かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

手に汗握る大勝負 Part 2

2006年08月21日 20時53分38秒 | 一般
決勝戦での引き分け再試合はかの太田幸司投手の三沢と松山商業の死闘以来らしい。その当時は18回までだったが。
ふたを開けてみれば点のあまり入らなかった昨日とは変わって、序盤から試合が動いた。
早実のピッチャーは4連投を感じさせない内容だった。たまに高めに浮くのがやっとといったところで、昨日と同じく駒苫は打てそうな気配があまりない。駒苫のピッチャーもそこまで乱れていない感じなのだが、感じる凄味は早実のほうが上だったように思う。しかし、それは比較対象の問題であって十分よく投げたと言えるだろう。打線が昨日同様にあまりよくなかった。昨日と同じように空振りをしているし、昨日と違ってフォアボールでランナーがでることもない。しかし、タダでは終わらないのはやはりさすがである。ホームランで計3点を挙げ、1点差まで詰め寄った。しかし、つないでの得点というものがなかったのが残念なところである。
とはいえ、結果は早実が勝ったもののどちらが勝ってもおかしくはなかったと思う。強いチーム同士が闘った結果であって、勝敗は紙一重であったろう。昨日でいえば、中継が乱れることがなければランナーは2塁で止まっただろうから犠牲フライはなく、ひょっとしたら1-0で駒苫が勝っていたかもしれない。あるいは、今日先制点を取られる前にピッチャーを代えていれば最終回に同点という展開になったかもしれない。結果論としてはそうだが、そのときにはそれなりの判断があったのだろうし、外から何を言ってみてもそれはただのお話でしかない。
とにかく、それだけ競り合った大勝負であった。そういうことである。

手に汗握る大勝負

2006年08月20日 21時36分53秒 | 一般
今日は高校野球の決勝戦。夏休みも終わりに近づいた頃の一大イベントである。
毎年こればかりは見逃したくなくて、しっかりと見ているのだが、今年は目を離せない展開になった。
一進一退の攻防が続き、点が入ってもおかしくない局面が何回も訪れ、そのたびにしのぎ続ける。見ているこちらも自然と心拍が高まる。こういう試合が私は大好きである。ぎりぎりの勝負は3時間以上におよび、とうとう今日は決着が付かなかった。
選手達はもちろんのこと、試合を見ているほうも一球一球に固唾をのむ展開は、まさに高校野球の歴史に残ることだろう。
テレビを見ていたのだが、アナウンサーの声が途中から煩わしくなってきた。仕事なのだろうが、テレビだったらもう少し言葉を控えたほうがいい気がする。とくにぎりぎりの勝負の時は。こういう勝負に言葉はいらない。映像と球場の音声だけで十分に伝わってくる。
明日はどうなるだろうか。それにしても驚くべきスタミナだ。

楽しいおつきあい

2006年08月19日 20時59分57秒 | 雑談
アルコールとのつきあい方の話。
いつも振り回されっぱなしである。しかも、振り回された無様な姿はとあるところで公開されてしまった。適量を楽しむのがいいらしいのだが、適量で終わることはあまりない。弱いのに、飲みたがるときは飲みたがるからである。そしてつぶれる。それだけではなくからむこともしばしば。そして具合の悪いことに、記憶は最後の最後まで残っていたりする。二日酔いに悩まされることはあまりないのだが、症状は大概帰ってからしばらくしてでて、一人で苦しんで、吐いたりして朝を迎えて朝はスッキリしているというパターンが多い。
ちなみに、楽しいかは別として気心の知れた人々と少人数で飲む方が好きである。大人数だと得てして迷惑をかけるので。さめて後悔したとしても、飲んだら理性はどこへやら。そしてさめてまた後悔という繰り返しである。
恐るべき両刃の剣である。酔っているときに武器を持っていたらやっぱりまずいだろうな。たまに機関銃なんかあればいいと思うことがあるが。ショットガンでもいいかもしれない。

えんどれす

2006年08月18日 21時59分20秒 | 雑談
物事には終わりがある。
しかし、そのことと続くことを願うことは決して相反しない。
それで終わりを遅らせられれば儲けもの。
可能な限り長引かせられれば、終わったにしても不本意な終わり方にはならないような気がする。
終わった後に微笑を漏らせれば、それでいいような気がする。
可能な限り終わりを長引かせられればそれでいい。
願わくばこの瞬間が永遠に続かんことを・・・

知らないものは頭の中にはない

2006年08月17日 21時26分42秒 | 雑談
前にそういうことを書いたかもしれませんが、存在すら知らないものは知らない以上頭の中にはありません。知らない、といってもそういうものがあることは知っているわけです。
そうなれば、無論比較などできるはずもないわけです。なぜなら知っているものの範疇で判断するしかないからで、ない袖は振れないからです。
聖書の話を例に持ち出すのも何ですが、たとえばりんごを食べてしまった後は、食べる前と食べた後を比較できますが、食べる前には食べた後はわからないから比較のしようがない。それはりんごを食べたらどうなるか知らないから。つまり、食べた後が頭の中にないからです。
先にりんごを食べた人がりんごを食べたらどうなるかを伝えたとしても、わからないでしょう。食べたら面倒だと思っていたとしたらなおのことです。

帰京

2006年08月16日 22時12分01秒 | 一般
今日は濃霧の中運転して新千歳空港まで行ってレンタカーを返し、そのあと飛行機で東京まで戻ってきた。乗った飛行機がなぜか「ポケモンジェット」で、普通のカラーリングのほうがいいと私は思った。しかも、遅れてきたせいで出発が20分遅れた。
やはり東京は暑い。そして道が狭くて車が多い。留守中に2時間ほど停電があったらしいのだが、とくに影響はなかったようなのでとりあえずよかった。
今日は神宮花火大会の日で、夜になると道にまで人がでてきていた。私は家から花火が見えるので別に何とも思わなかった。少しだけ見たが、1人で見るのも味気ないので、途中で見るのをやめてしまった。花火がパッと上がってサッと消えていくのがなんともいえず格好良かった。そういえば、花火大会に来たとおぼしきカップルを何組か目撃した。ちょっとだけ不愉快になった。別にいいのだが。

長万部

2006年08月15日 22時24分37秒 | 一般
今日は長万部まで行った。とはいってもとんぼ帰りですぐに戻ってきた。
長万部を何も知らずに「おしゃまんべ」と読める人はあまりいないと思う。北海道の地目にはアイヌ語由来のものが多く、かなり無理な当て字をしてたりするので読むのは一苦労である。ちなみに、「ノンノ」はアイヌ語で「花」の意味である。そういう名前の雑誌があったように記憶している。
さて、長万部駅の名物駅弁といえば、そば(かにめしもあるらしいが)。そういうわけでかどうかは知らないが、駅の近くのそば屋でそばを食べて、それから登別に戻ってしまった。
行きは下道を通り、帰りは高速道路をつかった。下道では色々見られたらしい。ドライバーにはあまり関係のない話である。
ラジオで駒大苫小牧の大逆転をずっと聞いていて、試合展開におもわず手に汗をかいてしまったことは余談である。

有珠山

2006年08月14日 22時21分16秒 | 一般
今日は有珠山西山火口周辺を散策した。
西山火口は最近の噴火でできた火口である。ほかに金比羅火口もあって、これは国道のど真ん中にできてしまった。そのため、洞爺湖温泉街には虻田洞爺湖インターよりも隣の伊達インターのほうが近いという不思議なことがおこってしまった。
噴火から約6年が経ち、持ち上げられた道路も風化が進み、火口付近の地面にも草が生えてきていた。それでも地熱帯となっている部分は今なお熱く、草木も生えていない。湯気が吹き出ている箇所もあった。隆起によって倒壊した建物もそのまま残っていて、自然の驚異をまざまざと見せつける。
隆起だけではなく、陥没したところもある。陥没して沼ができたところもある。こうしてみると、地形というのは変わりやすいものなのだと思う。人間も都合のいいように地形を作り直すことがあるが、自然とはスケールが違う。力が桁違いだからであろう。

登別

2006年08月13日 21時13分45秒 | 一般
今日は旭川で墓参りした後、登別に行った。
墓といっても墓石でできたおなじみのものではなく、寺にある納骨堂である。私は行けなかったのだが、四十九日が終わった後祖母の遺骨は納骨堂に移されたらしい。手を合わせて目を閉じ、私は祖母にいろいろ語りかけた。生前に話したかったことがいくつもあった。どんな反応を示しただろうか。驚いただろうか。喜んだだろうか。それとも微笑んでくれただろうか。合掌をやめ、目を開けた後も私は語りかけ続けた。よく墓の前で死んだ人に色々語りかける図があるが、あれはこういうことなのかな、とも思った。ごくごく自然なことだと思った。理屈抜きでそうしたくなった。
さて、その後高速道路(道央自動車道)で一気に南下して登別に向かった。札幌近辺だけ混んでいた。とはいっても、首都高であれば「問題なし」というレベルであろう。
登別では温泉につかってゆっくりした。

旭川その2

2006年08月12日 21時25分54秒 | 一般
昨日に引き続き、今日も旭川に滞在した。
今日で一応急いで処分する必要のあるものを片づける予定らしい。例によって私は蚊帳の外で、高校野球を見たり、STEPを読んだりして過ごした。
普段東京で生活している限りにおいては、祖母が死んでしまったということを意識することはあまりない。しかし、あの家にいればそれはどうしようもないものとして私の前に立ちはだかる。家の中で何かが起こるたびに「ああそうか」とどこかでは思っているようである。
祖母が死んでから、みんな少し変わったような気がする。祖父は少し社交的になったようだし、私の両親および叔父夫婦は祖父を心配するようになった。こういうと前は心配していなかったように聞こえるのだが、そういうことではなくよりあからさまに示すようになったということである。私はこういうことでわかるのは悲しいのだが、やはり親を思いやる気持ちがあるのだということを知ることができた。もともとにぶくていろいろと困ったことにもなる私だが、もちろんそうだろうとは思っていても目の前で示されるとやはり受け入れ具合が違うということか。
なんだか湿っぽい話になってごめんなさい。