Kimama Cinema

観た映画の気ままな覚え書き

火 Hee

2016年09月07日 | 2010年代 邦


ウイルあいちで開催された「あいち国際女性映画祭2016」にて
桃井かおりさん監督・主演の映画「火 Hee」、ドキュメンタリー「Hee and She 映画『火 Hee』を
作った日々」、特別企画トークショー「「~監督、そして女優として~」を観てきました。

火 Hee

2016年 日本
監督:桃井かおり
製作:奥山和由
脚本:高橋美幸、桃井かおり
出演:桃井かおり、佐生有語、藤谷文子、クリス・ハリソン、ブライアン・スタージス
撮影:ギンツ・ベールズィンシュ


カーテンをそのまま服に仕立てたような、トリッキーなワンピースを着た女が
アメリカにある精神科のクリニックで、独り言を重ねていく。
医師は無表情で聞いているのか、いないのか。
うつろな目の女の言うことはどこまでが虚言で、どこからが本当なのか。
はっきりしないまま女は去り、医師は普段どおりの生活を続けていく。

そして街中で、その女を見かける。
一度は狂っていないと診断した女、医師としての自分を認めなかった女。
医師は声をかけず、女をじっと見つめた。

それからまた、女はクリニックにやってきた。
今度は放火による殺人犯の容疑者として。
再び、女は自らの恵まれない半生を語りだす。

男を家に連れ込むような母親に育てられ、アメリカに渡ってからは
娼婦として生計を立てるようになった彼女。途切れ途切れに事件が
明らかになっていくようだが、どれが真実か。

彼女は向き合ってもらうことを必要としていて「見られる」ことにより
語りを進めていくが、「見られる」からこそ演じることもあるだろう。
「見る」ことで、他人へ与える役割もあるだろう。
「見ること、見られる」ことの重みを感じる作品だった。

とはいえ、発端となる事件のあらましは極めてわかりづらい。
続くドキュメンタリー「Hee and She 映画『火 Hee』を作った日々」の上映を観て
やっとストーリーの全貌は理解できた。

まあ監督の桃井さんによると、観て直ぐに理解できなくても良い、ジワジワくれば、
とのことだったけれど。
上映後に行われた元・黒澤映画制作助手の野上照代さん(御年89歳の日本映画界の重鎮、
「母べえ」)とのトークショーでは野上さんの第一声からして「わからん映画だったでしょ」
との切り出し。ちゃちゃを入れながらの掛け合いでテンポよく、更に謎もとけて良かった。

タイトルをなぜ「Hi」ではなく「Hee」としたのか。
彼女(患者)が主役のようで、実は彼(医師)が主役だからなのかなあ、と私は何となく
想像していたけれど、監督の意図は「火」を”Fire”のようなボウっと勢いよく燃え上がる
イメージにさせたくなかったとのこと。
女性の心の中に、常に燃え続けている微かな「火」を表現したかったと、いうのが
表記として「Hee」になるのは独特でおもしろいなと思った。

わたしを離さないで

2016年09月02日 | 2010年代 欧州
わたしを離さないで(原題:NEVER LET ME GO)

イギリス=アメリカ 2010年
監督:マーク・ロマネク
製作:アンドリュー・マクドナルド、アロン・ライヒ
製作総指揮:アレックス・ガーランド、カズオ・イシグロ、テッサ・ロス
脚本:アレックス・ガーランド
出演:キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイ
音楽:レイチェル・ポートマン
撮影:アダム・キンメル
編集:バーニー・ピリング

カズオ・イシグロによる同名小説の映画化。
今年放送された同原作のTBS系テレビドラマがあまりに泥々としていたため、それを踏まえて観ると、非常に淡白な印象。

閉鎖的な施設「ヘールシャム」で幼い頃から育ったキャシー、ルース、トミーの3人は、18歳になると学校を出て、同じような施設で育てられた人たちと農場のコテージで共同生活を送ることとなる。
彼女たちは「提供者」となるまで自由な生活を送り、「提供者」の世話をする「介護人」の役割を担っても良いとされている。そして「提供者」は3〜4回の提供後、短い人生を終える。
だが3人は、コテージの先輩からヘールシャムで育った子どもたちには執行猶予が設けられているという噂を耳にする。

といった複雑なストーリーにも関わらず、説明は最小限に留められている。
ショッキングな展開が日常の当たり前の出来事のように進んで行く語り口は原作に近いんじゃないかと思う。ボーッとしていると彼らの当たり前ではない深い悲しみを見逃してしまう。

ルースとトミーが短い人生をかけて、たとえ自分の感情や恋心とは離れようとも、定められた運命に抵抗したいんだという強い意志は痛いほど伝わったし、それらを全て見守りながら受け入れていくキャシー役キャリー・マリガンの諦めを含んだ笑顔が春の日差しのようにどこまでも穏やかで、惹きつけられた。