「パドヴァのアントニオ(Sant'Antonio di Padova、1195年~1231年)」も「アッシジのフランチェスコ(San Francesco d'Assisi、1181年~1226年)」も「聖人(英語:Saint、イタリア語:Santo)」です。「聖人」とは、イエス・キリストの模範に忠実に従って生き、その教えを完全に実行した人たちのことであり、神と人間との仲介役となり、人々の祈りを聞き入れてくれるように神のそばでとりなしを行ってくれる存在であるとされます。
聖人は「ローマ教皇庁列聖省(Congregation for the Causes of Saints、現長官:アンジェロ・アマート大司教(Archbishop Angelo Amato))」の調査の結果を受けてローマ教皇が公に聖人の列に加えると宣言する(列聖、canonization、canonizatio)ことで誕生します。「列聖式」はローマの聖ペトロ大聖堂で盛大に執り行われます。教皇庁列聖省が調査を宣言すると、その人物は「尊者(Venerable)」となります。さらに、列聖省が調査の結果、その人物の生涯が英雄的で、福音的な生き方であったことを公認すると「福者(Blessed、Beatus)」と呼ばれることになります。
最も貧しい人々のために活動する「神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)」の創立者、「マザー・テレサ(Mother Teresa)」は亡くなってから6年後に列福されています。この「福者」の中から「聖人」が選ばれていくことになります。それには何十年という時の流れが必要となります。マザー・テレサが「列福」されたのは異例の速さだったと言われるほどで、多くは歴史が長い時間をかけて選別していくのです。
フランシスコ会の1221年会則に大幅な改編を加え、ローマ教皇をその頂点とする権力構造にフランシスコ会を組み入れた「ウゴリーノ・ディ・コンティ(Ugolino di Conti)」枢機卿は、1227年、教皇グレゴリオ9世となります。グレゴリオ9世はフランチェスコを1228年には列聖します。フランチェスコが亡くなって21か月後のことでした。その年には、フランチェスコの功績を讃えるために、アッシジの町の北西の斜面を利用して聖フランチェスコ聖堂の建築が始まります。2年後の1230年にはフランチェスコの遺骸がこの聖堂に移されます。
「ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)」の描く
「聖痕を受けるフランチェスコ(Stimmate di San Francesco)」