アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

フランス暴動と未来の日本

2023-07-03 07:15:59 | 時代にFace it

◎貧困化する日本人とその生存率

 

夏場には、毎年のようにフランスで大規模テロや暴動が起きるものだが、今度のそれは、パリ、リヨン、マルセイユなど全国的であり、5日目になった。主体は、アフリカ系移民、イスラム系移民と言われるが、暴動、破壊、テロ、略奪、強盗がセットになっており、市役所や警察署や図書館が焼かれ、スーパー、自動車ディーラーが襲われ、路駐の車は放火されというほとんど無政府状態なことになっている。

NHK海外ニュースだけは真面目に報道しているが、地上波は総じて小ぶりにしか報道していない。

これは、フランスの移民政策の失敗とされるが、フランスは、イギリスに比し植民地政策が高圧的であった歴史の結果とも言えるのだろう。

日本では、人手不足の名目で、時しも移民を人口の四パーセントに上げようと唱えている政治家もいるほどで、移民促進策、外国留学生増加策が今まさに強化されようとしている。現外国人住民で最大数の国家は、例の反日教育を行っている国であって、国家総動員法によりフランスのような暴動が扇動実施される悪夢は容易に想像される。

既に、東京都荒川区では、住民の約1割が外国人であり、川口市の外国人住民は、現在約3万9千人と市人口の約6.4%を占めている。2年ほど前に埼玉県南部の某駅前のベンチで10分ほどいたら、通行人のほとんどが外国人であって、実際は住民の6%どころではない外国人が生活しているのではないかと感じられ驚いたことがある。

 

厚生労働省の2022年の日本人の人口動態統計(概数)では、1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数を示す「合計特殊出生率」は、1947年以降で最低の1・26。1年間に生まれた子どもの数(出生数)は77万747人で、1899年の統計開始以来、初めて80万人を割り込み、過去最少を更新した。これが、人手不足の根拠の一つ。

出生数減少原因は、おおまかに見て、いわゆる就職氷河期世代で、結婚して子供二人作るという生活設計が立たなくなった人が非常に多い結果ではないかと思う。選挙の前に子供支援とか生活支援で一人数万円あげて、目先をごまかしてなんとかなる時代ではないのではないか。

要するに一人当たりの所得が下がり過ぎて、共稼ぎが当たり前になり(数十年前は共稼ぎが当たり前なのは低所得の社会主義国だけかと普通に思っていた。)、それでも所得は下がり続け二人の子も持てないほどの惨状に立ち至っているわけだ。

これには、非正規労働者数の増加の問題もあるが、世界一の人材派遣企業数を誇る日本の人材派遣業隆盛も影を落としているように思う。一体非正規労働者数の増加でメリットを享受しているのは誰だろうか。

 

出生数減少への対策は、雇用形態、雇用条件の改善が第一であり、移民増加政策は邪道だと思う。移民増加政策の影には売国奴がいるものだと思う。

 

日中友好の先鞭は、さる政教分離していない政党がつけたが、いまや尖閣で係争し、先端技術を盗まれ、中国軍艦が日本列島を遊弋し、出口王仁三郎が予言した中国(からくに)の日本侵攻も絵空事ではない状況になっている。

 

ダンテス・ダイジは、日本の終末について、食料危機でゴルフ場に芋を植える時代が来ることと、日本人全体の給料を半分にできるかどうかが分かれ目になることを出している。

日本の食料危機は、実質食料自給率10%(公称3割強)という話もあり、買い負けの著しい今でも食料輸入が脅かされればたちまち食料危機となるし、世界的異常気象が引き金になることもあろう。

ゴルフ場に芋を植えるとは、それしか選択肢がないということであり、よくよくのこと。

また日本人全体の給料を半分にできるかどうかというのも、既に増税と社会保険料や再生エネルギー発電促進賦課金などで、五公五民が既に実現しており、日本人全体の給料は既に半分になったとも言える。

多くの日本人労働者が感じているのだろうが、たとえば年収3百万から12百万までの範囲で段階的に年収が上がっても、額面金額ほどのリッチになった感がないのは、税金と社会保険料の賦課も累進していくからであると思う。その結果が、出生数の減少となっているのは、論証も大変だが、政府マスコミはまず言わない。

日本人全体の給料を半分にできるかどうかというのは、もう一つの側面もあって、健康で文化的な生活のできる半分の人達が給料を半分にすることで、それができなくなった半分の人達を救うということ。

これは、相当に追い込まれないとそういうことは起こらないが、そういうことが視野に入って来るほどに日本人の貧困化が進んだということである。

 

このことは、日本人に突きつけられる窮極の公案である。まるで『最愛の愛人と大親友が目の前で溺れている時に、どちらか一人しか救えないとしたら、どちらを救いますか?』という公案のようなものだ。

またその結果によって、日本人の生存率が決まって来るのではないだろうか。

コメント
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