●関電が恐怖した 高浜町助役は 地元の ドンだった! - 示現舎
「森山は地元の大物という話だが何か知っているか?」。「“ 人権(同和)絡み”だから森山はタブー視されてきた」。関西電力の役員が高浜町(福井県大飯郡)の元助役、森山栄治氏(故人)から多額の金品を受けていた問題で、大手メディアの記者やウォッチャーからこんな連絡を受けたのは先週末のこと。森山の住所と高浜町の地区を照合すると確かに“ビンゴ ”だから関心を寄せていたのだが…。単純な噂だとは思えない。億単位のカネが動き、関電のような巨大企業が恐れ、役員に金品を提供するという不可解な行為、こんな異常な現象だからこそ根拠と確信を得た。「が絡まぬわけがない」。こういう思いを抱いて高浜町に向かった。
ネタで女性教師を廃人に追い込む
高浜町と言えば福井県嶺南地方、通称、“原発銀座 ”に位置する自治体だ。と同時に福井県下で最も同和事業が盛んで、森山の自宅がある西三松にしみまつの隣保館「高浜町立三松センター」にはかつて解放同盟福井県連合会があった。関西地方に行けば市役所、町役場、公民館に人権標語が掲げられることは珍しくない。ただ北陸地方はのイメージが薄い。しかし高浜町は北陸にあってしっかり“推し ”をしている。こんな町だ。
高浜町住民生活課の窓口に設置してある。この町のどこに差別があるのか不思議だった。
議会には同和問題対策委員会もあった。
それにしても今回の問題に違和感を覚えた人も多かったのでは? 再稼働や拡張工事など地元の理解を得るため電力会社側が有力者に金品を提供するというシナリオならばありえる話だ。しかし地元側から電力会社に金品提供とは前代未聞。なぜこんな事態が起こりえたのか? それは“ のドン ” 森山が解放運動を背景に高浜町、そして関西電力を屈服させてきたからだ。あるいは森山が絡みというのは言及されなくても、こんな報道から見て取れる。
10月1日、MBS(毎日放送)によれば関電は森山に原子力担当の幹部職員を対象にした人権教育研修の講師に招いていたと報じた。こうした場合の「人権」とは一般的な「人権」の概念とはかなり異なる。行政・企業にとって「人権」とは「」を示す一種の隠語といった存在だ。この点は過去にも指摘してきたが、一応補足しておこう。そして森山の足取りである。
今回は「森山栄治」を含めて、彼を取り巻いた人物は故人が多い。笹沢左保の推理小説『死人狩り』ではないが、物故者の爪痕を探るのも骨が折れる。何しろ森山は享年90歳だからその関係者も当然、高齢者で助役現職時代を知る人は少ない。森山の経歴を見るといくつか興味深いことがある。時系列で紹介する。
1969年12月11日に高浜町に入庁。
1971年に総括課長兼建設課長。
1975年10月11日から1977年3月31日まで収入役。
1977年4月1日から1987年5月31日まで助役。
入庁からわずか二年で課長になった上、「統括課長は森山のために作られた肩書き」(町関係者)。という。それからマニアならば直感したかもしれない。奇遇なことに同和対策特別措置法が施行された年に入庁し、その再延長法である「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(地対財特法)が制定された年に退職している。
https://jigensha.info/2019/10/02/kanden/
●原発というより構造的タブー問題が見えちゃってる模様 - DEEPLY JAPAN
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/d833f4cdd1dc396e6a8c2a16cd37c130
●関西電力をたたいても同和問題は解決しない – アゴラ
http://agora-web.jp/archives/2041892.html
●「原発はね、深いんだ。わからないよ、なかなか。いろいろあるから。ほんと、いろいろとね…」 - 逝きし世の面影
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/bafe108fd92e2f1841c0ea88296ad5fd
●松本治一郎 - Wikipedia
松本 治一郎(まつもと じいちろう、1887年6月18日 - 1966年11月22日)は、日本の政治家、実業家。解放運動を草創期から指導し、解放同盟からは「解放の父」と呼ばれる[1]。堂々たる顎髭の風貌から「オヤジ」と呼ばれ親しまれた。元参議院副議長。
1936年から衆議院議員(当選3回)。当選早々に衆議院で「不当に特権を得ている華族の存在が民が不当な差別を受ける原因であり解放のためには華族制度を廃止すべし」と質問した(当時は二・二六事件の直後であり、陸軍大臣は伯爵の寺内寿一であった)[5]。
1940年、斎藤隆夫の反軍演説による衆議院議員除名に反対し、本会議を欠席。所属する社会大衆党党首の安部磯雄・鈴木文治・片山哲・西尾末広・水谷長三郎らとともに、書記長麻生久により党員除名処分となる。
1942年、衆議院議員に翼賛政治体制協議会推薦で当選。これは政府がカムフラージュとして押しつけ的に推薦したといわれるが[6]、鳩山一郎・三木武吉といった自由主義的議員は非推薦で当選しており、戦後松本が公職追放された際にも「翼賛会推薦議員」というのが理由の一つになっている。
1946年、翼賛議員であったことから一旦公職追放されるが、連合国軍最高司令官総司令部からの「松本と尾崎行雄の2人は真の民主主義者だ、絶対に立候補させねばならぬから松本の追放を解除し今日中に立候補できるよう手配せよ」との通告によりまもなく解除[6]。GHQと密接につながり、巨万の富を蓄えた特殊慰安施設協会(RAA)の経営陣の一人であった[7]。しかし公職追放は解除されたものの時の外務大臣・吉田茂の妨害によって第22回衆議院議員総選挙への立候補届出には間に合わず、翌年の第1回参議院議員通常選挙に立候補することになる[6]。その間に解放全国委員会委員長に就任する。
1947年、参議院議員で初当選(当選4回)。初代参議院副議長に就任。日本社会党左派の平和同志会の領袖として知られた。資金や運営の面でも貢献は大きく、資金力では平野力三と並んで社会党の双璧とされ、終戦直後の社会党左派の議員会合はよく治一郎の東京事務所を使用しており酒や食事の費用もすべて治一郎が持っていたという(もっとも、本人の当時の日常の食事は雑炊や古米だった)[8]。なお、副議長就任の経緯について治一郎本人は「出身の自分を議長にしないために保守派の連中が緑風会をつくって第一党にしてそこから議長(松平恒雄)を出した。衆議院でも参議院でも選挙の時には社会党が第一党だったのだから、本来衆議院議長が社会党の松岡駒吉になったように、私が出身でなければ私が参議院議長になっておったはずなんだ」と徳川夢声との対談で語っている。
1948年、参議院初代副議長時代、天皇への「カニの横ばい」式拝謁を拒否した(カニの横ばい拒否事件)。しかし、その後で内閣総理大臣となった吉田によって、再度公職追放される(この時はレッドパージ)。1951年に追放解除。
1953年、日中友好協会初代会長に就任。
1955年、解放全国委員会を解放同盟と改称し、初代執行委員長に就任。
1964年、勲一等授与の対象者に選ばれたが拒否。
1966年に死去するまで、解放運動の中心人物であり続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B2%BB%E4%B8%80%E9%83%8E
●会津松平家第15代目の松平親保と会津松平家直系の徳川家広が江戸幕府を復活させて「義」に報いる? - 国際情勢の分析と予測
日本の内戦 (princeofwales1941) 2019-10-05 04:08:31
最近コメント欄での議論が盛り上がっており大変嬉しく思っております。
さて、皆さんが論争中の日本の内戦ですが私からも意見を出したいと思います。
内藤湖南が提唱した「唐宋転変論」の延長線上で與那覇潤が著書「中国化する日本」で、「源平合戦の根底には日宋貿易で日本を資本主義化しようとする平家と、伝統的日本を固守する源氏の対決であった、今の日本での新自由主義と反対派の対立も同様である、日本は宋で誕生した資本主義を受け入れることで中国化しようとしている」と論じたことは以前ブログ記事に書きました。
私はこの與那覇潤の意見は半分賛成、半分反対です。源平合戦の時の日本は外敵の脅威が無かったので思う存分内戦できましたが、安土桃山時代や幕末になると日本が外敵の脅威にさらされ、明治時代以降は事実上米英の属国に転落しています。
戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などは、本来団結して米英に対抗すべき勢力が愚かな同士討ちで弱体化した戦いです。日中戦争も、現在の日本もその延長線上にあります。
なぜそのような愚かな戦いを行っているかというと、団結が危険だからと思います。
かつて欧州でフランスと神聖ローマ帝国=ドイツ≒オーストリアを対立させて分断統治してきた大英帝国は、オーストリアのマリアテレジア女帝による外交革命で独仏連合が結成されたことに対して、フランス革命でルイ16世とマリーアントワネットをギロチンで殺したと思われます。幕府と朝廷、日本と清、日本とロシアが公式に同盟したら、米英の強大な海軍によって皇室や徳川家は皆殺しになったかもしれません。ロシアと組もうとした伊藤博文、日本と組んだ張作霖の暗殺も国際金融資本=大英帝国によるものでしょう。
従って、日本における親国際金融資本派の中枢は本心では米英が大嫌いだが、日本の国益のために彼らの言いなりになる役を演じているだけだと思います。
Unknown (Unknown)
2019-10-05 13:00:37
>従って、日本における親国際金融資本派の中枢は本震では米英が大嫌いだが、日本の国益のために彼らの言いなりになる役を演じているだけだと思います。
ここは、プリンス氏が仰るような状況なのかも知れませんね。
これこそ、装甲騎兵ボトムズのクメン編でのサンジェルマン国王の立場のようなもの。
しかし、周囲の人達は、国王の本心を全く知らず、本気で戦っているので多くの悲劇が生じます。
内戦の裏をアニメで描いて、当時の子供に見せたのは秀逸だと思います。
Unknown (Unknown)
2019-10-05 14:41:53
>森山助役の属した解放同盟は日本社会党系で本来は反原発。解放同盟は朝鮮総連や学生運動などの武装組織に近い役割を果たしていたと思われる。原発の内情を日本社会党を通じて北朝鮮の帝国陸軍残置諜者政権に流すためには解放同盟の組織力が必要で、そのためにや解放同盟の発祥の地である京都から森山が送り込まれたのだろう。解放同盟の構成員の多くは江戸時代の被差別民であり、その中で陸軍に徴兵された者が戦後に社会党を通じて北朝鮮と繋がったと想像する。
プリンス氏の仰る、この点は重要ですね。正しくそうではないでしょうか。
関電だけでなく東電など、日本の原発産業導入には最初に海軍人脈がアメリカと組んで動き、そこに後から陸軍人脈が入り込んでハッキングし、中国、北朝鮮に核技術を流すという構図があったように感じます。
以下、以前のコメント欄より。
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原発を導入した時の東電幹部、木川田一隆は日中国交回復前に中国に渡っている。
<木川田は、日中国交回復以前に中国に渡っている。資本主義の権化である財界トップが、共産主義の国にすんなりと入れるものではない。特別のパイプがあったのだろうが、型破りだ>
http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/?p=2460
木川田はもともと原発反対だったのに、ある時期から突然、原発導入に傾いたという。
<ところが、「原子力は悪魔のような代物」だといっていた木川田が、ある日、突然、成田を読んで、「原子力発電の開発のための体制づくりをするように」と命じた。豹変である。
何が、一体、木川田の姿勢を変えさせたのか。だが、そのことは、成田にとって、現在でも"謎"のままである。>
https://ameblo.jp/sataka/entry-10937557558.html
これは例えば、米国から貰った原発技術を中国に流すとかいう密約でも出来たから変心したんじゃないのか。
流れを見ると、そのようにも思えてくるね。
だって、この後に田中角栄の日中国交回復とかJAL123便墜落事故とか、いろいろ起きるからね。
Unknown (Unknown) 2019-10-05 18:18:33
国内最大級の労働者集団は軍隊の兵隊たち
左翼政党が本来軍隊を軽視するのは矛盾する
すべて「演技」だったとみるしか理解できない
社会党の創設者が徳川義親侯爵
戦前の旧社会大衆党も同じく徳川義親侯爵
民主社会党も貴族が関与してる
社会党の党本部のあった三宅坂は参謀本部の拠点
帝国陸軍の後継組織は保守政党より革新政党に多い
それ単純に兵隊が労働者だからと言うほかない
Unknown (Unknown)2019-10-05 18:31:31
>鬼畜米英と手を組んで自分だけはいきながらえてた昭和天皇
在日米軍のこと「(日本に)長くいればいるほどいい」と言った昭和天皇
昭和天皇が『一番の問題児』であったという事実を隠蔽するために陸軍と国民が汚名を浴びたのだろう
ブルジョワ君主制で肥に肥えた天皇
日本最大級の大資本家天皇が戦後はどこでどのような名義で資産を蓄財していたのかが見もの
『 天 皇 』 対 『 日 本 民 族 』の最後の争い
●宇宙戦艦ヤマト - Wikipedia
『宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)は、1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメおよび、1977年に劇場公開された総集編のアニメーション映画作品。「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の第1作目である。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」。
2199年、地球は謎の異星人国家・ガミラス帝国の侵略を受けていた。冥王星に前線基地を建設したガミラスは、地球に対して遊星爆弾による無差別攻撃を加え続け、海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅する。人類は地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていたが、科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、人類滅亡まであと1年と迫っていた。
そんな中、外宇宙から飛来した1隻の宇宙船が火星に不時着し、通信カプセルが回収される。その中には、地球から14万8000光年離れた大マゼラン星雲にあるイスカンダル星から地球に宛てた、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、外宇宙航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていた。
地球は、宇宙船へと改造されつつあった、九州・坊ノ岬沖で250年も前の世界大戦中に沈んだ戦艦「大和」に、この波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーの受領のための宇宙戦艦「ヤマト」として完成させる。沖田十三を艦長とし、古代進、島大介、森雪などの乗組員を乗せ、イスカンダル星に向け、1年という限られた猶予の中、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅に発つ。
ガミラス冥王星前線基地を撃破して太陽系を離脱したヤマトは、宇宙機雷やガス生命体などのガミラスの罠や、原始星団などの自然現象を突破して銀河系外へと踏み出す。一方、ヤマトの存在を目障りに思い始めたガミラス総統デスラーは、将軍ドメルにヤマト討伐の任を与える。次元断層で一戦交えてヤマトを強敵と判断したドメルは、ヤマトの航路の中間地点バラン星までヤマトを誘い込み、バラン基地ごと撃破する作戦を立案・実行するが、作戦内容に反発した部下の密告により失敗し、基地のみを失ってしまう。そのため、ドメルは死刑宣告を受けるが、デスラーはこの処刑執行を握りつぶす。
デスラーの温情により最後のチャンスを与えられたドメルは、ヤマトと七色星団での決戦に臨む。ヤマトは瞬間物質移送器での航空機のワープによる奇襲攻撃に苦戦し、ドリルミサイルで切り札の波動砲を封じられて内部から爆破される窮地に立たされるが、ドリルミサイルの排出と爆発で逆に敵艦隊を撃滅する。生き残ったドメルはヤマトへ接舷し、沖田と言葉を交わした後、ヤマトを巻き込み自爆する。辛うじて生き延びたヤマトだったが、その犠牲は大きく、戦死した乗組員の宇宙葬を行い、再びイスカンダルへ進み始める。
ヤマトはついに大マゼラン星雲まで辿り着くが、そこにはイスカンダル星だけでなく、二重惑星であるガミラス星もあった。罠に嵌ってガミラス星へと引きずり込まれたヤマトは絶体絶命となるが、波動砲で海底火山脈を撃ちぬき、地上に大火山活動を誘発させ勝機を見出す。激戦の末、生けるもののいない廃墟と化したガミラス星を見た古代は、自分たちが犯した過ちを痛感する。そして、自分たちに今できることはイスカンダルへ向かうことであると思い至り、再びヤマトを発進させる。
イスカンダルへ辿り着き、コスモクリーナーDを受け取ったヤマトは、一路地球への帰路を急ぐが、地球を間近にしてガミラス本星での戦闘を生き延びたデスラーに襲撃され、その戦いの中で森雪が命を落としてしまう。恋人である古代は悲しみに暮れ、地球を目前として、雪の遺体を第一艦橋へと連れて行き、ともに地球の姿を眺める。地球を目前にした沖田は、その姿を目に焼き付け静かに息を引き取る。その後、第一艦橋に連れてこられていた雪が蘇生し、古代を始め艦橋にいた全員に喜びが広がった。
そして、西暦2200年、ヤマトは地球へと帰還。地球は蘇り、元の青さを取り戻した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88
●古代守 - Wikipedia
古代 守(こだい まもる)は、アニメ「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の登場人物。
古代進の兄。2171年生まれ[5]。第1作『宇宙戦艦ヤマト』では、沖田十三率いる地球艦隊所属のミサイル艦「ゆきかぜ」艦長。第1話から登場。冥王星宙域での会戦で、護衛隊長としてミサイル艦に搭乗している。艦隊司令である沖田十三の撤退命令を、「死んでいった者に顔向けできない」と拒否し、ガミラス艦隊に特攻をかける。その際、「明日のために今日の屈辱に耐えるのが男だ」と言う沖田に対し、「一つでも多くの敵を倒して死んでいくのが男だ」との思いを語っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%AE%88
●古代進 - Wikipedia
古代 進(こだい すすむ)は、アニメ「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の主人公。『宇宙戦艦ヤマト』では戦闘班長、同作後半からは艦長代理も兼任。『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』では艦長の土方竜の死亡後、新艦長へ着任。『宇宙戦艦ヤマトIII』では艦長。
駆逐艦ゆきかぜ艦長の古代守は実兄。
第1話から登場。18歳(ヤマト発進時、火星での訓練中は17歳、ヤマトの地球帰還時には19歳[要出典])。少年期は昆虫が好きで争いを嫌悪する優しい性格だったが、2193年に出身地である神奈川県三浦半島へガミラスからの遊星爆弾が落下して両親が死亡したため、ガミラスへの復讐を誓う直情型の性格となった。
宇宙戦士訓練学校を経てヤマトの戦闘班長に就任し、第一艦橋に座る一方でコスモゼロを駆ることもある。当初は、兄を冥王星会戦で死なせたということで艦長の沖田十三を快く思わなかったり、訓練学校の同期生かつ親友で航海班長の島大介と、戦闘と航海のどちらを優先するかで対立したりといったことが多かった。しかし、島をはじめ真田志郎ら仲間と共にイスカンダルへの航海や戦闘を続け、沖田の人となりに触れたことから、それまで直情的だった性格も改められていく。
第20話以降は、沖田の病状が悪化したため、艦長代理を兼任する。死んだと思われた守とは、第25話のイスカンダルで再会し、地球への帰還よりスターシャとの愛を選んだ彼を見送る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%80%B2
●松本零士 - Wikipedia
父親である松本強[3]は少尉候補者制度を用い(少候第10期)、下士官から叩き上げで将校である陸軍少佐(最終階級)にまで上った帝国陸軍の軍人であり、また陸軍航空部隊の古参の操縦者(パイロット)であった。第二次世界大戦中、その父がテストパイロットをやっていた関係で、4歳から6歳まで兵庫県明石市の川崎航空機の社宅に住み[2][4]。その後は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた[2][5](両親共に大洲市の出身である[6])。このときアメリカ軍の戦闘機や、松山市へ空襲に向かうB-29などの軍用機を多数目撃、この体験が後の作品に影響を与えたという[2]。
大戦後半、父親は第32教育飛行隊(1944年2月編成)の隊長として、特別操縦見習士官や少年飛行兵出身の新参パイロットの教育を行っていたが、課程を終え実戦部隊に転出した部下には後に特別攻撃隊の隊員として特攻していった者も少なくなかった。末期には二式複座戦闘機「屠龍」[7]に搭乗し、終戦の日まで連合軍と戦っていた。
戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、「敵の戦闘機には乗れない」と断固拒否。実家がある大平村での炭焼きや、小倉で野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落としたが、家族で父に反対する者はおらず零士少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足」と行商の大八車を押したという。この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にハーロックや沖田十三のモデルとして、松本の作品に生かされていった。また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけて潰した」という。
母親は元教師で、子供の宿題に適切な添削までしてくれたという。これについて、子供のころは、大人だからできるのだと思っていたが、後から考えると、なかなかできないことだったと気づいたという。そんな、当時の女性としては高学歴で出身家庭が恵まれていた母親が、夫の意地のため苦労しながらも、周囲の嘲笑に歯を食いしばって耐えながら一緒に働いている姿を、息子たちは見て育ったという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%9B%B6%E5%A3%AB
●日本赤軍 - Wikipedia
日本赤軍(にほんせきぐん、英語: Japanese Red Army)は、1971年から2001年まで存在した日本の新左翼系団体、世界同時革命を目指した武装集団。
日本革命を世界革命の一環と位置付け、中東など海外に拠点を置き、1970年代から1980年代にかけて多数の武装闘争事件(日本赤軍事件)を起こした[1]。
1971年に共産主義者同盟赤軍派の重信房子、奥平剛士らが結成、2001年に重信自身が解散を表明した。アメリカ合衆国国務省の国際テロリズム対策室は日本赤軍を「国際テロ組織」と認定していたが、解散により認定解除した。
結成
冷戦時代の1971年2月26日に、共産主義者同盟赤軍派の「国際根拠地論」に基づき、「海外にも運動拠点と同盟軍を持つ必要がある」と判断し、赤軍派の重信房子や元「京都パルチザン」の奥平剛士らがパレスチナへ赴き、同地で創設した。創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等と称したが、1974年以降、「日本赤軍」を正式名称とした。
当初はレバノンのベッカー高原を主な根拠地に活動し、1970年代から1980年代にかけてパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、主に日本のフラッグ・キャリアである日本航空機を対象とした国内外における一連のハイジャック、反イスラエル闘争としての空港襲撃に伴う一般人を対象にした乱射事件、大使館などの外国公館への武装攻撃、身代金や同志奪還を目的としたハイジャックなどの事件を繰り返した。PFLF及びパレスチナ解放機構を支援していたシリアのハーフィズ・アル=アサド[2]やリビアのムアンマル・アル=カッザーフィー[3]らからの援助を受けていたといわれている。
1972年5月30日にイスラエルのベン・グリオン国際空港で起こした「テルアビブ空港乱射事件」では、搭乗客や駐機中の旅客機を対象にした民間人に対する無差別乱射を行い、一般市民を中心に100人以上の死傷者を出した。
この事件はPFLPの要請によって行われたものであり、この自称「リッダ闘争」により、反イスラエル感情が強いアラブ諸国で日本赤軍は「英雄視」され、過激派が日本赤軍の自爆テロを模倣するようになったと自称している[4][5](ただし、「リッダ闘争」を行ったのは奥平剛士らの出身母体である「京都パルチザン」(銀閣寺アジト・グループ)であり、「リッダ闘争をやったのは日本赤軍である」というのはウソであるという主張もある[6])。
初期の活動はKGBのエージェントでもあった[7]ワディ・ハダド(アブ・ハニの変名で知られる)率いるPFLPの分派組織であり、海外ゲリラ部門の「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」(PFLP-EO)に指導される形であったが、1974年以降はその指導下を離れ、重信房子と丸岡修を中心として、独自の闘いを模索していった。この頃、「アラブ赤軍」などの通称で知られたこの組織が正式に「日本赤軍」を名乗るようになったとされる[8]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D
●奥平剛士 - Wikipedia
奥平 剛士(おくだいら つよし、1945年7月21日 - 1972年5月30日)は、日本の新左翼活動家、革命家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの重信房子は戸籍上の妻、奥平純三は弟。1972年5月30日に岡本公三・安田安之らとテルアビブ空港乱射事件を起こし、26人を殺害し、73人に重軽傷を負わして、安田と共に死亡した。死因については空港警備隊との銃撃戦で射殺されたとも、安田と共に自殺したとも言われ詳しくは分かっていない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B9%B3%E5%89%9B%E5%A3%AB
●奥平純三 - Wikipedia
奥平 純三(おくだいら じゅんぞう、1949年2月9日[1] - )は、日本の新左翼活動家、革命家。日本赤軍最高幹部でテルアビブ空港乱射事件で死亡した奥平剛士は次兄で、自身も日本赤軍に所属した。
山口県下関市で生まれ、1969年京都大学工学部に入学しパルチザングループに所属する。1973年卒業後に建設会社に勤務するが、1974年5月に偽造旅券で出国して日本赤軍に参加。1974年9月に和光晴生らとともにハーグ事件に参加し警察官2人に発砲、1975年にクアラルンプール事件に関わった。
1976年にヨルダン入国の際に偽造旅券の容疑で日高敏彦とともに逮捕され、10月13日に日本に移送された。1977年にダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置で釈放され出国した。
1987年6月9日、ベネチア・サミット開催中、ローマのアメリカ大使館とイギリス大使館にロケット弾が発射された他、カナダ大使館で車が爆破されたローマ事件ではレンタカーから奥平の指紋が検出され、イタリア公安当局から奥平の犯行と断定された。
1988年4月14日、イタリアのナポリにあるアメリカ軍関連施設(USOクラブ)前における自動車爆弾テロによってアメリカ軍兵士1人を含む5人を死亡させ、4人のアメリカ軍兵士を含む15人を負傷させた容疑でアメリカ政府の(最大500万ドルの懸賞と安全な転居を保障される)「正義への報酬プログラム」により手配された[2]。
1998年、佐々木規夫とともに他人名義の旅券を不正に取得するため東京を訪れていたことがこれまでの捜査で明らかになった。
1998年と1999年の少なくとも2回、日本に入国して重信房子と接触していたことが、2000年11月に重信の逮捕時に押収した資料から判明した[3]。
現在も奥平の生死は不明で、国際手配されている。2010年4月以降の手配写真は1998年に撮影されたものに差し替えられた[4][5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B9%B3%E7%B4%94%E4%B8%89
●アレクサンドリア (曖昧さ回避) - Wikipedia
アレクサンドリアまたはアレキサンドリア(Alexandria)は、世界各地に見られる地名である。まず第1に、アレクサンドロス大王が、東方遠征の途上、各地で建設したギリシア風の都市のうち、自らの名にちなんで命名したと伝えられる複数の都市がある(正確な数については研究者の間で見解が分かれる)。第2に、アレクサンドロス大王に由来する欧米の男性名、アレクサンダー、アレクサンドル、アレクサンデルなどの名をもつ著名人にちなんで命名された都市がある。それぞれの由来については、各記事において記述する。
・エジプトのアレクサンドリア(アル=イスカンダリーヤ)
・イッサムのアレクサンドリア⇒イスケンデルン - トルコ
・イスカンダリーヤ - イラク
<その他、アレクサンダー大王東征の攻勢限界点であったアフガニスタンとタジキスタンに数カ所のアレクサンドリア=イスカンダルあり>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
【私のコメント】
森山元助役は京都府庁所属で、綾部市役所から高浜町に移籍している。異例の人事と思われ、裏に深い事情があると推察される。
噂される同和問題は近畿地方や北九州などを中心に西日本にほぼ限定される。彼らの職業は皮革なめし業など特定の分野に偏り、水田農耕は少なかったと思われる。以前にも書いたが、民とは縄文系の非農耕民族の末裔で、少数派の彼らが多数派の弥生系の農耕民に対抗するために団結したのがや解放同盟ではないかという仮説を提唱する。東日本は縄文人が多く少数派ではなかったため対立が起きなかったのだろうか?
森山助役は顔の彫りが深い縄文顔。町長は顔の凹凸が少ない弥生顔。氷河期にバイカル湖付近で暮らした人々が弥生人の先祖とされるが、氷点下50-60度の冬を生き延びるには扁平な顔が有利だ。森山助役の顔だと鼻や眉が凍傷になる。縄文人は遺伝的には北方モンゴロイドで弥生人と同じだが、氷河期にもっと暖かい所で暮らしていたのだろう。
森山助役の属した解放同盟は日本社会党系で本来は反原発。解放同盟は朝鮮総連や学生運動などの武装組織に近い役割を果たしていたと思われる。原発の内情を日本社会党を通じて北朝鮮の帝国陸軍残置諜者政権に流すためには解放同盟の組織力が必要で、そのためにや解放同盟の発祥の地である京都から森山が送り込まれたのだろう。解放同盟の構成員の多くは江戸時代の被差別民の子孫であり、朝鮮・中国や国際金融資本などの外国との関連性は薄いと思われる。彼らの中で大東亜戦争に際して陸軍に徴兵された者が戦後に社会党を通じて帝国陸軍遺残勢力である北朝鮮や共産中国と繋がったと想像する。
松本治一郎は福岡県出身の解放同盟の重鎮で戦前・戦後に議員を務めている。戦後は日本社会党所属の参議院議員で副議長まで務めている。その彼が解放同盟の最高責任者と日中友好協会初代会長を同時期に務めているのが興味深い。彼が帝国陸軍遺残勢力たる人民解放軍と日本の原発を繋いだのだと思われる。
国際金融資本の世界支配が崩壊し、日本が地震の危険な場所に原発を建設され脅迫されるという事態も終わろうとしている。今後はより安全な常温核融合炉が日本の電力を賄う時代になるのだろう。それ故に今このタイミングで森山元助役の不祥事を報道させているのだろう。それによって若狭湾に林立する原発は今後一掃されるのだろう。
さて、前置きが長くなった。本題に入ろう。前の記事のコメント欄で指摘のあった「内戦の裏をアニメで描いて、当時の子供に見せたのは秀逸」との一文で、私は昔見た「宇宙戦艦ヤマト」を思い出した。以前の記事で私はガミラス=大英帝国(米国を含む)、イスカンダル=オーストリア・ハンガリー二重帝国の遺残勢力という仮説を唱えた。しかし、イスカンダルという名前が選ばれた理由は二重帝国では説明できない。
イスカンダルは「アレキサンドリア」のイスラム名である。アレクサンドリアの多くはアレクサンダー大王に因んでおり、彼が中近東の征服戦争の途中で建設した都市にその名が付けられている。東征の攻勢均衡点であったアフガニスタンやタジキスタン(かつてのバクトリア)に多いのは、彼が軍事力以外の方法で占領地に影響力を行使したかったのかもしれない。少し脱線するが、アレクサンダー大王の占領地域は彼の出身地のマケドニアと同じ地中海性気候の地域とその周辺の草原気候の地域によく一致している。地中海沿岸から東方に延びる地中海性気候地域はイラン・アフガニスタンの山岳地域を経てパミール高原西部で終わる。彼が侵入を断念したインド亜大陸の大部分は冬が乾期となる気候で、夏が乾期の地中海性気候とは正反対である。イスラム帝国であるウマイヤ朝の破竹の進撃は砂漠と草原に限られており湿潤気候帯に深く侵入できなかったのとよく似ており実に興味深い。
アレクサンダー大王は当時のフェニキア商人の最大の拠点で会ったティルス(当時は島だった)を攻撃するために海岸から島までの海を埋め立て、島を攻撃して全滅させている。島までの海を埋めたてるという異常な執念の背景には異常な憎悪が感じられる。これは、奴隷貿易・詐欺・人さらいなど極悪の限りを尽くすフェニキア商人に正義の鉄槌を下すためと想像する。ローマ帝国がポエニ戦争でカルタゴを滅亡させたのも同じ理由だろう。
アフガニスタン近辺を除くと彼が建設した都市でイスラム圏にあり現地でイスカンダルと呼ばれる主要な都市は3つある。最も有名なのがエジプトの地中海岸にあるアレキサンドリア。二つ目がトルコ南部ハタイ県のイスケンデルン。三つ目がイラク中部のイスカンダリーヤである。この3都市を結ぶ三日月型は、かつて農耕が地球で初めて開始された「肥沃な三日月地帯」に一致する。
また、現在シリアを支援しているロシアはシリアのタルトゥース港に基地を保有している。冷戦時代多数の海外軍港を有していたソ連海軍はソ連崩壊後にほぼ全てから引き上げたがタルトゥース港だけは維持しており、それが現在のシリア軍事支援に活躍しているのだ。彼らは将来シリアで国際金融資本との最終決戦が起きることを知っていたのだろう。この地域はフェニキアそのものであり、フェニキア人の先祖かもしれない謎の民族シュメール人がメソポタミア文明を建設したイラク、聖方位で建設されたアケメネス朝ペルシャの首都ペルセポリスやバビロニアの首都バビロンにも近い。バビロンはイスカンダリーヤの約40km南方という至近距離に存在する。アフガニスタンやシリア・イラクは1979年以降のロシアと国際金融資本の最終決戦の場になっているが、アレクサンドリアの名を持つ都市の分布によく一致する。宇宙人との通信など何か深い理由がありここでの戦いが行われているのかもしれない。なお、エジプトもアレクサンドリアがあり米ソの争奪戦の場であったし、ガザでは現在も戦闘が続いている。
さて、宇宙戦艦ヤマトがテレビで放映された1974-1975年頃にこれらの「イスカンダル」の近くに渡航して活発に活動した日本人集団がある。日本赤軍である。彼らは1971年に渡航してレバノンのベッカー高原に本拠地を置き、シリアのアサド大統領やリビアのカダフィ大佐の支援を受けて1980年代まで活動していたとされる。宇宙戦艦ヤマトとは、日本赤軍の活動を応援する目的で制作されたアニメというのが私の仮説である。駆逐艦ゆきかぜ艦長の古代守は冥王星会戦において、撤退命令を拒否し、敵艦隊へ特攻していき行方不明となっている(24話で生存が判明)が、これはテルアビブ空港乱射事件で戦死した奥平剛士の勇気ある戦いを讃える目的では無かったかと想像する。宇宙戦艦ヤマトの主人公の古代進は古代守の弟であるが、兄の死後に日本赤軍に参加して現在も活動中の奥平純三を指しているのではないかと想像する。宇宙戦艦ヤマト放映はベトナム戦争末期、第四次中東戦争直後、テルアビブ空港乱射事件後、奥平純三の日本赤軍参加直後に当たる。遊星爆弾で卑劣な非戦闘員大虐殺を繰り返すガミラス帝国は明らかに米軍とそれを支配する大英帝国を示唆している。
松本零士の父は帝国陸軍の軍人で航空部隊の隊長を務めていたという。戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、「敵の戦闘機には乗れない」と断固拒否、炭焼きや野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落としたが、家族で父に反対する者はおらず零士少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足」と行商の大八車を押したという。この様な境遇に育った松本零士が、鬼畜米英と戦い続ける日本赤軍に強い共感を持った可能性は十分あると思われる。
第一次大東亜戦争が日米戦争、第二次大東亜戦争が朝鮮戦争(現在休戦中)、第三次大東亜戦争がベトナム戦争(1975年4月30日に南ベトナムが滅亡して終結)、第四次大東亜戦争が第四次中東戦争(1973年10月6日、エジプトが前戦争での失地回復のため、シリアとともにイスラエルに先制攻撃をかけ、後に反撃されるものの大きな打撃を与えてイスラエル軍の無敗神話を崩す)からインティファーダに移行し現在も続くパレスチナ闘争や米英のシリア侵略戦争というのが私の仮説である。帝国陸軍亡命政権である北朝鮮はベトナム戦争や中東戦争にも兵士の派遣を含めて深く関与したとされる。第一次大東亜戦争では朝鮮人志願兵が日本人と共に戦ったが、第二次以降では朝鮮人の兵士に日本人志願兵(日本赤軍や拉致被害者とされている人々)が加わる形で戦いが継続しているのだろう。また、宇宙戦艦ヤマトが示唆するように超先端的技術を持つ宇宙人との接触も大きな目的である可能性があろう。
今後鬼畜米英が滅亡した後、大東亜戦争を共に戦った日本人・朝鮮人・ベトナム人・パレスチナ人は強い絆で結ばれることだろう。そして、鬼畜米英の手下となってベトナム人を虐殺した南朝鮮は汚名と共に消滅して北朝鮮に吸収されることだろう。
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「森山は地元の大物という話だが何か知っているか?」。「“ 人権(同和)絡み”だから森山はタブー視されてきた」。関西電力の役員が高浜町(福井県大飯郡)の元助役、森山栄治氏(故人)から多額の金品を受けていた問題で、大手メディアの記者やウォッチャーからこんな連絡を受けたのは先週末のこと。森山の住所と高浜町の地区を照合すると確かに“ビンゴ ”だから関心を寄せていたのだが…。単純な噂だとは思えない。億単位のカネが動き、関電のような巨大企業が恐れ、役員に金品を提供するという不可解な行為、こんな異常な現象だからこそ根拠と確信を得た。「が絡まぬわけがない」。こういう思いを抱いて高浜町に向かった。
ネタで女性教師を廃人に追い込む
高浜町と言えば福井県嶺南地方、通称、“原発銀座 ”に位置する自治体だ。と同時に福井県下で最も同和事業が盛んで、森山の自宅がある西三松にしみまつの隣保館「高浜町立三松センター」にはかつて解放同盟福井県連合会があった。関西地方に行けば市役所、町役場、公民館に人権標語が掲げられることは珍しくない。ただ北陸地方はのイメージが薄い。しかし高浜町は北陸にあってしっかり“推し ”をしている。こんな町だ。
高浜町住民生活課の窓口に設置してある。この町のどこに差別があるのか不思議だった。
議会には同和問題対策委員会もあった。
それにしても今回の問題に違和感を覚えた人も多かったのでは? 再稼働や拡張工事など地元の理解を得るため電力会社側が有力者に金品を提供するというシナリオならばありえる話だ。しかし地元側から電力会社に金品提供とは前代未聞。なぜこんな事態が起こりえたのか? それは“ のドン ” 森山が解放運動を背景に高浜町、そして関西電力を屈服させてきたからだ。あるいは森山が絡みというのは言及されなくても、こんな報道から見て取れる。
10月1日、MBS(毎日放送)によれば関電は森山に原子力担当の幹部職員を対象にした人権教育研修の講師に招いていたと報じた。こうした場合の「人権」とは一般的な「人権」の概念とはかなり異なる。行政・企業にとって「人権」とは「」を示す一種の隠語といった存在だ。この点は過去にも指摘してきたが、一応補足しておこう。そして森山の足取りである。
今回は「森山栄治」を含めて、彼を取り巻いた人物は故人が多い。笹沢左保の推理小説『死人狩り』ではないが、物故者の爪痕を探るのも骨が折れる。何しろ森山は享年90歳だからその関係者も当然、高齢者で助役現職時代を知る人は少ない。森山の経歴を見るといくつか興味深いことがある。時系列で紹介する。
1969年12月11日に高浜町に入庁。
1971年に総括課長兼建設課長。
1975年10月11日から1977年3月31日まで収入役。
1977年4月1日から1987年5月31日まで助役。
入庁からわずか二年で課長になった上、「統括課長は森山のために作られた肩書き」(町関係者)。という。それからマニアならば直感したかもしれない。奇遇なことに同和対策特別措置法が施行された年に入庁し、その再延長法である「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(地対財特法)が制定された年に退職している。
https://jigensha.info/2019/10/02/kanden/
●原発というより構造的タブー問題が見えちゃってる模様 - DEEPLY JAPAN
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/d833f4cdd1dc396e6a8c2a16cd37c130
●関西電力をたたいても同和問題は解決しない – アゴラ
http://agora-web.jp/archives/2041892.html
●「原発はね、深いんだ。わからないよ、なかなか。いろいろあるから。ほんと、いろいろとね…」 - 逝きし世の面影
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/bafe108fd92e2f1841c0ea88296ad5fd
●松本治一郎 - Wikipedia
松本 治一郎(まつもと じいちろう、1887年6月18日 - 1966年11月22日)は、日本の政治家、実業家。解放運動を草創期から指導し、解放同盟からは「解放の父」と呼ばれる[1]。堂々たる顎髭の風貌から「オヤジ」と呼ばれ親しまれた。元参議院副議長。
1936年から衆議院議員(当選3回)。当選早々に衆議院で「不当に特権を得ている華族の存在が民が不当な差別を受ける原因であり解放のためには華族制度を廃止すべし」と質問した(当時は二・二六事件の直後であり、陸軍大臣は伯爵の寺内寿一であった)[5]。
1940年、斎藤隆夫の反軍演説による衆議院議員除名に反対し、本会議を欠席。所属する社会大衆党党首の安部磯雄・鈴木文治・片山哲・西尾末広・水谷長三郎らとともに、書記長麻生久により党員除名処分となる。
1942年、衆議院議員に翼賛政治体制協議会推薦で当選。これは政府がカムフラージュとして押しつけ的に推薦したといわれるが[6]、鳩山一郎・三木武吉といった自由主義的議員は非推薦で当選しており、戦後松本が公職追放された際にも「翼賛会推薦議員」というのが理由の一つになっている。
1946年、翼賛議員であったことから一旦公職追放されるが、連合国軍最高司令官総司令部からの「松本と尾崎行雄の2人は真の民主主義者だ、絶対に立候補させねばならぬから松本の追放を解除し今日中に立候補できるよう手配せよ」との通告によりまもなく解除[6]。GHQと密接につながり、巨万の富を蓄えた特殊慰安施設協会(RAA)の経営陣の一人であった[7]。しかし公職追放は解除されたものの時の外務大臣・吉田茂の妨害によって第22回衆議院議員総選挙への立候補届出には間に合わず、翌年の第1回参議院議員通常選挙に立候補することになる[6]。その間に解放全国委員会委員長に就任する。
1947年、参議院議員で初当選(当選4回)。初代参議院副議長に就任。日本社会党左派の平和同志会の領袖として知られた。資金や運営の面でも貢献は大きく、資金力では平野力三と並んで社会党の双璧とされ、終戦直後の社会党左派の議員会合はよく治一郎の東京事務所を使用しており酒や食事の費用もすべて治一郎が持っていたという(もっとも、本人の当時の日常の食事は雑炊や古米だった)[8]。なお、副議長就任の経緯について治一郎本人は「出身の自分を議長にしないために保守派の連中が緑風会をつくって第一党にしてそこから議長(松平恒雄)を出した。衆議院でも参議院でも選挙の時には社会党が第一党だったのだから、本来衆議院議長が社会党の松岡駒吉になったように、私が出身でなければ私が参議院議長になっておったはずなんだ」と徳川夢声との対談で語っている。
1948年、参議院初代副議長時代、天皇への「カニの横ばい」式拝謁を拒否した(カニの横ばい拒否事件)。しかし、その後で内閣総理大臣となった吉田によって、再度公職追放される(この時はレッドパージ)。1951年に追放解除。
1953年、日中友好協会初代会長に就任。
1955年、解放全国委員会を解放同盟と改称し、初代執行委員長に就任。
1964年、勲一等授与の対象者に選ばれたが拒否。
1966年に死去するまで、解放運動の中心人物であり続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B2%BB%E4%B8%80%E9%83%8E
●会津松平家第15代目の松平親保と会津松平家直系の徳川家広が江戸幕府を復活させて「義」に報いる? - 国際情勢の分析と予測
日本の内戦 (princeofwales1941) 2019-10-05 04:08:31
最近コメント欄での議論が盛り上がっており大変嬉しく思っております。
さて、皆さんが論争中の日本の内戦ですが私からも意見を出したいと思います。
内藤湖南が提唱した「唐宋転変論」の延長線上で與那覇潤が著書「中国化する日本」で、「源平合戦の根底には日宋貿易で日本を資本主義化しようとする平家と、伝統的日本を固守する源氏の対決であった、今の日本での新自由主義と反対派の対立も同様である、日本は宋で誕生した資本主義を受け入れることで中国化しようとしている」と論じたことは以前ブログ記事に書きました。
私はこの與那覇潤の意見は半分賛成、半分反対です。源平合戦の時の日本は外敵の脅威が無かったので思う存分内戦できましたが、安土桃山時代や幕末になると日本が外敵の脅威にさらされ、明治時代以降は事実上米英の属国に転落しています。
戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などは、本来団結して米英に対抗すべき勢力が愚かな同士討ちで弱体化した戦いです。日中戦争も、現在の日本もその延長線上にあります。
なぜそのような愚かな戦いを行っているかというと、団結が危険だからと思います。
かつて欧州でフランスと神聖ローマ帝国=ドイツ≒オーストリアを対立させて分断統治してきた大英帝国は、オーストリアのマリアテレジア女帝による外交革命で独仏連合が結成されたことに対して、フランス革命でルイ16世とマリーアントワネットをギロチンで殺したと思われます。幕府と朝廷、日本と清、日本とロシアが公式に同盟したら、米英の強大な海軍によって皇室や徳川家は皆殺しになったかもしれません。ロシアと組もうとした伊藤博文、日本と組んだ張作霖の暗殺も国際金融資本=大英帝国によるものでしょう。
従って、日本における親国際金融資本派の中枢は本心では米英が大嫌いだが、日本の国益のために彼らの言いなりになる役を演じているだけだと思います。
Unknown (Unknown)
2019-10-05 13:00:37
>従って、日本における親国際金融資本派の中枢は本震では米英が大嫌いだが、日本の国益のために彼らの言いなりになる役を演じているだけだと思います。
ここは、プリンス氏が仰るような状況なのかも知れませんね。
これこそ、装甲騎兵ボトムズのクメン編でのサンジェルマン国王の立場のようなもの。
しかし、周囲の人達は、国王の本心を全く知らず、本気で戦っているので多くの悲劇が生じます。
内戦の裏をアニメで描いて、当時の子供に見せたのは秀逸だと思います。
Unknown (Unknown)
2019-10-05 14:41:53
>森山助役の属した解放同盟は日本社会党系で本来は反原発。解放同盟は朝鮮総連や学生運動などの武装組織に近い役割を果たしていたと思われる。原発の内情を日本社会党を通じて北朝鮮の帝国陸軍残置諜者政権に流すためには解放同盟の組織力が必要で、そのためにや解放同盟の発祥の地である京都から森山が送り込まれたのだろう。解放同盟の構成員の多くは江戸時代の被差別民であり、その中で陸軍に徴兵された者が戦後に社会党を通じて北朝鮮と繋がったと想像する。
プリンス氏の仰る、この点は重要ですね。正しくそうではないでしょうか。
関電だけでなく東電など、日本の原発産業導入には最初に海軍人脈がアメリカと組んで動き、そこに後から陸軍人脈が入り込んでハッキングし、中国、北朝鮮に核技術を流すという構図があったように感じます。
以下、以前のコメント欄より。
---------------
原発を導入した時の東電幹部、木川田一隆は日中国交回復前に中国に渡っている。
<木川田は、日中国交回復以前に中国に渡っている。資本主義の権化である財界トップが、共産主義の国にすんなりと入れるものではない。特別のパイプがあったのだろうが、型破りだ>
http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/?p=2460
木川田はもともと原発反対だったのに、ある時期から突然、原発導入に傾いたという。
<ところが、「原子力は悪魔のような代物」だといっていた木川田が、ある日、突然、成田を読んで、「原子力発電の開発のための体制づくりをするように」と命じた。豹変である。
何が、一体、木川田の姿勢を変えさせたのか。だが、そのことは、成田にとって、現在でも"謎"のままである。>
https://ameblo.jp/sataka/entry-10937557558.html
これは例えば、米国から貰った原発技術を中国に流すとかいう密約でも出来たから変心したんじゃないのか。
流れを見ると、そのようにも思えてくるね。
だって、この後に田中角栄の日中国交回復とかJAL123便墜落事故とか、いろいろ起きるからね。
Unknown (Unknown) 2019-10-05 18:18:33
国内最大級の労働者集団は軍隊の兵隊たち
左翼政党が本来軍隊を軽視するのは矛盾する
すべて「演技」だったとみるしか理解できない
社会党の創設者が徳川義親侯爵
戦前の旧社会大衆党も同じく徳川義親侯爵
民主社会党も貴族が関与してる
社会党の党本部のあった三宅坂は参謀本部の拠点
帝国陸軍の後継組織は保守政党より革新政党に多い
それ単純に兵隊が労働者だからと言うほかない
Unknown (Unknown)2019-10-05 18:31:31
>鬼畜米英と手を組んで自分だけはいきながらえてた昭和天皇
在日米軍のこと「(日本に)長くいればいるほどいい」と言った昭和天皇
昭和天皇が『一番の問題児』であったという事実を隠蔽するために陸軍と国民が汚名を浴びたのだろう
ブルジョワ君主制で肥に肥えた天皇
日本最大級の大資本家天皇が戦後はどこでどのような名義で資産を蓄財していたのかが見もの
『 天 皇 』 対 『 日 本 民 族 』の最後の争い
●宇宙戦艦ヤマト - Wikipedia
『宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)は、1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメおよび、1977年に劇場公開された総集編のアニメーション映画作品。「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の第1作目である。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」。
2199年、地球は謎の異星人国家・ガミラス帝国の侵略を受けていた。冥王星に前線基地を建設したガミラスは、地球に対して遊星爆弾による無差別攻撃を加え続け、海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅する。人類は地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていたが、科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、人類滅亡まであと1年と迫っていた。
そんな中、外宇宙から飛来した1隻の宇宙船が火星に不時着し、通信カプセルが回収される。その中には、地球から14万8000光年離れた大マゼラン星雲にあるイスカンダル星から地球に宛てた、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、外宇宙航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていた。
地球は、宇宙船へと改造されつつあった、九州・坊ノ岬沖で250年も前の世界大戦中に沈んだ戦艦「大和」に、この波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーの受領のための宇宙戦艦「ヤマト」として完成させる。沖田十三を艦長とし、古代進、島大介、森雪などの乗組員を乗せ、イスカンダル星に向け、1年という限られた猶予の中、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅に発つ。
ガミラス冥王星前線基地を撃破して太陽系を離脱したヤマトは、宇宙機雷やガス生命体などのガミラスの罠や、原始星団などの自然現象を突破して銀河系外へと踏み出す。一方、ヤマトの存在を目障りに思い始めたガミラス総統デスラーは、将軍ドメルにヤマト討伐の任を与える。次元断層で一戦交えてヤマトを強敵と判断したドメルは、ヤマトの航路の中間地点バラン星までヤマトを誘い込み、バラン基地ごと撃破する作戦を立案・実行するが、作戦内容に反発した部下の密告により失敗し、基地のみを失ってしまう。そのため、ドメルは死刑宣告を受けるが、デスラーはこの処刑執行を握りつぶす。
デスラーの温情により最後のチャンスを与えられたドメルは、ヤマトと七色星団での決戦に臨む。ヤマトは瞬間物質移送器での航空機のワープによる奇襲攻撃に苦戦し、ドリルミサイルで切り札の波動砲を封じられて内部から爆破される窮地に立たされるが、ドリルミサイルの排出と爆発で逆に敵艦隊を撃滅する。生き残ったドメルはヤマトへ接舷し、沖田と言葉を交わした後、ヤマトを巻き込み自爆する。辛うじて生き延びたヤマトだったが、その犠牲は大きく、戦死した乗組員の宇宙葬を行い、再びイスカンダルへ進み始める。
ヤマトはついに大マゼラン星雲まで辿り着くが、そこにはイスカンダル星だけでなく、二重惑星であるガミラス星もあった。罠に嵌ってガミラス星へと引きずり込まれたヤマトは絶体絶命となるが、波動砲で海底火山脈を撃ちぬき、地上に大火山活動を誘発させ勝機を見出す。激戦の末、生けるもののいない廃墟と化したガミラス星を見た古代は、自分たちが犯した過ちを痛感する。そして、自分たちに今できることはイスカンダルへ向かうことであると思い至り、再びヤマトを発進させる。
イスカンダルへ辿り着き、コスモクリーナーDを受け取ったヤマトは、一路地球への帰路を急ぐが、地球を間近にしてガミラス本星での戦闘を生き延びたデスラーに襲撃され、その戦いの中で森雪が命を落としてしまう。恋人である古代は悲しみに暮れ、地球を目前として、雪の遺体を第一艦橋へと連れて行き、ともに地球の姿を眺める。地球を目前にした沖田は、その姿を目に焼き付け静かに息を引き取る。その後、第一艦橋に連れてこられていた雪が蘇生し、古代を始め艦橋にいた全員に喜びが広がった。
そして、西暦2200年、ヤマトは地球へと帰還。地球は蘇り、元の青さを取り戻した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88
●古代守 - Wikipedia
古代 守(こだい まもる)は、アニメ「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の登場人物。
古代進の兄。2171年生まれ[5]。第1作『宇宙戦艦ヤマト』では、沖田十三率いる地球艦隊所属のミサイル艦「ゆきかぜ」艦長。第1話から登場。冥王星宙域での会戦で、護衛隊長としてミサイル艦に搭乗している。艦隊司令である沖田十三の撤退命令を、「死んでいった者に顔向けできない」と拒否し、ガミラス艦隊に特攻をかける。その際、「明日のために今日の屈辱に耐えるのが男だ」と言う沖田に対し、「一つでも多くの敵を倒して死んでいくのが男だ」との思いを語っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%AE%88
●古代進 - Wikipedia
古代 進(こだい すすむ)は、アニメ「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の主人公。『宇宙戦艦ヤマト』では戦闘班長、同作後半からは艦長代理も兼任。『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』では艦長の土方竜の死亡後、新艦長へ着任。『宇宙戦艦ヤマトIII』では艦長。
駆逐艦ゆきかぜ艦長の古代守は実兄。
第1話から登場。18歳(ヤマト発進時、火星での訓練中は17歳、ヤマトの地球帰還時には19歳[要出典])。少年期は昆虫が好きで争いを嫌悪する優しい性格だったが、2193年に出身地である神奈川県三浦半島へガミラスからの遊星爆弾が落下して両親が死亡したため、ガミラスへの復讐を誓う直情型の性格となった。
宇宙戦士訓練学校を経てヤマトの戦闘班長に就任し、第一艦橋に座る一方でコスモゼロを駆ることもある。当初は、兄を冥王星会戦で死なせたということで艦長の沖田十三を快く思わなかったり、訓練学校の同期生かつ親友で航海班長の島大介と、戦闘と航海のどちらを優先するかで対立したりといったことが多かった。しかし、島をはじめ真田志郎ら仲間と共にイスカンダルへの航海や戦闘を続け、沖田の人となりに触れたことから、それまで直情的だった性格も改められていく。
第20話以降は、沖田の病状が悪化したため、艦長代理を兼任する。死んだと思われた守とは、第25話のイスカンダルで再会し、地球への帰還よりスターシャとの愛を選んだ彼を見送る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%80%B2
●松本零士 - Wikipedia
父親である松本強[3]は少尉候補者制度を用い(少候第10期)、下士官から叩き上げで将校である陸軍少佐(最終階級)にまで上った帝国陸軍の軍人であり、また陸軍航空部隊の古参の操縦者(パイロット)であった。第二次世界大戦中、その父がテストパイロットをやっていた関係で、4歳から6歳まで兵庫県明石市の川崎航空機の社宅に住み[2][4]。その後は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた[2][5](両親共に大洲市の出身である[6])。このときアメリカ軍の戦闘機や、松山市へ空襲に向かうB-29などの軍用機を多数目撃、この体験が後の作品に影響を与えたという[2]。
大戦後半、父親は第32教育飛行隊(1944年2月編成)の隊長として、特別操縦見習士官や少年飛行兵出身の新参パイロットの教育を行っていたが、課程を終え実戦部隊に転出した部下には後に特別攻撃隊の隊員として特攻していった者も少なくなかった。末期には二式複座戦闘機「屠龍」[7]に搭乗し、終戦の日まで連合軍と戦っていた。
戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、「敵の戦闘機には乗れない」と断固拒否。実家がある大平村での炭焼きや、小倉で野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落としたが、家族で父に反対する者はおらず零士少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足」と行商の大八車を押したという。この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にハーロックや沖田十三のモデルとして、松本の作品に生かされていった。また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけて潰した」という。
母親は元教師で、子供の宿題に適切な添削までしてくれたという。これについて、子供のころは、大人だからできるのだと思っていたが、後から考えると、なかなかできないことだったと気づいたという。そんな、当時の女性としては高学歴で出身家庭が恵まれていた母親が、夫の意地のため苦労しながらも、周囲の嘲笑に歯を食いしばって耐えながら一緒に働いている姿を、息子たちは見て育ったという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%9B%B6%E5%A3%AB
●日本赤軍 - Wikipedia
日本赤軍(にほんせきぐん、英語: Japanese Red Army)は、1971年から2001年まで存在した日本の新左翼系団体、世界同時革命を目指した武装集団。
日本革命を世界革命の一環と位置付け、中東など海外に拠点を置き、1970年代から1980年代にかけて多数の武装闘争事件(日本赤軍事件)を起こした[1]。
1971年に共産主義者同盟赤軍派の重信房子、奥平剛士らが結成、2001年に重信自身が解散を表明した。アメリカ合衆国国務省の国際テロリズム対策室は日本赤軍を「国際テロ組織」と認定していたが、解散により認定解除した。
結成
冷戦時代の1971年2月26日に、共産主義者同盟赤軍派の「国際根拠地論」に基づき、「海外にも運動拠点と同盟軍を持つ必要がある」と判断し、赤軍派の重信房子や元「京都パルチザン」の奥平剛士らがパレスチナへ赴き、同地で創設した。創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等と称したが、1974年以降、「日本赤軍」を正式名称とした。
当初はレバノンのベッカー高原を主な根拠地に活動し、1970年代から1980年代にかけてパレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、主に日本のフラッグ・キャリアである日本航空機を対象とした国内外における一連のハイジャック、反イスラエル闘争としての空港襲撃に伴う一般人を対象にした乱射事件、大使館などの外国公館への武装攻撃、身代金や同志奪還を目的としたハイジャックなどの事件を繰り返した。PFLF及びパレスチナ解放機構を支援していたシリアのハーフィズ・アル=アサド[2]やリビアのムアンマル・アル=カッザーフィー[3]らからの援助を受けていたといわれている。
1972年5月30日にイスラエルのベン・グリオン国際空港で起こした「テルアビブ空港乱射事件」では、搭乗客や駐機中の旅客機を対象にした民間人に対する無差別乱射を行い、一般市民を中心に100人以上の死傷者を出した。
この事件はPFLPの要請によって行われたものであり、この自称「リッダ闘争」により、反イスラエル感情が強いアラブ諸国で日本赤軍は「英雄視」され、過激派が日本赤軍の自爆テロを模倣するようになったと自称している[4][5](ただし、「リッダ闘争」を行ったのは奥平剛士らの出身母体である「京都パルチザン」(銀閣寺アジト・グループ)であり、「リッダ闘争をやったのは日本赤軍である」というのはウソであるという主張もある[6])。
初期の活動はKGBのエージェントでもあった[7]ワディ・ハダド(アブ・ハニの変名で知られる)率いるPFLPの分派組織であり、海外ゲリラ部門の「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」(PFLP-EO)に指導される形であったが、1974年以降はその指導下を離れ、重信房子と丸岡修を中心として、独自の闘いを模索していった。この頃、「アラブ赤軍」などの通称で知られたこの組織が正式に「日本赤軍」を名乗るようになったとされる[8]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D
●奥平剛士 - Wikipedia
奥平 剛士(おくだいら つよし、1945年7月21日 - 1972年5月30日)は、日本の新左翼活動家、革命家。日本赤軍創設メンバーで最高幹部。同じく日本赤軍メンバーの重信房子は戸籍上の妻、奥平純三は弟。1972年5月30日に岡本公三・安田安之らとテルアビブ空港乱射事件を起こし、26人を殺害し、73人に重軽傷を負わして、安田と共に死亡した。死因については空港警備隊との銃撃戦で射殺されたとも、安田と共に自殺したとも言われ詳しくは分かっていない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B9%B3%E5%89%9B%E5%A3%AB
●奥平純三 - Wikipedia
奥平 純三(おくだいら じゅんぞう、1949年2月9日[1] - )は、日本の新左翼活動家、革命家。日本赤軍最高幹部でテルアビブ空港乱射事件で死亡した奥平剛士は次兄で、自身も日本赤軍に所属した。
山口県下関市で生まれ、1969年京都大学工学部に入学しパルチザングループに所属する。1973年卒業後に建設会社に勤務するが、1974年5月に偽造旅券で出国して日本赤軍に参加。1974年9月に和光晴生らとともにハーグ事件に参加し警察官2人に発砲、1975年にクアラルンプール事件に関わった。
1976年にヨルダン入国の際に偽造旅券の容疑で日高敏彦とともに逮捕され、10月13日に日本に移送された。1977年にダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置で釈放され出国した。
1987年6月9日、ベネチア・サミット開催中、ローマのアメリカ大使館とイギリス大使館にロケット弾が発射された他、カナダ大使館で車が爆破されたローマ事件ではレンタカーから奥平の指紋が検出され、イタリア公安当局から奥平の犯行と断定された。
1988年4月14日、イタリアのナポリにあるアメリカ軍関連施設(USOクラブ)前における自動車爆弾テロによってアメリカ軍兵士1人を含む5人を死亡させ、4人のアメリカ軍兵士を含む15人を負傷させた容疑でアメリカ政府の(最大500万ドルの懸賞と安全な転居を保障される)「正義への報酬プログラム」により手配された[2]。
1998年、佐々木規夫とともに他人名義の旅券を不正に取得するため東京を訪れていたことがこれまでの捜査で明らかになった。
1998年と1999年の少なくとも2回、日本に入国して重信房子と接触していたことが、2000年11月に重信の逮捕時に押収した資料から判明した[3]。
現在も奥平の生死は不明で、国際手配されている。2010年4月以降の手配写真は1998年に撮影されたものに差し替えられた[4][5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B9%B3%E7%B4%94%E4%B8%89
●アレクサンドリア (曖昧さ回避) - Wikipedia
アレクサンドリアまたはアレキサンドリア(Alexandria)は、世界各地に見られる地名である。まず第1に、アレクサンドロス大王が、東方遠征の途上、各地で建設したギリシア風の都市のうち、自らの名にちなんで命名したと伝えられる複数の都市がある(正確な数については研究者の間で見解が分かれる)。第2に、アレクサンドロス大王に由来する欧米の男性名、アレクサンダー、アレクサンドル、アレクサンデルなどの名をもつ著名人にちなんで命名された都市がある。それぞれの由来については、各記事において記述する。
・エジプトのアレクサンドリア(アル=イスカンダリーヤ)
・イッサムのアレクサンドリア⇒イスケンデルン - トルコ
・イスカンダリーヤ - イラク
<その他、アレクサンダー大王東征の攻勢限界点であったアフガニスタンとタジキスタンに数カ所のアレクサンドリア=イスカンダルあり>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
【私のコメント】
森山元助役は京都府庁所属で、綾部市役所から高浜町に移籍している。異例の人事と思われ、裏に深い事情があると推察される。
噂される同和問題は近畿地方や北九州などを中心に西日本にほぼ限定される。彼らの職業は皮革なめし業など特定の分野に偏り、水田農耕は少なかったと思われる。以前にも書いたが、民とは縄文系の非農耕民族の末裔で、少数派の彼らが多数派の弥生系の農耕民に対抗するために団結したのがや解放同盟ではないかという仮説を提唱する。東日本は縄文人が多く少数派ではなかったため対立が起きなかったのだろうか?
森山助役は顔の彫りが深い縄文顔。町長は顔の凹凸が少ない弥生顔。氷河期にバイカル湖付近で暮らした人々が弥生人の先祖とされるが、氷点下50-60度の冬を生き延びるには扁平な顔が有利だ。森山助役の顔だと鼻や眉が凍傷になる。縄文人は遺伝的には北方モンゴロイドで弥生人と同じだが、氷河期にもっと暖かい所で暮らしていたのだろう。
森山助役の属した解放同盟は日本社会党系で本来は反原発。解放同盟は朝鮮総連や学生運動などの武装組織に近い役割を果たしていたと思われる。原発の内情を日本社会党を通じて北朝鮮の帝国陸軍残置諜者政権に流すためには解放同盟の組織力が必要で、そのためにや解放同盟の発祥の地である京都から森山が送り込まれたのだろう。解放同盟の構成員の多くは江戸時代の被差別民の子孫であり、朝鮮・中国や国際金融資本などの外国との関連性は薄いと思われる。彼らの中で大東亜戦争に際して陸軍に徴兵された者が戦後に社会党を通じて帝国陸軍遺残勢力である北朝鮮や共産中国と繋がったと想像する。
松本治一郎は福岡県出身の解放同盟の重鎮で戦前・戦後に議員を務めている。戦後は日本社会党所属の参議院議員で副議長まで務めている。その彼が解放同盟の最高責任者と日中友好協会初代会長を同時期に務めているのが興味深い。彼が帝国陸軍遺残勢力たる人民解放軍と日本の原発を繋いだのだと思われる。
国際金融資本の世界支配が崩壊し、日本が地震の危険な場所に原発を建設され脅迫されるという事態も終わろうとしている。今後はより安全な常温核融合炉が日本の電力を賄う時代になるのだろう。それ故に今このタイミングで森山元助役の不祥事を報道させているのだろう。それによって若狭湾に林立する原発は今後一掃されるのだろう。
さて、前置きが長くなった。本題に入ろう。前の記事のコメント欄で指摘のあった「内戦の裏をアニメで描いて、当時の子供に見せたのは秀逸」との一文で、私は昔見た「宇宙戦艦ヤマト」を思い出した。以前の記事で私はガミラス=大英帝国(米国を含む)、イスカンダル=オーストリア・ハンガリー二重帝国の遺残勢力という仮説を唱えた。しかし、イスカンダルという名前が選ばれた理由は二重帝国では説明できない。
イスカンダルは「アレキサンドリア」のイスラム名である。アレクサンドリアの多くはアレクサンダー大王に因んでおり、彼が中近東の征服戦争の途中で建設した都市にその名が付けられている。東征の攻勢均衡点であったアフガニスタンやタジキスタン(かつてのバクトリア)に多いのは、彼が軍事力以外の方法で占領地に影響力を行使したかったのかもしれない。少し脱線するが、アレクサンダー大王の占領地域は彼の出身地のマケドニアと同じ地中海性気候の地域とその周辺の草原気候の地域によく一致している。地中海沿岸から東方に延びる地中海性気候地域はイラン・アフガニスタンの山岳地域を経てパミール高原西部で終わる。彼が侵入を断念したインド亜大陸の大部分は冬が乾期となる気候で、夏が乾期の地中海性気候とは正反対である。イスラム帝国であるウマイヤ朝の破竹の進撃は砂漠と草原に限られており湿潤気候帯に深く侵入できなかったのとよく似ており実に興味深い。
アレクサンダー大王は当時のフェニキア商人の最大の拠点で会ったティルス(当時は島だった)を攻撃するために海岸から島までの海を埋め立て、島を攻撃して全滅させている。島までの海を埋めたてるという異常な執念の背景には異常な憎悪が感じられる。これは、奴隷貿易・詐欺・人さらいなど極悪の限りを尽くすフェニキア商人に正義の鉄槌を下すためと想像する。ローマ帝国がポエニ戦争でカルタゴを滅亡させたのも同じ理由だろう。
アフガニスタン近辺を除くと彼が建設した都市でイスラム圏にあり現地でイスカンダルと呼ばれる主要な都市は3つある。最も有名なのがエジプトの地中海岸にあるアレキサンドリア。二つ目がトルコ南部ハタイ県のイスケンデルン。三つ目がイラク中部のイスカンダリーヤである。この3都市を結ぶ三日月型は、かつて農耕が地球で初めて開始された「肥沃な三日月地帯」に一致する。
また、現在シリアを支援しているロシアはシリアのタルトゥース港に基地を保有している。冷戦時代多数の海外軍港を有していたソ連海軍はソ連崩壊後にほぼ全てから引き上げたがタルトゥース港だけは維持しており、それが現在のシリア軍事支援に活躍しているのだ。彼らは将来シリアで国際金融資本との最終決戦が起きることを知っていたのだろう。この地域はフェニキアそのものであり、フェニキア人の先祖かもしれない謎の民族シュメール人がメソポタミア文明を建設したイラク、聖方位で建設されたアケメネス朝ペルシャの首都ペルセポリスやバビロニアの首都バビロンにも近い。バビロンはイスカンダリーヤの約40km南方という至近距離に存在する。アフガニスタンやシリア・イラクは1979年以降のロシアと国際金融資本の最終決戦の場になっているが、アレクサンドリアの名を持つ都市の分布によく一致する。宇宙人との通信など何か深い理由がありここでの戦いが行われているのかもしれない。なお、エジプトもアレクサンドリアがあり米ソの争奪戦の場であったし、ガザでは現在も戦闘が続いている。
さて、宇宙戦艦ヤマトがテレビで放映された1974-1975年頃にこれらの「イスカンダル」の近くに渡航して活発に活動した日本人集団がある。日本赤軍である。彼らは1971年に渡航してレバノンのベッカー高原に本拠地を置き、シリアのアサド大統領やリビアのカダフィ大佐の支援を受けて1980年代まで活動していたとされる。宇宙戦艦ヤマトとは、日本赤軍の活動を応援する目的で制作されたアニメというのが私の仮説である。駆逐艦ゆきかぜ艦長の古代守は冥王星会戦において、撤退命令を拒否し、敵艦隊へ特攻していき行方不明となっている(24話で生存が判明)が、これはテルアビブ空港乱射事件で戦死した奥平剛士の勇気ある戦いを讃える目的では無かったかと想像する。宇宙戦艦ヤマトの主人公の古代進は古代守の弟であるが、兄の死後に日本赤軍に参加して現在も活動中の奥平純三を指しているのではないかと想像する。宇宙戦艦ヤマト放映はベトナム戦争末期、第四次中東戦争直後、テルアビブ空港乱射事件後、奥平純三の日本赤軍参加直後に当たる。遊星爆弾で卑劣な非戦闘員大虐殺を繰り返すガミラス帝国は明らかに米軍とそれを支配する大英帝国を示唆している。
松本零士の父は帝国陸軍の軍人で航空部隊の隊長を務めていたという。戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、「敵の戦闘機には乗れない」と断固拒否、炭焼きや野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落としたが、家族で父に反対する者はおらず零士少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足」と行商の大八車を押したという。この様な境遇に育った松本零士が、鬼畜米英と戦い続ける日本赤軍に強い共感を持った可能性は十分あると思われる。
第一次大東亜戦争が日米戦争、第二次大東亜戦争が朝鮮戦争(現在休戦中)、第三次大東亜戦争がベトナム戦争(1975年4月30日に南ベトナムが滅亡して終結)、第四次大東亜戦争が第四次中東戦争(1973年10月6日、エジプトが前戦争での失地回復のため、シリアとともにイスラエルに先制攻撃をかけ、後に反撃されるものの大きな打撃を与えてイスラエル軍の無敗神話を崩す)からインティファーダに移行し現在も続くパレスチナ闘争や米英のシリア侵略戦争というのが私の仮説である。帝国陸軍亡命政権である北朝鮮はベトナム戦争や中東戦争にも兵士の派遣を含めて深く関与したとされる。第一次大東亜戦争では朝鮮人志願兵が日本人と共に戦ったが、第二次以降では朝鮮人の兵士に日本人志願兵(日本赤軍や拉致被害者とされている人々)が加わる形で戦いが継続しているのだろう。また、宇宙戦艦ヤマトが示唆するように超先端的技術を持つ宇宙人との接触も大きな目的である可能性があろう。
今後鬼畜米英が滅亡した後、大東亜戦争を共に戦った日本人・朝鮮人・ベトナム人・パレスチナ人は強い絆で結ばれることだろう。そして、鬼畜米英の手下となってベトナム人を虐殺した南朝鮮は汚名と共に消滅して北朝鮮に吸収されることだろう。
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ただし、近い将来に真実が明かされると、米軍や大英帝国こそがテロ組織であり、日本赤軍はそれに立ち向かった正義の組織という一面があったという認識が広まるものと想像します。その時点で日本赤軍ハッシュタグは停止を解除されることでしょう。
私はテロを賛美する意思はありません。日本赤軍には正義の一面もあればテロとして非難されるべき面もあるでしょう。しかし、より大規模なテロを行っていると思われる米軍や大英帝国には正義の一面はひとかけらも感じられないことは指摘しておきたいと思います。そして、そのような組織の命令に従い続けることが適切なのかどうかという問題提起をしたいと思います。以上の理由で、日本赤軍のハッシュタグは機能していませんが暫くこのまま継続します。何か問題があればメールで御連絡下さい。
>両親共に大洲市の出身である[6]
そういえば、他に大洲市ゆかりの有名一族が居ますね。
石原慎太郎の父、石原潔は大洲市生まれ。
https://howlingpixel.com/i-ja/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E
因みに石原本家の菩提寺は、大洲市の隣にある八幡浜市保内町川之石の龍潭(りょうたん)寺だとか。
1993年7月1日付『朝日新聞』は夕刊の連載「戦後50年メディアの検証」で八鹿高校事件を取り上げた[68]。それによると、朝日新聞社は解放同盟から何度か糾弾を受けたため自己規制に陥り、「批判的なことを書くなと言われたことがない」にもかかわらず事実を報道しなかった、という[68]。これに対して1995年7月、西岡幸利(兵庫県人権共闘会議代表委員)は『兵庫民報』で「朝日は解同の積極的な代弁者」であったと反論[68]。解同の暴力と対峙していた兵庫県高等学校教職員組合(兵高教組)執行部に対する転覆の動きを『朝日新聞』が編集委員の署名入りで公然と称揚していたことを指摘し、これは単に「事実を報道しなかった」域を越えている、と批判した[68]。
また、今回、37年前の「前衛」をネットにあげたり、この件に関していろいろ情報を出されている示現舎さんのこの情報も、非常に重要だと思う。
https://twitter.com/tottoriloop/status/1179888154532179968
鳥取ループ@示現舎
@tottoriloop
の闇に興味を持った方に知っていただきたいことは語り尽くせないほどあります。まずいわゆる「被差別民」と「解放同盟」は全く別のものであること。民の中に同盟員は1%いるかどうかです。解放同盟にはと関係ない人、なぜかからに渡り歩いている人が多くいます
数字は1%なのか2%なのかそれとも0.3%なのか私にはわかりません。しかし、これまで見聞きしたものでも圧倒的多数の人が所属している団体などではないというのは言い切っていいかと思われます。
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/6aa579921bdc940d035602a6813ce7c2
実に興味深い。解放同盟の構成員の殆どは関係者では無いというのだ。これは、第二次大戦中に日本での強制労働のために強制連行されたとされる朝鮮人労働者は戦後ほぼ全員が出身地の朝鮮半島南部に帰国してしまっており、朝鮮総連の構成員は関東軍中心とする帝国陸軍兵士家族や、済州島等で南朝鮮軍と米軍による虐殺を逃れた難民が主体としか考えられないこととよく似ている。解放同盟の構成員には多くの帝国陸軍関係者が含まれるのだろう。
中国で行方不明になった、あるいはシベリアに抑留され強制収容所で死亡したとされている陸軍兵士のかなりの部分は実は日本に帰国して朝鮮総連や解放同盟に潜り込んでいるのだと思われる。それ故に、帝国陸軍系マスコミの朝日新聞は八鹿高校事件を報道できなかったのだろう。
解放同盟と公立高校教職員組合はともに社会党の支持基盤であったはずで、ここでは深刻な内部対立が起きてしまっている。
また、日本の左翼政党は社会党系と共産党系に分かれるが、社会党は帝国陸軍が設立した政党、共産党は帝国陸軍とは無関係に戦前から存在する政党という色分けでよいかと思われる。
松本零士さんのお父様が
陸軍の戦闘機パイロットで、
松本零士さんが作品に大きな影響を受けたことは
ファンの間では有名です。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2018/10/post-bcdd.html
https://withnews.jp/article/f0180830002qq000000000000000W07f10101qq000017888A
エメラルダスは重信房子かもね。
クィーンエメラルダス / Queen Emeraldas / OVA 1
https://www.youtube.com/watch?v=F6Z3htpo-b0
https://www.sankei.com/region/news/191006/rgn1910060024-n1.html
市教委は「国際理解の促進のため、幼児期から英語に慣れ親しんだり外国の文化に触れたりする機会を増やしたい」と今回のねらいを説明する。
https://www.kyobun.co.jp/news/20191004_04/
「本当に時間的には一杯一杯なのに、(残業時間を減らす)働き方改革をやれ、と言われる。そこに新しいことをやらなければならない。現場では『言っていることと、やっていることが、全く違うじゃないか』と思っているのが現実だ」
プログラミング教育を例にとり、「その現実の中で、横文字の新しい概念が次々と飛び出してくる。正直、意味がよくわからない。プログラミング教育と言われても、なんとなくイメージがあっても、実際にはよくわからない」と説明。
https://www.youtube.com/watch?v=5BlE-jn6CFw
台風19号が発生、猛烈な勢力で3連休に近付くおそれ
https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20191006-00145510/
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20190516-00126121/
仕事のない博士号取得者が大量に余ってるんだから、補助教員資格を与えて小中学校の教育現場にどんどん送り込めばいいじゃないか。
それをしないのは、教育界が閉ざされた利権や支配権を守ろうとしているからだろう。