アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大衆は何かに頼りたがるが真理は自分一人でしか捜せない

2023-07-14 06:34:02 | アヴァターラ神のまにまに

◎つゆくさも朝顔も自分から美しいと自己主張しない

 

道元は、『花は愛惜に散り、草は棄嫌に生(お)ふるのみなり』(花は人に惜しまれつつ散るが、雑草は嫌がられつつ生える。)と言った。

これは、真理はあえかで、デリケートで、はかないものであるのに対し、嘘は無神経で乱暴に根強く氾濫拡大するものだという譬えでもある。なぜ真理は、この1対多のSNSの盛んな時代にあってすら、広範に伝播されにくいのか。

 

戦後は、ファシズムもナチスも共産主義も国家神道も、大衆扇動をうまくやったから第二次世界大戦と共産主義大国が発生したということがよく語られた。なぜ宣伝・扇動がうまくいったかと言えば、大衆・群衆は個であることを望まず、一人で自立することをせず、何かに帰属することを依然として欲望しているからだ。これまでは、王や独裁者・為政者などの世俗権力と既成宗教という精神権威に黙って従えば、大衆・群衆は、「自分は誰か?」ということは考える必要がなく、安心して暮らすことができていた。

ところが20世紀になって、高等教育の普及、知性の発達、そして21世紀SNSの登場によって、いよいよ人は、既成の押し付けの権威・権力の正統性が根拠のないものであることに気づき、自分一人で外的な所与の定義に頼らずアイデンティティを確立せざるを得ないことに気がついている。だが確かなものは何もないので、相変わらずほとんどの人が、何か頼れる所与の権威・権力・理論がないか外を捜しまわっている。

本当に確かなものは外にはなく、冥想により内に求めるしかないが、冥想(瞑想)はさほどブームになっているともいえない。

こうなっている理由は、以上のような大衆・群衆の何かに頼りたい、従いたいという姿勢の他に、真理は謙虚に小声でささやかれるだけであるが、嘘は大声で繰り返し語られるからということがある。

いまやナチスや共産主義だけでなく、コマーシャルもカルトも、ある嘘情報を何度も繰り返せば、人は無意識にそれを信じるようになるという法則を活用しまくっている。だからPCやスマホ画面には無用の宣伝が出続ける。

一方、本当に知っている人は、それを言葉で表現できないので、真理を語らないか、『おそらく○○、たぶん○○』と言うか、一輪の花を見せるかくらいのものだ。

老子は、道を「知る者は言わず、言うものは知らず。」と言ったが、状況は21世紀の現代に至っても何も変わっちゃいない。

 

以上まとめると、真理に気づかないといけないと内心わかっているほとんどの人は、依然として、外に信じれらるもの頼れるものを捜しているが見つからない中途半端な神経症(ちょっとノイローゼ)の状態にある。だがそうした人は、再びファシズムやナチスや共産主義のようなマインドコントロールの犠牲となり、奴隷となる危険性を孕む。

だが、それは大衆・群衆の属性が原因であるだけでなく、真理そのものが、一律・繰り返しのワンパターン宣伝に適していないという性質にも起因する。真理そのものは、その人のためのその人仕様のユニークなテーラーメイドで一回きりしかありえないからである。

 

夏は、道端のつゆくさや朝顔に感じいることが多かった。それは、自分から美しいだろうと自己主張して来ない。真理、神、仏、道(タオ)は、そのように謙虚で、謙譲で、すぐこわされやすく、はかないものだ。

だが、それを得ることができれば、人は頼ったり信じたりできる指導者なしに、自分の足で立つことができる。それで初めて、先入観、固定観念なく、執着せず、どの組織にも帰属しないで一人で生きられる。

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