Kimama Cinema

観た映画の気ままな覚え書き

都会のアリス

2016年07月10日 | 1970年代 欧州
都会のアリス(原題:Alice in den Städten)

1973年 西ドイツ
監督:ヴィム・ヴェンダース
製作:ヨアヒム・フォン・メンゲルスハオゼン
脚本:ヴィム・ヴェンダース、ファイト・フォン・フェルステンベルク
出演:リュディガー・フォーグラー、イェラ・ロットレンダー、リザ・クロイツァー
撮影:ロビー・ミューラー
編集:ペーター・プルツィゴッダ、バルバラ・フォン・ヴァイタースハウゼン
音楽:CAN


 ドイツ人作家のフィリップはアメリカの印象を書くため、渡米して各地を放浪してまわったが、ポラロイドカメラで写真を撮ってブラブラするだけで終わった。「ニューヨーク以外はどこも同じ」「自分を見失う旅だった」とぼやく。

 ドイツの出版社からは文章の催促がきているが、まだほとんど書けていない。母国で執筆を完成させようと空港へ行くが、ドイツ行きは全便欠航。偶然居合わせた英語の不如意な母リザと9歳の娘アリスに通訳してやると、母はフィリップの英語力を頼りだした。航空券に宿の手配、レストランでの注文・・・そして翌日「アムステルダムまで娘を連れてきて」と書き置きを残して消えてしまった。

 大事件のはずなのに「こうなることはわかっていたのよ」と冷めたようなそぶりのアリス。しかしアムステルダムの空港にも母が現れないとわかったときにはトイレで泣きだしてしまったり、大人っぽさと子どもっぽさを行き来する9歳の少女。緊張の糸をギチギチに張り詰めたり、スッカリ忘れたかのように緩めたり、といじらしい。

 アリスの曖昧な記憶を頼りに、祖母の家があるという街ブッパタールへ向かう二人。フィリップはアムステルダムから陸路でドイツに入ってからは、やみくもに撮っていたポラロイドのシャッターを切りあぐね、代わりにノートに文字を書き連ねていく。記録から創作へと彼の中で旅が変化していったように感じる。アリスを媒体として。

 だが金も万策もつき、ブッパタールではなかったかもしれないというアリスを、警察に預けることにしたフィリップ。1人になったフィリップは、たまたま開催されていたチャック・ベリーの野外コンサートで「メンフィス・テネシー」(離れた娘への愛情をつづった歌で、監督が本作のストーリーの元にしたという)を聴く!!!

 丁寧に淡々と、二人の旅路を撮っていたはずなのに、ここにきて唐突な印象が否めない・・・チャック・ベリーが西ドイツのさほど大きくもない工業都市に来るかな・・・? まあエルヴィス・プレスリー(同曲をカバーしてヒットさせた)が出てくる違和感に比べたらいいけれど。

 この疑問はアリスと再会したときに、帳消しになる。警察から抜け出してきたアリスを見て、ほっとしたフィリップの表情が画面を溶かすようだった。おそらくは「メンフィス・テネシー」の曲中、彼のこころによぎったであろうアメリカの(彼にとっては)空っぽな田舎風景と自分を頼る小さな少女。

 一時的な保護者以上の愛情が見え始める。「親子にはみえない」と言われた彼らだけど、ラストには気の合った親子のようだった。フィリップとアリスの凸凹さが徐々に消えていくのが微笑ましかった。


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