Kimama Cinema

観た映画の気ままな覚え書き

かげろう

2015年10月23日 | 2000年代 欧州
かげろう(原題:Les Egares)


2003年 フランス
監督: アンドレ・テシネ
製作: ジャン=ピエール・ラムゼイ・レヴィ
脚本: ジル・トーラン 、アンドレ・テシネ
出演: エマニュエル・ベアール、 ギャスパー・ウリエル、 グレゴワール・ルプランス=ランゲ、クレメンス・メイヤー
撮影: アニエス・ゴダール
音楽: フィリップ・サルド


 私がはじめてエマニュエル・ベアールに魅せられたのは、1991年の映画「深夜カフェのピエール」から。高校生の頃に深夜、テレビの再放送で観てかなりショックを受けた覚えがある。“失禁”シーンがあるにも関わらず尚、いや更に美しくみえる女優から目が離せなかった。その「~ピエール」から12年ぶりのタッグを組んだアンドレ・デシネ監督先品「かげろう」。子連れの未亡人オディールを演じるエマニュエル・ベアールはまたしても冒頭で“失禁”させられている。思わず前作を想起させられ、衝撃を追体験した。ああそうだ、この人には平気で弱さを見せられる強さがあるのだ。成熟した魅力の中に、時折顔をだす幼児性。小さな子供を連れていても、いわゆる「お母さん」ではない、と言われた気分になった。

 舞台は第2次大戦下のフランス。戦火から逃れ、オディールは13歳と7歳の子どもを車に乗せて、避難先を探し走っていた。その道中にもドイツ軍の爆撃を受けるが、17歳の青年イヴァンの助けで森の奥へと逃げのびる。イヴァンを演じるのは、キリキリに鋭った美しさを放つギャスパー・ウリエル。にしても森の中の美青年というのは、いかにも神秘的。絵になるなあ。

 さて森の先には、無人の村があった。村の人々はドイツ軍の侵攻を恐れ、家を捨てて既に逃げおちているようであった。オディールたち母子とイヴァンは、当面のところ無人になっている屋敷に住み着くことになる。

 イヴァンが抱える孤独と反発は、母子への親愛の情を寄せては返す。10代後半の青年が1日1日と成長を遂げる中でみせる危うさにオディールは戸惑いを隠せない。13歳の息子はそんな揺れる母親の心境を感じ取り、それが何なのかわからないまま自分が母と妹を守らなければ、という自覚を芽生えさせていく。

 彼らは一挙一動に過敏に意識し合い、息苦しくなるほどだった。凸凹なままに家族を再構築させるのか、誰が父役を担うのか。オディールは、母親であり主人であり女であり少女のようでもあった。彼女の多面性がセンシティブなイヴァンには、ひときわ魅力的に映っただろう。

 原題は「Les Egares(道に迷って)」で、やっぱり迷ってたんかい(イヴァンが物知り顔で先導するシーンがある・・・)って感じだけど、日本語タイトルの平仮名の「かげろう」は「陽炎」とも「蜻蛉」とも捉まえられて良いなと思った。

クーキー

2015年10月06日 | 2010年代 欧州
クーキー(原題:Kuky se vraci)

2010年 チェコ 
監督・製作・脚本:ヤン・スヴェラーク
出演:オンジェイ・スヴェラーク、 ズディニェク・スヴェラーク、オールドリッチ・カイザー
撮影:ウラジミール・スムットニー
音楽:ミハル・ノビンスキキャスト


汚れて古傷だらけのテディベア“クーキー”は、それでもオンドラのお気に入り。しかし、喘息が悪化するからとオンドラの母親に捨てられてしまいます。収集車に連れ去られ、ゴミ捨て場の山にうち捨てられたクーキーは、オンドラの待つ家へ帰るために、歩き出します。



パペットたちが繰り広げるファンタジックで、ミニチュアな世界。かわいらしさ満点のスクリーンのはずが、今やパペットたちの生活にもいろいろあるようで・・・。心から安心できる場面がほんのわずかというドタッバタッアクションが次々に巻き起こります。森の中で保護してくれた“村長”には邪険にされるし、ゴミ捨て場からは見張り役の“ゴミ袋”!が追いかけてきて次期村長とグルになってしまうし、カーチェイスになれば積み荷に火をつけられるし、早く走り過ぎるとなぜか雪が降り出して大雪に埋もれるしで、一ひねりも二ひねりもしてあるとゆうか、まーとにかく大変。クーキーの冒険は世知辛いのです(手加減してあげて、クーキーはCGじゃないんだよ。生身なんだよっ)。

 そんな中で、6歳の男の子オンドラが自分の大切なテディベアを信じる気持ちが輝いてみえます。離れていても、強い絆を感じさせるオンドラとクーキー。子どもたちが持つ特別な時間を描き、最後にはオンドラが観客のこころを全部持ってっちゃう気がします。