作品としての「紅の豚」を決して嫌いではなく、むしろ好きといってもいいほどですが、
この世界観を設定した宮崎駿監督という人の戦略だけに限って焦点を当てると、
映画を観終わった後の文句なしの「後味の良さ」が、まるで人工甘味料の甘さのように
時間がたつと次第に変質して妙な「エグ味」になるのを感じていました。
 

しかし、零戦製作者の堀越二郎という実在の人物を取り上げたということは、

多くの宮崎作品に共通する、「飛ぶことへの憧れ」に少しは現実を加味したものになるのではないか、
という期待をつい感じさせずにはいられないニュースであり、
この映画の公開を(というかこの映画に対する評価を)心待ちにしていたのも事実です。

いよいよ公開となった注目のこの映画ですが、
わたくし、いまだに観ておりません。(爆)
なぜなら観ようにも日本にいないからで、にもかかわらずわざわざエントリを挙げて
話題にしようとしたのには訳があります。

それは監督の宮崎駿氏が、この映画に先立って「政治的発言」をし、
それがインターネット世論に舌禍をして捉えられたことと、
それが故に氏が陥った「The Rock And The Hard Place」について、
少し述べてみたいと思ったからです。

以下、宮崎監督の書いた問題の「論文」から要約します。

1.戦後の自虐的な文章でいろいろと知るうちに日本が嫌いになった
ただし、自分は思い込むタイプなのでもう少し早く生まれていたら軍国少年になっていたはず

父親は軍需工場の工場長だった
大局観のない人間だった


半藤一利の昭和史でいかに日本がひどい国であるかを知った
親の話を聞いてさらに日本人が嫌いになった
政界のトップは歴史観がなく、勉強もしていない
そんな連中が憲法改正するなんてとんでもない

ヨーロッパから帰ってきたときに日本を見直した
ただしそれは自然が豊かだという点に対してであり日本と日本国民に対してではない

2.いまの政治家は本音を漏らして大騒ぎになると「そんなつもりではない」などという
これも彼らに歴史観がないせいだ

こんな考えのない連中が憲法を改正するのは反対だ
アベノミクスも根拠はないが早晩ダメになるに違いない

3、9条と自衛隊は矛盾するが、職業軍人なんて役人の大群でくだらなくなるものだ
どこにいっても一発の銃弾を打たずに帰ってきた自衛隊は素晴らしい
だから国防軍など反対だ


もし戦火が起こるようなことがあったら、ちゃんとその時に考えて、
憲法条項を変えるか変えないかはわからないけど、
とにかく自衛のために活動しようということにすればいい
立ち上がりは絶対に遅れるけど、自分からは手を出さない、過剰に守らない、
そうしないとこの国の人たちは国際政治に慣れていないから
すぐに手玉にとられてしまう

もし戦争になるにしてもその方がまだましだ

4.「(日本は)悪かったんですよ。
慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、
きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです」

領土問題は、半分に分けるか、あるいは両方で管理すべき

5、かつて日本が膨張したように膨張する国もあるが、そのたびに戦争するわけにいかない
中国の矛盾は中国の問題だから日本が軍備を増強しても関係ないことだ
だから日本の軍備拡張は反対である


マーケット中心の日本の産業構造からは、必ず徴兵制をやれという馬鹿が出てくる
そういうやつはまず自分が行くべきだ
あるいは自分の息子、いなければ娘を兵隊に行かせろ


こんな日本のような立て込んだところで戦争などできない
だから徴兵制は反対である


とほほ・・・・そうではないかと思っていたら、宮崎監督ったら典型的な団塊左翼だったのね。

どの発言も酷い、というか時々まったく意味が分からないのですが特に最後・・・・。

日本は狭くて立て込んでいるので戦争はできない」

って、誰が誰に向かって言ってるの?
スポーツじゃないんだから狭いとか広いとかの問題ではない気が。

だいたい今時の戦争が市街戦で行われることを前提にするっていったい・・・・。



先日元ジャーナリストが、ツィッターで批判され「私にケンカを売るとは10年早い」
と論破されたのを認めようともしないで言い放ったのが話題になっていましたが、
どうしてこの年代の人たちって自分と異なる意見を持つ人たちに向かって

「勉強していない」「歴史認識がない」

とか決めつけますかね。
どこかで聞いたと思ったら、まるで「お隣の国」の言い分ではないですか。

この手の意見に共通するのは戦後、日本がいかに悪かったかを叩き込まれ、その後
どのような歴史関係の資料を見てもそのインプリンティングから「日本原罪論」
の視点からしかすべてを見られなくなってしまっているということでしょう


ジブリのプロデューサーの鈴木某という人物も同じ媒体にやはり論文を上梓していますが、
これがまた宮崎監督に輪をかけて・・・・・な人物。

「僕、憲法9条を持っているって、海外の人はほとんど知らないと思う。
だって自衛隊があるしね。そっちを知っているわけでしょう。
だから日本が世界にアピールするとしたら、9条ですよね。
これだけの平和は、9条が無ければありえなかったわけですから。

日本には美しい森林もある。

自分の国は自分で守るという考え方もあるでしょうが、
平和憲法を持ち、
森と水がきれいな国をね、みんな侵せますか。

そこへ侵略する国があったら、世界の非難を受ける時代でしょ。

現代って、一国の暴走に世論がブレーキをかける時代なんです」

いやはや。

いい歳のおっさんが、この少女のような夢見がちなお花畑発言。
あまりにもおめでたすぎて、頭がくらくらしてきそうです。

きりがないのでいちいちまともに取り合うのはやめますが、この鈴木さんによると

「『紅の豚』は国のために戦ってその虚しさから豚になった男がテーマ」

なんだそうで。
へー。道理で後味が悪いと思った(笑) 


さて、この映画公開に先立ち、韓国の記者会見で宮崎監督が同じようなことをに述べたところ、

韓国人たちは狂喜し、その時は宮崎を絶賛する意見が溢れたと言います。

なぜ、宮崎はわざわざ韓国に向かってこのような政治発言をする必要があったのでしょうか。

それはなんといっても、それが日ごろからの監督の政治信条であるという以上に、今回、
「風立ちぬ」が、韓国で日本に遅れること一か月後に公開される予定があったからでしょう。
どこの国でもやったことのないジブリ展も先駆けて催されました。

これは、今回の主人公が日本の戦闘機を設計した実在の人物である、ということで、
予め「反省する良心的日本人」としての自分の立ち位置を韓国人にアピールして 
映画の公開に好意的な感触を得ようという宮崎監督の「商業的戦略」だったと思われます。

ところが、案の定、日本のすることすべて憎く、なにに対しても「戦犯」という言葉を
ぶつけなくては最近収まらなくなっている態の韓国では、
宮崎監督の思惑に反して、盛大なバッシングと上映反対の声が起こり始めました。
このような内容です。


「どんなに美化しても堀越二郎は自分が作ったゼロ戦が日本軍の大勝に寄与したことに
自負心を持った人物という点には変わりなく、これに対する批判と反省が見られない」

戦争惨禍を扱う映画なのにその原因については徹底して沈黙する。
明白な日本自国民の自衛用右翼映画だ。
過去の謝罪発言をしたからといって宮崎のこういう欺瞞的態度への免罪符にはならない」

などなど。 

宮崎監督はさぞ面食らったでしょう。
韓国人というのがどういうメンタリティの国民か、あの年代ならよく御存じだと思うのですが、
ここまで政治的に歓心を買う発言をしたのに「右翼」呼ばわりされるとまでは
さすがの左巻き脳でもおそらく想像すらできなかったのかもしれません。

本当にざま・・・・いや、ご苦労様なことですが、とりあえずあわてて、
監督は再び記者会見を(わざわざ)開き、弁解にこれ努めました。

「戦争の時代を一生懸命に生きた人が断罪されてもいいのかと疑問を感じた」

そしてさらには

「堀越は軍の要求に抵抗して生きた人物だ」

などという我田引水の嘘八百な言い訳まで・・・。


韓国の人たちはね。
どう生きた人物であろうが、日本人である限り我々を、そして我々の父祖までもを断罪するんですよ。
過去も現在も、ついでに未来永劫、日本を否定し続けるつもりなんですよ。
知らなかったんですか監督?


日本人には、決着済みの歴史問題に対し謝れとか領土を半分くれてやれなどと言って
嫌われ、韓国人にはそれでも右翼だ戦争美化だと弾劾され、
これが本当の”The Rock And The Hard Place"(板挟み)ってやつ?

「シンプソンズ」を観ていて、



ホーマー・シンプソンがこんな目に合っているシーンを観ていたら息子が
The Rock And The Hard Placeって成語なんだよ」と教えてくれ、
またもやどうでもいい英語のボキャブラリーだけが増えてしまったわけですが、
まさにこれが宮崎監督の今の状況だなあと微笑ましく思った次第です。


まあそもそも、煮しめたような団塊左翼のくせに兵器オタクというのが矛盾なんですよね。
この人の場合。

公開が始まる前、読者の方が、宮崎作品の「兵器へのこだわり」について、
こんな一文を寄せてくださっています。


子供の頃見た「あの」NHKアニメ「未来少年コナン」で表現される機銃・艦砲の発砲シーンに
発射される「弾」を、ちゃんと「弾」として表現しているのを見て「この人・・・出来る!!」
とこれが最初の宮崎さんへの記憶でした。
「ギガント」(解ります?)の機体各所銃座の射撃シーンなど、
「おぉー、WW2の爆撃機の銃座みたい!」と、更に氏への賞賛を高めた記憶が有ります。

わたしにはさっぱりわかりませんが、そうなのだそうです。
さらに、

ネット等で見かける映画のポスター、
主人公「次郎」と共に描かれている正面からの機影(逆ガル翼)は、
この映画の主役ともいえる?、十二試艦戦「零戦」の前の、
「96式艦戦」、の試作型「九試単戦(昭和9年度発注だったかな?)」ですね。
と言う事は、発注者は当然、「帝国日本海軍」。

なるほど。筋金入りですね。

兵器オタクの宮崎さんとしては、人生最後に自分の夢であった兵器が
(背景とはいえ)バンバン出てくる映画を作りたい。
しかし、それを作るには戦争を、そして結果として、兵器というものが
いつも自分が言っているところの「酷いこと」をするための道具であることを無視できない。

全くの二律背反なのですが、出発点ですでにこの人物は矛盾してたんですね。
マスコミはこのことに決して触れませんが、若いころは東映動画の労組の委員長。
筋金入りの左翼活動家であったというのですから。


そして本人には不本意でしょうが、堀越二郎の
「美しい飛行機を作りたい」「そんな重い飛行機じゃだめだ」という理想主義が、
零戦の、防備のない、搭乗員の命を失わせる仕様につながった、という矛盾と
宮崎監督の嗜好と思想の矛盾は、まるで同じ構図に思われるのです。

ところでタイトルの"The Rock And The Hard Place"が板挟みという意味なら
(四面楚歌)という訳はおかしくないか、と思ったあなた、あなたは正しい。

この映画、上映が始まってすぐに

「子供を連れて行ったら退屈して泣き出した。
トトロのようなキャラが出てこない」


という従来のジブリから勝手に「アニメだから子供向き」と思い込む人たちの
批判があがりました。

それが収まったと思ったら今度は思わぬところから矢が飛んできます。
なんと日本禁煙学界からの

教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、
高級リゾートホテルのレストラン内での喫煙場面など、数え上げれば枚挙にいとまがない。
主人公が病室で結核患者の妻の横で喫煙するシーンや、
学生が“もらいタバコ”をするシーンは特に問題だ。
さまざまな場面での喫煙シーンがこども達に与える影響は無視できない。

というクレームで、良くも悪くもジブリ作品の持つ世間への影響の大きさを感じましたが、
まあ、こちらも「そういう時代だったから」「表現法の一つ」ってことにしないと、
画面が煙で真っ白な昔の映画など子供に見せられないってことになっちゃいますよね。

 
どちらも少しジブリにはご無体な批判ではあるのですが、ともかくこれで

前門の「従来の『トトロ』ファン」

後門の「日本禁煙学界」

右手の「保守派右派つまり団塊左翼以外」

左手の「韓国国民」

きれいな四面楚歌状態です。
いったいこの映画を評価するのはどういう人?
ってことになってしまいそうですが。

ついでに声優を嫌い、わざわざ素人の庵野監督を使って声優オタクにも嫌われ、
戦闘シーンもろくにないため飛行機オタクにも嫌われ・・・・。


さあどうする宮崎監督?



(答え:何もしない。どうせマスコミと信者の力で十年もたてば『名作』になっているから)
 


アシアナ航空機事故に思う・真の英雄とは

2013-07-19 | 日本のこと


「差別的な名前を放送したとしてアシアナ航空がテレビ局を訴えた」

ことに対し、一般の声のみならず、アメリカ大手新聞も軒並み非難の声を上げだしました。

ワシントンポストではEric Wempleの意見としてこのような記事を掲載しています。

There’s little question that the KTVU report disparaged Asians
and conveyed false information. That’s unfortunate.
It doesn’t, however, give Asiana Airlines a cause of action against KTVU.

残念だがKTVUがアジア人の名前を間違って報道したことが馬鹿にしているとして、
アシアナがKTVUに対して訴訟をしようとしていることに少々疑問がある。


To win a judgment against the television station,
the airline must prove that the false report so injured
its reputation that it resulted in the loss of business.
That, it will never be able to do.

この裁判に勝つには、航空会社は虚偽の報道がその評判を傷つけ、
どれだけの企業損害を被ったかを証明しなければならない。
そかし、それは不可能であろう。

If Asiana Airlines suffers a loss of business these days,
what will have been the cause? We’ll throw out two options:

1) A crash after an Asiana aircraft approached
San Francisco International Airport too slowly, leaving three people dead.

2) A roughly 30-second report on a local TV station
using fake pilot names for the flight.

Tough call there.



もしアシアナ航空の収益が何日か以内に激減したとしても、
その原因は何だろうか?
我々は二つの選択肢を挙げてみたい。


1)サンフランシスコ空港でアシアナ航空機があまりにも低速で侵入し、
その後墜落して三人が死んだこと

2)地方テレビ局が偽のパイロットの名前を約30秒報道したこと

難しい問題だ。

Consider, too, that the KTVU report in question made no allegations
about how the airline operated; it merely read off four names —
‐wrong names, to be sure, but names! What’s defamatory about names?
The racial insensitivity in the broadcast, too, is fully protected under U.S. law,
notes attorney Jeffrey Pyle, a partner in the Boston-based firm Prince Lobel Tye LLP.
“There’s no legal claim that you have against somebody
for being unintentionally racist or intentionally racist,” says Pyle.

考えても見てほしい。
KTVUの報道はどのように航空機が操作されたかという点で全く疑問の提示にもならない。
ただ4人の間違った名前を、繰り返すが名前を読んだだけなのだ!
この名前のどこが中傷的だというのだ。
報道における人種的区別をしないことももまた、米国では法の下で完全に保障されている。
ボストンにある弁護士事務所のパートナー弁護士ジェフリー・パイル氏は云う。

「確信犯的レイシストか確信してのレイシストかに対して訴える法律はない」


つまり、法に訴えても勝ち目はない、と弁護士が言っているわけです。
またロスアンジェルス・タイムズの社説は

"It's not going to change anything in the minds of passengers or
in the minds of the flying public," he said.
"As offensive as what the TV station did was, and unacceptable,
we're talking mountains and molehills here —
people dying versus people getting offended."

こんなことをしても乗客や航空関係者の心証はまったくかわらないだろう。
テレビ局のしたことを不適当だとして攻撃的になればなるほど、
我々は人が死んだことと腹が立つということのあいだには大きな違いがあると思うだけだ。


事故が起こったほとんどその直後に、以前にもお伝えしたようにアシアナ航空は
一人のCAをテレビの前に立たせ、インタビューさせました。
事故の概要もまだ判明していないこの時点で得々と自分の活躍を語り、
韓国と日本のメディアが「英雄」とこれを称えました。

確かに「ここアメリカのメディアにも「小さいCAが自分より大きな乗客を背負っていた、
という証言が報じられているのは事実です。

しかし、一面こんな証言も「公平に」取り上げられています。

Flight crew seemed surprise by crash
(乗務員は墜落に動転していた)

というヘッドラインの記事では、生存者のアメリカ人がこのような現状を語りました。

「彼らは一言で言って『完璧に圧倒されてしまっていた』。
わたしの言う意味は、彼らがこの事故を全く想定外だと思っていたらしいということだ。
つまり、動ける者とそうでない者、(乗客は)お互いが助け合わなばならなかったということだ。

多少の混乱はあった。
しかし我々は極めて早くお互いを落ち着かせ合って、実際に脱出を始めた。
押しあう者も、倒れた誰かを踏んでいくようなこともなかった。
物凄く敏速にことは行われたという気がする」

「わたしはサンフランシスコ空港には何度も訪れているが、あの時思ったのは
いつもより異常に海が近いなということだった。

海は見えたが滑走路は全く見えず、機首が上を向いているのがわかった。
おかしいとは思ったが、パイロットがそういうつもりでやっているのだと思っていた。
でもそれがおかしかったってことだね。
そのあと駐機場にぶつかったんだから」

「最後の人々が脱出を始めたときに煙と火が起こった。続いて爆発も。
死者が少なくて済んだのは、ただ幸運だっただけとしか言いようが無い。
火が出るのが遅く、私たちは迅速に行動した、理由はそれだけだよ」


勇気あるアシアナ航空のCAの働きについては全く触れず、ただ

「彼らは呆然としていた」
「わたしたちは彼らの助けではなく自分たちで協力し合って助かった」
「死者が少なかったのは出火が遅かったから、それだけだ」

と言っているわけです。

前回「アシアナ事故でCAの英雄譚はどのように報じられているか」で、
CAを英雄と称える声もある、が、実際には機内の最後の負傷者を助けたのは
地元の消防局の隊長(日本の報道では警察となっているが、インタビュ―されたのは消防士)
であったという事実についてお伝えしたところ、
「美談としてCAの話を大々的に報道した日本のテレビ局に怒り心頭」
というお便りもいただきました。


「90秒ルール」では、事故後90秒以内に機内から全員を脱出することが
航空業界では定説になっているというのに、この事故で全員が脱出したのは
なんと5分経ってからだったと言います。

しかも乗客によるとCAたちは終始動転して何の役にも立っていなかったと。

乗客生命の安全を確保するのが乗務員の存在意義であり任務であるのに、
実情は決して彼らが乗客にとって心強い存在にもなっていなかったということであり、
上のインタビュイー、ベン・レヴィ氏の発言には、役に立たなかった乗員たちへの
明らかな「苛立たしさ」が含まれているのがおわかりでしょう。

いざ事故が起こったとき、乗務員が傍目にも全く想定外であるかのように動転していたら、
乗客はどんなに不安な気持ちになるものでしょうか。



アシアナ航空が補償金を巡る責任問題を少しでも我が方に利するように

「差別発言を捉えてテレビ局訴訟」
「80人強の乗客が(アシアナ航空ではなく)ボーイングを集団訴訟」

という信じられない「あの手この手」に余念がないということはいまや世界中の認識するところです。
これらは常識を超えて、もはや「捜査の妨害」としか見えません。

このような会社ですから、乗客を背負って逃げたCA(おそらく彼女だけだったのでしょう)
に早々にインタビューさせ、あたかも彼女が勇敢なヒーローであるかのように印象操作したのも
はっきりとこのような意図のもとに計画されたことだったと言われても仕方ありません。



さて。

話は全く変わりますが、わたしは夏前、作家の北康則氏の講演を聴く機会がありました。
北氏は「白洲次郎」の著者でもあるノンフィクション作家ですが、
この日の講演中、自分の任務を、命を賭けてまっとうするのが昔から日本人というものであった、
という話を、幾多の先人の例にひもときながら、北氏はいきなり涙声になりました。

「すみません・・こういう話をしていると、自分で感動してしまって・・・・。
わたしは・・・本当に、こういう日本人が好きで好きでたまらないんです」

自分の任務を果たすのに、そして他者を生かすためにときとして人は、ことに
日本人は自分の命の危険を顧みず行動します。

入間川の河原に墜落したT-33練習機のパイロットたち、
雲仙普賢岳の火砕流に、マスコミを保護するために残って殉職した警察官や消防団員、
踏切に進入した女性を助けて電車にはねられた派出署の警官、
そして何より自分の命が後世の日本人を救うと信じて往った特攻隊の方々。

北氏がこの日名前を挙げて思い出させてくださったそんな英雄の存在がありました。


遠藤未希さん。

東日本大震災で、津波に襲われた南三陸町の庁舎内から、
最後まで避難を呼びかけるアナウンスを続け、その後死亡が確認された女性です。

地震発生の直後から放送が始まり、サイレンに続いて、
危機管理課の職員だった遠藤未希さんは

「震度6弱の地震を観測しました。
津波が予想されますので、高台へ避難して下さい」

と呼びかけていました。
この時点で大津波警報は出ていませんでしたが、
町は独自の判断で津波への警戒呼びかけを行っていたのです。

周囲にいた人の声も収録されていて、大津波警報が出たあと、
津波の高さについて「最大6メートルを入れて」と指示され、未希さんは、
6メートルという情報と「急いで」とか「直ちに」という言葉を呼びかけに付け加えていました。
また、周囲の「潮が引いている」という言葉に反応して
「ただいま、海面に変化が見られます」と臨機応変に対応していたそうです。

津波を目撃したとみられる職員の緊迫した声のあと、未希さんの呼びかけは
「津波が襲来しています」という表現に変わっていましたが、高さについては
「最大で6メートル」という表現が続き、最後の4回だけ「10メートル」に変わっていました。

当時、未希さんたちと一緒に放送を出していた佐藤智係長は
「水門の高さが5.5メートルあり、防災対策庁舎の高さも12メートルあったので、
6メートルならば庁舎を越えるような津波は来ないと思っていた」と話しています。

音声は、なおも放送を続けようとする未希さんの声を遮るように

「上へあがっぺ、未希ちゃん、あがっぺ」

という周囲の制止のことばで終わっていました。
呼びかけは62回で、このうち18回は課長補佐の三浦毅さんが行っていました。
男性の声でも呼びかけて、緊張感を持ってもらおうとしたということです。
三浦さんは今も行方が分かっていません。

この南三陸町の役場には、津波が来たとき屋上に51人が避難し、
膝まで浸かりながらも皆で身を寄せ合って耐えていました。
その後建物は12mの波に飲まれ、波が退いたときに残っていたのは
一段高い非常階段につかまっていた10人だけでした。


この音声を初めて聞いた未希さんの母親の遠藤美恵子さんは

「この放送を聞いて、本当に頑張ったんだと分かりました。
親として子どもを守ってあげられなかったけど、
私たちが未希に守られて、本当にご苦労さまというしかないです」

と話したということです。

未希さんの遺体は震災から約2か月後の5月2日になって、
ようやく確認されました。
結婚したばかりの夫がプレゼントしたミサンガが確認の決め手になりました。

もし、自分の危険も顧みずに任務を果たすことが英雄の条件であるならば、
このような女性を英雄と言わずして何というのでしょうか。

そして、我が子を失いながらその子が職責を果たして死んだことに対し
「ご苦労様」
という言葉を投げかける母親もまた。

アシアナのCAが、実はどのくらい職務に忠実だったかは、
アメリカ人のいくつかの証言によるとかなり疑問が残るのは事実です。
しかも本来乗務員として当然の義務でありながら、それをしたことを
わざわざカメラの前で強調し、またそれをもてはやすメディア。
このような「操作」された美談からは見たくもない裏側の「魂胆」が透けて見えます。


事実このアシアナCAの「英雄譚」は、一部メディアの持ち上げ方とは全く反対に、
アメリカでも、特に今は冷淡に扱われているとわたしは感じています。
「ハドソン川の奇跡」のサレンバーガー機長などと比べても扱いの差は明らかですし。



我が日本には、先日の辛坊氏救出に活躍したUS-2のクルーや
この遠藤未希さんのような、真の英雄と呼ぶべき素晴らしい日本人がいます。

比べるのも失礼な話ですが、そんな方たちを知っているわれわれ日本人は
どんなにメディアが煽ってもこの「英雄」に対してある種の匂いを嗅ぎ取ってしまい、
とても素直に称賛する気になれないというのが本当のところではないでしょうか。






ボストンで出会った「サムライ」

2013-07-17 | 日本のこと


昔ボストンに住んでいた頃、ここ、ボストン美術館の会員資格を持っていました。
下は75ドルから上は天井知らず?のメンバーシップを得ると、
会員証とともに車のウィンドウに貼るシールが送られて来て、
それを内側に貼っておくと駐車場のフィーが無料になり、なんといっても
一年以内であればたとえ毎日来ても無料というシステムでした。

結局思ったほど頻繁には来られなかったので、お得だったかどうかは微妙でしたが。


日本では必ずしもそうではありませんが、一般に美術館というのはどこでも、
広くて明るい空間の広がりが精神をのびやかにさせてくれる効果があります。
このボストン美術館もまさにそのとおりの癒しの空間で、日本に帰ってからも
ボストン滞在の折には必ず一度は訪れて、おなじみの作品を観ることにしています。

世界有数の規模とコレクションを誇るこの美術館は、一日だけではとても回りきれず、
毎年のように来ても「今回も全部観られなかった」と残念な思いが残るのですが。


さて、今年の楽しみは、新しくオープンしたSAMURAI! というコーナーでした。
この、タイトルにわざわざエクスクラメーションが付けられているのは、ほかでもない、
アメリカ人に有名な坂井三郎原作の同タイトル小説「SAMURAI!」からの引用でしょう。


フェノロサとビゲローという日本美術の偉大なコレクターによる収集品が
ここでは「ボストン美術館所蔵」として展示されており、なかでも浮世絵の圧倒的なコレクションが有名です。
今回は侍の鎧、甲冑のコレクションを一挙に公開するとのことでしたが、どうやらコレクションではなく
日本から借りてきたものであるということ。

果たしてアメリカの美術館が「サムライ」をどう展示するのか。

非常に興味深くこの予告を見ていたので着いてすぐに行ってきました。



ナビゲーションが裏道を示したので裏玄関に到着。
勿論ここからでも徒歩で入館することはできます。



メンバーになれば入館料はいらないですよ、と告知するお知らせの横に、
企画展である「SAMURAI!」の幟が。

パーキングは満車だったので迷わず正面玄関のヴァレーサービスを頼みました。
このあたりは都心なので駐車場代が非常に高く、美術館併設の安いパーキングが
もし空いていなかった場合、一律25ドルの民間駐車場しかありません。

それなら最初から同じ料金のヴァレーを利用するのがお得。
このヴァレーサービス、アメリカでは病院、ホテル、レストラン、どこにでもあって、
大抵、独自の業者がやっています。
美術館の真ん前に車を停めるだけで、持って行ってくれ、帰りは同じところまで持ってきてくれます。

駐車場の無い日本の施設でもこれをやればきっと流行るだろうなと思うのですが、
日本は駐車場を確保するのが大変なのか、いまだに見たことがありません。



正面玄関にはもっと大々的に広告。



美術館併設のカフェ。
ここにも「サムライ!」がありますが、ここが特別展の入り口です。



エレベーターは地下に降りる専用。
ここにも「サムライ!」。



 

なんだか不思議なノリのキャラクターが・・・・・・。
アメリカには「萌え」が浸透していないので、どうしてもこういう
かわいくないウサギになってしまうわけですが、
これ、よく見てください。

USAGIMFA

これは「ボストン美術館のウサギ」(Museum of Fine Artsが正式名、略称MFA)
と書いてありますね。
上は

「封印が解かれた侍の秘密」

とでも訳しておきましょうか。
下に何が書いてあるかというと。

伝説のサムライウサギがビデオゲームになって帰ってきた。

「ウサギ・ヨウジンボウ ロウニンの道」

現役合格を目指す学生にはお勧めしたくない縁起の悪い題名ですが、
なにしろこのフリーゲームが右下からダウンロードできるようです。
ボストン美術館にはゲームプログラマーもいるんですね。



階段を下りていくと、スクリーンにはかっこいいビジュアルアートで
サムライのイメージ映像が流されていました。
下のロゴの前ではしゃぎつつ写真を撮っているのは、どうも
台湾からの学生ではないかという気がしました。

美術館というのはいつ来ても他の観光地よりも中国韓国人は少ないものですが、
もし彼らが来ていたとしてもこの企画展には足を運ばないのではないか、と
何となく思ったからです。

我々日本人は、自国の文化がどのように異国で受け入れられているか、
という興味からこういうものを積極的に見る傾向がありますが、中国人は

「よく知っているし、日本の文化は中国が伝えたものだから」(本当にこう言うらしい)

韓国人は

「サムライの起源は韓国だから」(それを主張するために『サウラビ』という映画も作られたことがある)

という具合なので、どちらもこのような企画で日本文化が扱われていること自体、
「面白くない」という感情を無条件に持つのではないかと思われます。

日本憎けりゃ文化も憎い、サムライをアメリカ人が称えるのは面白くない、
そういった低レベルの僻み根性を、全員とは言いませんが多くが持っているということですね。


余談ですが、話のついでに。
中国人観光客は最近世界中で評判が悪いのですが、なかでも美術館での態度が悪く、

「フラッシュ禁止なのに無視してフラッシュをたく」
「展示物の前で写真を撮りあって、いっこうにどかない」
「美術品を触る」
「人を押しのける」
「ガイドの説明を聞かず『中国文明の方がすごい』と大きな声で言ったりする」
「美術品の鑑賞の意味が分からず、難でも金に換算していくらくらいだときいたりする」

という、あいかわらず世界の田舎者ぶりを発揮しているといいます。

とにかくこの日、展示室ではこの台湾の学生以外は東洋系がおらず、
不愉快なものを見ずに済みました。


 

写真にとると大したことはありませんが、実際にはもっと鮮やかで綺麗でした。
「サムライ=ライジングサン」のイメージはここでも健在です。



すべてがガラスケースに納められています。
鎧を全方向から、しかも至近から矯めつ眇めつ見ることが可能。





陣羽織、刀かけ、乗馬用鐙、鉄の笠など。



言わずと知れた宇治川の源平合戦

川に馬で我先にと歩み入っているのが、佐々木高綱と梶原景季の二人。
二人の乗るのは頼朝から与えられていたいずれも名馬です。
この二人が「宇治川の先陣争い」と言われる競争によって突破口を開き
その働きによって義経軍は勝利をおさめたわけですね。

この時に義経軍が戦っていたのが、木曽義仲です。

(と、ここの説明にそう書いてありました)




各種サムライ・ヘルメット。

どうということのない展示ですが、ライトの当て方が素晴らしく、
展示台の下にできる影がまるでアートのようです。

左から二番目はいわゆる義経型の兜ですね。

 

ちゃんと顎紐まで保存されている、状態のいい兜。

この顎紐を「兜の緒」、または忍緒」(しのびのお)と言います。
勝って兜の緒を締める、とは顎紐のことです。



この展示の圧巻は、実物大の馬で駈ける三人の侍。
蹄の音も聞こえてきそうなこの迫力の展示に、アメリカ人たちは皆真剣に見入っていました。

この女の子は、終始弟と一緒に「Cool! Cool!」を連発していました。




馬にもちゃんと鎧を付けてやっています。
因みに、義経の時代、馬にどういう名前を付けていたかですが、
宇治川の先陣争いをした二人の武士の馬は「スルスミ」「イケヅキ」といったそうです。

「アオ」とか言う名前を付けるのは農民だけだったようですね。



向こうにある兜が中世ヨーロッパのもののようで面白いですね。
大将ではなく、一般兵の兜かもしれませんが、
取りあえず武器が無ければ頭突きをすればダメージを与えることが出来そう。

この鎧のタイプは「最上胴」といい、鉄板を矧(は)ぎ合わせた四枚の板を
蝶番(ちようつがい)でつないだ胴を持つ鎧のことです。
金銅(かなどう)とも言います。



面白いので、英語で紹介しましょう。
左から

STANDARD (騎兵連隊旗)=幟(のぼり)

WAR DRUM =陣太鼓

BATTLE STANDARD=戦陣幟

FOLDING WAR FAN=扇子

SURCOAT(中世騎士が鎖帷子のうえに着た羽織)=陣羽織



ここで圧巻その2。
鎧兜で練り歩くサムライ達。



日本でもしこのような展示があったとしても、決してこのような演出はしない気がします。
顔の全く見えないこの侍の一群が、実に生き生きと、
かつての姿を彷彿とさせるかのように再現されているのには、日本人として心底から感動しました。



彼らが歩みを進めるときに立てる、鎧の触れ合う音さえ聴こえてきそうです。



そして、変わり兜の数々。



日根野兜といわれるもの。

後ろの羽は、鷹の羽を模しているそうです。
車状のモチーフは、解説によると「仏教に関するもの」ということですが、
説明がいまひとつ良くわかりませんでした。ORZ



右はどう見てもホタテガイですね。
左は正面にイチョウ(長寿の象徴)をあしらった、
「三日月タイプ」の兜。



左の兜はどう見てもシカですが、ちゃんと「耳」があるのがかわいい。

しかし、このようなものをずっと被っているのはさぞ首が疲れたでしょうね。



おまけにこんなマスクまで被って・・・・。
兜の内側には布が貼って痛くないようになっていたそうですが、
このマスクは本当に戦闘中しか着用できなかったのではないかしら。



兜には鳥獣のモチーフをあしらったものが多かったのですが、この羽はなんと
「天狗」。
天狗の羽を使用している、とどうも言い張っていた(笑)ようです。

まあ、お殿様の趣味ってやつだったんでしょうね。



そして、これ。
ひときわ小さい鎧兜は「子供用」。
ここの説明が面白かったので、文章を写真に撮ってきました。



12歳近くに男子は元服すること、そして成長を祝う「端午の節句」は、
今日でも日本で受け継がれており、その期間、男子のいる家庭は

フルアーマーを付け、スウォードやスピアーなどのウェポンを携えたたサムライ・ドール

を飾るということが書かれています。

というあたりで展示を皆観終わり、出たところにはミュージアムショップがありました。
ここではサムライグッズとでも言うのか、プラスチックの刀とか、なぜか
「ゼン」という名の、小さな箱庭で、備え付けの小さな熊手で白砂に模様を付けて楽しむ
「ヒーリンググッズ」、クロサワの「羅生門」「三匹の侍」「隠し砦の三悪人」などのDVD,
侍やニンジャについて書かれた本、あるいはソーセキ・ナツメの「I'm A Cat」、
和風のアクセサリーやなどなど、
サムライの、というより日本文化についての商品が売られていたのですが。
わたしはうちの「本来ならば元服の済んだばかりの息子」のために、
少しばかり本を買い求めることにしました。

かれは誰に似たのか、(ってわたしですが)本を読むのが非常に早く、
三センチくらいの厚みの本でも一日で読んでしまいます。

キンドルも持っているのですが「印刷の匂いがしないからあんまり」と
生意気なことを言って、本をしょっちゅう買わせます。
今回もボストンに来て10冊ほど買ってやったのですがもうほとんど読んでしまいそうな勢い。

そんな彼の何かの役に立つかとここではこんな本を買ってみました。



さっそく扉絵の日本人らしい少女の格好が中国風ですが(笑)



日本人がイラスト、監修を手掛けているので、あまり間違ったことも書いていないだろうと。
題名だけ見て、中をぱらぱら見ていたら、



宮本武蔵のページ。

「武蔵はニンジャじゃないんだけどな」とわたしがいうと息子、
「よく見て。表紙に、ちゃんとアサシン、サムライ、アウトローって書いてあるでしょ」

そういえばそうですね。(-_-)



というわけで、ボストンでであった「サムライ文化」。
「アメリカ人目線」で見る侍の姿は、ここにいた女の子のセリフではありませんが実に「クール」でした。

誇らしいというのは少し大げさですが、
あらためてこんなクールな文化を持つ国、日本に生まれて良かったと思ったものです。
そして、わたしの横で目を輝かせて鎧兜を見ている女の子に、もし

「わたしのアンセスターはサムライなのよ」

と言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか、などと少し夢想してしまいました。








アシアナ航空・「差別的名前報道」でテレビ局訴訟の斜め上

2013-07-16 | 日本のこと

サンフランシスコ空港で墜落したアシアナ航空機事故から一週間。
三人目の犠牲者が出ました。

この間、事故調NTSBとのやり取りを巡って、

「調査内容を公表しないように」

と異例の申し出を非公開にしたアシアナ航空側ですが、その依頼を
また公開されてしまい、この事実に呆れる声も上がっているようです。


そんな中、最新のニュースが飛び込んできました。

Asiana Airlines confirms it will sue KTVU-TV
over broadcast of racist fake pilot names

(アシアナ航空は架空のパイロットの名前(を報道した件)で
レイシストの報道をしたとしてKTVUを訴えることを確定した)


「斜め上のニュースが飛び込んで来たらまた書きます」

と前回この件について書いたときに予告したのですが、
こんな早くにその機会がやって来るとは(笑)

事の起こりは、この事故を報じるサンフランシスコ地元のテレビ局
KTVUが、字幕で事故機のパイロットの名前を

「ありそうなコリアンネーム(だが英語読みすると爆笑)」

に、適当に変えたものが何の手違いかオンエアされてしまったこと。
いずれも報道では、

「どう不謹慎だったのか」

具体的にどういう名前にしてしまったのかを伏せているのですが、
こういうことには一生懸命になるエリス中尉、英語のネットを検索して、
冒頭のキャプチャ画像を拾ってきました。



あははは。

こりゃはっきり言って「ネットネタ」ですわ。

Something  wrong (なんか変だぞ)
We're too low (俺ら低過ぎるし)
Holy F○○○(説明なし)
Bang Ding Ow(バン!ドン!わー!)

うーん。

ちゃんと上から読むと事故の展開に合わせてストーリー仕立てなのね。
しかし、この名前はどちらかというと三番目を除いて中国系だな。
4番目はどちらかというとベトナム人の名前ですね。
やっぱりアメリカ人はアジアンの名前の違いなんてわかってないらしい。

ツッコみどころはそこじゃないだろって?

この衝撃的な(笑)放送事故は、ネットで拡散され、不謹慎だと非難する声が上がり、
さっそく指摘を受けたテレビ局側は公式に謝罪。

夏の間勤務しているインターンが、権限なしで電波に乗せてしまったこと、
そしてワシントンの事故調報道部関係者が伝えた名前も正確ではなかったと弁明しました。

ところが、これを「レイシズム」であるとし、アシアナ航空は本日付けで
KTVUを訴訟する決定をしたというのです。

いやー、予想を上回る斜め上です。
やってくれるとは思っていましたが、ここまで予想外の展開が来るとは(わくわく)


ところで事故後、韓国国内のテレビキャスターが

「亡くなったのが中国人で幸いだった」

として舌禍を巻き起こし、さらにその言い訳で

「韓国人でなくてよかったという意味だ」

と言ってしまい火消しどころかガソリンをぶっかけてしまったということがありました。
その後、件のキャスターではなくテレビ局がそれを謝罪したのですが、
その謝罪後も批難が収まらないことに対し

「謝罪を受け入れなければいけない」

と上から目線で余計なことを言って今も全く騒ぎは収まる様子がないわけです。


確かにこのような悪ふざけは仲間内でやるもので、公共の電波に乗せた
KTVUは放送局として責任を問われるのが当然ですし、
この件で悪戯をしたインターンはすでに処分されていることと思われます。

しかし(とあえて言います)。


このおふざけと「中国人が死んで幸いだった」という発言。
比べられるものではありませんがあえて比べます。
どちらが倫理的に悪質かというと、圧倒的に後者でしょう。

しかも韓国のテレビ局はこのキャスターを処分したわけではなく、
「謝罪したのだから受け入れてほしい」
などと、押し付けがましくアナウンスしてさらに中国人を怒らせました。

翻って不祥事に対し、KTVUは関係者処分、即座に謝罪、しかもNTSBまでが
「謝った報道をさせてしまったこと」を直接の関係もないのに謝罪しているわけですが、
アシアナ航空は謝罪を受け入れるどころが、今のこの時点で告訴に踏み切ったと。

テレビ局と航空会社とは別の企業体であるとはいえ、この事故を見る世界の目は
どちらがいったことも「韓国というひとつの国の発言」であると捉えるでしょう。
そのうえで言うと

「自分のミスは謝罪したから受け入れろと高圧的にいい、その一方
自国の飛行機を落とした国のテレビ局に対して謝罪を受け入れずいきなり訴える」

これは、どう考えてもダブルスタンダードです。

冒頭の、NTSBに「調査結果を公表するな」と申し入れたという件もそうです。

自分は勝手に機長の談話を発表し、CAを事故早々カメラの前に立たせてインタビューさせ、
あれこれと勝手な行動をとるので、事故調から「独自にいろんなことをするな」
とクギを刺された当事者が言うことでしょうか。

自分がやるのはいいが相手がやるのは(たとえ正規の業務でも)許さない。

これも立派なダブルスタンダードです。

そして、もう一つ。

「中国人で幸い」

という発言は、拡大解釈すればこれも立派なレイシズムだと思うのですが、
テレビ局のアルバイトの悪ふざけに、たとえば
「事故で亡くなっている人もいるのに不謹慎」という理由ではなく、

「レイシズムであるから」

とレッテルを貼る、これもダブルスタンダードではないのでしょうか。


現在日本国内でも、自分に都合の悪い、あるいは不愉快な言論は
「レイシズム」「ヘイトスピーチ」とまずレッテルを貼り、その言論そのものを封じたり、
非難する過程で相手にその「レイシズム」「ヘイトスピーチ」を弄する民族団体があります。

自分が陥っているのがダブルスタンダードであるという認識に決して立てない。
自分側に理があるということに毫も疑いを持たない、

共通するこれらはもしかしたらこの「民族」の特性なのでしょうか。


この報道に対するアメリカのネット言論は、たとえばニュースサイトに併設された
公式のコメント欄においても、否定的なものがほとんどです。

彼らの声を少し抜粋してみましょう。

「わたしの予想では0だと思うが、もしアシアナがこの裁判でいくらか賠償を手にしても、
そんなの他国の空港で250万ドルの飛行機を落として壊し、大勢の人を負傷させ、
3人も殺したことに対して償わなければならない賠償金には遠く及ばないよ」

So let me get this straight: some joke names damaged their reputation
more than actually crashing a plane?

(じゃはっきりいわせてもらうよ。
この冗談ネームが彼らの評判を害したっていっても
飛行機墜落させたのにはとても及ばないでしょ)

Good luck with that!

(頑張ってね!《棒》)

They have hired and attorney: We Su Yu

(そして彼らが雇った弁護士の名前はWe Su Yu《We sue you・訴えるぞ》だった)

Asiana's announcement appears to indicate
Asiana is more concerned with its reputation
(which ironically they have already damaged on their in a huge way)
than with the lives and well-being of their passengers.

(広報は今回の訴訟を、アシアナの評判を考慮したためだと言ってるね
《もっとも強烈なやりかたですでに自分で評判をズタズタにしているっていうのに皮肉だな》
乗客の命や安全より大事なことなのかね)

もちろん「差別は許せない!」とただひたすら息巻く人もいますが、
大抵は

●こんなことで訴えて自分たちの起こした事故への非難をそらそうとしているのか

●乗客のことより自分の会社の評判のためにこんなことを訴えるとは

という批判的な意見で占められています。


そして中には、

「黙ってやり過ごしていれば誰も知らなかったのに、こんな大騒ぎするから
この『差別的な』ネームが有名になっていつまでも取りざたされるな!」

という意見もあります。

わたしはこの件を日本語でも検索してみましたが、出てきたのは
「東亜日報」(韓国の新聞)の記事でした。

そこでもドン引き。

アメリカのメディアがこの件を報道するのに、その肝心の「差別ネーム」を
具体的に全く明らかにせずに訴訟についてだけを述べているのに対し、
この韓国の国内紙は本日このエントリで挙げたすべてを原文で報じ、
ご丁寧にもどういう差別的な意味があるかまでを細かく説明しているのです。

そして、

在米韓国人をはじめ、多くの米国人も、明白な人種差別であり、
悲劇的事故への侮辱だと、憤りをあらわにした。
アジア系のジャーナリストの連合体「米国アジア系記者協会(AAJA)」は、
「言葉では言い表せないほどの激しい憤りを感じている」と明らかにした。

怒っているのは韓国人だけじゃない!
多くのアメリカ人もこんなにこの差別に対して怒っているぞ!

と、言っているわけですが、これ、何かに似ていますね。
そう、在米韓国人がアメリカで起こしている日本の慰安婦問題に対する非難決議です。

実際公的にはともかく、アメリカ人はほとんどが上のような意見のようですけどね。


それにしても、今回のことや、あるいは日本国内で戦後行われてきた
「人権」を楯にしたあれこれを見ていると、まさにこの「人権」という言葉は
時としてどんな犯罪者にとっても、本来なら権利を享受できないはずの外国人にとっても
自分の立場を正当化する実に便利な万能の呪文だと言えます。

これを使えば昨日までの加害者も被害者となって、
それを武器に相手を刺すことすらできるのですから。


人権とは実はそれを使用する側の意図によっては
いかようにも悪用できる、取扱注意の危険物でもあるのです。

悪名高い人権法案が、民主党政権下で閣議決定されていたというのを聞いて
背筋を寒くした人はおそらくたくさんおられるでしょう。
その人権法案を通すことを外国人参政権の成立とともに強く推していたのが、
やはりこのアシアナ航空と同じ国の民族団体であったことがわかっています。

この、見事なまでに同じ戦い方。
やはり同じ民族だからですか?



追記:

記事中、名前を創作したのがテレビ局のインターンだと書いていますが、
テレビ局ではなくNTSBのインターンだったことがわかりました。
NTSBが謝罪したのは妥当であったということです。
今日付けのニュースでNTSBはこのインターンを解雇処分にしたことが報じられていますが、
アシアナ航空は当初このインターンを訴訟することを検討していたそうで、
処分決定を受けて直接報道したKTVUのみを対象にする予定だそうです。

Good luck with that!:)


自民党の参院選の勝ち方で日本が変わる

2013-07-13 | 日本のこと

タイトルと画像が合ってませんよ、とおっしゃるあなた、
あなたは正しい。
先日「ボストンいろいろ」でアップしそびれた、アメリカ式の
カラフルなケーキ画像、せっかくなのでお見せしたくて。

 

ついでにこんなのもあります。
しかし彼らはどうしてケーキに「青」を使いたがるのか。


というわけで唐突に本題です。
アメリカ出国前に告示がされず、旅行なので在外投票もできず、
従って今回の参院選挙には国民の義務を果たすことができないエリス中尉です。
日頃ブログで政治への参加と、参加しなければ政治を語ることを許さず、
みたいなことを言っておきながらこの様です。

命が二つあったらこの腹掻き切ってお詫びするところです。


さて。

このたびの選挙はインターネットでの選挙運動が初めて解禁され、
そのために禁止行為もいくつか規定されたようですね。

電子メールを使っての選挙運動禁止、HPやeメールの印刷禁止、
未成年の運動禁止、もちろん成りすましやHPの改竄も罰せられます。

勿論のこと、元からですが、外国人による選挙運動も禁止です。


ところで先日、香港で、「自民党に投票しないように」というデモが行われました。

2013年7月6日、中国新聞網は香港メディアの報道として、
香港において、香港保釣(尖閣防衛)行動委員会の20数名のメンバーが
在香港日本領事館前までデモを行い、日本国民に対し
参院選で自民党に投票しないように求めたと伝えた。

デモは尖閣諸島の主権を訴えるとともに、安倍首相による憲法改正と国防軍創設を危惧。
参加者は「打倒日本軍国主義」「自民党への投票反対」といったスローガンを叫び、
領事館前で旭日旗を燃やすなどのパフォーマンスを行った。
同委員会は8月に尖閣諸島への上陸を計画しており、他団体へも参加を呼びかけている


ほらー。

こういうのを禁止しているんですよね。外国人の選挙運動。
ちょっと違うかな。
しかし、他の国に対して特定の政党に投票しないように呼びかけるのに
デモを起こして旗を焼くとは・・・・。

このようなニュースにも覗えるように、安倍政権発足後、
周辺東アジアの「反日三兄弟」のうち二兄弟は浮足立っている感があります。

尖閣、竹島の領土の所有を主張する中国と韓国は、恫喝のみならず
それぞれがオバマ大統領との会談で「日本への制裁」を訴えてどちらも釘をさされるなど、
手段を択ばないところまで来た感があり、その結果非常に稚拙で拙速な動きが目立ちます。

こうなると冗談抜きで、一番北朝鮮が「まとも」であるという印象です。

ここまで両国が「焦っている」のはなぜでしょうか。

先日、安倍首相が、その理由を端的に説明していると思われるこんな発言をしました。


「どの国にも自分たちの誇れる歴史がある。
互いに尊重していくことが最も重要だ。歴史問題を外交カードとして、
首脳会談の開催に条件を付けてくるのは間違っている」


正論だと思います。

日本の首相が、中国、韓国に対してここまで正論をはっきり言ってくれたのは、
もしかしたらこれが初めてではなかったでしょうか。
わたしはこの発言に対し、新鮮な?驚きを感じずにはいられませんでした。

こういう正論を言うと、必ずそれを取り上げて野党やマスコミが大騒ぎ、
中韓の視点からバッシングしてきたため、どの保守派政治家も、ましてや与党首相は、
いつも慎重にそういう発言を避けてきたからです。

しかし、今回この発言に「不快感」を感じる中韓の立場からの報道に対し、
思ったほど国内左派の批判は伸びなかった印象があります。
民主党が崩壊した今、「あちら寄り」の発言は参院選を控えた今、
不利であると空気を読む政治家が多く、そのため
さすがのマスコミも焚きつけることに消極的だったのかもしれません。



また自民政権発足直後のことですが、麻生太郎財務相が、

「米国は南と北が分かれて激しく戦った。
しかし南北戦争をめぐり北部の学校では相変わらず“市民戦争”
と表現するところがある一方、南部では“北部の侵略”と教える。
このように同じ国、民族でも歴史認識は一致しないものだ。
異なる国の間ではなおさらそうだ。日韓関係も同じだ。
それを前提に歴史認識を論じるべきではないだろうか」

と発言し、これを韓国が批難したのが記憶に新しいところです。

中国もまたこのときの韓国と同じく、安倍首相の発言に反発。
中国の華報道官(いつものお姉さん)は「自国の歴史に誇り」という部分に対し

「日本が歴史に誇りを持つことは許されない」

とまで言いきっています。

「互いに尊重しあうことが重要」
「首脳会談に条件を付けるのは間違っている」


という発言の主眼には全く触れず、

「侵略戦争をしておいて日本は自国の歴史に誇りを持つのか」。

つまり揚げ足取りです。


それでは文革で何十万、何百万もの自国民を殺害したり、朝鮮戦争で韓国人を殺したり、
現在進行形でチベットやウィグル人を虐殺している中国にその資格はあるのか、
とぜひこの華とかいう報道官に聞いてみたいものです。

「韓国と共通の歴史認識を持って、日本はそれに謝罪し続けろ」

と日本に一方的な要求を突き付ける韓国の朴大統領にもです。

そもそも、中国が日本に「侵略」を言うのは百歩譲ってわからないでもありませんが、
韓国はその当時「日本」であったわけですね。
そして日本と一緒にいわゆる「侵略戦争」をしていた側なのですが、
それでは韓国は中国に謝らなければいけないということになりますね。


就任早々、戦争したわけでもないのに日本を千年恨むと言い放った朴大統領。
アメリカでは日本バッシングをして同調を求めたものの軽くあしらわれたので、
こんどは中国に対し、伊藤博文を暗殺した安重昆の銅像を建てることを要請しました。
この暴挙に日本人はまさにドン引きです。

韓国という国もまたベトナム戦争のときには、アメリカに協力して参戦、
戦闘行為のみならず、ベトナム住民の虐殺事件も起こしているわけで、そんな国が
どの面下げて日本に「残虐行為を反省」など言えるのか、って感じです。



戦争、国土支配、分割、およそ国という境界を持ち、存亡をかけて国家の利益を
常に追及するというこの世界の構図の中で、同じ事象を両岸から眺めたとき
それが全く同じ価値観で捉えられるなどということは、物理の法則から言ってもありえないのです。

「二国の間に共通の歴史認識など存在しない」

どうしてこんな子供にも分かる簡単なことが、この両国にはわからないのでしょうか。
(中国の場合はわかっていっていると思われますが)


「敵国」に徹している北朝鮮と違って、この両国は友好、互恵的利益関係の「条件」として
これらを楯に脅迫しているようなもので、その恫喝によって自国の利益を得ようというのがタチが悪い。

今回の中国にもこんな偽善的な発言が・・・・。

「安倍首相の発言が日中両国の友情を打ち砕き」

なーにが友情だよ、と、思わず苦笑いしてしまうわけですが、
このあたりも「北朝鮮の方がマシ」と思うゆえんです。

この両国の言う「友情」「友好」とは、必ず日本は卑屈に土下座しながら、
こちらに無条件で金や領土を寄越すアル(ニダ)という意味ですからね。


さて、先日、日本の国防白書が閣議決定されました。
さっそく両国が文句をつけています。
以下、TBSニュースより。

閣議で了承された今年の「防衛白書」について、中国や韓国が反発しています。
「防衛白書」が、尖閣諸島周辺での中国による領海侵入などについて
「不測の事態を招きかねない危険な行動もあり、極めて遺憾」としたことに対して、
中国外務省は「正常な海洋活動で非難されるべきではない」と反発。
「日本は絶えず中国の脅威を誇張している」と述べて、日本をけん制しました。
一方、韓国は、日韓双方が領有権を主張する竹島について
「日本固有の領土」と記されたことに対し、
韓国外務省は日本大使館の倉井高志総括公使を呼び抗議しました。


現実に領土を巡って侵略をしようとしている&侵略している両国に
配慮した防衛白書を日本は作らねばならない、と言っているわけですか。

この報道もどことなく中韓よりの視点がさすがはTBSのニュース、と言った感がありますね。
TBSは気に入らないかもしれないけど、そもそも、
この両国が反発するようでないと防衛白書として成り立たんだろっていう。
それともTBSさんは、中韓が大歓迎するような防衛白書を作るべきだと?


しかし、こう思いませんか?

このような論調のニュースを見て不快感を感じた日本人は、今回の安倍総理のように
「はっきりと両国に向かって正論を言ってくれるリーダー」を歓迎するでしょう。

そもそも民主党が壊滅したのも、中国船の尖閣での威嚇や李明博の竹島への上陸などで、
国民の危機感、ないし国家意識に火がついてしまったからと言えます。

ですから両国が日本をこうやってあの手この手で恫喝すればするほど、
ましてや中国人が「自民党に入れるな」などと言えば言うほど
「中国人が嫌がるということは、これが日本にとっての利益になるのだ。よしそうしよう」
となっていくというわけです。

つまりおそらくこれが、参院選での「追い風」となって自民党は圧勝するに違いありません。

両国とも、どうしてこんな簡単なことがわからないのでしょうか。
わりとマジで聞いてみたいです。


ところで、安倍総理を口を極めて罵っているのは中国共産党の外交部。
しかし、中国の人民は、必ずしも共産党の意見そのままを鵜呑みにしていないようです。
最近、中国で、近年の日本の首相のうち誰を一番評価するかというネット調査が行われました。
その結果、一番評価が高かったのは小泉純一郎氏。
靖国参拝の件なども中国は国を挙げて反発していたという印象がありますが、
この評価をしたある人物によると「自分の意見があり、言うべきことは主張した」。


、『兄弟牆に鬩げども、外その務りを禦ぐ』というエントリでこのように述べました。

皆さんは、南京にある「南京大記念館」が、どんな経緯で建てられたかご存知でしょうか。
日本を貶めるのを第一義としていた旧社会党の、田邊誠の提言と出資によるものです。
この田邉誠に限らず、戦後社会党の大物は、朝鮮、そして中国に行っては、
己の思想のために、祖国への非難を倦まず繰り返しててきました。

マスコミもこれを大きく報道し、むしろそれを応援するような言論を展開していたそうです。

ところが、中国共産党はともかくとして、
実は当時、当の中国人たちは、これら一連の売国日本人の行為を、
「上下の別なく嗤っていた」と言う話があるのです。
曰く、

「日本人は詩経の故事『兄弟牆に鬩げども、外その務りを禦ぐ』を忘れている」

けいていかきにせめげども、外そのあなどりをふせぐ

兄弟は、ふだんは家の中で喧嘩ばかりしても、外から屈辱を受ければ、
力を合わせてそれを防ぐものであるということ

「牆」=垣根 家などの外側の仕切り 「禦ぐ」=争い合う 「務り」=侮り


中国人というのはしたたかではあっても決して馬鹿ではありません。
「祖国を裏切る薄汚いやつらだ」と、つまり売国日本人を軽蔑していたというわけです。


そして、評価の高かった小泉氏に反して、中国人が今回「売国奴大賞」の名を進呈した首相は・・・
そう、鳩山由紀夫元首相でしたとさ。どっとはらい。


さて、タイトルを放置してはいけないので最後に一言。

自民党の勝利は動かないとされる今回の参院選ですが、このようになったとき
「抑止力が必要」などというバランス感覚から共産党などに票を入れる人がいます。
(わたしもそういう人をひとり周りに知っています)
都議選での共産党の「躍進」は、このバランス感覚の賜物だったとわたしは思っているのですが、
民主党政権の三年三か月の恐怖を体験した今では、むしろそのような
抑止力なら、自民党の内部に求めるべきだとすら思っております。

抑止力となるのは健全な野党であることが必須ですが、
脚を引っ張ることしか考えていなかった民主党の「野党ぶり」は健全な抑止力と言えたかどうか。

わたしは選挙運動をしているわけではないので、どこに入れろなどとは言いませんが、
「バランス派」の方々は、こういう意見もあることをご考慮くだされば幸いです。


まあ、単に「民主党より共産党の方がずっとまとも」である、と東京都民は判断したのかもしれませんが。






アシアナ航空機事故でCAの「英雄譚」はどう報じられているか

2013-07-12 | 日本のこと

単なる飛行機事故としては、あまりにその後の展開が迷走しているかに思える
今回のアシアナ航空機墜落事故。

かつて住んだこともあり何回も訪れているサンフランシスコ空港で起こった事故だけに
かなりの関心を持ってこちらでもニュースをキャッチアップしています。

日本でもリアルタイムで情報が伝わっていることとは思いますが、ここで
今までの調査で分かってきたことをおもに事故後の対応についてまとめておきます。


●ボイスレコーダーが解析された結果、副操縦士が機長に着陸の際助言を求めていた
 操縦していた副機長はB777での飛行時間は46時間で、機長は教官としては初フライト
 しかし、操縦士は適切な指示を何もしていない

●管制塔からの通信を受け、初めて着陸態勢が正常でないことに気付き、
 やりなおそうとしたがすでに高度が落ちていて岸壁に機体後部が接触。衝突

●管制塔からはレスキューを向かわせると通信があるも、コクピットからの返答はなし
 機長は乗客にその場にいるようにとアナウンスしたまま放置

●機内で火災発生
 火災をCAの一人がコクピットに伝え、避難の指示を仰いたときには、乗客は
 我先にと避難を始めていた

●CAは半数近くの7名が墜落のショックで失神。
 最新のニュースによると、さらに2人が機外に放り出され、滑走路で発見されている。
 (二人とも無事)
 大混乱の機内の中で脱出用のシューターが膨らんでしまい、さらに阿鼻叫喚

●乗客が別のシューターを展開、肋骨を折る負傷をしていた乗客が非常ドアを開ける
 CAの指示がなく、皆手荷物やトランクを持って脱出

●CAは乗客の安全確認を行わず、そのため一時行方不明者が40人に上った
 CAが外に出ているにもかかわらず機内に取り残された乗客が多数いた
 それらの乗客は空港のレスキュー隊によって救出された
 最後に機内に乗客が残されていないか確認したのはサンフランシスコ消防局の職員であった


墜落の原因が操縦ミスであることはほぼ確定しているようですが、
墜落後の乗務員の対応があまりにも不適切であると言わざるを得ません。


今回の死亡者は二名で、破孔からショックで外に投げ出されたのが死因だそうですが、
あの機体を見る限り、二名の死者ですんだのは奇跡的なことに思われます。


ところが、そのことを「韓国人でなくて幸い」とニュースキャスターが言ったことや
死者数の少なさを「CAの働き」「乗客が冷静」と讃美する事故当事国である韓国の動きが
特に中国から反発されていることを前回この事故についてのエントリでお話ししました。


こちらでは一度、一人のCAが記者会見で、自らが骨折しながらも
最後まで乗客の救助に尽力したと自分の功績を語る様子が放映されていました。

今日のCBSニュースでも、

「最初に応答した人たち(つまり自力で逃げた人達)はヒーローとして称えられている」

というタイトルで、このLee Yoon-hyeというCAが乗客を背中に背負って
脱出したことを始め、機内の指示に従わずに自分で行動した人たちが
「英雄的であった」とされていることを報じています。

しかし、このニュースを仔細に見ると、韓国国内の無条件で彼らを褒め称える論調とは違い、

Many passengers climbed out of the plane unaided.
But some were unable to escape on their own.

多数の乗客が自力で外に出たが、何人かは自力では出られなかった)

また、サンフランシスコ消防局のLt. Dave Monteverdiは、最後に
シューターをよじ登って機内に入り、機内に取り残されていた負傷者を発見しました。

"He was just moaning and moaning," he said.
"We were hoping to get a back board and clear him out.
And that's when you could see the dark smoke was coming toward us.
And we pretty much just had to grab him and go."

(かれはただひたすらうめいていた。
そのまま機内に居させてあげたかったが、その時に黒煙が迫ってきた。
それで、彼をひっつかむようにして行かせるしかなかった)


ちょっと待ってください。

この人は、自力で動けずに機内でうめいていたと。
その時にはアシアナ航空のクルーは全員脱出してしまっていたってことですね。

乗客を背負って果敢にも任務を果たし、英雄的ともてはやされているLeeさん以外の
他のCAはいったい何をしていたんですか?
客室内の人員を一人残らず脱出させずに、サンフランシスコ消防がくるまで
その人を放置していたということですか?

日本でも、このCAが得意げに自分の大活躍を語る映像は放映されたでしょうか。
一度書いたようにこの「英雄的」という言葉を額面通りに受け取って、
涙を流してまで感動しているのは、どうやら韓国とそして日本のマスコミだけみたいですよ。

事故直後の写真では、無傷のCAが何人も立ったまま、倒れているCAのそばにいたり、
救急車のヘリに二人で座り込んだりしていて、とても乗客の安全に
任務を果たしている様子には見えません。
しかも、そのとき、まだ機内には負傷者が取り残されていたというのにです。

少なくともわたしの見たCBSニュースでは、Ms. Leeの会見と共に、
abandon(見捨てられた)された乗客について同時に報じており、明言はしないものの
暗に「まともに仕事をしたのは一人じゃないか」と言っているように見えます。

まあ、わたしがそう思っただけなのでもしそうでなかったらすみません。


アシアナ航空の社長が早々に「全責任は機長にある」という発言をしたことは
かなりショッキングでしたが、その機長はじめコクピットの発言も要領を得ず、
しかも事故調は「パイロットたちは英語があまりできなくて聞き取りに苦労している」


うーん。

英語下手でもパイロットになれちゃうんですね。
機長は空軍上がりだと聞きましたが、そのような場合は英語力は甘く見てもらえるのかな。

事故調NTSBはいまのところ結論を出していないものの、ヒューマンエラーであるとの
見方を強めていると言いますが、これに対し、韓国側は激しく反発しています。

「管制塔からの7秒前の警告が遅かった」
「空港が工事中で熟練のパイロットでも着陸は困難である」
「シューターが中で展開した。ボーイングのせいだ」
「速度が落ちているのは知っていたがオートスロットルが作動すると思っていた。
またオートスロットルが切られていても速度が低下したのはおかしい。
つまりボーイングが悪い」

補償金の問題もあるのでしょうが、強弁ともいえる弁明を繰り返し、
今日にいたっては



「謎の閃光があり目が見えなくなった」(byパイロット)


これは無理がありすぎる。
言わない方がよかったかも・・・・・・・。

というか、どいつもこいつも、亡くなった二人の犠牲者を悼む言葉が一言もないのは
どういうわけだ。
特に「英雄」気取りのアシアナCA。
犠牲者に一言も触れず、うす笑いさえときどき浮かべ、自画自賛のコメントをする様子は、
遺族から見ればさぞ苦々しいものに見えたに違いありません。


因みに、たった今、NTSB の委員長 Deborah Hersmanが、
「我々は科学的調査によって(明らかにはできないが)たくさんの情報を得た」
と、自信に満ちた口調で記者会見しています。

こういう経過を見ているせいか、この委員長がいい加減支離滅裂な韓国側の
言い訳に内心キレつつ、

「どんな言い訳をしてもこちらには科学的な言い逃れのできない証拠があるんだからね!」

とあらかじめ釘を刺しているように見えました。

たまたまこんな事案のときにアメリカでその空気を感じることができるのも
何かのご縁。
もしこれから斜め上展開が起こるようでしたら、また続報をお届けするかもしれません。

(わくわく





辛坊氏救出事件~「自衛隊不要論」の真偽

2013-07-08 | 日本のこと

ところで、事故後、辛坊氏は「週刊新潮」のインタビューに答えて
税金を使って自分が助けられたことに対し申し訳ないと謝罪したうえで

「9年前、イラクで人質にされた高遠菜穂子さんたちに対し、
自己責任論を持ち出して批判しました。
これでは、言ってることとやってることが違うじゃないかと
厳しい指摘があるのも承知しています。
私には反論できません。」

とこちらに対してもきっちりと言及しているらしいことがわかりました。

ちゃんと、何を批判されているのか世間の声を受け止めて対処する。
このあたりはさすがに機を見るに敏なメディア関係者です。

ただ、ここまでにしておけばいいものを

「“払います”と言えば、助けてくれた自衛隊員が喜ぶと思いますか」

と言わなくてもいい(と思われる)ことを言って逆に炎上してしまったのは
計算違いというものだったかもしれません。

わたしは辛坊治郎という人を、所詮「アナウンサー」だと思っていますので
過去どんな発言をしていたとしても、現在起こっている事象だけを見て、
インターネットに溢れる「好き嫌い」からくる非難からはできるだけ中立でいようとしました。

しかし、そういう風に心がけても、今回の事件の個々の辛坊氏の発言に対しては、
どうしても、うっすらとした嫌悪感を持たずにはいられないのです。

これはどうしたことでしょうか。


「そりゃあ気分も沈みますよ…。
同行した岩本さんの夢をかなえるために出発したのに、
望みをかなえてあげられないばかりか、
(事故によって)マスコミの前に立たせることになってしまった。
申し訳ない気持ちで、いっぱいです」

本紙の直撃に辛坊氏は、力なく声も途絶えがちに答えた。
テレビで見せるテンポの良い語り口調は鳴りを潜め、
明らかに憔悴した様子だった。

救助されてから3日。九死に一生を得た辛坊氏のもとには激励の言葉とともに、
1000万円以上ともいわれる税金を投じた救出劇に批判の声も上がっている。

辛坊氏は現状を受け止め、こう話した。
「自分でけじめをつけようと思います。
ただ、助けてくださった自衛隊の方が私の出演する関西の番組のファンだそうで…。
『辛坊さん、頑張ってください!』とおっしゃってくれて。
彼らへの恩返しということなら、自分の頑張る姿を見せることも必要なのかな…と」

落胆、無念、感謝…。そして自らの“贖罪”“賠償”の仕方について、
しばらくは自問自答の日々が続きそうだが、
再び元気な姿が見られることを期待したい。


この企画は同行の岩本さんの夢をかなえてあげるためのものだと強調する辛坊氏。
まるでそのための慈善事業であったような言い方です。

成功後の名声、スポンサーからの有形無形の報償、
講演料の大幅な値上げ、全国区となるであろう知名度。
今回の事故で逸失したと見込まれる利益は一説には五億円とも言われ、
さらには氏はこの成功をバネに政治家への転身を目論んでいたという噂さえあります。

もちろんこうした功利目的の行為が悪いと言っているのではありません。

しかし、障害者への無償の善意であることをまず前面に出すには、
これら「取れなかったタヌキの皮算用」はあまりに大きくありませんか?


そして、この言葉。

「助けてくれた自衛隊の方が自分のファンだと言ってくれたので、
恩返しのために頑張る姿を見せることも云々」

事件の概要すらまだ総括もできていないこの時点で、
もう仕事に復帰することの意欲を覗かせているように見えます。


辛坊氏の周辺と関係者以外、世間とマスコミのほとんどは辛坊氏を非難しているこの状況で
「この件を本や映像にして儲けることは許さない」
「もう何を言ってもブーメランになるだけだから、潔く引退しろ」
という意見が少なからず氏の事務所に届いていると思われます。

ここでわたしが辛坊氏に「嫌な感じ」を持つのは、こういった「大多数の声」より、
自分を救ってくれた自衛官の一人がおそらく氏を励ますために言った「がんばってください」
を都合よく拾い上げ、ちゃっかり自分の復帰の正当化に利用しようとしていることです。


「エリス中尉は辛坊氏に厳しすぎる」とおっしゃる方もおられるかもしれません。


しかし、わたしはかつて辛坊氏が、謀略に嵌められた(とわたしは思っている)
故中川昭一氏の泥酔会見事件のときに

「あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメねぇ、
オメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと!」

という言葉を投げつけ、さらに自殺するべきとまで公言したことを重く見ます。
もし、このような事件を起こしたのが別のアナウンサーであったなら、辛坊氏は間違いなく

「あんだけ世間に恥かいてね、おまけに税金の無駄遣いして、オメオメねえ、
オメオメ視聴者の前にもういっぺん出るなと!

と全く同じ言葉で非難したのに違いないと思います。

しかしこの「頑張る姿を見せることも恩返し」という調子のいい我田引水こそ
「おめおめ」という言葉そのものではありませんか。

(辛坊氏風に)はっきり言います。(笑)
吐き気がするほど厭らしいとわたしは思いました。



というわけで、辛坊治郎に対し最悪な心証を持ってしまうに至ったエリス中尉ですが、
しかしながら、そういう先入観から陥りがちな
「風評の盲目的容認の危険性」について考えさせられるこんなできごとがありました。


最初に書いたこの事件の顛末に対する感想に寄せられたコメントに
辛坊治郎氏が「自衛隊不要論」を唱えていた、という文があったのですが、
その部分に対して、非公開を希望にある読者からコメントが寄せられたのです。


「自衛隊不要論を辛坊氏が唱えたというのは本当でしょうか。

にわかには信じ難いです。
氏の父親は自衛官だったのに、そんなことがあるはずはありません」


要約すると、このような内容です。


辛坊氏を非難する意見の中に時々「自衛隊が不要とか税金の無駄とか言っていた」
というものあり、わたしも今回ことがことだけに注目していたのですが、
実際には具体的な証拠となる映像も文章も見当たらなかったので
前エントリにおいてもそのことについては触れておりません。

そしてさらに、このコメントを受けてかなり綿密に検索をしてみたのですが、
辛坊氏がはっきりとそう発言していたという記録を見つけることはできませんでした。

普通に考えても、もし本当にそのような発言を辛坊氏がしていたとしたら、
たとえばこんな風に自衛隊に救助されて感謝を述べるような事態になったときに
過去の発言とそれに対する批判があちらこちらからでてくるはずなのです。

ですからあくまで状況によるものですが、わたしは

「辛坊氏が自衛隊不要をとなえたという証拠はない」

と一応勝手にここで結論付けておきたいと思います。


実はこの読者の方からは辛坊氏の「自衛隊不要論」に対し、

「出典を明示するよう言っていただけないでしょうか」

と伝言を頼まれてもいるのですが、おそらく同じ結果(出典は出てこない)
となると思われるのでここでは敢えて聞きません。

勿論、ソース元をご存知の方がおられましたら、是非御一報ください。



ただ、辛坊氏が自衛隊不要など実際に言っていなかったとして、
どうしてそのように決めつける人が少なからずいるのか考える必要はあります。


それはおそらく辛坊氏の所属するマスコミという社会が、基本的に反体制、反保守、
そして反米で反自衛隊であるという傾向にあることからきているのでしょう。

そこで生きていくためには局是社是、スポンサーの意向に逆らうことはできないし、
ときには発信自体がすでに自分自身の思想信念と乖離している可能性もあります。

辛坊氏は例え身内が自衛隊にいても、そのこと自体を誇ったり、
自衛隊そのものを評価することにさえ、言論人として慎重であったでしょう。
そういったことへの「抗議」に対して、テレビというものはあくまでディフェンシブだからです。

辛坊氏はそこをそのほかの言動と合わせて「反自衛隊」とまで踏み込んだ、
いわば穿ったレッテルを貼られたのだと思うのです。

しかしながら、検索の過程で、或る番組で辛坊氏の父上の元部下と辛坊氏のやり取りがあり、
「厳しく指導していただいた」というその視聴者の話に、氏はそのとき非常に感激していた、
という話を見つけたことも言っておかねばなりません。

こんな逸話を見ても辛坊氏が自衛隊不要論者であったと決めつけるのは、
なんというか、心情的にもかなり無理があるという気がします。


とはいえ、父親が自衛官でも、野田佳彦前首相のように民主党などにいたばっかりに、
父のかつての職場を堂々と貶めるようなことを自分の所属する組織がしていても何もできなかったし、
また、全くする気もなさそうだった、という人もいます。

極端なのは共産党の志位委員長のように、祖父はビルマで戦った陸軍中将でありながら
「親子二代でああなってしまった」のもいるわけで・・・・。


つまり、親が自衛官や軍人だからといって必ずしも保守になるわけでもないし、
むしろ自分の職業やそこでの地位によっては切り捨てたり反対する側に廻ったり、
何の意味も持たないことが案外多いような気もします。
親の職業だからあくまでも反発する、という人たちもいるでしょうしね。


辛坊氏は、思想的には新自由主義とでもいう立場に立ち、
右であろうが左であろうが「違うと思えば叩く」のを身上としていたようで、さらに、、
マスコミ人種特有の極論と暴論、毒舌から反発を持たれやすく、それゆえ「アンチ」も多いようです。


しかし、だからといって憶測で決めつけ、それに基づいてこのような場合に
「坊主憎けりゃ」とばかりにそれを検証せず材料として非難することは慎むべきでしょう。

わたし自身、自戒としてこれを受け止めたいと思います。







辛坊治郎氏の手記に思うこと

2013-07-07 | 日本のこと

当ブログでこの話題について取り上げたばかりですが、
いま一度その後の経過と、この人物への非難というものを整理したいと思います。

当ブログで述べたことは

●確かに準備不足とコンセプトの甘さは責められるべきであるが、
事故はいわば不可抗力であり、これは仕方がない

●多額の税金が投入されたが、自衛隊はいかなる人物でも救出するのが是であり
辛坊氏にその金銭的負担を問うのは妥当ではない

しかし、辛坊氏本人が上記二点に対し弁明ないしこれを自己正当化として口にしても、
今までの氏の言動から、世間の賛同を得ることはできないのではないか、というものです。



命からがら生還し本来なら助かってよかったね、と言われるべきところを、
マスコミも、インターネットの一般言論も、珍しくも足並みそろえて個人非難の大合唱。
ただでさえ挫折感と恥ずかしさで消え入りそうにになっているところにもってきて
さぞこの展開は辛坊氏にとって不本意であり、二重に傷痕の思いでしょう。


前回わたしは、一般人の持つ視点でリスク回避できなかった辛坊氏には
むしろ同情的だったが、自己弁明と正当化の必要にかられて

「金払って自衛隊が喜びますか」

などと切り返してしまったことはいかがなものかと思う、と述べました。

なまじ言論で禄を食み、言論で世間を渡ってきた氏は、おそらく、
自分が今まで絶対的な安全圏に立って糾弾してきた「非難される側」になることを
条件反射のように逃れようとしたのでしょう。
これだけの非難を浴びても言い訳ひとつせずじっと嵐が過ぎるのを待つ、
というのはある意味誰にも、ましてや辛坊氏のような人種には不可能だと思われます。

同業者であるマスコミが、今は「非難するべき取材対象」として自分を扱っている。

辛坊氏が殊勝に世間への謝罪と助けてくれた人々への感謝を口にしつつも
非難に対しついつい自己弁護めいたことを言い募るのはしかたないことかもしれません。


しかしながら辛坊氏は、厳しく言うならば、こういった一連の言動によって
事態をより悪くしていっているとしかわたしには見えないのです。


まず、自衛隊に事情聴取されることになって、氏はまずブログ記事から、
このような部分を削除しました。


完璧に整備したと皆が思い込んでいたエオラス号に、

いくつかの問題点が見つかったんです。

まず一つは、船の舳先に突き出ている大きな棒、
これをバウスプリットって言うんですが、
この根元から少量の漏水が発見されました。 
エオラス号には既に太平洋横断用の資材をすべて積み込んでいたために
相当喫水が下がっていて、台風の余波のうねりに舳先から突っ込んで
派手に海水をすくい上げる局面が何回かあったんですが、

この時バウスプリットの止水に不具合があって、水が漏れることが分かったんです。
当初、この2日間で舳先をすべて解体して、充填剤を入れなおすことも計画されたんですが、
様々なリスクを計算した結果、内側からの充填で対処することになりました。 
余程荒れた海でない限り漏水しませんし、
エオラスの設備で簡単に排水できる程度のものですから、これで、まず大丈夫でしょう」



現実は全く、「まず大丈夫」ではなかった、ということになります。
ところが、辛坊氏、さらに広がる非難にいてもたってもいられなくなったのか、
今度は「FLASH」にこのような文章を公開しました。

はっきり言います。
出港時点でのエオラス号の整備は、
少なくとも「これ以上は無理」というくらいに完璧でした。


先の文でも思いましたが、失礼ながら辛坊氏、文章があまりお上手でない。
この文章も「少なくともこれ以上は無理」、と「完璧」が全く矛盾しているのですが、
まあ、言いたいことはよくわかります。

しかし、少なくとも自分が削除したブログからは「完璧」ではなく「間に合わせ」
という事実しか浮かび上がってこないのが現実です。

そして、辛坊氏は、

「24時間テレビとは関係ない」

ということをここで強調しています。
以下、その部分です。


まず、多くの週刊誌の記者さんが共通して私にぶつけた質問は
「『24時間テレビ』の放送に間に合わせるためにこのタイミングでの出港になったんでしょ?
で、急いだから準備が十分じゃなかったんじゃないですか?」というものでした。
複数の記者さんに同じことを聞かれました。

はっきり言います。
今回のプロジェクトと24時間テレビはまったく、完全に、なんの関係もありません。
じつは、このプロジェクトがスタートした去年の夏の時点で、
スタッフの共通見解として
「『24時間テレビ』とは別のコンセプトでプロジェクトを遂行する」
というのが合言葉だったんです。

私が感じる24時間テレビの「健常者が障害者の役に立ちたい」というコンセプトと、
HIROさんのチャレンジとは相容れないものがあると考えたんです。
HIROさんがイメージしていたのは、「障害者が健常者の役に立ちたい」ということでした。

私は玄関先に押し寄せてくる記者の皆さんに、
「24時間テレビ説」は完全なデマである旨を丁寧にお話しさせていただきました。
ところが、一部週刊誌の記者さんは、真実を知っていながら嘘を書いたんです。
もともとこのデマは、私たちの「準備不足」を言いたいがために生まれたようです。


「はっきり言う」のが好きな方ですね(笑)

この部分もとても「書いた文章」とは思えませんが、それはまあよろしい。

言わせていただけば、辛坊さんは大きな勘違いをしています。
「24時間テレビに関係がある」から、自分は非難されていると思っておられる。

そしてこの弁明によると、「24時間テレビとは別のコンセプト」でのプロジェクトだという。

プロジェクト。

プロジェクトということは、映像記録を取り、それで

「感動!盲目のセイラーが、ガン患者とはいえ健常者をアシストして太平洋横断成功!」

というテレビ特番を作るつもりだったということではないのですか?


台風が来るというのに、ヨットに不具合があったというのに、何が何でも出航した。

その理由が「テレビ番組の製作のスケジュールに合わせるため」であったらしい、
というのが、今回の非難の理由の一つです。
その目的が「24時間テレビ」でなかったとしても、別の「プロジェクト」を予定していて、
そのスケジュールのために無理な企画を強行したというのなら、全く同じことなのですが。



辛坊氏はこの文章でマスコミの「嘘」を非難しています。
人の話を自分たちの望む結論に誘導し、思う結果が得られなければ
ウソでもなんでもついて報道するのが自分の属するマスコミというものであることを、
辛坊氏は今まで全くしらなかったのでしょうか。

だとしたら、自分がこうなって今回初めて、自分の今まで見ていた景色を
「被害者側から」観ることになったわけですね。

辛坊氏がここまで同情されない理由は、今まで氏が

「マスメディアという常に正しい側」

から強権的に自分の意見(のつもりで実はマスコミの意見)を吐いてきたからで、
下世話な言い方をすると

「お前が言うな」「ブーメラン」「ざまあみろ」

と溜飲を下げた人間が多かったということなのでしょう。



辛坊氏の手記をもう少し続けます。


出港時点でのエオラス号の整備は、
少なくとも「これ以上は無理」というくらいに完璧でした。
こう書くと必ずこういう質問を受けます。
「じゃあなぜ事故を起こしたんだ?」。
この答えはただひとつです。
すべての責任は船長にあります。エオラス号の船長は私です。

6月16日午後1時に福島県のいわき市を出港したエオラス号は、
まる5日弱でおよそ1,500キロを東南東に走って、
金華山沖1,200キロの時点を時速7ノット(秒速約3.6メートル)で快走中でした。
もともとの予定では、一日180キロほどが目標でしたから、
エオラス同型艇の記録的水準だと思います。

ところがこの速力が災いしました。
6月21日午前、レーダーに周辺監視をまかせて私が寝入った直後、
水面下に潜む「何か」に激突し、
直後に浸水が始まったエオラス号を放棄して救命イカダに避難、
それからおよそ10時間後に海上自衛隊のレスキュー隊に救われたのです。

この間の海上保安庁、自衛隊の皆さんの献身と活躍については、
現在私のブログで無料公開中ですので、ぜひ一度目を通してみてください。


最後の「無料公開中ですので」に脱力感を感じてしまったのは
わたしだけでしょうか。

このひとは、なんというか・・・・とことん骨の髄まで「マスコミ人種」だなあ、と・・・・・・。

この答えはただひとつです。
すべての責任は船長にあります。エオラス号の船長は私です。

いや、辛坊さん。
陶酔しておられるところ大変失礼とは存じますが、それ、答えになってませんよ。
そもそも責任を取るのは船長であるあなたであることは当然じゃないですか。

準備不足だ!→違う!エオラス号は完璧だった!

24時間テレビのために無理をしたんだろう!→違う!別のプロジェクトだ!


こう言い訳をなさるということは、原因は他にあるということでしょうか。

実は我々はそれこそが事故の原因の一部だと思っているわけですが、
全責任を負うべき船長であるあなたが、なぜその原因を直視できないのか。

たとえば普通の会社で

「なぜ事故を起こしたんだ?」
「その理由は一つです。すべての責任は責任者にあります。責任者はわたしです」

で終わらせようとしてもおそらく通用しません。
通用しないどころか、これは『自分を無条件でクビにしてください』と同義の覚悟発言です。

根本の原因とされている事象ににあれこれ言い訳をしておいて
責任はわたしにあると居直られても、これでは誰も納得しますまい。

辛坊氏は、自分の感覚がかなりおかしいことを自覚するべきだと思います。


手記、最後の部分です。

盲目のセーラーの「太平洋横断をしたい」という夢の実現に私は失敗しました。
その責任は、すべて船長たる私にあります。
記者会見で「もう一度やるつもりは?」と聞かれて、
「これだけ迷惑かけて、やるとは言えない」と私は答えました。
HIROさんも間髪入れず、「私もそう思います」と言いました。

「FLASH」の賢明な読者を信頼して、あえて真意を言います。
これはつまり、「絶対に迷惑をかけない体勢、手段を考えて、
またいつの日かチャレンジする」という宣言です。
しかし、同時にこうも思います。
「何か」に当たったのは、海の神様が
「今のお前には、あの場所より東に進む資格はない」
と教えてくれたのだと思います。

他人様の命を危険にさらし、他人様の献身で私は今ここに生きています。
この命をどう使うか? 私に課せられた重い十字架です。


うーん。

失礼ついでに、あいかわらず文章が不自由で意味が分かりません。

「これだけ迷惑かけてまたやるとは言えない」と言ったその真意が、なぜ
「これはつまりいつの日かチャレンジする宣言」になるのですか?

これはつまり「迷惑さえかけなければいいんだろ」と言っているわけですか?
今度は何があっても自衛隊の出動要請をしない、という誓約書でも書くつもりですか?


最後の部分はおそらく氏の真摯な思いでしょう。
そこまで揶揄したり真意を疑うつもりはわたしには毛頭ありません。

しかし、全体としてこの手記を見たとき、やはり

「こんな言い訳ならしない方がマシではないのか」

という、他人事ながらおせっかいな心配をせずにはいられないのも事実です。




ところで、いま一度辛坊氏のこの事故について書く気になったきっかけは、
非公開希望で寄せられたある読者からのコメントでした。
長くなってしまったので、二部にわけてこの本題について次項で述べます。







 


日本のメディアが報じない米中会談の「成果」(転載)

2013-07-02 | 日本のこと




習近平は六月六日、カリフォルニア州のオンタリオ空港に到着した。
米中首脳会談に臨むためだ。

世界各国の報道を比較すると、日本のメディアだけが浮足立っていた。
より正確に言えば、産経を除く日本メディアと中国共産党の機関紙、
人民日報と環球時報だけが
「世紀の会談に臨む両首脳」というイメージを演出していた。

特に朝日新聞とNHKが、まるで二人の首脳が重要な会談を行い、
明るい見取り図を世界に示すのではないかと錯覚するような論調で報道していた。
いったい、何を米中首脳会談に期待していたのであろうか?

ところが不思議なことに、米中首脳会談後一週間が経過して、
世界中のメディアから分析や論評が出揃っても、
〈重要〉だったはずの米中首脳会談の具体的な成果や論評が、
それらのメディアから一向に発信されない。

いったい、何を期待してあれだけ大騒ぎをしていたのか? 
それは朝日の論調をベースにする地上波の民放各局も同じだった。

それどころか、国賓として六月六日に来日したフランスのオランド大統領と
安倍首相の首脳会談や、 日仏共同声明の報道量が少なかった。
自国の首相と仏大統領の共同声明より、米中首脳会談の話題が重要だったのだろうか? 

六月七日にオランドは国会で演説し、その後、日仏両首脳は共同宣言を発表した。
次世代原子炉である「高速炉」の共同開発をはじめとする
包括的な原子力協力を行うことを合意した。


さらに重要だったのは、日仏の安全保障分野での協力が明らかにされたことだ。
日仏で外務、防衛閣僚会議(2プラス2)を早期に開催することも発表され、
安倍首相が共同記者会見で述べた

「両国が手を携え、法の支配に基づいた、自由で開かれた世界の形成を目指す」

という言葉を、共同声明では「新たな大国の台頭で生じる課題に対応する」と、
具体的に支那の覇権主義に釘を刺したのである。


もっとも、フランスは武器商人として支那に
ヘリコプターを軍艦のデッキに着陸させるシステムを売却することを発表したばかりだった。
安倍首相は当然、フランスへ支那への武器輸出を中止するようにというメッセージを出し、
他の案件からフランスの行動を阻止しようと動いた。
その一つが、日仏による2プラス2協議であり、
両国による軍事用品の開発と武器輸出協力だった。


つまり、この局面で日仏両首脳による国益をかけた熾烈な戦いが、
宮中晩餐会をはさみながら展開されていたわけだが、
日本メディアの報道からは一切、そのような国際政治のリアルな姿は伝わってこない。



習近平がオンタリオ空港に着陸する前日、すぐ目と鼻の先のカリフォルニアの海岸に、
夜陰に乗じて特殊小型ボートが上陸した。
沖合二百メートルでヘリコプターから投下されたそのボートには、
ヘリから降下した屈強な陸上自衛隊の特殊部隊の隊員が四名乗っていた

もちろん米国を急襲したのでなく、六月十日から二十六日まで行われる
多国籍軍事演習「夜明けの電撃戦2013」に参加する陸自隊員の先行訓練だった。
この演習の白眉は日米共同の離島奪還訓練であり、
オスプレイが海自のヘリ空母「ひゅうが」で離発着訓練を行ったことは報道された。


だが、オスプレイを事故率の高い危険な輸送機だと
デマ報道をしていたメディアが、今回はそれに口をつぐむ。



安倍首相誕生から半年で、2プラス2協議を日本と行う国は
従来の米国、豪に加え、
インド、インドネシア、フィリピン、ベトナム、モンゴル、
そしてロシア、フランスと凄まじい勢いで増えている。

一方、日本メディアが騒いでいた米中首脳会談は、
歴史上、最低の会談に終わり、あのNYタイムズまでもが電子版で、
最初は《米中、気候の話は一致だが、サイバー攻撃では決裂》
と皮肉たっぷりの見出しで報じ、 その後、
《米中、北朝鮮では近づいたが……》と差し替えられた。


習近平がオバマに、「太平洋には米中二大国を収める十分な空間がある」
と述べたという報道はあった。

だが、オバマがそれをいなした背景には、
太平洋を法と民主主義が支配する自由な海にすべきだと、
安倍首相が就任直後に発表した英語論文
「アジアの安全保障ダイヤモンド」の構想どおりにこの半年間、
走り続けてきた安倍外交があったことを報じるメディアはない。

米中首脳会談後、人民日報が連日、安倍外交を非難し始めた。
つまり、朝日とNHKが米中首脳会談に期待していたのは、
実は、安倍批判だったのである



(西村幸祐)


坂の上の雲~語られない「歴史」

2013-06-30 | 日本のこと

本日画像の「おまけ」とした、これは実物を手本に書いた
長岡外史(ながおかがいし)ですが、陸軍大学で秋山好古の同期。
ドラマでは的場浩司が演じていました。
当時陸大の校長であった児玉源太郎の懐刀として参謀次長を務めています。

その特異な髭は、60センチありギネス2番目の記録だそうですが、
この時代、どうやってこの髭を毎日固めていたのか、気になりますね。


さて。

先日来、坂の上の雲についてのいろいろを語っています。

この構造は非常に複雑で、そもそも「坂の上の雲」という歴史小説が、
一人の小説家の頭の中で展開している歴史の流れに則して書かれたストーリーであり、
それがどこから見ても公平な史実に近いものかというと、決してそうではなく、
さらにそれをドラマにするにあたって、さりげなく、というかかなり露骨にNHKが
「わが局の思想」による解釈をその上に盛るという具合に

二重のフィルターが史実に対してかけられた

エンターテインメントでした。

わたし自身もいくつかのエントリで「司馬の創作」「NHKの操作」について
わたしなりにそれを暴き(人聞きが悪いな)それはまだもう少し続いたりするわけですが、
ここである読者から、このドラマについての「ここがヘンだよ」についてのお便りをいただきました。

わたしがあまり述べてこなかった陸軍の部分に詳しいので、ぜひ取り上げさせていただきたく、
ここにまず掲載させていただくことにします。


肥田大尉のダンブライトでございます。お久しぶりです。

これは、エリス中尉とダンブライトさんにだけわかるあいさつで、以前、
肥田真幸大尉について書いたときに、インターネットの掲示板から拾ってくる形で、
肥田大尉へのコメントを紹介させていただいたのですが、後日、その書き込みをされた
ご本人であるダンブライトさんが、当エントリを見つけて、

「あれは私です」

と名乗り出てくださったというご縁です。
ダンブライトさん、お久しぶりです。
また読んでくださって、嬉しく存じます。
以下、ダンブライトさんのコメントを続けてどうぞ。


私がこのドラマで唖然としたのは、戦闘場面、特に陸軍の戦闘の大幅な省略です。

陸軍は三方から上陸し、鴨緑江、南山、得利寺などでロシア軍を破りながら北上しました。
そのうちの第二軍には主人公の秋山好古少将も所属しています。

また、鴨緑江でロシア軍を破った第一軍の黒木司令官は、

戦後アメリカに渡ったときにセオドア・ルーズベルト大統領から英雄扱いを受けます。
また、続く大会戦の遼陽では、第一軍の黒木司令官と
藤井茂太参謀長(秋山の陸大同期生として第1部から登場)の迂回作戦により、
強力なロシア軍を撤退させることにやっとのことで成功します。


   黒木司令官、とは黒木為(くろき ためもと)のこと。
   いわゆる猪突猛進型の武将で、日露大戦直後の立役者であったと言われています。


しかし、ドラマではその描写は全くありません(遼陽で秋山が走っただけ)。
黒木司令官に扮しているのは清水紘治氏で、
ガイドブックの写真を見ると、さすが「クロキンスキー」
とロシア軍におそれられた猛将を彷彿とさせるかっこよさなのですが、
奉天会戦前に水杯をする場面にしか出てきません。


第二軍司令官の奥大将、第四軍司令官の野津大将も同様です。

さらに、先述したように藤井参謀長は秋山の同期生ですが、
戦争になってからはほとんど全く出てきません。


   冒頭の長岡外史も、祝言の席では同期生達と共に、かつての教官メッケルの真似をして
   「好古をもって同期全員、全滅」と言ってから一斉に倒れて死んだふりをするとか、
   そういう話ばかりで、結局この人が日露戦争で何をしたのかさっぱり、でしたよね。


そして、続く苦戦の末にロシア軍の逆襲を押し返した
沙河の会戦については、それ自体がドラマ中に全く存在しません。
名将として小説中に登場する梅沢少将もです。


   まあ、乃木・ステッセルの水私営の会見すら一シーンもなかったドラマですから、
   ある意味当然かと・・・・(-_-)


また、黒溝台の戦いでは、さすがに少しはやりましたが、
なぜロシア軍が撤退したのか、説明が不十分で見ている視聴者にはわかりません。
また、この戦いで必死の援軍をした第8師団長の立見尚文も、全く登場しません。



   全体的に、「やられるがままにばたばた死んでいく日本兵」だけを必要以上に強調し、
   戦闘の流れが全く読めませんでしたよね。
   わたしも「どうしてここから勝つことができたのか、わかる人はいるまい」と思って見ていました。


奉天会戦は、10年後の第一次世界大戦まで、世界史上最大の戦力が激突した
日露戦争の天王山です。

当然、ドラマ1回分、できれば2回分でやるべきではありませんか
(実際は黒溝台と奉天で一回分)。


旅順の描写にも問題点がありますが

● 二百三高地が陥落したことは旅順の陥落ではなく、
その後のロシア軍のごたごたの末に開城したこと、

● 敵の主将のステッセル中将が全く登場しないこと、

● 旭川第7師団の大迫中将の印象的なセリフが唐突で、
知らない視聴者には何のことかわからないこと、

● 敵の名称のコンドラチェンコが一カットしかなく、
それも字幕が出ないので誰だかわからないこと

それでもそれなりに満足できる出来だったと思います。


しかし問題は、旅順は支作戦であり、本当の決戦である
北方の満州軍の戦いについて上記のように描いてもいないし、
日露戦争を知らない大半の視聴者にとっても説明不足なことです。



   わたしは制作者がその「要点」をつまり理解していないのでは、と思いました。
   全体的な流れを重視するあまり、取捨選択が雑になったのでは、と・・・。


海軍側ではお気づきと思いますが、幸運だった黄海海戦は
ただ艦艇配置図を一瞬示しただけで終わり、
名将マカロフも戦死の場面もなくいつの間にか消えていて、
またのちの大敗の伏線になるバルチック艦隊の苦難の航海が、ほとんど全く描写されていません。


   はい。そのとおりです。
   マカロフ、いつの間にいなくなったの?とわたしも思いましたし、そもそも
   ロジェストベンスキーの乗ったフネが拿捕される様子や、前にも書いたように、
   ロ少将を見舞う東郷長官の話すらカットしましたからね。
   まったく何が描きたくて「坂の上の雲」を放映したのか、って感じです。


第一回の初めで
「この物語は、その小さな国が、ヨーロッパにおける最も古い大国であるロシアと対決、
どのようにふるまったかという物語である」
とはっきり主題を提示しているのにもかかわらず、実態は上記のごとくです。


   毎回毎回あのタイトルをしつこくやるのも、DVDで見ている者にとってはうんざりでしたね。
   あのタイトルにあれだけ時間をかけるなら、もっと他にやることがあるだろう、と。

尺の長さを見れば一目瞭然で、原作の第3巻途中までに相当する第1部・第2部に2年間をかけ、
第3巻後半から第8巻までをわずか4回でまとめるというおかしな構成です。
(私はこれをはじめに見たときに目を疑い、次には信じないようにしました)。


これでは「リーさんとかアリアズナとか季子とかもう出てくるな、時間がないから」と言いたくなります。

私は第三部を半年くらいの放映で作り直してほしいのですが、いかがでしょうか?


   確かに(笑)。
   これだけいろんなことを端折って、そのかわりドジョウを捌くの捌かないの、って・・・。
   と言いたくなりますね。
   もっとも、三角関係や異国の恋を描かないと喰いついてくれない視聴者もいますから、
   制作者としては痛し痒しなんだと思いますが・・。




わたしもダンブライトさんと全く同感で、後半はいくらなんでも駆け足過ぎるだろう、と思います。
そもそも、広瀬武夫が準主人公みたいな扱いになっているせいで、
旅順閉塞作戦だけがやたら力が入っているんですよね。


ただ、いわゆる「星雲編」、あれはあれでドラマとして非常に面白く見ることができました。
あれをすっぱり失くしてまで、史実を子細に述べるべきだとは言えませんが、
少なくとも同じくらいの、いやそれ以上の密度で日露戦争を語らないことには、
単なる「秋山真之、好古、そして正岡子規の物語」にすぎない、という気がします。

もしかしたらNHKは膨大なストーリーから、多くを網羅することをあきらめて
「青春バイオグラフィー」の補強としてのみ史実を扱うことにしたのか、といった感さえあります。




それにしても、このような題材を、しかも長期に亘る放映で、
巨額の製作費を投入して制作することができるのは、
残念なことですが今の日本では現実に「NHKしかない」のです。


しかしながらその当事者に、それだけの重責を担っているからには誠実にかつ良心的なものを造ろうという
「使命感」があまり見られないのは、不幸なことだと思います。

NHK自身にとっても、何より我々日本国民にとっても。








辛坊治郎氏に言いたいこと~ヨット遭難事故その後

2013-06-29 | 日本のこと




今の時期どなたもが頭に思い浮かべるあの救出について、
もしかしたら発言なり感想を求められている気がしたので、書きます(笑)


2013年6月21日読売系列のフリーキャスター辛坊治郎氏(57)のヨットが
日本から1200キロ離れた太平洋上で浸水後沈没。
遭難救助には海上保安庁の航空機と巡視船がまず救助に出動。
波が高く救助は困難との海保からの災害派遣要請で、海上自衛隊が
救難飛行艇US-2などを緊急出動させ、辛坊氏と同行者の岩本光弘氏を救出。


これがこの事件の概要となります。

使用するヨットが事前に不具合を起こしていたのにもかかわらず、修理もろくにせずに
天候の悪い中出航を強行した末の救出劇であり、その無謀さとともに、
かつてイラクの人質事件のときに前代未聞の「人質の自己責任」という言葉を
舌鋒鋭く唱えた本人が今回自分がその自己責任を問われるという事態となったこともあって、
世論のほとんどはマスコミが「賛否両論」と誘導したがっているのとはうらはらに、
圧倒的に辛坊氏に批判的な様相を呈しています。

この一連の企画には、「不幸をばねに目的達成」という絵面でむりやり人を感動させることを目的に
いつも障碍者を利用する「24時間テレビ」の企画が絡んでいて、
そのスケジュールに合わせるために悪天候を圧して出港したいう批判が当初からわいていました。

「24時間テレビとこの企画は無関係だ」

と関係者がさっそく噂の否定に入ったことが、逆にそうであったことを印象付ける結果となっています。


この24時間テレビ、わたしは当然一度も見たこともないのですが、
間寛平の「24時間マラソン」で味を占め、その後それをウリとしてきたわけで、
その同工異曲の「感動企画」として、たとえば昨年は全盲のアルピニストに登山をさせたという話です。

これだけで、心象的には十分推定有罪は免れないわけですが、
実際のところ「24時間テレビ」と関係ないどころか、関係大いにありという証拠がでてきました。

今回使用されたヨット「エオラス」ですが、間寛平の元マネージャーで、
24時間マラソンの発案者である人物の所有するものであるということです。
これは何かの偶然でしょうか。
これを以てしても、まったく無関係だと当事者は言い張るつもりでしょうか。


「エオラス」号に出港直前に不具合が見つかったにもかかわらず修理をしなかったのも、
「テレビ的に」絵を間に合わせるためにスケジュールは変更できなかったというところでしょう。


不思議なことは他にもあります。

まず辛坊氏はもともとヨットという乗り物に知悉していたのでしょうか。
自身でもヨットを所有し、しょっちゅう外洋に出ている人物だったらともかく、
ウィキペディアを見ても決してそうではないんですよね。
つまりヨットにも「フネ」に関してもまったくの「素人」であったようなのです。

だからこそ、この企画に「応募してきた」セイラーの岩本氏とバディを組んだ、ということですが、
ここでなぜそれがわざわざ視覚障碍者である岩本氏だったのか。

もしこの企画と24時間テレビとが何の関係もないのなら

岩本氏には失礼ながら、非常に不思議な選択と言えます。

過去のニュースによると、辛坊氏は最近ガンが発覚し、その手術を終えたばかりとの由。

「ガンを克服したキャスターの太平洋横断(アシスト健常者のセイラー)」

十分それだけでも「ドラマ」としては成り立つような気もするのですが、
飽きられないように刺激をエスカレートさせていかなくてならないテレビ局としては
それだけでは「弱い」という判断でもあったのでしょうか。

しかもこの企画、辛坊氏当人が発案、つまり本人の希望ではなく、
この「24時間マラソンの発案者某氏」が辛坊氏に持ちかけた企画で、
辛坊氏はそれが決まったときのことを

「誰も止めてくれなかった」

と冗談とはいえ自分で言っていたというのです。

ここで慎重に、かつ最悪の事態を熟慮し断る冷静さを持てなかった辛坊氏は
あまりにもどっぷりと「テレビ界の人間」でありすぎたということなのでしょう。


というわけで最悪の事態は起こり、辛坊氏は海保と海自によって救出されました。
この無謀な企画の顛末は、税金からの救出費用概算1000万投入に加え、
成功していたらおそらく辛坊氏に殺到していたと思われる講演、
メディアの露出、そして各種出版物での利益、そしてなにより冒険家としての名声、
全てが(文字通り)水の泡と帰してしまったということになりました。

わたしはもともと「辛坊治郎」という個人ではなく、「テレビ業界」にこそ今回の責めどころがあると思い、
どちらかというと企画に乗らざるを得なかった辛坊氏には同情的でした。

ただ、「この国の国民でよかった」という救出直後の涙ながらの言葉には

「どの国の国民でも助けるのが海保であり自衛隊なんだけど・・・」

とわずかに白けた気分を味わったのも事実です。


たとえこの人物が、かつてイラクの人質救助に対し「自己責任だから税金使う必要はない」
と叫んでいたとしても、シーシェパードであっても、敵対する国の侵入者であっても、
助けを求めていたら救助に向かうのが自衛隊というものです。

「この国の国民だから助けてもらった」のではないのですよ。
辛坊氏は、まずお父上が所属していたという、その自衛隊に対して一言、
ちゃんとお礼を言うべきだと思います。

まあ、こんな風には考えましたが、先ほどもいったように「宮仕え」でもある氏に
全ての責任を負わせるのは間違っている、むしろ責められるべきは
この企画をゴリ押しした連中であろう、と思っていたのです。

しかしね。

さきほどこのニュースを見て、わたしはあまり氏に同情できなくなりました。


文春は辛坊さんの救出で4000万円の税金が消えたとして、
辛坊さんに費用を払う考えがあるのか質問し、

「“払います”と言えば、助けてくれた自衛隊員が喜ぶと思いますか。
命をかけて助けてもらって、それが金かよって思わないか。
目の前で命がけの彼らを見ていて、それで金払いますとは言えないだろ……」


という辛坊さんのコメントを掲載。
それゆえ特集の小見出しが「本誌直撃に“金は払わない”」となっている。


取りあえず相変わらずのマスコミですね(笑)
辛坊氏はつまり、自衛隊は金のために任務遂行しているのではない、金じゃないだろう、
それをいうのは失礼だろう、といっているわけです。
それを

「金は払わない」

こう一言でまとめてしまう相変わらずのマスゴミ手口には呆れてしまいますが、
いや、なかなか辛坊氏のこの発言も・・・・・・。

確かにその通りだとは思います。
お金に自分たちの行為を換算されるのは、自衛隊の隊員の本意ではないでしょう。
そんなこととは全く無関係に、彼らは任務を遂行するのですから。

しかしこれ、
実際に税金から大金を投入させて助けられた本人が言っていいことでしょうか。

しかも、今回の無謀な冒険?の目的って、いったいなんだったんですか?
本人は「24時間テレビは関係ない」という。
じゃあ、何のためにこんなことを企画したんですか?

企画立ち上げのときの記者会見では、何社もの「スポンサー」のロゴが、
その後ろのボードに書かれていましたね。
これだけスポンサーがいたからには、「営利活動」でしょう?

さらに、もし成功していれば、名声、講演会、出版物、その他諸々の
「成功報酬」が見込まれていたわけだから、「営業活動」でもあったわけですよね?


こういう目的で無茶をしておいて、助けられたら

「目の前で命がけの彼らを見ていて、金払いますはないだろ」

と、無償の任務を彼らが喜んでやるのが当然であるかのように言う。
これが、自衛隊や海保ではなく、もし民間の救難隊であれば、辛坊氏はどう言ったのでしょう。

これが山岳救助なら、時間いくらの救難費用は辛坊氏とその事務所に請求されるわけですが、
必死に救助に当たってくれるであろう救難員に対し、

「目の前で命がけの彼らを見ていたからこそ喜んで金払います」

とでもそのときには言っていたのでしょうか。
それとも、無謀の代償として不承不承支払ったのでしょうか。
民間の救助に対し「金払うというのは失礼」などとたわけた寝言をもし言ったとしたら

「いや、払えよ」

と言われるだけだと思うのですが、辛坊氏はこの矛盾をどう考えるのでしょうか。


自衛隊の隊員の気持ちになって考えてみれば、もちろん、
自分の任務に対して救助者がいくら感激したといっても「金払います」
などと言い出したら「金銭のためにやっているのではない」と思うにきまっています。

が、

「金払いますと言われて喜ぶと思いますか」

と助けた本人に代弁されてもねえ。
むしろ、

「そんなこと勝手に慮られたくない」

という風に内心カチンときませんかね。
しかも先ほども言いましたが、この人、自衛隊と海保に対して直接の謝意は表明していないんですよ。

「自衛隊の皆さん、海保の皆さん、
あなたたちが守ってくれる国の国民でよかった。
有難うございました」

ときっちり言ってからなら、上記のセリフにもかろうじて意味はあるという気がしますが。


しかし実際、この救助に向かったのが海上自衛隊の、
しかも世界に誇る水上艇U-2でなかったらおそらくこの二人の命はなかった、
というのは大筋の認めるところです。
海保では波が高すぎて助けられなかったので海自に要請が出され、
その海自レスキューの隊員ですら

「こんな高い波の中での救出は初めて」

というほどの、いわば決死の救助だったわけです。

辛坊氏とこの盲目のセーラーの命は要するに自衛隊に拾ってもらったようなものです。
今までは「局是」で、特定の保守政治家に自殺しろといったり、あるいは
民団で講演活動をしたり、どちらかというと「反体制」が目についてきたわけですが、
是非今後の人生、辛坊氏にしかできない
「報道関係者としての自衛隊への恩返し」、
(自衛隊の救助活動について広く喧伝するための講演活動をボランティアでするとか)
をせいぜい心がけて生きていっていただきたいと思います。


あ、それから、お金を返す方法は「自衛隊に払う」だけじゃありませんからね?
国庫に寄付するという方法もありますので、ぜひ考慮なさってみてはいかがでしょうか。

それならきっと、その気持ち、というか志に対し「自衛官たちも喜ぶ」と思います。



・・・というか、助けられたモンが居丈高に自衛官の感情を楯にしてんじゃねーよ。(迫真)

 

 


 


「坂の上の雲」の二人の女たち

2013-06-28 | 日本のこと



というわけで何かと不可解かつ不快な部分が見つけたくもないのに
見つかってしまう「坂の上の雲」。

この辺で歴史から少し離れて、感想を述べることにしましょう。
間違い指摘でも、糾弾でもありませんから安心してください。



■本当かウソか?お国ことば乱発の聯合艦隊

軍隊と言うのは全国津々浦々から人が集まってくるところですから、
下手すると方言ではお互い何を言っているのかわかりません。

そもそも、標準語などと言いますが、明治初頭の日本には
「標準語」などという概念は存在していませんでした。

1895年、明治28年になってようやく学者による
「標準語の必要性」が説かれ始め、東京の教育のある層が話す言葉を
標準語として決めましょう、という提案がなされたくらいなのです。


この「坂の上の雲」における軍人たちが、東郷司令長官の薩摩弁を始め、

秋山真之=松山弁
有馬良橘=紀州(和歌山)弁
島村速雄=土佐弁
鈴木貫太郎=大阪弁
山本権兵衛=薩摩弁
日高壮之丞=薩摩弁
児玉源太郎=山口弁

をそのまま使っているのも、もしかしたら史実通りなのかもしれません。
司馬の原作によると、東郷長官は

「ほぼ標準語のようにしゃべっていたが、語尾だけはなおせなかった」

ということなので、このドラマでも、この以前の媒体においても、
東郷長官と言えば「ごわす」「なりもす」の人、というイメージが
定着してしまっています。

これもおそらく本当にそうだったのでしょう。


まあ、それはいいんですが・・・・この渡哲也演じる東郷平八郎、

「極端に無口だった」

とされる東郷さんにしては、ペラペラと終始よくしゃべりますなあ。

三船敏郎亡き後、東郷平八郎を演じても文句の出ない俳優、
というのはさすがのエリス中尉も全く思い浮かばなかったりするわけですが、
それにしても、渡哲也、ねえ・・・・・。


■「坂の上の」女二人


皆さん。

どう思います?このドラマで秋山を巡る女性二人。
幼馴染の正岡子規の妹、は、終始秋山にぞっこんで、
秋山もまた憎からず思っているはずなのに、
律は結婚したり離婚したり結婚したり離婚したりして。

確かに正岡律は秋山と幼馴染で、家に秋山が来たときには
難しい話にも加わってくるので子規から

「秋山と結婚したらええ」

などとからかわれていたそうですが、それは何と律が

15歳で結婚

するまでのことであったというのです。
たかがそれだけのエピソードを、あんな「一生の秘めた恋」
にしてしまうというのも、「いかにもドラマ」でうんざりです。

そもそもあれだけお互い思いあっていると言うのに
秋山が律に一顧も与えず稲生季子と結婚するという設定には、


「やっぱりこういうエリートは世間体と海軍での出世を考えて、
平民の出戻り女より華族のおぜうさんを選ぶのね」


とついつい、ドラマにおける秋山の人格すら疑ってしまうではありませんか。


病室に訪ねてきた季子と秋山の笑い声を「はっ」と立ち止まり廊下で聴き、
持ってきた果物をドアの外に置いて黙って去る律。

それを知った秋山は、わざわざ律の学校にまで押しかけていってこれを謝るのです。
もしかしたら秋山真之、暇ですか?

エリス中尉にはわからん。
なぜここで秋山が律に謝るのか。

何か秋山は律に約束でもしていたのか?
実は「そのうち嫁にする」とでも言っていたのか?



そしてその後ご存知のようにあっさりと秋山は季子と結婚してしまいます。
ところがこの新婚家庭に、ある日律さん、突撃してきます。

この季子と言う女がまたしたたかで(笑)、
律さんが語る秋山の幼いころのこと、つまり自分の知りえない秋山の過去の
想い出話をけらけら笑って聞いていたと思ったら、律をいきなり台所に連れて行き、

「わたしはどうしても怖くてできません」

とブリブリぶりっ子(死語?)ぶって、桶で泳いでいるドジョウを律に捌かせます。
顔色一つ変えずドジョウの脳天に三寸クギを打ち込み、サクサクとかっ捌いていく律。

怖くてどうしても捌けないようなものを、
たまたま私が来なかったらどうやって料理するつもりだったのかこの女は。

こんな律さんの内心の舌打ちが聴こえてきそうな好演技でしたね。

そして、「ドジョウも捌けない、か弱くて上流育ちのアタクシ」アピールに、
心の底からこの女ウゼーと律は思っているに違いないわけですが、
その律も気付いているかどうか。

実はこれ、季子の強(したた)かな「戦略」なのですね。

「アナタは幼馴染でアタクシの知らない真之さんを知っているかもしれないけど、
海軍一の秀才で将来大将間違いなしの出世頭の真之さんが選ぶのは、
この、華族の娘で華族女学校出の才媛であるアタクシなの。
山出しで出戻りのアナタなんかお呼びじゃないのよ」

と、しっかり「妻の座」アピールをしているわけです。
つまり、律に釘を刺させて、自分も釘をしっかり刺していた。

誰がうまいこと言えと。

わたしは思いますが、きっと季子さんは律がいなかったら、
平然とドジョウを捌くことができたに違いありません。


男性の方々。
女性ならあの二人のやり取りからこれだけのことを、
おそらく誰でも読み取ることができるのですよ。

覚えておくように。


で、この女二人がそうやってにこやかな笑いの下で白刃を交えて
水面下の「女の争い」をしているのを、秋山真之は懐手しながら所在無げに、
しかし心底心配そうにうろうろしながら立ち聞きしたりします。

この、三角関係における男の立場と言うのは、たとえ海軍一の秀才で
天才参謀の誉れ高かった秋山真之をしても、途轍もない間抜けに見せるものです。

日本海海戦の立役者である歴史的人物をぐっと身近に感じさせる
この人間らしいエピソード、実にほのぼのしますね。



この二人のバトルはここで終わらず、日露の間で開戦になったとき、
律は動転してなぜか秋山の家に駆け込んできます。

「もし愛している人が戦争に行ったら、律さんはどう思いますか」

とそんな律に冷水を浴びせるごとく平然とジャブを繰り出す季子。
はっと動揺する律。

季子さん。あなた、知ってますね。


自分の夫の気持ち、相手の女の気持ち。
全てを知っている妻が、その妻の座にあることの誇りをかけて言ったに違いない
痛烈な一言であると言えます。


誰の小説だったか忘れましたが、長年の腐れ縁であった女を捨てて、
無垢で純真だと思っていた女性と結婚した男が、あるとき、
何も知らないはずの妻から

「知っているのよ。でも許してあげる」

と呟かれて背中がぞっとする、という話がありましたが、
どうもそれを思い出してしまいましたね。このシーン。


そして季子さん、ダメ押しとして、律に向かって

「わたしの用心棒になってください」

なんていうのです。
女性が女性から「用心棒になって」と言われた場合、それは
女としてあなたは存在していないと断言されたも同然ではないですか。
この、考えようによっては超失礼な申し出に、律は笑って

「引き受けます」

なんて答えたりするわけですが、まともな感性を持っていて、
しかも実は男性に思いを寄せている女が、その妻から
「用心棒」呼ばわりされたとしたら、さぞかし屈辱を感じるのではないかと、
わたしなどは思わずにはいられないのですが。

どっちもわかって言っているとしたらとんでもない欺瞞だし、
秋山だって一度庭先で抱き合ってしまったことや、昔からの思いを
ある日突然ぶちまけられるんではないかと気が気ではないだろうし、
なにより当の新妻にこんな超特大釘を刺されているわけだから、
律さん、ここは潔く諦めて、今後秋山家には近づかない方がいいと思います。


・・・・・・・と考えてしまわずにはいられないようなベタな男女関係、
何より明治時代にはあまりありそうにない人間模様を
これでもかと安いドラマ仕立てにしてばらまく、NHKの「坂の上の雲」。


さすがに司馬の原作にはありませんよね?
もしあったらわたしは司馬遼太郎を(略)






中韓はウソにまみれた「避諱(ひき)」の国(転載)

2013-06-26 | 日本のこと

一止羊大(ひととめ・よしひろ)氏は、大阪府の公立高校長など歴任。
校長としての在任中に日教組教師との「日の丸君が代」問題を巡って
精神を病みそうになるほど、その整然とした理論と意志を以て戦ってきた人物です。
その経験を書いた著書に『学校の先生が国を滅ぼす』があります。

この不思議なペンネームは

「一人でヒツジの群れのような盲目的反日ドグマ信者の流れをせき止める」

という意味ではないかと、わたしは勝手に理解しています。
その一止氏の最新のエッセイがありますので、ご紹介します。






古来、日本には「清き明き心」を何よりも大切にする伝統がある。

日本人のDNAにしっかりと息づいた美徳と言ってよいものだ。

地方へ行くと、道ばたに野菜などの無人販売所が無防備に置かれているのをよく見かけるが、
お金を払わずに品物だけを盗んでいく人がいるという話はあまり聞いたことがない。
この無人販売所の存在は、正直を尊ぶ日本人の「清き明き心」を象徴するものの一つだ。
評論家の黄文雄氏(台湾出身)は、日本人の心性を「誠・施・和・公・浄」の5文字で表し、
「誠実で、人に施し、平和を好み、公共心に富み、汚いことを嫌う」と称揚している。



国内では当たり前のこの価値観も、残念ながら国外では全く通用しない現実がある。
世界には平気でウソをつく国や、他国の物を自国の物だと言って恥じない国があるのだ。


例えば韓国がそうだ。竹島問題は、戦後、韓国が敗戦国日本の弱い立場につけこんで
島を不法に奪い、実効支配を始めたことから生じたものだ。
「従軍慰安婦」問題も、日本をおとしめるために作られた真っ赤なウソ話が元になっている。

拓殖大学教授の呉善花氏(韓国出身)は、韓国を「虚言と虚飾の国」と形容し、
「ウソつき大国」だと断罪している。
「どうしてこの民族はこんなに自己中心的なのだろうか」と嘆いてもいる。


中国はさらにひどい。自ら日本領と認めていた尖閣諸島を、
70年代に入って突然、自国領だと主張し始めた。
まさに尖閣問題は、中国の利己的な欲望と帝国主義的領土拡張志向の産物なのだ。
日本の領海に入り込み、島に上陸し、日本の巡視船に船を体当たりさせ、
飛行機で領空を侵犯する等の無法行為を重ねている。


「中国の島を日本が盗んだ」と口汚く罵(ののし)り、
戦後の国際秩序を日本が破壊しているとまで非難する。
反日デモという名の暴動を繰り返し、放火、略奪、暴行、破壊など
無法の限りを尽くしたのも記憶に新しい。

公海上の海上自衛隊護衛艦などに射撃管制用レーダーを照射したにもかかわらず、
抗議を受けると日本のでっち上げだと嘯(うそぶ)く。

黄文雄氏は、中国の国民性を「詐・盗・争・私・汚」の5文字で表し、
「ウソをつき、盗み、人と争い、個人の利益を追い求め、そのためには汚いことも辞さない」
と解説している。

韓国人や中国人が平然とウソをつくのはなぜか。

工学博士の林思雲氏(中国出身)などによれば、
韓国や中国では、国家や家族にとって都合の悪いことや不名誉なことは隠すのが正義であり、
そのためにウソをつくのは倫理的に正しい行為なのだという。

韓国人や中国人のこの一般的な心性は、日本では全くなじみのない
「避諱(ひき)」という儒教上の概念でくくられるのだそうだ。
いやはや、日本人とは真逆の国民性ではないか。


日本には「清き明き心」に通底する謙虚・謙譲・謙遜といった価値観もあり、
それが自虐教育の背景の一つにもなっていると思われるが、
この心情も「避諱」の国には全く通じない。

他人を悪く言うことを慎む日本では、
他国の性悪な面を学校で子供たちに教えることを避ける傾向があるが、
日本人の美徳は大切にしながらも、世界には日本の価値観が通じない現実があることを
正しく教えていく必要がある。


ウソにまみれた国を相手にするには、それなりのしたたかさと覚悟が不可欠なのだ。




「坂の上の雲」~義和団事件は「大国の侵略」(by NHK)

2013-06-25 | 日本のこと

ことNHKの糾弾ともなるとやたら筆が、じゃなくてキーボードを打つ指が
軽くなってしまうエリス中尉ですが(笑)、最近のニュースによると、
調査媒体の8割が「NHKは解体するべきである」という意見だとか。

さもありなん。

わたしのようにうちにテレビがないため、ほんの一瞬、つまり車の中で
DVDのためにモニターを切り替える一瞬見聞きする情報にすら、

「なんだそれ」

と思わずつぶやいてしまうくらいの酷い報道ですから。

尼崎の事件、「日本人なら誰でもよかった」と言った通り魔殺人犯。
いずれも犯人が在日韓国人であることは報じられなかったそうですね。

皆がネットで確認できているのにもかかわらず、異常なくらいその手のニュースには
「規制」をかけるのがNHKの報道姿勢ですが、6月6日、堺市の不明女性が
奈良で遺棄死体で発見された事件をたまたまNHKラジオで聴いていたところ、

「いずれも無職で堺市堺区に住む南政宏容疑者と池田和惠容疑者、その他が

・・・その他って。

どうして言わない。韓国籍の李誠二容疑者と。
そんなに長い名前でもあるまいに、わざわざどうしてこの容疑者だけ名前を言わない。

NHKの通名報道は有名ですが、犯人または容疑者が朝鮮名だった場合は、

「その他」「~ら」

とするというのが、どうもNHKさんの報道基準となっているようです。

そんな見え見えのごまかしをしても、今の時代、瞬時にインターネットで
情報が検証できるのだから、かえって「解体派」を増やす結果にしかなっていないのに、
それをやってしまう。
せめてテレビしか見ていない層への刷り込みだけは怠りなく、ってことでしょうか。


世間で言われているところのNHKの問題点とはほぼこの一点に集約されていて、

「中国に配慮、韓国はゴリ押し」

民主党をプッシュし自民党をこき下ろして政権与党にでっち上げたのも、
辿っていけばその根はこの「局是」に行きつくのだろうと思われます。


さて、この「坂の上の雲」が絶賛制作中、その過程を番宣と言う形で放映していたのを
たまたま観ることがありました。
ロケを中国、韓国で行い、なぜか韓国人監督(だかディレクター)にインタビューし、
その意気込みをアツく語らせていました。

中国人俳優を必要とし、さらに騎兵のシーンでは草原を騎馬隊が疾走する、
という絵が必要なら、中国ロケは至極納得いきます。

しかし、なぜわざわざ言葉の通じない韓国人スタッフを大量に採用し、
エリス中尉を除く国民から徴収した視聴料を韓国にばらまく必要があるのか。
さらに、韓国人監督(だかディレクター)の意気込みなどがあのドラマの性質上
必要なのか。

そんな胡散臭さを瞬時に嗅ぎ取ってしまったのでした。

というわけで、そういった製作事情が、ドラマにどんな影響を及ぼしているか、
今日はそういった部分を指摘していきたいと思います。


義和団の乱で一方的に殺される中国人民

北清事変とも呼ぶこの動乱は、義和団を名乗る秘密結社を、
西太后が利用し、清国として欧米列国に宣戦布告し、それを当時のG8であるところの

イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、
オーストリア=ハンガリー、イタリア、そして日本
(おまけ オーストラリア)

の列強が制圧した、と言う事件です。

なぜ義和団が制圧されねばならなかったか、という根本の理由と、
そもそも義和団が何を駆逐しようとしていたのか、と言うことが、
ほとんど語られないまま、ドラマは

連合軍の兵士たちに略奪、殺戮される中国人

だけを強調します。
これは実に不可思議な視点で、そもそも義和団と言うのは
中国国内のキリスト教信者、ひいては外国公使を弾圧していたのであり、
籠城の舞台となった北京の公使館地区には、外国人900人余りに対し、
中国人のクリスチャンはその三倍以上の3000人が保護を求めて
逃げ込んできていたのです。

義和団に殺害された中国人クリスチャンは最終的に2万3千人といわれますから、
彼らにとって義和団ないし義和団を認めた西太后は迫害者です。

北京籠城の末、主に日本の働きによって義和団は鎮圧されました。

が、NHKにかかるとそんな「細かいことはどうでもいい」ようです(笑)


中国の村落に駐留中、中国人に取り囲まれる秋山好古。

「同じ東洋人のよしみで助けてほしい」

懇願されるのだが、秋山には為すすべはない。
おりしも、村で略奪中のロシア軍兵士たち。
裕福な家から蓄音機を盗み出し、家の主人を撃ち殺し、嬉々として
その音に聴き入る。

また、逃げる中国人を後ろから無残に撃ち殺すと、中国人は

「清国万歳!」

と叫んでからバッタリ倒れる。

それらの残虐な行為を眉を顰めて見ていた秋山、

「抵抗分子の殲滅のためだ」

とうそぶくロシア人将校に向かって、傍らの中国人の子供を抱き上げ、

「この子も抵抗分子なのか?」

となじるのであった。



いやもう、酷いですね(笑)
確信を持っていうけど、これは司馬の原作にはないラインでしょう。
あったらわたし、司馬遼太郎を完璧に馬鹿にしちゃう。

突っ込みどころがありすぎてどこからツッコんでいいのかわかりませんが、
まず、中国人が「清国万歳!」と叫んで死ぬこと。

これは、いくらロケ地のセッティングでお世話になったからって、
中国人にへつらいすぎですよ。NHKさん。

まず、連合国はここに何しに来ているのですか?
義和団の鎮圧ですね?
どうして一般の中国人を殺戮しないといけないの?

そして、殺される中国人が、今わの際に「清国万歳」と叫ぶというのは
当時の中国人のメンタリティ、さらには彼らの置かれている状況からして
全くあり得ないことで、失笑ものです。

仮に連合国の軍隊が「清国」そのものを弾圧に来ていて、さらに民衆の間に
抵抗運動が起きてでもいたのなら、
中にはそう言って死ぬ中国人もひとりやふたりはいたかもしれません。

しかし、一般の中国人を2万3千人殺戮していたのは、外国勢ではなく
現実には同じ中国人である義和団だったわけでね。
連合国の結成と言うのはつまり「自国民と中国人クリスチャンを救出する」ために
なされたことだったわけでね。

なんでここで一方的にロシア軍が悪者になって、中国人が被害者として描かれるのか。
義和団の乱を描きながら義和団の描写が全くないのはなぜか。

勿論そういったことが皆無であったとは言いませんが、こういうことを描く前に
きっちりと説明しなければいけないことがほかにいくらでもあるだろうと。

義和団の乱について何も知らない人が見たら、単なる「大国の中国大陸侵略」にしか
これは見えないんじゃないでしょうか。

まあ、NHKさんは最近何事においても中国人民の視点から物事を語る傾向にあるので、
この事件をもしかしたら「侵略」としてこれから喧伝していくつもりなのかもしれませんが。


というわけで、この件でわたしの脳裏をかすめたのがこの言葉。

「坂の上の懲りないNHK」


■日の丸の全くない聯合艦隊出港



わたしはNHKに言いたい。

日本国民が、いま出撃のため岸壁を離れていく「三笠」を見送る。
そのシーンにすら日の丸を映すのがそんなに嫌なら、
いっそこんなシーンは全く無くしてしまっていただきたい。

いや、最初から聯合艦隊を描いた番組など製作しないでいただきたい。



いやしかし・・・・・来るところまで来ているね。

全く同じシーンで、たとえば「海ゆかば 日本海大海戦」は、
手に手に人々が日の丸の小旗を振り、その白と赤が劈頭にさざめき、
さらに岸壁に来ることができなかったものが小高い丘や、
屋根の上に登って国旗を振ったり、紋付き袴の老人が、
巨大な日章旗を力の限り打ち振る様子が描写されていました。

なんなのそれに比べてこの寒々しい限りの出港の図は(笑)
なぜ海軍旗はもちろん、日本の旗すら一つも見えないの?

この人たちはいったい誰を、何を、何のために見送りに来ているの?



こんな不思議な映像を平気で製作できるなんて、日本人とは思えませんね。
スタッフに中国人か韓国人、もしかしたらそのどちらもがいたのかしら。
それで彼らの「感情に配慮」して、日の丸旭日旗をカットしたのでしょうか。

それとも李、玄、田、朴という名前を持つ四人のNHK幹部のご意向・・・・おっと。



なぜか毎回こうなっているわけでもなく、たとえば黄海海戦の後、
日本の勝利を祝う民衆の様子にはさすがに日章旗と海軍旗がありました。

さすがにここで国旗を映さないわけにはいかなかったのでしょう。
映したくないが仕方がない、そんなスタッフの舌打ちせんばかりの苦渋が偲ばれます。
ここだけ日本人スタッフでこっそり撮影でもしたんでしょうか。

 

NHK、マジで一遍解体して全員路頭に迷わせてもいいと思います。








拝啓 安倍総理大臣殿~97歳の証言者

2013-06-21 | 日本のこと

朝鮮の地方行政の担当者だった97歳男性から安倍総理への手紙です。
紹介しているのは、朝日新聞とニューヨーク・タイムスの「伝言ゲーム」を解明した
木走まさみず氏のブログです。
以下、引用です。ただし、読みやすく改行しています。


なお、内容の真贋を検証できていませんことを前提としてお読みください。


拝啓 安倍内閣総理大臣殿

和歌山県田辺市 西川 清 (97歳)

日夜国事に精励されている総理大臣に対し、
名もなき一介の老耄がお手紙を差上げるご無礼をお許し下さい。

私は生きているうちにこれだけは申しおきたいと思う一事があります。
それは、いわゆる従軍慰安婦なるものについてであります。

結論から申せば、朝鮮(北朝鮮及び韓国)等の言う従軍慰安婦なるものに、
日本の軍や官が強制連行など関係したことは絶対ありません

かく私が断言することができるのは、
私が朝鮮・江原道の寧越群及び原州群の内務課長を歴任した経験があるからです。
以下、当時の状況等について申し述べます。


私は昭和8年に朝鮮に渡り、江原道庁に奉職致し、
敗戦により引き揚げてくるまで勤め、その間一年間臨時召集により入隊しました。

朝鮮の行政は、総督府から道庁に伝わり、道庁から出先機関の群庁に伝わり、
群庁より府・邑・面(日本の市町村)を通じて施行されました。
(当時、江原道内には府はなく、邑と面のみ)。

群長は群守といって、殆どが朝鮮人で、その下に内務課、勧業課があり、
内務課長は殆ど日本人で、経験豊かな四十歳を越す属官で、
人事その他一般事務を司り、群庁の実権を握っていました。

内務課長の所管事務のなかに、邑、面の指導監督や兵事等もありましたが、
朝鮮人にチョウ兵(注・兵役?)の義務がありませんので、
兵事は主に在郷軍人に関するものぐらいでした。

朝鮮人男子青年にはチョウ用があり、総督府より道に対し人数の割り当てがあり、
道はこれを群庁に、群庁はこれを邑、面に対して割り当てをして、
集めた青年を釜山に連れて行き、総督府の係官に引き渡しました。


女子に対してはこのようなことは一切なく、軍が慰安婦を集めんとすれば、
朝鮮軍司令部が総督府に依頼して、前述の系統をたどり集めるしかありませんが
このようなことは一切ありませんでした。

売春婦が強制連行されたの拉致されたというのは、女衒かその類の者の仕業であって、
軍や官は一切あずかり知らぬことであります。
日本婦人でも売春婦として軍の居る所に多くいましたが、
一人として従軍慰安婦などという者が居たでしょうか。

日本人と違って、恥を恥とも思わず、金さえ儲かれば良いと思う輩が、
敗戦により日本人が委縮しているのにつけこんで、
あらぬ嘘を申し立ててくるなんて腹立たしい限りです。


今はもう、総督府の事務官はじめ、道や群の行政府にも軍にも
当時の実情を知る者は殆ど亡くなられたものと思われます。

然るに、今を生きる日本人のなかにも、自虐性に富む輩のうちに、
従軍慰安婦なるものに軍や官が関与したなどと申す者がありますが、
朝鮮売春婦の故郷とも申すべきスルチビ(居酒屋)、カルボチビ(娼家)
の戦前戦中の実態も知らぬくせに、
いいかげんに机上の空論をもてあそぶのは誠に概嘆に耐えません。


国威を失墜し児孫に負の遺産となる河野談話の見直しは、

安倍総理を除いては望むべくもありません。
ぜひぜひ誇りある日本の為に、この際断固たる訂正を心からお願いし奉る次第であります。

最後になりましたが、邦家の為にも総理のご健康をお祈り致します。

敬具

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西川 清氏の略歴
大正4年:和歌山県田辺市生まれ。
昭和8年:和歌山県立熊野林業学校卒業と同時に朝鮮江原道内部産業課勤務。
昭和12年:朝鮮総督府地方官吏養成所第1回卒業。朝鮮総督府江原道属に任官。
昭和13年:臨時召集により歩兵第76連隊入隊。
昭和14年:招集解除。
昭和18年:寧越郡内務課長。
昭和19年:原州郡内務課長。
昭和20年:道庁鉱工部鉱工課勤務(主任属)。引揚。
昭和21年:厚生省属 下関引揚援護局仙崎出張所勤務。
和歌山県へ出向。農地課主任、総務課長、税務課長・次長などを歴任。
昭和42年:依願免職