Kimama Cinema

観た映画の気ままな覚え書き

リード・マイ・リップス

2014年05月22日 | 2000年代 欧州


リード・マイ・リップス(原題:SUR MES LEVRES)


2001年 フランス
監督:ジャック・オーディアール
製作: フィリップ・カルカソンヌジャン=ルイ・リヴィ
製作総指揮:ベルナール・マレスコ、アリックス・レイノー
脚本:ジャック・オーディアール 、トニーノ・ブナキスタ
出演:エマニュエル・ドゥヴォス、ヴァンサン・カッセル、オリヴィエ・グルメ、オリヴィエ・ペリエ、オリヴィア・ボナミー


人の唇の動きなんて、勝手に読まない方がいいと思う。
自分に向かって語りかける言葉以外は。
奥のテーブルや、他の部屋のことなんて、放っておけばいい。

でもカルラは、なまじっか、それができるばっかりに余計な陰鬱を抱えこんでしまうし、
ポールの抑えていた悪心に火をつけてしまう。

カルラは、難聴という障害を持ちながらも、土地開発の会社で忙しく働く30代半ばの女性。
これまで、さまざまな辛酸を嘗めてきただろう苦労人の顔をしている。
だからだろうか、彼女の倫理観は薄い。

職業安定所で自分のアシスタントに若い男を募集し、ムショ帰りと知りながら一存で雇い、
同僚の書類を盗むように頼みこむ。
そのアシスタントのポールが会社にこっそりと寝泊まりするのは、巻き込まれる可能性があるからノーだけど
会社絡みの建設中物件に勝手に住まわせるのは、バレないからオーケー。

一見むちゃくちゃに思えるけれど、人生の早い段階から孤独に呑み込まれてきたのだろう。
常にひとりで決め、ひとりで行動するカルラ。自分の中にしかルールは無い。

借金のかたにナイトクラブでタダ働きさせられることになったポールは、カルラのアシスタントを辞めるが
ボスの部屋が屋上から覗き込めることを知り、カルラに読唇術で会話を読み取るよう、頼む込む。
分け前はやる、というポールに対し、カルラはお金はいらないと言う。
その代わりに、出社して、とポールに条件をだす。
カルラなにやってんの、もう。痛々しいよ。
ここまで一人でやってきて、今さら男に依存していくなんて。

2人が惹かれ合っているのはわかるけど、お互いにとって利用価値があるからというのも否めない。
それでも、必死につながりを求めるカルラの姿に、希望を感じるのは、なぜだろう。

アデル、ブルーは熱い色

2014年05月10日 | 2010年代 欧州

アデル、ブルーは熱い色(原題:La vie d'Adèle)

2013年 フランス
監督:アブデラティフ・ケシシュ
製作:アブデラティフ・ケシシュ、ヴァンサン・マラヴァル、ブラヒム・シウア
脚本:アブデラティフ・ケシシュ、ガリア・ラクロワ
出演:アデル・エグザルホプロス、レア・セドゥ、ジェレミー・ラウールト、カトリーヌ・サレ、
オーレリアン・ルコワン、サンドール・ファンテック

映画館を出て、通りをまっすぐ歩いて角を曲がって、1区画歩いて又曲がって
そこで座り込んで、アデルの替わりに泣き出したかった・・・。

ひとつの恋に出会い、どっぷりと浸かり、終わらした気分。
ストーリーは単純で、女子高校生のアデルが、ある日街中で青い髪のエマをみかけ、一瞬で恋に落ちる。


わたしは同性愛者ではないけれど「恋はすべてを超える」というのは、わかる気がする。
産まれたところや貧富や、皮膚の色は関係ない。性別さえも。
ただアンチの人には、かなり激しい性表現も入っているのでキツいかなあ。


勝手な想像で、同性愛者のカップルは男女の役割をどちらかが演じてしまう部分もあるのかなと
思っていたけれど、それは思い込みに過ぎなかったかも。
喧嘩をして取り乱すアデルとエマをみていると、どっちの言い分もすごくわかってしまう。
それぞれに「女」の反応だなあ!と感じる。

学校内や、バーやパーティなど日常生活での会話シーンが多くて
セリフ然とした会話もあれば、アドリブをしゃべらせてカメラを長廻しさせてるの?と思うくらいに
とりとめのない話もあり、いろんなテーマが持ち上がっては、頬をなで、過ぎていく。
これが今のパリと、言っているかのよう。

映画を見終えて以来、この数日・・・
青い服ばかりを選んで着て、アデルの好きなボロネーゼばかり食べちゃう。
はまっちゃったなあ。引きずりそうな恋。


シェーン

2014年05月06日 | 1950年代 米

シェーン(原題:Shane)


1953年 アメリカ
監督・製作:ジョージ・スティーヴンス
脚本:A・B・ガスリー・Jr.
原作:ジャック・シェーファー
製作:ジョージ・スティーヴンス
出演:アラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリン、ブランドン・デ・ワイルド、エミール・メイヤー


 流れ者のシェーンは、ワイオミング州の開拓地を抜ける途中で、スターレットの一家に
世話になり、下働きとして雇われることになった。
 その地では、以前から開拓移民たちと、牧畜業者のライカー一味との諍いが絶えない。
 スターレット家も弾圧に苦しめられており、新参者のシェーンもその争いに巻き込まれていく。

 名作西部劇として長くアメリカで愛されてきた作品だけど、非常にシンプルな構成で、
開拓時代のかけらも感じられない21世紀の今みると物足りないかも。
 逞しく誇り高い父親像も、優しく美しい母親像も、古き良きアメリカの理想の姿と言ったところ。
 
 ただ後半になって、さすらいの旅に出ざるを得なかったシェーンの悲しみが見えてくると
グッとシェーンが近い存在になってくる。
 いつから、こんな旅を続けてきたのか。
 彼の早撃ちや身のこなしに、彼の半生を伺うようになってくる。
 子どもと一緒になって「シェーン、カムバック」と叫んでしまう。