Kimama Cinema

観た映画の気ままな覚え書き

パリ、テキサス

2018年01月13日 | 1980年代 欧州

パリ、テキサス(原題:Paris,Texas)

1984年 フランス=西ドイツ
監督:ヴィム・ヴェンダース
製作:クリス・ジーヴァニッヒ、ドン・ゲスト
製作総指揮:アナトール・ドーマン
脚本:L・M・キット・カーソン、サム・シェパード
出演:ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー、ハンター・カーソン、
ディーン・ストックウェル 、オーロール・クレマン
撮影:ロビー・ミューラー
編集:ペーター・プルツィゴッダ
音楽:ライ・クーダー


覗き部屋で客と女給として、かつて愛し合った男と女が壁を隔て、電話で話をする。
壁には大きなマジックミラーが設えてあり、男から女の姿は見えるが、女からは男の姿は見えない。
一方通行の視線、一方通行の会話が、なんとも切ない。

男は4年前に女と息子を残して失踪していた。
行方を知った弟が砂漠まで訪ねてきても、記憶も言葉も失ってしまっている。
すったもんだの末にロサンゼルスまで帰ってきて、弟夫婦に育てられていた息子と再会し、
閉ざしていた心を取り戻していく。

この息子のハンター(8歳)の戸惑いや恥ずかしさや甘えや思いやりが、逐一手に取るようにみえて
かわいくて仕方ない。
おい、こんな子をよく放っておけたな。もーーー!!
ぜったいぜったい離しちゃだめだよ、って思うのに。
出てくる人たちは、みんな愛し合っているというのに。
うまくいかないの。想いが強すぎるがゆえに。

愛さえあれば、なんていうけれど、幸福に生活していくのに必要なのは「至上の愛」ではなく、
バランス感覚なのかな、と思わされてしまう。

ミツバチのささやき

2015年11月12日 | 1980年代 欧州

ミツバチのささやき (原題:El espíritu de la colmena )

1985年 スペイン
監督:ビクトル・エリセ
製作:エリアス・ケレヘタ
脚本:ビクトル・エリセ、アンヘル・フェルナンデス・サントス
出演:アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、テレサ・ヒンペラ
撮影:ルイス・カドラード
編集:パブロ・ゴンザレス・デル・アモ
音楽:ルイス・デ・パブロ


1940年代のスペイン・カスティーリャ地方。内線後の小さな村での物語。まるで絵画の中の風景や人物がそっと動きだしたような、叙情的で美しい映像が流れる。セリフは多くないけれど、映像だけが静かに、雄弁に家族の姿を語っていく。巣箱の模様なような窓ガラスの家。精霊を探す子ども。絶え間なく羽ばたくミツバチたち。悲しげな表情で手紙を綴る若い母。ミツバチをじっと見つめる年老いた父。

“報われない努力。・・・巣室を離れれば休むことはない。幼虫もまもなく労働に明け暮れる。”なんて独白を、幼な子の寝顔に重ねるなんて、ずいぶん意地悪だと思う。厭世的な雰囲気の漂う両親とはうって変わって、アナとイザベルの小さな姉妹の会話や仕種は、とてもかわいらしい。

トラックで町にやってきた移動映画は『フランケンシュタイン』を上映し、子どもたちは夢中になって見た。夜、ベッドの中でアナは、姉のイザベルに尋ねる。「なぜ怪物は少女を殺したの? なぜ怪物は殺されたの?」 イザベルは、怪物は精霊のようなもので、仮の姿だから、殺されることはない。友達になれば、いつでも呼べば来てくれると、アナに教える。その言葉をアナは深く心に刻む。彼女が執拗に求めているのは、いつでも寄り添ってくれる存在。その幼い心にどれだけの寂しさを抱えているのだろう。

国中が荒れた大きな戦争の後に残った、暗く沈んだ空気。幾多の人たちが負った深い傷痕。大人たちの心に宿る闇は、何も知らない幼い子どもたちをも包み込む。

アナは近所の廃墟に潜んでいた男を、自分が見つけた精霊と考えて、食糧や衣服を差し入れる。男はすぐに追っ手につかまって殺されてしまうのだが、アナはイザベルから聞いた話を思い返して、精霊を呼び出そうとする。

小さな姉妹がささやきあう声は映画のタイトルとぴったりだと思うけれど、静寂を壊すのを恐れるように進んでいく物語だけに突如として響く呼び声には、いつもハッとさせられた。広く高い空に、家族の名前を呼ぶ声が響く。帰宅した夫が留守中の妻の名を呼び、妹は床に突っ伏したままの姉の名を呼び、父が走り去っていく子どもを呼びとめようとする。

草原に吹く風の音に混じって、声だけが耳の奥にずっと残る。ひどく遠くから、自分の名前を呼ばれているような錯覚に陥る。家族たちがそれぞれに抱えている寂しさがそっとよぎっては、風のように混ぜかえされる。

バンデットQ

2014年07月13日 | 1980年代 欧州

バンデットQ(原題:Time Bandits)

1981年 イギリス
監督・製作:テリー・ギリアム
製作総指揮:ジョージ・ハリスン、デニス・オブライエン
脚本:テリー・ギリアム、マイケル・ペイリン
出演:クレイグ・ワーノック、シェリー・デュヴァル、ジョン・クリーズ、ショーン・コネリー


まず「ん?」と思うのが、映画タイトル。
Q? え、コレって邦題だけ。なんでQって、足しちゃってるの?
それに加えジョージ・ハリスンの主題歌「Dream Away」を「オ・ラ・イ・ナ・エ」という
タイトルに意訳してしまうセンスはいかに!
これは日本の配給会社が、子ども向けファンタジーを狙って(わかりやすく?)変換させたからで、
初公開時には(子どもには辛い)バッドエンディングも独自の判断でカットしていたらしい。
80年代はまだまだ異国は遠く、繋がっていなかったんだなあ、と思わされる。

物語は、11歳の少年ケヴィンが、自分の部屋に現れた謎のコビト達を追って
時空を超えた旅にでる冒険活劇。
あらゆる時代や場所へ自在に移動できるタイムホールが描かれた地図を駆使して
ナポレオンやアガメムノン王から金目のものをかっぱらったり、
ロビンフッドに取りあげられたり、と派手な暴れっぷりで面白い。
めまぐるしく現れては消えるドタバタ感は、モンティ・パイソンでアニメーションを
担当していたテリー・ギリアム監督の持ち味。

日本の配給会社が初放映時にカットしてしまったというエンディングは・・・
少年が現実世界に戻ってくると、ベットの周りは火と煙に包まれていた。
助けに入ってきた消防士に抱えられ少年が外にでると、両親は火事の事で口論を
していた。両親は、火事の原因になったというトースターの中に入っていた魔王の破片
に触れ大爆発して、ふっとんでしまう。
呆然とする少年に、アガメムノン王そっくりの消防士はウインクを投げて去っていく。
・・・といったもの。
確かに救いはないけど、よくある「夢オチ」と考えれば
寝てる間の突然の火事で両親が亡くなったという現実がまずあり、少年の妄想による
脳内補完作業の物語とすれば、辻褄が合ってくる。
いかにもアニメーターらしい発想だなあ。

ある女の存在証明

2013年03月19日 | 1980年代 欧州

ある女の存在証明(原題:dentificazione di una donna )

1986年 イタリア=フランス
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
製作:ジョルジョ・ノーチェラ
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ、ジェラール・ブラッシュ
出演:トーマス・ミリアン、ダニエル・シルヴェリオ、 クリスティーヌ・ボワッソン、ララ・ウェンデル、マルセル・ボズフィ

映画監督であるニコロを主人公に、マーヴィとの出会いと別れ、イーダとのつかの間の恋を描く。
屋外でのシーンは美しく幻想的に映し出され、家の中のシーンでは一挙一動をつぶさに、またベットシーンは濃密に描かれている。
この悩める監督は、アントニオーニ自身か。

男は、鞄を手に旅行から自宅へ帰ってきた。
しかし、防犯警報解除のキーを持っていなかったため、警報が鳴り始める。
出ていった妻は、警報装置を残していったのだ。

彼女の名はマーヴィ。
もともと医師である姉の患者であったが、深くつきあうようになった。
マーヴィとつきあっていることによって、見知らぬ男から忠告を受けたり、跡をつけられたりする。
2人の中で、少しずつすれ違いが起きていく中、彼女は旅先で深い霧に紛れ去っていってしまう。

マーヴィへの未練を持ちながらも、男はイーダという女性と頻繁に会うようになる。
イーダと愛し合うようになり、結婚を決意するも、イーダは彼と出会う前につきあっていた男との間に
できた赤ちゃんを妊娠していた・・・。

そうして、男はまた自分の世界へと旅立っていく。
きっと帰ってきたら、警報装置が鳴り出し、以前の女を思い出しながらも
また次の女と恋をするのだろう。

問わず語らず、男は旅を続ける。この映画は、彼の夢想であり、半生でもある。
愛の不毛を描き続けた監督が、辿る愛の迷路。
ある女の・・・というより、むしろ「ある男の存在証明」ではないかと、
女の私からしたら、思ってしまう。

日曜日が待ち遠しい!

2012年08月22日 | 1980年代 欧州

日曜日が待ち遠しい!(原題:Vivement dimanche!)

1983年 フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ファニー・アルダン、ジャン=ルイ・トランティニャン、フィリップ・ローデンバック、カロリーヌ・シホール
フィリップ・モリエ=ジュヌー、グザヴィエ・サマンカリー


軽快なミステリ映画。ガンのため、52歳で亡くなったフランソワ・トリュフォーの遺作でもあります。
『土曜を逃げろ』というアメリカのハードボイルド小説の映画化であり、
そこから「日曜日が待ち遠しい!」とタイトルにつけたよう。
映画では、幾晩かにわたるストーリーなのですが、日曜日には万事解決!ってわけですね。

快活な女秘書が、勤め先の社長の殺人容疑を晴らすべく、大奮闘します。
単身ニースで聞き込みをし、部屋に忍びこんできた私立探偵をつかまえ、娼婦のふりをして
ナイトクラブの元締めをしているボスに挑んだり、盗聴や尾行も・・・テキパキこなしちゃう。
さすが有能な秘書ならでは! かっこいい!! 
と思いきや、半年も前から社長に惚れてるのだ、という。

ええっ、仕事だからこそ、ぱっぱと進めてるのかと思ってたよ。
後半にむりくり、そういう風に持ってきてるのだけど、恋愛ムードにはまったく見えないよね~。
華麗な美人と情けない男っていうのは、フランス映画的ではあるけど(勝手なイメージ)。

とにかく事件解決していくのが、楽しい!という感じ。
長い足で颯爽と闊歩し、探偵顔負けの捜査をはりめぐらすファニー・アルダンの姿が小気味いい。

彼女は、私生活ではトリュフォー監督の恋人でした。
と、聞けば納得。
すでに惚れている人が、すぐ側にいたのですね。