アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

丹田を錬る-7

2023-07-27 18:39:41 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎古神道の禊の神事-6

◎伊吹の神事

(2021-03-01)

 

一厘の仕組は、言霊。言霊を伊吹き払う。

『言霊(ことたま)の水火(いき)をこらして曲神(まがかみ)を

  伊吹き払へば消え失せにけり』

(霊界物語第77巻 第一五章 笹原の邂逅)

 

伊吹の神事は重要である。

やり方のポイントは、

1.両掌を臍の位に置き、勢よく十字形に組み合せ

 

2.腹式深呼吸を三回行う。

※腹式深呼吸:完全呼吸法(丹田呼吸法)

①意識を丹田(へそのやや下)において腹をひっこめ、息を十分に吐きだす

②1~2秒息を止めてから、腹の力をゆるめる。すると自然に鼻から息が入り、腹が少しふくれる。

③胸を広げ、まず胸の下部分に息を入れ、次に真ん中とだんだん上方に息を入れていき、最後に肩を上げ、胸の上部にまで一杯に息を入れる。息が胸に滿ちるにつれ、腹は自然に少し引っ込む。意識は、息で膨らむ部位とともに上へ上へと位置を変えていく

④しばらく息を止め、やがてゆっくり息を吐く。まず腹がすぼまり、次に胸の下部、中部、上部とすぼまりながら、完全に吐く。 意識をすぼまる部分にそって移動させる。

 

3.最後の吸気を全部呑んで呼出しない。

 

以下は霊界物語での伊吹の神事の説明。

伊吹の神事:

『雄詰を終りて、直ちに両掌を臍の位に置き、勢よく十字形に組み合せ、然る後腹式深呼吸を三回行ふ。而して最後の吸気を全部呑みて呼出せず、之を伊吹の神事と言ふなり。』

(霊界物語第75巻第一章 禊の神事から引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

OSHOバグワンの師匠、出口王仁三郎の師匠

2023-07-27 07:16:34 | 人と神の「実際のところ」

◎密教、古神道、クンダリーニ・ヨーガの大家には師匠がいないように見える

 

OSHOバグワンは、超能力、神通力、テレパシーは、ひらけらかさなかったが、七つの身体論の精妙なる説明やクンダリーニに関する説明が、ウパニシャッドからヴェーダ、チベット密教に至るまで、昔のマスター達が説明しなかった部分まで精密な解説を行っている部分がある。

だが、彼にはクンダリーニ・ヨーガの大悟覚醒時の師匠の大恩、思い出を語ることがないのは奇妙だと感じる人も多いのではないか。

これについてダンテス・ダイジは、OSHOバグワンは、師匠につかないで最後まで独力で大悟覚醒、神人合一にまで至ったという話をしている。それだけに彼は筆舌に尽くせぬ苦労をした由。

半端にクンダリーニを上げると、日常生活ができなくなったり、発狂したり、自殺したり、事故にあったりすることがあるものだが、OSHOバグワンは恐るべき好奇心と気力と冷静さで、それらのあらゆるピンチを凌ぎ切ったのだろう。

ダンテス・ダイジの『人がたとえ皆逆立ちして見えても、足に向かって話し掛ける冷静さを持つ人だけが、クリヤ・ヨガのブリザードを突破できる』という言葉はその消息を言っているのだろう。

 

釈迦でも、『ブッダ 悪魔との対話』という岩波文庫があって、人間に非ざる悪魔や神霊などと沢山のコンタクト、会話をしている記録が残っている。クンダリーニ・ヨーギとは、そういう肉体ではないクリーチャーと日常を過ごすということなのだろう。現代でそういう話を大真面目にするとまず“引かれ”たり相手にされなくなるが、クンダリーニを上げるというのは、そういう世界に片足を入れるということである。だが、彼ら先達にとってはそれが紛れもない現実なのである。

 

古神道の出口王仁三郎も、師匠としては静岡県清水の稲荷講社の長沢雄楯がいるが、力量的には出口王仁三郎の方が上であり、実態は師らしい師について修行していない。霊界物語では、師匠筋として小松林命とか松岡という高級神霊が出てくるが、それは人間の師ではない。出口王仁三郎は本当の古神道の師を明かしていないと見るべきだろう。

そして彼の一生をみると京都の皇典講究所を出てから彼の社会的活躍が大きく拡大する。その転換点での進路指導を誰か師匠がやっていたのではないかと思うが、それは肉身の師匠ではないのだろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする