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 “indulge”という語があります。他動詞としては、「甘やかす、大目に見る」という意味があります。その名詞形が“indulgence”で、「甘やかし」という意味になります。“indulgence”はまた「免償(めんしょう)」という「訳」も持ちます。「免償」とは、「償い(つぐない)」を「免ずる」ことで、「犯した罪などに対して、金銭、品物または何らかの行為で埋め合わせをすること」を「本人の功労や事情、また関係者の面目やとりなしなどによって、しなくてもよいことにすること」でしょう。

 カトリック教会では、洗礼を受けた後に犯した罪(sin)の「赦し(ゆるし、penance)」を得るためには、3つの段階を踏まなければならないようです。まず、犯した罪を悔いて反省すること(後悔)、次に司祭(priest)に罪を告白すること(告白)、そして罪の赦しに見合った償いをすること(償い)の3つです。償いの内容については、司祭から「償いとして~」と言われるようです。昔は、長期にわたる償いも命じられていたようです。やがて、その償いを免除したり、期間を短くしたりすることが行なわれるようになります。それが、「免償」の始まりだったのです。まさに“indulgence”だったのかも知れません。「大目に見てもらう」のです。

 人格を持たない遺伝子は、地球が形成されその上に生命が誕生したときから地球自体が消滅するまで永遠に続いていくものです。その遺伝子を運ぶ私たちには人格があり、また尽きる命を持っています。「命が尽きたとき、その先は?」と宗教心を持つ私たちは考えます(仏教では「来世思想」です)。敬虔な「カトリック教徒」は、この世において「償い」を成し遂げないまま死んでしまうと、次の世でその分、苦しまなければならないと信じています。「全免償」(完全な免償。一部免除されるものは「部分免償」)を受ければ、「償い」を成し遂げたことと同等となるのです。



 免償を受けるためには、種々のことを行なわなければなりませんが、その中の一つに、「指定された大聖堂、教会堂、巡礼地へ巡礼する」というのがあります。「アッシジ(Assisi)」の「ポルツィウンコラ(Porziuncola)」は、「サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂(Basilica di Santa Maria degli Angeli、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会)」の中にある小さな礼拝堂ですが、「全免償」を受けられる礼拝堂です。

 この「アッシジの赦し」を受けるためには、いくつかの条件があります。免償は、自分自身のためであるか、死者のためでなければなりません。生存している他者のためには受けることはできません。まず、期間が限定されていて、7月26日から8月9日(8月2日を挟んで前後8日間)に「赦しの秘跡」に与らなくて(あずからなくて)はいけません(「秘跡(sacrament)」とは具体的には「儀式」のこと)。具体的には、その期間に司祭に罪を告白する必要があるわけです。「神の恩寵に与っている状態」であることが必要なようです。

 つぎにミサに参加し、聖体拝領に与ることが必要となります。「ミサ(イタリア語:messa、英語:mass)」は、カトリック教会で、信徒が参加して、司祭が執り行う儀式です。「聖体拝領」では、信徒は口に授けられる「ホスチア(英語:host、ラテン語:hostia)」という無醗酵の薄いウエハース(unleavened wafer)をいただくようです。さらに、「聖杯(カリス、charice)」に入れられた、水で薄めたワインを飲むか、それに「ホスチア」を浸していただくようです。

 次に、例えば、ポルツィウンコラを訪れて、いくつかの祈りを唱えることが必要になります。まず、「私は信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべての物の造り主を。、、、」と信条を唱え、「天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように。御国が来ますように。、、、」と主の祈りを唱えることなどが行なわれます。

 アッシジのフランチェスコが生きた時代、「罪の赦し」を得るためには、巡礼に出かける必要がありました。その赴く先は、「エルサレム」。いまとは異なり、それは危険を伴う長い長い旅であったことでしょう。巡礼者は聖地の教会に寄付をするお金を持っていたでしょうし、当然旅費も持っていたでしょう。強盗の格好の標的になったことは想像に難くありません。その道程で、信者は一層宗教心を深めていったことでしょう。

 フランチェスコは、1216年、ローマ教皇「ホノリウス3世(Honorius III、在位1216年~1227年、キリスト教の布教のためドミニコ会やカルメル会を承認し、フランシスコ会の会則を認可した)」を滞在していた「ペルージャ(Perugia)」に訪ねます。フランチェスコは、教皇に、「ポルツィウンコラに詣でた者は、罪の赦しが得られると宣言して欲しい」と訴えます。

 フランチェスコが布教の対象としたのは、「貧しい人たち」でした。当然、貧しい人たちには聖地に巡礼に行く費用が工面できるわけもありません。日々の糧を得るのも困難だったはずです。その者たちを救うために、フランチェスコの願いは必然でした。しかし、その願いを聞き入れることは、罪の赦しを得るハードルが極端に引き下げられることになります。



 教皇を囲む枢機卿たちは大いに反対したことでしょう。しかし、フランチェスコの願いを教皇は聞き入れます。ただし、ポルツィウンコラの献堂記念日にあたる8月2日という1年に1度だけという限定がつけられたようです。「竣工(しゅんこう)」という言葉があります。「工事が竣わる(おわる)こと」で、建築工事や土木工事が完了することをいいます。キリスト教では、「竣工」という言葉を使わず、「献堂」と言います。

 ポルツィウンコラは、フランチェスコが建てたものではありません。ベネディクト会の修道院から、フランチェスコが布教を始めて間もない頃(1208年頃)に譲り受けたもので、ナラの木が生い茂る森の中に朽ちるに任せて放置されてあったものです。それをフランチェスコは祈りの場として自分で修復していったようです。8月2日の献堂記念日とは、修復が完成した日を言うのでしょうか。

(参考) 「「アッシジで」 - 「ポルツィウンコラ(Porziuncola)」を見ずに帰るなんて

 アッシジを訪れたら、「ポルツィウンコラ」は必見だと考えますが、ここはカトリック教徒の祈りの場。カトリック教徒でない観光客は、充分すぎる配慮を見せなくてはなりません。この配慮のできない者は訪れるべきではないとすら考えます。

 この事情を知らなかった、ということのないように、ポルツィウンコラを見ることを勧めている私は記事を書いてみました。実際、私が訪れたときも、カトリック教徒の真摯な雰囲気が感じられて、遠巻きでポルツィウンコラを見ることしかできませんでした。

                (健人のパパ)

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