POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 フランスには、「地域圏(région)」という地方行政単位があります。アメリカ合衆国で言うならば、「州」にあたるといっていいかも知れません。アメリカの州は、最も面積の広い(1,718,000k㎡)「アラスカ州」から最も狭い(4,000k㎡)「ロードアイランド州」まで50州ありますが、フランスの地域圏は、フランス本土には、最も面積の広い(45,000km²)「ミディ=ピレネー地域圏」から最も狭い(8,000k㎡)「アルザス地域圏」まで22あります(他に海外地域圏が4つ)。




 西でスイスとイタリアに接する「ローヌ=アルプ地域圏(Rhône-Alpes、面積約44,000k㎡)」に私たちの今回の家族旅行で訪れる予定の「リヨン(Lyon)」があります。リヨンには近郊を含めて、176万人ほどが住んでおり、リヨン市のみの人口はおよそ48万人です(面積はおよそ48km²)。

 リヨンは都市圏としてはフランス第2の規模を持つのだそうですが、例えば、大阪市の人口はおよそ267万人で、その面積はおよそ222km²です。リヨン市のみで比較すると、その面積もその人口も5分の1程度です。大阪にあるような賑わいのある繁華街というようなものはなく、落ち着いた雰囲気のこじんまりとした街のようです。

 そんなこじんまりとした街なのですが、年間およそ600万人(データのとり方によっては800万人以上とも)が訪れるフランス第2(1位はもちろんパリ)の観光都市であり、その60%ほどがビジネス客なのだそうです。リヨンでは、国際会議が数多く開かれ、展示会などのイベントもよく開催されるようです。毎年12月8日には、400万人もの観光客を集めるという「光の祭典(Fête des lumières)が行われます。




 過去に人類を脅かした伝染病に「ペスト(plague)」があります。これに罹ると内出血により皮膚が黒ずんできて、致死率も高かったことから「黒死病(The Black Death)」とも呼ばれました。ペストは本来クマネズミなどの間で流行する伝染病でしたが、ネズミの血を吸うノミによって人間へと感染を広げていきました。

 14世紀、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになり、イタリアに運ばれた毛皮についていたノミがペスト菌(Yersinia pestis)を持っていたことから、ヨーロッパ世界へと感染が広がっていきます。1347年にシチリア島のメッシーナに発症者が出ると、翌1348年には早くもアルプス山脈を越えてしまいます。14世紀後半のヨーロッパの人たちは3度の大流行と幾度もの小流行を生き延びなくてはなりませんでした。14世紀の大流行では、ヨーロッパの人口の少なくとも30%が失われたと言います。

 ペストがアルプス以北のヨーロッパで、1348年から1353年に流行した際、リヨンの人々がフルヴィエールの丘(colline de Fourvière)にあるノートルダム聖堂のマリア像に祈りを捧げたところ、流行が治まったといいます。人々はこれに感謝し、マリア像のあるフルヴィエールの丘に面した窓際に捧げ物としてロウソクを灯した(ともした)ようです。それが現在の、リヨン市内の家々の窓際はろうそくの灯りで彩られ、建物や道路はイルミネーションで飾られる、という「光の祭典」という行事になって行きます。

 しかし、12月8日に「光の祭典」が開催されるようになったのにはもう1つエピソードがあるようです。1852年9月8日に、フルヴィエールの古い礼拝堂で、聖母マリア像をその頭上に頂いた新しい鐘楼のお披露目の予定があったのですが、ソーヌ川の氾濫でそのお披露目は3か月後の12月8日に延期になってしまいました。ところが、待ちに待った12月8日も激しく降り続く雨で、延期せざるを得なくなりました。しかし、待ちきれないリヨン市民は次々に自宅の窓にロウソクの灯をつけ、あっという間にリヨンの街全体が窓辺のロウソクで輝くようになったといいます。

 これには異説があり、フルヴィエールの丘の鐘楼に設置されるはずの黄金の聖母マリアの像の制作を依頼された彫刻家は、予定日までに像を完成させられず、依頼した教会はお披露目を「聖母の無原罪のやどり」である12月8日まで延期することに決定します。しかし、3か月後のお披露目当日、雨が激しく降り続き、大司教は鐘楼の完成を祝別したものの、明かりを灯すことは断念せざるを得ませんでした。やがて、夜が更けると、雨も止み、教会の人々は眼下の街中の家々の窓際に、何千というロウソクが灯されているのを目にすることになります。この光景を見て、教会は鐘楼と聖母像に明かりを灯し、鐘楼と聖母像はリヨンの夜闇に明るく浮かび上がったといいます。

 みなさんはどちらのエピソードがお気に召したでしょうか。

 日本、橋本龍太郎首相、フランス、ジャック・シラク大統領、アメリカ、ウィリアム・ジェファーソン・クリントン大統領、イギリス、ジョン・メージャー首相、ドイツ、ヘルムート・コール首相、イタリア、ロマーノ・プローディ首相、カナダ、J・ジャン・クレティエン首相が出席して、1996年6月27日から29日にかけて、リヨンでG7(リヨンサミット)が開催されました。開催場所は、81 Quai Charles de Gaulle にある「リヨン現代美術館(Musée d'art Contemporain de Lyon)」で私たちが宿泊予定の「ヒルトン・リヨン」のすぐ脇にあります。

 このサミットがきっかけとなって、壁の汚れがひどかった教会などは掃除がされて壁も白くなり、その後、12月8日だけだった「光の祭典」も4日間と期間が延長され、外国からの観光客も増えるようになったようです。しかし、この期間はホテルもレストランも満員となるようで、これを目的にリヨンに出かけることは私たちにはなさそうです。街中に分散して行われる「光」をテーマにしたイベントを見てまわるには健脚である必要もありそうです。建造物をライトアップしたり、建造物の壁面をスクリーンにした映像を見せるといった、派手さはないがセンスの感じられる、フランスらしい文化的な行事のようです。



 「光の祭典」はリヨン市内で300か所以上の名所旧跡がライトアップされるイベントですが、「光の祭典」の期間以外でも建物のライトアップはあるようです。「リヨンをリュミエール(光)の都市にしていこう」というコンセプトでの都市再生計画が始まり、1989年には「光の計画、Plan Lumiere、プラン・リュミエール」が策定されて、リヨンの夜のライトアップ計画が進んでいるようです。子連れですが、夜出歩く必要はありそうです。観光客には比較的安全と言われる街のようですから、夜に出かけてみようかな。

                  (この項 健人のパパ)

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