アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

艮の金神とは何か

2023-07-19 20:30:49 | 時代のおわりneo

◎艮の金神が艮(とどめ)をさす

(2013-02-10)

 

この世は三つの神系で成り立っており、強い者勝ちの大自在天系、我良しの盤古大神系、そして、霊主体従(ひのもと)の国治立尊系である。この三神系がくんずほぐれつしてこの世のドラマを演出してきたが、出口ナオの最初のお筆先が「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。」であって、これより既に国治立尊系がメジャーになったことが宣言された。

国治立尊系は、常に女神とペア(豊国姫尊)なのだが、国治立尊の後継者が、艮の金神(ペアは坤の金神)である。艮の金神のそのまた後継者が、かの野立彦命(ペアは野立姫命)となる。(霊界物語三神系時代別活動表を見てね(霊界物語資料篇についてます))

これは神系の話であって、この世のことではないが、21世紀の日本で「艮の金神」と言ってもあまりにレトロ過ぎて、リアクションがとれないが、正義の味方系のことと理解して間違いないだろう。

艮の金神は地球ロゴスの主宰者であり、日本は艮の金神様のご神体だから埋め立て地は元に戻され、日本は日本人の手で立替はできないので、外国(露中?)の手で立替を行い、艮の金神が艮(とどめ)をさす。

 

2月にロシア(露国)が侵攻してくる、尾張半田ラインで分断するなどのことも新月の光に書いてある。1945年の終戦直前にソ連が侵攻してきたのは8月。出口王仁三郎が2月と言っているからには2月。

 

それはそれとして、日々の善行と冥想を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京は人の住むところではなくなった

2023-07-19 07:25:03 | 時代にFace it

◎世界的な海水面の上昇と大都市の水没

 

昨日まで東京圏は、3日連続の最高気温35度越えで、37度~39度のところが並んだ。地表や建物壁面の照り返しに加え、太陽光発電パネルの反射も加わって、体感は45度以上という事も少なくなかったのではないだろうか。

土木建設業、配送業など屋外での労働者の忍耐と苦労も想像する以上のものがある。夕方、夜には食欲もなくなる人も多いのではないだろうか。

オフィス労働者ですら、通勤時と少々の外出時の駅への出入り、乗り換え時には、40度以上の体感を感じさせられることになってそれなりに大変である。

この夏は、7月の中旬にしてこの状態だから、夏の終わりまでには何日最高気温35度越えが繰り返されることだろうか。

 

いろいろな有力予言はあるが、世界的な海水面の上昇と大都市の水没は、わりとポリュラーな予言である。それはいわば当然に温暖化の帰結なのだが、20世紀にそういう予言を読んだ時は、何か極ジャンプが起こって温帯が熱帯になるのだろうかと想像していた。ところが、今や温帯の最高気温が5度、10度上がれば、人は窓を開けて暮らすことはできなくなって、冷房のエネルギー・コストの点から、自ずと居住地は北に移っていき、またそれに伴って海水面が上昇し、「大都市の水没」が発生してくるというのは、今なら誰でも簡単に想像できるビジョンとなった。

世界的な海水面の上昇と大都市の水没の前段として、先行して東京のような海浜都市が暑熱で人の住むところではなくなるということが起きるのだろう。

 

CO2最大排出国の中国(2016年の温室効果ガス排出量シェア23.2%で世界第1位)とアメリカ(同シェア13.6%)はCO2削減のパリ協定に対して、あまりやる気がない。中国はパリ協定に参加したが、石炭火力発電所の新設を続けており、本気で取り組んでいるとは見えない。

アメリカのトランプ政権は2017年パリ協定からの離脱を表明。2020年11月4日には正式に離脱し、バイデン政権は、2021年2月にパリ協定に復帰と迷走。

それでは、大都市を襲う暑熱の結果、日本の首都が東京から仙台などの東北に北遷するかといえば、左にあらず。そういうビジョンを見ている人は聞かない。

付け加えると、埋め立て地はなくなるというようなことが出口王仁三郎予言に出てくるがそれも地球高温化の結果かもしれない。

 

メイン・シナリオ予言に関わる全面核戦争、大地震、火山の噴火など時期の読めないファクターはあるが、それと異なり地球高温化に伴う世界的な海水面の上昇と大都市の水没はほとんどスケジュールに乗っているのだろう。

この度の秋田県の水害は、百年に一度の大雨によるもので、浸水被害3万2千世帯とも言われ、住宅浸水、車両被災などがあるのだろうか、twitter上にはやり場のない怒りをぶつけているとしか思えないツィートも多く見受けられる。

大三災、小三災というが、それは、遠い未来のことでなく、日々の最高気温35度越えのようにもう始まっている。大難を小難にするのは、日々の冥想だが、メリットを求めたり目的を持った冥想であってはならない。神のまにまに、なのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクシング井上尚弥、集中が切れる瞬間を狙う

2023-07-18 05:47:40 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎人は3分間も絶対に集中できない

(2019-11-15)

 

2019年11月7日、プロボクシング:ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)バンタム級決勝(さいたまスーパーアリーナ)が行われ、3階級王者のWBA・IBF世界バンタム級王者井上尚弥(26)が真の階級最強王者の称号を手にした。倒した相手は5階級王者のWBAスーパー王者ノニト・ドネア(36=フィリピン)。3-0の判定で勝利を手にした。

その井上が、意識の隙間について述べている。試合の途中では、ぼんやりと相手の肩の動きとか、全体を見ながら、目とか、呼吸とかで、相手の集中力が途切れた瞬間を逃さずパンチを打ち込む。(この「ぼんやりと」が、同時に別の深い意識で見ているということ)

井上尚弥曰く、人は3分間も絶対に集中できないし、自分も無理、と。だがその息を吐く瞬間というか、たぶん相手が反応できないだろう瞬間に間髪を入れずに打ち込むからこそ、1ラウンドでのKOが多い。

 

人には意識の隙間がある。吸う息、呼く息の間には隙間がある。老境にさしかかって思うのは、その意識の連続の隙間の回数は増えているし、隙間の時間も長くなっていること。(この延長線で死の直前に青いオームの字を見るのだろう)

意識の隙間は、現実の隙間であり、少なくとも第一身体である肉体意識、肉体・物質という現実の隙間である。その隙間で人は別の次元別の世界を感じることで、この世界の不安定性、寄る辺なさを感得する。

彼の試合は、相手が攻める気の時はかわして、ちょっと緩んだときに逃さずに攻めるように見える。これは、合気道にも通じるところがあるように思った。ネットに植芝盛平の演武シーンがあるが、その狙う隙間は同じであるように思う。

白隠の師の慧端が、団扇で武芸者の木刀をあしらうシーンがあるが、その隙間を完全に見切ってこそなのだと思う。

※井上尚弥の発言の出典:NHKの番組(2019年11月12日(火)プロフェッショナル 仕事の流儀「モンスターの素顔~プロボクサー・井上尚弥」)、スポーツニュースサイト「THE ANSWER」のインタビュー(2019.01.02)「井上尚弥インタビューvol.1 強さの秘密は達人級の集中力「人は3分間集中できない」」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井上尚弥、超スローコマ送り体験を語る

2023-07-18 03:21:59 | 浅い霊感から神人合一まで

◎時間のコマ送り化と隙間

 

前4団体統一世界バンタム級王者・井上尚弥(30)が2023年7月14日にNHKEテレで放送された「スイッチインタビュー」で、2018年の試合中に起こった「一瞬、一瞬がコマ送りになった」体験を語った。

 

元WBAバンタム級スーパー王者フアン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)との試合中に彼はこの状態に入った。曰く、

「試合中に、ここでこのパンチを出して、攻撃したら倒れると思ったんです。その思った通りにしたら、1本の道筋が見えてからスローモーションに見えました」

「一瞬、一瞬がコマ送りになって、スローに見えて進んでいく感じでした」

これについて別の対談では、「あの瞬間は秒数が流れているけど、1秒の間に何コマも出てきた感じです。ジャブで踏み込んだ瞬間に(右が)当たるってわかったし。スローに感じる感覚でした」と彼は語っている。(3階級で世界王者になった長谷川穂積氏との対談(「デイリースポーツ」2019年1月3日付))

 

これは、実際には、左ジャブから右ストレートでKOしたもの。

 

このような変性意識状態(ゾーン)に入った話を聞くことは稀である。

合気道の開祖植芝盛平が、立ち会いに際して、剣の切っ先がくる前に白い光が来るので、それを避ければ剣を避けることができ、また弾丸の来る前に白い光が来るので、それを避ければ、弾丸も避けることができると言い、そのエピソードも残っている。

これはいわば、井上尚弥と同等の体験なのではないか。

 

なにより、時間がコマ送りであるということは、コマとコマとの間に隙間を感じているということである。実はその隙間にこそ真理が隠れている。スポーツでいうゾーン体験にも深浅高低があると思うが、これは結構すごいところまで行っていると思う。隙間スイッチを押したのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クンダリーニ上昇から悟りまで

2023-07-17 06:20:56 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎不動明王のポジション

(2017-06-21)

 

本山博は、体外離脱から悟りまでを端的に説明している。

『1.スシュムナーを通ってクンダリーニが目覚めても、初めは霊体と肉体ははっきり分離していない。

2.下腹部で水蒸気、炎が動き身体が非常に熱くなる。クンダリーニがサハスラーラを抜ける。

3.神気と合一したクンダリーニのエネルギーが身体の外に出て、霊体も身体の外に出る。この時アストラル・プロジェクションやカラーナ・プロジェクション(メンタル体離脱が起こる)この段階で、生命の危険をともなう事態が起こることもある。

先祖の因縁はカラーナの世界までいかないとわからない。

4.さらに進むと、悟りの世界に入る前に身心霊のすべてが、クンダリーニ+神力で焼き尽くされる。不動明王の境地。

このままの状態で終わったらインドのグルでも焼け死んでしまうこともある。

5.不動明王の境地を超えないと悟りにはならない。

6.霊能者は霊的な自分を持っているが、悟った人は自分がなくなる。』

(スピリチュアリティの真実 本山 博/著 PHP研究所P50-58を抜粋』

 

こうしたクンダリーニ・ヨーガの簡易な説明は非常に珍しく、ダンテス・ダイジもここまでかみ砕いた説明はしていない。

誰かのクンダリーニ・ヨーガにおける各ボディとステップについてズバリの説明はないものかと思っていたが、ここまできっぱりと書いているとは・・・・。

不動明王は、密教系において重要なポイントに位置しているが、ここまで特徴と位置を平易に説明してくれているとは、驚きである。

人類の進化で、そういう時期になったということなのだろう。

ただこのステップを現代科学で証明する術はない。将来、万人の感受性が普通に霊体を感知するようになれば、万人にとって肉体以上のものは、当たり前になるのだろう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本山博のクンダリーニ覚醒ステップ

2023-07-17 06:18:58 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎不動明王段階

(2012-10-03)

 

本山博のスピリチュアリティの真実という本にクンダリーニ覚醒ステップが書いてある。彼の窮極は、第7段階であって、プルシャ(悟りの世界)に入ることであり、ダンテス・ダイジや柳華陽のあらゆる宇宙、あらゆる次元を超えるというモクシャの世界とは、違うように思う。

本山氏自身がそこに至ったかどうかは書いていないのだが、霊能者は霊的な自分があるが、悟った人は自分がなくなるとは書いている。霊能者の本源的問題点の自覚は意識されているのである。

 

本山氏はクンダリーニのエネルギー・コードをクンダリーニと神気の合一と見ているようだ。特徴的なのは第6段階であり、身心霊のすべてがクンダリーニ+神力によって焼き尽くされる不動明王の境地であるとしている。この書きぶりだとここまでは体験されたからここまでリアルな描写となっているのかもしれない。

ただチベット密教では、不動明王をここまで特別なものとして重視しているわけではない。

そうは言っても、熟達したクンダリーニ・ヨーギはしばしば火定を見せることから、不動明王については、素人にはわからない何かがあるのかもしれない。

いずれにしても長寿のクンダリーニ・ヨーギがその体験を忌憚なく(全部書いているとは思いませんが)書いているということで、類書が少ない中で、それなりに貴重な書であると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至人は火を踏めども熱からず

2023-07-17 06:07:00 | 人と神の「実際のところ」

◎荘子の達生篇第十九

 

連日最高気温35度以上の日が続いている。

 

荘子の達生篇に、列子が関尹に、至人は火を踏めども熱からずというがその原理を教えてくれと質問する一節がある。

列子は中国の霊界物語である列子の著者、関尹は老子の著者。

この質問に対し、関尹は純粋な気を守っているからだと答える。それは、物や現象は様々に変化するものだが、その根源であるもはや変化しないレベルに止まることがそれである。これによって至人は、最初もなく最後もない所に隠れ、万物の終始する所に遊び、その性を一にして、その気を養い、その徳を合わせて、以て物が創造される所に通じるものだからである、と。そのような人が火を踏んでも熱くないのだ。

 

火を踏んでも熱くないとは、神事として行われる火渡り(火をつけて燃やした薪炭の上を裸足で歩くこと)ではなく、慧春尼の火定の事や、本山博の言う不動明王状態や、チベット密教の尸解で身体が焼けてなくなってしまうようなことを言うのではないかと思う。つまり語弊があるかもしれないが、肉体を残そうが残すまいが自在である人のこと。荘子もこの当時は、そういう技法と結果がわかっていた時代だったのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謙翁のこと

2023-07-16 06:42:31 | 達磨の片方の草履

◎舟橋は、地獄の渡しか、極楽の渡しか?

 

謙翁と言えば、一休(周建)が17歳から21歳の多感な修行時代に師事した和尚で、その死に際して自殺未遂までしたほどの大物覚者。謙翁は、師匠妙心寺の三世、無因禅師が印可(悟りの証明書)を授けようという仰せに対して、謙遜して受けなかったので謙翁という。

 

作家が人物評伝を書く場合、その人物が部屋の隅に立って、「そうではないよ」と教えてくれることがあるという。一種の観想法の極み。水上勉の一休もそういうことがあったのだろうか、謙翁の雰囲気のわかる水上勉の古文の創作文が、「一休/水上勉/中央公論社P42-43」にあり、謙翁の真実の姿がありありと偲ばれるほどだったので、これを現代文に試訳してみる。

『17歳の時、雲知坊の随行で建仁寺に参ったが、夏であって、今のような橋ではなく、20艘の丸木舟を並べた舟橋であった。

すると船より嬰児の泣く声がする。足を止めて覗いてみたところ、やせ細って骨ばかりの着物の破けた女が背中と腹を見せて子と伏せている。子供は足なえで、病気のようで、飢えているのか泣き声に力なく、女の腹にむしゃぶりついて乳をまさぐるが、しぼんだ乳房にあばら骨が浮き出ており、ただのけぞっているのが、大層あわれである。

雲知坊が、「女は盲目だが、おぬしは見たか?」と。

周建、「私も見ました。」

雲知坊、「女は飢え死にするだろうが、子のあわれなことはいうまでもないが、女のさとり顔であったのは、もはや今生に欲もないものと思われる。

舟橋は、地獄の渡しか、極楽の渡しか?」

周建、黙して答えず。

 

帰途再び舟橋を渡ったところ、件の船に母子の姿なく、川岸に乞食たちが集まって合掌する者がいて、その中に僧が一人いた。

この僧は年齢ははっきりしないが、髪を伸ばし衣破れ、かけた絡子がぼろぼろなので、ただ僧形の乞食と見えた。いぶかしみながら近づいてみたところ、岸辺にむしろを敷いてしゃれこうべに見えたのは、朝舟橋で見た女と嬰児だった。

心寒くなって走って戻って、僧堂に入るやいなや、

雲知坊、「あの僧は、西金寺の謙翁である。」

周建、「謙翁って誰ですか?」

雲知坊、「貴殿は知らなかったのか?その師匠は、関山一流の禅を継承している花園(妙心寺)の無因の後継者(嗣法)である。師の印可も謙遜して受けなかったから謙翁という。それは道号である。」

周建は急いで賀茂川に戻ってみたが、件の僧の姿がなかったので、その足で西金寺に入った。謙翁は周建を一目見て、眼光尋常ならざるを察して、入門を許された。』

 

謙翁は西金寺にあって、門を閉じて誰も寄せつけず、その宗風は孤高嶮峻であった。それがゆえに、ぼろぼろの今にも壊れそうな貧乏寺だった。

一休が20歳の時に、謙翁が彼に「私の法財はもうすべてお前に与えたが、私には印可がない。だからお前を印可しないのだ。」と一休の悟りを認めた。

 

一休が21歳の12月、その心酔する謙翁和尚が亡くなったが、葬式をしようにも金がなく、ただ心だけで喪に服するのみであった。

受け止め切れぬ衝撃に茫然とした一休は、西金寺から大津、石山寺へと彷徨い、やがて瀬田橋に着いて、川に身を投げようとしていた。虫が知らせたのか一休の母の使いの者が、ここに追いつき、入水を思い止まらせた。

 

このあまりにも純粋なエピソードには、後年の男色女色に溺れつつ、衆善奉行諸悪莫作の基本線を逸れない自由自在の覚者一休の原点をうかがうことができる。

またこの餓死した女の悟り顔は、ダンテス・ダイジが、インドの街路で飢え死にした若い女の表情に光明を見たのと同じ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

OSHOバグワンの96台のロールスロイス

2023-07-15 11:06:12 | 時代のおわりneo

◎弟子も世間も嫉妬で一杯

(2013-07-02)

 

OSHOバグワンがオレゴンのコミューンで所有していた96台のロールスロイスは彼の金満の象徴として、また偽宗教家の証拠として、しばしば批判の的にさらされる。

しかし考えてもみよ。覚者が貧乏人で生活に困っていた場合、あるいはファッションがイマイチだった場合、そのことを理由に、その聖者が偽物だと思い込む人のなんと多いことか。

OSHOバグワンの96台のロールスロイスは、そうした俗人の卑しい心情を刺激するという点では、同根である。

 

以下は彼の側近の著述。

『多くの人にとって、この九十六台のロールスロイスが、彼らと和尚とを隔てる壁になりました。彼らにはその先にあるものが見えなかったのです。

スーフィーの師(マスター)は、自分のしていることに気づかれたり、探求者ではない人々と無駄に時間を過ごすようなはめに陥らないよう、自分の姿を偽るものだと言われています。

「九十六台のロールスロイスが必要な理由などまったくない。九十六台のロールスロイスを同時に使うわけにはいかない。それに同じ型の同じ車だ。

だが私には、はっきりさせたいことがあった―――― あなたがたは、一台のロールスロイスを手に入れるためだったら、真実への、愛への、そして精神性への欲求をすべて喜んで放棄するということだ。

あなたがたが嫉妬を感じるような状況を、私は意図的に創造したのだ。

師(マスター)の役目とはとても奇妙なものだ。あなたがたが自分の意識の中身を理解するのを助けなければならない。それは嫉妬でいっぱいだ。[・・・・・]

車は役目を果たしてくれた。アメリカ全体に、あらゆる超大金持ちのあいだに、嫉妬をかきたててくれた。

彼らに充分な知性があったなら、私の敵になるよりはむしろ、私のところに来て自分の嫉妬を落とす方法を見つけようとしていただろう。嫉妬こそが彼らの問題なのだから。嫉妬はあなたを焼く炎、ひどい火傷を負わせる炎だ」

「Beyond Psychology」

 

「私が人生で行ったすべてのことには、ひとつの目的がある。

それらはあなたがいまだに気づかぬなにかを、あなたの内面から引きだすための方便だ」――和尚』

(和尚と過ごしたダイヤモンドの日々/マ・プレム・シュンニョ/和尚エンタープライズジャパンP165-166から引用)

 

人に出会ってファッションや面貌やアクセサリーを真っ先に気にするという心性は、それだけで実はアウトなのだ。

魏伯陽も同じようなことをやっている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚醒者を沢山出していくグループとは

2023-07-15 07:03:31 | 人と神の「実際のところ」

◎ワンパターン教義では大衆に教えは伝播しない理由

 

一律・繰り返しのワンパターン教義では、覚者を増やせない理由は、やや複雑である。

まず、覚醒・悟りは、最後の一歩は一人で履むものだというが、その直前においては、師匠と高弟を含むグループで冥想修行が行われるということ。つまり高弟のグループが「覚醒・悟りをまさに今や起こすべし」と一緒に頑張って、その勢いがさらに高弟たちを高みに押し上げていく。また一人が悟れば他のメンバーの励みにもなっていく。

高弟のグループ内では、一般の平信徒にはわからない内なる理解と内なる誓願があるものだ。それは、高弟相互に覚醒・悟りを起こさせるために最善を尽くすということであり、またそのグループには独自の技法があるということ(未知への扉/和尚ラジニーシ/メルクマールP14)。

その内なる理解とは、メリットを求めて冥想をしてはいけないとか、人間は死から出て死に帰るとか、生の世界を極めれば死の世界もわかるとか、善行を行う瞬間に見返りを求めてはいけないとか、自分を捨てて他人に尽くすものだとかであって、世間の社会常識、宗教常識からすると逆の共通認識。それを当たり前に持ち、当たり前に行う連中が高弟グループ。そうした連中でも一転生で大悟できるものとは限らないが、何回かの転生の中で釈迦の時代の高弟はほとんど大悟済で、まだの人はほとんどいない由(OSHOバグワン)。高弟グループは何転生かを展望して修行に取り組む。

 

また高弟グループは、生活力はないものだから、やがて貧窮に苦しんで冥想修行どころではなくなる時期があるもの。そこでこの時代では、一緒に生活してくれるパートナーが生活支援するのが依然ベストなのだろう。

釈迦は、高弟グループの支援のために平信徒の僧団を組織した。ところがそういう三重構造(マスター、高弟、平信徒)は、末法の21世紀にもなると、その構造だけを利用して信者全体から金を吸い上げまくるが、一向に覚者は少々しか出ない。挙句、他の宗教カルトにまで金集めノウハウが応用され、堕落してしまっているといわれても仕方がない。

OSHOバグワンの教団もOSHO在世時ですら、資金は豊富に集められ、ロールスロイス96台も買えたほどだったが、多数の覚者を出すというところまでは至らなかった。アメリカ官憲に追われ、世界を転々とし、最後は結局インドに戻らざるを得なかった。

某元首相暗殺事件で話題になったカルトや地下鉄サリン事件を起こしたカルトのように、現代では一旦巨額の金が集まれば、周辺のステークホルダーが寄ってきて、まともな宗教として多数の覚醒者を出す教団としてやっていくのは、不可能なのだろうと思う。

以上の事情は、ワンパターン教義では大衆に教えは伝播しない理由でもある。

 

またマスターを含む高弟グループは、集団転生であって、同時代にまとめて転生してくるらしいこともダンテス・ダイジは示唆している。よく霊界探訪ものに書いてあるが、同質な者たちは同一の霊界ドームに居住するというのがそれ。

このように消去法の結果、この時代にベストの冥想修行環境は、一緒に生活してくれるパートナーが生活支援するという形なのだろう。大々的にはできまい。

これから言論思想宗教圧殺の時代もあるのだろうが、それも含めてまともな求道者たちは、奥山の渓流のように細々と修行を続け真理を伝えていくしかなのだろうと思う。

 

OSHOバグワンが指摘しているが、釈迦の技法もイエスの技法も2千年経過し、古くなり過ぎて今の時代には通用しないとする。何が変わったかと言えば、人間は腹人間から頭人間(知性人間)に変わった。知性人間なら、まず頭で覚醒に至る条件とメカニズムを理解し、然る後に真剣に冥想修行に取り組むのが順路なのだろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大衆は何かに頼りたがるが真理は自分一人でしか捜せない

2023-07-14 06:34:02 | アヴァターラ神のまにまに

◎つゆくさも朝顔も自分から美しいと自己主張しない

 

道元は、『花は愛惜に散り、草は棄嫌に生(お)ふるのみなり』(花は人に惜しまれつつ散るが、雑草は嫌がられつつ生える。)と言った。

これは、真理はあえかで、デリケートで、はかないものであるのに対し、嘘は無神経で乱暴に根強く氾濫拡大するものだという譬えでもある。なぜ真理は、この1対多のSNSの盛んな時代にあってすら、広範に伝播されにくいのか。

 

戦後は、ファシズムもナチスも共産主義も国家神道も、大衆扇動をうまくやったから第二次世界大戦と共産主義大国が発生したということがよく語られた。なぜ宣伝・扇動がうまくいったかと言えば、大衆・群衆は個であることを望まず、一人で自立することをせず、何かに帰属することを依然として欲望しているからだ。これまでは、王や独裁者・為政者などの世俗権力と既成宗教という精神権威に黙って従えば、大衆・群衆は、「自分は誰か?」ということは考える必要がなく、安心して暮らすことができていた。

ところが20世紀になって、高等教育の普及、知性の発達、そして21世紀SNSの登場によって、いよいよ人は、既成の押し付けの権威・権力の正統性が根拠のないものであることに気づき、自分一人で外的な所与の定義に頼らずアイデンティティを確立せざるを得ないことに気がついている。だが確かなものは何もないので、相変わらずほとんどの人が、何か頼れる所与の権威・権力・理論がないか外を捜しまわっている。

本当に確かなものは外にはなく、冥想により内に求めるしかないが、冥想(瞑想)はさほどブームになっているともいえない。

こうなっている理由は、以上のような大衆・群衆の何かに頼りたい、従いたいという姿勢の他に、真理は謙虚に小声でささやかれるだけであるが、嘘は大声で繰り返し語られるからということがある。

いまやナチスや共産主義だけでなく、コマーシャルもカルトも、ある嘘情報を何度も繰り返せば、人は無意識にそれを信じるようになるという法則を活用しまくっている。だからPCやスマホ画面には無用の宣伝が出続ける。

一方、本当に知っている人は、それを言葉で表現できないので、真理を語らないか、『おそらく○○、たぶん○○』と言うか、一輪の花を見せるかくらいのものだ。

老子は、道を「知る者は言わず、言うものは知らず。」と言ったが、状況は21世紀の現代に至っても何も変わっちゃいない。

 

以上まとめると、真理に気づかないといけないと内心わかっているほとんどの人は、依然として、外に信じれらるもの頼れるものを捜しているが見つからない中途半端な神経症(ちょっとノイローゼ)の状態にある。だがそうした人は、再びファシズムやナチスや共産主義のようなマインドコントロールの犠牲となり、奴隷となる危険性を孕む。

だが、それは大衆・群衆の属性が原因であるだけでなく、真理そのものが、一律・繰り返しのワンパターン宣伝に適していないという性質にも起因する。真理そのものは、その人のためのその人仕様のユニークなテーラーメイドで一回きりしかありえないからである。

 

夏は、道端のつゆくさや朝顔に感じいることが多かった。それは、自分から美しいだろうと自己主張して来ない。真理、神、仏、道(タオ)は、そのように謙虚で、謙譲で、すぐこわされやすく、はかないものだ。

だが、それを得ることができれば、人は頼ったり信じたりできる指導者なしに、自分の足で立つことができる。それで初めて、先入観、固定観念なく、執着せず、どの組織にも帰属しないで一人で生きられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サキャ・パンディタ格言集から-2

2023-07-13 07:00:53 | 浅い霊感から神人合一まで

◎あらゆる功徳を備えた人は稀であり功徳の全くない者も稀である

 

サキャ・パンディタは、チベット密教の学匠。オーディンの箴言や、ベン・シラの知恵のように、人間関係、日常の行動指針に悩む人にとって大いに示唆するものがある。

ただしいわゆる冥想修行の進んだ修行者にとっては、どうすればニルヴァーナに到達できるかに関しての直接的な表現はほとんどないので、食い足りない印象はあるように思う。

だが、そうした優れた修行者であってすらも、人生経験は、まま足りないものであり、読んでおいて参考になることはあるのではないか。

翻って普通の人々にとっては、個別の悩み事、困り事、恋愛、病気、貧困、孤独、争いなどの相談について、目先のその場しのぎの回答ではなく、一生涯あるいはその先を見据えた回答が必ず出てくるので、心ある人は一度目を通しておいた方がよい本の一つだろう。例の時間のない世界から書かれた部分が多いのだ。

 

『210

役に立つなら敵でも師事し

友達でも害になるのは棄てる。

海の宝は金を払って買い

身体の痛みは薬で追い払う。

211

内で少し余裕ができると

外で威張った態度を取る。

水で満たされると

雲はたなびき雷鳴する。

212

あらゆる功徳を備えた人は稀であり

功徳の全くない者も稀である。

欠点と功徳の混ざった中で

功徳の方が多い人に賢者は師事する。

213

最初から敵か味方かは

定かではない。

食べ物も消化できなければ毒であり

毒も分かっていれば薬となる。

214

業の巡り合わせがよければ富み

業がなければ人は貧しい。

ガチョウは家には住まないが

湖には追い出しても戻ってくる。

215

賢者は払って知識を得るのに

愚者は知識を教えても捨てる。

普通は病んで薬を飲むのに

中には生きているのに自殺するのもいる。

216

自由はすべて楽しく

不自由はすべて苦しい。

どちらつかずは葛藤となり

約束は束縛のもととなる。

217

内にあらゆる功徳があっても

外観が悪ければ見下げられる。

コウモリは賢くても毛がないので

すべての鳥から捨てられた、と言われる。

218

気紛れな者は正直でも

自他ともにだめにする。

矢は相手を殺すか

それとも自身を折ってしまう。

219

雨と川は海に流れ

智恵と知識は賢者に集まる。

王は財宝と臣下を集め

森は暖かくて湿ったところに生える。』

(サキャ格言集/岩波文庫P96-99から引用)

※チベットでは、草木の生えない荒れ地が基本であり、森は少ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホという大いなる時間の浪費

2023-07-12 03:28:02 | 時代にFace it

◎金と仕事以外は本気でやらないという風潮の中心

 

スマホはよいものだ。何でも自分自身がやらずに他人にやらせてそれをスマホで見ることができる。

野球やサッカーやゴルフやバスケットボールやバレーボールや陸上競技を他人にやらせて、それをスマホで見ることができる。

恋愛や結婚やセックスまで他人にやらせてそれをスマホで見ることができる。スマホではあらゆるエロシーンは勿論、他人の行った暴力や戦争のグロシーンまで見られる頽廃ぶり。

また手に汗握るモバゲーは、時に課金の痛みはあるが、ゲーム上の自分は死んでも、リアルな自分は死なないからいいやといういい加減さが付きまとう。

 

われわれは、スマホを握った単なる見物人だ。どんな興奮するイベントも他人が代わりにやってくれるので、自分でやる必要はない。時間の浪費も避けられる。なぜならそれらは、無用なことばかりで、自分がやれば面倒も起こったりするし、うまく行かなかったりするので、自分がやるほど有用な事ではないからだ。だから自分は坐って「見る」だけだ。

有用な事は、金もうけであり、金を稼ぐことであり、金を貯めることであるという人が多いのではないか。ワークライフバランスで仕事以外の事も力を入れねばならないなどというのも、言われたからそう思っているだけで、本当は仕事と金だけでいいと思っているのではないか。それも楽をして金を稼ぎたい、と。

 

このようにして、仕事と金以外のことには、本気にならない世界が出現した。地獄とは、隙あらば他人を殺したり他人の物を奪ったりして、自分だけ楽して暮らそうと思う人ばかりの世界だそうだ。日本は挨拶と礼儀が発達していて、そのような本性は見えにくいが、実態はそれに近いのではないか。

また政府が貯蓄から投資へと勧めているが、投資は市場性商品であり、ゼロサムゲームであって、誰かが儲ければ他の誰かが必ず損をする仕組み。挙句、誰かがネコババしてもほとんど誰もそれを取り返せないという仮想通貨という、まさに盗賊市場みたいなものまで出て来た。これも広い目で見れば地獄的社会実現への一歩。

 

神仏への道、冥想の道は、一見無用であることに本気で取り組むこと。無用が用であることを理屈で説明などできないが、時代は無用な事に真剣に向き合わせるように人間を追い込んでいるようだ。

冥想シーンでは、人が本気で坐ることを求めるが、薄皮を何枚を剥くようにその本気の本気度が問われる。世は無用の名のもとに、世の中全体を地獄に追い落とすが、それに反比例して真実のものを求める度合が上がって行く人もいる。そういう人を水晶身魂、クリスタル・ピープルという。

 

余談だが、

あまりにもスマホでは多くのものが見れるものだから、そのコンテンツが本物かどうか疑わしい、実は相当にフェイク情報や嘘が紛れ込んでいるのではないか。さらにそういったデータベースの上に立つChatGPTは実は眉唾ものではないか。そういった疑問も出るようになってきた。

人間は知性が発達しすぎて、何が正しくて何が誤りなのかわからなくなってきたのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑の室内ウォーキング(Indoor Walking Workout)

2023-07-11 15:32:39 | 天人五衰、ロコモ、フレイル

◎リュックを背負って歩いてみました

 

熱帯夜も昨夜で4日連続、最高気温35度超も明後日までで4日連続が見込まれる。

室内ウォーキングは、始めてから1か月経過。最初は10分歩いてせいぜいだったが何とか30分までできるようになった。

そこでかねてより構想していた、2KGリュックを背負っての室内ウォーキング(散歩)を昨日からスタート。

有酸素呼吸に切り替わる時間は、一般に20分などと言われるが、2KGリュックを背負うと有酸素呼吸に切り替わる時間がすこぶる早くなった。

また2kgぽっちの増加なのに、もも上げ、サイドステップなどの瞬間片足立ち時の全身のバランスが変わってしまう。ふくらはぎ、アキレス腱、脇腹、腿の上側付け根など、新たな痛みが発生している。

一日の室内ウォーキングは、3回計60分で、10分、30分、20分で、いずれも竹脇まりなのyoutubeでやっている。彼女の30分メニューはきついので、20分メニュー+10分とし、以下の動画をよく使っている。

【20分動画なら】:

【室内散歩20分】おうちで2000歩歩こう!!ひたすら歩いて運動量を上げる動画~本当は2000歩以上あります~

【20分聞き流し散歩】ブチ上がる音楽で室内散歩して脂肪燃焼🔥正月太り解消有酸素!!【スキマスイッチ_全力少年_ガラナ_ゴールデンタイムラバー_up!!!!!!】

【10分動画なら】:

【10分室内散歩】雨や猛暑の日はおうちの中でお散歩有酸素!! 外で歩くより効率的な運動

【室内で1000歩!!】10分おうちで室内散歩して体を温めよう!!ひたすら歩いて運動量を上げる動画

【室内ウォーキングの装備】

室内気温26~7度で、20mm厚ヨガマットで、はだし。きくち体操でひじ・膝を突く時の痛み防止で20mm厚で、これは防音効果もある。

ここのところ熱中症対策で、頭に濡れ冷やしタオル+首冷やしタオル。15分経過後の頭ハッキリに効果あり。

 

Olivia Lawson見てみました。結構有酸素の3000歩です。

※Cardioは有酸素。

※ABSは"abdominal muscles"の略で「腹筋」。

※HIITとは高強度インターバルトレーニングのこと。

 

別にマッチョになろうとかダイエットが目的でやっているわけではないが、若い時から周天をやり続けて小さな出神だった人や、ハタ・ヨーガで一生身体調整強化をやり続けてきた人で今生で脱身しない人は、きっとしっかりした体調なのだろうと思う。

さらに笹目秀和の出会った500歳の崑崙山の仙人は極めて少食だった。健康であって長命あるいは不老長寿は、聞こえは美しいが、その人生の目的は一体どこにあったのかということは気になるところである。

 

健康でないと悟れないなどということはなく、禅の二祖慧可は片腕がなく、三祖僧さんは中風だった。その健康とは何だろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「時は金なり」と無用の用

2023-07-11 03:14:18 | 時代にFace it

◎豊かな時間の使い方

 

世の中では、平気で「時は金なり」という人がいるものだ。二度と戻ってこない多くの時間を金に換えて、巨額の預金通帳を抱いて死ぬ人は多い。そのような人は往々にしてワンパターンの時間の使い方しか知らない。それは、如何にして時間を金に換えるかという使い方。その充実感と裏腹に、彼らは、内側では心配と不安に苦しんでいる。

超富裕層、あるいはスーパーリッチ一人の背後には何十万人か何百万人の経済的に貧しい人々が隠れている。その比率の著しければ著しいほど、その国やその社会は不安定である。「叫び」が大きすぎるということである。しかしながら、そういう方向に持っていこうとする勢力の力が強いと感じられる人も多いのではないか。

 

さて世の中には、瞑想(冥想)に関心ある人がいて、こんなことを言う。

「1.瞑想の用途は何ですか?

2.それから何か得られるのですか?

3.どういうメリットがあるのですか?」

模範解答はこれだ。

「1.瞑想は、金にならない。瞑想の用途などない。

2.瞑想から金は得られない。瞑想しても何も得られない。

3.瞑想しても何のメリットもない。瞑想は何かのメリットを求める瞑想であってはならない。」

 

瞑想は無用の用である。瞑想は何の役にもたたないが、瞑想それ自体があるということはある。それを無用の用と謂う。最近の98%以上の人々の頭は、あまりにも実利志向になっていて、必要性思考になっていて、闇雲に結果を求める。結果ゼロ、あるいはメリットがないことが何か悪いことであるかのような気まずさがそこに漂う。

人は死から出て死に帰って行く。死があっての生だが、死は無用の用。また人の命は地球よりも重いが、世界は、君のために存在しているわけでなく、君がいようといまいと何の変りもないというのも厳然たる事実。それが生と死の有用無用。

最近流行の非二元=ノンデュアリティ=今ここ。それには、生も死も両方含まれてこそのノンデュアリティ。ノンデュアリティとは何もないことではない。有用+無用=ノンデュアリティなのだ。ノンデュアリティは、ある特殊な心理状態ではなく、ある極限の心理状態を通過した者の「体験とは言えない体験」を言う。

覚者・聖者は、冥想を戯れることができると云うが、未悟の私はそこまでは言えない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする