Kimama Cinema

観た映画の気ままな覚え書き

想い出のマーニー

2014年07月25日 | 2010年代 邦


思い出のマーニー

2014 日本
監督:米林宏昌
脚本:丹羽圭子・米林宏昌・安藤雅司
原作:ジョーン・G・ロビンソン
声の出演:高月彩良、有村架純、松嶋菜々子、寺島進、根岸季衣、森山良子、吉行和子、黒木瞳


持病の療養のため、親戚のいる田舎を訪れた杏奈は、金髪の少女マーニーと出会う。
日中は寂れた誰も近づかない沼地にたつ古い屋敷は、マーニーが現れたとたんに
明かりが灯る。
夜中のピクニック、華やかなパーティ、ふたりだけの秘密。

児童文学にどっぷり浸かって、空想の世界で跳ね回っていた小学生時代の私が
この映画をみたら、夏の間じゅうマーニーの世界に行ってたよなあ、と思う。



ふわふわのドレス、ロールした金髪、そして(杏奈からしてみれば、自分と同じ)青い瞳。
マーニーのすべてがラブリーだし、頑な杏奈がグッとくるのもわかる。

自分を嫌いな少女が、自分のつくりだした美少女に自分を好きになってもらうという
なんともひねくれてるけど、そのままでいるよりはずっと良い、心の成長を示す一歩。

夢みることって(現実にもつ課題とか希望とかっていう意味じゃなく)子どもにとって
とってもとっても大事なこと!
心の旅路なのです!!

それは、やっぱり普段がんじがらめの場所を離れ、監視する義母もいない、自然の多い村に
ひとり訪れたことが、大きいかも。田舎の澄んだ空気って、やっぱり偉大。隠された物語も
心の扉も、自由奔放に吹く風の中で紐解かれていくわけだ。






バンデットQ

2014年07月13日 | 1980年代 欧州

バンデットQ(原題:Time Bandits)

1981年 イギリス
監督・製作:テリー・ギリアム
製作総指揮:ジョージ・ハリスン、デニス・オブライエン
脚本:テリー・ギリアム、マイケル・ペイリン
出演:クレイグ・ワーノック、シェリー・デュヴァル、ジョン・クリーズ、ショーン・コネリー


まず「ん?」と思うのが、映画タイトル。
Q? え、コレって邦題だけ。なんでQって、足しちゃってるの?
それに加えジョージ・ハリスンの主題歌「Dream Away」を「オ・ラ・イ・ナ・エ」という
タイトルに意訳してしまうセンスはいかに!
これは日本の配給会社が、子ども向けファンタジーを狙って(わかりやすく?)変換させたからで、
初公開時には(子どもには辛い)バッドエンディングも独自の判断でカットしていたらしい。
80年代はまだまだ異国は遠く、繋がっていなかったんだなあ、と思わされる。

物語は、11歳の少年ケヴィンが、自分の部屋に現れた謎のコビト達を追って
時空を超えた旅にでる冒険活劇。
あらゆる時代や場所へ自在に移動できるタイムホールが描かれた地図を駆使して
ナポレオンやアガメムノン王から金目のものをかっぱらったり、
ロビンフッドに取りあげられたり、と派手な暴れっぷりで面白い。
めまぐるしく現れては消えるドタバタ感は、モンティ・パイソンでアニメーションを
担当していたテリー・ギリアム監督の持ち味。

日本の配給会社が初放映時にカットしてしまったというエンディングは・・・
少年が現実世界に戻ってくると、ベットの周りは火と煙に包まれていた。
助けに入ってきた消防士に抱えられ少年が外にでると、両親は火事の事で口論を
していた。両親は、火事の原因になったというトースターの中に入っていた魔王の破片
に触れ大爆発して、ふっとんでしまう。
呆然とする少年に、アガメムノン王そっくりの消防士はウインクを投げて去っていく。
・・・といったもの。
確かに救いはないけど、よくある「夢オチ」と考えれば
寝てる間の突然の火事で両親が亡くなったという現実がまずあり、少年の妄想による
脳内補完作業の物語とすれば、辻褄が合ってくる。
いかにもアニメーターらしい発想だなあ。

にんじん

2014年07月05日 | 1930年代 欧州

にんじん (原題:POIL DE CAROTTE)

1932年 フランス
監督・脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ
出演:ロベール・リナン、アリ・ボール、カトリーヌ・フォントネ、コレット・セガル

ジュール・ルナールの名作小説の映画化。
「にんじん」と呼ばれる赤紙の少年フランソワは、家族の愛情を感じれずに育った。
生まれてすぐ里子に出された後、生家に戻ったものの、兄姉は彼に冷たく、母はうるさがり
父は素っ気ない。
女中のアネットだけが「にんじん」の味方をしてくれるのだが、そのために母と揉め、
余計に嫌われてしまう。

この少年役が痩せっぽっちで、そばかすだらけで、まさに「にんじん」。
クヨクヨしたり、開き直ったり、わかってるようでわかってない感じをうまく演じているけれど
本当はもっともっとハツラツとした子なんだろうなあ。

愛情表現がうまくない親達と、自分を認められず悲観主義に陥っていく子ども。
現代からすると里子に出したり戻したりなんて、ひどい話だが昔は普通のことだっただろうし、
家族に見向きもされない末っ子なんてザラにいたと考えられる。

この作品に思い入れしているデュヴィヴィエ監督は(無名時代にも同作品を製作しており、2度目の映画化)
たぶん少年期に似たような気持ちの動きがあったのではと、思わなくもない。