◎不動愛染感見記
日蓮は安房小湊に近い天台宗清澄寺に入り、この寺の虚空蔵菩薩に願をかけ、「日本第一の智者となし給え」と祈っていた。その修行の延長で、不動明王、愛染明王を見た。
その実体験を弟子向けに、挿絵入りで1254年6月25日に、不動明王一幅https://darumamuseumgallery.blogspot.com/2007/07/fudo-kankenki.html、愛染明王一幅https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n171-004.htmlに、それぞれ望見しましたと描き残している。
同年正月の日蝕時に愛染明王を、正月15日から17日の満月以降の3日に不動明王を見た。
これにより日蓮は、大日如来から数えて23代目の嫡流であると確認したと書いている。授記ですね。
また不動明王のビジョンを見たのと不動明王の段階を体験したのとは異なる。天台の筒井叡観師もビジョンを見た。本山博は、不動明王段階を通過したが、日蓮はそれについては触れていない。また望見であるので、合体ではない。
人が神に成るあるいは即身成仏までの段階には、本山博が自証したように不動明王段階があり、西洋錬金術では、サラマンダー段階と表現した。
日蓮は、大衆宗教を目指したので、いわゆる隠遁者として密教家の道を歩むことはなかったのだろう。
だが、その望見の体験が日蓮の宗教体験全体に深みと広がりを与えているように思う。
愛染は煩悩即菩提、悟りと迷いは幻影であり現実である。
不動は生死即涅槃、ニルヴァーナ=第七身体の前に生死の違いも何もかもなし。