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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

「時は金なり」と無用の用

2023-07-11 03:14:18 | 時代にFace it

◎豊かな時間の使い方

 

世の中では、平気で「時は金なり」という人がいるものだ。二度と戻ってこない多くの時間を金に換えて、巨額の預金通帳を抱いて死ぬ人は多い。そのような人は往々にしてワンパターンの時間の使い方しか知らない。それは、如何にして時間を金に換えるかという使い方。その充実感と裏腹に、彼らは、内側では心配と不安に苦しんでいる。

超富裕層、あるいはスーパーリッチ一人の背後には何十万人か何百万人の経済的に貧しい人々が隠れている。その比率の著しければ著しいほど、その国やその社会は不安定である。「叫び」が大きすぎるということである。しかしながら、そういう方向に持っていこうとする勢力の力が強いと感じられる人も多いのではないか。

 

さて世の中には、瞑想(冥想)に関心ある人がいて、こんなことを言う。

「1.瞑想の用途は何ですか?

2.それから何か得られるのですか?

3.どういうメリットがあるのですか?」

模範解答はこれだ。

「1.瞑想は、金にならない。瞑想の用途などない。

2.瞑想から金は得られない。瞑想しても何も得られない。

3.瞑想しても何のメリットもない。瞑想は何かのメリットを求める瞑想であってはならない。」

 

瞑想は無用の用である。瞑想は何の役にもたたないが、瞑想それ自体があるということはある。それを無用の用と謂う。最近の98%以上の人々の頭は、あまりにも実利志向になっていて、必要性思考になっていて、闇雲に結果を求める。結果ゼロ、あるいはメリットがないことが何か悪いことであるかのような気まずさがそこに漂う。

人は死から出て死に帰って行く。死があっての生だが、死は無用の用。また人の命は地球よりも重いが、世界は、君のために存在しているわけでなく、君がいようといまいと何の変りもないというのも厳然たる事実。それが生と死の有用無用。

最近流行の非二元=ノンデュアリティ=今ここ。それには、生も死も両方含まれてこそのノンデュアリティ。ノンデュアリティとは何もないことではない。有用+無用=ノンデュアリティなのだ。ノンデュアリティは、ある特殊な心理状態ではなく、ある極限の心理状態を通過した者の「体験とは言えない体験」を言う。

覚者・聖者は、冥想を戯れることができると云うが、未悟の私はそこまでは言えない。

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