フランチェスコの生きざまは、「チェラーノのトンマーゾ(Tommaso da Celano、1200年?~1265年?)」の著した聖人伝(hagiography)から知ることができます。トンマーゾ(トマス、Thomas of Celano)は、「フランシスコ会(小さな兄弟会、Ordine francescano、Ordo fraterorum minororum)」の修道士でした。
トンマーゾはローマ教皇「グレゴリウス9世(Papa Gregorius IX)」によって、聖人の公式の伝記作者として選ばれます。トマーゾはフランチェスコをよく知っている人物やフランチェスコの情報を知っている人物に取材を重ねたといいます。そうして書き上げたのが「第一伝記(幸いなるフランチェスコの生涯、Vita Beati Francisci)」です。
さらにその後に集められた資料に基づき、トンマーゾは「第二伝記(Memoriale Desiderio Animae de Gestis et Verbis Sanctissimi Patris Nostri Francisci)」を著します。資料はフランチェスコの弟子たちの記憶に基づくもので、記憶は事実そのものではなく事実の解釈であり、人により異なり、また記憶は時間とともに変容するものであり、そのため、第一伝記と第二伝記の記述では矛盾の生じることもあります。
騎士になることに興味を失い、遊び歩くことも楽しくなくなって、自分の生き方を模索していたフランチェスコは、アッシジの城壁の外にある「サン・ダミアーノ教会(Chiesa di San Damiano)」に立ち寄り、教会堂で祈りを捧げているときに、また「神の声」を聞きます。「早く行って私の壊れかけた家を建て直しなさい」と。
廃嫡の手続きは、フランチェスコが宗教生活にある者だと判断されて、教会の法廷で行なわれることになりました。司教館(現在の「サンタ・マリア・マジョーレ(Santa Maria Maggiore))の前の広場、「司教館広場(Piazza del Vescovado)」(現在はジョバンニ・ディ・ボニーノ通り(Via Giovanni di Bonino))が法廷となりました。